お狐フレンズ   作:佐倉シキ

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受験に向けて

 

 

 

横浜。みなとみらいが一望できる高台の住宅地に、その家はあった。白亜の大豪邸だ。貴族の館のように威厳ある姿でそびえ立っている。

 

外壁は磨き上げられ、日差しを受けて眩いほどに光を返す。正面には広大な階段が伸び、均整の取れた石畳が敷き詰められている。その階段を上りきると、今度は白い大理石の柱が林立する壮麗なポーチが待ち受けていた。重厚な木製の扉には金細工が施され、黄金の取っ手が鈍く光を返していた。それらをチラリと見るだけで、この家の格が分かる。

 

扉の両脇には大きな窓が並び、ステンドグラスの模様が内部から微かな灯を受けて揺らめく。庭園は細部まで手入れが行き届き、四季折々の花が華麗に咲き誇っていた。

 

門番は二人いた。

一人は巨大な熊のような毛並みを持つ異形、もう一人は額に黒い角を生やした人型。それぞれが一切の隙を見せず、静かにその場に佇む。

 

──この家には、“無個性”の人間など一人もいなかった。

 

その事実に気づいた瞬間、狐太郎は思った。

 

(なるほど、だからアイツは死を選んだのか)

 

 

 

 

 

  *   *  *

 

 

 

 

それから3年ほどが過ぎた。

 

化野狐太郎は“福州ソロ”の顔と名をまとい、いまや福州家に完全に溶け込んでいた。いや、溶け込みすぎていた。

 

初めて家へ帰ったとき、福州の両親にはこっぴどく叱られた。だが、ノートに書かれた“福州ソロならこう振る舞うだろう”という分析に従うと、うまくその場を切り抜けることができた。

 

すぐに病院へ連れて行かれ、軽い検査を経て個性の診断を受けることになった。福州から聞かされていた通り、足の関節の数に細心の注意を払いながらレントゲンを受ける。さらに個性因子のテスト。注射が嫌で暴れかけたところを、怪力の医師に押さえつけられてしまった。

 

(まさかこの俺様が力で負けるとはな……)

 

なんて思う。医者の個性が“金縛り”で、触れている相手を一定時間硬直させるものだった事を知らない狐太郎は、ほんの少し感嘆した。医師に敬意を抱くほどだった。

 

結果は“個性あり”。

 

旅の途中で個性の使い方を覚えたと説明すると、両親は心底嬉しそうに笑った。

 

(何もかも同じ姿なのに、何もかも違う。……それでも気づかないもんなんだな)

 

最初は呆れ、そしてすぐに退屈を覚えた。

だが、その退屈は一瞬で吹き飛ぶ。

 

(人間の世界ってキラキラしてる!)

 

森暮らしも悪くなかったが、文明の匂いに包まれたこの世界は桁違いに刺激的だった。狐太郎……いや、“ソロ”は、嘘の人生を誰よりも楽しんでいた。

 

 

福州家は典型的な大金持ちだった。まず、食事がとんでもなく美味い。かつて食べていたものといえば、腐りかけの残飯、干からびたジャーキー、ドッグフード、生肉。それに比べれば、福州家の食卓はまさに天界そのものだった。危うく元の姿に戻って丸ごと齧り付くところだった。生肉もうまいが、これらも最高だった。

 

さらにゲーム。

化野の屋敷にはなかった娯楽が、この家には溢れていた。RPG、アクション、シミュレーション、ホラー、音楽、FPS。あらゆるジャンルを制覇した。キラキラ、ギラギラしているそれらは自然界にはなかったもので、目を奪われた。すぐに飽きて投げ出してしまうことも多かったが、大抵のジャンルには手を出した。

 

優秀な個性があると認められてからは、両親の態度も一変。クレジットカードまで渡され、ソロは次々と様々なものを買い漁った。

 

そして、インターネット。

最初は知識を得るために始めたが、いつしか掲示板を読み漁り、ネットゲームなどでレスバトルすらするようになっていた。かつて森を駆けた化け狐は、今やネットの闇を駆ける上級者へと進化していた。進化というか、それは退化にも近かった。

 

今日もまた、広い自室でジンジャーエールを片手にジャーキーを噛みながら、コントローラーを握っていた。

 

「にゃはは、的外れな理論武装をして恥を晒してんのが悪いんだ間抜けめ!ネットの中でも恥を晒すとは救いようのない奴だな!」

「弟が立派なネット民になってしまったわ……。画面越しに相手を煽って笑うなんて、恥晒しはお互い様よ。いったいどこで道を間違えたのかしらね」

「お、ユウちゃん来てたのか」

 

