お狐フレンズ   作:佐倉シキ

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ダツゴク

 

 

 

対“個性”最高警備特殊拘置所。通称 タルタロス。

本土からおよそ5キロ、荒れ狂う海の上に孤立するその島は、外界と切り離された巨大な檻だった。海面に突き刺さるように聳える鋼鉄の壁は、どれだけ日の光が照ろうとも冷たい光しか返さない。近づく者を拒むように重々しい電磁柵が隙間なく設置され、逃走も侵入も許さぬ雰囲気を放っている。

 

名目上は拘置所。しかし実態は国家規模の危険因子を閉じ込め、生涯隔離するためだけに造られた施設である。

 

ここに入った者は二度と帰れない。

そう言われるのも無理はない。世に知られた凶悪犯から、国家がひた隠しにする異形の個性保有者まで。光も、未来も、ここでは等しく奪われる。

 

そんな無機質な部屋の一角、分厚い強化ガラスを挟んだ取調室に狐太郎はいた。

 

「聴取の時間だ」

 

乾いた声が響く。

 

狐太郎はゆっくりと椅子に腰を下ろした。

椅子に体を預けるというより、まるで王座に座るかのように背凭れへ左腕を投げ、脚を無造作に組む。その動きには一切の緊張も怯えもない。看守も警官も、彼から発される軽薄と狂気の混ざった空気に、毎度のことながら苛立ちを隠せない。

 

看守は眉をひきつらせ、舌打ちする。

まるでこの小僧ひとりにタルタロス全体を愚弄されている気にさせられてしまうのだ。

 

「原則として、この会話内容は記録される。事件に関する詳しい情報や、もしくはその証拠を隠す恐れのある会話、暗号や符号等を使う様な行為は認められない。そのような会話や行為があった場合は、この聴取は中断、もしくは強制終了となる」

「はいはい、もう耳にタコができるほど聞いたぞそれは。とっくに了解してるとも。と言うか、俺から話聞きたいのはそっちなんだから、強制終了には何のメリットもないだろうに」

「黙って聞かれた事にのみ答えろ」

「あッはは!冷たい奴!俺様模範囚なんだからもっと優しくしてくれよな」

「黙れ化け物」

「おいおい失礼な奴だぜ、このすんばらしいイケメンのどこが化け物だって?」

 

嘲るように肩をすくめ、狐太郎は“福州ソロ”の顔で笑う。作り物の笑みを浮かべながら、彼は両手を広げ、小さく首をかしげた。

 

「その顔はお前の顔じゃないだろう。“福州ソロ”の顔だ」

「いやいやいや、この顔は俺の顔だ」

「福州ソロの顔だ」

「俺の、顔だ」

 

片手を胸に当て、舞台俳優のようにニヤリと笑う。

その仕草は堂に入りすぎていて、知らぬ者なら本気で信じてしまうほど。

 

もちろん警察側がそれを認めるはずもない。

狐太郎自身も彼らに真実を言うつもりなどさらさら無い。自分こそが福州ソロであるのだと主張し続ける。その理由の半分は、“自分が福州ソロではなく、化野狐太郎という名前の脳無である”と真実を認めたら、罪が確定してもっと奥の退屈な場所に放り込まれるから、それだけは回避したい。そしてもう半分は、どうせもう出られないのだから、嘘をついて遊ぶ方が面白い。

 

看守は苛立ちを隠そうともしない。

狐太郎の目の奥には、人間を小馬鹿にしたような光がずっと揺れている。

 

「福州ソロは12歳のクリスマスに家出をしている。その後にお前は福州ソロに接触し、殺害。そして福州ソロに化けて福州家にまんまと住み着いていた。そうだろう?」

「いやいや、そうじゃあないね。俺は家を飛び出して、警察やヒーローの網に引っかからぬよう静かに街を抜け、森で暮らしていたのさ。まるで原始生活、実に刺激的だったよ。そうこうしているうちに個性が発現した。だから、横浜の家に向かったんだ」

「12歳の子供がどうやって1人で森で暮らすと言うんだ」

「お前達は食べられる植物がどれほどあるのか知らないのか?……あぁ、まぁ、知らないだろうな!机に齧りついて“吾輩必死こいて勉学に励んでおりまするぞ!”ってポーズを取ってきただけのエリート諸君には、ちっと荷が重い話題だ。

