ポケモン世界でどう生きるのか 作:ポケモンマスターにはなれない
2
☆
ジュンサーさんへラルトスの1件を語り終え、そして、登録端末の画面が、白い光で私の顔を照らしていた。
表示されているのは――
「新規登録:ラルトス」
ボタンを押すだけのこと。
けれど、心臓の鼓動が速くて、なかなか指が動かなかった。
昨日まで“ただの野生ポケモン”だったラルトスが、今日から“私の仲間”になる。
あの夜、体を抱き上げたときの、あたたかさと震えを思い出す。
――守りたい、って思ったの。
勝ちたいとか、強くなりたいとか、そんなことよりも。
深呼吸して、登録を完了させた。
ピッという音と共に、ボールのライトがふわりと光を放つ。
ラルトスの気配が、胸の奥に優しく響いた。
「出ておいで、ラルトス」
ボールの光が開き、白い影が床に降り立つ。
「……ラル!」
ラルトスは一瞬まぶしそうに目を細め、それからこちらを見上げて微笑んだ。
ほんの少し前まで、熱に浮かされていたとは思えないほど、元気な顔だ。
私はそっと手を差し出す。
「もう、だいじょうぶ?」
ラルトスはその小さな手を伸ばして、私の指先に触れた。
――すっと、温度が伝わる。
頭の奥に、やわらかい声が響いた気がした。
ありがとう。
そう伝えられた気がした。
思わず息を飲んで、笑ってしまう。
「……こちらこそ。助けられたのは、私の方かも」
ラルトスは首を傾げ、少しだけ照れたように顔を伏せる。
私はその様子を見つめながら思った。
――ああ、この子と一緒に歩いていけるんだ。
強さとか、勝敗とか、そういうものとは少し違う“何か”が、
今、胸の中で灯っている。
でも。
私の中には、もうひとつ気になる存在がいた。
「……ねぇ、ラルトス。私、行かなくちゃ」
ラルトスが小さく瞬きをする。
「ちょっとだけ、話をしに行くの。大事なことを、伝えに」
そのままラルトスを抱き上げた。
☆
向かう先は職員室。
昼下がりの光が窓から差し込み、床の上に揺れる。
扉の前で立ち止まり、深呼吸した。
胸の鼓動がやけに大きく響く。
――行こう。
ノックをして、ドアを開ける。
「失礼します」
中には、黒髪をまとめた女の先生がいた。
穏やかな声でこちらを見て、微笑む。
「どうしたの? 顔、真剣ね」
私はラルトスを腕に抱えたまま、一歩前に出た。
「先生……私、お願いがあるんです」
「お願い?」
「ジグザグマを――あの子を、私のポケモンにしたいです」
先生の目が少しだけ見開かれる。
「スクールの子を? どうして?」
喉が乾いて、でも言葉は止まらなかった。
「最初は授業で借りただけでした。でも、あの子と過ごすうちに気づいたんです。
私、勝つためじゃなくて――その子と、一緒にいたいんだって」
静かな職員室の中で、自分の声だけが響く。
先生は黙って聞いていたが、やがてペンを置いて立ち上がった。
「……簡単なことじゃないわ。あの子はみんなの練習相手だもの」
「わかってます。でも、それでも――欲しいです。
私、責任を持ちます。ちゃんと面倒を見て、守ります」
先生は少し目を細め、こちらを見つめた。
「ふふっ……あなた、ほんとに真っ直ぐね」
彼女は引き出しから書類を取り出し、机の上に置く。
「本気なら、この書類に名前を書いて。
それと――証明してみせて。
ジグザグマが、そしてそのラルトスがあなたを本当に“選んでいる”って」
「……証明、ですか?」
「ええ。明日、私とバトルをしなさい。
結果じゃないわ。見たいのは、あなたたちの関係よ。
