リオが精霊の里に赴いてから十日ほどが経過していた。
行きは転移ですぐだが帰りは違う。空を飛んでも絶対の安全は保障できないこともあり、リオの帰還まで時間が掛かることは予め伝えられている。
本音を言えばカラスキ王国にも話を通してきてほしいのが正直なところだが、そちらに話を持っていくのは時期尚早だ。最悪の事態を想定すれば焦燥が募るのは間違いないが、カラスキ王国は精霊の民の里よりもなお遠方にあるのだ。中継点足り得る精霊の民の里がこちらに協力姿勢を示さないことには、話を持っていこうにも持っていけない。リオ個人であれば問題なかろうが、結局のところリオ自身は仲介役に過ぎないのだ。ガルアーク王国として交渉できなければ意味がない。
そのため、現在のフランソワらを悩ませているのはリオに関することではなかった。
「ベルトラム王国本国、ベルトラム王国ユグノー派、セントステラ王国、そして我がガルアーク王国は勇者が召喚されたことを表明した。しかし、これでもまだ四人だ。残りの二人に関してはどこの国も未だに表明していない」
「普通に考えればおかしなことです。シュトラール地方において六賢神は広く信仰されています。である以上、その使徒たる勇者を抱えたのであれば表明して然るべきです。それだけで他国は迂闊に攻め込めなくなりますし、同じく勇者を掲げた我らと誼を結ぶこともできるのですから」
フランソワの言葉にユグノーが同意した。
普通に考えればユグノーの言う通りなのだ。大国とはいえベルトラム王国に関しては内部政権の対立が著しいものの、ガルアーク王国はそうじゃない。そもそも遠方の小国がベルトラム王国の内部事情を知っているかも怪しいところがある。小国なればこそ大国に助けを求めても不思議はない。
遠方へ援軍を派遣するなど、余程の旨味や理由がなければガルアーク王国とて二の足を踏むが、勇者はその『余程の理由』に該当する。
何せ自国でも勇者を掲げているのだ。他国だから、遠方だからと理由を付けて救いの手を差し伸べないようであれば、自国の勇者を筆頭に周囲からの心証が悪くなってしまう。如何な大国であれ、民心が離れてしまえばお終いだ。それを防ぐためにも、勇者を口実に助けを求められれば介入せざるを得ないのだ。
「大国の介入を是とせぬ気持ちはあるかもしれぬが、それとて自国が滅んではお終いであろう。それはどこの国も分かっている筈だ。――にも拘らず、表明がない」
「となると、やはり北方では勇者が勇者として認識されていないのかもしれませんな」
「困ったものよ。サツキ殿とヒロアキ殿、我らが把握しているのは未だ二例でしかないが、いずれも一方的な召喚であり、勇者であることを理解しているわけでなければ承認しているわけでもなかった。故にこそ、事情を知る者が庇護しなければならぬというに……」
「それを怠れば、最悪、他ならぬ勇者から刃を向けられることになりかねません」
そうなれば、所詮は他国のことと知らぬ振りはできなくなる。六賢神の使徒である勇者に刃を向けられては、六賢神の信徒足り得ないのだ。シュトラール地方においては、途端に誰も担がなくなるだろう。それは小国も大国も同じである。たとえ国として争い合っている間柄であろうと、六賢神の信徒という点では誰もが同じなのだから。
「サツキ殿の友人であり、アキ殿とマサト殿の兄上であるというタカヒサ殿はセントステラ王国に召喚されたという見方が大ではあるが、現状ではそれも推測に過ぎぬ。何せ勇者が召喚されたのは間違いないようだが、勇者の名前は公表しておらんからな。……彼の国の閉鎖体質にも参ったものよ」
「そこがハッキリすれば、まだ少しは安心できるのですがね……」
フランソワとユグノーは揃って重い息を吐いた。
これで貴久がセントステラ王国ではなく北方に召喚されていた場合、特にガルアーク王国は笑って済ませられなくなる。
ただでさえ、美春、亜紀、雅人の三人は、こっちに跳ばされて早々に奴隷にされかかったのだ。実際に奴隷にされたわけではないのでまだマシだが、沙月のこの世界に対する心証がガクンと下がったのは間違いないだろう。
その上で、勇者として召喚された筈の貴久が勇者足り得ぬ扱いを受けていればどうなるか? 貴久がこの世界に反感を持つのは当然だろうし、場合によっては沙月までもがそれに同調しかねない。
沙月とその周囲に対しては丁重な振る舞いを心掛けているガルアーク王国だし、そのことには沙月も理解を示してくれている。それでも、沙月にとって異邦の地であることに違いはないのだ。同郷の友人と異邦の政治事情であれば、同郷の友人を優先しても何らおかしくはない。一方的に召喚された事実もそれを後押しするだろう。
「これ以上、悠長に自発的な表明を待ってはいられないのかもしれぬ」
「北方に介入すると?」