じゃあ特別に俺様がお勧めをひとつ教えてやるよ。テメェらにお勧めなのは……ワライタケ!いやぁ、あれはすごい!愉快!痛快!抱腹絶倒!一口食べれば理性がどっかへ飛んでゆき、エキサイトが止まらねぇ。エリート然としたテメェらが顔を真っ赤にしてゲラゲラ踊り狂うさまを想像するだけで、俺の胸は期待で弾んじまうな!ひゃっひゃっひゃ!」

 

狐太郎は椅子の上で横向きになり、子どもみたいに足をバタつかせながらケラケラと笑った。その声だけで、取調室の空気がわずかに温度を失う。

 

「……はぁ。じゃあ森の話はいい。12歳を過ぎて急に個性が発現したのはどう言う事だ」

「どうもこうもない。そういうことだ。大抵は4歳までに発現するが、そうじゃないパターンだってある。4歳を過ぎてしばらくしてから個性が発現する現象は、珍しいがゼロじゃない。使うのに特殊な条件が必要だったり、発現するのに条件が必要だったりと、さまざまなパターンが考えられるな。

無個性だと思われていた人間が、たまたま海で溺れた事で“海中で呼吸が出来る個性”を発現させたと言う例もある。頭を打って死にかけた事で念力を使える様になった奴もいる。なんなら、死んで初めて個性持ちだってわかった例もあるんだぜ。知ってるか?個性“アンデッド”の話。個性研究者の実話がドラマ化されてたから見てみると良い。大体あれに入ってる」

「……下調べは十分か、忌々しい奴だ」

 

看守は唇を噛み、表情を歪めながらもメモを取る。

書き込む筆圧は明らかに強く、紙がくしゃりと鳴った。狐太郎は相変わらず余裕の笑みを浮かべる。この場の緊張を楽しみ、退屈を紛らわし、相手を焦らして遊んでいる。タルタロスの冷たい空気の中で、その笑みだけが異様に生き生きとしていた。

 

「ではこの情報はどうだ。福州夫妻のDNAとお前のDNAを調べた結果、血縁関係はないと断定された。DNA親子鑑定の精度は99.9999999%だ。信頼性は非常に高い。この情報はお前が“福州ソロ”ではないと断じるに十分な根拠だと思うが?」

 

看守の冷たい声が部屋に響く。それを聞いた狐太郎は、椅子に凭れかかるようにしながら口角だけを上げて応えた。

 

「おいおい、I•アイランドで発表された論文を知らないのか?存外学がないんだな!“異形型個性発現時の遺伝子情報の変化について”だ。俺の遺伝子と福州家の遺伝子が繋がりを示さないのは何もおかしな事じゃぁないんだぜ。

優しい優しい俺様がバカにもわかる様に説明してやるよ。後天的に肉体が変化したパターンの異形型個性はな、文字通り細胞の一片に至るまで全てが変化している事もあるんだ。少ないが親子なのにDNAは繋がりを示さなくなった例も確認されているんだぜ」

 

薄笑いを浮かべる狐太郎の瞳は、部屋の薄い明かりを鈍く反射していた。看守の肩がわずかに強張る。狐太郎はその反応すら愉しむように足先で一定のリズムを刻む。

 

「チッ、よく回る口だな」

「おしゃべりは大好きでな」

「それは化け物として迫害され、誰ともまともに話せなかった反動じゃないのか?」

 

挑発のつもりなのだろう。だが狐太郎は片眉すら動かさず、息を吐くように言い返す。

 

「だとしたら芸能人はみんな化け物だな」

 

狐太郎は喉の奥でくつくつと笑った。

 

「自分の手で福州家の人間や周りの者を殺しておいて、よくもまぁそんな態度が取れたものだな」

「……ありゃりゃ」

 

狐太郎は指先で机を軽く叩き、看守を眺める。

 

「またその話?執念深いのか、話題がないのか……お前はどっちなんだろうな。無限ループで俺様、いい加減うんざり。あれからどんだけ経ってると思ってんだよ。俺の体感だとそろそろ半年は越えてるぞ」

「時間が過ぎれば罪が消えるとでも?」

「ははは、まさか。消えはしねぇよ」

 

狐太郎は肩をすくめて小さく笑うと、椅子の背にだらしなく体を預け、ゆったりと腕を組んだ。

 

