「あ゛~、きっつ……」
「うん、正直シンドイ……」
部屋の中、雅人とラティーファがぐったりと疲れ果てていた。正確には、その二名に加えて亜紀、美春、サラ、オーフィア、アルマもだが。
何をしているかと言えば、夜会の際のマナーを学んでいるのである。
ガルアーク王国の新たなる同盟国、精霊国ヘキサグラムの国王としてリオを紹介するのは確定しているのだが、そのお付きとしてサラたちも夜会に参加することになったのだ。
無論、参加は強制ではなかったのだが、『国王ということになっているリオが参加するのに、お付きが一人もいないというのは逆に不自然』と考えたサラたちが参加を表明するのは自然な流れであった。そして、リオに加えて三人娘までもが参加するのを知ったラティーファが参加を表明するのも。
雅人、美春、亜紀は沙月の友人枠での参加だ。
とはいえ、普通に考えて、現代日本の一般的な学生や未開地に逼塞している亜人族に社交界の経験などありはしない。勇者の家族・友人ということである程度のお目こぼしがされるとはいえ、参加する以上は最低限のマナーを覚える必要があった。
しかし、貴族社会の『最低限』など一般庶民にとっては摩訶不思議なことこの上ない。そういった理由から、必死になってマナーを学んでいるのだ。
この点、手厚いフォローが入る勇者たちとは異なっていた。雅人たちにもフォローが入らないわけではないのだが、最優先対象はどうしても勇者になってしまうのは如何ともしがたい。
なお、イオリ、アマリ、アキラらがこの場にいないのは、雅人たちと違って既に講師から合格点をもらっているからだ。イオリとアマリは魔従教団の術士としてアル・ワースで、アキラの方も准教授として社交経験があったため、それが活きた形である。
この場の面子では、特に雅人、亜紀、ラティーファの三人には他よりレベルの高いものが求められている。雅人と亜紀はほぼセントステラの勇者として確定している貴久の弟妹であり、ラティーファもまた義理とはいえ一国の王――ということにさせられた――であるリオの妹だ。
それが意味するところを端的に言えば、リオや貴久の弱点となる。少なくとも、そういう風に見る者がいるかもしれない、という危惧は生まれる。
勇者の弟妹にして友人だである両名から言質を取ることが出来れば、それはもはや確約と同義である。日常的なシュトラール語であればほぼ問題なく使いこなせるようになっており、それだけに注意が必要だ。所謂『言葉のマジック』に引っ掛かりやすいのである。
一方のラティーファはシュトラール地方において迫害される立場にある亜人族だ。如何に国王が関係性の打開に向けて動き始めたとはいえ、それですんなりと納得できる者ばかりなわけがない。不快感を覚える者は必ずいるだろう。覚えるだけならまだしも、それを示してくる者だっている筈だ。
もっとも、度合いが弱まるだけで同じことは美春たちにも言えるのだが。
「正直さ、絵本のお姫様に憧れがなかったわけじゃないけど、いざ自分が似たような立場になると困惑とか面倒の方が強いわ。シンデレラはよくもまあ舞踏会に乗り込んだばかりか乗り越えられたもんだわ。ドレスとか馬車とかを用意してもらったところで、それでダンスが出来るようになるわけでも、舞踏会のマナーを身に付けられるわけでもあるまいにさ」
亜紀もまた疲れ切った声音で愚痴りながら肩をすくめた。魔法というファンタジーはこの世界にも存在しているが、それだけで万事が上手くいくわけではないのである。
「まあそれはそれとして、無事に兄貴と再会できたら亜紀姉ちゃんはどうすんだ? 悩んでたようだけど決まったのか?」
「全っ然! むしろ、そう簡単に決まるようなら苦労はないわよ。……そういうアンタはどうなの?」
「それなんだよなあ~。俺としてはこのままドグマを教わり続けたいんだけど、それって俺の我儘でしかないのも分かるわけで……。今すぐに何が返せるってわけでもねえし、兄貴と合流した上でその選択をするのも気が引けるんだよなあ~」
