「でもまあ、貴久さんとしても良かったんじゃないですか? 雅人が兄である貴久さんに引き取られることを拒否する理由がハッキリと分かったんですから。つまり、あとは貴久さんの努力次第です」
リオは気楽に言ってのけたが、貴久としてはそう簡単に受け入れられない。いや、言うことには同意なのだが、『じゃあ何をすればいい……?』というのが貴久の心情だった。そしてそれ以上に、『何を偉そうに』という反感もあった。
日本でこれまでに学んだ常識やら道徳やらに反しない部分では、努力するのも協力するのも吝かではない。真実、貴久はそう思っているのだが、如何せんこの世界のそれは日本とかけ離れている部分が多かった。
日本にも剣道はある。学校にもよるだろうが、部活だけでなく授業で触れることだってあるだろう。だから、剣術そのものを否定する気はない。
しかし、この世界における剣術修練は、剣道とは大きく異なっていた。武器も竹刀ではなく木剣で、面も着けない。回復魔法があるからだろうが、怪我上等とばかりに打ち込み合う。日本とは安全面への考慮が桁違いなのだ。流石にそんな光景を目にすれば、剣術訓練を受けようなんて思うことはなかった。
一例として剣術を挙げたが、貴久にとってはどれもこれもがそんな感じだった。
孤独に震える自分に寄り添ってくれたリリアーナには感謝しているし、どうにか恩を返そうとも思っている。しかし、実際には思っているだけで行動に移せておらず、そこから無意識に目を背けているのが現実だった。
そんな自分の弱さを、実の弟に糾弾されたばかりなのだ。
その直後の、このセリフである。
正論であることは認めるが、正論だからこそ不快感が募るのを止められない。それを言っているのが初対面の相手であるのだから尚更だ。
そんな貴久の心情を知ってか知らずか、尚もリオは言葉を続けた。
「簡単にですが貴久さんのことは聞いています。日本にいた頃は優等生だったと。なら、まずは召喚されてからこれまで生活の面倒を見てくれたことに対して、セントステラ王国に恩を返せばいいだけです。『義には義を、礼には礼を』の精神で取り掛かればいいだけなんですから簡単でしょう?」
これまた尤もな正論だった。そして、やろうとしながらも、常識の壁に阻まれて貴久が出来なかったことでもあった。
「日本との常識の違いに苦しめられていることは察します。ですが、その程度の理由でやるべきことから目を背けるような相手に、亜紀を預けることなんてできませんよ。たとえそれがお兄さんでもね」
「なんでアンタにそんなことを言われなくちゃならないんだ!?」
その言葉に、思わず貴久は叫んだ。初対面の相手に何を不躾な! 礼儀を知らないのか!? そういう感情が働いたことも決して否定できない。
しかしそれは、長続きしなかった。
「あの、タカヒサ様? 彼は今なんと仰ったのですか?」
「……え?」
直後に放たれたリリアーナのセリフの意味が理解できなかったからだ。いや、言葉の意味するところは分かる。分かるからこそ、どうしてそんな言葉が出てくるのか理解できなかったのだ。或いは理解したくないのか。
貴久の背中が冷える。まるで冷水を流されたかのようだ。
「さっきも話に出ていましたが、勇者は召喚時から翻訳の魔術が働いています。だからこそ、見ず知らずの世界であっても言葉の壁に苦しめられることはありません。双方向において、勝手に身近な言語に変換されますから」
そうだ。覚えている。さっき聞いたばかりなのだから忘れる筈がない。
「その一方で、召喚に巻き込まれただけの人物には、『同じ世界から跳ばされてきた』という共通項があっても翻訳の魔術は働きません。そういった人物とこの世界の人物が言葉を交わそうとすれば、少なくともどちらかがどちらかの言語を学ぶ必要があるわけです。事実、みーちゃんに亜紀、雅人の三人は、日常会話程度ではありますがシュトラール語を学ぶことで意思の疎通を可能としました」