「罪は消えねぇけど、ただお前が期待してるような、蹲ってガチ凹みの俺はもう旬が過ぎたってだけだ」

「お前、来たばかりの頃はあれほど無気力だっただろう」

「あー、あれね。まあ俺様にもたまにはそういう時期も来るさ」

 

狐太郎は懐かしむように天井を見上げる。

 

「……あのまま凹んでれば心をバキバキにへし折って、適当な自白でもでっち上げてさっさと有罪に出来たのにって思ってんだろ?」

「何を言っている」

「はい素直。お前の顔面はお喋りだな。顔に出過ぎだろド三流」

 

狐太郎が面白がるように両手を叩くと、看守は怒りを噛み殺した声で問いただした。

 

「お前は、自分が何をしたかわかっているのか?」

「もちろん。全部ね」

「開き直ったのか?」

「だーかーら、違うって言ってんだろ。俺様がどんだけショックだったかまだ分かんねぇの?」

「今のお前はあの事件をまるで気にしていないように見えるがな。まるで罪悪感なんてものが全く存在していないようだ。流石、オールフォーワンに製造された脳無だな。身近な人を殺したとて、すぐにどうでも良くなるのか」

 

椅子にもたれかかり、足を組み替える。

 

「あのさぁ、もう時間が経ってんだから、絶望の鮮度は落ちてんの。俺様の胸の中には今も確かにいろんな気持ちはあるけども、そんな昨日死にましたみたいなテンションがいつまでも続くわけねぇだろ、アホかお前」

 

狐太郎は心底バカにしたように眉をひそめ、こめかみのあたりで指をくるりと回す。そのまま、ひょいと手を開いて舌を突き出す仕草は、完全に相手を馬鹿にしている時のそれだった。

 

「その態度、到底許されるものではないぞ」

「テメェの許しが欲しいなんて一言も言ってませ〜ん!」

 

そう言ってケラケラと笑った狐太郎は、今度は急に俯いた。

 

「でもま、そんなに俺の後悔と絶望が見たいってんなら、そこまで言うなら仕方ない。期待には応えてやるのもエンターテイナーの役目だ」

 

狐太郎はゆっくりと息を吸う。

そして、

 

「う、うああああああん!!おれはぁぁぁ……ほんとうにひどいやつでぇぇ……!!!」

 

突然、全力で泣き崩れた。

机に突っ伏し、足をばたつかせ、椅子をガタガタ揺らし、涙を流して大号泣の演技を始める。

 

「うわぁぁぁぁぁん!!みんなころしちゃってぇぇ!!でも、しょっ、しょうがなかったんだよぉぉぉ!!だってだってぇ、ユウちゃんたちだってしらなかったんだもぉん!うわぁぁぁん!!」

 

看守は完全に固まる。狐太郎は机に顔を伏せながら、口元だけでニヤリと笑う。

 

「……はい終了、これで満足?」

「もういい。よく分かった。お前は部屋に戻れ」

「はいはい。最初から最後まで態度だけは偉そうだなお前は、なんの成果も得られてねぇ癖に。あー、つまんない。早く出してくれると助かるんだけどね」

 

狐太郎にとって、これはただの遊びに過ぎなかった。脱獄など不可能だと理解している。少しでも暴れれば、麻酔から即座に射殺のための実弾へと切り替わる。この施設がその程度の判断を迷うような場所でないことなど、最初から分かりきっていた。だから抵抗する気など毛頭ない。本気で暴れようなどと考えるほど、彼は愚かではないのだ。

 

それでも、暇なものは暇だ。だからここにいる間くらい、彼らの反応を観察して遊ぶ方が、ただ無気力に寝ているよりはよほど有意義だった。

 

 

 

 

タルタロスはいまだに、彼は“福州ソロ”ではなく“化野狐太郎”であるという決定的証拠を得られずにいた。本来なら、化野夫妻とのDNA鑑定を行えれば一発だと思っていたよ。しかし、両名とも親類はおらず、そして既に火葬済み。DNAは高温に弱い。焼却炉の熱で容易に分解され、もはや採取は不可能。出生時の病院にも、化野家にも、証拠として残るようなものは一つとして残っていない。

そもそも狐太郎はオールフォーワン達が受精卵から作り出した人造人間なので、化野家とも血の繋がりはないのだが、それもオールフォーワンの証言なので完全に信用する事はできないのだ。

