「来てたのか……。久しぶりだな」
リオと顔を会わせたイオリの、それが第一声だった。
しかし、その声には張りがない。表情もまた同様で、疲れ切っていることが一目で分かる。今にも倒れてしまいそうだ。
そしてそれは、何もイオリに限ったことではなかった。サラも、アリアも、そしてリオの知らない人物だがシルヴィも、皆が一様に疲れ切っている。
ただ気力だけで立っている。そのことが一目で分かった。
簡単な事情しか聞いていないリオだが、その有様に理解を示すことは出来た。
プロキシア帝国による侵攻を跳ね返してからこっち、停戦交渉を有利に運ぶため、イオリたちはひたすらに逆撃を仕掛けていたのだ。
今日は東へ明日は西へと、落としやすい場所を優先して短期間であちらこちらへと動き回り、都度に成果を上げていた。
もっとも、それがイオリたちを動かし続けた面があるのは否定できないだろう。テンションが上がった結果、疲労感を無視させていたのだ。
しかし、自覚の有無はどうあれ疲労は着実に積み重なっている。いずれ限界を迎えるのは間違いないし、誰かが倒れてもおかしくはなかった。
今回はそうなる前に交渉が締結したからルビア王国へと戻ってきたが、それは同時に気を抜ける状況に身を置いたことを意味している。それを自覚したが故に、これまで無視していた疲労感が押し寄せてきたのだろう。
「皆様大変お疲れのようですので、まずは身体を休ませてくださいな。互いの情報交換は疲れが癒えてからにいたしましょう」
「すまない、エステル。今はその言葉に甘えさせてもらう」
イオリたちは幽鬼の如き足取りでその場を後にした。
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近況報告が行われたのは、それから三日目だった。二日間をほぼ丸々休息に宛てただけあって、イオリたちも相応の活力を取り戻していた。
「さて。先日はろくな挨拶もせずに失礼した。ルビア王国第一王女、シルヴィ・ルビアだ。……フローラ王女はお久しぶりです」
「お久しぶりです、シルヴィ王女」
フローラの属するベルトラム王国とシルヴィの属するルビア王国に直接的な関係はないが、間にはそれぞれの同盟国という形でガルアーク王国が挟まっている。
王女ともなれば、ガルアーク王国で開催される式典に来賓として招待されることはおかしなことではない。それ故に二人の王女は面識を持っていたのだ。
二人の挨拶を皮切りに、簡単な自己紹介を行っていく。この場で初めて顔を会わせた者もいる以上、それは当然のことだった。
挨拶を行ったあとは近況報告だ。
とはいえ、シルヴィたちが報告することは多くない。どこを落としたか。その程度のものだ。
だがまあ、そうして語られた侵略地域は、期間を鑑みると信じられないくらいに広範囲だった。普通に考えればまず不可能だ。動き回ることくらいは可能かもしれないが、まず実効支配には至らない。――にも拘らず、それをやってのけたのだ。
「その要因が、多分にアイオライト卿による脅しと、フローラ王女が率いて来られたユグノー派の協力あってこそというのが、こちらとしては恥ずべきことだがな」
「それを言うのであれば、こちらは建国をするに当たり、まず取っ掛かりを掴むところから始めねばならないのが本当でしたからな。プロキシアに対する逆撃に対し、イオリ君たちは元より、我が派閥をも連れていって下さった貴国の判断あってのことです」
「大国たることを笠に着たプロキシア交渉官の舐め腐った態度に腹が立ったことは事実だが、その一方で我らだけでは向こうの提示した条件を呑むより他になかっただろう。そちらの協力がなければ、そもそも逆撃という選択肢自体が上がらなかったのだ」
今回のプロキシア帝国に対する逆撃は、諸々の思惑が複雑に絡み合い、その利害が重なったから行えたことでもある。
それをこうして改めて確認しているのは、今回侵略した領土の、どこをルビア王国の取り分とし、どこをフローラ一行に割譲するかに密接に関わってくるためだ。
如何に勇者を前面に掲げたとしても、それだけで国が落とせるわけではないし、落とせたところで周りが素直にその行為を認める筈がない。だからこそ、ある程度の名分は必要になる。
