胸の穴には花束を刺して   作:富野倒去

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趣味と趣味と趣味で書いてます。


【1-1】約束は呪う

 血が、流れている。

 自らの身体からとくとくと命の源が零れ落ちていた。背中の奥から死の闇が迫っていることを実感する。まもなく自分という一個の生命は終わりを迎えるだろう。最早それを覆す術はない。なのに、その胸には終わりを前にした恐れも憤りもありはしなかった。

 ただ、心を満たすのは溢れんばかりの悲しみ。どうしようもない哀れみ。

 

「すまない、私はここでしまいだ」

 

 そばに誰かがいる。その誰かに話しかけているのだと思う。

 ただ、視界はもう真っ暗で。その誰かの姿を見ることは叶わなかった。血が流れ過ぎている。既に指一本動かせないのだ。末期の泉には喉元を越え顎先まで浸かっている。もう少しすればこの口も動かなくなってしまうのだろう。

 

「すまないな。あぁ、これでは恥ずかしくて祖霊の顔も見ることはできまい」

 

 それでも、慌てることなく一言一言を大切に言葉を紡ぐ。いつ途切れるともわからないのに。言い聞かせるようにゆっくりと口を動かす。

 どうしてだろう。

 どうして、そんなことができるのだろう。

 

 私にはわからない。

 

「だから、きっと──────」

 

 きっと。

 何か、とても大切な何かを口にした。けれど、口にしたはずの、その言葉がわからない。聞こえない。思い出せない。

 私にはちっともわからない。

 わかるのは溢れんばかりの悲しみ。どうしようもない哀れみ。それから。

 最後の一言を告げられたという安堵。

 

 何を言ったのだろうか。

 何を伝えたのだろうか。

 

 ああ、闇に閉ざされたと思っていた視界に金色の満月が映る。心を洗うような真円の輝き。悲しみも、哀れみもゆっくりと溶けて。ただ、その光に祈り、誓う。

 だから安心して。

 大丈夫。

 きっと、いつか───。

 

 

###

 

 

 ピピピピピピピピ。

 連なる電子音。小気味良いビート。だが、眠りを妨げるならそれは不快な騒音にしかならない。

 

「んぁ……」

 

 枕元を仰向けのまま手で探る。不快な音の原因を触覚を頼りに仕留めるのだ。固いものに指が触れ、ボタンらしき突起を探り当てる。その時点で心には平穏が戻りつつあった。あとはこれを押し込めば再び快適な安眠の時間が───。

 

「さっさと起きんか馬鹿孫娘!!!」

 

 あと一押しのはずだった平穏はその怒声で儚く終わりを迎えた。

 

「……っ、うるせぇ!クソじじい!!」

 

 怒りの感情と共に体を起こし怒鳴り返す。だが、起き上がってしまった以上もう望んでいた時間は訪れない。ずり落ちたキャミの肩紐と共に眠りは零れ落ちてしまった。目覚めの朝。早朝の未だ明けきらない空が視界の端に入った。

 

「んぅ……んぁあ~~~~」

 

 布団の上で腕や足の関節を捻り、体の筋を引き伸ばす。

 体を起こせば頭は冴える。まるでスイッチを切り替える様に。友人にはよく羨ましがられるが、だからこそもっと横になって微睡んでいたかった。一度意識が切り替わってしまえば少し前までの幸福は終わり、もう取り戻せないのだから。

 とはいえ、起きたものは仕方がない。

 

「いくか」

 

 顔にかかっていた髪を掻き上げ、瞑務祇疒(くらむしはやり)───ハヤリは朝を迎えた。

 

 

 顔を洗い、緋袴に着替える。

 ハヤリの家は神社だった。正確には武術の道場をやっていて、その隣にある小さな神社も管理しているというのが正しいか。元はそれなりに由緒のある(やしろ)であったらしいが、今となっては街の人にすらほとんど知られていない。時々小学生が探検にやってくる程度の寂れた所だ。そこを巫女姿で毎朝掃除するのはハヤリの役目だった。