 

そんな具合で証拠の糸口を掴めないタルタロスは、狐太郎を外へ出す決定を下すことができなかった。ただただ進展のないまま時間だけが過ぎていった。

 

 

ここに来てから、もう7ヶ月以上の時が経っていた。

 

それでもまだ、狐太郎はタルタロスに閉じ込められている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PM8:50 ────

 

濃い海風が壁越しに響き、監視区画の蛍光灯が低く唸りを上げていた。

 

「明日、例のデカブツが届くそうだ」

「ギガントマキア……あの梅干し頭の部下だろう」

 

監視カメラのパネルが並ぶ管理室。薄暗い室内の蛍光灯が二人の頭上でちらつき、コンクリートに反射する光が揺れる。

 

「殺せなかったのか?」

「まぁ、ああも巨大だと拳銃じゃあ無理だろう。一応人だからミサイルを撃ち込む訳にもいかん」

「あの子供よりデカいもんな。まさしくバケモノだ」

 

制服の襟を緩めながら、看守の一人が椅子に沈み込む。映し出された独房の映像は、どれも薄暗く静かだ。

 

「ああいう奴らは人とは呼ばん。災害……もしくは獣という。ここに収監されてる畜生共と同じようにな」

「やめとけ、記録に残る。心求党は解体されるだろうが分派元がこの機を逃すはずもない。ただでさえ人権侵害だなんだと騒がれてるんだ。……そういえば、あの子供はまだここにいるのか?」

「化野狐太郎の事か?」

「ああ、随分前から落ち着いているように見えるが、出してやらないのか?」

「本気で言ってるのか?」

 

問い返された看守は、呆れと嘲笑の入り混じった表情で相手を見る。尋ねた側は怪訝に眉を寄せた。

 

「あんなバケモノを外に出す訳がないだろう。アイツはここで一生を終えるんだよ。それに、どうせ直に死ぬだろうさ」

「直死ぬ?なんでだ?」

「……個性疾患って聞いたことあるか?」

 

聞かれた短髪の看守が眉をひそめると、相手は短く息を吸い、言葉を続けた。

 

「個性に体が適応できなかったら起きる珍しい病気だ。簡単に言えば個性が本人の体を攻撃し始める」

「は?」

「それを免疫が敵だって勘違いして、今度は免疫が個性因子を攻撃する。で、その反動で個性がさらに暴走する。自分の中で戦争が始まるんだよ」

 

短髪の看守の顔色がみるみる悪くなる。

 

「……それ、やばくないか?」

「重症ならアウトだ。体がもたない。個性そのものが爆弾になるから、個性を使えば使うほど病気は悪化する。薬で個性因子の活動をしっかり抑えればなんとかできる難病だが、薬が無ければ死ぬだろうな」

「マジかよ、あの子薬なんて……」

「だから言ったろ。直死ぬって。ここの医者の判断としては、“個性疾患とよく似てる、だけども彼は脳無だから適切な診断は下せない”との事だ。一応薬を与えたらどうだと言われたが、まあバケモンの病気なんて知った事じゃないな。税金の無駄だ。無理矢理個性を入れられた人間にも、稀に個性疾患によく似た症状は出ていたらしいし、その類だろう」

「ちょっと酷くないか……?子供だろう、人権とか……」

「あの姿に絆されるな、あれは脳無だ。怪物だ。怪物は人ではない。人以外に人権は適応されない」

 

冷酷な言葉だったが、言った本人には一片の悪意すらない。ただ当然の判断として口にしているだけだった。

 

「……雄英の奴らになんて言って誤魔化したんだ?」

「アイツを出せ出せとしつこいからな。どれだけ聴取をしても奴は真相を話さない。そんな危険人物を出す訳にはいかない。二度目以降の面会申請は全部却下し続けた。余計な事を言われても困るしな。その要求は全部無視してる」

 

その残酷な事実を、看守は他人事のように笑った。

 

「酷い事をするもんだ」

「酷い?酷いもんか。必要な措置だろ」

 

化野狐太郎は危険人物。他人の皮を被り、同学年の少年になりすまして生活していた異常者。そして神野区の悪夢の日、街に莫大な被害を齎した張本人だ。

 

また外へ出せば同じことが起こる。

今度こそ、より多くの犠牲が出るだろう。

 

