お狐フレンズ   作:佐倉シキ

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再会、再戦

 

 

 

横浜の一等地に、その建物はあった。

 

かつての栄華を誇った高層ビルは、いまや街の荒廃を象徴するように無残な姿を晒していた。遠目に見れば、その外観にはまだ企業本社の面影が残っている。磨き上げられたガラス張りの外壁、鋼色のフレーム。本来ならば高級感と威厳を湛えていたはずだ。

だが、近づけば近づくほど、その幻想は剥がれ落ちる。ガラスは風雨に砕かれて至るところで破れ、コンクリートの外壁は深々と裂け、鉄骨の一部がむき出しになっている。崩落した箇所からは瓦礫がこぼれ落ち、黒ずんだ跡が幾筋も残っていた。

 

内部に踏み入ればさらにその落差は顕著だ。

薄暗い廊下に、天井の割れ目から差し込む外光が筋のように落ちている。照明はすべて死んでおり、光源と呼べるものは自然光だけ。廊下にはかつてのオフィス家具が倒れ、紙類が湿気を吸って床に貼りついていた。

 

そんな廃墟の中を、一人の少年がゆっくりと歩いていた。

 

黒い衣服に身を包んだ少年。蜂蜜色の瞳は暗闇の中でも淡く光を宿し、揺らぐ。ワインレッドのざんばら髪を隙間風が撫で、風が吹くたびに、彼の頭の上の大きな狐のような耳がふるりと揺れた。

歩調は軽い。廃墟の空気とは不釣り合いなほど機嫌が良さそうで、鼻歌すら聞こえてきそうな足取りだった。

 

龍と狐を掛け合わせたような独特の尾が後ろで揺れ、ゴミ箱の残骸にぶつかった。ガランと空虚な音をあげて中身が散乱する。壁には悪意のこもったラクガキがいくつも描かれていた。罵声、嘲笑、誰かの怒りや恨み。

 

少年、狐太郎は無言で壁を撫でた。

まるでかつての喧騒や人々の声をなぞるかのように、ゆっくりと歩みを進める。

 

最上階に辿り着く。

かつて福州家の当主がこの場所で仕事をしていた。そんな栄華の名残を感じさせる部屋だった。だが今は、汚れたフロアに倒れた家具、散乱する書類、そして天井から垂れた電線がもの悲しい影を落としているだけである。

 

大きな窓辺に立てば、かつて賑わっていた横浜の繁華街が一望できた。だがその街並みは、もう生気を失っていた。看板は倒れ、ひび割れた街灯が人のいなくなった通りを照らす。廃墟となった街が徐々に夕闇に沈み、滲む空に溶けていく。

 

狐太郎は社長椅子に腰を下ろした。

軋む音が部屋に響く。彼は街を見下ろしながら、どこか懐かしむように目を細めた。その時、靴裏に何かが触れた。

 

「ん〜?」

 

彼はそれを拾い上げる。写真だった。

厳格そうな男と、華やかな紫髪の女性。そして、その腰あたりに寄り添うように立つ藤色の髪をした子供が二人。その光景を見た途端、狐太郎の表情は一瞬だけ柔らかさを帯びた。記憶の底の温度が蘇ったかのように。

 

その時、背後にふたつの気配が立った。

 

「怪物にも感傷って存在してんのか、驚いたぜ」

「それ狐太郎くんのお友達ですか?カァイイですねぇ!名前なんて言うんですか?」

「秘密さ!どうせもう死んじまったんだ。言ったところで意味がない」

 

狐太郎は写真をテーブルに置き、ふたりへと振り返る。来訪者は荼毘とトガだった。焦げたような笑みを浮かべる荼毘の声が、乾いた空気をさらにざらつかせる。

 

「なあ、覚悟はできてんのか?」

「ははッ!覚悟か!覚悟ね!親切なヴィランだなお前は。誰かと戦うのにそんなもん一々必要ないだろう。俺様はいつだってやりたい事をやってるだけだ」

 

