端的に言うと、エステルの話は一行にとってあまり喜ばしいものではなかった。
「そうですか、プロキシア帝国が攻め込んできたと……」
そう呟くユグノーの力は弱い。
ベルトラム王国からの離反を決意したはいいものの、現状はまだベルトラム王国に籍を置いているのがユグノーたちだ。
そして、事プロキシア帝国関連になると、ベルトラム王国に対する周辺の目は途端に厳しいものとなる。
戦争に大敗したベルトラム王国としては仕方のない部分もあるが、ベルトラム王国とプロキシア帝国との講和は、あくまでも両国間で結ばれたものであり、別方面でプロキシア帝国に対峙していたガルアーク王国を蔑ろにしたものだったのだ。
これにより、ガルアーク王国はプロキシア帝国との戦いに関し、同盟国であるベルトラム王国の助力をもらえないという状態に陥っている。
直接的な援護を受けることは出来なくとも、相手に多方面の戦線を抱えさせるということ自体が、互いに非常に大きな援護になっていたのは否めない。それが、一転してこの状況である。正直、これでは何のための同盟なのか分かったものではない。ガルアーク王国にしてみれば憤懣やるかたない事態である。
かと言って、これに怒ってベルトラム王国との同盟を切れば、ベルトラム王国もガルアーク王国に攻め込んできかねない。ただでさえプロキシア帝国からの圧力が増したところにベルトラム王国からまで攻め込まれれば、さしものガルアーク王国も耐えきれるかは分からない。
その恐れがある故に、ガルアーク王国は怒りを抑え込んでベルトラム王国との同盟を続けているし、件の講和を取り纏めたアルボーに敵対するユグノーを友好的に見ている面があるのは否めなかった。
「はい。面と向かってこのようなことを言うのはどうかとも思いますが、今回のプロキシア帝国からの侵攻を受けて、我が国内ではベルトラム王国を敵視している者が少なくはありません。無論、未だ表沙汰にしているわけではありませんので、あくまでも限られた者にはなりますが……」
「言いにくいことを口にさせてしまって申し訳ございません、殿下。我々はかの講和を取り纏めたアルボー公爵の政敵ではございますが、その一方で同じベルトラム貴族でございます。詳しい事情を知らぬ者にとっては、後者の方こそ重要視されましょう。この状況で我々が王城に顔を出せばどうなるか、正直に言えば分かったものではございません。両国にとって好ましくない事態を想定すれば、我々を港に留めたのは英断と言えましょう」
どこか申し訳なさそうに告げるエステルに対し、ユグノーは頭を下げた。
ベルトラム王国とプロキシア帝国間で講和が結ばれたため、プロキシア帝国がベルトラム王国に宛てていた戦力を他に割り振ることが出来るようになったのは紛れもない事実である。実際、その一端はガルアーク王国に向けられている。
また、講和の締結からそこそこの時間が経ったのも事実であり、プロキシア帝国の戦力の全てとは言わずとも一部の疲労は十分に癒えた筈だ。つまりはそれだけ余裕が生まれたということであり、だからこそ今回の侵攻に繋がったという見方は不可能ではない。
何せ、ルビア王国は今以てプロキシア帝国と敵対しているガルアーク王国の同盟国なのだ。それだけで攻められる理由になる。
だが、理由はそれだけではないだろう。ガルアーク王国は勇者保護の発表と合わせ、勇者をお披露目するための夜会の開催を宣言した。招待されるのはあくまでも同盟国か、同盟を結んでいなくとも敵対はしていない国に限られるが、その情報を得るだけならば敵対国でも十分に可能だ。特にプロキシア帝国の場合、アルボー派から容易に情報を得ることが叶うだろう。
ベルトラム王国とプロキシア帝国間での講和を機にプロキシア帝国から向けられる圧力が増したガルアーク王国は、ここ最近までルビア王国に目を向ける余裕が失われてしまった。攻め滅ぼされたというのなら流石に気付くだろうが、そうでないなら――急襲により不平等条約が結ばれたといった程度なら、果たして気付くことが出来たかは怪しいものがある。おそらく、今回のプロキシア帝国の侵攻はそれを見越してのものだ。
