猫と放浪のアルフライラ   作:しちご

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誰が為に鐘は鳴る ⑦

 

その日の安酒場にアルフライラは不在であった。

 

アリの自警団員や陽除けの船乗り、安酒目当てに訪れる住人など、

食にさほどの注意を払わない人々が屯しては酒を酌む。

 

その中で、鉄仮面の神官は静かに考えを募らせていた。

 

前に張り出した独特な形状であった兜は前方部分が軽く改造され、

円盤状な黒き太陽の仮面を取り付けられる形に変わっている。

 

その仮面はいまだ卓の上に置かれ、思考が巡る。

 

思択、と神は語った。

 

思い考え続け、そして選択し続ける事。

 

帝国西部は自らが旅立った東部とは何もかも、文化も、流儀も、

ありとあらゆる物がまるで違う異なる世界である。

 

故郷で学んだ千夜の教えも、その在り様は東部の流儀が前提であり、

西部にて人に説う時に様々な齟齬を感じていた。

 

正しき教えのはずなのに何故と、その様な疑問を問い掛ければ、

神はごく自然に、その正しさとは本当にそうなのだろうかと応えた。

 

人は、少し考えただけで簡単に正しいと思える事に辿り着いてしまう。

何かの決まり事が在れば、守る事が正しいのだと簡単に思考を止める。

 

先史にも、理解と融和を説きながら他者を侵す者は多かったと。

 

正しい教えだから、信仰だから、そう言いながら文化も歴史も否定して、

葬祭や食事に文句をつけ、自らに従えと主張する様な薄ら馬鹿。

 

―― 神の寛容と慈悲は、彼の蓄えた全ての物よりも優れている

 

 心に信仰が在り、蓄えているのなら、復活の日にどれだけ離れ

 また、損なわれていても神の慈悲が誤解される事は無い

 

彼らの神はこう言っていたのにねと、千夜の神は肩を竦めた。

 

信仰を武器に、戒律を剣として他者を傷つける様な在り様は、

どのあたりに神の意思に沿う部分が在るのだろうかと。

 

大衆化、人の世に合わせ必要な変化を考え選び続ける。

 

かつてそれをしなかった思想家は、書を焚かれ坑に埋められた。

思想の広まりの中で、都合の良い切り取りが他者を害し続けたが故。

 

―― 子は、怪力乱神を語らず

 

偉い先生の言った事、を否定できる者が居なかったせいで。

悪行や報いも、卑しさの極致も、全てが肯定され世が乱れた。

 

殺しても良い、奪っても良い、犯しても良い。

 

行動の結果に罰があたる事は無い、報いが齎される事も無い。

何故ならば、子は怪力乱神を語らないのだからと。

 

「故の、思択、思考と選択を止めない事」

 

神官の静かな呟きは、喧噪に搔き消された。

 

気が付けば酒場の中に、誰も泣かない世界を述べる集団が居り、

周囲の酔客たちとの間に剣呑な雰囲気を醸し出している。

 

鉄仮面の前部に、静かに太陽の仮面が嵌め込まれた。

 

過去を象徴する黒き太陽の仮面。

自らを造り上げた、これからを選択するための土台の象徴。

 

喧噪の中で神の言葉を思い出し、数える。

般若波羅蜜より生まれ出ずる後四の波羅蜜。

 

祈願、力、智、そして ――

 

「方便波羅蜜、我が拳の先に未来が在ると信じて」

 

仮面に過去を掲げ、信仰の拳は選ばれた。

 

いつか全てが豊かに成り、人が言葉で理解しあえる世に至れば、

それまでの方便が全て報われるのだからと。

 

西部にて千夜信仰が掲げる十波羅蜜思想は、この様にはじまった。

 

などと酒場で喧噪が加速している中。

 

アルフライラたちは湯船の中で揺蕩っていた。

炭酸カルシウムで白濁した湯が、空の青を写して白い湯船を染める。

 

霊峰の端、ムダラアミーナの側に近い山中。

 

【挿絵表示】

 

古代文明時代に使われた温泉施設の遺跡の中に、

自然が永い時間を掛けて造りあげた段々並びの湯船が在る。

 

沈殿した炭酸カルシウムが湯船の白い壁を造り、溢れた湯が下にも。

膝丈程度の深さの白い湯船が、段々と麓まで続いてる風景。

 

「けど姉さん、説いた所で意味なんか在ったんですかー」

 

湯衣を纏い、生暖かい湯に揺蕩いながらアズラクが聞けば、

その横でぶかぶかと浮かびながらアルフライラが応えた。

 

「まあ、どうやっても後の時代に人はやらかすだろうけどー」

 

だからと言って手付かずだと、際限無く被害が拡大拡散するからと。

 

「間抜けな声色じゃが、神っぽい事を言っておるのう」

 

遺跡の水道から汲んだ水で珈琲を淹れながら、ハジャルが呟いた。

 

挽いた珈琲豆を水に溶き、小鍋に入れて熾火で沸騰させる。

その内に沸き立った泡だけを先に杯に移し、その後で珈琲を注ぐ

 

西部での珈琲作法であった。

 

軽く泡が消える頃には、珈琲豆が沈殿して飲める様に成る塩梅。

 

「何だかんだ、大神と創世神なのよねー」

 

付け合わせの喉菓子(ロクム)を口に放り込みながら、マルジャーンが受けた。

蜂蜜を混ぜ合わせた小麦粉を温めて固め、四角く切った物である。

 

後の時代にはコーンスターチなど澱粉で固めた菓子であったが、

第一帝国時代の現在では、小麦粉で固めた菓子の類に成る。

 

「何か浮いてるー」

 

湯の流れに身を任せ揺蕩う少女が空に謎の浮遊物を見つけ。

 

「浮いてますねー」

 

その妹が揺蕩いながら気の無い返事を返す。

 

【挿絵表示】

 

噴出炎も翼も無く、ただ浮いて移動している謎の物体。

それが空の彼方を横切っていき、その内に小さく成っていく。

 

「おらアズにゃん、アレは何だ、きりきり吐けぃ」

「いや知りませんからッ、と言うか調べに来たんですよぶっちゃけ」

 

姉さんにも心当たりは無いのですかと問い掛ける妹の言葉に、

少し考えてから無いなあと、朗らかな笑顔で応える長女。

 

「在るな、アレは」

「全貌が見えておらんから語れない、ぐらいの反応じゃな」

 

「いや本当にアルちゃんってわかり易いわよね」

 

人の連なる感想を受け、青の大神が姉さんんッと姉に迫れば、

アルフライラは知りませんよーと、軽く嘯きながら揺蕩っていく。

 

そして姉妹が湯船でわちゃわちゃしている内、ぺきりと音が響いた。

 

湯船を造っている壁に罅が入り、即座に崩落する。

 

「アルちゃんたちが落ちたーッ」

 

そのまま湯流に呑まれ流された大神姉妹と言う事件が在り、

発端となった割れた湯舟の壁、軽く湯で造る滝と化した箇所。

 

大神落としと呼ばれ、後の時代の観光名所に成ったと言う。

 

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