お狐フレンズ   作:佐倉シキ

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もう遅い

 

 

 

そしてふと、緑谷は気づいた。狐太郎が会話の流れの合間ごとに、ほんの一瞬だけ福州へと視線を向けていることに。鋭い目を細め、確かめるように、あるいは何かを測るように。福州はまだ伏せたまま動かず、怪我の影響か熱まで出しているようだった。

 

緑谷が福州へと目を向けて彼を案じた一瞬で、狐太郎が先ほどいた位置から姿を消していた。緑谷は一瞬、何が起きたのか判断できなかった。さっきまで洞窟の奥で身を伏せていたはずの巨大な獣が、いつの間にか人間の姿へと戻り、そのまま緑谷の目の前へ滑るように現れていたのだ。

 

「お前さ、個性因子抑制のチップ取り込んだだろ?」

 

近距離で顔を覗き込み、狐太郎が愉快そうに笑った。次の瞬間には緑谷の身体は地面へと押し倒されていた。まるで子供がぬいぐるみを押し潰すような、簡単すぎる動作だった。個性が封じられた状態では抵抗のための力が全く足りない。

 

「ッはは!個性使えないお前なんて力入れずとも抑えられるぜ」

 

押さえつけられる腕が軋み、肺が圧迫される。緑谷は必死に息を吸う。

 

「僕を、オールフォーワンのところに連れて行くつもりッ!?」

「その気ならとっくにそうしてる」

 

あまりに軽く放たれたその言葉に、緑谷は一瞬理解が追いつかなかった。狐太郎はポケットに手を突っ込み、何か妙な機械を取り出す。

 

「全くもう、お前が負けたら世界はジ・エンドだぜ?気をつけろよな」

 

狐太郎が軽い調子で言い放った言葉に緑谷は目を見開いた。だってそれはまるで、世界の行く末を案じているかのようだったから。狐太郎は調子のはずれた鼻歌を歌いながら、器具を腹部に押し当てて少しだけ位置をずらす。探るような動きが、ほんの一瞬続いた。

 

次の瞬間、バチッと何かが弾けるような音がした。

 

「ッ!!?」

 

内側を直接殴られたような衝撃とともに、焼けつくような痛みが腹の奥を貫いた。熱が一気に広がり、内臓を火傷したかのような感覚に、緑谷は反射的に息を詰める。何が起きたのか理解する前に、痛みだけが押し寄せてきた。

 

「……はい、終わり」

 

狐太郎はあっさりと器具を引き離す。その声音は作業が一段落したかのように軽い。

 

「これはね、チップの破壊装置さ」

 

その言葉が緑谷の耳に落ちたときも、まだ腹の内部に残る痛みが脈打っていた。

 

「ま、そうは言ってもコイツは近づけないと使えない欠陥品でさ。皮膚の上から当てて、ちょっと位置合わせして、壊れりゃ御の字って代物。でもまぁ、壊れたでしょ?だから痛いんだよ。火傷でもしたのかな〜」

 

そう言って狐太郎は器具を無造作にしまい、緑谷を見下ろす。緑谷は痺れる腹を押さえながら狐太郎を見上げた。

 

「君は、何がしたいの……?」

 

震える問いかけに、狐太郎はふと手を止め、ゆっくりと緑谷へ顔を向けた。そこに浮かんだ表情は、怒りでも狂気でもなく、困惑したような複雑な表情だった。

 

「さあ?……正直、よくわからない」

 

狐太郎は短くそう答えると、洞窟の外へと視線をそらした。遠く、雨の森を吹き抜ける風の音が聞こえる。

 

「何がしたいのかなんて、今までちゃんと考えたことなかった。流されるまま遊んで、壊して、殺して、それでいいと思ってたしな。……でも最近、色々あっただろ。だから少し考えてみたんだ」

 

一拍、間を置いてから、ぽつりと続ける。

 

「お前たちを殺せるタイミングが、実際に来てみて気づいた。……どうにも、手が出ない」

 