これが成功した場合、ガルアーク王国は知らぬ内に獅子身中の虫を抱え込むことになっていただろう。
その点で言えば、未だ最悪の状況には陥っていないという見方もできる。
その一方で頭が痛いのは、ユグノーらとガルアーク王国の共同でルビア王国に協力を要請した直後に事が起こったという点だ。それによってルビア王国の人手が割かれたのは間違いなく、その隙を突かれたという見方もできる。それもあり、尚更にベルトラム王国を敵視する者がいるのだろう。
「はっきりと状況を申せば、王城では降伏勢力の方が強いです。元々の敵対国であるヴィルキス王国方面に関しては普段から備えをしっかりとしていましたが、それ以外に対しては申し訳程度の備えしかしていませんでした。正確には、したくても国力的に出来なかったと言う方が正しいのでしょうが、そんな備えの薄い場所に大国であるプロキシア帝国が戦力を向けてきたものですから、多くの者はその時点で腰が引けてしまったのです。多少なりと状況を良くするべく姉様――我が国の第一王女であるシルヴィが一軍を率いて向かいましたが、勝ち目は無いに等しいでしょう」
顔色を青くしながらも毅然とした表情でエステルは語る。もはやルビア王国は敗戦を受け入れている。そのことが否応なく分かった。
そして話を聞きそのことが分かったところで、ユグノーらに出来ることはない。ユグノーたちが連れている護衛戦力は少なく、未だベルトラム王国に籍を置いている以上、ここでプロキシア帝国に刃を向ければ講和に違反することになってしまう。アルボーの顔を潰すにはもってこいだが、同時にユグノーの顔も潰れるし、ベルトラム王国の先行きも短くなるのが目に見えている。プロキシア帝国以外に得のない選択だ。
「王女殿下、厳密には未だ勝敗は定まっていないということでよろしいですか?」
そこで、黙って話を聞いていたイオリが口を挿んだ。
「……ええ、はい。あくまでも厳密には、ですが。それでも、我が方の敗色は濃厚です」
「帝国が攻め込んできたという詳しい場所を窺ってもよろしいですか?」
「……行ってくれるのかね?」
「この状況では行くしかないでしょう。ガルアーク王国が落ち着いてくれないとこちらとしても困りますし、そのためには北方にも落ち着いてもらう必要がある。そして北方を落ち着かせるためにも、現時点でこの国が落とされるのは困りますし、帝国が幅を利かせるのも好ましくはない。無用な人死にを望むわけではないですが、戦争ともなれば仕方のないことでもあります。今回はそちらの護衛として同行していますが、エクスクロス教導傭兵団を雇っているのはあくまでもガルアーク王国でありヘキサグラム精霊国ですからね。依頼の遂行にかまける余り雇い主が危地に陥っては意味がありませんし、講和とはとは直接の関わりがない立ち位置だからこそこちらも動くことが出来ます」
肩をすくめてイオリは言った。まあ、あくまでもエステルに理解させるための名分である。
「では、私も同行させていただきましょう。現在、ガルアーク王国でプロキシア帝国との国境を固めているのはパスカル様――リーゼロッテ様の次兄に該当するお方です。ここでプロキシア帝国の力を削ぐことは、そちらの助けにも繋がりますから」
なんら気負いなくそう言ったのはアリアだった。セリフと恰好がかけ離れているが、その実力は本物だ。
「では、私も。ここでこの国に恩を売っておき、同胞を救うための一助と致しましょう。人を殺した経験はありませんが、足を引っ張らないだけの実力はあると自負しますよ」
続けたのはサラである。実際、そう言えるだけの実力をサラは持っている。
「サラさんも同行されるのなら、偽装は施しておいた方が良いと思いますよ。この国に恩を売ることはできるかもしれませんが、間違いなくプロキシア帝国からは恨みを買いますので」