そうかい、と荼毘は呟き、ゆっくりと狐太郎へ歩み寄った。床に残されたガラス片を踏み、パキ…パキ…と乾いた音を広げる。

 

「笑おうぜ、化野。このクソみたいな世界をぶっ壊して、全部全部終わらせてやるんだ」

「笑顔です!口角を上げてください!」

「笑顔は俺様の得意分野だぜ」

 

トガが頬に人差し指を当て、にこりと笑ってみせる。その無邪気さにも似た狂気を映す仕草に、狐太郎は唇を吊り上げた。凶悪な牙が覗き、野性の気配を帯びた妖しい笑みが浮かび上がる。黄色い瞳が光を宿し、まるで狩りの前の獣のように輝いた。

 

「さぁ、ふふふ。SHOW TIMEだな!」

 

任務はすでに命じられている。愉快で、心を躍らせる。彼にとってはそれだけで十分な依頼だ。狐太郎は黒衣をひるがえし、夕闇へ沈む街を見下ろしながら微笑むと、高層階から静かに去っていった。

 

 

 

 

 

     *   *   *

 

 

 

 

セントラル病院。

重要拠点であるこの施設を守るため、いくつかの警察署は病院周辺へ拠点を移し、厳重な警戒体制が敷かれていた。白い外壁が夕暮れに染まり、病院特有の清潔な匂いと多忙な足音が周囲の緊張をより際立たせている。

 

病院内部の一室では、オールマイトやホークスなどのプロヒーロー、そして警察関係者たちが集まり、今後の作戦について議論していた。机には地図や資料が山積みになり、壁にはホワイトボードが立てられている。情報は刻一刻と更新され、空気は焦燥と重圧に満ちていた。

 

最優先事項は、敵の分断。

オールフォーワンと死柄木が揃えば、それだけで戦況は絶望的になる。加えて他のヴィラン達も加われば、戦力差は埋めようもない。

 

「厄介なのは荼毘と……化野少年だ」

 

オールマイトはホワイトボードに手を伸ばし、現状を整理するようにマーカーを走らせる。ヴィランのマグネットを貼り付け、それぞれの個性や行動範囲を記入していく。

 

荼毘、そして狐太郎。

彼らが炎を撒き散らし、広範囲へ攻撃を仕掛けてくるだけで、こちら側の作戦は大幅に制限される。その可能性だけで、部屋の空気は一層重みを増していった。

 

「ええと、じゃあオールフォーワンと死柄木を引き離す前にまずは荼毘達を引き離して」

 

ホワイトボード前で仲間の言葉を受けた声が、部屋の緊張を一段階引き締める。

 

「その2人だけじゃないな」

 

短く返されたその声に、室内の視線が一斉に集まった。オールマイトはゆっくりと頷く。その額には深い皺が刻まれ、彼がどれほど切迫した状況を理解しているかを雄弁に物語っている。

 

「敵主力全てを分断し各個撃破!!その為には敵を誘き寄せる事が条件!!」

 

言葉に力がこもり、ホワイトボードの前にいる彼の背中は、今なお象徴であり続ける英雄の風格を帯びていた。その中で、オールマイトはふと狐太郎の名が書かれた小さなマグネットを指先でつまみ上げた。軽いはずのマグネットが、まるで鉛のように指に重い。

 

「一つ、引っかかるところがあるとすれば、あの男が化野少年を本当に信用しているかどうかだ」

「と、言うと?」

 

問い返したヒーローに、オールマイトは資料を見ながら慎重に言葉を選ぶ。

 

「化野少年は仲間になったばかりだろう?確かに彼もまた脳無かもしれないが、今の今までオールフォーワンの側にはいなかったんだ。他のダツゴク達と同じように暴れさせるのかと思ったが、そうじゃなかった」

