ペル・アビヤドを目指し礫の砂漠を行く。
午前の光の中、3人2柱は隊商の護衛として同行していた。
ふゆふゆと動く板の周り、3人の人間と1匹の海星が居る。
板の上でアルフライラは、愛用の2弦を触っていた。
―― 我は酒屋に一人の翁を見た、先客を訪ねたら彼は言う
―― 酒を吞め、皆は行ったきり誰も帰っては来なかった
ハレムで整備して貰った楽器の感触を確かめながら、教わった歌を謳う。
―― 歓楽も何時か想い出に消え、好を繋ぐに足るは生の酒のみ
―― 酒器に掛けた手は決して離すまい、君が消えても器は残ろう
後に開拓2弦と謳われる千夜神の持つ弦楽器。
元々はハジャルが手慰みに使っていた代物で在り、その質は悪い。
開拓者が暇潰し目的で買っていく程度、そんな粗雑な製品であった。
具体的にはジャマールが持つ神国5弦と比較して、価格が3桁違う。
―― 愛し友よまた逢おう、酌み交わす酒には我を偲べよ
―― 我の居た座に杯が巡れば、地に傾けて我へと注げ
それはそれとして音は出るし、歌は謳えた。
気安い楽曲が礫砂漠を渡り、隊商に連なる人々の口元も僅かに綻ぶ。
そして板の後ろで、ぐねぐねんと音に合わせ踊り狂う赤い海星。
―― 望んで生まれたわけも無く、望んで立ち去るわけでも無い
―― 酒姫よ、さあ早く支度をしろ、此の世の憂いを生の酒で洗え
そして少女が朗々と謳っていれば、呑酒妖怪たちからの苦情が出た。
「いやアルちゃん、呑みたくなるから勘弁して」
「何じゃ、新手の苦行か何かかそれは」
道中に呑まない程度の理性は、流石に残っていた開拓者たちである。
そして仕方なし行進曲に切り替える神と、踊りに備える神。
―― 歩み歩み前へ 歓喜の歌と共に
―― 我ら報国の血を此処に捧ぐ
「物凄く軍楽調ッ」
マルジャーンの感想を気に留めず、即興詩神は素直に歌い続ける。
―― 勇者の声を聴けよ荒ぶる神々
―― 立ちはだかる敵は 灰と化して散る
「ただの隊商護衛のはずが、何やら大事な気がしてきたのう」
疲れた様なハジャルのぼやきに、商人たちの苦笑が返った。
そうこうしている内に陽も中天に至り、隊商は水場に辿り着く。
外に住む者、水守りの老夫婦に水代を払い駱駝を休める。
商人や開拓者たちが、思い思いに天幕を張り陽を避ける中で、
浮遊板に乗った神とその一行は水守りの天幕に招待された。
水守り、様々な形で砂漠に水場は存在するが、井戸、低い位置の湧水、
砂が入るのを防ぐ必要の在る水場には、大抵は番人が立てられる。
水場に入る砂を防ぐ、立ち寄る者に水を売る。
日々の稼ぎの中で不具に成った者、歳を重ね動けぬ様に成った者、
そのような弱い立場の者に割り振られる保険の役職でもあった。
そして木材と布で雑に造られた大き目の天幕の中で、
老いた夫人が火に掛けていた鍋を降ろし、中の物を注ぎ分けた。
「先日に羊が仔を産んでの、
初乳、出産した直後から、一週間程度までの羊から搾った乳である。
火に掛ければやがてとろみが付き、生クリームの様に成る。
「ほんのり甘い、何も入れてないんだよね」
「常日頃の羊乳とは違うじゃろ」
老婦人はそう言って、えふえふと皺くちゃに笑い声を上げた。
そしてねっとりとした乳を飲みながら、アルフライラは鍋を眺める。
空いた火に丸い鉄鍋が、上下を逆にして置かれている。
そして水守りの老人が、塩を入れた小麦を捏ねて生地を作り、
熱された鉄鍋の底に張り付けてパンを焼き始めた。
ホブズ、塩と小麦だけで醗酵させずに焼く簡素なパンである。
焼きたてが配られ、初乳と一緒にもそもそと食べ進める。
「乳、小麦、塩だけなのにこの満足度」
「副王都より北は、どうしてああなのじゃろうなあ」
近日、水に痛めつけられていた神と人が遠い目でぼやけば、
胃腸が鍛えられきった元貴族令嬢と元戦場傭兵が苦笑を零した。
そうこうしている内に陽も少しは動き、様々の話題も花が咲き、
時折に女神が軽く2弦を爪弾けば、奇獣神は老人の肩を揉む。
陽除けの時間も過ぎようと言う頃合いに、湯冷ましの水が出た。
氷を喜ぶ老人たちから受け取った水を飲めば、砂糖を聞かれる。
「ワシとサフラは
「私とアルちゃんは
さくさくと注文が通り、出て来るのはその通りの
「マスブートでもこの甘さなのに」
まったりと甘紅茶を嗜む少女神が激甘を選ぶ男性陣に少し引き、
無糖紅茶を飲みながら空いた触腕で老人の腰を揉む奇獣神。
良い感じの解れに、老人の嬌声が天幕に響く。
そんな一行に対し、老夫人は乳香を焚いて見送り、
陽除けに休んだ隊商一行と共に、心持ち元気に水場を後にした。
「
のほほんと板娘が感想を述べれば、同行者も素直に頷いた。
氷菓子の様な、快活で気の良い様を意味する砂漠の形容である。
道行きの先には岩の砂漠が見え、既にペル・アビヤドも遠くは無い。
―― 幾星霜を越えてきた旅路であった
―― 何処の地平、果ての果てまでも巡り巡った
手慰みに板上で2弦は鳴り、隊商の午後に彩りを乗せる。
―― だが最後まで向こうから来る者は無く
ぐねぐねと踊る海星を連れ、開拓者たちも歩み続ける。
―― 道はただ行く道、帰る者は無い
そして長く、透明な歌声が礫の砂漠に響いていた。