形式は2VS2。ダブルバトルは知ってるかしら。本来ならもうちょっと成長してから勉強する範囲なんだけど。せっかくだしやっちゃいましょうか」
私はしっかりと頷いた。
「はい」
「私はエネコとポチエナを使うわ。では明日よろしくね。」
ラルトスが小さく鳴く。
――がんばって、というように。
その声に背中を押されるように、私は笑った。
☆
翌朝。
いつもより少し早く目が覚めた。
まだ外は薄いオレンジ色で、校庭の砂も朝露に濡れている。
「……おはよう、ラルトス」
「ラル」
ラルトスはすぐに目を開けて、私の顔を見上げる。
昨日の夜、先生が言っていた。
――「明日の朝、校庭で待っているわ。準備をしておいで。」
眠れなかった。
不安というより、胸の奥がずっと熱くて。
戦うというより、“確かめる”ために立ちたいと思っていた。
「ジグザグマも、もう準備できてるかな」
「ジグ!」
ボールの中から元気な鳴き声が返ってくる。
思わず笑って、私は上着を羽織った。
*
校庭に着くと、先生はすでに待っていた。
風に髪をなびかせながら、穏やかに微笑んでいる。
その隣には、エネコとポチエナ。朝日に毛並みが光っていた。
「おはよう。……早かったのね」
「眠れなくて」
「ふふ、それは良いことよ。気持ちが前を向いている証拠だもの」
先生はそう言って、軽く頷いた。
その目は昨日と違って、真剣そのものだった。
「ルールは昨日話した通り。――二対二のダブルバトル」
「はい」
「勝ち負けにこだわる必要はないわ。
私が見たいのは、あなたとポケモンの“つながり”」
その言葉に、ラルトスがこちらを見上げた。
ジグザグマも足を踏み鳴らす。
もう迷いはなかった。
「行こう、みんな」
「ラル!」「ジグッ!」
朝の光が校庭を包む。
その中で先生が指を上げた。
「――では、はじめましょうか」
「いくわよ。エネコ、ポチエナ!」
「ニャッ!」
「ガルルッ!」
先生の足元に、可愛い見た目とは裏腹に鋭い視線の2匹が並ぶ。
対する私は、ジグザグマとラルトスを前に立たせた。
ラルトスは少し不安げに揺れている。
「大丈夫。私がいる」
「ラル……!」
戦いの始まり。
「エネコ、ねこだまし!」
「ポチエナ、かみつく!」
先生の声が鋭く響いた。
私は瞬時に計算する。エネコの素早さ、ジグザグマの耐久、ポチエナの攻撃力。数字が頭の中で交錯する。
……このままじゃ、確実に負ける。
エネコが前に跳び、ジグザグマの動きを止めた。
その隙にポチエナが牙を光らせて、ラルトスへと迫る。
――まずい。あの距離じゃ、間に合わない。
「ラルトス、テレポート!」
青い光が弾け、ラルトスの姿が掻き消えた。
次の瞬間、ポチエナの牙は空を切り、ラルトスはフィールドの反対側に現れる。
先生も目を細めた。
私は息を詰めながら、頭の中で次の手を探る。
ラルトスに打点はない。ねんりきも通らない。
それでも——勝ち筋はある。
ラルトスが小さく震えているのが見えた。
怖いのは、わかる。でも、逃げない。
その姿に、何かが閃いた。
「……ジグ!」
「ジグッ?」
「ラルトスを、乗せて!」
ジグザグマが驚いたように鳴く。
けれどすぐに、理解したように背を低くして構えた。
ラルトスがふわりとその背に乗り、目を閉じる。
「走れ、ジグ!」
「ジグザァ!」
土煙を上げて駆け出す。
そのスピードにエネコの動きが追いつかない。
先生が指示を出す間もなく、ジグザグマは低い姿勢のまま滑るようにフィールドを横切り、エネコにたいあたりをくりだす。
それを見送ったラルトスはジグザグマの後隙を消すようにテレポートの光をまといながら、走る軌跡の中を瞬間的に移動していく。
