「ドグマを教えてほしい……ですか?」
思い立ったが吉日とばかりに、ロアナは行動を起こしていた。談話室に陣取っているイオリ、アマリ、弘明、フローラ、ユグノーの元へと赴き、その勢いのままにイオリとアマリへ頼み込んだのだ。
なお、イオリたちが談話室に陣取っているのは、予め派閥員に伝えられていた。一足早く己が去就を決めた派閥員が報告しやすいように、基本的には一所に留まることにしたためだ。
「はい。此度の方針変更により、派閥を抜けて本国に残られる方が少なからずおられるでしょう。それは人員の低下へと直結します。私もまた王家の臣としてフローラ様に同行いたしますが、現場作業に従事しなくてはならない場面がきっと訪れます。必然的に貴族としての立場に胡坐をかいてはいられなくなるわけですが、それに耐えられない者もおりましょう」
ロアナの言い分は決して間違っているわけではない。直接の派閥員だけではなくその子飼い――兵士や騎士の中からだって、本国に残ることを選択する者は少なからず現れる筈だからだ。
「ロアナ君の言うことは尤もだ。今までは騎士として私に同行していた我が愚息も、きっと本国に残ることを選択するだろうね」
ユグノー公爵の息子であるスティアード、ロダン侯爵の息子であるアルフォンスは騎士としてユグノーに同行していたが、それは彼らの立場がそうさせた部分もある。
しかし、北方に向かうということは、本国に背を向けるということでもあり、ベルトラム王国貴族としての身分を捨てることでもある。そのことにスティアード等は耐えられないだろう。
正確に言えば、フローラが独立を宣言するまでは、決してベルトラム王国の臣としての立場を捨てるわけではない。たとえ国元を離れてもフローラがベルトラムの王族であり続ける限り、それに仕えるユグノーらもまたベルトラムの臣であることに違いはないからだ。とはいえ、貴族権益の大部分が失われることに間違いはない。
王都を脱するに当たり、持ち出せる限りの財貨は持ち出している。それ故に暫くは何とかなるだろうが、先行きを考えた場合、心許ないのも事実である。
「……ああ、そうか。財貨の問題もあったか。北方に向かう以上、ここを拠点として使い続けることもできなくなる。当然、財貨の置き所にも困るようになるわけだ」
延々と持ち運び続けられる筈もないので、持ち出せる量にも限りが出てくる。確たる拠点がないなら尚のことだ。
飛行船に積み込めば持ち出すことも可能だろうが、現状では船員が付いてくるかも分からないので判断ができない。船員が同行しないのであれば、飛行船を出すこともできない。場合によっては、空の旅に出立した後で船員に裏切られる可能性だってある。
そして財貨を残していくのであれば、必然的に王国に残る者たちへ継承されることとなる。それが王国のために使われるのであれば、ユグノーとしては構わない。だが、スティアードがその様な使い方をするとは到底思えなかった。己が享楽のために使うと考えた方がよほどにしっくりとくる。
「我が愚息といい、アルフォンス君といい、世代は違うがシャルルといい、何とも次代の心許なさが目立つものだ……」
ユグノーは深々と溜息を吐いた。
方向性に違いはあれ、それぞれの現当主が辣腕を振るっているのは間違いなく事実であるし、その一角に立つ者としての自負もある。
アルボーの行いにも、ユグノーとしては一定の理を示せないわけではない。平たく言えば、現国王が国王に相応しい能力を持っていないことに起因するからだ。もっとも、ユグノー自身、それに乗じている部分があるので偉そうに非難は出来ないのだが。
その反面、次代の王となるだろうクリスティーナには期待が持てた。だからこそ、ユグノーは本国での復権を目論んでいた部分がある。クリスティーナの時代を迎えた暁には……! そう期待させるものを彼女が持っているのは否定できない事実であり、それ故に、彼女の時代を迎える前に潰されるわけにはいかないとフローラを担いだのだ。
次代の国王には期待が持てる一方で、高位貴族の次代は似ても似つかぬほどに未熟さが目立つ。無論、次代にはロアナのような例外もいるわけだが、彼女も彼女で貴族としての誇りが強すぎる。見方によっては欠点となるだろう。
