「……ここは?」
気づいたら、何も無い真っ暗な空間にいた。夢を見てるのかと思って頬をつねる。痛みも頬の柔らかさも何もない。これは夢だ。そう結論づけ、辺りを見回そうとする瞬間、悪寒がした。
「――ッ!」
コツ、コツと均一の足音。直感で逃げなきゃ駄目だと思った。
「はぁ、はぁ、っ……はぁ……」
一寸先も見えない真っ暗な道を一人、走る。走っても走っても足音は近づいてくる。同じペースで同じ音で、そしてとうとう、肩をつかまれる感覚、耳元で、
「私のシンクレアァ♡」
「うわぁ!」
飛び起きる。
「……ど、どこですか? ここ」
鳥肌の立った腕を擦りながら立ち上がる。
眼前に広がるのは0番出口と書かれた看板と何の変哲もない白い通路だけ。まだ夢かと思って頬をつねってみたけど帰ってくるのは頬の柔らかさと痛みだけだった。……夢ではなく現実のようだ。
「確か僕は……」
記憶をたぐり寄せてみたけど心当たりは一切ない。……もしかして、夢遊病の類いだろうか。けど僕にはそんな病は抱えてなかったはず。
辺りを見回してみるけど管理人さんはもちろん良秀さんもイサンさんもドンキさんもローシャさんも誰もいない。けど看板があった。読んでみるとそこには、
・異変を見逃さないこと
・異変を見つけたらすぐに引き返すこと
・異変が見つからなかったら引き返さないこと
・8番出口から外に出ること
そしてここが『0番出口』であることが示されていた。
「とりあえず、外に出ないと」
そう思い通路を出ようとすると、悪寒、思わず足を止め出口を見つめる。本能が外にでたら駄目だと警鐘を鳴らし続ける。
「ッ――」
もしかしたらこれがここのルールなのかもしれないN社の翼で写真を撮ったらいけないように、それかねじれとか幻想体だとしても管理人さんと信頼できるイサンさんとか勇敢なドンキホーテさんあと正直怖いけど頼れる良秀さんがいない現状ルールに歯向かうのが得策ではないだろう。
「行くしか、なさそうですね」
僕は通路に向かって歩み始めた。
白い空間に僕の足音だけがコツコツと響き渡る。訂正、通路の向こうから革靴特有の足音。それが一定間隔で迫ってくる。ハルバードを構え、臨戦態勢を取る。
角から出てきたのは白いシャツ姿の三十から四十ぐらいの男で、ハルバードを構えてる僕に脇目も振らずに歩き去った。思わず見送ってしまったけど、僕はすぐに追いかけて、
「あ、あのすみません! さっきはすみません。その構えてしまって、えっとあなたもって、あっ待ってください。あの……」
彼は僕の存在に気づいてないかのように行ってしまった。……もしかして、あれが異常なのだろうか?
だとすると、戻るんだっけか。
そう思い、来た道を戻ったが看板には0番出口と書かれていた。
「まぁ、そうですよね……どうしょう」
戻ったんだからもの道に戻るのは当然だろう。
もう一回行くべきだろうか? ……まぁ、ここで立ち止まっててもなにも変わらない。だから僕はもう一回行くことにした。
「あれ? さっきもいましたよね? あの?」
僕が通路から顔を出したらさっきのおじさんが道の向こうから来た。またしても僕の事を気にしてないようだ。
「……もしかして、ループしてるんでしょうか」
僕の横を通り過ぎていくおじさんを横目に僕は通路の奥に向かった。
「……一番、通路」
僕はようやく前に進めたようだ。というか異常とはどんなもの何だろう。あのおじさんは異常ではないとして……何かが変わるとかだろうか? 僕はそう考えながら足を速めた。
「――ッ」
通路を曲がると目に飛び込んできたのは大量の禁煙ポスター。通路の右側を埋め尽くように壁はおろか床と天井まで侵食している。明らかに異常だ。
踵を返し、来た道を戻った。
「2番、通路ですか」
なるほどあの看板の意味がわかった。おそらくだが、異常のあるなしを間違えずに行けたら次の通路に進めるんだろう。ならば、
「はやくここから出ましょう」
そう思い、先に進んだ。次の通路も一見はっきりとした異常はなかった。急いで間違えてしまったら元もこうもないため、注意深く観察する、すると半ばほどで。
「うわ!」
分電盤室と書かれた扉がバンバンと音を出しながら叩かれた。その音で思わず身体が跳ねてしまった。
「だ、誰かいるんですか?」
「……」
……何も返ってこない。異常だ。素早く引き返した。
僕の予想はあってたようで通路には三番通路と記されていた。
勝手がわかってしまえばあとは簡単だった。
――そう、思ってた。
4番と5番には異常はなかった。けど6番で僕は。
「ぜろ、番?」
振り出しに戻っていた。
え? どこかに異常があったのか。
……というか間違えたら即斬首とかではなく振り出しに戻るらしい。それは、まぁ安心だけど何回も間違えたら斬首かもしれない。
「……行き、ましょうか」
かと言っても何もしなければどうにもならないから、今度は間違えないようにゆっくりと通路を曲がった。
最悪、死んでも管理人さんに回してもらえばいいし。
そう考えるとなんだが楽になった。
通路にはぱっと見異変はなかったけど、進んでいく内に異変が起きることもあるからゆっくりと歩く。 通路の向こう側から何度もきたおじさんがくる。彼がこない異常とかもあるんだろうか? ふと、彼がこっちを見ている気がした。
……なんだがあのおじさんこっちに向かってきてないか?
