A組の生徒たちは、燃え盛る雄英の敷地内を必死に駆け回っていた。焦げたアスファルトの匂いと、風向きによって揺れる熱気が肺を刺す。彼らはグレムリンを捜索していた。外に飛び出し、すぐさま状況確認で戻ってきた轟が、険しい表情で告げたのだ。
「個性が与えられたのか、進化したのか……それとも、元からこういう個性だったのかはわかんねぇけど、今の化野は自分以外も変身させられるみてぇだ。ダツゴク達は多分民間人に化けて此処に潜入してきた。
あのドラゴン達は、コインが変身した姿だ。強度は低いからすぐ倒せる。
そんで、それと同じように多分、グレムリンも何処かにいると思う。化野本人は今緑谷が抑えてるから、お前達は何処かにいるグレムリンを探し出して倒してくれ」
その言葉が彼らの背を押していた。シェルターを起動させれば、避難システムが民間人を守ってくれる。轟はそう言い残し、狐太郎のもとへ駆けていった。
雄英の周囲では、強力なダツゴクたちが暴れている。遠くでは落雷の閃光が空を裂き、別の方向では大地が揺れ、もう一方では黒煙が天へ登る。ヒーロー達はその対応に追われ、この場には辿り着けない。
緑谷、爆豪、轟。3人が狐太郎に張り付いている今、空を覆うドラゴン達と戦いながらグレムリンを探し出せるのは、A組の生徒たちだけだった。
視界を巡らせながら息を切らして走り続けること、数分。全員が張り詰めた神経で周囲の気配に集中していたその時、障子の複製した耳が、草を分ける僅かな音を捉えた。
「いたぞ!」
その方向へ視線が一斉に向く。そこには体長15センチほどの、ウサギに似た小さな小人が、怯えた目で身を縮めていた。確かにグレムリンだ。次の瞬間、グレムリンは慌てて飛び退こうとした。しかし逃がすより早く、飯田が強く地面を蹴り、エンジン音を響かせて一気に距離を詰め、小人を勢いよく蹴り飛ばす。
「容赦ねぇッ!」
「ちょっと可哀想かも……」
転がったグレムリンは短い悲鳴を上げ、バフンと煙を上げながらコインに戻った。その場にコロリと転がったただの金属片を、飯田が拾い上げて確認する。仕掛けなどはなく、本当にただのコインだった。
そしてグレムリンが消えた直後、その周辺に設置されていた数基のシェルターが轟音を響かせながら起動し、地面を開いて民間人を次々と地下へ吸い込むように避難させていく。
「え!?これだけなん!?」
「まだ他にもグレムリンがいるのかもしれないわ」
「避難民の方々を誘導しつつ、すぐに探しましょう」
「ああ!」
煙と光に包まれる雄英の敷地を、A組の生徒たちは再び散開して駆け出した。
* * *
(避難システムが動き出した……。グレムリンがもう倒され始めてしまったのか。流石に優秀だな)
狐太郎はちらりとシェルターの方へ目を向け、鋭く舌打ちをした。
(まあいい。消されたらすぐに追加してやればいいだけだ)
緑谷の素早い接近をひらりと躱しながら、狐太郎は絶え間なくコインをばら撒く。次々にグレムリンやドラゴンへと姿を変え、四方八方へ散らばっていく。
「良いだろコレ、“伝播”っつー個性を新しく貰ったんだ」
「今すぐやめるんだ!」
「やなこった!」
即座に拒絶され、緑谷は奥歯を噛み締める。
(危機感知が鳴り止まない……ッ!それに、これ以上彼が罪を重ねる前に捕まえないといけないのに!)
「捕まえてやるって考えてる顔だな!馬鹿め!俺を止めたきゃ殺すしかないぞ緑谷出久!」
「絶対に嫌だ!」
黒鞭を伸ばして拘束しようとするが、うまくいかない。煙幕を張れば、狐太郎は微かな匂いと音だけで緑谷の位置を特定してくる。空へ飛び上がれば、空中戦の技量は緑谷よりはるかに上の狐太郎が仕留めようと迫ってくる。
(やっぱり強いッ!!)
今戦っている狐太郎は、これまでの比ではなかった。全身全霊、本気の彼と相対している。半年以上タルタロスに囚われ、満足な修行などしていないはずだ。それなのに、緑谷の攻撃を読み切り、的確に捌いてくる。
(雄英での戦い……あれは一体どれだけ“遊び”だったのか……)
その事実が緑谷の背筋を冷たく撫でた。
「はッははは!!惜しかったよなァ、タルタロスの奴ら!陥落さえしてなきゃ、あいつらの判断は大正解だったんだぜ!もうちょっとで俺様という超絶すんばらしい強強ヴィランを絶海の監獄で見事に殺し切れたのに!