それも覚えている。この短時間でよくも身に付けたと感心したものだ。――と言うか、みーちゃんって何だ、みーちゃんって。もしかしなくても美春のことか? 俺だってそんな風に呼んだことはないんだぞ! まあ、出会った時期が、そんな風に呼び合う幼い時期を過ぎてからだったから仕方ないんだけど。
貴久はそれを聞かされた際のことを思い出し、直後にはリオから発せられた『みーちゃん』という呼称に思いを馳せつつ憤慨した。
「まだ、分かりませんか? リリアーナ王女が俺の言葉を理解できていないということは、さっきから俺が使っているのはシュトラール語ではないということです」
普通に考えれば、そういうことになるだろう。事実、貴久からもリリアーナは言葉を理解できていないように見える。さっきリリアーナが発した言葉と併せて考えると、嘘ではない。
嘘ではないとするのなら――
「じゃあさっきから使っているのは……日本語?」
それしか考えられなかった。
「はい」
信じ難い気持ちで貴久が発した問いかけに対し、リオは肯定で以て答えた。
だからこそ、貴久を驚愕が襲う。
だからこそ、貴久は素直に信じられない。
「嘘だ! だって、日本語は世界的に見ても習得が難しい言語として有名だ。その事実は、たとえ異世界であっても変わる筈がない。確かに相応の時間をかけて努力をすればこの世界の人が日本語を覚えることも可能だろうけど、それをするには圧倒的に時間が足りない」
貴久の言うことは尤もだった。だから――
「ええ、そうですね」
リオはアッサリ同意した。貴久の言葉を否定しなかった。
「貴久さんの言うことは尤もです。ネタ晴らしをすると、俺は別に日本語を学んだわけではないんです。最初から知っていたんですよ」
「最初から、知っていた……?」
「はい。俺は異世界転生者にして前世の記憶持ちなんです。……綾瀬美春と将来を誓い合った幼馴染みにして、天川亜紀の兄。両親の離婚を機に両者との別離を余儀なくされ、そのまま再会を果たすことなく亡くなった、天川春人という名の大学生。それが俺の前世です。ちなみに名前を漢字で書くと、天下の『天』、三本線の『川』、四季の『春』、そして『人』になりますね」
「待て! ちょっと待ってくれ!」
言葉は短いが、その情報量は余りに大きかった。貴久にとっては、という注釈が付くが。
「もっとも、俺自身、つい先日までは『前世は前世、今の俺とは別人』と思ってたんですけどね。けど、そんな俺に対して言うんですよ。『リオは確かに天川春人とは別人だけど、その一方で同一人物だ』って。そこに小うるさい理屈は関係ないって。……流石に、俺の前世と面識を持つ人物複数人からそういった趣旨の言葉を向けられれば、俺も影響を受けますし、天川春人を張り続けようと意思改革を起こしますよ」
最初は苦笑しながら。次第にその表情を改めて。
「つまり、さっきのは天川春人として――亜紀の兄としての言葉になります」
貴久は否定したかった。実際、それが真実だという証拠はないのだから。
その一方で、嘘だという証拠がないことも認めざるを得なかった。むしろ、状況証拠的には真実である可能性の方が高いことを認めていた。だって、名前をわざわざ漢字表記で説明してくれたのだから。会話だけなら、勇者召喚以降にシュトラール人が日本語を覚えた可能性が僅かにはあるだろう。だが、流石に漢字まで覚えられるとは思えない。
である以上、どれだけ認め難くとも、信じ難くとも、リオは確かに異世界転生者であり、日本人――天川春人としての記憶を持っているのだろう。
また、その前世は、
そして現世――リオに対し、美春と亜紀は春人であることを望んでいるということだ。
情報量が多いながらに、貴久はどうにかそのように受け止めて――
「は、はは、はははは……」
弱々しく嗤った。嗤うしか出来なかった。だから、嗤い続けた。
そうしてどれだけ嗤い続けたか。貴久はリオを真っ直ぐに見据えて口を開いた。