ただでさえこの世界に地盤があるわけではないのだ。今の生活もだいぶ周りに甘えてしまっている。
まあ、それを言えば日本にいた頃からそうではあったのだが、確たる違いとして義務と権利があり、それに縛られると同時に護られていたのは確かだ。そしてこの世界にも義務と権利は存在するが、当然ながら地球にいた頃のそれと同一ではない。雅人らの生活を保障するものなど何一つなく、現在の暮らしは、勇者である沙月の友人であるが故に受けられている恩恵でしかないのだ。
「かと言って、兄貴と再会して兄貴に引き取られたとするじゃん? けど、それで俺に何ができるって話だ。結局は対象が変わるだけで誰かしらに迷惑を掛けることに違いはないわけで、だったら一日でも早く自立できるように継続してドグマを教わるのもありなんじゃないかって思えるんだよ」
それもまた事実だ。どう足掻いたところで、現状の雅人は即戦力になり得ないのだ。
「地球に帰るにしたって、いつ帰れるかも分からないのが現実じゃん。イオリ兄ちゃんたちには帰還の目途があるらしいけど、仮説が正しければ、勇者はこの世界の六大精霊と同化状態にあるってことだし、つまりはそれをどうにかしない限り兄貴や沙月姉ちゃんたちは帰れないってことだろ? けど、素直に地球に帰るって伝えて、勇者を掲げる国がどこまで協力してくれるかって話だ。精々、情報を揃えて推測の裏付けを取るとこまでじゃねえか? フランソワ陛下みたいな考えの方が例外だと思うんだよ」
「まあ、普通に考えればそうでしょうね……」
早い話、各国が勇者を持ち上げるのは、勇者に利用価値があるからだ。利用価値がなくなれば持ち上げる必要性すら無くなってしまう。まあ、当然ながらどのように利用するかは各国で違うだろうし、その点で言えばフランソワは非常に柔軟な考えをしていると言えるが、だからこそ誰しもにフランソワのような柔軟さを求めるのは無理がある。
そして現在の二人はフランソワ以外の王を知らない。会ったことすらない。フローラにシルヴィ、デュランといった王子王女とは面識を持っているが、あくまでも王子王女でしかないのだ。国の最高意思決定者である国王を知らぬからこそ、信じきることなど不可能だった。
一般的な日本の小学・中学生に比べればだいぶ大人びた考え方をするようになってしまったが、雅人も亜紀もそれを疑問には思わない。思うこともない。そうなるに至るだけの環境に身を置き、そうなるに至るだけの時間が経過したことを実感している証明だった。
「しかし、元を糺せばこの世界のことに異界の住人を巻き込んでいることこそがおかしな話でもあります。そこを鑑みると、元いた世界への帰還に協力を示すのがこの世界の住人として通すべき筋でしょう」
「もっとも、これは私たちが六賢神を信奉していないから言えることかもしれませんけどね」
「正直、私たちとしては勇者とかどうでもいいですし。ただ、勇者の持つ神装とやらに六大精霊が封じられている、もしくは神装その物が六大精霊であるという推測を聞かされたからこそ見過ごせないだけで」
雅人と亜紀の会話に参加してきたのは、サラ、オーフィア、アルマの亜人族三人娘だった。
「まあ、それはさて置き。いい機会だから訊いておきたいのですが、ミハルとアキはリオさんと何かあったのですか? いえまあ、私自身、この場の面子だと二人との関係性が一番薄いことは理解していますが、そんな私から見ても首を傾げざるを得ません」
亜人族のうち、サラだけはフローラ一行に同行してルビア王国に向かっていたため、その分だけ美春たちとの交流が薄いのは否定できない。それ故に勘違いという可能性を鑑みて踏み込んだ質問をせずに様子見をしていたのだが、その結果として『勘違いではなさそうだ』という結論に至った。そして、そう結論付けるに至るだけの時間が経過してなお状況に変動が見られなかったため、思い切って踏み込んだのだ。