狐太郎はゆっくりと息を吐いた。

その独白は、洞窟の冷たい空気の中に静かに落ちた。

 

「なんでだろうなぁって思ってさ、ちょっと考えてみたんだよ。珍しくな。すっごく珍しくだ。

そんでふと、それとはまた別のことに気づいちまった。全部ぶっ壊した先にある世界ってさ……たぶん、クソつまんねぇなって。美味い飯もない、笑い声もない、どうでもいい雑談も、くだらねぇ冗談も飛び交わない。オールフォーワンが作りたいのって、そういうド退屈な全部ぶっ壊れきった世界だろ?混沌万歳、破壊万歳、殺戮蹂躙超サイコー。正義も秩序も全部ぶん投げはい完成、みたいな?

で、ふと思ったんだよ。そうなるまでの過程は楽しいだろうが、そうなった世界に殺し以外のエンターテイメントって残るのか?って。誰も笑わない世界で、誰も楽しくおしゃべりしない世界で、誰もバカやらない世界で、俺が好きだったもの、楽しいって思えたものって……どの程度生き残ってんだ?音楽も、喧嘩も、悪ノリも、全部まとめてぶっ壊された後に、何が残るんだろうなってさ」

 

胸のあたりに手を当て、ゆっくりと言葉を続ける。

 

「……でも俺は、この世界が大嫌い。大大大大大ッ嫌い。理屈とか理由とかクソつまんねぇ事はどうでもいい。腹の底からムカつく。息してるだけで気に障る。きっと何かが致命的なまでにズレてるんだ。

壊したいし、殺したいし、踏み潰したい。泣き顔も悲鳴も、全部まとめてぐちゃぐちゃにしてぇって衝動が、ずーっと湧いてくる。

でさ、実際やってみると……楽しいんだよ。

踏み潰される時の絶望!噛み砕かれる時の恐怖!捻り殺される時の苦悩!ああ、堪らない!もっと俺を恐れて!恐れて恐れて、絶望して死んで欲しい!壊して殺した時の快感に病みつきなんだ!俺を虐めてきたクソッタレ連中がこんな簡単に地面のシミになるなんて、堪らないぜ!

血の匂いが俺をエキサイトさせる!誰かが壊れる音がドラムロール代わりのBGMになって、もうテンションぶち上がり。理性?ブレーキ?そんなもんは速攻でぶっ飛んだ!」

 

狐太郎は踊るように大袈裟な仕草で、心底楽しそうに語る。

 

「当然、蹂躙やら殺戮やら以外にも健全な好きなものはあるぜ?それでも、それ以上に嫌いなものの方が多すぎる。その嫌いなものを壊すのが超絶楽しい。だから全部ぶっ壊してやりたい。……なのに」

 

狐太郎は、ちらりと緑谷を見た。

 

「お前らだけは、どうしても壊したくならない。殺せる状況になっても、どうしても踏み切れない。だから今は、助けてみたんだ。このモヤモヤに答えが欲しくて。放っといたら、殺しちまいそうだけど、なんか……なんとなく……今のまま殺したら後悔する気がしてな」

 

腕を組み、ふっと小さく笑う。

 

「これでも必死に抑えてるんだぜ?気を抜いたら、いつお前に牙を剥くかわからないってのに」

 

その時の笑顔は、いつもとよく似ているのに、どこか静かなものだった。

 

「俺様のこの健気な努力を無駄にしないためにも……お前、もっともっと頑張らないといけないんじゃねぇの?ここで手間取ってる場合じゃないだろ、緑谷」

 

その言葉の奥にある決意のようなものを、緑谷は確かに感じ取った。

緑谷は思わず目を見開いた。狐太郎の無邪気な笑顔が。まるでどこかへ行ってしまう事を決めたもののように見えたのだ。慌てて立ち上がる。

 

「化野くん、帰ろうよ雄英にッ!一緒に!ふ、福州くんもさ、せっかく会えたんだし、二人でッ」

 