あっちに送られて1ヶ月くらい経った頃にはもう決めてたんだ。なんかムカつくし、人間ども全員ぶち殺すかってな!そしたらさ、そりゃあもう笑えるくらい一瞬で見抜かれた!ひゃは!はははッ!実に、実に、見る目があった!
だけどなぁ、未成年で罪が未確定だから死刑は一応やめておくかとクソバカみてぇな甘い考えで殺し損ねたんだよ!結局奴らは死ぬまで待つなんていう消極的な選択をした!その中途半端なド真面目さが、この超大惨事を招いちまったわけだ!
法律〜?倫理〜?はッ!ははは!あッはははは!そんなもん気にしなけりゃ良かったんだ!常識やモラルに縛られず、あの時ふみ切ればよかったんだ!責任感なんて投げ捨てて、理性なんて無視して、建前や社会規範なんて蹴飛ばして、とっとと俺様を殺しときゃよかったんだよ!そしたら、こんな惨状にはならずに済んだのになァ!実に、実に、愚かしいぜ!!」
「ッ……」
笑いながら語る狐太郎が生み出した巨大なオオムカデの群れが、うねる蛇のように襲いかかる。牙を開き、噛み砕こうと迫る。緑谷はその隙間を寸分違わず抜け、ムカデの背を足場にして跳躍し、ワンフォーオールの力を足に集中させて蹴りかかる。
狐太郎は腕をぶるりと震わせ、瞬時にドラゴンの前脚のような形状へ変形させた。だが彼は、その蹴りを受け止めない。衝撃の方向を逸らすように流した。
「おいなんで無視するんだよ!会話はドッジボールじゃ成り立たないんだぜ?」
(攻撃を真正面から受け止めないってことは、多分、ドラゴンの鱗でもワンフォーオールには耐えられないんだ!風圧で鱗が傷付いてるし!)
ただ、反射神経がずば抜けている。緑谷は渾身の技を入れられずにいる。
「ねぇちょっと、返事は?」
(化野くんが“化け狐”の姿になったら被害は更に拡大する!あの姿が1番強いから。できれば、そうなる前に倒したい!渾身の一撃を叩き込めれば姿が戻る前に失神させる事はできるはず!)
迫る危機の未来を、緑谷は歯を食いしばって押し留めた。距離を詰めなければ勝機はない。スピードだけなら緑谷が圧倒している。しかし、反応や攻め手の豊富さは狐太郎の方が圧倒的に上だ。
それでも緑谷は止めるために迷わず踏み込む。襲撃を受けて怪我をした人々、亡くなった人々。その叫びが、嘆きが、緑谷の背中を押す。今まで共にヒーローを目指していた友人がこれを行ったと思うと、悲しさからか、辛さからか、胃がひっくり返るような心地になる。
だから、どうしても聞かなければならない。そう覚悟を決めて、緑谷は空中戦を止めた。瓦礫の散らばる屋上に着地すると、足裏に伝わる衝撃が膝まで響いた。同時に、狐太郎も軽やかに降り立つ。コンクリートに着地した瞬間に砂塵がふわりと舞い、彼の大きな影が揺れた。
「化野くん、いくつか聞かせてッ!」
緑谷の声が、焼けただれた空気を震わせる。
「おしゃべりか?いいよ、何が聞きたい?」
狐太郎はふっと笑い、余裕の態度で立ち止まり、狐耳をぴくりと動かしながら緑谷へと向き直った。まるで遊びの続きを待つ子供のようだ。
「君はオールフォーワンに何かされたの!?」
「知らん」
「それじゃあ、君の意思でこんな酷いことをやっているの!?」
「そうとも!俺様の意志だぜ!避難民達の電波を独占!血みどろフィーバーのSHOWTIMEだ!」
「ッ……こんな風に何の罪もない人達を襲って、君の心は傷まないの!?こんな事をしてッ、君の友達や、ユウさんが悲しむとは思わないの!?今君がやっていることは、最低だよ!絶対にやっちゃいけないことだ!」
その言葉に、狐太郎の動きがぴたりと止まった。瞬きすら忘れたような静止。そして、