「あ、サラ姉ちゃんもそう思ってたんだ。俺も不思議には思ってたんだけど、身近過ぎるからこそ踏み込むには怖くってさ……」
と、頭を掻きながらバツの悪そうな表情で雅人が続いた。
質問された美春と亜紀は、それぞれにあ~だのう~だのと呟き、次には顔を見合わせて頷いた。そして『実は――』と口を開いた。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
口を開いたものの、美春と亜紀は上手く説明が出来なかった。
気にはなるものの、未だ感情の整理が追いついていないと言われれば、サラたちとしても無理強いは出来ない。
だが、美春と亜紀としても、今のままではいつまで経っても整理できなさそうだという思いがあるのは事実。結果、沙月とアマリを呼んで説明してもらおうという流れになった。
使用人を介して呼び出されたアマリと沙月は、特に文句を言うでもなく事情を説明してくれた。
リオ、美春、亜紀の関係がぎくしゃくし始めたのはリオたちがシャルロットたちと一緒に精霊の民の里へと赴き、帰ってきてからだという。
里から戻ってきたリオは、美春、亜紀、沙月、アマリ――平たく言えば当時ガルトゥークにいた日本人組だけとの面会時間を取り、自分の秘密を語った。そしてその内容は、特に美春と亜紀には衝撃的な内容だった。
「端的に言えばこういうことなんだけど、ここから先はそれぞれの家庭的事情にも深く踏み込むことになるわ。だから、亜紀ちゃんの弟である雅人君はともかくとして、それ以外の人たちにはただの興味本位だったら聞いてほしくはない。正直に言うと、私自身、聞いてよかったのか分からないと感じてる。それほどに重い事情だと思ってる」
「まあ、沙月さんは美春さんと亜紀ちゃんに比較的近しい立場ですからね。重く捉えてしまうのも無理はないでしょう。その一方で、あくまでも沙月さんは近しいだけで当事者ではありません。私に至っては近しくもなければ当事者でもありませんから、どこまで行っても『事例の一つ』でしかないんですよね。……私と沙月さんが同席を許されたのは、確かに日本人ということもあるんでしょうが、美春さんと亜紀ちゃんに対する寄り添い役とブレーキ役を期待された部分もあると思います」
それらを踏まえた上で、ここから先の事情を聞くかどうかをサラたちは問われたのだ。
「あ、前以て言っておくと、私は既にある程度のことを知っているからお気になさらず。あれこれと違いこそあるものの私とお兄ちゃんは同じ立場なのよ。私がお兄ちゃんに懐いたのはそれが一因でもあるしね」
そこで、黙って話を聞いていたラティーファが割り込んだ。蚊帳の外に置かれるのを忌避してのことである。
「あ~、なるほど納得。いいわ、ラティーファちゃんも参加してちょうだい。……しかしまあ、つまりはこれで三人目か。話を聞いた限りだと、もしかしたらまだいるかもしれないってことだったけど、そこについては考えても仕方ないか……」
それを受け、納得顔で頷いたのは沙月だった。
「沙月さん、三人目ってどういう?」
「ハルト君から話を聞いたあと、二人が悩んでいる間に私も私で動いてたってこと。結果、ハルト君とラティーファちゃんのご同類に行き当たって話を聞いたのよ。ただ、それはあくまでも別問題。美春ちゃん、亜紀ちゃん、ハルト君との問題に直接の関係はないわ」
首を傾げる亜紀に沙月は答えた。
その一方、余計に混乱することになったのが雅人と亜人族三人娘である。
「マサトは何か分かりましたか?」
「いや、肝心要の部分が分からねえからな。――ただ、もしかしたらって思うことはある」
サラの問いに雅人は首を横に振って応え、その上で心当たりがあることを認めた。
「それは?」
