胸の穴には花束を刺して   作:富野倒去

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【1-6】約束は呪う

『アリア、アリア。今日は私を殺さないのですか?』

 

 アリアがキュクロープスと言葉を交わしてから一年程の時間が経っていた。

 アリアが悪魔の森へ通うこと、それ自体はそれ以前と少しも変わっていない。ただ、森の中で彼女が過ごす時間はすっかり様変わりしていた。

 この森へと派遣されて三年間、アリアは何度も血反吐を吐きながらキュクロープスと死闘を繰り広げていた。キュクロープス側にそういう認識はなかったのかもしれないが───アリアにとっては常に命がけの戦いだったし、実際何度も死にかけていた。

 だがこの一年は森の中でアリアが血を流す事は一度もなかった。それどころか槍を振るうことすら数える程度だ。

 

「それは前回やっただろう。いつも会話している相手を串刺しにするのはあまり気分がよくないんだ。今日は勘弁してくれ」

『そうですか……』

「代わりに今日は美味いものを持ってきた。それで満足してくれ」

『あら、なんだか甘い匂い。リンゴの蜜を思い出します』

「蜂蜜を練り込んだ黒パンだ。どうも大きな商隊が近くを通ったらしくてな。色々と普段は見られない珍しいものが店に並んでいた」

 

 あの日。キュクロープスの話しを聞いて以来、アリアは森でキュクロープスと他愛ない会話を繰り返すようになっていた。一度キュクロープスと別れてから一人で考えを巡らせ、アリアは()()()()()()()()()()()()()という結論を出した。

 アリアは悪魔の森に巣くう怪物の悪行を幾つも聞いていた。どれだけ人々に恐れられているかという話を聞いていた。だが、それ以外の事は何も知らなかった。キュクロープスがなぜ森の中にいるのか。人を殺していたのか。何を望み、何を嫌っているのか。人間をどのように考え、どうやって暮らしているのか。

 アリアは何も知らなかった。

 そして、知らぬままにキュクロープスを殺す事はできないと思った。そうしたくはないのだと。

 だから、その日以来アリアはキュクロープスの事を知ることに時間を費やすようにした。それが彼女がかつて思い描いた騎士の姿であるのかはわからない。かつてのアリアであれば唾棄したかもしれない。それでも、今はそうして対峙する存在がどのようなものなのか知りたいと思うようになっていた。

 とはいえ、キュクロープスという存在の根幹はちっともわからないままであったが。

 

『気づいた頃にはここにいて、時々やってきた人間から殺してと頼まれるから殺して。それ以外の時間は森の中でボーッとしてましたよ』

 

 彼女から昔の話を聞いてもそんな曖昧な答えが返って来るばかりだった。どうやら、自分の事にさして興味がなかったらしい。

 口調は丁寧だが細かいことを気にしない。変化の無い森の中で暮らしているからかのんびりとした性格をしている。人を殺す事はあっても食らうことはない。そもそもアリアが食べ物を与えて、いつ振りか食べるということを思いだしたくらいだという。甘いものがすき。目新しいものが好きでアリアが道具や食べ物を持ち込むとよく興味深そうに観察している。おしゃべりが好きだが、その気になっていないとこちらがどれだけ話しかけても右から左に言葉が抜けていく。残酷で温和。自分以外の魔についてはよく知らない。というよりは覚えていない。眠ることはない。大きな手だが意外と器用。ぼんやりしている様で時折鋭いことも言う。

 この一年アリアが知ったキュクロープスの情報は彼女から聞かされたというよりも観察の結果や質問の答えをアリアが整理し考察することで得たものばかりだった。

 ただ、その中で唯一彼女が確かなものとして口にしたのが死への憧れだった。

 

『死んでいく人たちが羨ましかったのを思い出しました。誰もみんなホッとした顔を浮かべていました。死んだ後には苦痛も苦悩も無い様に見えました。それはとても素敵な事だと思います』

 

 どうやらアリア───他者と会話を繰り返すことでそういった過去の感情を思い起こしたらしい。

 それ以来事あるごとにキュクロープスはアリアに自分を殺さないのかと問いかけてくるようになった。アリアも元々はキュクロープスを討つことが目的であったから、時折求めに応えてキュクロープスの殺し方を一緒に考えてみるようになった。

 相手の殺し方を当の本人と相談するのは奇妙な感覚ではあったが、決してつまらなくはなかった。何せ不死身ではないかという程にキュクロープスは死ななかったのだ。様々な方法を試してみたが一年が経っても明確にこれという手段も見つからない。それ以前の三年間にもアリアは様々な手段を試していたので、そろそろ思いつく方法も尽きてきていた。