「それもそうですね。プロキシア帝国にも同胞がいないとは限りませんし、正体を隠しておくに越したことはありませんか」
忠告を受けたサラは魔道具を起動して正体を偽装する。
「……驚きました。このような魔道具があるのですね」
銀狼種の少女が、次の瞬間には人間と遜色ない見た目になっているのだから、驚いたのはエステルである。
「エステル王女。彼は単独で大型のブラックワイバーンを討伐した実績があります。それもかなりの余裕を保ったまま。残りの二人も、片方は侍女の恰好こそしていますが以前は凄腕の冒険者だったとのことですし、もう片方も普段は魔物の犇めく未開地に居を構えています。諦めるには早いかと思われます」
そんなエステルに、ユグノーが三人の補足を入れる。
「……お願いできますか?」
「流石に確約はできませんが。俺たちが着いた時点で終わっていたらどうにもなりませんのでね」
そこで口を閉ざしたイオリだが、それはつまり、終わっていなければどうとでも出来るという自信を表していた。
「では、これを持っていってください。身分の証明になりましょう。流石に一筆書いている余裕はありませんので……」
冗談めかして言いながら、エステルがイオリに渡したのは一振りの短剣だった。柄にルビア王家の紋章とエステルの名が刻まれている。
「ありがたく。では、プロキシア帝国が攻め込んできた場所を伺ってもよろしいですか?」
「すみませんが、私はその間に他の者たちに指示を出させていただきます」
イオリとサラがエステルから詳しい情報を聞く一方で、アリアはリッカ商会のスタッフに指示を下すのであった。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
「いやはや、驚きました。この距離をこれほどまでに早く走破できるとは……」
そう零したのはアリアである。
ルビア王国の王都を出発したイオリ、アリア、サラの三人は、サラの契約精霊であるヘルに乗って移動してきたのである。ヘルは人型精霊でこそないものの、明確な意思を持つ中級精霊だ。その姿は銀狼を模しており、大きさは全長で数メートルにも及ぶ。移動速度は人間や馬車など比較にならず、アリアが驚いたのもそれ故だ。
まあ出立時刻が時刻であったため、流石に夜半を迎えていた。もっとも、夜だからこそ状況も落ち着いているみたいではあったが。
「取り敢えずはルビア王国の陣地に向かおう。状況次第では乱入も已むを得なかったが、話を通すだけの余裕はありそうだからな」
「それがよろしいかと。まあ、こちらはたったの三人なので、胡乱な目で見られることに間違いないでしょうが……」
「それは仕方がないでしょうね」
などという会話を交わしながら、三人はルビア王国の陣地へと歩を進める。
「何だお前たちは!?」
「俺はエクスクロス教導傭兵団のアイオライト、こちらは同団員のアイス。そしてガルアーク王国はクレティア公爵家に仕える戦闘メイドのアリア嬢だ。此度、ガルアーク王国からの依頼を受けてフローラ王女一行の護衛としてこの国を訪れたんだが、エステル王女殿下よりプロキシア帝国が攻めてきたことを聞いてな。数は少ないながら、エステル王女殿下の要請もあり援護しに来たわけだ」
当然ながら誰何の声を向けられたが、イオリは気負うことなく説明してエステルに渡された短剣を見せる。……なお、アイスとはサラの偽名である。名前の由来は氷晶=アイスクリスタルだ。氷の精霊術を行使するサラを指し示す名としては、妥当である一方で余りに安直だった。
「援護って、たった三人なのに……?」
「だが、これは間違いなくエステル王女の短剣だぞ」
兵士の中に困惑が広がるが、権力には勝てないということか。それほど間を置くことなくイオリたちはシルヴィの元へと案内された。
まあ、当然の如くシルヴィからも誰何されるが、イオリの返す答えは同じである。
