魔王様と人間さん   作:全智一皆

1 / 1
序章 人間

 

■  ■

「ねぇねぇ」

 

 突拍子もなく、誰かに声が掛けられているのが聞こえた。声の高さからして女性、しかも陽気な部類の。いや、この場合は()()()()()()()()()()()()と言うべきか。

 声色は明るく、気軽で短い言葉。思わず振り返ってしまいそうになる声だ。おそらく人気者だろう、自分の様な男には無縁も無縁の存在だ。

 理工系の大学に進学してからも、比企谷(ひきがや)九龍(くりゅう)という男は全く変わっていない(成長していない)

 だから反応はしない。総武高校に入学してから3年、そして大学に入って1年間、講義の間から休み時間まで片時も人の気も知らずに声を掛けてくる様な、無礼千万ここに極まった輩の言葉になぞ反応してたまるか。

 

「おーい、聞こえてるー? もしもーし」

「やめろ触るな穢らわしい」

 

 つんつん、と頬を突かれ、つい反応してしまった。クソが。

 俺が不機嫌に満ちた表情を浮かべれば、いつも俺に絡んでくる女―――もとい、同大学の女子大生こと、雪ノ下陽乃は、いつもの様に上辺だけの薄っぺらい笑みを返してくる。

 

「お、反応したね。というか穢らわしいってなにさ。華の女子大生なんだけど?」

「喧しい。四の五の言わずに離れろ、ペテン師女め」

「ひどーい。メンタリストなのにそんな酷いこと言うんだー」

「誰がメンタリストだ」

 

 勝手に人をメンタリストにするな。何がメンタリストなのに、だ。それを言うならカウンセラーだろう。いや、別にカウンセラーでもないのだけれども。

 そもそも、講義の最中に話し掛けてくるな。ただでさえ普段から煩い奴に話し掛けられたら、俺にまで被害が来る。ペテン師女の所為で単位を落としたとなれば、さしもの俺も黙ってはいられない。

 相手は両親共に重役の強敵だが、だからと言って引いてはならない。どんな武器も正しく使えば必殺だ、使えるものを使って、地の底まで叩き伏せてやる。

 ……なんて、くだらない妄想はこれくらいに。

 合理的に考えろ、そんな事したって時間の無駄だ。成功しようが失敗しようが、一切として俺の利にならない。そんな馬鹿げた事をするよりも、落とされた単位を取り戻す為に尽力する方がよっぽど有意義である。

 

「九龍くんは真面目過ぎだよ。大学だよ? まだ19歳だよ? もっと謳歌しなよ」

「お前が消え去ってくれれば、思う存分に謳歌出来るんだがな」

「いや無理でしょ。高校時代、私が絡んでなくてもずっとボッチだったじゃん九龍くん」

「それが俺にとっての青春だったんだよ。静寂は良いぞ、余分な情報が入り込まない。少なくとも、俺にとっては楽園だった」

 

 雪ノ下の言い分は確かだが、正しいとは言えない。あくまでも俺にとってだが。

 確かに俺は独りだった。大した友達も作らなかったし、クラスメイトと話す事も少なかった。だが、俺にとってはそれこそ青春だった。

 子供の頃から、俺は異常なまでに『目』が良かった。と言っても、別に幽霊が見えるとか未来が視えるとか、そういう超能力じみた意味じゃない。観察力や洞察力といった、つまる所の『物事を見る力』という意味での『目』だ。

 言葉の裏にある真意や虚実、その人が今どういう心境なのか、何を思っているのか……そういった、実際に視覚で認識する事の出来ない情報が、感覚的に分かる。

 あくまでも感覚的な話で、理屈の様に説明するのは難しいので省かせてもらうが、とりあえずは『異常なまでに洞察力が高い』という事で納得してくれれば良い。

 だから、俺は独りが好きだった。

 

「まぁ、だいたいは何処ぞの誰かが絡んできてすぐに地獄に様変わりしたが」

「可哀想に…いったい誰が九龍くんの平和を脅かしたの?」

「お前に決まってるだろうが、ペテン師女め」

「あぶなっ!」

 

 隙ありと踏んで裏拳を飛ばしたが、紙一重で躱される。無駄に運動神経が良い奴はこれだから困る。素直に打ち込まれろ。

 整った顔立ちを潰そうとした俺に、雪ノ下は信じられない様なものを見る目を向けて突き刺してきた。全く心に刺さらないが。

 

