条文の奴隷だった俺は、異世界で神の条文を書き換える 作:べ¥
朝日が昇る前、俺は目を覚ました。
昨夜のシステムメッセージが頭から離れない。『72時間以内に所在地が特定される』――つまり、残り時間は約48時間。何が起こるのかは分からないが、準備なしに待つのは愚策だ。俺は静かにベッドを出て、窓の外を見た。村はまだ静かで、空が白み始めたばかり。早朝の冷たい空気が心地よい。
(まず、情報だ。敵を知らずして戦うのは自殺行為。この世界のルール、スキルの仕組み、そして俺を追跡している「世界システム」とやらの正体――)
前世で学んだことがある。法廷闘争で勝つには、相手の論理を理解し、法の抜け穴を見つけることだ。この世界でも同じはずだ。相手のルールを理解し、その隙間を突く。階下から、リィナが動き出す気配がする。早起きなのは、冒険者の習慣なのだろう。俺も身支度を整え、階下へ降りた。
「おはよう、ツキト。早いのね」
リィナはエプロン姿で、朝食の準備をしていた。
「……ああ。今日、ギルドで情報を集めたいんだが、付き合ってもらえるか?」
「情報? どんな?」
「この世界の基礎知識だ。魔法やスキルの仕組み、それから――」
俺は少し躊躇してから続けた。
「転移者についても、知りたい」
リィナは手を止めて、俺を見た。
「転移者……ツキトって、やっぱり別の世界から来たの?」
「……ああ」
隠しても仕方ない。むしろ、リィナには正直に話した方がいい。彼女は、信頼できる数少ない人間だ。
「そっか。だから、服装も変だったし、言葉遣いも少し違ったんだね」
リィナは驚いた様子もなく、むしろ納得したように頷いた。
「転移者って、たまに現れるらしいよ。私も詳しくは知らないけど、昔、村に来た行商人が言ってた。『別世界の知識を持つ者』って」
「……そうか」
「でも、ギルドでも図書館でも、あんまり詳しい資料はないかも。村長さんとか、教会のシスターに聞いた方が早いかもね」
リィナの提案は的確だ。確かに、長く生きている人間の方が、貴重な情報を持っているだろう。
「分かった。朝食の後、村長の所に行ってみる」
「うん。私も一緒に行くよ」
◇
朝食後、俺たちは村長エドガーの家を訪ねた。昨日の契約書作成で世話になった彼なら、快く情報を提供してくれるだろう。
「おお、月人くんじゃないか。どうした?」
エドガーは相変わらず温和な笑顔で迎えてくれた。
「昨日はお世話になりました。今日は、少しお聞きしたいことがあって」
「ほう、何だね?」
俺は、できるだけ自然に質問を始めた。
「この世界の魔法やスキルについて、基本的なことを教えていただけますか? 俺は――」
一瞬、言葉を選んでから続けた。
「片田舎から来たもので、あまり詳しくないんです」
エドガーは「ああ、なるほど」と頷いた。
「そうか、旅の者か。まあ、基本的なことなら教えられるぞ」
彼は椅子に座り直し、説明を始めた。
「この世界では、人は誰でも『スキル』を持っている。生まれつき持つ者もいれば、後天的に習得する者もいる。スキルには大きく分けて三種類ある。『コモンスキル』『レアスキル』『ユニークスキル』だ」
「……それぞれの違いは?」
「コモンスキルは、誰でも習得できる基礎的な能力だ。『剣術』『弓術』『料理』といったものだな。レアスキルは、特定の才能や訓練が必要なもの。『火魔法』『治癒魔法』『鑑定』など。そして、ユニークスキルは――」
エドガーは少し声を落とした。
「世界に一つしかない、特別な能力だ。神や世界そのものから授けられると言われている。非常に強力だが、その分、使い手も少ない」
俺の『定義改竄』は、間違いなくユニークスキルだ。そして、それが世界システムの監視対象になっている。
「ユニークスキルを持つ者は、どうなるんですか?」
「それは人による。英雄になる者もいれば、災厄をもたらす者もいる。力が強すぎるがゆえに、周囲から恐れられることも多い」
……やはり、目立つのは危険だということか。
「転移者について聞いたことはありますか?」
エドガーは少し考えてから答えた。