「おいおい、最低だなんて、そんな酷いこと言わないでくれよ……」
と、かすれた声が零れた。狐太郎の瞳には、みるみるうちに涙が滲み、狐のような耳は力を失ったように後方へとくったり倒れる。
「俺様だってこんな風に生きたかった訳じゃねぇのに。だってさ、でもさ、こうするしかないじゃないか。俺はさ、人造人間として、脳無として、母の命と引き換えに生まれて、2歳の頃に俺を犬扱いする父を殺して家出して……」
何かを必死に堪えるかのように、前髪を握る指先が白くなるほど強く握りしめられた。
「何もわからないまま森に逃げた、街に降りれば誰も俺の話を聞かず、ヴィランだと罵り石を投げ、個性で攻撃を仕掛けてきやがったんだ……。訳もわからないまま森で長いこと過ごし、そこで出会った友達のおかげで俺の人生は変わった。
美味いものを食って!人と話して!遊んで!楽しかったよ!楽しかったんだ!だってのに、せっかく楽しく過ごせてた年月はッ、思い出はッ、あっという間に奪い取られたッ!」
「化野くん……」
緑谷の声は悲しみで揺れていた。狐太郎はそちらに目を向けず、大粒の涙をぼたぼたと落としながら、感情を吐き出すように叫ぶ。
「全部死んだ!殺された!俺様にはもう何もない!タルタロスでのクソ退屈な7ヶ月ッ、誰も何もしてくれなかった!世間は、テメェらは俺を否定して見捨てたんだ!何も与えず、奪うばかりで!……俺だって、俺だって普通に生きたかったのにッ!」
震える両手で頭を抱え込む姿は、ひどく幼く、そして痛々しいほどだった。
「俺様には、そんな普通は許されねぇんだ。バケモノには何の権利も価値もねえんだ。うう……ッ」
声を震わせ、しゃがみ込んだ狐太郎。
肩が上下し、泣き声が喉の奥でつぶれていく。緑谷はたまらず一歩踏み出し、差し伸べる手をそっと前へ伸ばした。その瞬間だ。
しゃくり上げているはずの声が、微かに、妙な音色へと変質していく。
それは笑い声だった。
「はは!あッははは!ひゃははははッ!ひょっとして俺様に同情した!?可哀想だと思っちゃった!?」
「君は……」
「いやぁ、やっぱり優しいねお前は、優しい優しい!」
狐太郎はぴょんと軽やかに跳ねて後退し、爪先で地面を軽く鳴らしながらヘラヘラと手を叩いた。先ほどまでの涙は嘘のように消え、残っているのは侮蔑と愉悦だけだ。
「まあね、そうは言ってもそんなんもう終わった事だしいいよ。前言っただろ?俺はその時その場でやりたいようにやるだけだって、今も同じさ」
ニヤリと口角をつり上げ、顎を挑発的に突き上げて緑谷を見下す。
「ヒーローごっこも悪くなかったけど、俺様に向いてんのはやっぱりこっちだ。破壊と、殺戮。だってすんごく楽しいもの」
「……君は、みんなと一緒にヒーローを目指していたじゃないか。僕たちを何回も助けてくれた。君は優しい人だよ。やっぱりオールフォーワンに何かされたんだろう?絶対になんとかして見せるから、一緒に帰ろうよ」
「ははは!はッははは!やーなこった!だって俺はテメェら世間様が大ッ嫌いだもん!大大大大大ッ嫌い!!」
狐太郎は下まぶたを指でぐいっと引き下げ、思い切り舌を突き出した。幼稚で、あまりにも挑発的な仕草だ。
「今はこのムカつきと苛立ちに任せてテメェらを殺しまくるのが楽しいからそうしてんだよ!愉快愉快、超絶ド愉快!」
そう言って姿勢を戻すと「ああ、そうだ!最初の質問に答えてなかったな!」と笑い、指を軽く弾いた。
「質問は“俺の心は痛まないのか、ソロやユウちゃんが悲しむとは思わないのか”だったな?答えよう!