 祖父に投げつけられた竹箒を手に社の周りを掃いて清める。ハヤリとしては今時もう少し楽な掃除の仕方もあると思うのだが、今日にいたるまで毎朝の作業がアップデートされる見込みはない。

 慣れてしまえばさして苦にはならないのだけれど。

 

「こんな小さな神社に巫女なんていても違和感しかねぇよなぁ」

 

 首元で縛った色素の薄い髪を玩びながら、慣れ切ったルーチーンで朝の仕事を片付けていく。地面を掃いて灯篭の土ぼこりをかるく払う。休日ならもう少し丁寧に掃除するが平日の朝はそこまで手をかけていられない。なんならこの後道場の掃除もあるのだ。

 

「今日こそクソじじいをのす……!」

 

 そろそろ秋も深まり落ち葉も多い。この時期はゴミ袋にまとめて裏手にもっていく必要があるので少し手間が増える。更に季節が進むと今度は寒さにかじかみながら掃除をすることになるのでどちらがいいかはなんとも言えない。

 

 落ち葉で膨らんだゴミ袋を片手に裏手に回ろうとしたところで、ふと小さな鳥居の下に人影が見えた。この時間にここを訪れる参拝客など皆無だ。

 一瞬、祖父かとも思ったがそれにしては線が細い。

 

「あの」

 

 柔らかな、高い声。小川のせせらぎの様に耳に心地よかった。

 声の方へ顔を向ければ、そこにはハッとさせるような美人が立っていた。

 背丈はハヤリより高い。女性にしては長身だ。全体的にすらりとした体で、体の前で組まれた手は浮き立つように白く細い。首元まで覆うタートルネックのワンピースは深い緑色をしていた。長く艶やかな長い黒髪は由緒のある日本人形の様にも見える。

 

「あなたですか?」

「はい...…?」

 

 大きな栗色の瞳がこちらを見つめている。西洋の血が入っているのだろうか。鼻立ちが少し高く海外の映画に出てくる女優の様な印象を受ける。だが、表情は柔らかく美人特有のとっつきにくさをほとんど感じない。

 

「違うでしょうか?」

「えぇっと……」

 

 わずかに困ったように眉を寄せる。悩まし気なその姿を見れば誰しも彼女を助けたいと思うかもしれない。

 意味の分からない問いかけをされなければ───だが。

 

「うちの神社に何か御用ですか?」

 

 ジッとこちらを見つめる彼女にどうしたものかとハヤリも困る。問いかけの意味は全くわからない。ひとまず口にしてみたハヤリからの質問にも答える素振りはない。

 ゴミ袋をその場に置き、竹箒を手に鳥居の下へ歩み寄る。話を聞くにせよ追い返すにせよ。あるいは、他の選択肢を選ぶにせよ。自分の家が管理して自分の掃除する社である以上はハヤリが決めねばならぬことだ。

 

 そばによると、尚更に彼女の顔立ちの良さが際立った。大きな瞳とそれを縁取る長いまつ毛。鼻梁は品の良い曲線を描き、その下の蓮の花の様な薄紅色の唇は淡い笑みを浮かべている。その姿に、つい息をのむ。どうしてか胸のあたりがじくじくと痛んだ。心臓の刻む鼓動が早まる。箒を握る手に力を込めて痛みに耐える。意識せずとも自然と足は彼女の目の前まで進みピタリと止まった。

 

「……」

 

 何を言えばいいかわからない。

 どうして……?

 ハヤリは決して人見知りをするタイプではないのだけれど。近づいたハヤリに向けて柔らかく笑いかける黒髪の彼女へと、かける言葉が浮かばず惑っていた。不思議な香り。朝日を吸い込むような黒髪。大きな瞳。涼やかな秋の朝の空気がどうしてか暑い。向かいあっているだけなのに緊張する。呼吸が少し浅くなる。

 何の用かと、ただもう一度真正面から問いかけるつもりのはずだったのに。

 言葉に詰まる。そんな自分に戸惑う。

 額にしわが寄る。

 それでも言葉を形にできなくて。

 

 やがて、先に口を開いたのは鳥居の下に立つ黒髪の女性だった。

 