「分かりました。あなたが亜紀の兄だというのなら、そうであることを亜紀も認めているのなら、先のセリフを発する資格は十分です。けど、だとしても、だからこそ、あなたには負けられない。俺だって亜紀の兄だ。そして、俺だって美春が好きなんだ。生まれ変わりだか何だか知らないけど、ぽっと出の奴に渡せない。任せられない。確かに今の俺は底辺かもしれないけど、すぐに追いついてやる」
それはリオに対する、貴久からの宣戦布告だった。
「ええ、是非追いついてください。それが出来るなら、亜紀を預けるには十分です。そして、俺も負けません」
リオもまた、真っ向から受けて立った。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
「それは……?」
社交館の受付スタッフによる説明を聞いたクリスティーナは、自覚のないままに呟いていた。
それは自問だったのかもしれないし、或いはスタッフに対する訊き返しだったのかもしれない。
どちらであってもおかしくはなく、だからこそスタッフは説明を繰り返した。スタッフ自身、これが異例のやり方だという認識は持っていたからだ。
通常、同一グループは同じ控室へと通される。まあ、グループ内でも格差というものが存在するし、グループの規模も千差万別なのだから、『格に沿った配置分けがされる』というのが正しいだろう。
それを踏まえると、ベルトラム王国王女であるクリスティーナ、同国が掲げる勇者である重倉瑠衣、アルボー公爵の子息であるシャルル、ユグノー公爵の子息であるスティアードは、衣装替えが済んだら同じ控室に通されて然るべきなのだ。
「それが定例ではございますが、此度はフローラ王女とユグノー公爵、そして何よりもお二方が掲げる勇者であるヒロアキ・サカタ様の嘆願もあり、控室を分けさせていただくこととなりました。フローラ様とヒロアキ様は同室でございますが、ユグノー公爵は別の控室でございます。そしてフローラ様より、『可能であればクリスティーナ王女殿下にも同じ控室に来ていただきたい』との言伝を賜っております」
再度の説明を聞いたクリスティーナは、ユグノー派が仕掛けてきたと認識した。
本来なら通る筈のない嘆願ではあるが、それもゲストの格次第だ。同盟を結んでいる大国ベルトラムの王女であり、同国の公爵であり、そこに勇者も加わっているとなれば格は十分。ホストであるガルアーク王国も無下には出来ない。
まあ、それを踏まえてもガルアークに大きな借りを作ってしまう行為であることに違いはないが、妙手であることもまた事実。
「少し相談をさせていただきます」
スタッフに一言断り、クリスティーナらはその場を離れた。
「とのことだけど、どうするのかしら? シャルル」
そして、クリスティーナはシャルルへと問いかけた。受付には相談すると言ったが、その実は違う。何故かと言うと、表向き代表はクリスティーナとなっているが、決定権を持っているのはシャルルだからだ。
「我儘を言うようで申し訳ないけど、僕は夜会前に他の勇者の人たちに会っておきたいかな」
クリスティーナの問いにシャルルが答える前に、横から瑠衣が割り込んだ。
「ええ、そこはご随意に。よほどでない限り、勇者であるルイ様の望みを断ることなどありませぬ」
勇者としては至極妥当な希望であるために、シャルルとしてはそう答えるより他になかった。
その上で、クリスティーナの質問に対して考える。
「時間はあまりないから早急にね」
「分かっております」
急かすようなクリスティーナの言葉を苛立たしく思いつつ、シャルルとしてはそう返すより他にない。
繰り返すが、ベルトラムは大国であり、同じ大国であるガルアークの同盟国なのだ。である以上、夜会前の事前面談は申し込んで然るべき。決まっているわけではないが、それが暗黙の了解というものだ。
そして、それを嫌ったからこそ、割とギリギリにガルトゥークを訪れたのである。面談の場合、周囲の人の目もそれだけ少なくなり、応じてプライベートな面も強くなってしまうからだ。そうなってしまうと、シャルルの発言権は失われ、クリスティーナの独壇場になりかねない。アルボー派にとっては危険極まりなく、どうにか防ごうとするのは当然のことだった。その点、時間制限というのは理由としてもってこいである。