緑谷の必死の声は、湿った洞窟の空気に震えながら響いた。その声には懇願と勇気と、どうしようもない焦燥が入り混じっていた。

 

「もう遅い」

 

ゆっくりと振り返った狐太郎の瞳からは、先ほど確かにあった柔らかい光が完全に消えていた。代わりに浮かび上がったのは、残虐と破壊の衝動を濁りなく映し出す、獣のような光だけだった。

 

「無理だね、タガが外れた。俺はこのまま人を殺し続ける。壊し続ける。踏み潰し続ける。だからさ、お前は俺を殺せ。止めたいなら雄英に帰ろうなんてクソみたいな寝言言ってねぇで、力で来い。俺は全部壊して殺すから、世界ごとひっくり返す気で暴れるからさ。

ヒーロー名乗るなら、頑張って俺様を倒してみせろ。できるもんならな。俺はやると言ったらマジでやるぜ。これから先もグロテスクな屍を積み上げてやる」

「それは、君がオールフォーワンに何かされたからだろう!?こっちの技術者になんとかして貰えば……」

「それこそ誤解だ」

 

狐太郎は軽く肩をすくめる。

 

「確かに俺様の脳はいじられたよ。けどな、やられたのは“大将たちの命令に逆らえなくする”ってだけだ。今回ヴィラン側についたのは、完全に俺の自由意志。タルタロス以降、その支配ももう効いてない」

「……でも……!」

「まあ聞けって。あの人さ、性格悪ぃだろ?俺が自分の意思で人を殺してるってお前らが知った方が面白いんだと。だから、さっさと脳みそ元に戻したらしい」

「……」

「お前が“何かされたんじゃないか”って聞いてきたからさ。気になってあとで本人に確認したんだよ」

「でも……それでも……!」

「“でも”もクソもないぜ?」

 

狐太郎は笑いながら、けれど一切の冗談味を消して言い切る。

 

「俺様の意思まで否定しないでくれる?話は簡単でさ。お前が見てきた雄英の優等生エンターテイナーは、ただの猫被りだったってだけ。本物の俺は、ただの虐殺好きのド変態。オールフォーワンがいようがいまいが関係ねぇ。これは命令でも洗脳でもなく、俺様の今の選択だ。これが答えだぜ。

俺の意思を嘘だって、お前の意思じゃないんだって否定なんかせず、ありのまま受け入れてくれると、ありがたいんだけどねぇ。……ま、これすら言わされてんじゃねぇのって疑われたら、弁明する言葉も出ないんだけど。こればっかりは俺を信じろとしか言えねぇや」

「……じゃあ……君は……」

 

緑谷は言葉を選びながら、恐る恐る続ける

 

「君は……君が人を殺したくて、殺してるって事……?オールフォーワンに何かされたから、じゃなくて……」

「そう言う事!」

「それなら、益々わからない。なんで急に僕を助けるなんて心変わりを……君は過去を振り返るのなんて嫌いだって言ってたのに、何かあったの?」

「そ〜れは秘密だぜ。エンターテイナーはミステリアスなもんなんだ!」

 

狐太郎は緑谷に背を向け、無造作に歩き出した。足音が濡れた地面に淡々と響く。

 

(秘密だぜ。こんなダッセェこと。……最近、体にガタが来てる。“α計画は失敗したと思っていたけど、成功例がいたんだな”、なんてオールフォーワンは言っていたけど、結局俺様も失敗作だったんだな)

 

洞窟の出口を踏み越えると、空から冷たい雨が滝のように降り注いだ。

 

(林間合宿の頃から、高い熱が下がらねぇし)

 

空を見上げた狐太郎の顔に、雨が容赦なく叩きつける。けれど彼は瞬きもせず、ただその冷たさを受け止めていた。

 

(無理やり強い個性を持った人間を作り出そうなんてハナから不可能な話だったんだ。その因子に耐えられるように体は強靭なものになったけど、結局この様。個性を使えば使うほど、その因子が体をダメにする。個性が成長すればするほど、俺の体は耐えられない)

