炎天の下に陽炎が踊る。
対象が歩む礫はやがて砂と成り、影に駱駝の足跡を残しながら進む。
砂地の先には赤い砂丘が在り、塩の砂漠との境目を示していた。
春は交易の季節である。
熱砂が容易く生命を奪う夏でも、極寒に全てが凍り付く冬でも無い。
比較的に砂を渡るが易い時機であり、交易路には今も隊商が連なる。
点在する隊商宿場を乗り継ぐように歩むのは商人、それと開拓者。
あとは役人など様々な理由の旅人たちと、芸人など道の者たち。
そんな人々が混在する隊商に、アルフライラたちも混ざっていた。
気が付けば陽も中天に在り。
隊商は赤茶けた砂丘の陰に天幕を張り、陽を避ける準備を始めた。
護衛の開拓者たちも、板の後方に接続された運搬用拡張板の上から、
自分たちの天幕布と円匙を取り出し、砂地を軽く掘り始める。
次いで、少女神が空いた皮水筒に水を詰めて渡せば。
「安くあげる事ばかり考えていたが、水術士雇うのも考えてみるかあ」
そんな事をぼやきながら、礼を言って受け取る商人や開拓者。
ひとしきりが終わった頃、いつもの面々の天幕も張られ
昼食の
道中で拾った黒木の火に掛けられた鍋には、幾らかの野菜と
それと軽く干された肉片が僅か、全て宿場で仕入れた物である。
「そしてここに
言いながらアルフライラが鍋の蓋を開け、檸檬を一切れ放り込んだ。
「最近、よく放り込んでおるのう」
「まあ昼には嬉しい酸味だがな」
男性陣が鍋の横、余り火で薄荷茶を作りながら感を漏らす。
塩漬け檸檬、塩に漬け込み醗酵させた檸檬の漬物の様な代物であり、
ペル・アビヤドの市場で買い込んでから、神のマイブームと成っていた。
なおマルジャーンは、少女を愛でると見せかけ板の上で涼もうと試みて、
そのまま煮沸消毒され、アルフライラの背後で悶え転がっている。
「品種で結構変わるみたいだし、店主への土産話に手頃かなと」
「もしやワシらは、味見係か」
ここ数日の檸檬攻勢の理由が判明した瞬間であった。
塩漬け檸檬は乾くと醗酵せず傷んでしまう、そのためペル・アビヤドの
果汁多めの品種ならば塩だけで済むが、他地域ならば水を足す。
そんな工程の差も在り、味や食感に違いが大きい奥の深い漬物であった。
やがて悶え苦しむ歌姫が板上で復活して涼み始めた頃、
蓋の下で蒸された食材は、鍋の中で野菜からも水が染み出て程好く煮え。
塩と馬芹の効いた、檸檬香る
タジンは鍋を表す単語で在り、鍋で雑に造られた料理の名称でもある。
先史悪魔の言語で、鍋を作ろうと言い出す様な使い方か。
「しかし、タサウブの嬢ちゃんたちが暫く戻れんとはのう」
「店主の哀しみがアルちゃんの頭部に向かいそうよね」
「やめれ、疑う余地が無さすぎる気がするけどやめれ」
素面な呑酒妖怪たちが振った話題に、神は天を仰ぎ嘆きを零した。
ああ畜生、創世神などやっていた手前、誰に祈れば良いのだと。
そんな少女の有様に向け、早食いを終えた剣士がかねての疑問を述べる。
「けど植林ってのは、本当に必要なのか」
その疑問には、薄荷茶を傾けながらハジャルが応えた。
「神話にも在るじゃろう、森の邪神を討伐した大神の悲劇が」
銅の神国に神話に在り、森を統べる邪悪なる神が黄金に討たれ、
当時に開拓された神国東の都での燃料問題が解決されたと。
しかしその結果、やがて森林は失われ土壌は崩れ、
後の時代には終に洪水と化して都に報いを齎したと言う。
「膨れ上がるペル・アビヤド周辺の植林は、かなりの急務じゃな」
「今なら猫を吸わせるだけで、馬車馬の様に働く悪神も居るしねえ」
つまるところ、ジャマール・シャムスがこき使われているせいで、