ゆえに、ここで“保護”すると決めた時から、解放は予定されていなかった。ここで先ほどの情報が重要になる。タルタロスとは、国民の安全を著しく脅かす、または脅かした人物を厳重に禁錮し監視下に置くための施設。刑の確定、未確定を問わず、あらゆる個性持ちが収容される。

 

タルタロスは狐太郎をこう判断した。

“福州ソロではないと確証が得られなかったため、運良く実刑を免れただけのヴィラン”だと。

 

「“化け狐”だぞ?数ヶ月前から人の姿で模範囚のように過ごしてはいるが、あれは化けの皮を被ってるだけだ」

「なんで分かる?」

 

問いに、男は椅子に深く背を預け、薄く笑んだ。

 

「目を見れば分かる。獣の目だ。アレは隙さえあれば俺らの事を殺そうと企んでる」

 

狐太郎が鉄格子の向こうからこちらを見た時の、あの底知れない瞳。理性の皮を被ったまま、その奥に潜む、野生よりなお冷たい捕食の視線。看守はそれを本能的に理解していた。

 

だから────

 

だからアイツはここから出さない。

 

タルタロスの要人たちはその一点で一致していた。

 

「ここに収監されるような奴らは総じて人ではない。ただ人の形をしているだけだ。“個性”によって人の規格を失った人類に紛れてしまった……悍ましいバケモノだ。その中でも、アイツは特にな。人の形すらしていない」

 

看守が冷たく吐き捨てた。

その時だった。

 

『セキュリティレッド発令。侵入者アリ、セキュリティレッド発令』

 

乾いた警報音が突き刺すように鳴り響き、赤色灯が一斉に点滅する。瞬間、管理室の空気が変わる。張り詰めた緊張が走った。

 

各フロアでは自動的に隔壁が降り、重い金属の衝突音が連鎖するように響いた。職員たちは即座に立ち上がり、武装を整えながら持ち場へ散っていく。

 

ドローンが唸りを上げて飛び出し、ロボットが武装を展開して侵入者へ向かっていく。だが、それらはほんの数秒で、まるで紙細工のように破壊されていった。

 

監視塔が外側から衝撃を受け、鈍い爆音とともに大きく崩れ落ちる。破片が海へ落ち、黒い潮が高く跳ね上がった。

 

 

侵入者は、死柄木と脳無だった。

 

死柄木の胸の奥に潜むオールフォーワンは、サーチの個性を通して本体の位置を鮮明に捉えていた。水深およそ500メートル、タルタロスの最深部。本体を収容する区画だけは構造材から異なる。あれを破壊すれば水圧に耐えられず、即座に海の底へ押し潰される。

 

そして、今の死柄木一人ではそこへ到達には身体が保たない。ゆえに、他のヴィランも必要だった。内部崩壊を狙う以上、数がいる。

 

(まったくタルタロス!仮にマキアを連れてきたとしても外からの攻略は難しかった!)

 

歯噛みするような声音で、オールフォーワンは死柄木の中で意識を震わせた。彼は内と外で同期するように呼吸を合わせ、タルタロスをハッキングしていく。

 

そして次の瞬間、すべての独房のロックが解除された。

 

鉄扉の開く重低音が、地下深くで連鎖し、巨大な共鳴音へと変わる。閉じ込められていた囚人達が一斉に自由を得た。

 

死柄木の前に、数名の看守が現れた。銃口が一斉に向けられる。今撃たれれば本体との接続が途絶える。この体を壊されるわけにはいかない。

 

だからこそ、

 

「仕込んでおいて正解だったな。

おいで、プライマル。手を貸してくれ」

 

その言葉に呼応し、影が揺れた。

林間合宿で狐太郎を誘拐したあの日、ドクターと共に、彼の脳に仕掛けを施していた。死柄木の命令に絶対服従し、忠実な僕となるよう構造を改変したシステム。

 

元来、狐太郎は脳無のプロトタイプ。

主の指示を受け、戦い、命令を遂行するために作られた存在。ゆえに、支配の刷り込みは造作もなかった。

 

銃声が鳴り響く。

だが撃ち込まれた弾丸は死柄木に届かなかった。光沢を帯びた黒い外皮が銃撃を受け止める。硝煙が漂う中、獣は静かに地を踏みしめる。その度に床が揺れ、鉄板が悲鳴を上げる。

