どこまでも砂の砂漠が続く。
時折に在る奇岩の周囲には、幾らかの土と緑が散見され、
その近くには何某かの獣の骨が転がり、砂に埋もれている。
霊峰の北、限り無く死が繰り返される連環の砂漠。
幾つもの亡骸を越え、砂の上に隊商の駱駝は列を成す。
やがて砂漠の奥に至れば、視界の全てが砂に染められた。
夜間は軽く零下に至るが故、日が暮れれば天幕を張り休む。
日中に上がらぬ温度は、昼を通して進むを容易にする。
そんな冬の砂漠の道行きで、やはりアルフライラは倒れていた。
いつもの事ではあるが、今回は特に肉体が壊れたわけでは無い。
南方砂漠から見て北方の砂漠、強い冬の厳しさが齎した物。
深部体温の低下である。
夜の折々に凍て付く空気が身体から熱を奪い、昼の折々も、
南方に比べれば温度の頂点は低く、そこまでの熱を齎さない。
つまりは、慢性的に内蔵に必要な熱量を確保出来ていなかった。
なので冬眠間近の動物の様にのっそりと動く少女が居て、
肺が、背骨がと不調を訴えつつ、呼吸不全から供給酸素量も減り。
「し、死んでおる」
いつもの面々が少女の静寂に気付いた時には全て終わっており、
安らかに横たわり微動だにしない女神の様は、既に芸術であった。
「いつもの様に煙吹いて治らないの」
「恐ろしい事にの、身体はどこも壊れておらんそうじゃ」
単純に生き延びる力と言う意味で、生命力が無いだけである。
とりあえず生成した懐炉を腹の上に置き、タオルケットを被せた。
そんな昼寝の子供の様な有様を乗せた板が、剣士に牽かれていく。
「板の障壁外して、直射日光に当てた方が良いのかもね」
マルジャーンの思い付きを聞いていたのか、少女がうにうにと動き、
燦々と降り注ぐ死の砂漠の陽光を無遠慮にその身に受ければ。
「こ、焦げる……ッ」
「どこまでも詰んでおるのう」
ハジャルが遠い目をして呆れた声色の感想を零した。
そしてこんがりと炙られた少女は終には煙を吹き、肉体の再生、
ついでに腹部の低温火傷も治癒を果たし、のっそりと起き上がった。
「いや単純に動けないって、困るよね」
「何じゃろうな、この死んで蘇生した方が早いみたいな生態は」
とりあえず熱量は確保出来たらしい。
そして復活したいつもの面々とは言うが、特に何かあるわけも無く、
砂の上を黙々と、剣士に牽かれた板の上で座ったまま揺れている女神。
手慰みに2弦を弾いたり、同行の詩人が何某か歌を合わせたり、
或いは空の水筒に水を詰め、駱駝の積み荷に引っ掛けておいたり。
歩みから得る風通しと、胃袋を加工して造った皮から染み出る水が、
ただひたすらに気化で熱を奪い続け、水筒の中身を冷やしていく。
気化熱は、湿度が低い状態だとかなり激しい物に成る。
砂漠地帯などの極端に乾燥した地域では、冷暗所に置いた素焼きの壺に
水を入れておくだけで、時として凍り付く事が在るほどであった。
なので水筒の水も、平野の者の予想を裏切る程度には冷えていく。
水補充神に空の水筒を渡した護衛対象たちが、朗らかに礼を述べた。
などアルフライラが意外と動いている内に、陽も傾く頃合い。
一息ついたあたりで、ふと思い至った事をハジャルに問い掛けた。
「そいえば今回、いつもの隊商の感じとは何か違うね」
「北の砂漠は、春の終わりの頃の移動を避けるからのう」
なので春の交易の始まりは早く、いまだ冬の今に最初の隊商が進むと。
「夏の暑さが厳しいとか、そんな話なのかな」
「いや、単純に水が走って来て危険じゃからじゃ」
春の終わりから夏にかけ、霊峰の雪解け水が砂漠に注がれる。
そして砂の上を水が走り、瞬く間に大河を作り上げると語った。
「そして夏の間だけ生まれる、連環砂漠の大河と成る」
「ああ、出来上がるまでどこが河になるか把握出来ないのね」
過去に東方から西に攻め込んだ千の兵が、奇麗に水に流され全滅したと、
そんな事例を語り、春の終わりを避ける風潮が固定化したと結ぶ。
「砂漠を走る水はちょっと見たかったかもー」
「まあ少人数なら逃げるも容易ではあるがの」
しかし軍勢、あるいは隊商の様な集団では避難は難しい。
単純に、水が走ってから河に成るまでの時間が極めて短いからだ。
環境が独特なだけで結局の所は鉄砲水でしか無く、危険度は高い。
「どうしてもと言うなら、霊峰の麓から眺めるのが良いじゃろうな」
「あっと話が脇道に逸れてた、隊商の感じが違う理由じゃないよね」
今回の隊商は、商人の数の割に多くの積み荷、役人などの部外者、
そんな常の隊商とは幾らか違う形に構成されていた。
「そっちか、それは単純にこれが春の最初じゃから ――」
言葉の途中で、砂丘の奥から鬨の声が響いた。
声の先からは駱駝に乗り、片手剣を構えた強き者の兵たちの姿。
頭部を頭巾で覆い、毛皮を織った砂漠の防寒具に身を包んでいる。