「多分マスコミや民間人達に噂を流して情報を操ってますよね。噂が広がる速度が速いし、情報の流れが整いすぎている」

 

ホークスが手元の資料をめくりながら補足した。紙が擦れる音が、妙に大きく感じられるほど室内は張り詰めていた。

 

「荼毘やトガ達は合宿襲撃の頃からいるから分かるけど、化野少年はダツゴクを機に引き入れた」

「パッと出の人間を大事な決戦に連れてくるとは思えないって事ですか?彼は元雄英生だし、土壇場で裏切られる可能性もある」

「そうだ。胸糞悪い話だが……私は、化野少年は捨て駒にされるんじゃないかと思うんだよ」

 

オールマイトの声は低かった。

その手に握られた狐太郎のマグネットがギュッと歪むほど、無意識に力がこもっていた。

 

その瞬間だった。

 

けたたましい警報音が部屋中に響き渡り、全員が反射的に身構える。空気が一気に張り詰め、誰もが息を呑む。

 

「雄英高校からです!」

 

叫ぶような声に、場の視線が集中する。

 

「雄英高校がダツゴクに襲撃を受けています!!すぐに戻りましょう!!」

「なんだって!?」

「このタイミング……まさか」

 

オールマイトは即座に扉へ向かって駆け出した。ヒーロー達も次々に続く。

 

(緑谷少年……気をつけてくれッ!)

 

胸の奥に、強烈な不安と焦燥が渦巻く。

青山を使いオールフォーワンを呼び出し倒す。その計画の会議の最中に発生した予想外の襲撃。これは偶然ではない。オールフォーワンの悪意が、確実に手を伸ばしてきている。

 

オールマイトは走りながら悟る。

これは、最後のダツゴク戦になるかもしれない。

 

 

 

 

 

      *    *    *

 

 

 

 

夜。

 

湿った夜気が雄英高校を包み、あたりは深い闇に沈んでいた。その闇を切り裂くように、突如として騒然とした叫びが上がる。

 

「ダツゴクだ!!」

「一体どこから!?」

「雄英は安全じゃなかったのかよ!!?」

「警備があっという間にやられたぞ!!」

「逃げろ!!」

「どこから現れたんだ!?」

「分からない!ただ……」

 

 

生徒も避難民も、皆混乱し、走り、躓き、叫び声を上げる。

 

 

そして──────

 

「突然、バケモノが……!!」

 

泣き叫ぶような声が、それを最後に途切れた。

 

雄英高校は国の最新防衛技術を備えている。タルタロスと同等とまで言われる防御性能。さらに根津の手による独自改修が加えられ、その堅牢さはまさに要塞の名にふさわしかった。

 

ではなぜ、その雄英がダツゴクごときに破られるのか。

 

理由は単純。

シェルターは外部からの攻撃を想定している。避難民として内部へ入り込まれれば、防衛装置は無力だ。そして、内部から壊されれば、どれほど強固でも意味をなさない。

 

そしてダツゴクの中に、それを可能にする個性を持つ者がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何故シェルターのリニアが動かない!?」

 

飯田の叫びが響く。生徒達の動揺が一斉に爆発した。

現在の雄英は敷地を碁盤状に分割し、それぞれを独立して地下へ潜らせる仕組みだ。地下に潜った区画は、超伝導リニアシステムによって複数ルートを高速移動する、はずだった。

 

はずだったのに。

 

実際にはひとつも動いていない。

衝撃と恐怖が全員の顔に浮かぶ。

 

「グレムリン……」

 

轟の声が、氷のように冷たく空気を切り裂く。

数名の生徒がハッと目を見開いた。

 

「な、なんだよグレムリンって!?」

「オイラたちにも分かるように説明しろよ!!」

「忘れたのか?超伝導リニアって要するに機械だろ。俺は、機械にとびきり強い能力に覚えがある」

 