本来、フローラ一行はその取っ掛かりを掴むところから始めねばならなかったのだ。そうなると、建国までどれだけ時間が掛かるか分かったものではない。しかし、それ以外に方法がないのが実情だったのだ。
そこに、プロキシア帝国による侵攻が絡んだ。
その迎撃に協力するまでであれば、北方を訪れたフローラ一行の護衛として、その同盟国であるガルアーク王国に雇われたエクスクロス教導傭兵団の一員であるイオリが参加するのは分からないではない。
だが普通に考えて、その後の逆撃にまで協力するのは、本来なら余分なのだ。優先すべき護衛という仕事を逸脱していると言える。
しかし、迎撃戦後のプロキシア帝国が提示してきた停戦条件が、イオリたちの協力を可能にしたのだ。
プロキシアを撃退して、当座の危機を取り払って、さあ本題だ! とはならなかったのは、プロキシアの提示してきた条件故だ。
一時の敗北を認めて素直に退けば、本来ならそこで終わった話だったのだ。しかし、プロキシアは大国であることを笠に着て、素直に敗北を認めなかった。むしろ、逆に脅してきた。どちらが勝者か分からない条件を呑まないのであれば、今度は先とは比較にならない戦力を以て押し寄せるぞ……と。
それは単なる脅しかもしれないが、そんな状態ではいつまで経ってもフローラ一行がルビア王国の協力を得ることなど叶いそうにない。
である以上、そのことにフローラを支持する勇者弘明が腹を立てたとしてもおかしなことではなく、だからこそ護衛に対し、『おう、ちょっくらプロキシアをいてこましてこいや!』となったとしても不思議はないのだ。
普段は弘明を雑に扱っているイオリだが、それでも弘明は勇者なのだ。時と場合によって、その言葉は値千金の価値を持つ。イオリが本来の仕事を擲ってルビア王国の逆撃に協力したとしてもおかしくはないほどの効力を持つのである。
平たく言えば、そういう筋書きで押し通すことにしたのだ。
そしてそういう筋書きだから、ルビア王国が感謝の証としてフローラ一行に領地を割譲してもおかしくはないのである。
「それはさて置き。詳しい分配に関しては後で決めるとして、旧リヴァノフ王国に関しては我が国でもらい受ける。……よろしいな?」
「ええ。エリカ様の希望と伺っております。我らの擁立する勇者であるヒロアキ様が彼の地に対して特に興味を示しておられない以上、同じ勇者であるエリカ様の意思は尊重いたしますとも」
シルヴィが不在でも、国王もいればエステル王女もいたし、勇者であるエリカもいた。つまり、叩き台を決めるのに何ら支障はなかったことを意味している。エリカがルビア王国に協力することも、旧リヴァノフ王国がルビア王国の物となることも、事前に決まっていたことなのだ。
もっとも、それ以外の場所に関してはこれからだ。旧領の者たちに配慮する必要もあれば、シルヴィたちの動きは王城にいたエステルたちでも掴むことは出来ておらず、それに加えてプロキシア帝国との交渉次第で変動する部分でもあったため、事前に決めるにも限度があったのだ。旧リヴァノフ王国に関しては、特に旨味もない土地なためプロキシア帝国もわざわざ返還を求めないだろうという予想が的中しただけである。
「次は……白い柱の勇者と目されている人物についてだな。……ふむ。こちらとしては事前の方針通りで問題はない。そちらは如何か?」
「我々も問題はありません。――が、この人物がもし本当に勇者だった場合、これはエリカ様にも言えることですが、ガルアーク王国で行われる夜会に参加していただきたいと思います」
「その言は尤もだと思う。どうせならば、勇者六人揃っていた方が絵になるという点は否定しない。だが難しいのではないか? 仮にこのレンジという冒険者が勇者だったとして、その協力を得られたとして、どの国が担ぐ? どの国に担がせればいい?」
ユグノーの希望は尤もだが、シルヴィの危惧も尤もだった。
掲げる王権的に、どの国も勇者の意向には最大限の配慮を示さなければならない以上、ヘタな国に担がれるわけにはいかないのだ。少なくとも、ルビア王国並びにフローラの建国する新王国と足並みを合わせられる国でなければならない。
大国という点ではプロキシア帝国以外にないのだが、彼の国は紛うことなき敵国であり、こちらと足並みを合わせることなど考えられない。
ではどこに? となると候補が浮かばないのである。