砂丘を駆け降りた集団は隊商の荷に集まり、速やかに略奪を開始した
その中で、周囲より豪華な装飾を身に纏った若者が一人。
浮遊する板に気付き駱駝を寄せ、その手を伸ばすもその狭間、
大柄な剣士が鞘を付けたままの大剣を構え割って入った。
「間違えるな、これは供物では無い」
「それを決めるのは俺だよ、色男」
軽やかな声色は愉し気に踊り、頭巾の下の肌は他に比べ白い。
その鼻筋の通った整った顔は西方、帝国の血を幾らか思わせる。
「砂漠に在る真珠なら、穿つのに誰の断りも要らんだろう」
互いに出方を伺う空気の中、サフラが鞘を払う覚悟を決め、
駱駝の上の強き者は、腰の片手剣の柄に手を伸ばす。
そんな張り詰めた空気の中、首を捻っていたアルフライラが
周囲の空気を一切読まず、のほほんと問い掛けの言葉を口にした。
「あ、もしかして狐さんが言ってた北の白い子」
刹那も無く、発言を受けた若者の全てが凍り付いた。
突然に静止した空気の中で、若者が、途切れ途切れに言葉を発する。
「み、南の、ジャ、ジャザーイル様の、お知り合いで」
いやまさかと、僅かの怯えを見せた気配に返る物は無常。
「今はラーレと言う名をあげたから、そう名乗っているよ」
同時、世界がアルフライラに掌握され大神がその場に顕現する。
ゲエェと、蛙を挽き潰した様な呻き声が若者の口から洩れた。
そして気を戻し即座、駱駝から飛び降り膝をつき頭を下げる。
「偉大なる神霊にご無礼を、どうか咎は私1人に」
「気にするほどの事など何も無い、頭を上げよ」
全ての視線を集めた場で、収める会話。
ただの流浪神だと神が告げ、砂漠の民は素直に言葉に従い姿勢を正す。
そして突然の神威に略奪の手も止まり、誰しもの動きが止まっていた。
若者が兵たちに作業を続ける様に促し、商人へと宣言を投げる。
「此度の通行料、
そのまま駱駝に飛び乗り、開拓者組へと言葉を告げた。
「歓待を用意しておきます、里で私の名を告げてください」
そしてそれに繋げる様に狐神の名を改めて問い、頷いた。
ラーレ、砂漠の民に聖なる花と謳われた鬱金香を表す単語。
「可憐だ」
頬を少し染めぼそりと小さく呟き、若き王子は身を翻した。
アルフライラは何を見せられているのだろうと、少し遠い目をする。
「何にせよこれは、狐さんへのお土産を豪勢にするべきか」
嵐の様な略奪が終わり、人の群れだけが残る場所で神が感を漏らした。
次いでサフラが息を吐き大剣を戻し、マルジャーンが姿を現す。
そしてハジャルが問い掛けた。
「見知った顔じゃったのか」
「何でも国主の子供の中で、唯一の母親似だとか」
そのため父に溺愛され、兄からは忌避されている子が居たと、
少女が神殿で、狐神ラーレから北の話を聞いた時の事を語った。
気が付けば空の茜も宵の色に変わり、集団が天幕を用意する。
残された荷物から鍋を出し、干し飯を入れて神が水を注いだ。
塩の効いた干し肉を入れた、簡素な雑炊で夜を越え、
やがて早朝より砂の道行きを再開すれば、間も無く霊峰が見えた。
そして辿り着く連環砂漠の南、霊峰の麓に在る都イルウテン。
現在の強き者は東西に割れており、北部の聖地を東が保有している。
大して西の国主は自らの天幕をイルウテンに置き、北を睨んでいた。
結果、暫定的な西の首都として機能している穀倉地帯の都である。
一行の中で役人たちが国主の天幕に向かい、商人は市に向かう、
その前に開拓者たちには護衛の報酬が支払われ、契約が終わった。
アルフライラたちが土地の人間にナテュルクの名を告げれば、
顔のほころぶ者と、つまらなそうに舌打ちをする者。
様々な人間模様が垣間見える中、まずは食事と案内された。
水蒸気舞う厨屋の中の石畳には、掘り抜かれた穴窯が幾つも並び、
胡楊の薪で造られた熾⽕が、吊るされた羊肉の塊を炙っている。
そして馬芹と蕃椒で味付けられた肉を大きく切り落とし、
両手で支えるほどの平焼きパン2枚、挟んで提供された。
濛々と熱気の籠もる厨屋前の席で、直球の馳走に開拓者が喜び、
神製氷を入れた白の葡萄酒片手、食を齧った神が簡単に述べる。
「香辛料の中で、ほんのり塩味」
「窯の石に塩が混ざってんでさ」
この都では焼けば勝手に塩味が付くと、そんな事を炙り手が語った。
炙り肉だからそれで済むが、焼き饅頭などは食えないほどの塩気で、
仕方無し窯に接していた面を、鑢で削ってから食う物だと。
「便利なんだかそうで無いんだか」
神は苦笑を零しながら、肉の脂を葡萄酒で流し込んだ。
そして暫しの歓待を受けた後、霊峰越えを臨んだ千夜神は
都への滞在の間、終ぞナテュルクと再会する事は無かった。
次に顔を合わせたのは後の話、西の国主がその生涯を閉じ、
国を追われた彼が、配下と共に狐狸神殿へと身を寄せた時に成る。
数奇な運命を辿った王子の生涯も、まだその時は穏やかであった。