何を馬鹿な事言ってんだテメェは、死人は何も思わねぇよ。とっくにくたばっちまってんだからな」
その表情は乾ききっていて、緑谷は絶句した。胸の奥がぎゅっと強く掴まれたように、息が苦しくなった。
(そうか、君は……分からないのか……)
緑谷は知っている。化野狐太郎という少年を、あの後も調べ続けていた。今本人が語った通りだ。2歳まで家にいた。だがそれ以降の記録は曖昧で、どこかでひっそりと過ごしていたとされる。己をバケモノと呼び、攻撃する人々から逃れ、10年以上を孤独に生きた。
その心は、世界と繋がらないまま置き去りにされた。だからこそ、狐太郎の心は幼いまま止まってしまっている。学ぶべき時期に、学べなかった。犬のように扱われた幼少期では、人としての道徳など育ちようがない。
彼の中にある基準は明確だ。
楽しいか、楽しくないか。
面白いか、面白くないか。
愉快か、不快か。
それだけ。
少しずつ成長してきたその心も、神野区の悪夢で粉々に砕かれた。
(それなら、やっぱり……)
瓦礫が崩れ、砂煙が舞う。その向こう側、狐太郎は笑っていた。緑谷が睨むその瞳には愉悦と享楽、子供のようでいて、底なしに昏い光が宿っていた。
「僕はッ、君を止める!」
「あは!アッハッハッハ!俺様ともっと遊ぼうぜ!」
狐太郎がポーチからコインを取り出す。次の瞬間、それらはオオムカデに変わった。太い節くれだった体が地面を叩き、即座に周囲にいた逃げ遅れた民間人たちへ襲い掛かる。
ぎぃ、と筋肉が軋み、巨大な顎と体節が人々を締め付ける音が生々しく響いた。
「ぎゃあ!」
「痛い痛い!!」
ムカデの胴が収縮し、捕まった人々の身体が耐えきれずに変形し、血が果汁のように搾り出されていく。
「見てくれ!この飛び散りよう……実に鮮烈!実に芸術的!まるで熟れた果実を手でぎゅうっと搾ったみたいだろう?」
血の赤がコンクリートに弧を描いた。飛び散った多量の返り血が狐太郎の顔に降りかかる。その温度を確かめるように、彼はゆっくりと手を上げ、血で濡れた髪を雑に撫でつけた。指先にぬるりとした感触がまとわりつくたび、狐太郎は口の端を持ち上げ、ぞくりとするように笑った。
「生搾り人間ジュース。どうだい?おもしろいだろう?」
「何をッ、してるんだ君はッ!!」
「ありゃりゃ、ドすべりしちゃった。トガヒミコにはバカウケだったのに……」
狐太郎はわざとらしく唇を尖らせ、退屈そうにため息をつく。そして捻り潰された死体を無造作に指差した
「なぁ見ろよ緑谷出久。個性で千差万別な肉体になって、一人一人形も思考も違うくせに、潰すと皆同じ色をしてるんだぜ?どんな姿形をしようと、中身は俺様と同じ真っ赤な血。その綺麗な赤がなんだかおかしくて……実に、実に、愉快じゃないか!」
「何ひとつ愉快じゃないよ!」
緑谷の声は怒りで震えていた。
「……ああそう。まあいいよ。とにかく、俺様と来いよヒーロー。オールフォーワンはお前をご所望だ。光栄に思いな。ちなみに来ないなら……ま、簡単な話だな。このままどんどん人が死ぬ。ぜ〜んぶ、お前のせいで!」
「ッ!」
「不愉快なのは誰だって嫌だろう、分かるぜ。だからお前が俺と共に来るなら殺すのはやめてやる。さあ、どうする?緑谷出久」
緑谷は足を止めざるを得なかった。怒りが沸騰するが、動けば人が死ぬ。拳を握り締める音が聞こえそうだった。狐太郎はそれを楽しむように笑い、追加のコインを取り出す。
その時、
「
乾いた破裂音。
直後、狐太郎の手に鋭い痛みが走った。刺激に肉が跳ね、彼の指先からコインが弾け飛ぶ。
「イッテェッ」
狐太郎が顔をしかめた瞬間、高速の影が視界を裂いた。爆発音と共にムカデたちの身体が破裂する。炎と破片の中をすり抜けながら、その影は狐太郎の腰のポーチをひったくっていった。
狐太郎は慌てて振り向く。
「これでもうモンスター作り出せねぇだろ!!?化野ォォォ!!」
爆豪だ。彼は火花を散らしながらポーチを掲げる。
「爆豪勝己ッ……」
「大・爆・殺・神ダイナマイトだッ!」
「テメェにしてはイカした名前じゃねぇの!」
「カスにしては分かるじゃねぇか!」
「かっちゃん!」
緑谷は黒鞭を放ち、ムカデから解放され落下する民間人を次々とキャッチし、優しく地面に降ろし終えると、即座に戦場へと戻った。確かにポーチは奪えた。だが狐太郎の個性なら別の何かを変身させられるのではないか。緑谷は爆豪の横に滑り込むと、彼にそう尋ねた。