高位貴族の後継者がこの有様では、国の先行きは明るくない。冷静に考えればそう思える。
今までのユグノーは、当代貴族の辣腕ぶりと、次代の王たるクリスティーナへの期待で視野が狭まっていたのだ。
幸か不幸か、ユグノーにはスティアードの他にも息子がいる。ピエールという名のスティアードの弟が。次子ではあるが、いや次子だからこそ、兄とは違ってきちんとした教育も叩き込んである。それもまた、ユグノーの視野が狭まっていた一因だろう。
「すまない。ついつい脱線してしまった。……お金がなければ生活できないのは王侯貴族も庶民も同じだ。そして本国での復権を諦めた以上、派閥員からの支援も期待できなくなる。人手が減ればその分だけかかる費用も少なくなるが、収入が得られなければ如何ともしがたい。ガルアーク王国が支援してくれると言っても、それは彼の国なりの思惑あってのこと。限度があって然りだ」
「はい。根拠地を失う私たちは、可能な限り早急に新たな根拠地を得なければなりません。まあ、向かう先は小国の乱立地帯ですし、中には暗君の支配する国もあると思われますので、戦力に関しては現地の民を糾合すればどうにかなるでしょう。フローラ様の優しさであれば戦に疲れ切った民の心を掴むことも叶いましょうし、ガルアーク王国からの支援が受けられるなら武装面や糧食面の問題も解決します。――正確には、その前提で動くしかありません」
「大義名分は必要だからね。一番穏便なのは賢君から治める国を譲られることなのだが……」
「可能性がないわけではありませんが、期待し過ぎるべきではないかと。それよりは、まだ暗君の治める国を落とす方が現実味があります。そして、戦乱続きの小国乱立状態でありながらそんな国が残っているのならば、何らかの面で期待が持てます。一番可能性が高いのは立地でしょうか……」
「地形的に落とすのが面倒。故に弱まるまで放置する。なにもおかしくはないね。戦の常套手段と言っていい」
ユグノーとロアナの間で言葉が紡がれる。フローラを始め他の面々は置き去りだ。
「しかし問題なのは、かの地に新種がいた場合です。正味な話、私たちの使う魔術では対処できないと思います。いえまあ、セリア先生ならば分かりませんが……」
「確かにね。新種を相手取るなら、安定的な威力よりも、不安定だろうと高威力の一撃の方がまだ期待が持てる。なるほど、それ故のドグマか」
「はい。今から教わっても修練時間の不足は明らかですが、その一方でドグマで重要視されるのは何よりも破壊の意思だと伺っています。であるならば、同じ学ぶにしろ、精霊と契約する必要のある精霊術よりはまだ期待が持てるかと……」
「とのことだが、イオリ君とアマリ君はどう思う?」
「諸々を鑑みての判断ならば、こちらに否はありませんよ。破壊の意思とは、すなわち欲望でありエゴですからね。ドグマの使い手が、他者の破壊の意思を認めない道理はありません。まあ認めはしても、受け入れるかどうかはまた別となりますが……」
他ならぬドグマの使い手としては、こう答えるより他にない。
また、イオリとアマリは他ならぬ自分たちがぶっ飛んだ才能を持つ実例であるために、才能を前提とした選択を否定しきれないのだ。実質的に一年ほどの修練で新たな術式を次々と開発してしまったのだから尚更だ。
彼らの上司には『魔従教団始まって以来の才能』と謳われたセルリック・オブシディアンがいるが、そんな彼でも独自に開発した術式は消滅のドグマ:EXHALTのみである。開門のドグマ:FORUSを使いこなせることからも確かな実力を持っているのだが、こと才能という点では短い期間で閃光のドグマ:電光切禍、飛翔のドグマ:比翼天翔、創造のドグマ:天地真命を開発してみせたイオリたちには遠く及ばないのも事実である。
とはいえ、結局のところ、壁が立ちふさがった際、どうやって進むかの違いでしかないのも確かだが。ドグマの才能とは、『道を塞ぐ壁をどうやっても乗り越えられないから、壁を破壊して進む』という見方をするのが適切だろう。ある意味で脳筋である。
