お狐フレンズ   作:佐倉シキ

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明香島

 

 

明香島。それは群青の海に浮かぶ、中国の美しい観光地である。陽光を受けて煌く海が島を照らし、街には人々の笑い声が満ちている。色鮮やかな服に身を包んだ観光客が行き交い、港には潮と魚の匂いが漂い、島は生き物のように息づいていた。

 

島の中央には深い緑をたたえた高い山がそびえ、山肌を滑り落ちるように流れる滝は白布のように海へと注ぎ込んでいる。滝のまわりには固有の花が群生しており、薄紫の花弁が潮風に揺れ、ほのかな甘い香りを島中に流していた。

 

白砂の浜辺では、子どもたちがきゃあきゃあと歓声をあげて波を追い、大人たちはパラソルの下で本を開いたり、のんびりと海を眺めたりしている。港の通りには海の幸を扱う屋台がずらりと並び、焼きたての魚の香ばしさが空気を満たして食欲を刺激した。

 

そして街の中心には、ひときわ存在感を放つ巨大な建物、明香グランドホテルがそびえていた。白い大理石で組まれた外観は陽光を反射して輝き、屋根には優雅なドームが鎮座している。

 

そんな穏やかな島に、緑谷たちは降り立っていた。彼らはホテルのスタッフルームで簡単な食事をとりつつ、しばし懐かしい、穏やかな空気に浸っていた。

 

「綺麗な海……」

 

ぽつりと緑谷が呟くと、向かいに座る轟がパンフレットから目を離さず返す。

 

「まあ、有名な観光地らしいからな。向こうにうっすら見えてるのはベトナムらしいぞ」

「へぇ。轟くん、来たことあるの?」

「いや、ねぇけど。一応地理とか把握しておこうと思ってパンフレット見てたら受付の女の人に話しかけられてな。色々教えてもらったんだ」

 

緑谷はつい微笑んだ。轟は整った顔つきのせいか、どこに行っても女性に丁寧に対応されがちだ。今回もその例だろうと予想し、「僕も後でパンフレットもらいに行っておこうかな」と言いつつ、スタッフから貰ったウェルカムクッキーを齧った。香ばしく、軽い口当たりで、島の人気土産だという。

 

そんな和やかなひとときに、

 

「おい!」

 

と、不機嫌そうな声がスタッフルームに響いた。爆豪だ。緑谷が福州から預かったチップの解析が終わり、その内容をもとに、このホテルの会場を貸し切って対バリアントプライドの会議を行うことになったらしい。

 

現在、死柄木はアメリカのNo. 1ヒーロー、スターアンドストライプの介入によって著しく弱体化し、完全回復には時間を要すると見られている。つまりその隙に、明確な目的と行動の痕跡が掴めている狐太郎を確保してしまおうという策なのだ。

 

会議室にはホークス、ミルコ、ギャングオルカなど、現在手が空いていて、かつ異形系の体質を持つ、もしくは近いヒーローだけが集められていた。異形至上主義であるバリアントプライドを相手にするなら、その方が戦いやすいという判断もある。

 

ホークスが、小型機材をモニターに映しながら口を開いた。

 

「それで、緑谷くんがもらったこのチップだけど、これ単体で機能してるって感じじゃないんだよね」

 

公安の男が続けて解説する。

 

「どうにも、何かの信号を受信したら稼働して、特殊な成分を排出、体内に浸透させ個性因子を抑え込み、一定の期間個性を使えなくするというアイテムみたいです」

「一定の期間……ということは、使われたら一生個性使えなくなる訳じゃないんですね」

「そうだね。だけど、それでも結構な期間使えなくなるよ。それに、解析されたコードを見る限りこれは試作品だ。完成品を取り込んだらどうなるのかは分からない」

「試作品……」

 

緑谷は指先でチップをつまみ、じっくりと観察した。爪の先よりも随分と小さく、切り傷からでも体内に入ってしまいそうな軽さだった。こんな小さなものひとつで個性を封じる。バリアントプライドの思想は、やはり常軌を逸している。

