条文の奴隷だった俺は、異世界で神の条文を書き換える   作:べ¥

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契約 及び信用

 朝日が窓から差し込み、俺は目を覚ました。

 見慣れない木の天井。硬いが清潔なベッド。窓の外からは、鳥の鳴き声と人々の話し声が聞こえる。ああ、そうか。俺は今、リィナが住む村にいるんだった。身体を起こすと、昨日使い果たした魔力が、ある程度回復しているのが分かる。倦怠感は残っているが、動けないほどではない。部屋を出ると、階下から良い匂いが漂ってきた。パンを焼く匂いだ。階段を下りると、キッチンで料理をするリィナの姿が見えた。

 

「あ、起きた? おはよう、ツキト」

 彼女はエプロン姿で、手には木のヘラを持っている。

 

「……おはよう」

「よく眠れた?」

「ああ、久しぶりにちゃんと眠れた気がする」

「それは良かった。じゃあ、朝ごはん食べよ。今ちょうど焼きたてなの」

 リィナがテーブルに並べたのは、焼きたてのパン、野菜のスープ、チーズ、そして果物だった。素朴だが、温かい食事だ。パンからは湯気が立ち上っている。

 

「毎朝これを作ってるのか?」

「うん。妹の分もあるから、いつも多めに作ってるの」

 と、その時。階段から、ぱたぱたと小さな足音が聞こえてきた。

 

「お姉ちゃん、今日のご飯は――あれ?」

 階段を下りてきたのは、リィナよりも幼い少女だった。歳は十歳前後だろうか。亜麻色の髪はリィナと同じだが、髪型はショートカットで、寝癖が少しついている。大きな瞳がぱちくりと俺を見つめた。

 

「……誰?」

「おはよう、ルナ。この人は、ツキトっていうの。昨日、森でゴブリンに襲われてた時に助けてくれた人よ」

「……お姉ちゃんを助けてくれたの?」

 ルナと呼ばれた少女は、俺をじっと見つめてくる。

「そうよ。だから、しばらくうちに泊まってもらうことにしたの」

「そっか……ありがとう」

 ルナは小さな声でそう言うと、リィナの隣に座った。

 

「ルナ、髪ぼさぼさよ。ちょっと待ってて」

 リィナは立ち上がると、妹の髪を優しく撫でながら、寝癖を直し始めた。ルナは少し眠そうにしながらも、姉に身を任せている。

 

「もう、ちゃんと自分で直してよ」

「だって、お姉ちゃんがやってくれる方が綺麗になるもん」

「甘えん坊ね」

 リィナは笑いながら、妹の髪を整えていく。その光景は微笑ましく、二人の仲の良さが伝わってくる。

 

「はい、おしまい」

「ありがとう、お姉ちゃん」

 ルナは席に着くと、朝食を食べ始めた。時折、俺の方をちらちらと見ている。

 

「ルナ、そんなにじろじろ見ちゃダメよ」

「だって……変わった服着てるから」

 確かに、この世界の人間から見れば、俺のシャツとスラックスは奇妙に映るだろう。

 

「気になるなら、後で村の仕立て屋さんに行こうか。ツキト、それ以外の服、持ってないでしょ?」

「……ああ。そうだな」

「じゃあ、ギルドの帰りにでも寄ろう」

 

 三人で食事を続ける。リィナとルナは時々、小声で何か話している。姉妹の会話だ。その様子を見ていると、こちらまで少し和んだ気持ちになる。

 

 

 朝食後、リィナに連れられて、俺は村の冒険者ギルドへ向かった。ルナは「お留守番してる」と言って家に残った。玄関で小さく手を振る姿が、妹らしい。家を出ると、村の朝の空気が肌に心地よい。まだ朝早いというのに、村は既に活気に満ちていた。

 石畳の道を歩きながら、俺は周囲を観察した。建物のほとんどは木造で、二階建てか三階建て。屋根は茅葺きや板葺きのものが多い。窓からは洗濯物が干されており、煙突からは朝食の支度をする煙が立ち上っている。

 

「この村、何人くらい住んでるんだ?」

「えっとね、確か三百人くらい。小さな村だけど、交易路が近いから、結構賑わってるの」

 道の両脇には、様々な店が並んでいる。肉屋の前では、店主が朝から肉を吊るしている。魚屋では、おそらく朝に釣ってきたばかりの魚が氷の上に並べられている。八百屋では、色とりどりの野菜が籠に盛られている。

 

