黄金の宿場イルドラード。
帰還した千夜神の頭を鷲掴みにして、振り回す店主も普段通りなら、
勝手知ったるとばかり、開拓者の麦酒を空ける呑酒妖怪も普段通り。
そして酔い潰れた酔漢が纏めて広場に捨てられる夜。
そっと酔っ払いに水を飲ませ、ハジャルとマルジャーンを部屋に運び、
廃棄食材の塩気の無い所を選んで壁外に捨てに行くアルフライラ。
暫く後。
サフラが回収してきた少女の全身は歯形と猫毛に塗れており、
巣穴に持ち帰られそうになっていたと、剣士は疲れた声色で述べた。
「砂猫か」
「完全に獲物を見る目だったな」
猫毛塗れで歯形が付いているあたり結構懐いてはいるのだろうが、
それはそれとして基本猛獣なので、神は狩られる側の生き物である。
「猫の養分と成るのも、それはそれで」
「帝国が全神国から宣戦布告されそうな感じの自殺は止めやがれ」
無償の愛を発揮させている創世神を、人の嘆きが咎めた。
「さて寝るにしても少し早い、小腹が空いたな」
「そういや水屋に今年も樽が届いているぜ」
「神殿だけでなく、コッチにまで届ける豚さんたちの信仰が重い」
例年通り、豚さん印な軍団魚の塩漬け樽の事である。
話を聞いたサフラの瞳が、食欲の色にきらりと光った。
「数枚塩抜きしているが、使うか」
「んじゃとりあえずそれで」
余りはいつも通りと、神が店主に樽の処分を任せる宣言を述べ、
受け取った半身の魚に、雑に林檎酢で緩めた
臭み消しであり、そのままさしたる工夫も無く素直に焼き上げれば、
それだけで熱が酸味と刺激をかなり柔らかい物に変える。
「はい焼いただけ」
「と言う割に手間が入っているな」
脂の乗った鰊の身に、層になるほど厚く塗られた柔らかい芥子菜。
軍用の糧食でありふれた品でもあり、戦場の焼き方に分類出来る。
なので傭兵時代を思い出すと剣士も若干相好を崩し、苦笑を零した。
何にせよ上物の鰊は宵の中で消費され、やがて深夜に至る。
アルフライラも部屋に引き上げ、仮眠の床へと入った。
そして陽も昇らぬ頃合いに、動き出す隊商宿場。
砂の果てを目指す旅人たちを送り出しながら、賄いの汁は減る。
塩漬け肉で豆と香菜を煮込んだ、雑な汁物。
臨時雇いな幼女ハーレム3人衆が賄い汁を配っている横で、
店主とアルフライラは薄い生地に溶かし酪を塗っていた。
「元々は青の神国で、神に捧げられた料理らしいがよ」
「ふむふむり」
その上に生姜を効かせた鳩肉を乗せ、炒り卵も乗せる。
「鳩肉が純潔の象徴だ何だってな、まあ鶏や魚でも良いわ」
言いながら炒った木の実を砕き砂糖を混ぜた物を、
これまた層に成る様に上から厚く塗り。
それらの上に生地を被せ、その上で同じ事を繰り返した。
最後に一番下に敷いていた生地で全体を包む。
釜で焼き上げた後に、格子状に
「
切り分けて層に成った断面を出し、中に何が入っているかを知らせるため。
対して今回の小包焼きは、掌に乗る手頃な大きさであった。
造り手に対する信用が問われる形。
とは言え店主と千夜神を疑う開拓者など宿場酒場に居るはずも無く、
流れの商人などは多少忌避していたが、基本問題無く受け入れられた。
残る問題は、価格であろうか。
賄い片手の幼女ハーレム3人衆が手伝い割引で1個購入し、
席で三等分して分けて食べている。
つまりは、中堅がかなり頑張って購入する程度の格。
駆け出しの幾人かは遠く、羨ましそうに小包焼きを眺めていた。
「くあー、このカリカリと甘辛交互な感じが堪んないわよねッ」
そして上澄みな呑酒女怪は普通に食べる事が出来る代物であり、
乳酸菌醗酵させた白濁の新式麦酒片手に、容赦無く食欲を満たしている。
その横で、もう1匹の呑酒妖怪は萎びていた。
したたかに痛飲した翌朝に、酪に塗れた焼き菓子料理は辛いと。
そんな事を言いながら、鋼の胃腸の元貴族令嬢に自分の分を差し出す。
ちょっと朝からヤンチャが過ぎたかと、アルフライラも思い直し、
改めて薄荷茶と、蒸した粒生地に賄い汁を掛けた物を出した。
「はぁ、胃の腑に染みるのう」
匙を咥えてハジャルがしみじみと述べる。
まあどうせ昼に成れば復活して、また延々と麦酒を頼むのだろうが。
何にせよ、水溜めの期間の言動としては必ずしも間違ってはいない。
そんな光景横目に、少女がさくさくと作っている小包焼きの中に、
鳩の代わりに塩抜きした鰊の切り身と米粉麺を入れた物を作る。
海産物を入れると内部で出汁が出過ぎる気配が在るので、
米粉麺などを混ぜて吸わせる様に作るのが定番だとの話である。
焼き上がれば陽が昇りきった頃合い、表の用水路で
汗を洗い流してきたサフラが訪れ、鰊の小包焼きを受け取った。
「良いな、これ」
無遠慮に齧って、簡素な称賛。
してやったりと格好良いポーズを決めた少女と店主と3人衆の姿に、
何やってんだと剣士が白い目を向けるも咀嚼は止まらず。
「そういや、何か西から来た奴らが変な事を言っていたぞ」
食べ終わり、氷を入れた麦酒片手にサフラが述べれば、
昨夜も何人か言っておったのうと、萎びた胡瓜が言葉を受けた。
「何ぞ、山よりデカい顔が空に浮いておったとの」
「同じだな、イルカサルアルクあたりでもっぱらの話題らしい」
興味深げな顔で聞き入る少女と、新式麦酒をお代わりする女怪。
マルジャーンがお代わり片手に2つ目の小包焼きを平らげた頃、
自分も聞いた、自分もと様々な証言が酒場の中を飛び交っており。
そこはかと無く、旅の気配が漂い始める午前の酒場であった。