膨れ上がり、異形と化した砂鼠が斬り捨てられる。
砂を渡り、辿り着いた岩場でサフラが大剣の刃を拭った。
陽も昇り切る前、神を牽いていた駱駝が水を飲んでいる。
「終わったよー」
アルフライラが声を掛けながら岩陰より姿を見せ、
そのまま板から伸びた引き綱を駱駝の背に結び付ける。
岩陰に確認に向かった外に住む者の若手が戻って来て、
問題も無く作業が終了した事を開拓者の面々に告げた。
「それじゃアル姐さん、陽除けで拠点に向かいますね」
「よきにはからへー」
簡単な薦めに快諾の声が在り、駱駝の脚が砂の上で歩む。
幾頭かの駱駝が隊列を組み、熱砂の世界を駆け抜けて行った。
今回に受けた依頼は、外に住む者の水場の整備である。
礫にしろ岩にしろ、砂漠を渡るには水の確保が必須と成る。
かと言って、そうそう都合良く水源が確保出来る物でも無く。
砂漠で水を保管するとして、入れ物に入れれば容易く煮えて、
足元に池を作れば砂に吸われ、或いは陽に乾き水は失われる。
なので外に住む者は、要所では岩場を水瓶として活用していた。
岩の質量が砂漠の熱から水を守り、漏れた水は砂下に溜まる。
布で濾過して使うも良く、砂を掘れば水が湧く土地も在る。
雨の多い冬を通し、手持ちが出来る程度の水も持ち寄り岩に貯め、
渇きの夏を乗り切るための水場を造り上げていく。
外に住む者は、その様な水場を幾つも確保していた。
そして使い切り、これから補充の時期に入る晩秋の頃合い。
新たに水を入れる前にと、岩の水瓶を整える段である。
アルフライラは依頼を受け、爆速で水回りを整備して回っていた。
容易く砂の砂漠を渡れるほどに上澄みの開拓者たちと、
外に住む者たちの案内が駱駝を駆って熱砂を軽快に走り抜ける。
「いやー、本気で在り得ん速さっすわー」
「そうじゃろうそうじゃろう、実はワシらも少し引いておる」
駱駝の上で呆れた声色で零した若者に、並走する駱駝の上、
マルジャーンの背中に括りつけられたハジャルが遠い目で応えた。
本来ならば、礫の交易路を回りながら近場に寄るやり方と成る。
水場の整備も、掃除から入れ替えなど時間と手間が掛かりがちで。
砂の上の最短距離を突っ切り秒で作業を終わらせる神の御業には、
もはや畏怖や尊敬と言う段階を軽く越えて、少々引かれる物が在った。
「くくく、鍛えに鍛えた水
「まあ、洗濯とかに便利そうではあったな」
板に固定されながら聖悠紀顔でキャプターな発言を零す少女に、
少し呆れた声色で、並走していた剣士が合いの手を入れる。
そして陽が南中に近付いた頃、一行は湧き水の拠点に到達した。
岩陰に湧いた水を、石造りの槽が受け止め砂に零していて。
流れる水は砂に溜まり、僅かな草を呼び土を造っている。
以前にも訪れた、外に住む者が有する湧き水の拠点である。
「もう終わったのかよ、相変わらず真珠たちはとんでもねえな」
湧水の側には馴染みの頭首の姿が在り、他に幾つかの人影が在った。
粗末な布を纏う少年少女と、身形の良い老人。
子供たちは僅かに怯えを見せた表情で座り込んでおり、
老いた誰かは柔らかな笑顔を湛え、白い生地を手に持っている。
パン種と塩を混ぜ捏ね、発酵させて膨らませた白い硬質小麦の粉。
軽く叩きガスを抜いた後、両の手で左右に引っ張り生地を伸ばした。
そのまま折り畳み、また伸ばす。
折り畳み、伸ばす。
1本が2本、2本が4本、4本が8本、8本が10と6本。
伸ばす度に生地の本数が倍々に増えていき、度に細く成る。
やがて指よりやや細く成った程度で、伸ばすのを止めて切り落とした。
そうして出来上がった麺を、傍らの沸いた鍋に放り込む。
茹で上がった所で適量を器に取れば、頭首が鍋の蓋を開ける。
中には鮮やかな色彩、赤茄子と羊肉を混ぜた秋野菜の蒸し炒め。
大匙で取り、器の上から雑に掛けた。
東方では鹹水を混ぜ、独特の色と歯応えを持った麺の名であるが、
西方では水と小麦だけの、手延べ麺で造る料理の名に成っている。
「何と言う『サラダうどん』」
差し入れの製氷と交換で器を受け取ったアルフライラが、
手持ちの箸を使いながら、古代語交じりの微妙な感想を零した。
発言の通り太さ的にも原材料的にも、完全にうどん互換な麺である。