そして、ポチエナの前に現れた瞬間、ジグザグマが体当たりを叩き込んだ。
「グッ……!」
ポチエナが弾かれ、床を転がる。フィールドが静まり返る。
先生が少しだけ驚いたように笑った。
☆
「――面白い戦い方ね」
先生が目を細める。
「でも、まだ終わりじゃないわ。エネコ、たいあたり!」
「ジグ、かわして!」
「ジグッ!」
ジグザグマが地を蹴って横へ滑る。
ラルトスはその背にしっかりとしがみつき、ふわりと宙に浮くように姿勢を保った。
「ラルトス、“ねんりき”!」
「ラルッ!」
走る軌跡に合わせて青い光が弾け、エネコの体を再びとらえる。
風が巻き起こり、エネコがよろめく。
だが――倒れない。
「まだ立ってる……っ」
先生の指示がすぐに飛ぶ。
「こっちも忘れてないわよね!?ポチエナ、たいあたり!」
「グルゥッ!」
低い唸りとともに、ポチエナが一直線に突っ込んできた。
重い衝撃音。
ジグザグマとラルトスが同時に吹き飛ばされ、床を転がる。
「ジグ! ラルトス!」
二匹が苦しそうに体を起こす。
ポチエナが間髪入れず、ジグザグマへと走り出した。牙が光る。
「ポチエナ、“かみつく”!」
「グルァッ!」
その瞬間――私は息をのんだ。
頭の中で、距離・速度・反応時間を一瞬で弾き出す。
間に合う、ギリギリで。
「ラルトス、“ねんりき”――ジグザグマに!」
「ラルッ!」
青い光が、味方を包む。
ジグザグマの体がふわりと浮き、ほんのわずかに後ろへ滑る。
次の瞬間、ポチエナの牙が空を切った。
「ジグッ!?」
間一髪。ポチエナの突進が外れ、ジグザグマが床に着地する。
先生が目を見開いた。
「まさか、味方への“ねんりき”で回避を……!」
私の心臓が激しく跳ねる。
計算通り、ギリギリで。
でも――今の私は数字よりも、あの二匹を信じていた。
ラルトスが息を切らしながら、それでも立ち上がる。
ジグザグマが短く鳴いて、ラルトスを背に再び構える。
「いこう、もう一度……!」
私の声に、二匹が同時にうなずいた。
「ポチエナ、エネコ、もう一度――いくわよ!」
先生の声が鋭く響く。
エネコが立ち上がり、瞳に闘志を宿す。ポチエナも負けじと唸り声を上げた。
まだ戦う気だ。先生も本気になっている。
私の頭の中で、何十もの可能性が弾ける。
どんな動きが来る? どこまで持つ? 数値で見れば、勝率は――三割。
でも、そんなのもう関係なかった。
「ジグ、もう一度走って! ラルトス、集中して!」
「ジグッ!」「ラル!」
二匹が息を合わせ、駆ける。
エネコが飛び出し、“ねこだまし”の体勢を取った瞬間――
「テレポート!」
ラルトスの体が光に包まれ、位置がずれる。
エネコの一撃は空を切り、すぐに体勢を崩す。
「今!」
ジグザグマが床を蹴り、体当たりを叩き込んだ。
その衝撃でエネコがバランスを崩し、ついに地面へと倒れ込む。
「エネコ、戻って!」
先生がモンスターボールを構える。
残るはポチエナ。けれど、息は荒く、足も重い。
それでもポチエナは、低い姿勢で吠えた。
「……最後まで、全力でいくわ。ポチエナ、“たいあたり”!」
「グルゥッ!」
低い唸りとともに、ポチエナが一直線に走り出す。
その突進は鋭く、重い。
ジグザグマも負けじと地を蹴った。
「ジグ、“たいあたり”で迎え撃って!」
「ジグザァ!」
教室の空気が震える。
二匹の足音が重なり――ぶつかる。
鈍い衝撃音。
互いの体が押し合い、床を削るように力をぶつけ合った。
レベル差、筋力、体重。