 わかったことといえば、一番傷の治りが遅いのは神威を纏った銀の槍を突き立てることくらいだ。それも多少遅い、という程度ではあったけれど。

 神威───強力な霊力はあらゆる魔を駆逐する。魔に対して物質的な力だけでは効果の薄い攻撃も霊力を込めることで致命の一撃となる。それは滅魔の騎士としては当たり前の、最も基礎の知識であった。不死身に思えるキュクロープスにもそれは適応されているように思えた。

 しかし、騎士団でも随一と言われていたアリアがどれだけ神威を纏おうとその効果は微々たるものでしかなかった。おそらくは何十人と騎士を集めたとしても結果は変わらないだろう。だから、やはりキュクロープスの殺し方はさっぱりわからないままであった。

 

 ただ、そんなことを一年近く続けている内にアリアは殺し方を考えると言いながら、その度キュクロープスが死なないことを期待している自分がいることに気づいた。いつの間にか、何をしても目の前の化け物は死なないのだとそんな考えを抱いて、それが証明されることを心待ちにしている自分が。

 それは騎士としてもキュクロープスの相談相手としても不実な気がしており、最近ではどうにも気分が乗らない話題になってしまっていた。

 

『まあ、このパン中に果物が入ってるのですね』

「ん、本当だ。私が前に食べたヤツは入ってなかったんだが……こっちの方が美味いな」

『人間はとても器用なのですね。甘いものを組み合わせて新しい味を作り出す』

「口に合ったなら何よりだ」

 

 今ではこうして、情報にもならないだろう他愛ない会話を続けていることが心地よく感じている。

 

 自分は騎士として失格だろうか。少なくともかつての自分が今の姿を見ればそう断ずるだろう。話しをしながらぼんやりとそんなことを考える。いつもの事だった。

 キュクロープスは甘いものを好む。そんな何に使えばいいかもわからない情報を脳内に刻みながらアリアは自分が一体これからどうするのかという事に考えを巡らせる。

 三年間、敗走を続けるアリアに騎士団から新たな指令が下ることはなかった。この一年も騎士団へは変わりなく同じ状態が続いていると報告している。まだしばらくはこうして森に通いキュクロープスと言葉を交わすことも続けられるだろう。だが、次の一年は、あるいはその先は。そもそも、アリアはキュクロープスをどうするのか。

 いつまでもこうして話せていたらと思ってしまうこともある。だが、騎士団がそれを許すはずもない。ならば、いずれはアリアはこの地を離れ新たな騎士が派遣されキュクロープスの討伐につくのだろうか。あるいは不死身のキュクロープスにより大人数の騎士が動員され数で以てその存在を滅殺しようとするだろうか。

 その時アリアはどうしているのだろうか。隣で大きな手を器用に動かしてパンをかじる一つ目の化け物にまた槍を向けるのだろうか。あるいは、彼女の存在を忘れ別の地で以前の様に魔を討つ騎士として戦っているのだろうか。

 

『アリア、どうしましたか?』

 

 こちらを見下ろし首を傾げるキュクロープスの金の瞳には眉を寄せて考え込んでいた自分の顔が映っていた。

 

「いや、最近村の教会のシスターが口うるさくてな。ちょっと言い訳を考えていたんだ」

『アリアは何か叱られることをしたのですか?』

「いや、暮らしぶりが雑だとな……そこまでではないと思うのだが」

『人の暮らしはあまりわかりませんが、髪を梳くくらいはしてもいいのでは?』

「べ、別にこれくらいの長さならそこまでしなくともいいだろう!?どうせ森の中、兜だって被るのだし」

『騎士だって身だしなみは大切でしょうに。気にかけてもらっているのなら、せめて感謝でも伝えてみては?』

「なんだそれは!私がだらしのない人間のようではないか」

『だから口うるさくされているのではないですか?』

「んぐ」

『……私の手がもう少し小さければ、梳いてあげたのですが』

 

 そう言いながら剣のように長い爪を上下させるキュクロープスの姿にアリアは苦笑した。

 

「今の手で梳かれては私の頭まできれいに裂けそうだ」

『あなたならそれくらい平気なのではないですか?』

「そこまで人間をやめていない……待て、やめろ!無理だからその手を近づけるな……!」

 

 

###

 

 

「アリア様、ようやくお戻りになられたのですね!」

「ん、すまないな。少し遅くなったか」

 

 キュクロープスとの会話を終えたアリアは村の古い教会へやってきていた。教会と騎士団は表立って協力関係にはないのだが、利害の一致から必要に応じて互いに支援しあう関係性を長く続けていた。アリアもまた悪魔の森へと派遣されてからはずっとこの教会の一室を寝床として使わせてもらっていた。

 

