イオリたちがルビア王国に来てから早くも一月以上の時間が流れた。
プロキシア帝国からの侵攻を跳ね返し、そればかりか見事な逆撃を食らわせたルビア王国は、この間に幾らかの領地を奪取することに成功する。
この頃になると、ガルアーク王国による勇者お披露目の夜会が迫っていた。まだ時間的な余裕はあるが、諸々の準備を含めるとそうとも言い切れない。
それもあり、両国による停戦交渉は漸く締結されることとなった。
なお、交渉場所として選ばれたのは双方の間に挟まれた小国の一つである。どちらとも同盟を結んでいないが故の完全な中立。それが交渉場所として選ばれた理由であった。
実のところ交渉自体はもっと早くから行われていたのだが、言っても大国であるプロキシア帝国と小国であるルビア王国だ。侵攻の敗戦は痛くとも、それでもまだかなりの国力差が存在する。むしろ自分たちの方から仕掛けた戦で負けたからこそか、余計に強気な態度でプロキシア帝国は交渉に臨んできたのだ。
プロキシア帝国の提示する条件はどちらが勝者か分かったものではなく、それもあってルビア王国は納得がいくまで突っぱねていたのだ。たとえ局地戦であろうと、勝利したのはルビア王国であるからこそ可能なことだ。
そうして交渉が揉めている間に、ルビア王国は着々とプロキシア帝国、乃至は同盟国という名の属国を次々と侵略していったのだ。停戦交渉中ではあるが、締結されたわけではない。ましてプロキシア帝国は国力差を笠に着て強気な態度を崩さない。そうなるとルビア王国としてはどうにかそれを崩すしかなく、その手段として選ばれたのが少数精鋭での逆侵攻だった。侵攻先については『落とすだけの価値があるか』よりも、『どれだけ落としやすいか』が考慮された。
無論、プロキシア帝国も手を拱いていたわけではない。侵攻戦での大敗を教訓に、こちらもまた少数精鋭で打って出た。すぐに大軍を動員するだけの余裕がなかったという見方もできるが、真偽のほどは不明である。
だが結局、それもまたルビア王国に花を飾るだけの結果となってしまったのだ。この時点でプロキシア帝国が先の侵攻戦について得られている情報は酷く限定的だった。そのことも一因だろう。悉くがイオリに、アリアに、そしてサラに一蹴されることとなったのである。
ルビア王国の侵略軍は少数故に神出鬼没。今日は東に明日は西とばかりに、自国属国問わず、短期間で各所にルビア王国の旗が立っていった。そうなると、プロキシア帝国も強気な交渉を続けてはいられない。広い目で見れば未だ余裕があるのは確かだが、ダメージが蓄積されていることに違いはないのだ。
ルビア王国にとっては夜会という時間制限。プロキシア帝国にとっては風評と合わせての実損以上のダメージ。双方の事情と思惑が噛み合った末の締結であった。
交渉の落としどころだが、結論から言えばプロキシア帝国が折れた形になる。折れざるを得なかった、と言う方が正しいだろう。
奪われた領地はそのままルビア王国のものとなり、戦を仕掛けた側であるプロキシア帝国からルビア王国への賠償金の支払い。お互いの同盟国も対象にした上での一定期間の交戦禁止。そして捕虜の返還。それが主に結ばれた停戦条件だ。
なお、捕虜の返還に際し、ルビア王国は条件を付けた。プロキシア帝国内に亜人族の奴隷がいるのならば、それと捕虜を交換することも認めたのだ。また、たとえ奴隷でなくとも在住する亜人族が納得した上でならば、その者も交換の対象にすると。そして、状態が良ければそれだけ引き受ける亜人族の価値を引き上げると。
これはルビア王国からサラに対する配慮であったが、プロキシア帝国にとってもありがたい申し出だった。
格の高い者ほど、身代金が跳ね上がるのは道理だ。特に今回は、自国の将帥のみならず同盟国の主要人物も軒並み戦死するか捕虜になっている。
自発的に参戦した上での戦死ならばともかく、こちらから要請した上での戦死だ。プロキシア帝国としては慶弔金を支払わないわけにはいかない。
それにルビア王国に対する賠償金と捕虜返還の身代金まで支払わなければならないのだから、ハッキリ言って尋常ではない出費である。
自国内の亜人族を引き渡すことで、少なくとも身代金を大幅に引き下げることが可能になるとあらば、プロキシア帝国が吞まない道理はなかったのだ。
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さて。その間、フローラたちとて何もしていなかったわけではない。
訪問当初は状況が状況だったこともあり静観しているくらいしか出来なかったが、防衛線の勝敗結果と共に捕虜輸送のための人員要請が届けられ、ダメ押しとして実際に捕虜が送られてくれば、漸く勝利の実感を伴うに至り、滞っていた諸々が再び動き出すのが道理だ。