 

「まあ、だからと言って油断できるものでもない。くれぐれもこれを体に入れられないように気をつけて」

 

緑谷は深くうなずいた。続けてホークスがマップを広げる。

 

「とりあえずは聞き込みから始めましょうか。公安の調査でファヴニル・ドラコーがこの島に頻繁に出入りしていることは掴んでいますけど、基地がどこかまでは分かりません。異形系の人が多く集まる場所から調査に当たりましょう」

 

ホークスの指示により、それぞれが持ち場へ散っていく。ミルコや爆豪など、聞き込みより実地調査の方が向いているメンバーはすでに目星をつけた区域へと向かい、緑谷たちもまた、潮風の吹く明香島の街へ足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(聞き込み、そうだ。とりあえず地図をもらわないと)

 

これから向かうべき場所の候補を洗い出すには、まず島の構造を把握する必要がある。緑谷はそう判断し、スタッフルームを出てホテルのエントランスへ向かった。高い天井から吊るされたシャンデリアが、午後の陽を受けて細かく煌めき、静かなロビー全体に柔らかな光を落としている。

 

ちょうどその時、ロビーの中央で一人の少女とすれ違った。長い黒髪を背中に流し、透き通るような青い瞳でこちらを見つめてくる。白いセーラー服に淡い水色のソックスがよく映え、どこか島の風景の一部のように爽やかだった。少女は無邪気な笑みを浮かべ、そばを通り過ぎていく。

 

(じょ、女子に笑いかけられてしまった……!)

 

緑谷は顔が一気に熱を帯びるのを感じ、慌てて視線を逸らした。心臓が跳ねる。少女はそのまま軽やかにロビーを横切り、その白い背中がゆっくりと遠ざかっていった。

轟が言っていた受付の女の人とは、きっと彼女のことだろう。そう思いながら、緑谷はパンフレットスタンドから地図を手に取った。

 

ふと、受付の奥に目を向ける。視覚の端で、何かが床に落ちているのが見えた。

 

(さっきの子の忘れ物かな……?)

 

近づいて拾い上げると、それはメモ帳だった。偶然開かれていた最後のページは、紙が破り捨てられたようにちぎれていた。だが、誰かの私物を覗き見るのは無礼だとすぐに閉じて、カウンターの上にそっと置く。

 

その時、さらに奥に視線が吸い寄せられた。

 

(あ、ゴミ落ちてる)

 

ゴミ箱のそばに、丸められた紙が転がっていた。投げ捨てたが外れてしまったのだろう。見つけてしまった以上放置するのも気が引ける。緑谷は紙を拾い、ゴミ箱へ入れようと広げた。

 

だが、目が止まった。

 

黒く塗りつぶされた紙面。しかし筆圧が強かったのか、下に残った字が陰影のように浮き上がり、内容がかろうじて読み取れた。

 

そこには、このホテルに出入りしたヒーローたちの名前がびっしりと書き込まれていた。日付と時刻、回数。しかもその特徴的な癖字に、見覚えがある。

 

(まずいッ……)

 

緑谷は椅子を倒しそうな勢いで飛び出した。エントランス付近で待機していた轟が驚いた顔を向ける。

 

「おい、どうした?」

「化野くんにバレてるかも!」

 

息を切らす間もなく、緑谷はホテルの扉を押し開き、日差しの強い外へ飛び出した。

 

観光客でにぎわう商店街が目の前に広がる。白壁の店が立ち並び、色とりどりのサンダルが石畳を打ち、潮風に混じって焼けた砂と海藻の匂いがふわりと漂う。その群衆の中に、先ほどの少女の姿を発見した。

 

「待って!!」

 

声を張り上げると、少女がくるりと振り向いた。青い瞳は笑っている。眉を少し下げて口角を上げる、あの不穏な笑み。

 

(やっぱり!)

