「契約精霊か……」
ヘルの上で、蓮司はポツリと呟いた。
「はい? 何か言いましたか?」
「お前の契約精霊……確かヘルと言ったか? 大したものだと思ってな」
「ありがとうございます。私にとっても頼れる相棒ですよ」
「練習すれば別かもしれんが、今の俺は馬に乗れない。移動手段と言えば、専ら馬車か徒歩だった。だが、余程の高級馬車でなければ、時間は掛かるし振動も激しい。疲れるにしても、自分の足で動いた方がマシだった。……それと比べてどうだ? こいつは速く、その割に振動も少ない。おそらく、こいつ自身が乗り手であるお前を気遣っているんだろう。俺はそのお零れに与っているに過ぎん」
蓮司はギリと歯を噛んだ。
六大精霊の一角と契約状態にあると推測されているだけあって、蓮司の身体強化は未だ未熟ながらも大したものだ。身体強化を施した上で走れば、おそらくヘルにも負けない速度を出すことは可能だろう。
しかし、それはあくまでも昼日中に限った話だ。夜目の利かない蓮司では、光源の乏しい夜間にそれほどの速度を出すことは出来ない。やってやれなくはないが、事故る可能性の方が大きい。
付け加えると、仮に夜目が利いたとて、走れば代償に疲労が溜まるのは間違いない。これからどれだけ連戦しなければならないのかも分からない以上、無謀な選択は選べなかった。
人によって出来ることと出来ないことは違って然り。頭ではそう理解していても、羨む気持ちを止めることは出来ない。
それでも、蓮司は頭を横に振って、どうにかその気持ちを追い出した。
「今更だが、六大精霊の名前は伝わっていないのか?」
「言われてみれば……」
蓮司の質問に、サラ――現在はアイマスクを着けて、エクスクロス教導傭兵団のアイスを名乗っている――は、小首を傾げた。
「ええ、そうですね。思えば、六大精霊としか伝わっておりません。言われてみれば不思議です。その様な疑問、もっと早くに抱いてもおかしくないのですが……」
そう答えるアイスは、自分でも不思議そうだ。
その様子を見て、蓮司は一つの仮説を立てた。勇者然り六賢神然り六大精霊然り、生命体として一定以上の格に達した者は、格に到達していない者からは記号でしか認識されないのではないか? と。
日本にいた頃の創作物でも、偶に登場するパターンだった。
世界に刻まれたルールにより、気付きそうになるたびに思考誘導や認識阻害が掛かるのだ。その壁を越え、いわゆる『超越者』となった者は、文字通り高次の視点から世界を見る
この仮説が正しいとするならば、勇者に六賢神に六大精霊に共通して、『崇拝されている割に個の名前が伝わっていない』という部分にも説明が付く。
「個の名前を呼べないのなら、力を引き出しきれなくても無理はないが……。――いや、待てよ? 考え方を変えてみればどうだ……? あくまでも俺の契約精霊として名付け、あくまでも俺の契約精霊として呼ぶ。確かに俺は六大精霊の一角と契約しているのかもしれないが、本来の名前で呼ばない限り、それは六大精霊を呼ぶことにはならない。つまりはあだ名。あだ名という『記号』を付けて呼ぶことで、全体ではなく一側面のみを呼び出す。出来るか……? 試してみなくちゃ分からないな。なら、やるべきだろう」
蓮司はブツブツと呟きながら、自問自答を繰り返す。
アイスも気にはなったが、今度は口を挿まなかった。誰であれ、考え事に耽ればよくあることだからだ。よっぽどでなければ、突っ込むだけ野暮である。
「今度はどうしました? 結構ブツブツ言ってましたけど?」
とはいえ、それはあくまでも思考中に限った話。何らかの結論が出た以上、訊かない理由はない。答える気がないなら答えないだろうし、訊くだけならタダだ。
「ちょっとばかし実験をしようと思ってな」
「はい? 実験ですか? こんな状況で?」
「ああ。試すだけならタダだしな」
アイスに答えた蓮司は、目を閉じて深呼吸をする。そして神装を取り出し、それに呼びかけた。
「おい、聞こえるか? 俺の契約精霊。俺はお前にファーレンハイトと名付け、そう呼ぶことにする。お前が真に俺の契約精霊だというのなら、この名前で呼ばれたら応えろ。……出てこい、ファーレンハイト」
しかし、何も起こらない。何も出てこないし、氷一つ舞わない。
沈黙が支配する。響くのはヘルの疾走音のみ。
「レンジさん……」
アイスは気まずそうに呟き、せめて慰めるべきかと振り向き――異常に気付いた。いつの間にか、蓮司の肩に小さな人形が乗っていたのだ。白銀の髪を靡かせる、女性型の人形だった。可愛いというよりは、美麗という評価の方が似合うだろう。