ドアの隙間から、15、6歳ほどの少女が顔を覗かせた。くりくりとした黄色い目に、花のような虹彩の独特な瞳の奥に、あからさまな呆れを隠そうともしない。

 

「ノックしたのよ。お父様が用があるんだって」

「お父様が?なに?怒ってた?」

「いや、別に怒ってはなかったけど……また放送部で訳の分からない放送をしたの?」

「訳の分からない放送とは失礼だね。僕がやったのは公開処刑さ」

「訳がわからないじゃない。誰かの黒歴史でも喋ったの?」

「そんな酷いことはしないさ。ただ愚かな犯罪者の恥部を全校生徒に教えてあげただけ。所謂、いじめっ子って奴だね。弱い者いじめなんてみっともなくて呆れが止まらないよ!どうせなら己より強い相手の喉笛を噛みちぎるくらいの気概を見せてくれないと、僕の退屈の慰めにもならない」

「またやったのね!先生からクレームの電話が来るわ!」

「嫌なら電話が来たら僕に言ってくれ。君らの代わりに“福州ソロはいません”って伝えてあげるから」

「本人が伝えてどうすんのよ!余計怒るわ!あの人、ネチネチねちねち鬱陶しいのよ!」

「伝えておいてあげるよ、“鬱陶しい”って」

「言わなくて良いわよ!中高一貫なんだから、アイツがうちの担任にチクリに来るかもしれないじゃない!そうなったら私の内申に響くわ!……って、そうじゃなくて!」

 

狐太郎……いや、“ソロ”はすっかりお喋りになっていた。今までまともに話せたのは、父親と、あの本物の福州ソロだけだった。だからこそ、今は人と話すことが楽しくて仕方がない。会話に応じてくれて、相手が反応してくれるのが嬉しいのだ。

 

放送部に入り、好き勝手に校内放送を使ってはしゃぐ。本人は完璧に“福州ソロ”を演じているつもりだが、実のところ似ても似つかない。だが、幸運にも本物の福州ソロは小学校時代に不登校で、家族ともろくに顔を合わせていなかった。狐太郎は中学生から学校に通い始めたのだ。そのおかげで、狐太郎の嘘は、奇跡的に今も続いていた。

 

「進路についての話よ」

「進路?僕は普通に偏差値の高い高校を受けるつもりだったんだけど」

 

まあいいや。そう返事をして、ソロとして生きる彼はテレビを切り、ぐぐっと背を伸ばした。遊んでばかりと思われそうだが、実際には抜け出して鍛錬も怠らない。森で育った本能と感覚は今も鋭く、身体は引き締まっている。軽く肩を回し、筋肉をほぐすと、彼は父の待つ部屋へと向かった。

 

無駄に広く、そして冷たいほどに整った廊下。壁には古い絵画が掛けられ、天井のシャンデリアが淡く光を散らしている。

 

父の部屋の扉をノックし、中へ入る。

父は机の向こうからちらりとこちらを見、予想外の言葉を投げた。

 

「僕をヒーローに、ですか?」

「ああ」

 

──私が……プリキュアに……?

なんて、喉まで出かかった冗談を飲み込み、ソロは真顔のまま問う。彼が首を傾げると、リングのエクステがさらりと揺れた。

 

「しかしお父様。僕は学業を優先し、大学へ進学した後に経営を学ぶ予定でした。ヒーローを目指すとなると、全く別の道を選ぶことになりますが……」

「そんな事は分かっている。この家はユウに継がせる。お前は福州家初のヒーローになるのだ」

「何故突然、僕をヒーローになどと」

「お前は黙って私の指示に従えば良い」

 

その口調は有無を言わせない。

ソロは肩を落としつつも、不満はなかった。経営学など退屈そうだ。どうせやるなら、もっと騒がしい世界の方が良い。緩みそうな頬をきゅっと引き締め、「承知しました」と答えて部屋を出る。

 

 

 

──ヒーロー。

 

それは個性を使って人を救う者。

法律で定められた国家資格を持つ公務員でもある。個性が当然の時代、ヴィランを取り締まり、街を守る。それでいて誰よりも人気者。

 

子供の多くがその職業を夢見るほど、脚光を浴びた職業だ。だからこそ狭き門でもある。だが、ソロには妙な自信があった。雄英だろうが士傑だろうが、どこであれ受かる気しかしない。

 

父はさらに続けた。

 