 

疑いが確信に変わり、緑谷は即座に個性を発動する。

 

「フルカウルッ!」

 

体の内側を駆け巡るエネルギーが、筋肉をしならせ、石畳を砕く勢いで跳躍する。だが、少女……狐太郎はひらりと風のようにかわし、白いスカートをひるがえして笑った。

 

「よく気がついたな!ははは!追われる側は初めてだぜ!俺様追いかけっこは大得意でね、捕まえられるもんならやってみろ!」

 

可憐な少女の声のままそう言い放ち、狐太郎は石畳を蹴って駆け出した。

 

「いいよ!お望み通り捕まえてやる!」

 

緑谷も即座に追う。身体強化された脚が地面を打ち、風が爆ぜる。

 

リゾートの街に海風が吹き抜け、潮の香りが鼻をかすめる。白壁の家屋とオレンジ色の屋根が連なる道を、狐太郎の小さな背中が影のようにすり抜けていく。太陽光を跳ね返すセーラー服の白、翻る黒髪。足音は軽く、小動物のような俊敏さで階段をかけ上がる。

 

軒先の鉢植えをひょいと飛び越え、洗濯物の間をすり抜け、隣家の屋根に飛び移る。その動きはもはや人間より獣の方が近かった。

 

緑谷は後れを取るまいと、壁を蹴って一気に高所へ跳んだ。瓦が砕け散り、破片がはじける。屋根に着地し前方に視線を投げる。

 

狐太郎の姿が消えていた。

 

陽光が屋根を焼き、海風が汗を冷やす。白い家並みが連続し、影と光が入り乱れて視界を惑わせた。緑谷は荒い呼吸のまま、必死に視線を走らせる。

 

そのとき。

遠くの路地の向こう、人混みが階段を登っていく中に淡い水色のソックスを見つける。

 

「見つけた……!」

 

緑谷は屋根から地面へと身を躍らせた。砂を跳ね上げて着地し、次の瞬間にはまた前へと飛び出していた。市場のテントを飛び越え、石橋を駆け、白壁の建物の影を縫うように走る。

前方を行く狐太郎は、人混みを軽やかに避けながら駆け、振り返った瞬間、緑谷の姿を捉えると楽しげに口角を上げた。細い階段を軽やかに駆け下り、別の通りへと滑り込むたび、緑谷の足音は確かにその背中へ迫っていく。

 

やがて街のざわめきが薄れ、石畳を打つ二人の足音だけが路地に響いた。海が近いのだろう、潮のしぶきの気配が空気に濃く混ざり、狭い路地裏の壁が左右から迫ってくる。その奥で、狐太郎は一瞬だけ足を緩めた。

 

行き止まり。

そう判断するより早く、狐太郎は地を蹴った。

 

走り込んだ勢いのまま、壁に足をかけ、しなやかに跳ね上がる。石壁を蹴る乾いた音が響き、軽い体が弧を描いて宙を舞った。狭い路地の天井近く、夕陽のオレンジ色を背に、スカートの裾がふわりと揺れる。

 

その直下に、緑谷がいた。

 

「──っ!」

 

スカートの中が見えてしまう。考えるより先に、体が反応していた。

緑谷は反射的に目をぎゅっと閉じ、腕で顔を覆うようにして身をすくめる。視界を遮断しなければならない、という謎の使命感だけが全身を支配していた。

 

緑谷はクソナードであった。

 

狐太郎が化けた姿とは言え、女性のスカートの中を見る度胸は無かった。中にはジャージを履いているので見えても何も問題はなかったのだが、それでも緑谷は顔を真っ赤にして慌てていた。狐太郎の足先が、彼の頭上をかすめて通り過ぎる。風を切る気配とともに、背後で軽やかな着地音がした。

 

「……っ、あ、まずッ……!」

 

慌てて振り返るが、すでに狐太郎は路地の出口へ向かって走り出している。

 

「ッ……!」

 

緑谷は慌てて方向転換し再び追いかける。しかし、心臓がまだ余計にバクバクと騒ぎ、胸の鼓動が足のリズムを狂わせるほどだった。

 