「石ころでも何でも変身させられるっつーんならポーチ盗られたって慌てる必要ねーわな。合宿ん時もテメーは結局課題の奴に変身できなかったし、一つの事が出来るようになるまで時間がかかんだろ?」
瓦礫と砂塵の漂う夜空の下、爆豪が怒気を含んだ声を叩きつける。狐太郎は不快げに眉をひそめ、焼け爛れた手のひらをゆっくりとグーパーしながら、痛む箇所の可動域を確かめていた。皮膚が熱を帯び、少し動かすだけでもギシリと軋むような痛みが走る。
「テメーはクソほど不器用だ!まだコインしか変身させられねえんだろ!」
その挑発に、狐太郎は面倒そうに目を細めた。
「おいおい、不器用なんて酷いこと言うなよ。事実ってのはな、ときに人を傷つけるんだぜ?ヒーロー様なら、言葉遣いくらい気をつけろっての。相変わらず下品だな。
それに、そんな程度でいちいち勝ち誇るなよ。少し考えりゃ誰でも気づくことだろうに。なんと言うか今のお前、フリスビー持ってきた犬が褒めてくれって誇らしげな顔してんのにそっくりだぜ。その推理を褒めて欲しいのか?名探偵」
「ンだとコラ!!ペラペラ喋んな煽りカスがッ!!」
「ぐっぼーい!」
「ぶっ潰すッ!!」
爆豪が怒りのあまり肩を震わせて突っかかる横で、コインの真実に全く気がついていなかった緑谷は黙ってキュッと唇を引き結んだ。
「まあ確かに……ドラゴンやグレムリンは出せなくなった。でも、それが何だっていうんだい」
そういった瞬間、狐太郎の輪郭がぐにゃりと歪む。目にも止まらぬ速度で肉体が変質する。その変身は、以前よりも明らかに速い。たった一秒。息をするほどの短さだった。
(変身速度が速くなってるッ!)
緑谷の背筋に、冷たい電流が走る。天狗へ変わりきった狐太郎が、次の瞬間には羽団扇を大きく振りかぶっていた。
「穿天氷壁!」
轟の声と同時に巨大な氷壁が生まれ、狐太郎の強烈な突風をまともに受け止める。だが、風圧は氷の壁を大きく揺さぶり、表面にピシリと蜘蛛の巣状の亀裂を刻み込んだ。風の勢いだけで周囲の瓦礫が宙に舞い、氷の破片が鋭く飛び散って地面に散乱する。
「今度こそ俺たちでお前を倒すぞ、化野」
狐太郎は天狗の羽を広げ、鋭い風を巻き起こしながら上空へと浮き上がり、轟の炎をひらりと躱した。
緑谷と爆豪が、間髪入れず左右から同時に飛び込む。2人の連携は、訓練の積み重ねがあるゆえに目にも止まらぬ速さだ。
(右と、左から……)
ならば、上か下。だがそこを轟が炎で狙い撃つつもりだと狐太郎はすぐに察した。
(それじゃ、お前より奥だ)
狐太郎の姿が一瞬、煙のように掻き消えた。
縮地。超高速移動。
疲労がかなり激しく消耗の大きい技だが、その一撃必殺の速さは対処を困難にさせる。緑谷と爆豪の攻撃が空を切るより早く、内臓が軋むような激痛に耐えて狐太郎は轟の背後へと現れていた。
「派手に行くぞ、そぉら吹き飛べッ!!」
羽団扇の渾身の一振り。爆ぜるような暴風雨が生まれ、3人を一気に吹き飛ばす。耳をつんざく轟音が鳴り響き、建物の窓は激しい風圧でガタガタと震え、大雨と風が体を叩きつけてくる。雨粒一つ一つが、まるで鉄球を投げつけられたかのような衝撃を伴い、皮膚に鋭い痛みを刻む。
緑谷たちは数十メートル吹き飛ばされ、建物の壁に激突してようやく動きを止めた。背中に走る衝撃が肺の空気を奪い、視界の端が一瞬白く染まる。
(とんでもない……威力だ!!)
瓦礫を押しのけ、苦痛に顔を歪めながら緑谷は無理やり身体を起こした。ここで倒れているわけにはいかない。これ以上時間を取られれば、救えるものも救えなくなる。
立ち上がった緑谷の視界に、轟へ追撃を仕掛けようとする狐太郎の姿が飛び込む。
(まずい!直ぐにッ)
咄嗟に動きかけたその瞬間、足元に転がるあるものが視界に入った。ここは、食堂だ。ならば、
(これなら、もしかしてッ)
緑谷はそれを掴み取ると、フルカウルで一気に狐太郎へ肉薄する。そして叫ぶ。
「SMASHッ!!」
振り抜かれた腕が生み出す風圧と共に、“それ”がすさまじい速度で狐太郎へ迫る。狐太郎は即座に異変を察知し、近づく物体へ手を伸ばした、が……
「ぎゃ!!鯖臭ッ!!?」
「は?」
狐太郎は悲鳴をあげ、反射的に変身を解いて大きく後方へ飛び退いた。さきほど轟の足元に落下したのは、食堂にあった鯖の塊だった。魚が着弾した場所には湿った音が響き、わずかに生臭い匂いが漂う。
(やっぱりそうだ!習性が同じなら、弱点も同じ!)