轟は苦い表情を浮かべたまま続ける。

 

「I・アイランドにおいて、そこの一流科学者達が作った警備ロボットを容易く操ってみせた個性。その、持ち主は……」

「化野くんッ!!」

 

緑谷の体が即座に駆け出した。

靴が床を蹴る鋭い音が響き、その背中を追うように爆豪と轟も走り出す。

 

グレムリン。機械に悪戯する妖精。このデジタル社会において、彼の能力は凶悪そのもの。狐太郎の変身能力はトガのように制限時間を必要としない。体力のある限り化け続けられる。

 

雄英が破られた理由はたったひとつ。

 

狐太郎が内部に潜り込んでいた。

ただそれだけで、雄英の防衛システムは全て無力化された。

 

A組の他の生徒たちも、3人の背を追うようにわずかに遅れて駆け出した。大人たちが必死に制止の声を上げるが、誰も立ち止まらない。彼らの表情には、恐怖よりも今起きている異常事態を前にして、ただ前へ進むしかないという強固な覚悟だけが宿っていた。

 

そして緑谷が校舎を飛び出し、夜気にさらされた瞬間、彼の目の前に広がっていた景色はまさに地獄そのものだった。

 

夜空を無数の小柄なドラゴンたちが飛び回っている。彼らは獲物を弄ぶようにシェルター区画へと急降下し、嬉々としたようすで人々に襲いかかる。避難民たちの悲鳴が夜の雄英に響き渡っていた。

 

街が燃えている。

炎はシェルターの通路を真昼のように照らし出す。その一瞬一瞬が地獄のようで、逃げ惑う人々の影が、燃え盛る地獄絵図の中で長く伸びては震え、消えた。

 

「ッ!!」

 

あまりにも凶悪な光景に、緑谷は胸をえぐられるような衝撃とともに息を呑んだ。しかし次の瞬間には迷いを振り払うように歯を食いしばり、黒鞭を展開して夜空へと飛び上がる。炎の熱気をまともに浴びながら、緑谷は高速で縦横に走り回り、迫り来るドラゴンへ拳と黒鞭を叩き込んでいく。

 

(どうなってるんだ!?なんで、こんなにたくさんドラゴンがいる!?)

 

爆音。落下音。咆哮。

爆豪と轟がすぐさま背後に迫り、3人が攻撃を叩き込む度、空のドラゴンたちは容易く墜落した。地面に叩きつけられ、悲鳴も上げずに倒れたそれらは、肉片ではなくカランと乾いた音を残してコインに姿を変えた。

 

緑谷はその光景を見た瞬間、背中を冷たく撫でる戦慄を覚える。

 

(まさか……コインをドラゴンに変身させたのか!?)

 

理解した途端、胃の底が重く沈んだ。

そしてそのときだった。

 

「アッハッハ!さあ聞け!注目しろッ!踊り狂って歓喜しろ!終焉の時が迫っているぞッ!!」

 

聞き覚えのある、低くよく響く声。

挑発と狂気を同時に含んだ、夜の森で聞いたあの声。

 

緑谷が振り向くと、夜風を切りながら屋根へ跳び移る影が見えた。くすんだ濃い赤色の無造作な髪が夜風に大きく揺れ、長めの前髪の奥で黄金色の鋭い瞳がぎらつく。左右で不均一な髪型は影をいっそう歪ませ、ミステリアスさよりも危うさを際立たせていた。

 

そして何より、その身体に生えた大きな耳と尾が、緑谷の記憶を刺激する。

 

男は次の瞬間、ほとんど重力を無視するかのように跳躍し、最も高いシェルターの屋根へ降り立った。月明かりを背に、拡声器を大仰に掲げながら。

 

「グッドイヴニング諸君!やあやあ、マイクテスト、マイクテスト!あ〜あ〜」

 

金属的な反響を伴う声が、地獄と化した雄英の敷地に響く。彼は唇の端を吊り上げ、愉悦に満ちた笑みで下を見下ろした。

 

「電波の前の負け犬ども、ちゃんと聞こえてっかぁ!?ヴィランチャンネルパーソナリティの脳無プライマルこと化野狐太郎様だ!