「おはよう、リィナちゃん!」

 八百屋のおばさんが声をかけてくる。

 

「おはようございます、エリカさん」

「あら、そっちの男の子は?」

「知り合いです。昨日、森で助けてもらったんです」

「まあ、そうなの。気をつけなさいよ、リィナちゃん。森は危ないんだから」

「はい、気をつけます」

 リィナは慣れた様子で挨拶を交わしながら歩いていく。この村では、皆が顔見知りのようだ。

 

 市場の一角では、子供たちが走り回っている。犬も一緒になって追いかけっこをしていた。井戸端では、女性たちが朝の水汲みをしながら、世間話をしている。

「あっちが鍛冶屋。武器の修理とか、農具の製作とかやってるの」

 リィナが指差した先には、石造りの建物がある。中からは、金槌を打つ音が響いてくる。入り口の前には、剣や斧、鍬などが並べられている。

 

「こっちは雑貨屋。日用品とか、冒険者用の道具とか売ってる」

 その隣の店では、ロープや水筒、ランタンなどが店先に並んでいる。

「あそこがパン屋のマリーさんの店。ルナが大好きなメロンパンを作ってるの」

 パン屋の前からは、甘い香りが漂ってくる。店の前には既に何人かの客が並んでいた。

 

 さらに歩くと、村の中心部に広場があった。石造りの井戸を中心に、ベンチがいくつか置かれている。広場の周りには、比較的大きな建物が並んでいる。

 

「あれが村長さんの家。あっちが教会。そして、あれが冒険者ギルド」

 ギルドの建物は木造の二階建てで、入り口には剣と盾のマークが掲げられている。建物自体は質素だが、しっかりとした造りだ。

 

「小さな村だけど、ギルドの支部があるんだな」

「うん。この辺りは森が近いから、魔物の討伐依頼とかが結構あるの。だから、ギルドも必要なのよ」

 ギルドの前には、何人かの冒険者らしき人物が立っている。革の鎧を着た男性、弓を背負った女性、杖を持った老人。皆、それなりに装備を整えている。

 

 俺たちはギルドの扉を開けた。中に入ると、広々とした空間が広がっていた。

 受付カウンターが正面にあり、その奥には依頼書が貼られた大きな掲示板が見える。板には、羊皮紙に書かれた依頼書が何枚も貼られていた。室内は広く、天井が高い。木の梁が天井を支えており、そこから鉄製のランタンが吊り下げられている。

 

 左側にはテーブルと椅子が並んでおり、冒険者たちが依頼の相談をしたり、休憩したりしている。革鎧の男が地図を広げて何か話し合っており、その隣では魔法使い風の女性が本を読んでいる。右側の壁には、武器庫への扉がある。奥には階段があり、おそらく二階は宿泊施設になっているのだろう。

 

 掲示板の前では、数人の冒険者が依頼書を眺めていた。筋骨隆々の戦士、ローブを纏った魔法使いらしき人物、軽装の盗賊風の男。皆、それぞれの装備を身につけており、真剣な表情で依頼を選んでいる。

 

「いらっしゃい、リィナ。今日はどうしたの?」

 受付にいたのは、三十代くらいの女性だった。茶色の髪を後ろで束ね、眼鏡をかけている。落ち着いた雰囲気の人だ。受付カウンターの上には、書類の束と羽根ペン、インク壺が整然と置かれている。

 

「シーラさん、この人を冒険者として登録したいんです」

「あら、新人さん? 初めまして」

 シーラと呼ばれた女性は、俺を見て微笑んだ。

 

「見ない顔ね。旅の途中でこの村に?」

「……ああ、そんなところだ」

「そう。なら、登録には簡単な手続きが必要よ。この申請書に必要事項を記入してもらうわ」

 彼女は手慣れた様子で、一枚の書類を取り出した。

 

「名前、年齢、それから、スキルの概要ね。詳しく書く必要はないけど、戦闘系か補助系か、その程度は分かるようにしてもらえると助かるわ」

 俺は書類を受け取った。そこには、この世界の文字で質問事項が書かれている。言語パッケージのおかげで、読むことができる。出身地の欄には、適当に「遠方」とだけ書いた。スキルの欄には、『補助系:対象の状態を分析する能力』と記入する。嘘ではないが、詳細は伏せた。

 

 書類を提出すると、シーラはそれを確認し、納得した様子で頷いた。

「分かったわ。補助系ね。珍しいタイプだけど、需要はあるわよ。それじゃあ、登録料は銀貨三枚ね」

「……すまない、今は持ち合わせがない」

「あら」

 