「ああ、伝承にはある。別世界から召喚された者たちだ。多くは、強大な魔王を倒すために勇者として召喚されるらしいが……最近は、そういう話も聞かないな」
「彼らは、どうやってこの世界に適応したんでしょう?」
「さあな。記録によれば、別世界の知識を活かして、この世界に新しい技術や文化をもたらした者もいたそうだ。だが、詳しいことは分からん。もっと知りたければ、王都の大図書館に行くしかないだろう」
王都、か。この村からどれくらい離れているのか分からないが、すぐには行けそうにない。
「ありがとうございました。参考になりました」
「いやいや。また何かあったら聞きにきなさい」
村長の家を出ると、リィナが言った。
「ユニークスキル、か。ツキトのスキルって、もしかして……」
「……ああ。おそらく、な」
「すごいじゃん! でも、あんまり人には言わない方がいいね。エドガーさんも言ってたけど、力が強すぎると恐れられるって」
「分かってる」
リィナの判断は正しい。俺も、このスキルは秘密にするつもりだ。
◇
昼前、俺たちは村の外れの森へ向かった。
「ツキト、何するの?」
「スキルの実験だ。限界を知っておかないと、いざという時に対応できない」
前世の教訓だ。契約書を作る時も、必ず判例や法律の限界を調べてから作成した。今回も同じだ。スキルの限界を知らずに使うのは、地図なしで航海するようなものだ。俺は、森の開けた場所を選んだ。周囲に人がおらず、何かあっても被害が最小限で済む場所だ。
「リィナ、見張りを頼む。誰か来たら教えてくれ」
「了解」
リィナは木に登り、周囲を警戒する体勢を取った。さすが冒険者だ、動きが軽い。
俺は、まず足元の小石を拾った。ウィンドウが表示される。
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【名前:石灰岩の欠片】
【説明文:ありふれた石。特に用途はない】
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これを書き換える。まずは、小さな変更から。
『この石は、僅かに発光する性質を持つ』
『確定』
魔力が消費される。石が、ほんのり淡く光り始めた。消費したMPは、体感で全体の5%程度か。
次は、もう少し大きな変更を試す。
『この石は、強い光を放ち、周囲を照らす』
『確定』
今度は、明らかに大きな魔力消費を感じた。15%くらいか。石が眩しいほどの光を放つ。
(なるほど。変化の度合いが大きいほど、消費も増える、か)
次は、植物で試す。近くに生えている雑草に手を伸ばす。
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【名前:イタドリの若芽】
【説明文:食用可能な野草。僅かに酸味がある】
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これを書き換えてみる。
『この若芽は、甘みが強く、果物のような味がする』
『確定』
魔力消費は10%程度。実際に一口齧ってみると、確かに甘い。成功だ。だが、次の実験で、俺は重要な限界に気づいた。
近くにいた小鳥に意識を向ける。
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【名前:ムクドリ】
【説明文:この森に生息する小鳥。警戒心が強く、人に懐きにくい】
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試しに書き換えてみる。
『この鳥は、人間に懐きやすい性格を持つ』
『確定』
その瞬間、激しい頭痛が走った。魔力が一気に30%も消費される。だが――鳥の行動に変化はない。相変わらず警戒して、俺から距離を取っている。
(……駄目か。生物の内面、精神的な部分は書き換えられないのか)
それは、ある意味で安心できる制約だった。もしこのスキルで他者の心を操れるなら、それこそ前世以上に危険な力になる。
「ツキト、大丈夫? 顔色悪いよ」
リィナが木から降りてきて、心配そうに覗き込む。
