神殿より響く鐘の音がムダラアミーナに朝の訪れを告げ、
音響に鳥たちが騒めく中、様々な場所で人々が動き始めた。
そして習合大神殿では、中庭の竈で大鍋が掻き回されている。
ムダラアミーナの神殿は、その港湾都市と言う都合上、
特定の大神を祀らずに創世、黎明の13神が習合されている。
最近では招き猫が寄進され、千夜神も祀りはじめたがともかく。
様々な神国から訪れた商人、旅人たちの寄る辺、口利きや宿舎、
そんな施設として都市の中で権勢を誇っていた。
そして当然ながら、青の神国より訪れた大神と神御座船乗員、
20を越える程度の集団が逗留している場所でもある。
光石や灯火で、煌びやかに輝く硝子細工の本殿は基本青く飾られ、
神殿に最も金を入れている勢力が何処かを如実に表しているが、
それはそれとして、中庭で鍋を掻き回しているのが大神であった。
アズラクとアルフライラ、それと老齢の女神官たちが木べらを抱え、
とろ火に掛けられた大鍋の中身を掻き混ぜ続けている。
尤も、虚弱な創世神が動かしているのは作業用ハンドだけだが。
大鍋では挽き割り小麦、それを水で緩めた発酵乳で煮込んでいる。
火が通る内に水気が飛び、回す木べらが段々と重くなっていく。
最終的に肩で息をするアズラクと、慣れた様相で腰を伸ばす老神官、
心不全で体温調節が破綻して汗溜りに沈んでいるアルフライラ。
そんな人神三様の有様の中で、木べらが鍋からそそり立っていた。
軽く木べらが放置されているのは、鍋底の熱を逃がすためである。
串にしろへらにしろ、意外に熱の伝達と言う物は馬鹿に出来ない。
そして火が通った挽き割り小麦を天日に晒して乾かせば、
携帯、保存食として神殿が扱っている、
麦と醗酵乳で造る糒とでも言うべきか、旅人の友であり住人の口休め、
水で緩めるなり汁の具にするなりと使われている代物だ。
そして乾かす前のそれを軽く器に取り、酪を乗せる。
「はー、タルハナ造りはこれが楽しみなのよねー」
一皿受け取ったアズラクが頬を緩めれば、老神官も破顔した。
乾かす前の乾燥発酵麦は、造り手の役得と食べられる物である。
「熱が通ったせいか、発酵乳と言うより乾酪粥っぽい」
匙を咥えながらアルフライラが述べ、午前の時間は過ぎていった。
陽除けの鐘が鳴り、潮風が
採り込まれた上空の風は水路を通り、涼し気な風と化して室内を巡る。
そんな時間帯、黒の商人スクルが貢物を携え神殿を訪れた。
寄進先は神殿では無くアルフライラである。
先だっての一連に関する報告、相談、それと謝礼の品目との事だ。
「放置していたら危ない所でしたよ」
誰も泣かない世界が、ムダラアミーナでの武装蜂起を計画していたと語る。
三国通商の本契約が結ばれようとする今、各国の要人が都に集っている。
どの様に扱うつもりだったのかはともかく、狙い目なのに変わりは無いと。
「計画は潰れたのかな」
「まあ人も予算も拠点も消えましたし」
貢がれた猫を吸いながら少女が問えば、商人は軽く言う。
「嫉妬と憎悪で生きている人は、縋らないと生きていけなくない」
そして、続けて紡がれた言葉に真顔に成った。
「まだ暫く、警備を増やす様に進言しておきます」
「さよけー」
真面目な声色と、猫を構いながらなやる気の無い声。
依頼で訪れ知己も多いとはいえ、基本部外者な神である。
「そう言えば、拠点にこんな物が転がっていたのですが」
つるつるとした、手で持てる程度の大きさの素材が良くわからない板。
「あー、これはガチの旧神遺物かな」
アルフライラが板を受け取り、撫でながら呆れた声を出した。
浮遊板から配線を繋ぎ、軽く起動させ内容を検める。
「仮想現実媒体、ジャマールの言っていた物とは違うな」
零れる言葉の意味は正確に理解出来る物では無かったが、
その内容の断片から察せられる雰囲気が、商人の顔を引き攣らせる。
「この中に世界が造られ、様々な魔王が覇を唱えていた」
そして板を片手に、創世神が淡々と告げた。
やがてこの板の中では、捕食の権能を設定された個体が世界を統べ、
滅びに向かう世界から人々を救うために世界の外側を目指したと。
「そこで、止められているね」
「何か、恐ろしい物が封印されている様に聞こえるのですが」
蒼白な顔で問い掛ける商人の言葉を、神は軽く笑いながら受け、
ていやと言いながら即座に封を解き中身を解き放った。
「うああああぁぁぁッ」
「うん、まあやはりそういう事だよね」
何も起こっていない。
板が向けられた先、憎悪と決死に満ちた誰かが見えた気がしたが、
刹那にも満たない僅か、認識する間も無く消えていた。
「結局はこれが、最後に成れなかった理由、か」
身を固め緊張が解けない商人の前で、神が淡々と呟く。
そして中身が消えて、残ったのは空っぽの旧神遺物。
「すると一連の出来事は霊素の蒐集、起動しているのか、今更」
組み立てられた推論が言葉と化して神から零れ落ちるも、
情報量の足りない人間にはその内容を把握する事は出来ない。
「よくわかりませんが、まだ何か起こるんでしょうか」
「害があるかどうかは不明だけど、騒ぎは在りそうだね」
そのまま実務的な結論。
スクルが顔を抑え天を仰ぎ、神様助けてーなどと棒読むも、
目の前の神は猫にばかり構っていて祈りを受けつけない。
「この後で契約のため、新しい太守も赴任して来るんですよ」
「ああ、契約相手はアル・デバラン領主じゃないのね」
神の後ろ盾を持つ銅と黒に対し、帝国の後ろ盾で太守が約を結ぶ。
そんな式次第と成っていると語り、狙い目過ぎると頭を抱えた。
「せめて、そこらの青いの連中だけは抑えておいてください」
「いやまあ美食船団も来るみたいだし、そこは大丈夫」
力無く頼み込んだ商人の言葉を、少女は気楽に受け流す。
やがて陽は傾き、貢物を置いてスクルは宿舎へと戻っていった。
風の向きは変わり、塔から響く採風の音もその色を変えている。
そろそろ面々に合流するために安酒場に向かうかと、
強奪する予定の食材を数えながら神殿厨房に向かい。
そこではたと、アルフライラは何かに気付いた風情で動きを止めた。
ああそうか、と呟いて結論に至る。
「
青く沈む神殿の中に、誰にも聞かれなかった言葉が消えていった。