「レンジさん。何です、その人形?」
「人形……?」
アイスが人形を指差すと、蓮司は不思議そうに首を傾げる。
そうして人形を手に取ると――
「人形呼びは失礼だな。他ならぬ君が、私にファーレンハイトと名付けて呼び出し、私はそれに応えて顕現したのだというのに……」
その人形は流暢に口を開いた。
「うおっ!?」
当然、蓮司は驚いた。
「いやはや、小さな体ではあるが、自由が利くのは良いことだ」
一方の人形――ファーレンハイトはそんな蓮司を気にすることなく、イチ、ニ、サン、シと身体を動かしている。
「感謝するぞ、レンジよ。おぬしの行動は、どうも賢神の奴らも予想しきれておらなんだようだな。おかげで、どうにかこうして顕現できた」
「ってことは、お前は六大精霊の一角なのか?」
「あくまでも、私は君がファーレンハイトと名付けた契約精霊であり、ファーレンハイトに過ぎない。そのように認識してくれ」
ファーレンハイトの言葉に、蓮司は自分なりに仮説を立てた。
肯定すれば、すなわち六大精霊と=で結ばれてしまう。瞬く間に自由は消え去るだろう。
逆に否定すれば、それすなわち自己否定に他ならない。
どちらを取っても碌なことにはならず、なればこそ肝心な部分は曖昧なままにしておく。
そう考えれば、ファーレンハイトの返答は何ら不思議なことではない。ファーレンハイト自身は、自分が六大精霊であることを肯定も否定もしていないが、契約者である蓮司の質問にはきちんと答えているのだから。
「……了解」
この仮説が合っているかどうかは分からないが、蓮司は疑問を呈することなく、了承の返事を返すに留めた。
「君の契約精霊として、状況はある程度認識している。多方面で魔物どもが一斉に暴れているとのことだが、まあ十中八九は邪の眷属の仕業であろうよ。で、君たちは襲われている民衆を救うために動いていると……。この認識に間違いはないか?」
「まあ、そうだな。全部を全部救えるとは思えないし思ってもいないが、動かないわけにはいかないだろう。そこに勇者云々は関係ない。放置すれば国力が低下するし、国力が低下すれば日々の暮らしもままならない。結局のところは自分のためだが、それが人というものだろう。聞こえの良いお題目を掲げるのは、その方が周りも納得しやすいからだ」
「そこまで割り切れると言うか、自覚してる人もそうはいないと思いますけどね。そういう側面があるのは事実でしょうけど、義憤とか騎士道とかを理由に動いている人だっているでしょうし」
ファーレンハイトの問いに蓮司が答え、アイスが続いた。
「否定はしない。というより、徹頭徹尾自己の利益を追求せずに動ける奴なんて世の中にいやしない。それは何も人に限ったことじゃない。動物や魔物、六賢神とか六大精霊だって同じだろう。自覚のあるなしや量の多寡はともかく、何らかの形で『自己の利益』は存在している」
「実に興味深い話だ。……が、今はそんな話をしている場合ではないな。ナビゲートは私がしてやる。銀狼種の君は、私の指示に従ってこの契約精霊を走らせたまえ。向かう先は魔物と人の気配が入り混じっている場所で構わんな?」
「分かるのですか!? ――いや、分かるのでしょうね。ヘルにもお願いしているのですが……」
「それが、中位精霊と高位精霊の格差というものだ。今の私はこんなにちみっこい身体だが、それでも人型精霊であることに違いはない。探知範囲は広いとも」
腕を組み、ドヤ顔でファーレンハイトは宣った。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
「はあああっ!」
「せいっ!」
自信満々に宣うだけあって、ファーレンハイトのナビゲートは的確だった。行く先々で、逃げ惑う民衆を襲う魔物と遭遇する。もっとも、数は少ないながらに騎士なり兵士なりが護衛しているため、民衆自身の被害は軽微と言えるだろうが。
無論、蓮司とアイスがその状況を見逃す理由はないので、遭遇した端から割って入る。
双方共に未だ未熟な部分を残しながらも、片や勇者、片や一端の精霊術士であり、装備も上等だ。身体強化も含めれば、その戦闘力は並みのそれを遥かに凌駕する。
加えてファーレンハイトもいる。お人形と大差ない身なりだが、その実は高位精霊である。瞬く間に氷壁や氷盾を作り出して防御支援をおこなうことなど造作もない。