タサウブとハディヤもペル・アビヤドから動けない状態であった。
「何だかんだ、水回りが意外に豊かな土地だよね」
「放置すれば将来聖域が流されかねんぐらいにはのう」
マクロな視点で見れば、紅玉平野側を上から抑えていた質量が消え、
岩砂漠側からばかり地下に圧力が掛けられる状態に至ったせいで、
圧迫された地下水がペル・アビヤド側に噴出しがちな状況である。
神殿荘園のみならず、聖域と区切り都を貫く大用水路など、
豚人たちが治水周りを最優先で整備していた要因であった。
「洪水か、ペル・アビヤドが神話の大洪水みたいになるのか」
「いや流石にそこまでは無いでしょ、無いわよね」
サフラの理解と疑問に、マルジャーンが流そうとしてふと真顔に成る。
そんな人の不安を、手頃な話題と拾ったハジャルが問い掛けた。
「丁度神話の住人が居るからのう、そこらへんどうなんじゃ」
「いや大洪水と言われましても」
大神の時代には手付かずと神が言うも、創世神話の方だと人が言う。
「瘴気漂う暗黒の大地を、神威が洪水と化して流し尽くしたとな」
「あ、方舟どうこうとか言う話じゃないのね」
千年の年月を経た暗黒の大地を大量の水が覆い尽くす。
5年を掛けて全ては水底に沈み、水平の上に大地が見えなくなった。
「ああ確かに、5年は掛かったやあの時」
「試みに聞いてみたが、そのまんまな応えが返ってきおったぞ」
流石にあれほどの規模は無いと神が述べる。
「規模で言えば、青の古都からイルドラードまでを沈めるぐらいだね」
「もはや聖域がどうとか言う規模では無かったのう」
あのあたりの事など、適当に地理を交えて語る女神の言葉を慰めに、
砂の中での陽除けの時間は穏やかに過ぎていった。
そして何か忘れている様な気がした、アルフライラ。
6千年前、大地を叩き海を取り戻した頃合い。
広域探査の結果、惑星上の海水の動きに予想外が在った。
「って、『ジブラルタル海峡』が閉じてるうううぅッ」
頭を抱えて叫んだ少女の有様が、いまひとつ理解できない爺と婆。
「いや何の事じゃ」
海抜マイナス5千メートルの大地を指して騒ぐアルフライラを
昔からこうじゃろうと、どうにも理解できない風情を見せる。
「地中海が概念ごと消失していやがったッ」
ジブラルタル海峡が閉じ、約千年を掛け干上がった元地中海。
そこが海であった記憶はもはや遥か過去の事であり。
地中海の存在前提で海抜を計算していた少女は、頭を抱えた。
「もうこう成ったら、大陸を割いて海水を流し込む」
座った目で元世界樹に指示を投げ、地殻移動の準備を始める。
とりあえず意図が理解できた爺婆も、再計算の姿勢に入った。
「これでぶっ叩い、あ、ズレた」
「惑星の自転を甘く見たな」
かつてユーラシア大陸と呼ばれた大地をうっかり無駄に叩き、
様々な場所に崩壊を齎しながら断層を生み出していく。
「まあ後で修正するとして、今は『アフリカ大陸』」
「ふむ、西暦2千年ごろは海で分けられておったのか」
改めて地殻を叩き、全体を歪めながら大陸を南へと移動させていく。
やがて、遥か過去にジブラルタル海峡と呼ばれた位置が千切れた。
「あ」
同時、スエズと呼ばれていた地域も千切れ、大陸が独立する。
「ま、まあ海水流入の場所が増えたと思えば」
「結構適当じゃのう」
二か所から流入した海水が、急激に地中海を再生していく。
もっとも規模が広大すぎるため、その流入が終わるまでには
実に5年の年月を必要とし、その間に施設は様々な調整で忙殺され。
結果として大陸東部に出来た大断層を修正する事を、
すっかりと忘れてしまっていたアルフライラたちであった。