ようテメェら!今日も元気に避難生活楽しんでるか!?クソ退屈な避難所にすし詰めで、湿気と絶望の匂いプンプン漂わせて、テメェら……実にッ、実にッ、愉快だなァ!?その湿った段ボールみたいな草臥れた表情ッ!その、絶望でカサついた声ッ!ふッはは!はははッ!堪んないなァマジでッ!!ひゃっひゃっひゃ!」

 

嘲笑は荒れ狂う炎すらかき消すほどの大きさで反響した。狐太郎の声はまるで観客の反応を楽しむ芸人のように熱を帯びていき、避難民たちの不安を煽ることだけに徹している。

 

そして大仰な動作で肘を張り、観衆の視線を掻っ攫いながら、彼はさらに続けた。

 

「さて!さて!さてェ!!そんなしみったれ避難民クラブの諸君に、我が主オール・フォー・ワン様から、ありがたぁ~い言伝だ!耳かっぽじって聞けよ、無様に足掻いてる惨めなヒーロー共ッ!!」

 

牙を見せ、影を大きく揺らしながら観衆を見下ろす。

 

「“最強”で“最恐”で“最凶”!!そういう強そうな言葉!みんな大好きだろ!俺様も大好き!!だってオマエら、ず~~~っと長い物に巻かれてしか生きられなかったじゃん?巻かれて、従って、媚びへつらって、助けてもらって!そのくせ文句ばっかり一流の蛆虫ども、負けて負けて負けて、ココに押し込まれた雑魚の虫ケラ共!わかってんだろッ!?朗報だぜ〜!!時代は変わる!最強で最恐で最凶の魔王が誕生するッ!!」

 

歓声のように聞こえる炎の爆ぜる音。人々のざわめき。怯え、怒り、混乱、絶望。すべてが渦巻く中、狐太郎の狂気だけが鮮やかに際立っていく。

 

「……で、お前らだ。どうする?魔王に従わない?魔王に逆らう?ここに潜み続けてるってことは逆らうって事だよな!?逆らうってか!?逆らってんのか!?逆らってんだなテメェらは!

ハァ~~!!?クッソ生意気ぃ~!!雑魚虫のくせに生意気な事考えんのはやめときなッ!!逆らうってんならそのまま惨たらしく死ぬだけだぜ!!

……え?何、嫌だ?怖い?……はッははは!残念そんなん知った事じゃねーぜ!!なんせ俺様ヴィランだし〜!まあ要するにぃ〜、このままだと死ぬんだよぉ!オマエらはァ!!」

 

大笑いしながら高熱に浮かされているかのように話す狐太郎の言葉を聞き、民衆の怒号が上がった。ふざけるなという声。いや、それ以上に多くの人々がヒーローへの憤りを吐き出していた。

 

「事態を収束させるべきだ!」

「でもヒーローが」

「ダツゴクどものせいで」

「元はといえばエンデヴァーだろ!」

「ホークスもだ!」

「なんでヒーローは助けに来ないんだよ!」

「此処もダメだ、早く逃げないと!!」

「ヒーローは何してんの!?」

 

混乱が騒乱となり、騒乱が群衆の暴走へと変わろうとしたそのとき、狐太郎が喉を鳴らすように笑い、わざと緩慢に言葉を落とした。

 

「おいおい、落ち着けよテメェら。どこに逃げるってんだい?」

 

その一言で騒ぎが凍りついた。

人々は言葉を詰まらせ、互いに顔を見合わせるだけ。狐太郎はその様子に深く満足したように目を細めながら、ゆっくりと言葉を重ねた。

 