「確かに、ベルトラム王国とガルアーク王国から人が寄越されるとは聞いていたが……。いや、それはいい。エステルの要請があったとはいえ、この危地に足を運んだ以上、自信があると受け取っても構わないな?」
シルヴィもまた困惑を隠しきれてはいなかったが、すぐさま首を横に振って思考を切り替えたようだった。その問いにイオリは頷きで応える。
「とはいえ、正味な話、我らは押されている。私と我が親衛隊は何とか拮抗できているが、それ以外は如何ともしがたい。真綿で首を絞められるが如く、ゆっくりと戦力をすり潰されている。怪我人も多く、治療も追いついていないのが実情だ。既に敗色は濃厚で、士気も低い。実際に敗北していないのは向こうが本腰を入れていないからに他ならない。何せ数の差が途轍もないからな」
表情を歪めてシルヴィは言う。
「……なるほど。そういうことであれば、まだ勝機はありそうだ。向こうにはあなた方を滅ぼすつもりは毛頭なく、望んでいるのはあくまでもあなた方の降伏だろう。可能な限り、あなた方の戦力を維持しておきたいのさ」
「なに? 一体なぜそんな回りくどいことを――いや、そうか。そういうことか。向こうが望んでいるのは、我らがガルアーク王国への埋伏の毒となることか!」
「エステル殿下から話を聞いたとき、俺たちの中で真っ先に挙がった危惧がそれだった。ベルトラム王国が同盟国であるガルアーク王国に対する配慮を欠いた講和をプロキシア帝国と結んだことをきっかけに、プロキシア帝国が国境に向ける圧力が強まったのは否めない。必然、ガルアーク王国の視線は国境に集中するし、その分だけ北方に対する注意も低くなる。プロキシア帝国は大国の利を活かし、見事にその隙を突いてきたという寸法だ。不幸中の幸いだったのは、理由があったとはいえ、こちらもまた北方に対する注意を深めていた状況で事が起こったという点だな。結果、かろうじてではあるが状況をひっくり返すことが可能となっている」
「……本当に可能なのか?」
シルヴィは隠すことなく怪訝な眼差しをイオリに向ける。
「疑いは尤もだが、結果を以て証明させてもらうさ。王女方には一騎当千というものをお見せしよう」
自信も露わに、イオリは強気な笑みを浮かべて宣った。イメージするのは、かつての仲間の一人である。仮面を被った彼の人物の振る舞いは多分に演技がかっていたが、それがこちらの希望を引き出したのは事実であり、大言を吐くに相応しい指揮能力も有していた。なお、彼の人物の得意技として『足場崩し』が挙げられる。方法がどうあれ、物理的に足場を崩して大軍を屠ることに起因している。
戦後、新たな魔従教団でイオリは実働部隊を率いる法師の座に就いた。その際には指揮官の振る舞い方として大いに参考させてもらった次第である。過信は禁物だが、自信のない上司に配下が付いてこないのも事実なのだ。
「好きにしろ。どの道、現状では我らに打てる手など無いに等しいからな。精々期待させてもらうとしよう」
「期待を裏切らないことを約束しよう」
やはり強気に、イオリはシルヴィに言葉を返すのだった。
原作だとリオが美春たちを保護してからセリアの結婚式が行われるまでに、少なくとも二ヶ月以上の時間が経過しているんですよね。
そこからまた時間が経って、少なくとも夜会の時点ではプロキシア帝国とルビア王国間で密約が結ばれている。……のですが、レンジが冒険者として名を売り始めてシルヴィに王城へ招かれた時点では、まだエステルは人質になっていないしその気配もないという。
密約に至るきっかけは何だったのかと考えると、国力差を活かした脅ししか思い浮かびませんでした。それも、より危機感を高めるための武力行使です。
ルビア王国は小国ですし、ましてヴィルキス王国という敵対国があるんですから、国防も偏りがあって然りだと思います。直接な効果のほどはともかく、ガルアーク王国という同盟国もありますし。
結果、実情的な問題と精神的な油断を突かれたが故に密約に至ったのかな……と。