すなわち、北方に召喚された勇者と、リオの仇であるルシウスについての情報収集である。無論、合間を縫ってドグマの修練も欠かさない。
うちの一つである勇者についてだが、早々に情報を得ることが出来た。何故ならば、ルビア王国が既に情報を得ていたからである。
「北方に立ち上った白い柱と黄色い柱。うち、白い柱が上がったのは、十中八九我がルビア王国と対峙しているヴィルキス王国に違いありませんでしょう。都合よく、ヴィルキス王国には聖地と謳われている泉が存在致しますので、おそらくはそこに召喚されたものと思われます。商人の話によると、件の泉が干上がったとか破壊されたとかの噂もあるみたいですので……。まあ、敵地ということもあって、何故にそこが聖地と謳われているのかまでは分かっていなかったのですが……」
もっとも、ルビア王国が知るのは片方に関してのみであり、それとて勇者の現在地を知っているわけではなかったが。
なお、プロキシア帝国軍を撃退したこともあり、フローラらへの悪感情はルビア王国から消え去った。むしろ、一転して感謝の念が広がっている。そのため、訪問当初とは異なり正式に国賓として遇されていた。
このタイミングでフローラたちが訪れていなければ、その護衛としてイオリたちが同行していなければ、どう足掻いてもプロキシア帝国軍を返り討ちにすることなど不可能だとルビア王国も分かっているからだ。現金と言えばそれまでだが、人間とはそんな生き物である。
「聖地と謳われていた泉が干上がった、乃至は破壊された……ですか。可能性は高いですね」
本来はそこに祀られている聖石こそが聖地としての所以であった筈なのに、時代の中で肝心の部分が伝えられず、泉そのものが聖地として伝えられてしまったパターンだろう。そして、そこに勇者が召喚された衝撃で泉の水が干上がるなり泉が破壊されるなりした。
エステルの話を聞く限りでは、そう考えるのが妥当だった。
「にしてもよ、ガルアークやベルトラムは俺たち勇者の召喚に関して既に発表しているんだろ? 聖石から柱が昇ったとか、聖石が勇者を召喚したとか、そういう部分に関しては発表していないのか?」
「本国やセントステラは分かりませんが、我々とガルアーク王国はそこに関しても発表しております。聖石を所持していたという点が、自分たちの元に勇者が召喚されたという正当性を後押しする要因になるのは間違いありませんので。我々が持つヒロアキ様を召喚した聖石は元々ベルトラム王国が所持していたものでしたが、王女であるフローラ様には持ち出す権利がございます。書類上の手続きもきちんと行った上で持ち出しておりますので、何ら問題はございません」
弘明の質問に、ユグノーは粛々と答える。
「我が国はガルアーク王国との同盟国ということもあるでしょうが、そこら辺の情報は確かに届いております。届くまでのルートは幾つもあるでしょうし、人の口に戸は立てられませんので、程度の差はあれヴィルキス王国も情報は仕入れている筈です。……ですが、だからこそ厄介でもあります。事ここに至り、何の表明もしていないからこそ、彼の国の思惑が読めません」
「ふぅん。ってことは、そのヴィルキス王国とやらが勇者に関する発表をしないのは、何か後ろめたいものを持っているからっていう可能性もあるな。現場判断か、それとも上からきちんと指示を受けた上での行動だったのかは分からんが、召喚された勇者のことを『聖なる泉を破壊した人物』とでも扱ってしまった。そこで殺してしまったか、或いは逃げられたかまでは不明だが、ある程度時間が経った頃合いに大国から勇者に関する発表が行われた。そこで漸く事態の重さに気付いたが、人伝の話故に確証はない。また、事実だとしたら今度はその重さに耐えられない。結果、ヴィルキス王国はだんまりを決め込んでいる。……どうだ? 一つの可能性としては十分にありだと思うが?」
かく言う弘明だが、その実ほかの勇者に関してそこまで気に掛けているわけではなかった。
美女や美少女にチヤホヤされるのが好きな弘明だが、それはあくまでこの世界に住人に限った話だ。異世界に来てまで日本人をヒロインにする気はない、というのが弘明の自論である。また、イケメン嫌いを公言して憚らない。
一言で言えば、人間が小さく、それが非常に分かりやすく、それでいて無駄に権威を持っているのが坂田弘明という人物だった。
その一方、物の好き嫌いで力の入れ具合がハッキリと分かれてしまうタイプの人間でもある。
日本にいた頃は投稿サイトに小説を投稿していたが、それはつまり、色々と物事を考えるのは嫌いではなく、投稿を続けるだけの根気を持っているということでもある。