「……ああ。少し魔力を使いすぎた」
「休憩しよ。無理しちゃダメだよ」
リィナが水筒を差し出してくれた。冷たい水を飲むと、少し楽になる。
「分かったことがある。このスキルには、明確な制約がある」
「どんな?」
「生物の内面は書き換えられない。それから、対象の本質から離れるほど、魔力消費が増える。無理な改変は、コストが高すぎて実用的じゃない」
「なるほど……でも、それでも十分すごいよ。物の性質を変えられるんだから」
「……そうだな」
俺は、さらにいくつかの実験を続けた。水の温度を変える。木の枝の硬度を変える。土の性質を変える。それぞれの消費MPを体感的に記録していく。約一時間後、俺は大まかな法則を理解した。
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・物理的な性質の変更は比較的低コスト
・生物の内面・精神への干渉は極めて高コスト、かつ効果が薄い
・存在の根本を変える改変は不可能に近い(石を金に変える、など)
・既存の性質を強調・抑制する方が、新しい性質を付与するより低コスト
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「ツキト、そろそろ戻ろっか。もう昼過ぎだよ」
「……ああ。十分だ」
俺たちは村への帰路についた。森の中を歩きながら、俺は今日得た情報を整理していく。ユニークスキルの希少性、転移者の存在、そしてスキルの限界――。
と、その時。
俺は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「……リィナ、止まれ」
「え?」
俺は周囲を警戒する。何かがいる。視線を感じる。殺気、というほど明確ではないが、明らかな観察の視線だ。
「誰だ」
俺は声を張った。すると、前方の木々の影から、一つの人影が現れた。
黒いローブを纏い、顔をフードで隠した人物。昨夜、村の外れで俺を見ていた影と同一人物だろう。
「……
低く、抑揚のない声。
「あなたは、イレギュラーです」
「イレギュラー?」
「この世界の正規データに存在しない魂。権限外の定義改竄を行う者。世界システムが、あなたの排除を決定しました」
背筋が凍る。この人物は、俺の能力を知っている。そして、俺を「排除」すると言った。
「リィナ、下がれ」
俺は即座にリィナを庇うように立つ。
「誰だ、お前は」
「私は調停者。世界の調和を守る者です」
黒ローブの人物――調停者と名乗った者は、ゆっくりと手を上げた。その手から、青白い光が溢れ出す。魔力だ。だが、そのレベルが俺とは桁違いだと、直感的に分かる。
「あなたの存在は、世界の因果律を乱します。これ以上の干渉を続けるなら、即座に排除します」
「待て――」
だが、調停者は聞く耳を持たなかった。青白い光が、弾丸のように俺に向かって放たれる。俺は咄嗟に、足元の地面に意識を向けた。
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【名前:森の地面】
【説明文:落ち葉と腐葉土で覆われた柔らかい地面】
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書き換える!
『この地面は、極めて滑りやすく、立つことが困難』
『確定』
魔力の大半を消費する。地面が一瞬で泥濘と化し、調停者の足元が崩れた。青白い光が軌道を逸れ、俺の脇を掠める。
「逃げるぞ!」
俺はリィナの手を引いて、全速力で走り出した。調停者の声が背後から聞こえる。
「……逃げても無駄です。72時間以内に、必ず排除します」
森を抜け、村へ向かって走る。魔力はほぼ枯渇している。もう一度攻撃されたら、防げない。
だが、幸いにも追撃はなかった。調停者は、深追いはしなかったようだ。村の入り口まで辿り着いて、俺たちはようやく立ち止まった。息が切れる。心臓が激しく鳴っている。
「ツキト……今の、何……?」
リィナも、恐怖で声が震えていた。
「……分からない。だが、俺を狙っている」