「勇者を掲げた以上はせざるを得んだろうよ。一番に尊重すべきは自国の勇者だが、だからといって他国の勇者を蔑ろにできるわけではない。北方のいずこかに勇者が召喚されたのは間違いないのだ。それがこれだけ待っても勇者の表明がない以上、北方は勇者を勇者として認識していないのだと判断せざるを得ん」
「御尤もです。しかし、派兵に乗り気になりましょうか?」
ユグノーの危惧は尤もだ。名分だけで戦はできない。仮に兵を派遣したところで、士気が低ければ意味はない。
「……ヒロアキ殿を旗頭にはできんか? 勇者殿全員が知己であるかはさて置き、同郷の可能性が高いのは事実だ。手を差し伸べようとしても不思議はない。そして勇者が旗頭になれば、真意はどうあれ周辺諸国は参戦せざるを得んだろうよ。特に、勇者を掲げた国と同盟を結んでいる国はな」
「……これを機にベルトラム王国から離れよと?」
「そも、ベルトラム王国の現状自体が歪なのだ。家臣の手綱を握れなくなった国王に何の価値があろうか。如何な大国であろうと、そんなのは砂上の楼閣よ。ましてリオのこともある。それならば、いっそのことフローラ王女を初代女王に掲げて新たなベルトラム王国を起ち上げるのも一つの手であろうよ。佞臣蔓延る国の行く末を憂いた王女が、忠臣を携えて誠の国を起ち上げる。何とも民衆が好みそうな美談ではないか」
「無駄に数が多く、それでいて戦続きの小国を平らげて、ですか」
人は美談を好む生き物だ。リオがヘキサグラムの王として表舞台に出れば、その過去を公表すれば、ベルトラム王国に反感が募るのは間違いない。
ユグノーがベルトラム王国から離れれば、同時にユグノーの派閥から離れる者もいるだろうし、ベルトラム王国はアルボーの手中に収まるだろう。しかし先述した通り民心あっての国なのだ。アルボーの権勢が強まる代わりに、ベルトラム王国の瓦解が早まるのは目に見えている。何せ、アルボーはユグノー派だった者を重用はしないだろうから。
リオ然り、アリア然り、性格に難ありかもしれないがルシウス然りである。ベルトラム王国は、実際の能力よりも爵位の高さや血統を重視する面が強すぎるのだ。必然的に重職に就くには能力の足りない者が増加している。
果たして、そんな国に立て直す価値はあるのだろうか? 或いは立て直せるのだろうか?
ベルトラム王国の貴族として、あくまでもベルトラム王国を基軸に考えていたユグノーだったが、フランソワから直接的に訊ねられれば悩まざるを得なかった。
そして、その問いに即答できない時点で、自分の心がそれだけベルトラム王国から離れていることをユグノーは自覚した。
また自覚したからこそ、フランソワの提案には一考の余地がある。
何度も言うが、北方は小国が多く、それでいて戦続きだ。その全てとは言わないが、多くの国の民は疲弊しきっているに違いない。
なればこそ、フローラは歓迎されるだろう。ユグノーから見てもフローラは気が弱くて自己主張が苦手だが、その優しさは本物だ。むしろ、優しいからこそ普段から自分の意見を抑えがちなのであり、優しいからこそ時と場合によっては国王相手にも直談判を辞さない強さを持つ。決して王の資質がないわけではないのだ。単に、その資質とベルトラム王国の空気が合わないだけである。
「少し、考えさせてください」
ユグノーは、どうにかその一言を絞り出した。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
「方針の変更……ですか?」
その翌日。
今後の話し合いを行うとのことでフランソワに呼び出されたリーゼロッテは、思わず訊き返していた。なお、この場にはイオリたちや沙月たち、フローラたちもいる。
「うむ。リオを王とする国をでっちあげ、それを介し精霊の民の里と交流を図ることに違いはない。変わったのは北に対する対応だ。前回、そなたたちも交えて話し合った日から十日は経ったが、未だに北方に召喚された勇者を掲げる国が現れていない。柱の位置的に北方に勇者が召喚されたのには間違いがなく、北方以外では表明されているのにだ。こうなっては、北方では勇者が勇者として認識されていないのだと捉えるしかない」
「そのお言葉は分かりますが、だからこそ我が商会から人を派遣して調査するとのことだったのでは?」
「人を派遣することにも、調査をすることにも違いはない。ただそれに、異なる側面を併せ持たせることとする」
「異なる側面ですか?」
「うむ。これを機に、無駄に数が多い北の国々を平らげる。そして、フローラ王女に新たな国を築いてもらう。既にユグノーも賛同した」
「ッ……!? どういうことですユグノー公爵!? 私は何も聞いていません!」
流石に聞き捨てならなかったのか、僅かに息を呑んだ後、フローラは激昂してユグノーを問い詰めた。
「状況が変わったのです、フローラ様」
しかし、そんなフローラとは正反対にユグノーは冷静だ。そう口火を切ったユグノーは、当初との状況の変化を具に語った。