かといって、自分たちで擁立するのも問題がある。複数の勇者を抱えてその意向が相反した場合の対処が難儀だからだ。場合によっては国が割れての内乱真っ逆さまである。
その危惧は決して捨てきれるものではなく、だからこそルビア王国がエリカを掲げることになった部分もある。
「その点について一つ提案があります。パラディア王国に担いでもらうのはいかがでしょうか? 無論、レンジ氏とパラディア王国、双方の意向を確認する必要はありますが……」
「パラディア王国に? ハルトといったか。あの国はプロキシアの同盟国だぞ? そんな提案が通るわけは――」
無い、と言いかけて、シルヴィは口を噤んだ。彼の国の王子であるデュランには、先にプロキシアが急襲してきた際の戦で総大将らを斬り捨てた実績があるのだ。名分に一定の筋は通っていたが、それが本音である保証はない。後付けの理屈である可能性を決して否定できないのだ。
「先日、個人的な希望もあり、エステル王女の協力を経てデュラン王子と話す機会をいただいたのですが、その際に私と彼で一つの契約を結びました」
「契約?」
「はい。まあ契約の内容は伏せさせていただきますが、その際に感じたことは、彼は決して話の分からない人物ではないということです。無論、気を付ける必要はあるでしょうが、ボーダーラインを決めての付き合いならば十分に可能かと思います」
「ふむ……。エステルはどう思った?」
頷いたシルヴィは、妹であるエステルに水を向けた。
「そうですね。デュラン王子は非常に聡明な人物であり、合理的であり、野心家でもあるかと。ですがだからこそ、彼はある種のジレンマに陥っていると見受けられました」
「ジレンマ?」
「はい。自国の安寧を図るために大国の後ろ盾を得る。小国にとっては珍しいことではありません。事実、私たちもガルアーク王国という大国と同盟を結んでいるのですから。パラディアの場合は、それがプロキシアだったというだけの話です。……ですが、安寧を図るだけであれば、たびたび隣国に戦を仕掛ける必要などないのです。基本、戦など国力の消耗を早めるだけなのですから」
「にも拘らずそれを繰り返すのであれば、そこには相応の理由があって然るべきであり、それがデュラン王子の野心であると?」
「それだけとは限りませんが。或いは国王にも共通しているかもしれません。その野心が自国の拡大であるとするならば、戦を繰り返す行為に説明が付くのです」
「なるほど」
シルヴィは頷いた。それであれば、近場の大国などむしろ邪魔なだけだろう。事実、プロキシアの要請によって彼は参陣することになったのだから。
支援は寄越せ。だが、そっちの意向でこちらを振り回すな。それがデュラン王子――パラディアの本音なのだろう。何とも我儘なことだが、それが人間という生き物だと言われたらそこまでだ。
国力差故に普段は抑え付けているその感情を、先の戦では垣間見せた。そう考えることは決して不可能ではない。あのような結果に終わることは、当事者たるシルヴィとて予想できなかったのだから、デュラン王子もそうだったとして不思議はない。
こちらの困惑・混乱も大きかったが、数の多いプロキシアはこちら以上だった。それに付け込んで、僅かなりとプロキシアの弱体化を図った。この考えもまた、一定の筋は通る。
「一考の余地はあるか……」
レンジという冒険者が真に勇者であったとして、彼の討伐依頼の実績のみが右肩上がりなのは、確かに知識の不足もあるだろうが、本人の気質によるものと考えることも不可能ではない。つまり、レンジという冒険者は、理由はともあれ戦いを求めているということだ。
一方のパラディア王国だが、真に自国の拡大を狙っているのであれば、勇者は大きく役立つだろう。自ずと頭を垂れる国も現れるかもしれない。
懸念点はプロキシアの同盟国ということだが、話の持って生き方次第ではどうとでもなるだろうことも否定はできない。勇者の兼ね合いからルビア王国と新王国とは非戦を結ぶなどだ。
これでプロキシアがパラディアとの同盟を解消するのであれば、パラディアは堂々とこちらと同盟を結べばいい。仮にプロキシアがパラディアとの同盟を継続したとしても、自分たちとパラディアに損はない。
「まずは、実際にレンジとやらに会ってからだな」
それが、取り敢えずの結論となった。