「外にはもう何もねぇ!!水も!ガスも!電気も!生活も未来も!なーんにも残ってねぇッ!!お前らの命はぜ~~んぶ雄英に握られてんだよ。逃げ場なんてどこにもねぇって、さっさと自覚しろよ!ってもまあ、負け犬ちゃんには無理かな~~?ほら、理解力ないもんな~~?今の今まで気付かなかったワケだしぃ?」

「あ……」

「すんばらしく優しい俺様が、入念に丹念に丁寧に説明してやるぜ。ヒーローに飼われ続けて、生殺与奪権全部握られたままでもいいのかい?今の惨めな寝床、食い物、治安、全部見てみ?ヒーローはな、別にお前らを助けねぇよ?」

 

狐太郎の背後で空気が歪んだ。熱を帯びた風が渦を巻き、そこからぬるりと影が這い出す。現れたのは、赤黒い鱗に覆われたドラゴン達だった。翼を広げるたびに乾いた衝撃音が響く。狐太郎の合図を待つ必要もなく、ドラゴンは再びシェルターへと牙を向け、獲物を求める獣のように唸りながら襲いかかった。

 

そして同時に、周囲にいた民間人たちの姿が奇妙に揺らぎ、皮膚の表面が波打つ。次の瞬間、その人影は別物へと変質した。それは、暴力的な笑いを浮かべたダツゴク。最初から紛れ込んでいたのだ。ヒーローの保護対象を装って、内部から混乱を引き起こすために。

 

ヒーロー側は、突如として姿を現した敵に対応するので手一杯になり、狐太郎の暴挙を止められない。叫び声が、混乱と恐怖が、シェルター全体を揺さぶった。

 

「水も何もないって、俺らどうすりゃいいんだよ!」

「此処にいても、外にいても死ぬんじゃない!!」

「ヒーロー早く救けてよ!!」

「それもこれも、緑谷って奴のせいだろ!!」

「そうだ!そいつのせいだ!」

 

遠くからそれを聞いていた爆豪の眉が跳ね上がる。怒気がほとばしり、爆発を伴うような勢いで狐太郎に殴りかかろうと踏み出す。しかし飛び出した瞬間、複数のドラゴンがその前に割り込み進路を遮った。爆豪は舌打ちし、手のひらに火花を散らす。

 

(クソッタレ!!マッチポンプだ!!民間人の中にヴィラン側の人間がいやがる!!)

 

気付いたところでもう遅い。

流れは完全に、悪意の望む方向へと傾いていた。

 

「そうだ、あいつが来たから」

「敵の狙いはあいつなんだろ!?」

「やっぱ緑谷のせいじゃないか!!」

「受け入れなければよかったんだ!!」

 

恐怖は容易に怒りに変わり、人はそれを誰かにぶつけたがる。その脆さ、浅さ、弱さに、狐太郎は肩を揺らして笑った。だが、笑いと同時に、彼の思考は冷静だった。第一の任務は“雄英を襲撃し、大混乱を齎すこと”。第二は“雄英の内情をオールフォーワン宛てに正確に伝えること”。第三は“余裕があれば根津やリカバリーガールなど重要人物を殺害すること”。

 

引き際も定められてはいたが、退くつもりはない。

混乱は既に生まれ、今まさに育っている。あとは適切に焚きつければいいだけ。

 

狐太郎は事前に内部を歩き、配置も把握していたため、狙いどころも分かっていた。蜂の巣に煙を吹き込むように、ただ暴れればいい。混乱がピークに達した瞬間、護りきれなくなった標的を確実に仕留める。

 

まずは緑谷の存在を利用し、避難民の敵意を煽った。緑谷がここにいられなくなれば、それはそれで収穫だ。まさに一石二鳥。

 

狐太郎は喉を震わせ、甘い毒を含んだ声を響かせた。

 