それで言えば、セルリックは『乗り越えられない壁が少なかった』という見方をすることができる。既存の術式を広く修め、それを適切に用いることで壁を乗り越えることが可能だったから、必要以上に破壊の手段を必要としなかった。そう考えれば、開発した術式が消滅のドグマなどという物騒極まりない代物であることにも納得がいく。彼をして乗り越えることが出来なかったから、破壊する――消滅させる以外に方法がなかったのだ。まあ、そんな壁が如何なるものなのかは想像するより他にないが。
「感謝します、イオリさん、アマリさん」
「あの! 私にも教えてもらえますか?」
ロアナが礼を告げる一方、フローラもまたドグマの教授を希望した。
イオリとアマリは目線でユグノーに訊ねる。と言うのも、方針としてフローラは新王国を建てて女王に就く予定なのだ。このシュトラール地方において、家臣ならばともかくトップである女王が六賢神の伝えた魔術を捨てるというのは如何なものなのか? その判断が付きかねたのだ。
「お願いできるかね。六賢神の信徒であることを捨てるわけではないが、それでも、現状において六賢神に怪しい部分が多いのは事実だ。ともすれば、この先において六賢神を否定することだってあり得よう。何せ、六賢神の使徒とされる勇者が精霊との契約状態にあるみたいなのでね。つまり、他ならぬ六賢神が魔術を否定しているのだ。その上で私たちが魔術に拘泥するのは馬鹿らしいというものだ」
「……分かりました。それでは、短いながらにドグマについて教えます」
そういうことになったのだった。
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それから時間は流れ、早くもロダニアを出発する時を迎えた。
案の定と言うべきか、これを機に派閥を抜ける者も少なくはなかった。ユグノーの嫡子、スティアードもその一人である。一方で、次子のピエールはユグノーからの命令があったにせよ、なおも同行することを宣言した。
或いは、同行こそしないものの派閥を抜けるわけではないと宣言する者も一定数存在した。
国許を離れて行動しようと、フローラがベルトラム王国の王女であることに違いはない。そして、そのフローラの行動を勇者が支持する限りにおいては国王も――その背後にいるアルボー公爵も思い切った行動は取れない。
そもそも、北方の小国がベルトラム王国の内実を深く知っているとも思えないので、王女であるフローラの行動にはベルトラム王国国王フィリップの意図が絡んでいると周囲は判断するだろう。ガルアーク王国もフローラの行動を支援するなら尚更だ。
その割に派遣する人員が少ないかもしれないが、両国とも自国に勇者が召喚されているし、ベルトラム王国に至っては二人も召喚されている。既に勇者が召喚されたという事実は公表されているのだし、それらの兼ね合いによるものだろうと周りが勝手に納得してくれる目算は高い。
フローラとユグノーの行動が上手くいった場合、北方に頼りになる同盟国ができあがることを意味している。国主が国王の娘であるのだから、それを否定する余地はない。それが客観的な見方である。その行為が国庫を圧迫するなどといった理由があるのならまだしも、内実は政治的な敵対派閥が身銭を切って支援するだけなのだから、アルボーも大々的な反論をすることができないし、後々を考えればする理由もない。実際に支援しているのがユグノー派だけだとしても、他国がそんな内実を知る由はないのだから。
成功すればユグノーを支援する派閥は後を追って北方へ移り住むだろうし、失敗すれば本国内におけるユグノー派の力は減少する。どちらに転んでもアルボーには旨味があるのだ。
である以上、国許に残ってフローラとユグノーの支援を続けようと、アルボーも大それた行動は取れない。いくら支援があるとはいえ、その相手が小国であるとはいえ、国を落とすというのは容易なことではない。普通に考えると、元より失敗する目算の方が高いのだから、多少の不満は言ってくるかもしれないが精々がその程度である見込みだ。