「まあ本来なら言う必要のないことだが、今回は特別だ。……ある筋から情報を掴んでな。オールマイトが雄英の教師に赴任するらしい」

「オールマイトが、ですか?」

「ああ。世間の話題はそれ一色になるだろう。オールマイトが担当した初年度の生徒となり、卒業し、プロヒーローになる。それがお前の仕事だ」

「……つまりお父様は、僕に先槍になれと仰るのですね」

「そう言うことだ。我が社はヒーロー事業に参入する。打てる手は打っておくに限る。年齢的にもお前が最適だ。派手で優秀な個性、見栄えも良い」

「勿体ない御言葉です」

「お前には福州家の教育を受けさせた。学力は問題ない。やってくれるな?」

「勿論です」

「受験票等の手続きは済ませてある。くれぐれも、福州の恥晒しになるような行動だけはするなよ」

「はい」

「では下がれ」

 

ソロは深く一礼し、部屋を出た。

廊下に出た瞬間、空気が一気に軽くなったように感じた。彼は思わず拳を握り、絨毯の上でガッツポーズを決める。福州の父の前では絶対できない行為だ。

 

弓形の眉を上げ、牙を見せながら笑う。

 

「ラッキー!このスーパー化け狐に不可能はないのです!求められれば何であろうと化けてみせよう腹積もり。良いだろう、ヒーロー!面白そうじゃないか」

 

ヒーローというものに憧れたことは一度もない。オールマイトの偉大さは分かる。だがそれは、エジソンやアインシュタインを尊敬するのと同じ種類のものだった。憧れではない。単なる他人事。だからこそ、面白そうだという理由だけで父の命に従う。

 

「とりあえず勉強するか、改めて」

「いまさら何の勉強?」

 

廊下の向こうから、姉のユウがやってくる。艶やかな藤色の髪を揺らし、彼を半ば呆れ顔で見つめた。

 

「ヒーローの勉強」

「って事は、オッケー出したの?意外。てっきり断るかと思ってたのに」

「オッケーオッケー、全然、ベリベリオッケー」

「変な英語使わないでよ、馬鹿っぽい」

「ユウちゃんは断ったのか?」

「断るっていうか、私は“ヒーローになれ”って言われてないわ。逆に、急に“家を継ぐのはお前だ”って言われてびっくりしただけ」

「ラッキーじゃん、こんなデカい家貰えて」

「それ本気で言ってる?私、弁護士になるつもりだったんだよ。台無し。アンタだって継ぎたかったんじゃないの?こんなデカい家」

「いや全然。僕はとりあえず世界一周して、美食を食べ尽くして各国で遊び尽くす予定だったから」

「とりあえずで言うスケールじゃないわね。夢デカすぎるでしょ」

 

ユウは呆れ半分、どこか微笑ましげに額へ手を当てた。

 

「アンタ、ヒーローには向いてないんじゃないかとも思うのよね。実は。応援したい気持ちはあるんだけど」

「はぁ!?僕ほどヒーローに向いてる人もいないと思うけどね!イケメンだし頭もいいし、個性も強いし、欠点なしじゃないか!」

「人格が欠点なのよ!」

「致命的じゃないか!」

「そうなのよ!ヒーローって善人がなるものなのよ!全校放送で公開処刑やる人はヒーロー向いてないのよ」

「まぁまぁまぁ、落ち着けよユウちゃん。よく考えてみなって。ほら、あの……あれ、エンバデだってアレ絶対性格悪いから。DVとかしてそうな顔してるじゃん。週刊誌来るのも時間の問題って顔してるじゃん」

「エンデヴァーのこと?アンタなんてこと言うのよ……どんな顔よ……」

「アレがいいなら僕もセーフだろ。余裕のよっちゃんだ。よっちゃんより余裕でヒーローになれるね。間違いなく最優秀賞を取れるよ。米国アカデミーもフランスのカンヌも、ベネチアもベルリンも僕を讃えるさ。ゴールデングローブ賞だって取れるとも」

「その自信はどこからくるのかしらね、ヒーローに関係ない賞しかないし……というかヒーローって、実力だけじゃなれないんじゃないの?特に雄英なんてトップ中のトップだし」

「そんなに不安?それなら生徒たち騙くらかして友達1000人作って卒業してみせるよ。たくさん友達がいれば誰も文句は言えないさ」

「にわかが過ぎる……ッ。雄英の全校生徒は1000人未満よ!そんな舐め腐った調子で友達が出来るわけない気がするわ!今だってアンタ、人のこと音のなる玩具か何かだと思ってるじゃない」

 

ユウは、通学路で見たソロの姿を思い出した。

複数の人間に囲まれ、笑い合っているようでいてその笑みの裏には薄い蔑みが透けて見えた。猫が捕まえた鼠を弄ぶような、そんな目をしていたのだ。

 

(いつから……あんな目をするようになったのかしらね。昔会った時は、こんなんじゃなかったと思うんだけど……)