また、嫌いであり面倒であっても、必要と認めれば力を入れることを辞さない面もある。元々の知人ということも大きいだろうが、イオリやアマリに次々と苦言を呈されれば、浮かれ気分もある程度は払拭され、その分だけ冷静さを取り戻して道理。自分が体のいい神輿扱いであることを、否応なく認めざるを得なかった。
そして坂田弘明という人物は、自覚した上での傀儡扱いは許容するが、自覚していない状態での傀儡扱いは許容できないという面倒な性格をしている。
だが、それを判断するためにはそもそもの判断材料が必要で、しかし如何に材料があっても適切に処方できるかは本人の能力が絡んでくる。
そして弘明は、決定的なまでに処方するための能力が不足しているのが実情だった。常識も何もかもが異なる異世界に召喚されて、勇者ということで過剰に持ち上げられる扱いに気を良くしていたのだから、それも当然である。
結果、ここ最近は身体を動かしたり勉学に励む場面が散見されている。
「十分にあり得る可能性かと思われます。仮にその推測が真実だったとすれば、六賢神の信徒としてあるまじき行いです。たちまちのうちにヴィルキス王国の王権は崩れ去りましょう。声を上げるのが我々であればヴィルキス王国も敵国の戯言として扱いましょうが、他ならぬ勇者様が声を上げれば話は別です。まあ、だからこそさっさと過ちを犯していたと正式に発表するべきなのですが……」
弘明の仮説をエステルは強く支持した。言葉通り、上手く運べば長年の相手が崩れるからだ。六賢神の使徒たる勇者に否定されるというのは、六賢神の信徒たることを王権の根拠に掲げる国にとってそれだけの重みを持つ。
その一方、そんな国と敵対していたルビア王国の株がグンと上がることも意味している。プロキシアを撃退したことも合わせれば尚更だ。
しかし、だからこそヴィルキス王国が何の発表もしないことについて解せない部分があるのも事実だった。間違いなく株は落ちるだろうが、人に指摘される前に自分で発表することで、それもある程度は抑えられる。国の存続を願うなら、さっさと自国の過ちを発表して勇者に謝罪し、王位の交代なりをするべきなのだ。そうすることで愚行の責任を限定化するのが、国王としての務めだろう。
まあ、事が勇者に関することなので、それで確実に国が残る保証はないが、残る可能性が生まれるのも事実である。勇者に指摘されてしまえば王権の崩壊は間違いないのだから。
その程度のこと、ヴィルキス王国も分からない筈はない。
「まあ、それが理屈なんだろうが、理屈も一つだけじゃねえのが世の常だ。……突然に事情も分からぬままに勇者として召喚された俺だが、それでも勇者として持ち上げられることに気を良くした。元の世界じゃあしがない一般庶民だったことや、何より俺自身の性質もあるんだろうがな。つっても、それは何も俺に限ったことじゃねえとも思っている。褒められりゃあ嬉しいのは人間の本能だ。……何が言いたいのかと言えば、特権ってのは人間を狂わせるってことだ。特権を当然の如く享受していた奴なら、大半はそれが失われることに耐えられねえだろうし、縁遠かった奴がいきなり特権を得てしまえば、それに溺れちまっても無理はねえ。あ、これは決して自己弁護じゃねえぞ! あくまでも一般論としての話だからな!」
朗々と語っていた弘明だったが、その内容が自己弁護として捉えられると思ったのか、両手を前に出してブンブンと振った。
「ヴィルキス王国とやらの王が玉座から降りることを嫌がっている可能性もあれば、後継者が頼りねえ可能性だってあるし、悲観的になるあまりに行動力を失っちまった可能性だってある。無論、これ以外にも可能性はあるだろうし、どれが理由であってもおかしくはねえのが現実だろ」
「確かにそうですが……」
「だろ? んなわけだから、俺はそのうちにヴィルキス王国に行こうと思ってる。実際にその泉とやらに行って、付近の村の住民から話を聞いて、国王と顔を会わせて、その上で諸々の判断をしようと思う。本来ならヴィルキス王国に召喚された勇者がやるべきなんだろうが、どこにいるかも分からねえのが現実だからな。その一方で、俺らの掲げた名分が名分だから、勇者として行動してみせなきゃいけねえのも事実だしな。……正直、今から気分が重くなってくるぜ」
場合によっては、自分の判断で一つの国を解体することになるのだ。その影響はとても大きいだろう。しがないパンピーだった自分には何とも重すぎる。
だがまあ、勇者としての特権を享受することを選んだのは自分だし、そのために必要な勇者の行いだというのであれば逃げ出すわけにはいかない。逃げ出してしまえば、特権を享受することも出来なくなってしまうのだから。
その考えが、散々とイオリやアマリに苦言を呈されたことによって育まれた責任感の表れだと、ついぞ本人は自覚していなかった。