「それは構いません。ですが朝出る前に洗濯物を出すようにとお伝えしていたはずです」

「あー……いや、すまない。今日は森へ入る日だったからな。そちらに集中していて忘れていた」

「それが言い訳になるとお思いですか……?」

「その、いや…………すまない」

「まったく、明日からは雨になりそうだというのに」

 

 腰に手を当ててアリアを叱るのは赤毛にそばかすを浮かべたこの教会のシスターだった。アリアがこの教会へやってきてから、既に四年の付き合いになる。だが、ここまで明け透けに話すようになったのはここ一年くらいだろう。

 

「それで、今日もお怪我はないですか?」

「あ、ああ、旗色が悪くなった頃合いですぐに撤退したからな……」

「はぁ……ならいいです。ずっと何度も言っても血まみれで帰って来るのをやめなかった人がようやく自愛ということを覚えてくれた様なので」

「いい加減勘弁してくれ……あれも騎士としての任務だ」

「だとしても今は無傷で戻ってこれているのですからあんなに傷だらけになる必要はなかったでしょう。折角お美しい顔立ちをしているのにするのは血化粧ばかりなんて」

「そ、そんな大それたものではないだろう。今は怪我をすることもほとんどなくなったんだ。許してくれ」

「三年も誰が薬を買い集めたり、血まみれの衣服を洗ったりしていたと思うんですか。まだ当分は繰り返すので大人しく聞き入れてください」

 

 アリアがキュクロープスに挑み、何度も死にかけていた三年間。おそらく彼女は同じ様にアリアに話しかけていたのだろう。全身血まみれでぐちゃぐちゃの鎧を纏って教会の裏口に立つアリアに対してきっと同じ様に苦言を呈していた。ただ、あの頃のアリアは己の役目が全てで、その役目を果たせないことに焦り、他者の言葉にほとんど耳を傾けることがなかった。今になってようやく彼女の言葉を聞き取れるようになった気がする。

 彼女の言葉は耳に痛いが嫌ではない。

 そう思えること自体が自分の中で何か大きな変化が起きた結果だった。

 

「そういえば、数日中に商隊の方を街道の途中まで護衛して欲しいと村長から」

「村民以外の護衛で村の外まで……珍しいな」

 

 アリアの役目は魔を討つことではあるが村に居つくにあたってそれ以外の村の仕事を受けることもあった。盗賊の類いを追い払ったり、森から出てきた危険な獣を狩ったり。目の前のシスターの仲介で時折請け負っている。騎士団にそういった決まりはないが、その方が何かと都合がいい。すぐに村から去るならそこまですることもないのだが、何年も過ごしていると多少なりとも現地での立場が必要になってくるのだ。

 

「あの規模の商隊だと珍しい品も多いですからね。村民からの評判もいいですし、きっと翌年も立ち寄ってくれることを期待しているのでしょう。ですので、できる限り恩を売っておきたいみたいです」

「成程。しばらくは森にも行かないから問題ない。村長には受けると伝えておいてくれ」

「わかりました」

 

 そこまで話すとアリアは自室へと歩き出した。傷の手当てなど不要だがいい加減鎧を脱いでしまいたかった。聖別を受け様々な守りと動きの補助を行う騎士団謹製の鎧であるがそれでもずっと身につけていると体中が凝ってくる。以前ならばそんな事もさして気にはならなかったのだけれど。

 

「ああ、そうだ」

「まだ何かありましたか?」

 

 歩き出してすぐ足を止める。

 

「いや、用ではないのだが……その、いつも世話をしてもらっていることに感謝をと」

「……」

「ど、どうした……っ?」

「いえ、騎士様がそんな事を言うとは思わなかったのでいたく驚いただけです」

「礼を伝えただけで驚かれるのか!?」

「少しは自分の日頃の振る舞いを振り返ってみては」

「う……」

 

 言われてみれば態度だけでも彼女へ感謝を伝えるような事をしたことが一度でもあっただろうかと振り返る。何も思い出せない。たぶん感謝云々以前の問題としてごく最近までシスターの存在を、この教会での時間を禄に意識もしていなかったのだ。寝て食べて、戦いに行くまでの体を休める場所。そのくらいの認識で、それ以上に意識を割かず。たぶんそれは彼女の話を聞ける様になったこの一年でも変わりなかった。

 感謝を伝えて驚かれもするだろう。

 暮らしぶり以外にも日頃の行いを改めた方がいいのかもしれない。

 魔を討つ討たないの前に、正すべき事が自分には沢山ありそうだとアリアは途方に暮れた。

 

 

###

 

 

『それでしばらくこちらに来なかったのですね』

「ああ、どうも商隊長の子息に気に入られてな。何が楽しいのかわからないが、もう少しもう少しとねだられて結局隣町まで護衛を続ける流れになってしまった」

 