 

その胸中の声には悲しみも怒りも滲まない。ただ、確定された事実を認めるだけのそれは、淡々としていた。無理矢理に組み替えられ、奇跡的に生き延びた。だがその限界はとうに越えつつある。狐太郎自身もそのことを痛いほど理解している。

 

(死ぬ事は別にいい。そりゃこんだけ人を殺しまくったらどう考えても死刑だし、その前に誰かに殺されるだろう。そんなんはどうでもいい。生き物なんだしいつかは死ぬ。俺はそれがもうすぐだってだけだ。

でもこんなん知られて手を抜かれたら、俺様怒りのあまり速攻憤死しちゃうぜ)

 

毎日40℃を超える熱。動かすたびに軋む節々。身体の奥から絶えず燃え続ける痛み。タルタロスで個性の使用を制限されていたおかげで、延命できた。それでもあと1、2ヶ月。どれだけ長く見積もっても、それが限界。

 

死を悟った。

だから彼は、生まれて初めて考えた。

 

自分は、何がしたかったのか。

何がしたいのか。

 

やりたいことだけやって刹那的に生きてきた生涯の中で、後悔も反省もなかった男が初めて、過去をしっかりと振り返ってしまった。今までの人生について、考えてしまった。

 

(……もっと早くにしっかり考えていれば、もっと早くにみんなと出会えていれば、もっと早くにソロと再会出来ていれば……何か違ったかもしれない。でもそうはならなかったんだから、仕方ない)

 

胸に去来する思考は、どうしようもないほど遅すぎる。

 

事実は変わらない。過去は、消えない。人を殺した事も、傷つけた事も、街を壊した事もなかったことにはならない。

 

「俺は脳無だ。たくさんの人を殺した。もう元には戻れない。これから先も、死ぬまで超絶ドやばいヴィランとして暴れるだろうさ。暴れたいし、殺したい。腹の底から、火みたいな衝動が絶えず湧き上がってくる」

 

唇の端を吊り上げ、狐太郎は続ける。

 

「俺は俺を嫌う人間が大嫌いだ!見下して、恐れて、排除しようとする連中ッ!大ッ嫌い!!だからぜ〜んぶ、虐めて、壊して、ぶっ殺す!楽しいからな。悲鳴と罵声のアンサンブル」

 

一瞬だけ、視線が宙を泳ぐ。血の匂い。階段の下に倒れ伏した大人。ほんの一瞬、父の姿が脳裏を掠めて、すぐに消えた。きっとあの日が、自分の運命を、自分という存在を決定付けた日なのだろう。

 

「殺したいと思った瞬間、何の躊躇いもなく手を下せる。それが俺様の真実だ!お父さんを殺したのが俺の原点(オリジン)なんだ!

殺すのがどんだけ悪いことか分かってても、余裕で欲望が勝っちまう!笑顔で話した相手を次の瞬間にはぶち殺せる!」

 

狐太郎は怪しく目を光らせ、牙を見せながら大袈裟な仕草で笑う。

 

「終わったことはどうにもならないし、過ぎた過去は変えられない。だったらやることは一つだろ?目の前の現実を見て、受け入れて、今の自分が何をすべきかを選ぶ。過去も未来ももうクソどうでもいい!大事なのは今ッ!テメェが!何を選ぶかだ!」

 

狐太郎は楽しげに目を細めた。

 

「違うか?……ソロ」

 

その名を呼ばれた瞬間、福州がゆっくりと身体を起こし、ずぶ濡れの狐太郎をじっと見つめた。疲労と熱で赤い頬。それでも彼の瞳だけは濁らない。

 