 

「プライマル、僕の本体をここに連れてきてくれ」

「はッははは!万事この俺様にお任せあれッ」

 

狐太郎、プライマルは黄金の瞳を細め、「やっと自由だッ、自由だぁ!ッはは!シャバの空気はうまいぜ!」と低く嬉しそうに唸った。看守たちを無造作に吹き飛ばし、その巨体で鉄扉を押し潰しながら走り抜ける。床に転がる看守たちの死体は先に脱獄したヴィランたちの手によるものだった。首の角度がおかしい者、胸を抉られた者、バラバラにされた者。いずれも即死だった。

 

だが狐太郎はそれらを一瞥すらせず、ただ最奥へ、オールフォーワンの本体のもとへ向かって走る。

 

ムーンフィッシュ、マスキュラー、オーバーホール。凶悪な脱獄囚たちが歓喜と怒号を上げながら次々に檻から飛び出していく。

 

しかし奥へ進むにつれ、囚人の姿は消え、静けさが増していく。まるで深淵に踏み込むように、空気が濃く、重く、冷たく変わっていった。

 

「ヴィランが来たぞ!!」

「撃て撃て撃てッ!!!」

「あーはっはっは!オラどけぇ!!踏み潰すぞ虫ケラ共ッ!」

 

タルタロスの奥深くに怒号と銃声が炸裂した。コイツだけは出してはならぬとオールフォーワンの部屋の前には異様な緊張が張り詰めており、看守たちは震えながらも銃を構えていた。

 

引き金が引かれ、乾いた連射音が狭い通路に木霊した。しかし、

 

「消えた!?」

「狼狽えるな!!奴の個性は変身だ!!」

 

次の瞬間には、狐太郎の姿がかき消えていた。風すら立てず姿を無くすその動きは、まるで画面にノイズが一瞬飛んだように不自然で、看守たちは目の前の現実を理解するより先に恐怖が喉につかえた。

 

そして。

 

背後に、ひやりとした空気が生まれる。幽霊の形を取った狐太郎が、濃霧からじわりとにじみ出るように現れた。

振り向くより早く、一人が吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた衝撃で骨が砕ける乾いた音が響く。もう一人は肩ごと噛みつかれて持ち上げられ、遠くへ投げ捨てられた。残った看守たちが恐怖で硬直したところに、巨大な尾が横薙ぎに走る。空気を裂き、重い衝突音とともに数人の体が宙を舞い、床へ無残に転がった。

 

わずか1分。

地獄のような静寂が落ちる。

 

牢の前には、もはや人の影はなかった。ただ、赤い滲みだけが、そこで起きた殺戮の余韻として残っている。

 

 

 

「やあ、来てくれたんだねプライマル。すまないが扉を開けてくれるかい?」

 

鉄格子の中から落ち着いた声が響いた。オールフォーワンである。

 

「ここの銃だけ特殊なシステムで、他とは切り離されているのかハッキングできないんだ。動いたら銃殺されてしまうからね。できれば銃も破壊してくれ」

 

狐太郎は“福州ソロ”の形へと変わって牢内へ踏み込む。冷気を纏った鉄の匂いのなか、腕に鱗を展開させ、両側の銃を握り潰した。硬い金属が悲鳴を上げるように曲がり、火花が散って床を焦がす。

続けて拘束具の鎖を切断し、オールフォーワンの体を束縛から解き放った。

 

そして、狐太郎は本来の巨大な異形へと戻るとオールフォーワンを背に乗せ、崩れゆくタルタロスの内部から外へ跳躍した。

 

海風は暴風となって吹き荒れていた。

外では既に数多のヴィランが脱獄し、黒い群れとなって蠢いている。オールフォーワンが背から降りると、死柄木のもとへ歩み寄った。

 

「橋がねぇぞ!!」

「これじゃ出られねぇ!」

「ふざけんな!!早くシャバの土踏ませろ!!」

 

醜悪な叫びが、嵐の轟音に混じって渦を巻く。怒号と焦燥、興奮が入り乱れ、脱獄囚たちの視線が一斉にオールフォーワンへ向けられる。彼は荒れ狂う海風のなかでも揺らぐことなく、静かに口を開いた。

 

「出たければ僕の指示に従ってくれ、友よ」

 