「ちょちょ、今本気で打ち込んだよね!?」

「当然だろ。寧ろ、俺がお前相手に手加減すると思っていたのならお笑い草だ」

「ほんっとに危なかったよ、今の。怪我したらどう責任取ってくれるの?」

「責任を取らないで良いようにさらに殴る」

「最悪」

「お前には丁度良いさ」

 

 別に相手が雪ノ下でなかろうが、俺の対応は大して変わらないだろう。そもそも独りが好きな人間なのだ、無理に絡んでくる奴等は等しく敵だ。

 その中でも雪ノ下は強敵だ。強化骨格の様な外面にはある種の感心が湧きそうにもなるが、突き詰めれば所詮は上辺だけの仮面だ、尊敬には値しない。

 俺を尊敬させたければ、俺が見抜けない仮面を被る事だ。絶対に無理だろうが。

 

「おーい、比企谷と雪ノ下。仲睦まじいのは結構だが、講義中は静かにしろ」

 

 遂に静止のお声を掛けられてしまった。俺は小さく舌を打って、すいませんと平謝りを返す。それに追従する様に、

 

「ごめんなさーい☆」

 

 雪ノ下もいつもの仮面で返した。相変わらず、気色悪い。

 それからは特に絡まれるという事もなく、滞りなく講義は進み、終わりのチャイムが鳴った。静けさが一気に消え失せ、ガヤガヤと喧騒が教室を包み込んでしまう。

 大学に通う事自体は大して苦でもないが、この瞬間は本当に苦痛だ。隣に雪ノ下が座ってくるのも相まって、喧騒を消す為のイヤフォンをしたくても出来ないのがまた苛つく。

 しかし、今回は珍しくウザ絡みをして来なかったな。一度で終わるのはかなり稀なケースだ。そのまま自然消滅してほしい。

 

「よーし、講義終わったー。カフェ行こうよ」

「生憎と用事があるので断る」

「はい、嘘。九龍くんはこの講義で終わり。その後の予定は何もない筈だけど?」

「いちいち俺の予定を把握してるのか? それはご苦労な事だ、実に気色悪い。……はぁ」

 

 心から断りたいが、そうすれば雪ノ下は様々な手段を使ってくるだろう。その強化骨格の如き上辺によって構築された人間関係の広さは、俺も恐ろしいと言わざるを得ない。

 此奴は『魔王』だ。簡単に関係を築き、そしてそれを意のままに操る。自らの退屈凌ぎと愉悦の為に人をこき使う奴を『人間』と呼ぶのは失礼だろう。

 合理的に考えて、大人しく従うのが妥当だ。いちいち此奴に逆らっていてもキリがない。

 持参のバックを背負い、講義室の席から巨石の様に重たくなった腰を何とか持ち上げる。

 

「さっさと行くぞ」

「何だかんだ言って付き合ってくれるよねー。そういう所好きだよ。あ、もしかしてツンデレ?」

「阿呆抜かせ。合理的に考えて、大人しく従った方が早いだけだ。お前に好かれるなぞ阿寒が走るわ、ペテン師女」

「酷い言い草だなぁ。いい加減に名前で呼んで欲しいんだけどー?」

「『悪魔の証明』をしろと?」

「ただ名前で呼ぶだけなのに不可能だと断じられたの初めてだよ」

「常日頃の己を見直してから口を開け。……まぁ、そうだな。お前が『雪ノ下陽乃(ほんもの)』を出せば考えてやる」

 

 俺がそうして返す刀を向ければ、雪ノ下はその表情から上辺だけの笑みを消した。分かりやすい女だ、此奴のこういう所だけは『人間』らしいと言えるだろう。

 どんな人間も核心を突かれれば必ず崩れる。雪ノ下陽乃ですら、それは例外ではない。『魔王』もそう言う人間らしい所があるのは、此奴が『人間』である事の証明か。

 まるで免罪符であるかの様にも思えるな。本人にその自覚はないのだろうが。

 

「ほんと、良い性格してるよね九龍くん。人の心を(いじく)って楽しいですかー?」

「退屈凌ぎに人間で(もてあそ)ぶ奴には言われたくないな。さっさと支度しろ、でなければ帰る」

「分かった分かった。はい、じゃあレッツゴー! あ、」

「死ね」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()。紛れもない本音が零れてしまった。

 だが訂正する気はない、事実そう思ったのだから。

 

