―― 第一帝国時代、恋多き美女として猫人カリコの名が残されている。
生涯に9人の夫と16人の子を設けた三毛柄の家猫族で、
その経歴から、妖艶な美女として後世に様々な創作題材に使われてきた。
無垢な少女の指先が、美女の頬を撫でる。
かの万能の天才が残した絵画、「千夜神の寵愛」もそのひとつである。
ぶにぶにと様々な家猫族に肉球で生存確認をされ続けていた就寝の千夜神。
床擦れ防止のため、下敷きになっている猫が定期的に身を捩じり、
隣接する次の猫布団へと熟睡する主を転がしたりしていたせいも在り。
微妙に眠りの浅い、そんな朝のアルフライラである。
朝ですよと肉球に起こされ、さよけと控えている黒猫に板上でライドする。
夢現と黒い毛皮に埋もれながら、板がふゆふゆと厨房の方へと移動した。
暫くの後、
膨らんだ生地の中にはフル、煮潰した空豆が詰め込まれていた。
淡白な豆ではあるが、果実油を掛けて柑橘を絞れば味わい深くなる。
そんな朝食を食んでいる内、本殿に馴染みの三毛の家猫族が姿を見せた。
周囲を見回し、ぽてぽてと歩み、徐に板の上へと飛び乗って、
そのまま神の前で前足を揃え、全身毛玉を膨らませて見つめてくる。
普段は背中、尻饅頭を押し付ける様に寄り添う三毛猫であったが、
今日は気分が違うのか、正面から相対して微動だにしない。
宜しくてよ。
気配だけでそう語る猫の、頬毛にアルフライラが手を伸ばした。
下から頬を持ち上げる様に頬毛をモフり、わさわさと毛が揺れて。
やがて猫がゴロゴロと鳴り出して、猫弾きの楽が本殿に響き渡る。
そして厨房で朝食を受け取ったマルジャーンが本殿に戻って来た頃、
飽きたのか、肉球で神の顔面を押し込んでいる三毛猫の姿が在った。
―― カリコの娘、白猫サルジュ、千夜神の敬虔な信徒で在る女傑。
帝国断裂時代からペル・アビヤドの独立に至るまで、信仰を胸に、
時代の荒波を渡り切った生涯は幾度も歴史小説の題材に選ばれている。
しかしかの老獪な女傑も、幼き頃は純真無垢な少女であった。
当時の覚書に、千夜神との心温まる交流の様が書き残されている。
頬肉を揉まれて満足したのか、三毛は神の御許より去って行った。
打ち捨てられたアルフライラは、板の上で手を伸ばし倒れている。
去り行く猫は、追われる事を嫌う。
ここで猫を追わないのが、猫弾き神と祟り神の違いであった。
故に呪物と化したジャマール・シャムスが物陰より這い出て来て、
ずぞぞぞぞと悍ましく追いかける先で、家猫族の悲鳴が木霊する。
そんな音も猫の嗜みと、猫系全肯定な創世神は肉球跡を付けたまま、
板の上で腕を伸ばしたまま力尽きた様に倒れ伏していた。
その腕の上に、白い長毛種の家猫族が乗り上げて香箱を組む。
以前に尻尾でアルフライラの顔面を打ち据えていた個体である。
良く洗われているせいもあり、短毛種とは膨らみの次元が違う。
つまり、アルフライラの頭部が完全に猫毛に埋まっていた。
とりあえず神は吸い、脇腹を吸われた猫は軽く眉辺りを歪ませる。
しかし反応するのが面倒とでも思ったのか、まあいいかと流す。
同時、上半身が固められ逃げ場のない神に刺客が忍び寄っていた。
アルフライラの足元側から白い家猫族の子猫が板に登り、
自ら脚の間に挟まり、そしてそのまま尻を枕にする。
毛玉が股間で丸まる感触に、もはや微動だに出来ない少女神であった。
そんな光景に、朝食片手で匙を咥えていたマルジャーンが問う。
「何であの白い子、執拗にアルちゃんの尻を狙うのかしら」
横で問われた猫飼い志望神、女神カイカブは応えない。
ただ匙を咥え、嫉妬と羨望の眼差しで妹の尻を凝視している。
白兎族も獣人であるからか、そこに挽いた肉を入れている。
そんなペル・アビヤド定番の朝食を人と神が食べ終わる頃、
視界の先では続々と猫が板に登り、奇麗な猫団子が出来上がっていた。
―― 剣鬼サフラと言えば、様々な武勲で語られる大剣使いである。
しかし意外にその人柄は温厚で、ペル・アビヤドに滞在する日々に於いて、
様々な猫人から慕われ集われていたと、当時の覚書に残されている。
猫、及び猫人の特徴として、登る事に極めて優れた能力を発揮する。
爪の向きや肉体の構造、その様々な物が登る事に対して特化しており、
逆に降りる事に関しては、いまひとつ不得意の部類に入っている。
特化と言うだけあり、降りるための能力自体を持ち合わせていない。
とは言え登る手順と逆に動く様にすれば、降りられない事も無いのだが、
しかし、無防備に尻から進む事を忌避する本能がそれを抑制する。
結果、登ったは良いが降りられない猫人が多発していた。