その声音は低く、闇の底に引きずり込むような重さを帯びていた。混乱していた囚人たちの動きが、一瞬で止まる。

 

「そして側で見ていて欲しい」

 

押しのけられた群衆の向こうで、マスキュラーが目を見開いた。その視線の先には、彼が知る青年が立っていた。

 

「死柄木……?」

 

夜の海面は嵐にかき回され、巨大な波が立ち上がっては砕けていく。タルタロスから吹き上がる黒煙は鉛色の空へ吸い込まれ、雷鳴が響き渡る。

 

オールフォーワンはその中心で、確信を抱いた表情で宣言した。

 

「これから始まる空位時代に、より完璧な魔王が生まれる……これは僕が最高の魔王になる為の物語だ」

 

嵐すらひれ伏すような王の宣告だった。

 

 

 

タルタロスへの襲撃から6時間後。

 

 

日本中にその余波が波及していた。

タルタロスの崩壊によって溢れ出たヴィランたちが、紫安刑務所、婆柩刑務所、九隠刑務所を次々に襲撃。それらはあっという間に陥落し、封じられていたはずの凶悪犯たちが次々に街へ散っていった。

 

 

 

 

    *    *    *

 

 

 

 

 

 

超人社会の転覆を企んでいた死柄木弔率いる超常解放戦線のテロ。ヒーローたちの奇襲は成功し、辛うじて阻止することができた。だが、その代償はあまりにも大きかった。

 

戦場となった都市は、もはや街のかたちを保っていない。建物は倒壊し、瓦礫と灰が延々と続く光景は、かつてそこに人々の生活があったなどと信じられぬほどだ。

 

何人もの命が奪われた。

ヒーローたちはそれを救えなかった自分たちを責め、深い無力感に沈んでいた。

 

対して、ヒーローの包囲を突破した死柄木弔は、対“個性”最高警備特殊拘置所タルタロスを奇襲し、オールフォーワンを含む凶悪犯たちを解放した。

 

タルタロスを脱出したヴィランたちは各地の刑務所を襲撃し、囚人達が外へと流れ出す。後手に回るヒーロー側では対応しきれず、日本全土は急速に荒廃へ傾いた。

 

守ってくれるはずのヒーローは来ない。ならば、自分の身は自分で守るしかない。都市部では市民が武器を手にし、無秩序な戦闘が始まる。

 

ヒーローへの信頼は失われた。

 

日本社会は崩壊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「化野くんが、脱獄って……」

 

緑谷が雄英を去ったあとも、A組の面々はまだ校内に留まっていた。外界はもはや安全とは言えず、混乱を避けるため、彼らは雄英高校そのものがシェルターと化した施設で過ごすことを余儀なくされていたのだ。

閉ざされた校舎の窓の外では、遠くで爆発のような音が響く。街全体が荒れ果て、例外なく緊張と恐怖の気配がこびりついている。

 

そんな中、共用スペースに置かれたテレビが突如として速報を映し出した。タルタロスの大脱獄。その映像を見た瞬間、A組全員の顔から血の気が引いた。

 

「いつまでも戻ってこないから、おかしいとは思ってたが」

 

轟が冷や汗を流しながら呟く。画面に映る巨大な獣の影。あれは、どう見ても狐太郎だった。他の脱獄囚と並び、暴風の中を堂々と進む獣の姿。そしてその中心には死柄木弔、そしてオールフォーワンの姿がある。

二つの最悪が揃っているその光景は、ただ一つの真実を告げていた。狐太郎は、ヴィランになった。

 

「な、なんで……」

「化野さん……」

 

声に力がない。

その沈黙を破ったのは、爆豪の鋭い舌打ちだった。

 

「タルタロスがハナからアイツを外に出すつもりなんてなかったからだろ」

「どう言う事!?」

 

とお茶子が声を震わせると、爆豪は画面から目を逸らさず続ける。

 

「ヴィランに洗脳されて暴れた生徒を保護するっつー名目の割に、いくらなんでも長すぎた。アイツが福州ソロなのか、化野狐太郎なのかは知った事じゃねーが、拘束された後も本気で暴れ回るほど馬鹿じゃねーってことは知ってる」

 

轟も冷静に頷く。

 