「どストレートだなー。女の子に死ねとか言っちゃメッ、だぞ?」

「気色悪い」

「死ねじゃなきゃなんでも良い訳じゃないんだよ? というか、()()何も言ってないんだけど」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「おーい、話聞いてますかー?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「―――やっぱ楽しいなぁ、()()

 

 腹立つ笑みを浮かべながら、楽しげな足取りで前へ前へと先を行く。やはり此奴は魔王だな。俺の場合、会話すらも楽しみにしてしまうのだとすれば、もはや受け答えする気すら失せていく。

 先程も言った様に、俺は異常な程に『目』が良い。洞察力が異常、と表現した方が現実的な描写にはなるだろう。

 言葉の裏にある真意、その言葉の虚実。心情や本音、そういったものを洞察すれば、まるで答えが書かれたテスト用事を見るかの様に、鮮明に次の展開や言葉が理解出来る。

 言うなれば『先読み』だ。聞くに絶えない会話、あからさまに―――俺からすれば―――真意を隠した下手な駆け引き、無駄な牽制……俺にしてみれば、『他者との会話』とはつまり『情報処理』という単純作業でこそあって、『共感』を意味するものじゃない。

 だから、先を読む。その真意だけを捉えて言葉を紡ぐ。そうすれば、()()()()()()()()()()()

 

 だが、雪ノ下陽乃はそれを知った上でやり取りを強要する。自らの虚実が簡単に見破られるのを、あからさまに楽しんでいる。

 見透かされる事を前提とした会話―――傍から見れば、会話が成立していない様に見えるであろうそれを、しつこく。

 クソを泥で煮詰めた様な最高に良い性格をしている。さぞかし良いご家庭で、そして良いご両親に育てられたのだろう、なんとめでたい事か。

 

「やっぱり、観察って面倒くさい?」

「俺がしているのは余分な情報の処理だ。わざわざ好んで観察なんかしない」

「ふぅん。けど、そう言う割にはいつも解体してるじゃない、言葉。本音と建前、嘘と真実、善意と悪意…そうやって言葉を切り分ける。相手の真意を先取りして、自分の本音は隠したまま」

 

 こういった質問でさえも、この女からすれば退屈凌ぎに過ぎないのだろう。わざわざそんな分かりやすい質問をしてまで、俺から何を引き出そうというのか。

 魔王に目を付けられたのが運の尽きと言えそうだが、それが4年も続けば、もはやそこにあるのはただひたすらに面倒という感情だけ。

 ―――此奴は俺に期待している。まるで無垢な少女の様に、自分ですら分からなくなった『本物』を俺ならば拾ってくれる、と。

 本当に、癪に障る。

 

「……ソレだ」

「ん?」

「そういう()()()が、気色悪いんだよ。人間はどこまでも分かり難い、そして更に何もかもを複雑に織り交ぜて、遂には自分ですらそれが把握出来なくなる」

「……」

 

 善人であれ悪人であれ半端者であれ、どんな人間も観てみれば同じだ。どいつもこいつも、胸の内には真逆の事を秘めてひた隠しにし続ける。

 話したかった本音、伝えたかった真実。

 言いたくなかった結果、隠したかった嘘。

 本音も建前も、何もかもを織り交ぜるから曖昧になる。

 

 嘘つきが全員悪人だとは思わない。

 正直者が全員善人だとも思わない。

 嘘つきの中には、どうしようもなく真っ直ぐな奴がいる。

 正直者の中には、どうしようもなく腹黒い奴もいる。

 どっちも本音と建前を使い分けてるくせに、自分だけは()()()()に立ってると思っている。

 

「嘘つきの中には隠された本音がある。正直者の中にはクソみたいな思惑がある。それらが絶対とは断言出来ない。しかし、だからこそ―――何もはっきりしないからこそ、総じて気持ち悪い」

 

 結局、人間ってのは、嘘も本音も混ぜてないと生きていけない生き物なんだろう。そしてきっと、これを『それが人間』だと言う奴も居るだろう。実際、それこそが正しいのだろう。

 あぁ、分かっているとも。だからこそ―――気持ち悪いと思うんだよ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。