北方に召喚された勇者の消息が不明なことを筆頭に、異常な耐久力と回復力を誇る新種の魔物の出現、シャルルの結婚式場よりリオがセリアを拉致してみせたことによるベルトラム王国の武力の低さとリオの戦闘力の高さの露呈、イオリが単独で大型のブラックワイバーンを討伐したことも挙げられる。
「そこにリオ君の国をでっちあげるためのカバーストーリも加わります。ハッキリと言いますと、ベルトラム王国は間違いなく斜陽の時を迎えているのです。私とて王家への忠誠心は持ち合わせていますが、滅びの時を一緒に迎えるほどではありません」
「だからってそんな!」
「それとも、これからも本国での復権を目指し、その結果、姉上であるクリスティーナ王女と本格的に干戈を交えることを是とされますか? 無論、私にもフローラ王女を担ぎ上げた責任がございます。フローラ王女にその覚悟があるのなら、最後までお付き合いいたします。……いかがですか?」
「ッ……!? それは……」
フローラは再度息を呑んだ。ユグノーはあくまでも淡々としており、だからこそ凄味があり現実味があった。どうにか言葉を絞り出そうとしたフローラだったが、それは明確な言葉にならぬまま消えていく。
ユグノーの言うことは尤もだからだ。流されるままにユグノーについてきたフローラだが、それすなわち姉であるクリスティーナと対峙することを意味している。片翼の首魁であるユグノーがこうして中央を離れている以上、もう片翼であるアルボーの権勢が増すのは自明の理だ。それに抗しきれぬほどに今の王家の力は弱く、アルボーの力は強い。
リオがセリアを拉致した一件で多少なりと影響力は弱まっただろうが、今の王家はそれにすら対抗できないのだ。ユグノー派、アルボー派、そして中立の王統派、言葉だけなら三竦みだが、所詮は言葉だけで王統派に実権などほとんどない。あるのは王族としての権威だけである。
である以上、こうしてフローラがユグノーについている限り、クリスティーナとの対峙は避けられぬ事態と言えるだろう。――普通に考えれば。
「私たちが矛先を変えれば――率直に言い直して、ユグノー公爵がベルトラム王国本国での復権を諦めれば対峙以外の道も拓ける。そして、現状はその選択肢を取るのに都合が良い。北方に勇者が召喚され、にも拘らず北方の国々は庇護することもなく互いに相争うことに終始している始末。その一方で、新種の魔物や伝説に謳われるミノタウロスの出没など、人魔戦争の再来を彷彿とさせる事態が起こっているのも事実。最悪の事態を想定すれば、たとえ荒療治であってもこの状況をどうにかしなくてはならない。……そういうことですね?」
フローラはユグノーに対し己が推測を語った。王宮にいた頃ならばこんなことまで考えられなかっただろうが、良くも悪くもユグノー公爵についたことで色々な情勢を知ることが可能となり、それに伴い思考を巡らせることも可能となった。
「ご明察の通りです。我らが本国での復権を諦めれば、良くも悪くも本国はアルボー公爵の下に纏まるでしょう。その一方、我らは北方の平定に乗り出します。佞臣が蔓延る自国の先行きに不安を覚えたフローラ王女は、自分と志を共にする配下と共に母国に見切りを付けて新天地を目指す。我らの許に勇者として召喚されたヒロアキ様は、フローラ王女の志に胸を打たれ、また北方に召喚された自身の同胞の安否を願い、我らの行動を認め同行する。……そういう筋書きにすれば、民衆の受けもよろしいでしょう」
「物は言いようですね。……ガルアーク王国からの支援を期待してもよろしいのですね?」
「うむ。流石にこの現状では思い切った行動も取らざるを得ん。それほどに、あの新種は危険だ。いや、ミノタウロスも危険ではあるのだが、より危険なのは新種の方だろう。この世の中、人が行方不明になることなど珍しくもないのでな。害獣被害に魔物被害、あとは悪徳奴隷商による拉致などもあるか。それが半ば常態と化しているものだから、そこに新種による被害が紛れ込んでいても気付けんだろう。実際に我らは気付けておらなんだし、証拠映像がなければ未だに気付いていなかった筈だ」
「ましてそれが北方となれば……ですね。目が届いていない故に、仮に新種によって国が滅んでいたとしても私たちは気付けない。何故なら、北方には小国が乱立し、それらが相争っているのは常の事だから」
「想像で済んでいるうちはまだマシだが、それが現実となっては大問題だ。だからこそ、そうならぬ内に北にも目を行き渡らせなければならない。――まあそうは言っても、既に現実になっている可能性も否定はできんのだがな」
「そこに関しては言っても仕方のないことでしょう。……分かりました。私たちは北に向かいます。国を捨てるのは辛いですが、それよりもお姉さまと対峙することの方が嫌ですので。それに、戦乱で疲弊しているだろう民衆を放置するのも寝覚めが悪いですし」
かくして、フローラは決断した。未だ流されている部分があるのは確かだが、己の意思で決断したのも事実であった。