「そういうわけですので、私はこれからもフローラ王女とユグノー閣下を支援させていただきますとも」
本国に残りながらも支援の継続を宣言した者の筆頭がロダン侯爵であった。
「助かる、ロダン侯爵。何だかんだ言ったところで、博打の面が強いのは否定できないのでな」
「まあ、それは閣下が本国に残ってアルボー公爵との政権争いを続けても同じですのでな。たとえ閣下が勝利したとしても国の立て直しは容易ではないでしょうし、そこをプロキシア帝国に突かれる可能性も少なくありません。アルボー公爵が失脚すれば、プロキシア帝国との関係もそれまでですので。とはいえ、このままアルボー公爵のいいようにされれば、ベルトラム王国はプロキシア帝国の属国になりかねません。私が閣下を支援するのはそれ故です。ですが、新方針が上手くいった場合、国が変われど場所が変われど、ベルトラム王家の血統は続きます。ならば、支援を続けない理由はありません」
礼を言ったユグノー公爵に対し、ロダン侯爵はそう返した。
アルボー公爵が、その裏でプロキシア帝国と繋がっているのは公然の秘密である。以前の戦争でベルトラム王国がプロキシア帝国に大敗した際、講和を取り纏めたのがアルボー公爵であることから、彼とプロキシア帝国との間にある程度の繋がりがあるのは当然であり、だからこそ表立って咎め立てるには理由が弱い。少なくとも、『ある程度』では済まない繋がりを示す証拠を確保しない限りは。
とはいえ、そんな物を確保するのは容易ではなく、それが叶うとすればアルボー公爵と渡り合えるユグノー公爵のみ。ロダン侯爵がユグノーを支援しているのにはそんな理由もあった。
もっとも、ユグノーをしても証拠の確保が容易でないのは目に見えている。だからこそ、元々博打の面が強かったのだ。
ユグノーとフローラの新方針は、そこに新たな選択肢を加えたわけである。
何を以て国と見做すか。何を以て王と見做すか。何を以て忠誠と見做すか。その答えは人によって様々だろうが、少なくともロダン侯爵にとって新方針は決して認められないものではなかったということだ。
「ロダン侯爵には負担をかけて申し訳ないが、我が愚息、スティアードの後見もお願いしたい。初子であるためかどうにも甘やかしてしまったようでな。気付いた段階で厳しく接しはしたのだが、どうにも既に手遅れとなっていたようだ。とはいえ、これからの行動が行動故な。私もそう易々とくたばるつもりはないが、万一を考えれば本国に子を残していかないわけにはいかぬ」
ユグノーは建国の成功を前提に動いているし、である以上、今はまだしも今後の地盤は北方となる。そして、スティアードとピエールのうち、より有望にして有力な者に後を任せたいと思うのは人として当然の心情だ。つまり、その白羽の矢が立ったのが次子であるピエールなのだ。
とはいえ、北方での建国前にユグノー公爵が亡くなる可能性だって皆無ではないのだ。そしてその場合、地盤は変わらずベルトラム王国のままである。なので、ベルトラムの地盤を継ぐ者を残していく必要もあるのだ。必然、そちらに白羽の矢が立ったのがスティアードである。
「しかし、前述の通り、スティアードは出来が悪い。こちらに残していく財産や財貨を食い潰しかねないのだ。まあ、それはそれで愚息の選択ではあるのだが、それに巻き込まれる者が哀れだ」
ユグノーは公爵なので抱えている者もそれなりに多いのだ。そして公爵家ともなれば、使用人や執事も貴族の出の者が多い。まあ大抵は三男三女以降だが、それらの繋がりからユグノーを支持する者も少なからずいるのである。
「承知しました。どこまで出来るかは分かりませんが、可能な限り力になりましょう」
当然、それらの事情はロダン侯爵も知っている。スティアードに見切りを付ける者が続出すれば、ユグノー派の負担に直結してしまう。それを防ぐのは、引き続きユグノーの支援を宣言したロダン侯爵にとっても益があるのだ。
ユグノー公爵のためでも、スティアードのためでもない。最終的には自分の利益のために、ロダン侯爵はユグノー公爵の頼みを引き受けたのであった。