「……そうだな。過去は……どうにもならない……何を悔やんでも……もう。……今は、ただ……やるべきことをこなすだけだ」

「俺様もそうする」

「……バリアントプライドの支配、か」

「それがオールフォーワンからの指示だ」

「……それは、彼らが何をしているのか分かったうえで、言っているんだな」

「もちろん。あんなすんばらしい装置、奴ら蛮族に持たせておくには勿体無いだろう!俺様達魔王軍にこそ相応しい!ひゃは!ひゃはははは!」

「……そう、か」

 

福州の声はあまりにも静かで、雨の音に溶けてしまいそうだった。狐太郎の意思は揺るがない。緑谷は、何も言えない。洞窟の入口で、3人の影が雨に揺れていた。その中で、福州はわずかに息を吐き、何かを決意したようなまっすぐな目で狐太郎を見据えた。

 

「なら俺は、お前を殺すよ」

 

その声は震えていなかった。静かで、しかし刃のように研ぎ澄まされていた。

 

「へぇ?」

 

狐太郎は喉の奥から愉快そうな笑いを漏らし、ニッと鋭く笑った。

 

「いいね!やってみろ!数年前まで喧嘩も碌にしてこなかったソロに俺が殺せるかな!?」

「……出来る。そのためなら何でもすると決めた。お前を止めるための準備は、もう済んでいる」

 

福州の言葉を聞き、狐太郎は大きく口を開き、洞窟に響くほど豪快に笑った。

 

「ははッ!あッははははは!なんだどうした!?気がついたら家族が死んでた虚しさを、俺様を殺すことで埋めたいのか?」

「……違う。この虚しさは……何をしても埋まらない」

 

福州は淡々と答えた。瞳の奥には、燃え盛るような怒りも恨みもない。ただ、ひどく静かな絶望だけが沈んでいた。

 

「ふぅ〜ん?それじゃあやっぱり、ただの復讐かい?確かにお前にはその権利がある」

「復讐じゃない。そんな権利は、俺にはない。お前を憎んでいるわけでもない」

「んん?じゃあ何だって言うんだ?」

「お前がこれ以上、誰かを殺さないように。ただ、それだけだ。お前を知っているヒーローも、お前の友達も、お前を大切に思っているみたいだ。だから、彼らの手は汚させない」

「そんな事、お前が気にしなくていいんだぜ。さっきも言ったけど、誰かにやらされて仕方なく殺してるわけじゃあないし、仕方なくオールフォーワンについてる訳じゃあない。俺は俺が楽しくて人を殺しているんだ。

ソロ、お前……せっかく生きてたんだから、俺なんか無視して好きに暮らせばいいものを」

「そうだな。そうかもしれない。だから、これは、俺のエゴだ……俺は俺の身勝手で、お前を殺そうと思っている……」

「熱烈だねぇ、できるのかい?」

「当然」

 

その言葉は静かだが、重かった。福州自身が背負ってきた罪の重さが、その声には滲んでいた。福州はゆっくりと立ち上がり、片手で刀を抜く。動きはぎこちないが、迷いはない。刃が狐太郎の首元へと向けられた。

 

「俺がお前を終わらせる」

 

その言葉に、狐太郎はまた牙を見せて笑った。そして向けられた刀身を、まるで細枝でも折るように握り込み、バキリと砕いた。金属が粉々に砕け散り、破片が地面に散る。

 

「まさかお前がそんな惨めな自己嫌悪に浸るとは思ってなかった。でもまあ楽しみにしてる!最初で最後の大喧嘩だな!」

 

狐太郎は豪快に笑うと洞窟を後にする。その姿が大きく歪み、骨と筋肉が盛り上がり、竜の形へと変貌していく。あっという間に巨大な翼が広がり、洞窟の空気が一気に押し返された。そして巨大な竜は跳び立ち、雨の空へと舞い上がった。

 

福州はその背を見届けると、どっと疲労が押し寄せたのか、その場で深く息をついた。全身が痛み、傷口からはまだ熱い血が流れている。

 

緑谷が駆け寄ってくると、福州は軽く手をかざして止め、緑谷に個性は使えるかと尋ねる。まだ少し違和感はあるが、それでも個性が戻っていることだけははっきりとわかった。

 