「汁で無く掛けとは、霊峰の向こうの流儀じゃな」
イルドラードあたりならば、ここに肉や骨を煮込んだ汁が注がれて、
具沢山に揺蕩う汁物として整えられる料理であった。
「ああ、
連環砂漠から霊峰を越え、狐狸神殿へと繋がる交易の話が在り、
その品物の一部として、人狩りで集めた奴隷も贈られて来たと。
「国主の子と言えば以前、ナテュルクって言う子と会ったけど」
「そいつだわ、まあ突然の話だしどうした物かねとね」
受け応えながら、頭首が何でかなと首を捻り意見を求めると、
麺を啜っていたハジャルが手を止めて、簡単に見識を述べた。
「国主が逝く頃に、出奔して神殿に逃げ込むための下準備とかかの」
「ああ、交易で繋がっておけば追い辛いものね」
元外交官が思い付きを口にすれば、元貴族令嬢が内容を補完する。
父の寵愛を受け兄弟からの受けがとことん悪い第7子は、
後を継がぬ限り代替わりすれば始末される立場である。
「神殿まで追い込みを掛けたら、交易路が潰れるって感じかな」
「恨みは一概には言えんが、強き者は南北に割れておるからのう」
女神が発言を聞いて纏めれば、人が軽く状況を付け足して述べた。
成立している交易を潰してまで、追い掛ける余地は在るだろうかと。
「まあ何となく理解ったが、今の問題はこいつらか」
そして頭首が、直面している案件に話を戻した。
「何だかんだ売り払う先は在るんだが、問題はそこの爺さんだわ」
指し示した先には、先程に麺を手延べしていた身形の良い老人。
小柄な身に白い髪と皺の在る肌で、何故か妙にしっとりとしている。
「帝国東部の元丞相なんだけどよ、身代金が断られた」
言われご迷惑をお掛けしますと、恐縮しきりな姿からは、
かつて位人臣を極めた身と言われても、何処か違和感が在る。
「家を継いだ兄の子は、私を嫌っておりましたから」
聞けば、傾いた家を建て直すために宮廷に仕えた身の上であり。
折々の仕送り、位が昇ってからは様々便宜と図っていたのだが、
国に家族を売り渡して家を保った側からは、色々思う所が在ったと。
「男でも女でもない生き物は一族に居ないそうで」
「ああ、そう言う事」
さらりと零れた言葉に、マルジャーンが納得の色を見せた。
金の為に弟の生命の枝と実を切り落とし、宮中に仕えさせた家。
生涯そう言われ続けた兄は、自らの子に何と言い続けたのか。
「切り落としたの」
「切り落としましたね」
「西方の方だと、袋の中身だけ切り取ったりもするのう」
少女の無遠慮な質問に、苦笑交じりで露骨な返答、そして補足。
老齢の割に湿気を保つ肌は、性器を持たぬが故であった。
「てとこで、真珠のとこの神殿にどうだい」
「在りませんから、夫人や女神に問題無く仕えられますよ」
「買った」
そのままの流れで、売買の契約が即決された。
「んじゃ神殿の方に届けとくわ」
「以降は猫が在る内に猫と共に歩むが良いよいよい」
物凄く簡単に身柄の割り振り先が決められていき、
その軽さからか流石に、本当に良いのかと老人が少女に問い掛けた。
「後々、一族が何か言ってくるかもしれませんが」
「義理は果たしきったのでしょ」
女神が可憐な笑顔で、人に告げる。
股間を涼しくし、潰れかけた家門を救いあげた。
義理を果たし返される事が無かったのならば、そこには何も残らない。
「ならばもう、肉親面される筋合い無くない」
相手が人品卑しい事まで背負う義理は無い。
だから老後はもう、神殿で猫と暮らせば良いのだと。
そして、よしなにと書かれただけの無茶ぶりな紹介状を渡す。
そう書いてしまったせいで、神殿から全力でよしなにされてしまい
アルフライラが頭を抱える結果になるのだが、それは後の話である。
宦官の丞相、ヤークート・アハマル。
アハマルと言う名乗りは仕えた後に千夜神より許された物であり、
以前に何と名乗っていたのかは記録に残っていない。
千夜神殿に仕えるが、ペル・アビヤドに於いては獣人に代わる。
その生涯に蓄えた豊富な縁を活用し、各国の様々と結び都の地位を確立し、
テルバード独立に至るまでの外交の基礎を造り上げる事に成るのだが、
神殿での記録は少なく、猫に好かれた晩年であったとだけ記されている。