宵の底で、山小屋に風の音が響く。
夫人も居る故と、女性陣は衝立の向こうの小部屋に移動し、
角灯が造る影が揺らめく中、男衆は静かに吞んでいた。
黙々と、杯は進む。
まず夫人がいけない。
並外れて豊かな胸元の下は、犯罪染みて細く締まっており、
たゆんたゆんと揺れては視線の向け所を困らせて来る。
そしてマルジャーンも油断はできない。
高位貴族由来の整った容姿は、永の鍛錬で健康的な魅力に溢れており、
ざっくばらんな関りの中で時折に気付かされる物が在る。
何より、アルフライラは犯罪であった。
容姿は言うに及ばず、折に触れ薄く香る花の如きその身の香り。
肌を触れば、どこまでも沈み込むかと思える白雪の柔肌を持つ。
常ならばそこまで意識していなかったはずのそれらは、
何故か今宵は熱を持ち、男性陣の胸の内をじっとりと炙り続けていた。
そして青の商人が杯を空け、身を捩って酒瓶を持ち上げた。
豪商特有な、むちりとした肉が捻じれ露わな身に皺を造る。
それを目にした開拓者たちは、ごくりと唾を飲んだ。
―― どう見ても商人の旦那が……色っぽい……
迷いを振り払うかの様に首を振ったサフラが、その勢いのまま、
うっかりと胸元と留めている布がはだけ胸襟が露わと成る。
「おっと、胸元が」
逞しい大剣使いの胸元から目を離せない、ハジャルと商人。
―― この剣士……すけべ過ぎるッ
堪らずに額を抑え、熱に浮かされた口調でハジャルが述べた。
「何か、クラクラするのう……」
「大丈夫かハジャルッ」
「横に成れッ、今すぐにッ」
そう、男3人、密室、
壁の向こうが神に捧げる格闘舞踊の気配に満ち、
尻肉を叩く音が聞こえてきたあたりで、アルフライラは絶望した。
考えるまでも無く、近隣に神族は自分しか存在しておらず、
深夜の男祭りを捧げられてしまうのだろうかと、遠い目をする。
油断であった。
投薬どころか、初手から肉体の各部位を分解された上での薬漬け。
その上で板に肉体情報を記録されたアルフライラや、
帝国貴族の嗜みと、幼少から耐毒訓練を受けていたマルジャーン。
つまりは薬物耐性持ち、その前提から判断してしまった無害な食事は、
男性陣と商人夫人、及び護衛に見事なまでの惑乱を誘発していた。
「致死でなくてもこういう害も在るのかー」
反省の言葉を述べながら、千夜神が板の上で薬湯を啜る。
患者、病状に合わせ様々な組み合わせで造られる民間療法である。
アルフライラが飲んでいるのは蜂蜜で練られた香草で、
それを湯に溶かした薬湯、と言うほどの効果も無い健康飲料。
イルイトイの薬師に調合して貰った、健康茶の
同じ
小屋に用意された食料に仕込まれた惑乱薬では随分と趣は異なっている。
まあそれでも、無害との判断は必ずしも間違いでは無かった。
特に肉体に影響を及ぼす事も無く、夜明けまでには効果も切れるだろう。
そう判断した神は、すぴょすぴょと夢の世界に揺蕩う爆乳と護衛を眺め、
手持無沙汰と薬湯を呑み干したあたり、マルジャーンの帰還に気付いた。
疲れたわーと言いながら板の上に倒れた美貌の開拓者は、
例の如く煮沸消毒されのたうち転げ、力尽きて長く伸びた。
そして、一部の人間たちにとっての長すぎる夜は明ける。
熟睡の末に元気よくたゆんたゆんしている夫人の有様の向こう、
衰弱して死相が見えている男性陣と、目を逸らす女性陣。
帰路は折り返す事無く、山頂を越えてイルイトイ側に降りる。
そのまま山裾沿いに硫黄の村まで戻る予定である。
高台より眺めた火口湖はそこかしこに火山の噴煙を纏い、
酸性の水辺に堆積した硫黄が陽光を受けて輝いていた。
