条文の奴隷だった俺は、異世界で神の条文を書き換える   作:べ¥

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よろしくお願いいたします。


定義、及び死亡

意識が、混濁する。

 

 チカチカと点滅する蛍光灯の白い光が、滲んで瞼の裏に焼き付く。もう何時間もタイピングを続けたせいで痙攣する指先と、エナドリの過剰摂取で不協和音を奏でる心臓の音。

それが、俺――識月人(しき つきと)、二十六歳の人生における、最後の記憶だった。

 

(しき)くん! この契約書、なんでこんな曖昧な書き方にしたんだ! クライアントに説明できないじゃないか!」

 

 甲高い上司の声が、腐りかけの脳髄に突き刺さる。

うるさい。その「曖昧な書き方」を指示したのは、あんただろうが。打ち合わせで『穏便に、協議の余地を残す形で』とか言っていたのを、俺はちゃんと聞いていたぞ。口から出かかった反論を、胃液と一緒に飲み下す。

 この世界で「正論」は毒だ。そして「事実」には何の価値もない。価値を持つのは、権力者の署名と会社の捺印が押された紙切れ――契約書に書かれた「言葉」だけだ。

俺は法律事務所のパラリーガル。弁護士の補助として、契約書を作り、チェックし、時には言葉の隙間を縫って相手を出し抜くのが仕事だった。

言葉の〝てにをは〟ひとつで、数千万、数億の金が動く。俺は、その言葉の奴隷だった。

 

「……申し訳ありません。この条文の解釈ですが、法律上は問題なく請求が可能です。内容証明郵便を送付した時点で――」

「ああ言えばこう言う! 理屈はいいんだよ! クライアントにどう説明するんだって聞いてるんだ!」

 

 理屈以外に何を以て説明するというんだ。

俺の人生は、ずっとこんな調子だった。子供の頃から、俺は「正しさ」を信じていた。いじめを見れば証拠を集めて論破した。不正を見つければ報告書を書いた。矛盾があれば指摘した。

 

だが、その度に俺は孤立した。

 

「空気が読めない」「冷たい」「融通が利かない」

 正しさは、人を救わなかった。それどころか、俺自身を孤独にした。

それでも、俺は言葉の力を信じようとしていた。適切に組み立てられた論理は、感情や権力という曖昧なものから、弱い人間を守る盾になるはずだった。

 だから俺は法学部に進んだ。将来は弁護士になって、理不尽な暴力から人々を守ろうと思っていた。

 

 だが、大学で教授の学説の矛盾を指摘した結果、推薦状を書いてもらえず、ロースクールへの進学を断念することになった。権威の前で、正論は無力だった。仕方なく法律事務所にパラリーガルとして就職した。そこで俺は、大企業を相手にする仕事に携わることになった。

 

ある日、上司から一つの案件を任された。

 

「識くん、この契約書を完璧に仕上げてくれ。相手は小さな町工場だが、うちのクライアント企業との取引で問題を起こしている。契約書の条文を盾に、きっちり責任を取らせる必要がある」

 

 俺は言われた通りに契約書を精査した。そして、相手の町工場側に不利な条項を複数発見した。納期遅延に対するペナルティ、瑕疵担保責任の範囲、損害賠償の上限――全てが曖昧な表現で書かれており、解釈次第でいくらでも相手を追い詰められる内容だった。

 俺は、その条項を最大限に活用する書類を作成した。法的に完璧な、反論の余地のない文書だった。裁判では、俺の作った書類が決め手となり、クライアントの大企業が勝訴した。町工場側は多額の損害賠償を命じられた。

 上司は満足そうに頷いた。クライアントも喜んだ。俺も、自分の仕事を正確にこなしたと思っていた。

 だが、二ヶ月後。俺の元に、一通の手紙が届いた。差出人は、裁判で負けた町工場の社長の娘だった。封筒には、裁判記録のコピーが同封されており、書類の末尾には上司とパラリーガルとしての俺の名前が記載されていた。

 手紙にはこう書いてあった。

 

『識月人様

 父の工場は、あなたが作った書類によって、多額の賠償金を命じられました。その金額は、小さな町工場には到底払えない額でした。父は工場を売り、家も売り、それでも足りませんでした。従業員全員を解雇し、取引先にも迷惑をかけ、父は全ての責任を一人で背負いました。

 

そして三日前、父は自ら命を絶ちました。

あなたは法律的には正しかったのでしょう。裁判所もあなたの書類を認めました。でも、父は死にました。あなたの作った完璧な言葉が、父を殺しました。

 

私はあなたを許しません。』

 

 俺は、手紙を握りしめたまま、動けなくなった。

俺は正しかった。法的には完全に正しかった。契約書に書いてある通りのことをしただけだ。でも、その正しさが、一人の人間を死に追いやった。俺は弱者を守る盾を作りたかったのに、実際には強者の刃を研いでいた。そして、その刃で誰かを殺した。

 