「私の名前は徳一氵百合(とくひとさゆり)と言います。貴女の名前をお聞きしてもいいですか、お嬢さん」

「……瞑務祇(くらむし)(はやり)。大抵の知り合いはハヤリって呼んでます」

「そう。ハヤリ……はやり……ハヤリ……わかりました。私の事もどうかサユリと呼んでください」

 

 口の中で何度か転がすようにハヤリの名を呟き、彼女はハヤリへ向ける笑みを深くした。

 

「……はい、サユリさん」

 

 返事を返した声が上ずっていて、ハヤリは恥ずかしくなって顔が熱くなる。

 

「もっと楽な口調でいいのですが……フフ、よろしくお願いしますね、ハヤリ」

 

 古ぼけてボロボロの鳥居には不釣り合いな美しい女性───サユリは口元に手を当て上品に笑った。前髪がつられてゆらりと揺れた。その姿にハヤリはぼうっと見入ってしまう。

 かけるはずの問いは既に頭になく、ただ彼女の存在でハヤリの中がいっぱいになる。

 熱病に浮かされたように唇が震え、吐く吐息が熱くなる。

 

「ハヤリ───」

 

 名前を呼ばれる。

 不思議な気分だった。線が細く手折られてしまいそうな儚げな印象を受けるのに、同時にこちらを捕らえて身じろぎすら許さない鋼の鎖の様な力強さも感じる。ただ、名前を呼ばれる。それだけなのに指先がしびれる。目の端にチリチリとした痛みが走る。

 声が。

 名前を呼ぶ声が。耳の奥の何かを溶かすようなサユリの声が。

 声が、頭の中を幾度も反響する。

 

───ハヤリ

──────ハヤリ

─────────ハヤリ

 

「おい、ハヤリ!何をしておる!!」

 

 無遠慮に耳朶を叩く聞きなれた声にハッとする。

 

「神社の掃除はまだ終わっとらんのか!これ以上遅くなるなら今日の稽古はまず三回は絞め落とすぞ!」

「もう終わる!!」

 

 反射的に叫び返す。近所迷惑甚だしい。

 そうして気がつく。

 

「あれ?サユリさんは……?」

 

 目の前には誰もいなかった。そこにはいつも通りの朱色も剥げかけている古ぼけた鳥居だけがあった。

 初めから自分しかいなかったように、吹き抜ける秋風は冷たい。

 まるで白昼夢。先程まであんなにも強烈に意識を支配した彼女の存在が急に霞の様にぼやけていく。

 

「夢……いや、そんな…………」

 

 額を抑える。

 ふわりと揺れる黒い前髪も。怖くすら感じる白く細い手も。こちらをジッと見つめる栗色の瞳も。ハヤリの名を呼んだせせらぎの様なあの声も。

 

「サユリさんはいた……間違いなく、いた」

 

 サユリ。その名前はずっと慣れ親しんだ言葉の様にするりと口にできた。それこそが彼女がここにいた証拠の様に思えた。ふと気づけば関節が白くなるほどに力を込めて竹箒を握りしめていて、慌てて力を緩める。加減を間違えて手放してしまった竹箒の柄がカランと音を立てて石畳を叩いた。

 

「そういえば、結局何の用だったんだろう」

 

 彼女の姿に声に、つい忘れてしまっていたけれど。

 彼女は何をしにここを訪れたのだろうか。何を聞こうとしていたのだろう。

 あの言葉の意味は、何だったのだろうか。

 

───あなたですか?

 

「ハヤリ!!まだか!」

「わかってる!今行くから首洗って待ってろ!!」

 

 深く沈みかけた思考は祖父の怒声に再び遮られた。

 ハヤリは長く深く息を吐き出すと、落とした箒とゴミ袋を拾い足早に朝の仕事を終わらせに動いた。

 神社の境内はいつもと変わらぬ、静かな空気に包まれている。既にあの熱もハヤリの中から消えてしまった。目に映る景色も、聞こえる音も、朝の匂いも慣れ親しんだものだ。

 それでも。

 

───ハヤリ

 

 黒く美しい髪の彼女が自分の名前を呼ぶ声。その音がハヤリの頭の中から消えることはなかった。

 

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