シーラは困った顔をした。だが、リィナが横から口を出す。

「大丈夫です。私が立て替えます」

「リィナ、悪いが――」

「いいのよ。どうせ一緒に依頼を受けるんだから、投資投資」

 

 リィナはにっこり笑った。その笑顔は、計算も邪気もない、純粋なものだ。

 

「……必ず返す」

「うん、楽しみにしてる」

 登録が完了すると、俺は冒険者としての身分証明書を受け取った。金属製のプレートに、俺の名前とランクが刻印されている。ランクは最低のG。初心者用のランクだ。

 

「頑張ってね、ツキト。何か分からないことがあったら、いつでも聞きにきて」

 シーラの言葉に、俺は頷いた。

 

「それじゃあ、ツキト。依頼を見てみる?」

 リィナが掲示板を指差す。そこには、様々な依頼が貼られていた。『薬草の採取』『魔物の討伐』『荷物の運搬』など。初心者向けの簡単なものから、ランクの高い冒険者向けの難しいものまで、色々ある。

 俺は掲示板を眺めながら、自分に合った依頼がないか探した。戦闘系は無理だ。魔法も使えない。となると、補助系の仕事か、それとも――。

 

 その時、ある依頼が目に留まった。

 

────────────────

【依頼:契約書の作成及び確認】

依頼主:村長エドガー

報酬:銀貨十枚

内容:隣村との交易契約書の作成。法的知識を有する者を求む。

────────────────

 

 契約書、か。

 俺は思わず、その依頼書を凝視した。昔、散々作っていたものだ。嫌というほど見てきた。だが――。

 

「ツキト? 何か見つけた?」

リィナが覗き込んでくる。

 

「……ああ。これ、受けられるかもしれない」

「え? 契約書の作成? そういうのって、すごく難しいんじゃ……」

「昔、そういう仕事をしてた。それに――」

 俺は、依頼書に目を向ける。そして、スキルを発動させた。依頼書そのものの「定義」が見える。

 

────────────────

【名前:依頼書(契約書作成)】

【説明文:村長が隣村との交易契約を結ぶために作成を依頼している書類。報酬は銀貨十枚。契約内容の公正性が求められる】

────────────────

 

 なるほど。この依頼は「公正性」を求めている。つまり、どちらか一方に有利な契約ではなく、双方が納得できる内容を作る必要がある、ということだ。それなら、俺のスキルは役に立つかもしれない。契約書の定義を確認しながら、曖昧な表現を明確にし、不公平な条項を修正できる。

 

「……これ、やってみたい」

「本当に? 大丈夫?」

「ああ。報酬もいいし、俺の能力を使えば、うまくできると思う」

 リィナは少し驚いた顔をしたが、すぐににっこり笑った。

 

「そっか! ツキトって、頭良さそうだもんね。じゃあ、受付に言ってみよう」

 俺は、受付のシーラに依頼を受けたいと告げた。彼女は少し驚いた顔をした。

 

「あら、契約書の作成? あなた、そういう知識があるの?」

「……ああ。少し、な」

「そう。実はこの依頼、結構前から掲示されてたんだけど、誰も受けなくて困ってたのよ。村長さんも喜ぶと思うわ」

 シーラは村長の家への道を教えてくれた。俺とリィナは、ギルドを出て、村の中心部へ向かう。

 

「ねえ、ツキト。昔ってどんな仕事してたの?」

 リィナが興味津々に尋ねてくる。

 

「……法律関係の事務仕事だ。書類を作ったり、チェックしたり」

「へえ、すごいじゃん。私、そういうの全然ダメなんだよね。文字読むのは好きだけど、難しい内容になると頭がこんがらがっちゃって」

「慣れの問題だ。誰でも最初はそうだろう」

「ツキトって、真面目だね」

「……そうか?」

「うん。でも、それって良いことだと思う」

 

 リィナの屈託のない笑顔を見て、俺は少しだけ気が楽になった。この依頼は、昔を思い出させるものだ。でも、今回は違う。今回は、誰かを傷つけるためじゃない。ちゃんと役に立てる仕事だ。

 

 

 村長の家は、村の中心部にある立派な石造りの建物だった。リィナと共に扉をノックすると、初老の男性――村長エドガーが出迎えてくれた。

「おお、ギルドから来てくれたのか。助かる、助かる!」

 エドガーは俺たちを応接室に通し、机の上に一枚の羊皮紙を広げた。そこには、この世界の文字で何か書かれている。

 