その判断を間違いだとは思わないが、それによって別の苦境に立たされている。
前提として、フローラ一行とは別の控室に通されると考えていたのだ。その前提が覆ってしまったのだから無理もない。そして、悩む時間もあまりない。
シャルルとしてはクリスティーナから目を離すことは出来ない。それが最優先事項であることに違いはなかった。
その一方、ユグノー公爵を見張れるチャンスを逃すのもバカらしい。劣勢に追いやられていることは事実だが、その手腕は確かなのだから。
ではユグノー公爵のいる方を選択するかと訊かれれば、即答できないのも事実だった。何せ、同じベルトラムの王女であるフローラが、姉であるクリスティーナとの一足早い再会を希望しているのだ。これを無下にしては、国外からの受けが悪くなるのは否めない。
此度の夜会には、ガルアーク国内の有力貴族だけではなく、その同盟国、引いては勇者を掲げた国々も招待に応じているから尚更だ。
シャルルとしては、長らく閉鎖状態にあったセントステラ王国や、小国とはいえプロキシアの同盟国であるパラディア王国を味方につけたいのが正直なところである。最低限、繋ぎだけは作っておきたい。
厄介なのは、中途半端に情報を与えられていることだった。不意に挑まれたこの前哨戦を、どのようにして乗り越えるべきか?
「私とクリスティーナ王女、ルイ様はフローラ様のおられる控室へと向かいましょう。スティアード殿は御父上のおられる控室へと向かうがいい」
それが、短い時間で精一杯に考えた末に導き出したシャルルの決断だった。
シャルルにとって、所詮スティアードはオマケである。国元に残した跡取りは既に自分たちが取り込んだ。そのことをユグノー公爵に知らしめるためのパフォーマンスとして連れてきたのだ。スティアードの愚物振りを見るに独りで向かわせるのが怖くもあるが、流石にこんな場面で下手な真似はしないだろう。
「父上との一足早い再会を許していただき感謝する、シャルル殿」
そんなシャルルの思惑を知る由もなく、スティアードはシャルルに対して礼を述べた。
その口ぶりは気に入らないが、シャルルもスティアードも『公爵子息』という点で同格だ。然るに、シャルルは不満を表に出すことなくどうにか堪えた。
「そう。ではそのように」
「ヒロアキ・サカタ――サカタヒロアキさんか。他の勇者の人も同じ部屋なら嬉しいんだけど……」
こうして、クリスティーナ一行は受付を済ませたのだった。
貴久も話の持っていき方次第では幾らか前向きに受け止めるんじゃないかと。
原作で貴久がリオを憎悪したのは、雅人、美春、沙月という自分にとって身近な人物のほとんどが、貴久視点では『出会って間もない馬の骨』であるリオのことを、自分以上に肯定的に受け止めていたのも大きいでしょうし。
また原作の場合、出会った時点では貴久に対し雅人と亜紀のことを秘密にしてますし、それに美春と沙月も協力してますので、貴久としては余計に『裏切られた感』が強いでしょう。
そんなわけで、本作では雅人と亜紀も同席していますし、前世云々を初手から貴久に教えることでリオ・美春・亜紀の関係性に対する認識を補強しました。
それでも貴久にとってリオが『ぽっと出の人物』であることに違いはありませんが、美春と亜紀にとって異なることは伝わります。
作中でも描写してますが、それらの部分をリオは日本語で語っていますので、貴久としては納得できなくとも理解せざるを得ないわけです。
前話で雅人に言いくるめられた部分も、『雅人が成長した証拠』と捉えることが出来ます。
一度そう考えれば、貴久も『自分の情けなさ』を自覚するでしょう。少なくとも、雅人の言葉に同意を示すことも可能になると思います。
である以上、リオに対して『奪われてたまるか!』っていう感情を持つのは防げないにしても、原作ほど後ろ向きにはならないんじゃないかな……と。
本作では『負けてられない!』っていうライバル感情に転化しています。