俺は、自分の手を見た。まだ震えている。あの圧倒的な力の差。もし、あの攻撃がまともに当たっていたら、俺は今頃――。
「とにかく、村に戻ろう」
◇
夕方、俺たちはギルドに戻った。
だが、そこで俺たちを待っていたのは、さらなる不穏な知らせだった。
掲示板の前に、冒険者たちが集まっている。何か重要な依頼が出たのだろう。
「何の騒ぎ?」
リィナがギルドの受付にいるシーラに尋ねる。
「大変なのよ。緊急の討伐依頼が出たの」
シーラは深刻な顔で、掲示板を指差した。そこには、真新しい羊皮紙が貼られている。
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【緊急依頼:魔刻狼の討伐】
依頼主:村長エドガー
推奨ランク:C以上
報酬:金貨五枚
内容:森の奥に強力な魔物『魔刻狼』が出現。このまま放置すれば、村への襲撃が予想される。討伐を求む。
期限:三日以内
────────────────
「金貨五枚……? すごい報酬」
リィナが目を輝かせる。
「……リィナ、この依頼は受けない方がいい」
俺は即座に判断した。これは偶然じゃない。調停者との遭遇の直後に、この依頼が出る。タイミングが良すぎる。その時、脳内にシステムメッセージが表示された。
【通知:イベントフラグを検出しました】
【分析:魔刻狼討伐イベント――メインシナリオの一部です】
【警告:このイベントへの介入は、世界システムの監視レベルを上昇させます】
やはり、これは「システム」の影響なのか。
だが――。
「でもさ、ツキト。放っておいたら、村が襲われるかもよ?」
リィナの言葉が、俺の心を揺さぶる。
「それに、金貨五枚あれば、私たちはしばらく安心して暮らせる。ルナにも、もっといい服を買ってあげられる」
リィナの目は真剣だ。彼女は、妹のために、この危険な依頼を受けたいのだ。俺は迷った。前世なら、俺は関わらなかっただろう。他人のトラブルに首を突っ込むのは、自分を破滅させる原因だった。
だけど、リィナとルナの笑顔が、脳裏に浮かぶ。あの温かい朝食の時間。メロンパンを嬉しそうに食べるルナ。姉の帰りを待つ妹。
(……くそ。)
俺は、自分でも驚くほど早く決断していた。
「分かった。受けよう」
「本当!?」
「ただし、条件がある。俺が作戦を立てる。リィナは、俺の指示に従ってくれ」
「もちろん!」
リィナは嬉しそうに頷いた。
俺は受付のシーラに依頼の受諾を告げた。彼女は驚いた顔をしたが、
「……分かったわ。でも、無理はしないでね。命あっての物種よ」
「ああ」
依頼書を受け取り、俺たちはギルドを出た。外はすっかり暗くなっていた。夜の闇が、村を包んでいる。
「ツキト、本当に大丈夫? さっきの森での出来事も気になるし……」
「……ああ。だが、逃げても解決にはならない」
「今度こそ、誰も傷つけずに終わらせる」
それは、俺自身への誓いでもあった。
前世で、俺は正しさで誰かを殺した。今度は、この力で誰かを守る。間違えるわけにはいかない。だが、同時に不安もあった。
この依頼は、世界システムが用意した「シナリオ」だ。俺が介入すれば、さらに監視が強まる。調停者が再び現れるかもしれない。それでも、俺は進むしかない。この世界で生き延びるために。
「明日から、準備を始めよう。武器、防具、それから情報収集。魔刻狼の生態を調べる必要がある」
「了解!私に任せて。森の魔物については、結構詳しいから」
リィナの前向きな言葉に、俺は少しだけ救われた気がした。
家に戻ると、ルナが夕食の準備をして待っていた。
「お帰り、お姉ちゃん、ツキト」
「ただいま、ルナ」
その夜、三人で食卓を囲みながら、俺は思った。
この日常を、守りたい。
例え、それが世界のシナリオに逆らうことになろうとも。
◇
――村の外れ。
森の奥深くで、魔刻狼が咆哮を上げていた。その身体には、無数の魔法陣――魔刻が刻まれている。
「……来るがいい、イレギュラー」
調停者の声が、闇に響いた。
「お前の選択が、お前自身を破滅させる。それを、身を以て知るがいい」
黒ローブの影は、静かに森に溶けていった。