「実はな、隣のクレスト村と、麦の交易契約を結ぶことになってな。だが、向こうの村長が『ちゃんとした契約書を作ってくれ』と言うんだ。私は文字は読めるが、こういう正式な書類は作ったことがなくてな」

 俺は、その羊皮紙を手に取った。言語パッケージが作動し、文字が翻訳されて理解できる。内容は――。

 

「……これは、覚書のようなものだな」

「覚書?」

「ああ。内容が大まかすぎる。『双方が合意した量の麦を取引する』とあるが、具体的な数量が書かれていない。納期も、価格も、何も明記されていない」

 

 エドガーは困った顔をした。

「そうなのか……。やはり、ちゃんとした書き方があるんだな」

「ああ。契約書というのは、後々のトラブルを避けるために、できるだけ具体的に書く必要がある」

 俺は、スキルを発動させて、羊皮紙の「定義」を確認した。

 

────────────────

【名前:交易覚書(未完成)】

【説明文:麦の取引に関する大まかな合意内容。具体性に欠け、契約書としては不完全。双方の誤解を招く恐れがある】

────────────────

 

 やはり、このままでは不十分だ。だが、これを完成させるのは難しくない。

 

「村長、いくつか質問してもいいか?」

「ああ、もちろんだ」

「まず、取引する麦の種類と数量。それから、納期と受け渡し場所。価格と支払い方法。それから、もし契約が守られなかった場合の対応。これらについて、教えてほしい」

 

 エドガーは目を丸くした。

 

「そんなに細かく決めるのか?」

「ああ。全てを明文化しておけば、双方が安心して取引できる」

 俺は村長から情報を聞き出し、それを整理していった。昔やっていた仕事の感覚が戻ってくる。ただし、今回は違う。どちらか一方に有利な内容ではなく、双方が対等で公正な契約を作る。

 リィナは横で、俺の仕事ぶりをじっと見ていた。

 

「すごいね、ツキト。すらすら書いてる」

「……慣れてるだけだ」

「でも、かっこいいよ。私、こういう頭使う仕事、憧れるんだよね」

 リィナの素直な言葉に、俺は少し照れくさくなった。

 

 一時間後、俺は契約書の草案を完成させた。エドガーはそれを読み、何度も頷いた。

 

「素晴らしい! これなら、クレスト村の村長も文句ないだろう。本当に助かったよ」

 彼は、報酬として銀貨十枚を俺に渡した。ずっしりとした重みがある。初めて自分で稼いだ、この世界のお金だ。

 

「ありがとうございました」

「いやいや、こちらこそ感謝する。また何かあったら、頼むよ」

 村長の家を出ると、リィナが言った。

 

「お疲れ様、ツキト。初依頼、上手くいったね」

「……ああ。何とかなった」

「村長さんも喜んでたし。あ、そうだ。ツキトの服、やっぱりこの世界のじゃないから、目立つと思うんだよね。仕立て屋さん、寄ってく?」

「……そうだな。確かに、このままだと不便かもしれない」

 リィナに案内されて、村の仕立て屋へ向かう。店の前には、色とりどりの布地が飾られていた。

 

「こんにちは、ソフィアさん」

 店に入ると、中年の女性が迎えてくれた。針と糸を手にしており、作業中だったようだ。

 

「あら、リィナちゃん。今日はどうしたの?」

「この人の服を作ってほしいんです。冒険者の服装で」

 ソフィアは俺を見て、興味深そうに目を細めた。

 

「まあ、変わった服ね。これ、どこの国の?」

「……遠い場所のものだ」

「そう。なら、この村の冒険者風の服を用意するわね。ちょっと採寸させてもらうわよ」

 ソフィアは手慣れた様子で、俺の身体のサイズを測っていく。肩幅、胸囲、腕の長さ、脚の長さを正確に測定していく。

 

「うーん、結構がっしりした体格ね。でも、細身の服の方が動きやすいわよね」

「動きやすさを優先してくれ」

「分かったわ。じゃあ、こんな感じでどうかしら」

 

 ソフィアが見せてくれたのは、茶色の革のベストと、丈夫そうな布製のズボン、それにシンプルなシャツだった。冒険者が着るような、実用的な服装だ。

 

「これなら、森の中でも動きやすいし、村でも目立たないわ」

「……いいな。これでお願いしたい」

「服一式で、銀貨五枚ね。既製品だから、すぐ渡せるわよ」

 俺は、村長から受け取った報酬の中から、銀貨五枚を支払った。ソフィアは服を包んでくれた。

 