「……一つ、気になっていた。お前たちはバリアントプライドが何をしようとしているか、把握しているのか」

 

折れた刀身を静かに鞘へ戻しながら、福州は緑谷に問いかけた。

 

「……ファヴニル•ドラコーの演説なら見たよ。個性を使えるのは自分達異形型だけでいい。君臨すべきは異形型で、世界は我々が支配するのだと」

「違和感はあるはずだ。彼らの計画はオールフォーワンの思想と噛み合わない。魔王はオールフォーワン……ドラコーに、支配者としての余地はない」

「……確かに?」

「バリアントプライドが開発したチップと装置、化学兵器。目的は、それだけだろう。それを奪ってドラコーを殺すつもりだ、と思う。ドラコーを排除し、狐太郎が頂点に立ち、組織ごとオールフォーワンに差し出す。そして彼らの知恵と技術を使ってお前たちから個性を奪えれば……勝負を始まる前に終わらせられる」

「そうはさせないよ、絶対」

 

緑谷の強い言葉に、福州は一度だけその顔を横目に見て、ゆっくりと歩き出そうとした。しかし、傷の痛みが一気に襲ったのか、膝ががくりと落ちる。緑谷が慌てて支えようとするが、福州は苦しい息の中で問題ないとだけ告げ、手で制した。

 

「ドラコーのもとには……強い個性の使い手が何人もいる。それに、あいつの兵器も……お前たちが思っているよりずっと危険だ。ハイエンドでさえ……一瞬で沈められる威力の爆弾や……それだけじゃない、個性因子抑制の……化学兵器が……」

 

言葉を紡ごうとするたび、福州の額からは汗が滝のように流れ落ちた。呼吸は荒く、視線は定まらない。全身から痛みが突き上げるようで、体を震わせながらしゃがみ込む。

 

「早く病院で手当しないと!」

「気持ちは……ありがたい。だけど俺は……ヴィランだ……。個性を使って、悪いことをした。彼らの危険な研究にも、手を貸してしまった。だから、お前たちの助けを受ける資格も……その気もない」

「でもッ」

「それに……治療が必要なのは、お前も同じだ。腹が、痛いだろう……無理矢理チップを破壊されたのだから……臓器が、傷ついているはずだ……」

 

福州は短く息を吐くと、痛みに耐えながら歯を食いしばり、ふらつく足取りで立ち上がった。全身が軋むように震え、背筋に走る痛みを押し込めるように肩を揺らす。それでも、その目だけは決して折れていない。

ゆっくりとポケットへと手を伸ばし、札を数枚取り出した。彼はそれを迷いなく緑谷の腹部へ貼り付ける。

 

途端に、緑谷の身体の奥からじんわりと暖かさが広がり始めた。刺すような痛みがゆっくりと溶けていき、暖かな感覚が生まれる。緑谷は思わず目を見張った。体内の損傷が確かに癒えていくような感覚がある。緑谷が素直に礼を伝えると、福州は目線を逸らす。今のでストックはなくなってしまったが、緑谷の傷を治すくらいはできた。

 

これは個性の応用だと福州は説明した。

溜めておいた生命力を直接傷へ送り込む。そうすることで治癒力を活性化させているらしい。大怪我の場合は焼け石に水程度の効力しか発揮しないが、今回の場合は問題ない。緑谷はその便利な個性に感心した。だが福州は、その視線を遮るように顔をそむける。

 

︎「……感心している場合じゃない。お前には、やらなければならないことがある」

「化野くんのこと?」

「違う。……さっき、この島に向けて飛行機が降りた。お前のクラスメイトが、何人も乗っていた……」

「さっき……?」

「俺の……千里眼のようなものだ。天狐みたいなことができる個性だから、色々できる……まあ、どうでもいいが。とにかく、彼らは何も知らないまま足を踏み入れた」

 

不気味な言い回しに、緑谷の背筋が冷たくなる。

 