ようやく狐太郎の姿を視界の端で捉えたその時、遠くで乾いた爆音が響いた。建物の影の向こうで火花が散り上がり、煙がゆっくりと立ち上がっていく。

 

2人は同時に足を止めた。

 

(確か、あっちって……)

 

爆豪たちが調査に向かった別のホテルの方向だ。胸が冷たく縮む。バリアントプライドとの衝突が、もう始まってしまったのか。そう思っていたところで、少女の姿の狐太郎が肩を組んでくる。

 

「おっと、思い違いをしてるみたいだからひとつ訂正をしてやろう。あそこは同じ看板を掲げてはいるが、俺様にとっては不要な支部なんだよ」

「え?」

「バリアントプライドも一枚岩じゃないってことさ。だから俺様、要らない奴らの拠点の情報をこの前テメェらに流したの」

 

害虫駆除ありがとう。狐太郎は夕陽の中で薄く笑った。

 

次の瞬間。

緑谷の足元の地面が淡く光を帯びる。

 

「……!」

 

光が収束したその刹那、地面が爆ぜ飛んだ。破片が肌に刺さるほど鋭く散弾のように跳ね、緑谷は咄嗟に身を反らして衝撃を避ける。

 

「これはッ、ヴィラン!?」

 

追いかけていたつもりが、逆に誘い込まれていたのだ。気づけば、周囲には誰一人いない。狐太郎も爆発に紛れて姿を消していた。

 

かつて賑わっていたであろうその街は、ひどく静まり返り、建物の影だけが長く伸びている。風が通る空洞のような音だけが耳に残り、木々がかすかに揺れている。まるでゴーストタウンだ。

 

再び地面が爆ぜた。

今度は見切った。着弾の瞬間、砂埃の向こうに飛来物の影。

それが投げられた方向へ緑谷は即座に蹴りを放つ。

 

「エアフォース!」

 

圧縮された衝撃波が一直線に突き進み、潜んでいた敵を炙り出す。瓦礫の陰から吹き飛ばされるように現れたヴィラン。しかし、それは1人ではなかった。

 

黒い衣を纏い、異形の身体を持つ者たちが十数人。彼らの眼孔の奥は狂気じみた光で満ち、緑谷を睨み据える。

 

「神に選ばれなかった落ちこぼれが」

「我々の邪魔をすることは許さん!」

「君臨するのは、我々だッ!!」

 

叫びと同時に襲いかかってくる。

爪の擦れる音、鋭利な武器が風を裂く音、地面が砕ける振動。緑谷は跳躍して斬撃を避け、黒鞭を展開して拘束を試みる。

 

(くそっ……まだ近くに化野くんがいるかもしれないのに……!)

 

焦りが胸を覆う。

 

(でも、急いじゃダメだ……冷静に、一人ずつ……!)

 

刃物のように腕が変形した男が斬りかかってくる。

緑谷は紙一重で身を傾け、反転しながら腹へと蹴りを打ち込む。蹴られた男の身体が吹き飛び、後ろにいた岩のような肉体のヴィランへ激突。衝撃で2人ともよろめいた瞬間、緑谷は黒鞭を射出して2人をまとめて捕らえ、遠心力を乗せて振り回し、迫る集団へと叩きつける。

 

鈍い衝撃音が連続し、黒服たちが地面へ転がる。

砂煙が舞い、ひび割れた石畳が悲鳴のように軋んだ。

 

「死ねぇぇ、異端者がッ!!」

「ッ!」

 

轟音と共に、女ヴィランの腕先から放たれた高圧の水流が、まるで巨大な刃のように迫り来る。周囲のコンクリートがえぐれ、破片が鋭い雨となって飛び散る。緑谷は反射で身を沈め、その攻撃を紙一重で躱す。頬を掠めた風圧が熱い。視界の隅で地面が深々と抉れ、攻撃がどれだけ致命的かを雄弁に語っていた。

 