「精神が落ち着いたのならタルタロスにいる理由はない。それでも出さないって事は…」

「タルタロスはアイツを危険分子と判断したんだろ。あそこは特別だ。刑の確定、未確定問わず、危険だと判断した人物を確保しておく為の施設だからな」

 

爆豪の言葉は淡々としていたが、その眼差しは怒りで揺れていた。

 

「そりゃ、出るチャンスがありゃ見逃さねぇだろ、アイツは。その時その場で、やりたいことをやるだけの刹那的な奴だ。ヴィランになろうが関係ねぇ。あんな退屈な場所より、外に出る事を優先する」

 

爆豪は笑っていなかった。

ただ、画面の向こう。あの日、自分たちが倒しきれなかった獣を睨みつけていた。その瞳にあるのは、怒りか、悔しさか……

 

「一生出してもらえないってんなら、テメーで出ていくしかねぇ。ヴィラン共の襲撃は絶好の機会だった」

 

轟が腕を組む。

 

「ああ。それ以上に、またヴィランに何かされた可能性もある」

「助けなきゃ!」

 

麗日が勢いよく身を乗り出したが、すぐに爆豪に制される。

 

「どうやってだよ。俺たちはここから出してもらえねぇ。外にいんのはデクだけだ」

 

重い沈黙が広がった。

オールフォーワンは緑谷を、ワンフォーオールを狙っている。だからこそ緑谷は、仲間を守るため雄英を去ったのだ。

 

「デクくん…」

 

切羽詰まった声があちこちから漏れる。

 

「十中八九、アイツはエンデヴァーと一緒にいる」

 

轟、爆豪、常闇はそれぞれ師匠に連絡を試みた。だが、誰一人として電話に出なかった。忙しいだけでは説明できない不自然さだった。まるで何かを意図的に隠しているように。

 

オールマイトも戻らない。

授業は滞り、進学も保留となり、ヒーロー科の生徒たちは寮で待機しながら周辺警備に協力する日々が続いていた。

 

そしてオールマイトが置いたと思われる緑谷の置き手紙が見つかったことで、2人が一緒に動いている事実はほぼ確定となった。

 

爆豪が低く呟く。

 

「多分考えうる最悪のパターンだ」

「じゃあ!連絡手段をどうするか!?だな!!」

「……強引に行こう」

 

A組の生徒たちは、決意を固めたように顔を上げた。

彼らの中にもまた、静かな闘志が灯り始めていた。

 

 

 

 

     *    *    *

 

 

 

 

 

あの日、世界は確かに一変した。

 

タルタロスから解き放たれた脱獄囚たちは“ダツゴク”と呼ばれ、日本の至る場所で暴れ回った。彼らが通った後には瓦礫、炎、そして恐怖だけが残った。

 

もはやヒーローは機能しない。

警察も市民を守りきれない。安全だったはずの日本は、混乱と絶望の渦に沈んでいった。

 

そんな混乱の最中、オールフォーワンは狐太郎に声をかける。

 

「プライマル、頼めるかい?」

「オッケー大将、すんばらしい俺の使い方だね。おしゃべりは大好きだし、任せてもらって平気だよ」

「緑谷出久は間違いなく単独行動を取る。だからこそ君にはマスコミや、民間人に化けて各地を周り、煽動してほしいんだ。そして緑谷出久を炙り出してくれ」

「了解。化け狐の本領発揮だなぁ、色んな顔を盗んで奪って、面白おかしく撹乱してやる。エンターテイメントの時間だぜ」

 

狐太郎は満足げに肩を震わせ、その身をふわりと変化させた。白い羽が舞うように散り、彼は鋭い眼光を持つ隼へと姿を変えて大空へと飛び立つ。空の高みから濁った世界を見下ろし、次々と姿を変えながら各地へ降り立つ。

 

ある時はマスコミとしてヒーローに詰め寄り、容赦のない言葉で追い詰める。ある時は一般人に化け、お前らの所為だと怒声を浴びせる。またある時にはダツゴクに化けて“失言”を撒き散らし、ある時はヒーローに化け、市民の前で態とらしく敵前逃亡をした。

 

噂は尾ひれをつけて広がり、真偽が混ざり合い、形を変えながら駆け巡る。世間は疑心暗鬼に満ち、誰も何も信じられなくなり、混乱はさらに混乱を呼んでいった。

 

 

 

そして、世界はあっという間に崩れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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