「ありがとう。着替えは家でいいわよね?」

「ああ」

 店を出ると、リィナが微笑んだ。

 

「似合ってるね。昨日より落ち着いた?」

「……そうだな」

 

 そう言いながら、俺は自分の手を見た。確かに、俺はこの世界に来て、まだ二日目だ。だが、少しずつ、この世界に馴染んでいっている気がする。

 

「あ、そうだ。ルナに約束したメロンパン、買っていこう」

「約束?」

「うん。依頼が終わったら買ってくるって」

 

 俺たちは、朝に見たパン屋へ向かった。店の前からは、相変わらず甘い香りが漂ってくる。

「こんにちは、マリーさん!」

 リィナが店主に声をかける。エプロン姿の陽気そうな女性だ。

 

「あら、リィナちゃん。今日はルナちゃんの分?」

「うん! メロンパン三つください」

「三つ? 珍しいわね」

「この人の分も」

 マリーさんは俺を見て、にっこり笑った。

 

「新しい冒険者さん?」

「はい。ツキトって言います」

「そう。リィナちゃんと一緒に頑張ってね」

 マリーさんは、メロンパンを三つ包んでくれた。外側はサクサクで、中はふんわりとした生地が見える。

 

「銀貨一枚ね」

 リィナが代金を払おうとしたが、俺が先に銀貨を出した。

 

「いや、今回は俺が払う」

「え、いいの?」

「ああ。それと――」

 俺は、残りの銀貨から三枚を取り出し、リィナに渡した。

 

「これ、登録料の分」

「あ……ありがとう」

 リィナは銀貨を受け取り、嬉しそうに微笑んだ。

 

「ツキトって、ちゃんとしてるね」

「……借りは返さないと、落ち着かない性分なんだ」

「そっか。でも、嬉しいよ。ちゃんと約束守ってくれて」

 リィナは財布に銀貨を仕舞いながら、満足そうに頷いた。

 

 

 家に戻ると、ルナが玄関で待っていた。本を読んでいたようで、膝の上に開いた本が乗っている。

「お姉ちゃん、おかえり」

「ただいま、ルナ。ほら、約束のメロンパン」

「わあ!」

 ルナの顔がぱっと明るくなる。本を閉じて、リィナに駆け寄ってくる。

 

「ありがとう、お姉ちゃん」

「ツキトも一緒に食べよ」

 三人でテーブルを囲んだ。ルナは嬉しそうにメロンパンを手に取る。

 

「いただきます」

 一口齧ると、その顔がさらに明るくなる。

 

「美味しい! やっぱりマリーさんのメロンパンが一番」

「でしょ? 私も大好きなの」

 リィナも嬉しそうに自分のメロンパンを食べている。姉妹で同じものを好きなのだろう。その様子を見ていると、微笑ましい。

 

「ツキトも食べてみて」

 勧められて、俺も一口食べた。ほんのりした甘さとバターの風味が口いっぱいに広がる。

 

「……美味いな」

「でしょ?」

 ルナが得意げに言う。

 

「ね、ツキト。今日はどこ行ってたの?」

 ルナが興味津々に尋ねてくる。

 

「冒険者ギルドに登録して、それから村長の仕事を手伝った」

「へえ。ツキトは何ができるの? 剣とか、魔法とか?」

「いや、そういうのは使えない。書類を作ったりする仕事だ」

「書類?」

「契約書とか、そういうもの」

 ルナは少し考えて、

 

「難しそう」

「まあ、慣れればそうでもない」

「すごいね。私、難しい字読むの苦手」

「ルナはまだ勉強中だからね」

 リィナが妹の頭を撫でる。ルナは少し照れたように、

 

「お姉ちゃん、また子供扱いする」

「だって、可愛い妹だもん」

「もう……」

 二人のやり取りを見ていると、姉妹の仲の良さが伝わってくる。

 

「ねえ、ツキト」

 ルナが不意に俺を見た。

 

「なんだ?」

「あのね、お姉ちゃんをこれからも守ってね」

「ルナ、何言ってるの」

「だって、お姉ちゃん、一人で危ないことするから心配なの」

 ルナの目は真剣だ。本当に、姉のことを心配しているのだろう。

 

「……ああ。できる限り」

「ありがとう」

 ルナは安心したように、またメロンパンを食べ始めた。リィナは少し照れたように、

 