キョトンとする轟が振り返り、緑谷は息を弾ませながら説明する。狐太郎の個性は、変身した対象の習性を色濃く引きずる。体育祭では、轟の氷でドラゴンの動きが鈍っていた。
「弱点も同じだ!いつか化野くんと戦う時のために色々勉強しておいたんだ。天狗は鯖が嫌いだって書いてあった!だから、もしかしてって思って」
「なるほど。弱点は、思わず変身を解いちまうくらいのものなのか」
狐太郎は忌々しげに歯噛みし、唇を歪めた。
(変身や大技を繰り返させて、なるべく疲れさせるんだッ!そして捕まえるッ!)
その緑谷の決意を見透かしたかのように、狐太郎は舌打ちしながら再び姿を変える。
(次は何で来る!?)
肉体がぐにゃりと歪み、骨格から筋肉の密度まで別物へと再構築されていく。変化を見た瞬間、緑谷は条件反射のように煙幕を展開した。蛇のようにうねる髪。鋭い牙。青銅の腕、黄金の翼。宝石のように妖しく光を放つ瞳。その姿は、見るだけで危険だと直感が叫ぶ。
一瞬、視線が絡みかけた。
その瞬間、凄まじい勢いで危機感知が鳴り響いた。あの瞳と目が合えば、体が石のように動かなくなる。そう理解した。
「メドゥーサ!!」
「完成させてたのか!?」
生まれた煙幕の中でも、危機感知は止まらない。むしろ近づいてきている。肌に触れる空気がひんやりと冷え、背筋から汗が噴き出した。
「轟くん炎をッ!」
轟はすぐに反応し炎を放とうとする。しかし、その炎は生まれた瞬間、一瞬で掻き消えた。
「水!?」
轟と緑谷の驚愕の声が、濃い煙の向こうに吸い込まれていった。次いで、2人の身体は突如として生まれた大量の水で強引に包み込まれ、圧力の中に押し沈められる。視界が一瞬にしてゆがみ、鼓膜が痛むほどの水音が押し寄せる。
水流は強烈で、足も腕もまともに踏ん張れない。ただ漂うしかなく、肺に残る空気が急速に奪われていく。鼻と口のどちらからも水がじわりと入り込み、喉へ落ちるたびにむせ返る苦しみが走り、胸が千切れそうなほど痛んだ。生物としての本能が、猛烈な危機を叫んでいた。
煙の隙間から金髪の女性、ウンディーネの優美で冷たげなシルエットが見える。狐太郎は、彼らが初見であるメドゥーサが失敗に終わったと判断するや即座に姿を変え、ウンディーネで一気に仕留めるつもりなのだ。むろん、メドゥーサで決着がつけばそれでよかった。ここまで来て彼も出し惜しみなどしない。敵意と焦燥が次々と手札を切らせている。
轟はわずかに動く指先に力を込め、凍気を水へ放とうとする。瞬間、周囲の水はバリバリと音を立て、氷へ変わり始めた。凍りゆく水に包まれれば、溺死は避けられる。
しかし次の瞬間、破砕音が轟の体ごと世界を揺らした。爆豪が後方から氷塊へ突っ込み、その爆発の衝撃で外側から氷を粉砕し、二人を力ずくで押し出していたのだ。砕け散った氷片は頬を切り、冷たい痛みが肌へ散る。
だが解放されたその一瞬すら、息をつく暇は与えられない。即座に3人の肌に、細く鋭い切り傷が同時に走った。空気そのもので斬られたかのような、風の刃。カマイタチ。
目に見えない高速の斬撃が襲いかかり、皮膚に浅く深く無数の線を刻む。薄く血が滲み、その痛みが遅れて脳を刺した。
(怒涛の連続攻撃!何が来るか分からないから対処しにくい!これが化野くんの真骨頂!!)
緑谷は全身のひりつく痛みに顔を歪めながらも、視線を逸らさなかった。問題ない。カマイタチを受けたとき、とある呪文を唱えると傷の治りが早まるという記述を読んできていた。ヒーローとしての執念に近い備えだった。
小さく、だが確かな声で呪文を唱える。すると、切り傷がみるみるうちに閉じていく。鋭い痛みが引き、皮膚の熱がゆっくりと収まっていく。
「よくッ、そんなことまで覚えてきたな!ギークがッ!」
狐太郎は人の姿へ戻り、耳を伏せ、心底気に入らないと言わんばかりの顔をした。苦虫を噛み潰したような険しさ。怒りと焦りと嫌悪が混ざり合っている。
(対処法さえ分かっていれば、対処できる!)
