東方諸国に到着したアルフライラは、飾られていた。
祭壇の上に置かれ、いつぞやに着ていた青の古装を身に纏い、
髪飾りを乗せた少女の姿はいかにもな程に神々しい。
交易の中継地と栄える大陸東南方の島、イルハイナン。
東方諸国とは言え最南端、椰子香る南国の土地。
船より降りた開拓者一行は、土地を纏める豪商より招待を受けた。
理由は極めて単純で、アルフライラのせいである。
大神如何と言うわけではなく、放浪している神族。
そんな厄介事の種は基本、敬して遠ざける代物であろうと。
歓待するから気持ちよく出て行って欲しい、可及的速やかに。
そんな本音を噯気にも出さず、長身痩躯で頭巾を頭に巻く商人は、
人の良い笑顔で祭壇に神饌を運び、供える杯に神酒を注いだ。
東方とは言え交易路の中に在る都だけあり、住む人の種も雑多、
商人のみならず幾人かの客人は、帝国側の装束に身を包んでいる。
やがて祭壇下の席でも同じ物が客に振る舞われ、宴席が始まった。
アルフライラが供物に口を付ければ、困惑の気配で眉が寄る。
とりあえず神酒で口を湿らせ、神饌の汁物に匙を入れた。
透明な温汁に、幾らかの肉の塊。
無言で食み、そして眉は寄りっぱなしである。
「何じゃ、怪訝な顔をして」
「いや何ていうか、味はどこいったのかなあ」
儀礼も終えたと見て、ハジャルが祭壇に寄り問い掛ければ、
飾られていた女神は、ハイライトの消えた瞳で供物を問うた。
まずは神の酒、その清水の如き透明感の在る液体は、
ほぼ100%がH2Oで構成され、酒性は驚きの0%である。
次いで神饌、茹で汁を幾度も替えたかの如き透明な汁は
肉を入れたにも関わらず僅かの味すら感じられぬ純粋さを誇る。
「神に捧げる代物じゃからな、極限まで純粋にするらしいの」
「努力の方向性が斜め上にカッ飛んでないかなッ」
酒精や滋養はおろか、味すらも不純と切り捨てる。
東方諸国での神への供物とは、その様な思想で造られていた。
それはそれとして、温かい肉と奇麗な水は一応は嬉しい物。
そう受け取る者も居ないわけでは無いが。
宴席に、すっかりと慣れてまったり食を楽しんでいる現地人と、
どこか微妙な顔の西方人の間には、普通に温度差が出来ていた。
とは言えやはり。
「では礼も終わりましたし、素直に持て成しましょう」
苦笑しながら手を叩き、長身の豪商が場の切り替えを宣言した。
途端に幾人もの使用人が料理の大皿を運び、宴席に歓声が上がる。
「味あるよね、今度こそ味があるんだよねッ」
疑いの心を捨てきれない創世神の前にも、酒と肴が置かれていく。
低温調理でじっくりと肉に熱を通した鶏肉料理である。
肉に熱は通れど骨までは達せず、そんな柔らか具合な煮込み鶏を
氷水で冷やし切り分け、生姜を効かせた醤油主体のタレを掛けた皿。
「このあたりでは、鶏が無ければ宴に非ずと言われていましてな」
どんな宴席でも置かれる、土地の名物だと豪商が語った。
「良い弾力で、酒にも合う」
放し飼いにして身を引き締めた鶏と、言葉が在った。
そして神は醤の味を纏う柔らかな白い鶏肉を、山の米で造った醸造酒、
不思議と清涼感の在る土地の白酒で流し込み、再度に口を酒精で洗う。
「
同じ様に造られた鴨肉の皿も追加され、商人の弁舌もまた廻り行く。
「確かに脂を酒で洗う感じは、こっちの方が強いね」
しみじみと鴨肉を噛み、口の中の脂を注ぐように米の酒。
やがて海産の類も出てくれば、意外に酒はそちらの方が相性が良く。
「山造りでも何だかんだ結局、海辺の酒って感じなのかなあ」
蕃椒の効いた海老を齧りながら、杯を傾けていた女神の視界にて、
ここはもう良いから、倉庫の方を片付けていろと。
「甥っ子でしてね、兄が急逝してから面倒を見ているんですよ」
何だろうと少女が眺めていれば、気付いた商人の簡単な説明が在り、
そんな物かと白切鶏を煮込んだ汁で造った湯を啜れば、宴もたけなわ。