「さぁて……最後にお知らせだ。緑谷出久を渡せ、以上だ。そうすりゃ、命は保証してやる。水も、電気も、食糧も与えてやる。自由ってヤツもくれてやるよ。ほら、犬ならわかるだろ? 従えば生きられるって。腹を出して俺様に服従しろ。テメェらを助けられるのは、もうヒーローじゃない。俺様達だ。従えよ。従って、生きるんだ。

 

なぁ、一緒に生きようじゃないか」

 

先程までの罵倒とは違い、子どもに語りかけるような優しい声。その甘さが不気味だった。

 

緑谷を差し出すべきではないか。そんな空気が広がりかけた、その瞬間だった。

 

「渡さないッ!!!」

 

乾いた空気を破るような、震えた叫びが響いた。

2本ツノの帽子をかぶった少年が、膝を震わせながら、それでも前に出て泣き叫んだ。

 

「兄ちゃんは絶対渡さない!!今まで僕たちの為に頑張ってくれたんだ!!傷付きながらもずっと!!ずっとだッ!!それを、お前なんかに渡すもんかッ!!」

 

小さな体の中に詰まった勇気が、爆ぜるように広がった。その叫びは周囲の心を揺らし、伝播していく。潜んでいたヴィラン達が焦り、なんとか流れを戻そうとするが、もう戻らない。

 

「おいおいおい、タフなコガキがいるもんだ。驚きだぜ。そして困ったな。ガキ1人に覆されてしまった。俺ってなんて情けないんだろう」

 

狐太郎は投げつけられる石を軽く避けながら言い、困ったと言いながらも、その表情はどこか楽しげだった。

 

「つーかテメェら誰に石投げてやがんだ!?分かってないみたいだな虫ケラども!俺様は脳無・プライマル!超絶すんばらしいヴィランだぜ!どうせならついでに、ここに居る虫ケラども踏み潰して噛み砕いてぶち殺して!ヒーロー達の矜持でもへし折ってやるか!サービスタイムだ!」

 

狐太郎は腰のポーチから数枚のコインをつまみ上げ、無造作に空へ放った。直後、コインは肉の膨張音とともにドラゴンへと変態し、凶悪な咆哮を上げて避難民へ飛びかかった。

 

だが、その瞬間だった。

 

緑色の人影が、弾丸のように割って入った。空気を裂く轟音とともにドラゴンたちを殴り飛ばす。まるでピンボールのように跳ね回り、ドラゴン達を打ちのめした。

 

「ッ……!」

 

さらに人影は黒い鞭を放ち、狐太郎の腕を正確に捉えた。そして容赦ない力で腕を引き寄せる。次の瞬間、狐太郎の体は地面から引き剥がされ、民間人から離れた所へと勢いよく投げ飛ばされた。

 

鈍い痛みが体に走る。しかし彼は、空中で尾を巧みにしならせ、姿勢を制御する。ビルに叩きつけられるより前に体勢を整え、壁面へと着地した。

 

目の前に立つのは、緑谷出久。

その瞳は揺らがず、鋼の意志を宿していた。

 

「そう、お前はやっぱ来るよな。というか驚いたぜ、オールフォーワンの言葉は事実だったか!本当に複数の個性を使いこなしてるみたいだな!俺様とお揃いじゃないか!」

 

狐太郎は口角を吊り上げ、愉悦と殺意を混ぜ合わせたような笑みを浮かべた。対する緑谷は、息を整えながらも視線を逸らさない。

 

「俺を殺しに来たのかい?緑谷出久」

「君を、救けに来たんだ」

 

2人の言葉が空気の緊張を引き裂き、次の瞬間、再び衝突した。拳と拳、力と力、意志と意志がぶつかり合い、火花のように激しい衝撃が周囲の壁を揺さぶった。

 

地面が裂け、風圧が飛び散り、両者の肉体に確かな痛みが走る。

 

戦いは、ここからが本番だった。

 

 

 

 

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