漂う熱気の中、噴き出すガスを避けながら下山の路を歩む。
やがて進むにつれ、毒性に枯れ果てた大地に緑が戻っていき、
終には鬱蒼と生い茂る翡翠の山道、どこからかの水音が響いている。
「麓の水源じゃな」
空気も湿り気を帯びる中、ハジャルが簡単に説明を入れた。
やがて開けた空間に、高所より水が落ちる様を見て。
「意外に水が豊富な地域なんだ」
「島の奥側にも幾つか水源が在るらしいの」
上水道へと繋がる取水口は滝壺の近くに設置されており、
それより下に流れた水は池を造り、小川と成り山肌を降っている。
そして衰弱した苦行の輩たちは言われるまでも無く自ら滝壺に歩み、
頭から冷水を受け邪念を祓う横、創世神が溺れていた。
滝壺、高低差の在る場所より落下する水が造る水流は、
底に至り跳ね返る流れが、落下する水の勢いに巻かれ回転を産む。
つまりは浮かぶ寸前、滝の勢いに呑まれ再度と底に送られるのだ。
そして滝壺に呑まれた犠牲者は、浮かび上がる事無く回り続ける。
この流れは滝ほどの規模、水深が無くとも発生する自然な代物であり、
先史でも河川、水流調整の段差などでの死亡事故が多発していた。
故にかくの如く、洗濯される衣類の様に縦回転を続けるアルフライラ。
そんな創世神洗濯機と化した滝壺にマルジャーンが近付き、
折良い時機を見計らい、洗濯物を引っこ抜いて板の上に乗せた。
煙を吹く神が陽光に乾かされた頃、修行者たちの邪念も祓い清められ、
沸かした湯で淹れた珈琲を啜り、冷えた身を温める。
その粉と砂糖を杯に入れ、熱湯を直接注いで作る大麦島の珈琲である。
淹れた後に舞い踊る珈琲粉の沈殿を暫く待ち、上澄みを啜る。
「砂糖がきついのに、苦みと香りがガツンと来る」
「帝国西部でも似た淹れ方をするけど、強さがまるで違うわね」
アルフライラの感想を、マルジャーンが軽く補足した。
杯に全て入れて杯ごと熱を加えて淹れる帝国西部の珈琲と違い、
注いだ熱湯の乱流が珈琲の香りと味を強く引き出していた。
「しかし取水口がやけに奇麗だけど、新しく水道引いたのかな」
そして少女が珈琲を啜りながら、間を潰す話のネタを口に出す。
溺れる最中によく見えたと、滝に接続されている上水の取水口が。
「そういう話は聞いておらんがのう」
言葉を受けハジャルが、杯片手に取水口に近付いて観察をはじめた。
「いやこれは、水道周りは古代文明初期の物じゃな」
新しいのでは無く、製造時より劣化していないだけと。
その見識に、頭脳労働担当の1柱1人が首を捻った。
「18角の祭壇は末期だったよね」
つまりこの島の植民が、機械人類の侵攻より遥かに前だった可能性。
生えた謎を受けアルフライラも近寄って、取水口周りを調べ出す。
彫られている意匠は、13大神に首輪を付けた支える者の紋様。
「
「ふむり、識る限りにその様な気配は無い土地じゃったが」
これは村長の持つ古文書が期待できると、歴史の浪漫に遊ぶ人と神。
そこに同好の商人も加わり、ああでも無いこうでも無いと語り合う。
そして盛り上がる数奇者たちを置き、剣士が歌姫に問いを投げた。
「村に怪しい奴は居たか」
珈琲を啜りながら、皆優しく気が良かったわねとの応え。
「ああでも、アルちゃんの鍋を勧められて断った奴らが結構」
アルフライラが村の女衆に混ざり
誰しもが笑顔で人の良い感じではあったが、味見すら断る者が複数。
「主に年配で、何か人目を気にしている感じだったわ」
勧められた一瞬、笑顔が歪んでいたとマルジャーンは語る。
そして視線を取水口の方に動かし、数奇者たちへ軽く苦笑を零した。