 その日は久しぶりにキュクロープスの殺し方の検証だった。なるべく塞がらないよう神威を纏った槍で大きく傷をつけ、その状態で傷口を川に晒す。血を流し続けてみたらどうだろうかというキュクロープスからの提案だった。

 小川に寝そべったキュクロープスの腹部あたりに槍を突き刺しながらの会話だ。傷口からは黒い血が流れ出て川を染めているが、しばらくすると水に溶けるように澄んだ色へと変わっていた。時折、傷を抉り塞がらないようにしているがキュクロープスの様子に変化はない。今回の試みも失敗に終わりそうだ。

 端から見れば頭のおかしい会話風景なのかもしれないがアリアはすっかりこんな日常になれてしまっていた。

 

『随分と長い間顔を見なかったので何かあったのかと心配しました』

「なんだ、寂しかったのか?」

『そうですね。たぶん、そうなのでしょう』

「……」

 

 時々、キュクロープスは自身の感情を他人事のように言う。自分が何を感じているのか手探りするように言葉を遊ばせる。それはどこか、自分の本心がわからないというよりは見ないようにしている様でもあって。普段は実直に思ったままを口にするキュクロープスだが、そんな時だけはどうしてかひどく儚げに感じられるのだった。

 まるで、次の日には散って枯れる花の様な。

 腹に槍を突き立てられてのんびりしている化け物を相手に何を思っているのだろうとアリアは自分の考えに首を振った。

 

「それなら、しばらくは森に来る頻度を増やそうか」

『本当ですか?それなら今日みたいにもっと色んな殺し方を試せますね』

「それは程ほどにしてくれ……また甘いものでも見繕ってくるから」

『それも楽しみです。あぁ、この前持ってきてくれたあのパン。また食べたいですね』

「……探しておこう」

 

 何かの肋骨の様な細長い歯を剥き出しに笑う化け物の姿はどう見たって恐ろしい。求めるのは子供の血肉か、堕落した魂か。少なくとも蜂蜜入りのパンを期待している顔には見えないだろう。

 それでも、楽しげに笑う彼女のために少し頑張って土産を探してこようなんて気持ちにアリアはなっていた。

 こちらを見つめる大きな瞳を見る。その金色の眼には力の抜けた顔で笑うアリアの姿が映っていた。情けないと思う。こんな附抜けた姿、騎士失格だ。

 それでも、かつてその瞳に映っていた自分の顔に比べればずっと悪くないものに思えた。

 金眼。人を狂わす狂気の光。

 あの時から、今もアリアは少しおかしくなったままだった。

 

 

 それから、また季節が巡り一年。アリアが金眼(きんがん)のキュクロープスと出会って五年が経とうとしていた。

 村には再び商隊が訪れ、昨年以上の活気に溢れている。

 よそ者のアリアは今でも村人からは遠巻きにされている。だが、それでも祭りのような浮き立った空気はそんな彼女にすら楽しげな時間をもたらしてくれる。

 

「騎士さま!騎士さま!」

 

 昨年アリアに懐いていた商隊長の息子は一年経ってもアリアの事を覚えていたらしい。

 教会で荷運びを手伝っていたアリアの元に昨年より少し大きくなった背丈で駆け寄ってくる。小麦色の髪がフワフワと揺れるのがまるで子犬の様だった。

 

「おひさしぶりです、騎士さま!」

「久しぶりだな。変わりないようで何より。今年も村にきてくれて助かるよ。この村では商隊がこないと手に入らないようなものも多いからな」

「騎士さまも何か欲しいものがあるんですか?お持ちしましょうか?」

「いや、流石に悪い。こちらで買いに行くが……そうだ蜂蜜は今年もあるだろうか?」

「はい!騎士さまも甘いものがお好きなんですね」

「私というか……知人がな。商隊の蜂蜜を使ったパンを持っていくと約束したのだがその頃にはもう村では品切れになっていてな。随分と拗ねられてしまった」

「そうだったんですね。あ、それなら蜂蜜を固めた飴があるのですがいかがですか?甘いものならそれ以外にも干しぶどうや杏もありますよ!」

「ふっ、商売上手だ。仕事が終わったら見に行かせてもらおう」

「はい!ぜったいですよ!取り置きしておきますから」

 

 最後まで元気のいい商隊長の息子を見送ると、教会の奥からシスターの呼び声が聞こえてくる。

 気づけば教会での暮らしにもすっかり慣れてしまっていた。シスターへ今行くと返事を返し、荷物を抱え直すとアリアは教会の中へと入っていった。

 

 収穫も終わり秋も深まる季節の事だった。

 村から臨む悪魔の森はそんな時でも黒々とした木々を茂らせ人の世からは隔絶されているかの様に見えた。

 

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