「どう言う意味?」

「お前たちには、この件に拘っている余裕はない。……ここでは、世界中の個性因子を抑える兵器の準備が進んでいる。まだ未完成だが……彼らの基地全域に効果を及ぼす程度のものなら動く。そんなものを浴びれば……お前たちの個性は封じられる。個性を封じたお前達を倒す準備くらい、もう整っているはずだ。そうなれば、オールフォーワンには……勝てない」

 

緑谷は息を飲んだ。

そんな兵器が存在する、それは単なる脅威ではない。敗北の確定を意味する。

 

「狐太郎を餌に、お前たちはここに呼ばれたんだろう。この島には、なんらかの仕掛けがあるはずだ。お前達をまとめて殺すための、仕掛けが。オールフォーワンが意味もなく狐太郎をここにやるとは思えない。

……お前には、お前たちヒーローには、オールフォーワンを倒すという役目がある。だから……すぐにこの島を離れろ。狐太郎のことも、バリアントプライドのことも……俺が片をつける。準備は、もう済んでいる」

 

静かな声だった。しかしそこには、たった一人で全てを背負おうとする決意が滲んでいた。緑谷が言葉を返すより早く、福州は洞窟の外へ歩き出す。

 

外へ出た途端、福州の身体はみるみるうちに変化し、獣の姿へと戻る。三本足の身体で地を踏みしめ、崖の岩肌を鋭く蹴り上げると、驚くほどの速度で上へと駆け上がり、その姿は雨の帳に溶けていった。

 

緑谷はただ立ち尽くし、土と血の匂いを含んだ雨音を茫然と聞き続けた。洞窟の中は、急にひどく広く、そして寒く感じられた。

 

しばらくして、チップの効果が完全に抜け、身体が再び自由に動くようになったその瞬間、ひんやりとした冷気が洞窟全体を撫で、続いて聞き慣れた爆発音が空気を震わせた。

 

その直後、激しい風圧が舞い込み、二つの影が洞窟へと降り立つ。

 

「で…出久テメェ、こんなとこにいやがったのか!」

「無事か緑谷」

「かっちゃん、轟くん」

 

土埃を振り払うように肩を払う爆豪と、冷静に周囲を警戒する轟。2人の顔には緊張と焦りが滲んでいる。どうやら狐太郎を追ったまま行方のわからなくなった緑谷を、皆が必死に捜索していたらしい。

 

緑谷は胸が少し痛んだ。自分のせいで迷惑をかけてしまったという、小さな罪悪感が込み上げる。

 

「霧がうざったくてクソ最悪だった。手間かけさせやがって」

「よくここがわかったね」

「狐がいたから……」

「チッ」

 

爆豪が舌打ちし、轟は淡々と続ける。

 

「狐……?」

 

説明を聞くと、2人は森で痕跡を見失い、霧の中を彷徨っていたという。その時、不意に視線を感じ、振り返ると狐が一匹いた。何とはなしに轟がその背を追ったところ、この崖に辿り着いたらしい。

 

「狐が……」

「化野だったのかもな」

「アイツがンな事するか?訳わかんねぇ」

「じゃあ本物の福州か?」

「どっちでもいいわクソが。面倒な狐が2人に増えやがって」

 

ケッ、と爆豪が毒づき、肩をぶんと回す。

 

緑谷は洞窟の奥から見える霧のかかった森を見渡した。雨で濡れた木々は煙のように揺れ、しんと冷たい気配だけを残している。当然だが、そこにはもう何の影もない。

 

(どっちだったんだろう……)

 

福州か、化野か、あるいは全く関係のない偶然か。

だが、その問いに答えはない。そして今は、答えを探している時間すらない。

 

緑谷は深く息を吸い、目の前の2人に向き直った。

 

今やるべきことはひとつ。

すぐに行動を起こすこと。

 

緑谷は洞窟をあとにし、2人へ今までの経緯を説明しながら、ホテルの作戦会議室へと駆け戻っていった。

 

 

 

 

 

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