神殿や聖域の外壁、手頃な出っ張りや穴が在るあたりである。
仕方無しと後日に階段や坂を付ける事に成ったが、まだ出来ていない。
つまりは今日も、壁に猫が引っ掛かっているのである。
そんな壁際を、大柄な剣士が歩いていた。
伸ばした腕の先には白き獣神の首根っこが存在しており、
微妙に口を開けてカカカカッと威嚇音を発し続けてる。
厨房で朝食を早食いした後に本殿に向かったら、猫団子が在った。
少女を潰したり噛みついたりしている様々な家猫族を放り捨て、
頭に噛みつきながら一緒に猫を吸っていたキッタ・アビヤドを回収。
そのまま獣神神殿に神を届ける最中である。
道行きは、壁に沿う様に。
手頃な足場が来たぜと、引っ掛かっていた猫たちがサフラを駆け降りる。
そして流石に足蹴にしたのが悪いとでも思うのか、足元に絡みついて。
歩きにくい事、この上無い。
内心を表情で語りながら、大剣使いは歩んで行った。
そんな光景を吟遊詩人と共に離れて眺めていたハジャルが、
手元の輸送したばかりな開拓者麦酒を空けながらしみじみと語る。
「あやつ、やはり猫好きなのではなかろうか」
猫に纏わりつかれる剣鬼の姿は、最近の神殿名物であった。
――
構造は単純で、何某かの丸焼きの中に丸焼きを詰める。
肉を贅沢に使っていると言う権勢を誇るための料理で在り、
羊を丸吞みした牛、豚の親子詰めなど様々なレシピが残されたが、
千夜神の残した
厨房で日がな一日焚かれていた釜から、料理が取り出された。
紅玉平野を越えて輸送された七面鳥を受け、前日から薄く塩を入れ、
そのまま溶いた蜜酒に漬けこみ、朝方に骨を外したものである。
その内側には刻んだ香味野菜と骨を外した鴨が丸々入っており、
その内側には刻んだ香味野菜と骨を外した鶏が丸々入っている。
七面鳥の丸焼きの中に鴨の丸焼きの中に鶏の丸焼き。
心の中の先史米利堅魂が発露した創世神の仕業であった。
何かバイオリズム的に、アメリカンな気分だったらしい。
最も出来上がる頃にはすっかりと魂が満足しており、
こんな頭悪いド直球料理を食べたら胃が壊れると思い直す。
なので神殿料理長が衝撃を受けていた宴席料理、
最近そこそこに出来上がっている感じの奇獣神殿へと届けられた。
本殿へと向かう大広間、床と天井が同じ意匠で飾られる中、
様々な生物の彫像を乗せた生命の樹がそそり立っている。
聖域奇獣神殿の象徴、千夜神殿で言えば黒曜石の大鏡か。
本殿はまだ建設中と書かれた札を推定首元に掛けた奇獣人が一行を横切り、
そのまま斜め方向から単眼海星が湧いて出て、歓迎の意を示した。
「神殿の象徴が出来たって聞いてね、はいお祝い」
「をををを、何か凄まじく贅沢じゃないですか姉さまッ」
神殿からは豚さんラガーの樽がゴロゴロと供出され、太陽のパン、
法蓮草の汁や挽肉団子などありふれた品目が用意された。
千夜神殿と代り映えがしないのは、まだ厨房を共有しているからでもある。
ともあれ大広間で雑に車座を囲み、開拓者と獣人たちが夕餉に入る。
近場に居た職人たちなども巻き込み、そこそこの大所帯と成る。
そしてアルフライラは七面鴨鶏を切り分け、さくさくと配っていた。
積層している鳥の肉を食んだハジャルが感嘆の声を零す。
「鴨の脂が内外に回って、鳥の割に意外と押しが強いのう」
全体的な好評の声を聴き、アルフライラも満足の微笑みを造る。
そう、自分が食べなくても良いぐらいには消費してくれそうだと。
そんなさりげなく質素飯モードに入ってしまっていた姉神に対し、
触腕に接着させた麦酒を傾けながら、海星な弟神が相談を持ち掛けた。
「せっかくだから中段に通路を用意して、樹を囲いたいのです」
何か良い案は無いかと問えば、姉はそっと天井の意匠を眺め。
「天命反転の広間か」
「あ、わかりますか」
上は下、下は上、床と天井が同じ意匠の広間をそう評した。
そしてアルフライラは少し考え、長く大きい板の形を空間に示す。
中央を固定し、少しだけ角度をずらして上に同じ板を置いていく。
「こんな感じの螺旋階段でも造ってみたら」
「えーと、これは左右から登れて、あ、二重螺旋」
板の左右に造られた段がそれぞれ螺旋を描き、最上部で合流する。
そんな二重螺旋構造の螺旋階段を提示すれば、乗り気な声が返った。
「これなら登って降りるまで、擦れ違わずに通り抜けられますね」
会話を聞いていた豚人や森人の建築班も目の色を変え、
宴席の中でああでも無いこうでも無いと、素案を出して語り始める。
賑やかな騒乱は宵の底まで続き。
奇獣神殿に在る、二重螺旋を内在する生命の樹の参道。
時として産道などとも呼ばれるそれは、この様な経緯で造られたと言う。