すぐさま彼はエアフォースを放つ。鋭い衝撃波が一直線に女ヴィランの胸元を叩きつけ、彼女の身体が大きく跳ねるように吹き飛んだ。だが、安堵する暇はない。次の瞬間には、別の男ヴィランが猛然と間合いを詰め、拳を振り下ろしてきた。

 

緑谷は身をひねり、その一撃をかわそうとした、その瞬間だった。

 

足首に冷たい感触。

 

「なッ!?」

 

気絶していたと思っていたヴィランの男が、地面に伏しながらも腕だけを伸ばし、緑谷の足を掴んでいた。引きずり込まれるように体勢が崩れ、視界が揺らぐ。

 

その隙に、透き通る肌の男が目の前に迫っていた。血色のない白い手が、緑谷の顔面を鷲掴みにする。

 

「俺の肌は触った相手の動きを問答無用で止める事ができんだよ!!」

「しまッ」

 

言葉通り、緑谷の身体が石のように固まった。まるで自分の身体が自分のものではなくなったような強烈な拘束感。喉が詰まり、息が浅くなる。

 

「さぁ死ねェェ!!」

 

振り上げられた腕と、迫る死の気配。

 

(まずい!!)

 

鼓動が一気に跳ね上がったその瞬間、一瞬で人影が男の肩に立っていた。狐の面、藤色のポニーテール。緑谷が見覚えのある人物。福州だ。

 

彼は迷いなく札を男の顔に叩きつけた。札が淡く光り、男の身体から力が抜け、膝が崩れる。まるで魂が吸い取られたかのようにパタリと倒れ込んだ。

 

「君はッ!?」

「ここで手間取ってる場合じゃないぞ」

 

福州はふわりとしなやかに着地し、続けざまに数枚の札を指先に挟む。鋭く振り下ろせば、白煙が破裂するように吹き上がり、それを吸い込んだヴィラン達は一斉に膝をつき、動きが鈍っていく。気力が霧のように吸われていくのが見て取れるほどだ。

 

緑谷はその隙を逃さない。フルカウルを全開にし、筋肉が雷のように光をまとった瞬間、彼は一陣の風となった。連続で繰り出される蹴りが弱ったヴィラン達を的確に撃ち抜き、衝撃が骨を軋ませる。悲鳴をあげる暇もなく、ヴィラン達は次々と吹き飛び、地に伏していった。

 

全員の動きが止まったのを確認し、緑谷はようやくフルカウルを解除した。福州も札を収める。

 

「もう来たのか……早いな……」」

 

福州は小さくため息を落とし、眉間を指で押さえた。その瞬間だった。

 

「さて、もうヒーローが来てるとなると…どうするか……」

 

困惑したように声を漏らした次の刹那、緑谷の背筋が凍りつく。危機感知が何も知らせてこなかった。なのに、足元に大きな影がある。獣の影だ。

 

(なんで……いまの今まで何の気配もなかったのに!?)

 

影が緑谷の頭上を覆っていた。そこにはさっきまで何もいなかった。

 

本当に一瞬前まで、空気すら揺らがなかった。ずっと潜み、害意を完全に殺し、気配を消し去っていた獣。巨大な牙と黄金の瞳が、緑谷を射抜いている。

 

緑谷は反射的に個性を使おうとする。だが、

 

(個性が、使えないッ!?)

 

声にもならない悲鳴が喉で震える。

目の前には、巨大な牙が自分を噛み砕こうとして迫っていた。

 

——死ぬ。

 

冷たい確信が胸を刺したその瞬間、横合いから衝撃が走った。身体が力任せに突き飛ばされる。

 

「ッ!!?」

 

視界が揺れ、地に倒れ込む。

そして目の前で、福州の左腕が狐太郎の顎に深々と噛み込まれていた。

 

「んぐ、ゥ……ッ!!」

 

骨ごと砕ける鈍い音がした。狐太郎はまるで獣が獲物を引き裂くように福州の身体を軽々と持ち上げ、容赦なく噛み締める。

 