確信を胸に、緑谷は拳を握った。
一方、周囲で展開されていたドラゴンやグレムリンの群体は、次々と倒されていく。動きが止まった個体の側からシェルターが起動し、すぐに収容されていく。その光景は狐太郎の焦燥を煽った。
(焦っている今、恐らく1番慣れている物に変身するはずだ!)
緑谷は轟と爆豪と視線を交わし、無言で同意の合図を送った。
案の定、狐太郎の肉体が歪みドラゴンへと変貌した。翼が広がり、重低音の唸りとともに巨躯が地を揺らす。
轟が即座に氷壁を展開し、周囲を囲い込む。
ドラゴンの狐太郎は羽ばたきだけで氷を砕こうとする。しかしその瞬間、爆豪が上空から強烈な爆風を叩き込んだ。
「テメーが体育祭で使ったのと同じ手だ!」
氷片が風に煽られ、無数の冷たい刃となって渦巻いた。凍りつくような強風が発生し、ドラゴンの体温が奪われる。熱が抜けるたび、翼の動きが鈍り、体力が削られていく。
そして、顔を上げた瞬間。
緑谷が、一瞬で懐へ飛び込んでいた。
(ごめん化野くん!君を全力で、蹴るッ!!)
「セントルイススマッシュッ!!!」
渾身の蹴りが狐太郎の胴を捉える。衝撃がドラゴンの巨体を大きく歪ませ、肉を押しつぶす鈍い音が響く。狐太郎は吹き飛んで瓦礫へ激突し、地面を複数回転がって止まった。地面に深い溝が刻まれるほどの凄まじい衝撃だった。
「……っ、……っは……」
元の姿に戻った狐太郎は、明らかに呼吸が乱れている。肩が大きく上下し、肺が酸素を求めて軋んでいる。体の節々が激しい痛みを訴えていた。
(まッずい、流れが変わった!)
焦りが濃く胸を締めつける。彼の生み出したドラゴンの姿はもうほとんど残っていなかった。連れてきたダツゴク共も残り2人。落雷と地震だけ。7人中5人が捕縛されている。
(このままじゃあ奴らの結束を強めただけだ!いつまでもコイツらに拘ってる暇はねぇ!せめて標的を殺さねぇとッ)
狐太郎は3人を無視して雄英高校の校舎へ向かおうとする。狙うは根津とリカバリーガール。どちらか、あるいは両方を……
だが爆豪はそれを察知していた。
「逃げんじゃねーッ!!」
叫びと同時に
「緑谷!!」
「テキサスッ、スマッシュ!!!」
「……ッぐ、あ……っ」
緑谷の拳が一直線に狐太郎の胴へ突き刺さる。凄まじい衝撃で氷が砕け、狐太郎は弾丸のように吹っ飛んだ。背後の建物に叩きつけられ、壁を大きく凹ませながら崩れ落ちる瓦礫に埋まる。
(遅れをとっている……この、俺様が……!?)
胸の奥から湧き上がる不快感が、狐太郎の思考を強く揺らした。
いや、違う。
(こいつらが俺に追いついた。いや……追い抜いて行こうとしているんだ)
理解した。嫌でも認めざるを得なかった。
瓦礫を払いのけながら立ち上がる。その視線の先、3人のヒーローは真っ直ぐにこちらを見据えていた。怯えも諦めもない、ただ前へ進もうとする瞳で。
(冗談じゃねぇぞ。俺様よりこんな、アホ面した凡俗供が上なんて認めねぇ、認めたくねぇ)
胸の奥底から、熱がこみ上げてくる。怒りでも焦りでもない。負けたくない。それは、純粋な闘志だった。燃え上がるように激しく、赤く、鋭く。狐太郎の心臓が、ドクンと強く脈打った。
(叩き潰して征服し、俺の方が上だと証明する!)