 

一瞬だけ過去の記憶に沈んだが、原因にはすぐ思い至った。ユウは小さくため息をつき、心に浮かびかけた哀れみや後悔の類を無理やり押し潰す。

 

そして、真っすぐな声で告げた。

 

「じゃあさ、そんなに自信があるのなら、マジでお友達作って私に紹介してよ」

「……ウン?」

「一番仲の良いお友達よ。お墓参りに来てくれるくらいの。見下さず、ちゃんと相手の顔を見てお話しできるような相手じゃないと認めないからね」

「僕はいつだって相手の顔を見て話してるよ。対話の基本だ。目と目を合わせて、真心込めてね」

「コンビニでアイスを買うとか、男気じゃんけんをしたとか、台風の日に映画を見に行ったとか。その人たちとそういうこと、できる?」

「台風の日に出かけるのは気が狂ってるだろ」

「例え話に決まってるでしょ!揚げ足取らないの!ちゃんと楽しく、そうやって馬鹿みたいなことして遊べるお友達。トモダチで遊ぶんじゃなくて、友達と遊ぶの!雄英はトップなんだから、きっとアンタに並び立つようなヒーローの卵だって現れるはずよ。

だから……どうせ通うのなら、ちゃんとお友達を作ってね」

 

ユウの瞳は、どこまでも真剣だった。

そこには怒りでも呆れでもなく、ただ静かな祈りのようなものが宿っていた。

 

「あまり心理学には詳しくないから深くは語れないけど。きっと、とても大切な経験になると思う。雄英なら、日本一の学校なら、きっと……もしかしたら……」

「もしかしたら?」

「……もっと成長できるかもしれないでしょ? 色々お話できる関係って大事よ。初めてのことがたくさん起きるだろうけど、頑張ってね」

「ああ、いつも通り熟してみせるよ」

 

ユウは何とも言えない複雑な顔をして、踵を返した。

その背中を見送って、ソロはゆっくりと部屋へ戻る。

 

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

 

そうして時は流れ、受験の日がやってきた。

 

『オールマイトが新宿に現れた異形型のヴィランを確保───』

『リューキュウが倒木を───』

『ベストジーニストが麻薬販売組織を摘発───』

『エッジショットが連続誘拐犯を発見し───』

『ホークスが銀行強盗を確保───』

『エンデヴァーが───』

『オールマイトが───』

 

「随分多いんだな」

 

ニュースの音声が次々と流れていく。

それを聞きながらソロは軽く息を吐いた。ヒーローに意識を向けてみると、確かに多い。ヒーロー飽和社会という言葉もなるほど伊達ではない。

 

有象無象の中には、ソロが個性を使わずとも倒せそうな者も数多くいた。元の姿に戻れば、それこそ実家で虫を叩き潰した時のように、プツンと簡単に殺せそうな人間が随分とたくさんいた。

この程度の木端が“ヒーロー”として持て囃されるのか。需要とは何だ。価値とは何だ。ヒーローである意味を感じられない。

 

だからこそ、ヒーロー殺しのような思想犯が生まれるのだろう。

 

そんなことを考えていた矢先、眼前のテーブルにゴトン、と丼が置かれた。

 

「……ユウちゃん、これは何?」

「何って、カツ丼だけど。朝ごはんまだだよね?」

 

熱々のご飯の上に鎮座する、黄金色の卵に包まれた揚げたてのカツ。立ち上る湯気と香ばしい匂いが空腹を誘う……はずだった。

 

だが、ソロは箸を持つ手を止める。理由は単純。すでに食事を済ませていたのだ。普段より早く、日が昇るよりもまえに起き、雄英高校付近の混雑やヴィラン騒ぎに備えて計画的に行動した。もう色々食べてきた、腹は満ちている。

 

その満腹の彼の前に、カツ丼。

 

「やっぱり勝負の日といえばカツ丼よね。私も受験の日にはカツ丼を食べたわ。だからこそ受験に受かったとも言える。カツ……勝つ!つまり勝利の食事よ。というわけで食べなさい。腕に寄りをかけたから」

 

 

 

 

雄英高校。

 

国内最高峰、いや、世界的に見ても指折りの名門。オールマイト、エンデヴァー、ベストジーニスト。誰もが知る名を輩出してきた超名門だ。

 

倍率は三百倍を超えるとも言われる。まさに一世一代の大勝負。だからこその縁起担ぎであり、だからこその気遣い。

 

「……ありがとう。いただくとするよ」

 

ソロは静かに手を合わせ、箸を取り、サク、と音を立ててカツ丼を口に運んだ。

 

 

 

 

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