そして、腕が食いちぎられた。

 

「っぐ、ッ……!」

 

ちぎれた左腕が狐太郎の口に消え、血が噴水のように溢れる。福州の身体は支えを失い、落とされ地面へ落ちた。

 

「福州くんッ!!」

「は……?」

 

緑谷は咄嗟に駆け寄り、その身体を抱え込む。福州の顔は血の気が引き、苦痛で歪んでいる。左腕の断面からは温かい血が止めどなく流れ、抑えようとした手のひらが滑る。緑谷が仮面の紐を使って止血しようとそれを剥ぎ取れば、狐太郎はその顔を見て驚愕したように目を見開いた。

 

「ちょ、ちょ、ちょ〜っと……待てッ……!?こいつは、まさか……ソロ……ソロォ……!?だ、誰が予想したこんな展開ッ!?まさかの再登場なんて、俺様の脚本にはないぞ!!えっ、ま!?はぁッ!!?死んだじゃんソロは!ソ…死んだ、死んッ、ええッ!!?」

 

福州は苦悶の表情のまま返す。

 

「っ……はぁ……っ……はあ……腕を噛みちぎるとは。容赦のない挨拶だ。まあ、致し方ないが……」

 

狐太郎は目を丸くして叫んだ。

 

「ぇ、まじで……本物?こりゃあ驚いた……!誰かの個性で化けてんのかと思ったけど、これは幻覚じゃあないなぁ。だって俺様、ソロの匂いは覚えてるし。それにほら、血液の金属臭が生々しいし、筋繊維の密度がちゃんと動いてた人間のそれだ。それにこの骨の食感、バリバリッて……人間男子の硬さだよ、コレ。……んん?でもこの肉質、ちょっと不健康だな。ストレス溜めてただろう?味に出てるぞ、気をつけるんだな!

ってな感じで、これ間違いなく人間の味だ。つまり……マジでソロなの?本物のソロかじっちゃったの俺?」

「……頼む。人の腕を……食レポしないでくれ。人の行いを否定できるほど、俺は価値のある人間じゃないが……それはあまり、気分の良いものじゃない……」

「いや俺様もいま超絶びっくりしてるからさ、びっくり仰天のあまり舌が回りまくってるんだ勘弁してくれ。

というか、食っちまったのは仕方ないよな!マジでごめんな!俺が緑谷出久に見事な一撃をプレゼントしようとした所にソロが飛び込んできたんだからさ。急に来たから反射で噛むのは致し方なしって事さ!本当にごめんね!これは事故、放送事故!!いやぁ、やっぱ生放送ってのは刺激的だぜ。心臓がバックバクだ」

 

狐太郎は焦ったように首を振る。そしてふと耳を動かし何かを聞き取った。味方の構成員達の足音だ。

 

「感動の再会を楽しみたいところだが今はそうもいかねぇか……」

 

表情が揺れ、何かを考え、悩むように低く唸る。そして「悪いなソロ。あばよ!また会おう!すぐに会いにいくぜ!止血ちゃんとするんだぞ!」と言って身を翻した。緑谷が「待ってよ!」と叫ぶ。

 

狐太郎は一度だけ振り返る。緑谷を見て、そして福州の血まみれの姿を見る。その視線には複雑な迷いが一瞬だけ宿った。

 

だが、すぐにそれを断ち切るように首を振り、森の奥へ消えた。

 

そこへバリアントプライドの構成員達が押し寄せてきた。緑谷は個性を封じられ、福州は左腕を失っている。正面から戦えば即座に捕まる。福州は残る力を振り絞り札を叩きつけ、兵士達から生気を奪って動きを鈍らせる。

 

その隙に緑谷が福州を支え、2人は島の奥へと必死で逃げ込んだ。

 

本来なら味方のもとへ戻るべきだった。だが状況は最悪に傾いていた。逃げ道は塞がれ、向かう先は島のさらに深い森。

 

彼らは、ただ必死に足を前へ運ぶしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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