やがて収まり、先に案内された宿所に板がふゆふゆと向かう中、
道中屋敷の庭で軽く夜風にあたり、酒精を祓う機会が在った。
月の光が少女の髪を撫で、板の後ろで麗女が杯を呷る。
酔い覚ましの水を傾けるアルフライラの後ろで、気配を消し、
氷水の酔い醒まし片手に土地の白酒を傾けるマルジャーン。
なお、ここまでに言い寄って来た不埒者が3人ほど、
視認できない謎の暗殺者にコキュッと鳴らされ倒されている。
そして月が影を造る東方様式の庭園、何処かから幽かな音が響いた。
何かと気を向けた女神が方角を探れば、先には石造りの蔵が在り、
近付くにつれ何某かの打撃音と、不規則な呻きが聞こえて来る。
「何かな」
「高窓が在るわね」
板が浮遊し高い位置の窓に達し、そこから内部の様子を伺えば、
中では丸太を組み合わせた様な武骨な木の人形が蠢いていた。
手足にあたる部位に接続された鎖が動き、動かしている。
そして木製の人形たちに狭間に、先程の商人の甥の姿が在った。
打撃音。
振り回される木製の腕を屈んで避け、翻した身の勢いで後ろ蹴り。
蹴撃の勢いで身体の動きが止まった瞬間に、新たな木人が襲い来る。
振り回す様な腕を受け、蛇の様に絡め全身で制動を掛ける。
鎖が鳴った。
数多の木人と、恐らくは修練であろう光景が続けられていく。
そしてアルフライラは気が付く、少し離れた場所に在る
火口からは煙が出て、そこに恰幅の良い魔神の姿が見えた。
魔神の視線が創世神を捉え、サムズアップで良い笑顔を見せる。
「世界樹の子機、名は確か『秋寧太』」
「これはもう、見なかった事にして立ち去るべきなんじゃない」
違い無いと人の提言を神が受け入れ、静かに板が蔵から離れていった。
私は何も見なかったと、アルフライラが静かに宣言して、
私も何も見なかったと、マルジャーンが静かに輪唱する。
そのまま宿所に移動しようとした所で、呼び止める声が在った。
「もし、ひとつ問うて宜しいですかな」
視線を回せば、そこに居たのは宴を主催していた豪商の主人。
何かなと、言葉に出さず雰囲気だけで語る神に少しの間。
やがて、商人は静かに言葉を紡いだ。
「流浪の神よ、貴女は復讐とは何だと思われます」
曖昧な言葉。
「虚しく、無益で、哀しい事だと古今に言うね」
夜の中、とりあえずに返ったのは平凡な返答。
そして私的な意見ではと、女神が言葉を繋いだ。
「でもそれはきっと、穴を埋める様な行いだ」
受けた損害を埋め立てる、完遂したところで平地にしか成らず、
何某かの利益があるわけでも無く、時間の無駄も甚だしい。
だからと言って放置も出来難く。
「虚しく、無益で、哀しい、赤字を零に戻す作業かな」
「言われてみれば確かに哀しい、借金の様な代物ですな」
けらけらと守銭奴たちが互いに哂い、そのまま静寂が訪れた。
やがて商人は、参考になりましたと礼を言って踵を返す。
その背中に、アルフライラは静かに言葉を投げた。
「曲げても良い、諦めても良い、汝の生は汝の思うがままに」
神威が宵闇を聖域に染める。
「最後まで貫くもまた、価値の在る生命の在り様だろう」
例え頂点が零であったとしても、そこには意味が在るのだと。
そして言葉に反応は無く、夜の中に全ては隠れ。
アルフライラたちは数日の逗留を経て旅立ったため、
この地での物語の顛末に触れる事は無かった。
後に密かな木人の行で拳訣を得た阿拉丁が叔父を討ち果たし、
父の仇を取り、母と商会を自らの手に取り戻した一連の復讐譚。
巷で謳われた若き英雄の物語は勇壮に謳われたが。
最後の一撃に合わせ、若者の頬を伝った一筋の水滴と、
悪党の口元に浮かんだ微かな笑みは、終ぞ語られる事は無かった。
商会を継いだ阿拉丁が、叔父が晩年に建立した千夜廟も継ぎ、
永く千夜神を祀り続けた事も深く扱われる事は無く。
ただ東方における千夜信仰が、静かに拓かれた事実だけが残る。