いや、確実に向かってきてる! それもかなりの速さで
「ッ――止まれ!」
ハルバードの切先をおじさんに向けるが止まる気配も懐から何かを取り出す気配もない。異常だ。切先を向けながら二、三歩後ずさりし、一気に駆け出した。角を曲がると、もう追いかけてくる気配はなかった。そして、
「一番通路……」
彼は異常だったようだ。今度こそ間違えないように注意深く通路の一つ一つを見る。おじさんの顔がぼやけてたり、突き当たりのところに同化した人がこちらも向かってきたりしたけども、僕は無事6番通路戻って来る事ができた。
ゆっくり、壁、天井、床、おじさん、突き当たり、ポスター、その他すべてをゆっくり確認しながら前に進む。今のところ異常はなさそうだとほんの少し気を抜いた――その瞬間、波の音がした。
「――え?」
刹那、通路の向こう側から赤い波が押し寄せてくる。
「うわぁぁぁぁ〜〜!」
波に流されても平然と歩いてるおじさんを尻目に瞬時に後ろに向かって走る。
角を全速力で曲がると波は僕の一歩後で消えた。
あと一秒でも遅れてたらおそらくは流されてただろう。
膝に手を付き息を整える。もしもあの看板が正しいなら最後の道を通り過ぎれば、僕は地上に出れる。さぁ、最後だ。ここで最初に戻されたら洒落にならない。
注意深く、注意深く、集中して異常を探す。そのせいだろうか?
瞬間、悪寒と冷や汗、身体が固まった。耳元であの声、
「私のシンクレアァ〜♡」
「ヒュッ」
息が止まる。
肩を掴まれるまで、僕は何も気づかなかった。
咄嗟に手を振りほどき、前に向かって走り出す。
このまま行けば、僕はきっと0番出口に戻ってきてしまうだろう。けどクローマから逃げれるなら僕は、もう何でもよかった。
――ほんとうに?
脳裏にそんな声がよぎった。
僕はいつからこんな人間になってたのか。
あのときもう逃げないと誓ったじゃないか。
足を止め、クローマに向き合う。
「……シンクレアァ、逃げないの?」
クローマの声は、耳元に滴るように甘く、耳に残り、恐怖心を煽った。
釘の先がゆらりと揺れる。
彼女の瞳の奥には、あの頃の僕がいた。震えて、誰かの背中に隠れて、何もできずにただ泣いていた僕が。
「…………僕は、もう逃げないと誓ったんだ」
クローマは笑っていた。僕は呼吸を整え、ハルバードを中段に構える。
間合いは半歩踏み込めば、攻撃が当たる距離。つまりは――クローマの攻撃も届くということだ。
それでも、どちらも動かない。音だけが満ちていた。
切っ先がわずかに揺れた瞬間、クローマの腕が閃いた。
ハルバードの柄を軸に、金属音。
シンクレアは反射で下段に構え直し、刃を受け流す。釘が頬を掠めた。肩が痺れる。力の差がひと呼吸でわかる。
「ッ――」
けど、諦めるわけには行かない。
瞬時に下段から逆袈裟斬りを繰り出す。けどクローマは笑いながら釘で受け止め、踏み込み、僕の腹に強烈な蹴りを叩き込んだ。
「かふっ!」
「シンクレアァ、そんなんじゃ、私の事をぶっ殺せないよ?」
口から出た血を拭い、クローマを睨見つける。
「誰かを守るって言いながら、また泣くんでしょ?」
クローマが笑う。声は優しく、残酷だった。
「逃げたほうが楽だよ。それに死んじゃえば、もう苦しまなくてすむよ」
彼女の甘い言葉は僕の弱いところを蝕み、侵食していく。それでも、
「――そんな楽さ、いらない!」
今すぐにでも楽になりたいけど、逃げたいけど、
僕はもう逃げないと決めたんだ。喉を震わせ叫ぶ。
「ックローマァ!!」
「ぶっ殺してごらん? シンクレアァ!」
クローマの釘が瞬き、瞬時に僕の左肩を貫く。
肩が焼けるように痛い。けど、逃げる痛みの方がもっと嫌だった。
「クローマァ!!!」
諦めるな、止まるな、立ち向かえ、抗え、
もう動かない左肩に見切りをつけ、右手でクローマの喉を突く。
たとえどれだけ見苦しくても、泥臭くても、辛くとも、怖くとも、苦しくても。
「僕は、もう逃げない!」
叫びと同時に踏み込む。ハルバードが、赤い花束を咲かせ、クローマの笑みが、崩れる。
「あはぁ、私のシンクレ、ァ……」
クローマが倒れる。彼女は最後まで笑っていた。
顔をあげて、通路を進む、クローマのその先に、その角を曲がる。
『八番出口』眩い光が階段から差していた。
一歩、一歩、階段を登る。今度は嫌な感じはしなかった。
目を覚ますと僕はメフィストフェレスのいつもの座席に座っていた。……あれは夢だったのだろうか。
そう考えてると、このバスの後方のドアが開き、管理人さんが入ってくる。
「あれ? シンクレア、今日は早起きだね。何かあっ、ど、どうしたのその傷! 今時計を回すから!」
ふと自分の姿を見れば服が左肩に穴が空いていた。あの時のギズだろう。ということは。
「……夢じゃ、なかったんだ」
そんなつぶやきは、身体が癒えていく感覚とともに消えていった。
窓の外は晴れ晴れとした晴天だった。
相方のはPixivにあります。