全部、ポチエナの方が上。
数値で見れば、勝てるはずがない。
けれど私は、もう数字だけを見ていなかった。
「ラルトス!」
「ラルッ!」
ラルトスが短く鳴き、青い光を放つ。
“ねんりき”がジグザグマの体を包み、背中を押すように力が流れた。
ジグザグマの足がわずかに前へ出る。
「いけぇぇぇぇッ!」
叫ぶと同時に、衝突の力が一気に逆転した。
ジグザグマの体当たりが押し返し、ポチエナが弾き飛ばされる。
床を滑って転がり、静かに動きを止めた。
静寂。
ほんの数秒、誰も声を出さなかった。
ジグザグマとラルトスは肩で息をしながら、それでもこちらを振り返って元気そうに尻尾を振った。
「やった……!」
私の声に、先生がふっと息を漏らした。
厳しい表情の中に、少し柔らかい笑みが浮かぶ。
「……負けちゃったわね」
先生は帽子のつばを整えながら、こちらを見た。
「面白い戦い方だったわ。ポケモン同士の連携で、力の差を埋めた。ジグザグマも、ラルトスも本当にいい子ね」
私は息を弾ませながら、それでも笑って返す。
「無我夢中で…でもきっと偶然じゃなくて」
先生は静かにうなずいた。
「うん。勝ち負けより大事なこと、ちゃんと掴めたみたいね」
そう言って差し出された手を、私は両手でしっかり握り返した。
あたたかい。
そのぬくもりが、私の胸の奥まで届いた気がした。
☆
夕暮れ、窓の外がすっかりオレンジ色に染まっていた。
部屋の小さなテーブルには、お菓子の袋と紙コップに入ったジュース。
ジグザグマはその袋を鼻でつつきながら、カサカサと音を立てている。
ラルトスはその横で、私の膝の上にちょこんと座っていた。
「今日は……本当に、楽しかったね」
ぽつりと口にした言葉に、ラルトスがこちらを見上げる。
その表情は読みにくいけれど、わずかに口元がゆるんだように見えた。
ジグザグマも得意げに尻尾を振っている。
「先生、強かったけど……二人と一緒なら勝てるって思えた」
私は笑って、ジグザグマの頭をなでた。
「ラルトスも、あのときテレポートで助けてくれてありがとう。あれがなかったら、たぶん負けてた」
ラルトスは少し照れたように目を細め、私の手の上に自分の手を重ねてくる。
その小さなぬくもりが心に残った。
「ねえ、これからも一緒に戦ってくれる?」
そう尋ねると、ラルトスは小さくうなずき、
ジグザグマは「グマッ!」と元気よく鳴いた。
「うん……じゃあ、今日はその記念日だね。ラルトスとジグザグマ、これからよろしく」
紙コップを掲げて乾杯する。
ジュースの甘い泡が舌に弾けて、胸の奥まで熱くなる。
勝ち負けだけじゃない、ポケモンと心を通わせるバトル。
それを初めて感じた日。
――でも、心のどこかで、引っかかっていた。
ラルトスの体に残っていた傷跡。
怯えたように眠るときの小さな手の震え。
拾ったあの日、誰かに“実験されていた”と先生が言っていた。
「……あの人たち、なんでそんなことをしたんだろう」
私は小さくつぶやいた。
ラルトスは俯いたまま、私の服の裾をきゅっと握る。
答えを持たないその仕草が、逆に何より雄弁だった。
「大丈夫。もうあんなところには戻さない」
私はラルトスの頭をそっと撫でた。
「それに……いつか、知りたい。あの組織が何をしていたのか、どうしてそんなことをしたのか」
夜風がカーテンを揺らす。
ラルトスが小さく「ラル」と鳴いた。
その声を聞きながら、私は静かに誓った。
戦う理由ができたんだ――ただ勝つためじゃない。
守るために、知るために。
今夜、私の人生が本当に始まった気がした。