「ごめんね、ツキト。ルナ、心配性なの」

「いや、いい妹じゃないか」

「……うん。自慢の妹よ」

 リィナは優しく妹を見つめた。その視線には、深い愛情が込められている。

 

 

 その夜、リィナの家で夕食を取った後、俺は自分の部屋で一人、今日のことを振り返っていた。

 契約書の作成は、思ったよりもすんなりできた。昔の知識が役に立った。ギルドの登録も済んだ。服も手に入れた。この世界での生活の基盤は、少しずつ整ってきている。

 

 だが、まだ分からないことだらけだ。この世界がどういう仕組みで動いているのか。魔法とは何なのか。魔物とは何なのか。そして、俺の持つ「定義改竄」というスキルが、この世界でどういう位置づけなのか。

 

 と、その時。脳内に、システムメッセージが表示された。

 

────────────────

【通知:定義改竄の使用回数:4回(累計)】

【警告:世界システムによる追跡が進行中です】

【分析:あなたの行動パターンから、所在地が特定される可能性があります】

【推定時間:72時間以内】

────────────────

 

 ……やはり、追跡は続いているのか。

 

 三日以内に、俺の居場所が特定される。その時、何が起こるのか。誰かが来るのか? それとも、何か別の事態が起こるのか?

 

 俺は、今後の行動を考えた。

 

 選択肢は、いくつかある。一つは、村を出て、追跡をかわすこと。だが、それでは根本的な解決にはならない。追跡は続くだろうし、リィナやルナを巻き込む可能性もある。

 もう一つは、ここに留まって、来るべきものを待つこと。だが、それも危険だ。相手が何者で、何を目的としているのか分からない以上、無防備に待つのは得策ではない。

 

 三つ目は、情報を集めること。世界システムとは何なのか。なぜ俺が追跡されているのか。それを知れば、対策も立てられるかもしれない。

 

(……とりあえず、明日調べてみるか。転移者のことや、世界システムのこと。)

 

 この世界には、俺のような転移者が他にもいるかもしれない。それなら、彼らがどうやってこの世界で生きているのか、参考になるかもしれない。

 それに、もっとこの世界のことを知る必要がある。魔法の仕組み、スキルの種類、モンスターの生態。知識は、生き延びるための武器になる。

 俺は窓の外を見た。星空が広がっている。見たこともない星座だ。この世界は、まだ知らないこ

とだらけだ。

 

(……まずは、この世界を理解することだ。焦っても仕方ない。)

 

 今日は、悪くない一日だった。契約書の仕事もできた。リィナやルナとも、少しずつ打ち解けられている気がする。この世界に来て、まだ二日目だが、少なくとも生き延びる道は見えてきた。

 後は、世界システムの追跡にどう対処するか、だ。

 

 階下から、リィナとルナの笑い声が聞こえてきた。二人は、夕食の後片付けをしているのだろう。その声は、温かく、平和だ。

(……できれば、この平和を壊したくない。)

 

 そのためにも、俺は動かなければならない。情報を集め、対策を立て、来るべき事態に備える。

 三日、か。時間は、そう多くない。

 

 俺は、明日からの行動を頭の中で整理し始めた。ギルドでの情報収集。図書館があれば、そこで世界の歴史や魔法について調べる。それから、スキルの練習も必要だ。定義改竄の限界を知らなければ、いざという時に対応できない。

 

 やるべきことは、山ほどある。

 だが、焦ってもいけない。一つずつ、確実に。それが、俺のやり方だ。

 

 そう思いながら、俺は眠りについた。明日は、また新しい一日が始まる。この世界で、俺がどう生きていくのか。その答えを、少しずつ見つけていこう。

 

◇◇◇

 

 ――その夜、村の外れ。

 

 森の奥深く、誰も立ち入らない場所に、一つの影があった。黒いローブを纏い、顔を深いフードで隠した人物。その者は、手に持った水晶玉を凝視していた。

 水晶玉の中には、村の映像が映っている。そして、その中心に――|識月人の姿が。

 

「……見つけた」

 低く、冷たい声が、闇の中に響いた。

 

「権限外の定義改竄を行う者。イレギュラーの魂。世界システムが、お前の排除を命じた」

 その者は、水晶玉に魔力を注ぎ込む。すると、村の位置が正確に表示された。

 

「三日以内に、始末する。世界の調和を乱す者は、存在を許されない」

 影は、静かに森の中へ消えていった。

 

 そして、村では――。

 何も知らない識月人が、束の間の平和な眠りについていた。彼の運命が、大きく動き始めようとしていることも知らずに。

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