胸の奥底から噴き上がる闘志が、狐太郎の瞳に凶悪な光を宿らせた。ぞわり、と空気そのものが色を変えたように感じられる。
「俺様は脳無プライマル!破壊と混沌を齎すために作られた兵器だ!……テメェらより、強いんだよッ!!」
叫ぶと同時に、狐太郎の輪郭がぐにゃりと歪む。皮膚が伸び、裂け、再構築され、骨格が轟音のような音を立てて肥大化していく。黒々とした毛が生え広がり、隆起した筋肉が波打つように脈動した。
やがてそこに現れたのは、黒い毛並みをまとった巨大な獣だった。龍のような太くしなやかな尾が空気を叩くたび、圧縮された風が地面を走り、砂塵を巻き上げる。地面に食い込む爪は鋭く、掘り起こしたアスファルト片がパラパラと跳ねる。赤黒い鬣が荒々しく広がり、まるで炎のように揺れた。金色の双眸がぎらりと輝き、3人を射抜く。
目が合った瞬間、
──────圧。
その一瞬、全身が針で刺されたような錯覚に襲われる。獣が解き放つ殺気は、目に見えぬ重圧となって空気を震わせた。しかし、緑谷はもう怯まない。息をひとつ強く吸い込み、地面を踏みしめる。
「待ちくたびれたぜ」
「ああ」
「今度こそ、負けない!」
三者三様の声が重なる。彼らの視線は、まっすぐに獣を捉えていた。その強意に、獣は苛立ちを隠そうともせず、牙を剥いて表情を歪めた。
そして、咆哮。
天地が裂けたかのような轟音が爆発した。鼓膜が破れそうなほどの衝撃波が辺り一面に広がり、建物の窓ガラスが一斉に砕け散る。振動で地面が波打ち、足元から力が抜けるような錯覚に陥る。そのあまりの音圧に、緑谷達は反射的に耳を塞ぎ、ほんの一瞬、動きを奪われた。
──その瞬間だった。
周囲の世界が吹き飛んだ。
建物がまるごと押し流されるように崩れ落ち、地面は巨大な拳で殴られたかのように抉れ、ひび割れが広がっていく。爆風が解き放たれ、緑谷の体は簡単に持ち上げられて後方へ叩きつけられた。
「〜〜〜ッ!」
肺から無理やり空気が押し出される。肋に鈍い痛み。全身に走る痺れ。わけが分からないほどの衝撃だった。
「とんでもないッ、パワーッ!」
緑谷が痛む視界をこじ開けるようにして見上げると、狐太郎は瓦礫を踏み砕きながらビルの屋上に立っていた。
「だろ、新鮮なリアクションをありがとう。これが俺様のフルパワーだぜ」
獣は楽しげに、だがどこか歪んだ笑みで告げた。
「アハハ!テメェらやる気満々だな!そんなに俺様と遊びたかったのか、だが悪いな。そうもいかねぇ」
狐太郎は遠くの避難地区へと視線を向ける。金色の眼がわずかに細められた。
「熱くなりすぎてうっかり忘れちまう所だったぜ。変身しまくったおかげで、体が痛くて痛くて、暑くなった頭が痛すぎて冷めて、そのおかげで大事な言い付けを思い出せたわ。
ある程度めちゃくちゃにしたらそれで十分、消耗するくらいなら退けって言われてるんだった……この後すぐやる事があるんだし、力を使いすぎたら行けねぇよな。えーっと、なんだっけ……ブリリアント、パレード?プライド?……なんか違う気がする……やべ、ド忘れだわ……」
狐太郎は完全に撤退へと舵を切っていた。緑谷が「待って!」と叫ぶも、狐太郎は耳を貸す気配すら見せない。大きく前足を振り下ろし、それと同時に大量のコインを宙に撒き散らす。奪われたポーチをいつのまにやら取り返していたのだ。銀色の粒が空中で反射しながら舞い、次の瞬間、全てがドラゴンへと変貌した。
「いけないね、どうにも感情を優先させちまう。俺様もいい加減、もっとちゃんとしないとだ」
自嘲気味に言うと、狐太郎の姿が再び変形を始める。骨が伸び、翼が形成され、数秒後には巨大なドラゴンが姿を現した。そして、その翼を大きくひと振りすると、上昇気流が巻き起こる。巨体がふわりと浮かび上がり、轟と爆豪が必死に放った追撃も空を切るだけで終わった。
「ではでは諸君!俺様の素敵ですんばらしいショータイムはここまでだ!突然の終了でごめんなさいね!俺のラジオは気まぐれなんだ!ではでは、Have a wonderful day tomorrow!バイバーイ!」
空に反響する明るい声。
その軽さとは裏腹に、彼が残した被害は計り知れない。
ドラゴンの群れを置き去りにして狐太郎は雲の向こうへ消えていった。すぐに追いたい。だが、その背を追う前にやるべきことがある。
惨状。泣き叫ぶ声。救助を必要とする人々。暴れ回るドラゴンの残党。
緑谷は飛び去った空を強く睨みつけ、胸の内に渦巻く無力感と怒りを押し込める。そして深く息を吸い込み、全身を動かした。
まずは救助だ。緑谷は痛む身体を押しながら、再び戦場へ駆け戻っていった。