また、中位精霊であるヘルも民衆の護衛に就いている。
何であれ、どれだけ専念できるかで発揮できる実力も異なってくるものだ。それを踏まえて言うならば、少なくとも蓮司とアイスが『護衛』に気を割く必要がないのは事実である。ならば、その分だけ自身の戦闘に専念できて然り。
そして実際にそれが叶ったなら、大抵の魔物など相手にはならない。結局のところ、魔物の強さというものは技量ではなくスペックに左右されるのだから。
「邪魔をするな! 図体だけのデカブツが!」
斧槍一閃。蓮司の神装の一撃で、複数の魔物が切り捨てられる。ゴブリンも、オークも、辿る末路は同じだ。
「まったく……! 数だけは多いんですから……!」
銀光乱舞。アイスの魔剣が翻るたび、魔物は命を落としていく。やはり、ゴブリンもオークも変わりなく。
そして接敵してから数分と経たぬうちに、遭遇した魔物はその悉くが生命を散らした。地に転がる魔石と、数に比べると僅かと言っていい肉片だけが、魔物が存在したという証明である。
「パラディアの勇者、レンジ・キクチだ。彼女はエクスクロス教導傭兵団のアイス。国の垣根を超え、北方の各所で魔物どもが一斉に行動を起こしたという報告が入っている。各国各都で対応に動いているが、何しろ突然のことだったから後手に回っている。俺たち自身、ガルアークでおこなわれていた夜会をほっぽり出してきた身だ」
「私たちを含め突出戦力の一部は、ブレイブを出立して遊撃に回っている最中です。私たちは遊撃を続けなければならないため、皆さんは自身で最寄りの都市へ退避をお願いします」
「……同行はお願いできないのでしょうか?」
問うてきたのは、果たして護衛か民衆か。それは分からないが、もはやお決まりと言っていいほどに聞きなれたセリフだ。
「気持ちは分かるが、無理だ。俺たちが魔物を蹴散らしたことで、取り敢えずお前たちの安全は確保された。……が、今こうしている最中にも襲われている者たちがいることに違いはない。全てを救うと宣うほど傲慢ではないが、そのための努力をしないわけにはいかない。そして優先順位を考えた場合、安全が確保された者より現在進行形で襲われている者に重きを置くのは当然だ。冷たいようだがな」
だから、蓮司も決まりきった言葉を返す。
すらすらと言えるようになるまでは苦労した。優しく言ったところで、追い詰められた者には伝わらないのだ。なまじ優しいからこそ、素直には聞き入れないのである。だから、一定の理解を示しつつ、厳しくも断定的に告げる。結果的に、その方が向こうも受け入れやすくなる。
「いえ、お言葉は御尤もです。我らが無理を言いました。……お言葉に従い、我らは最寄りの都市を目指します。武運をお祈りいたします」
「ああ。ついでだから、魔石と肉を持っていけ。急遽お前たちを受け入れることとなる都市としても、その方が助かるだろう」
蓮司とアイスが説明している間に、ヘルが気を利かせて纏めておいたのだ。その方が効率的だと判断可能なくらいには、エンカウントを果たしていた。
「感謝いたします。ありがたく頂戴いたします」
「ああ。では、俺たちはもう行く。お前たちも気を付けろ」
言うだけ言ったら、それを見計らったようにヘルが走り出す。その速度は、瞬く間に疾走の域へと至る。
「しかし、遭遇するのはゴブリンにオークばかりだな。ミノタウロスにオーガ、サイクロプスに新種とはサッパリ出くわさない」
「そう簡単に遭遇する方がおかしいとも言えますけどね。伝説級の魔物なんでしょう?」
「それはそうなんだが、少なくともミノタウロスが暴れているのは本当らしいからな」
どういう原理か知らないが、魔物というのは仕留めた瞬間に魔石を残して塵になる。だが、全てが全て塵になるわけではないようで、素材として使える部分が残ることもあるのだ。オーク肉などはその筆頭である。魔物の肉と忌避するなかれ。
オークはさて置き、マラカイトはミノタウロスの頭部を取り出して見せたのだ。である以上、ミノタウロスに関しては否定しきれない。
「本当、ミノタウロスには遭いたいものだ。味にも期待できるしな」
「食べるんですか!?」
「俺たちの世界だと、ミノタウロスと言えば人型の牛というのがお決まりなんでな」
「言われてみれば確かに……」
マラカイトが見せた頭部を思い出したのだろう。直前の驚きを余所に、アイスは納得を示した。
「ミノタウロスがいるかは知らんが、そろそろ遭遇するぞ。気を入れろよ」
蓮司とアイスは、呆れ顔のファーレンハイトに注意されたのだった。