「俺たち巻き込まれ組や沙月姉ちゃんたち勇者は、言ってしまえば『異世界転移者』だ。だったら、『異世界転生者』がいたっておかしくはねえんじゃないかって……。俺たちの世界で死んで、その時の記憶や知識なんかを覚えたままこの世界に生まれ変わった……。その可能性を、否定は出来ねえと思う。実際、それっぽい人がいる形跡はあるんだ。まあリーゼロッテさんなんだけど……」
「リーゼロッテさんが……ですか?」
「ああ。あの人を押し上げたものの一つが麵料理のパスタらしいんだけど、俺たちの世界の同盟料理とほとんど一緒なんだよな。そりゃまあ、素材の細かな違いはあるみたいだけど、言っちまえばアレンジの範疇だ。他にもクレティア公爵領に農業革命を引き起こしたとか、今までにない新しい料理のレシピ、様々な娯楽・遊戯も考案しているらしい。……正直、これで疑うなって方が無理があると思わねえ? ただ、あくまでも状況証拠でしかねえんだよな」
「……なるほど。まあ、古い文献などから引用している可能性は捨てきれませんものね。公爵家の令嬢であるならばそれらも手に入れやすいでしょうし……。まあそれが正しいとするなら、リオさんが年齢以上に大人びていることにも納得がいきます」
「今までは『それだけの苦労をしたから』って思ってましたけど、やっぱりそれだけじゃあ納得しきれない部分があるのも事実ですからねえ~」
「そこら辺、どうなんです? ラティーファ」
あちらを立てればこちらが立たず。こちらを立てればあちらが立たず。
考えても答えは出ないため、アルマは答えを知ってそうなラティーファへと問いかけた。実際にラティーファが答えを知っているかは分からなかったが、事情が分からないなりに話を聞いている限りだと、知っている可能性が高いのは否定できない。早い話、カマかけである。
「……うん。まあ、ぶっちゃけその通り。私とお兄ちゃんは異世界転生者。リーゼロッテさんについては断言できない。私自身が確認したことはないから。……向こうで亡くなった時、お兄ちゃんは大学生だったから、たとえ肉体に引きずられる部分があったとしてもギャップは大きいと思う」
『ダイガクセイ?』
学校教育など亜人族にとっては縁遠い話なため、大学生と言われてもサラたちにはピンとこなかった。揃って首を傾げる。
「簡単に言えば、子供たちを集めて勉強を教える教育形態の一種ね。小学、中学、高校、大学といった具合に別れていて、小学と中学が義務教育期間に当たるわ。大人は子供たちに勉強を教える義務があり、子供たちは勉強を学ぶ権利があるのよ。高校からは義務教育を外れるけど、継続して通う人の方が多いわね。……高校以降は入学試験に受からないと通うことが出来ないから断言は出来ないけど、順当に進んだ場合、高校の卒業が十八歳だから、大学生なら二十歳前後ってところね」
「つまり、異世界のこととはいえ色々なことを学んだ二十歳前後の人が、その記憶や知識を保持したままリオさんとして生まれ変わったわけですか……。大人びているわけですね」
「ちなみにラティーファは?」
「私? 私が亡くなったのは小学生の時。死んだ原因はバスの交通事故だったから、死んだタイミングはお兄ちゃんと大差ないと思う。私の覚えている限りだと高校生のお姉さんとか運転手さんとかも乗っていたから、リーゼロッテさんが転生者だったとしてもおかしくはないと思うよ」
あっけらかんと告げるラティーファだったが、他の面々はその言葉ほど暢気には受け止められない。幼い時分に亡くなって、生まれ変わったら奴隷なのである。果たしてそれはどれだけの地獄か。
こんな感じで、異世界転生者の情報が一同に共有されたのであった。
原作ではサラッと流されてましたけど、夜会に参加するならダンス以外にもマナーだったり会話する上での最低限修めておく知識が必要でしょう。
本作ではそこら辺に疎い人物が原作以上に参加しますので、必然的にフォローが行き届かなくなります。