それ以来、俺は何も信じられなくなった。

 言葉は、誰を守るものでもなかった。ただ、強い者がより効率的に弱い者を追い詰めるための道具でしかなかった。そして俺は、その道具を作る歯車に過ぎなかった。手柄は全て上司のもの。ミスは全て俺の責任。俺がどれだけ働いても、給料は変わらない。手元に残るのは、空になったエナドリと、すり減っていく命の時間だけ。

 

そして、ある夜。

俺は、ふと自分の雇用契約書を見た。そこには、こう書いてあった。

 

『会社は、業務遂行のため必要な範囲で、社員に一切の指示を行うことができる』

 

 この「必要な範囲」という、たった六文字。

 この曖昧な言葉が、無限に拡大解釈されて、俺の時間を、健康を、命を奪っていたのだ。俺は、自分で署名した契約書に殺されようとしている。皮肉だな。散々、他人のための契約書を作り続けて、最後は自分の契約書に殺される。

 

もう、疲れた。

 

 そう思った瞬間、胸に激痛が走った。心臓が、悲鳴を上げている。視界が暗くなっていく。最後に聞こえたのは、上司の「おい、大丈夫か!」という声と、俺の身体が床に倒れる鈍い音だった。

 

そして、全てが闇に沈んだ。

 

◇◇◇

 次に意識が浮上した時、俺は真っ白な空間に立っていた。床も、壁も、天井もない。ただ、無限の白が広がるだけ。

 

《初めまして、魂魄番号11882-C。私は〝世界間調停システム〟。あなたを新たな世界へ導く存在です》

 

頭の中に、無機質な声が響く。

 

「……死んだのか、俺は」

《その通りです。あなたの生命活動は停止しました。死因は急性心筋梗塞。過労死です》

 

ああ、やっぱり死んだのか。

 

「これから俺はどうなる」

《あなたの魂は特異な資質を持っています。言語の認識と分析能力が、平均を大きく上回っています。この資質は、別の世界で有用と判断されました》

「別の世界?」

《はい。あなたには、新たな世界で第二の生を受ける権利が付与されます。異世界転生です》

 

異世界転生。ラノベで見たことがある概念だ。

 

「……俺に、選択権はあるのか?」

《ありません。これは自動割り当てです。拒否した場合、あなたの魂は消滅します》

「つまり、転生するか消えるか、の二択か」

《その通りです》

 

どちらも魅力的ではないが、消滅よりはマシだろう。

 

「……分かった。転生する」

《承諾を確認しました。それでは、あなたには一つのユニークスキルを付与します》

目の前に、半透明のウィンドウが現れた。

 

─────────────────────────

ユニークスキル:定義改竄(リライト・ワールド)

 説明:

 この世界に存在する万物の【名前】と【説明文】を認識し、編集することができる。

 編集には魔力を消費する。

 編集内容が対象の本質から離れるほど、多くの魔力を必要とする。

─────────────────────────

 

 

「……は?」

 

 思わず、声が漏れた。

定義を、編集する? 言葉を、書き換える?

全身から、血の気が引いた。冗談じゃない。俺は、言葉に殺されたんだ。言葉の奴隷として使い潰されて死んだんだ。もう二度と、あんなものには関わりたくない。言葉の重さも、それが人を傷つける痛みも、もううんざりなんだ。

 

「いらない。そんなスキルは必要ない」

 

俺は無意識のうちに叫んでいた。

 

「言葉で人を殺すようなスキルなんて、もう使いたくない! 俺は言葉に殺されたんだぞ! 俺が作った言葉が、誰かを殺したんだぞ! もう嫌なんだ……!」

《……あなたの心理的抵抗は理解しました。しかし、スキルの棄却は認められません。これは、あなたの魂の本質に紐付けられた能力です》

「本質、だと……?」

《はい。あなたは言葉の力を誰よりも深く理解し、同時に誰よりも深く恐れていました。その矛盾こそが、あなたの魂の特異性です。このスキルは、あなたから切り離すことができません》

 

システムの声は、冷たく淡々としていた。

「……そうか。なら、もういい。好きにしてくれ」

 

 俺は全ての思考を放棄した。どうせ次の人生も、言葉に苦しめられるに決まっている。期待するだけ無駄だ。

 

《承諾と見なします。なお、転生先の世界はあなたの前世界と言語が異なります。円滑なコミュニケーションのため、【言語統合パッケージ】を同時にインストールします》

「……言語、パッケージ?」

《このパッケージにより、転生先世界の言語を段階的に習得できます。文字情報は脳内で自動翻訳され、約七十二時間で基礎的な会話能力を獲得できます》

 

つまり、異世界の言葉を自動で学習できる、ということか。

それもまた「言葉」の能力だ。俺は、次の世界でも言葉から逃れられないらしい。

 

《それでは、あなたの新たな人生に、システムの祝福を》

 

その声を最後に、俺の意識は再び闇の中へ落ちていった。

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