お狐フレンズ   作:佐倉シキ

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ラストバトル

 

 

緑谷からの報告を受けたヒーロー連合は、一時的な静寂に沈んだ。誰もが言葉を失ったまま思考を巡らせている。個性を封印する兵器。そんなものが本当に存在するなら、ここで長々と狐太郎やバリアントプライドに拘泥している場合ではない。福州の言う通り、たったひとつの判断ミスがオールフォーワンとの最終決戦を台無しにする。それほどの危険だった。

 

だが同時に、だからといってここで撤退するという選択肢は彼らの辞書には存在しなかった。福州の情報が完全ではない可能性もある。もし仮にその情報が真実だとして、本当に装置が完成しつつあるのなら世界規模の個性封印が行われかねない。最悪、すでに何らかの仕掛けが起動している可能性だってある。それは止めなければならない。そして何より、この島の人々を置き去りにするという選択はヒーローとしての矜持に背く。そして態々狐太郎を追いかけてやってきたクラスメイト達の今後の戦意を揺らしかねない。

 

だから、一瞬の迷いのあとで、結論はひとつに絞られた。

速攻だ。

 

ファヴニル・ドラコーや狐太郎が計画を実行に移す前に、バリアントプライド本拠地を急襲し、構成員を可能な限り拘束する。そしてすべての機器を洗いざらい調べ上げる。

 

ヒーローは、逃げない。

ヒーローが逃げるという選択肢は、最初から世界のどこにも存在しないのだ。

 

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

(バリアントプライドの思い通りにはさせねぇ!)

(クソッタレのバカどもをまとめてぶっ飛ばす!)

(彼らの、オールフォーワンの思い通りにはさせない!)

 

そして——

 

(化野を倒す!)

(化野くん達を止める!)

(化野をぶっ飛ばすッ)

 

三者三様の熱を胸に宿し、緑谷たちは敵の本拠地へと駆け出した。

香明島の学校の地下には、外部からは知りようもないほど複雑に張り巡らされた通路が存在しており、その最奥でバリアントプライドの根城へと繋がっている。

 

出口へと続く道中、黒い装備に身を包んだ兵士が次々と姿を現す。剥き出しの殺意を掲げ突っ込んでくるその群れを、緑谷たちは迷いなく撃破し続けた。骨に響く炸裂音。肩口を掠める銃弾の衝撃。壁に叩きつけられた敵兵の呻き。緑谷の拳が、轟の熱が、爆豪の爆破があっという間に敵を蹴散らし、わずか30分ほどで地下通路は突破された。

 

そして通路を抜けた瞬間、その光景に息を呑む。

 

そこは深い谷の底に刻まれた、巨大な聖域のような空間だった。四方は切り立った崖がそそり立ち、洞窟の中なのか空は見えない。崖面には無数の水脈が走り、滝となって白い絹のように落ちていた。霧状の水煙が足元を漂い、濡れた石畳に淡い虹色の反射光を揺らした。

 

湿った冷気、濡れた石の匂い、どこからともなく響く低い水の唸り。すべてが、ここが現実であることを疑わせるほど荘厳だった。

 

そしてその奥に、虹色の光を背中に受けて、ひとつの影が立っていた。大きな狐耳を揺らしながら、その影はねっとりと舌を転がすように声を響かせた。

 

「ハロー諸君!またまた始まりました、ヴィランチャンネル!パーソナリティのプライマル様だ!命があるうちは元気に行こうッ!と言うわけで、今日も理想だけは一人前なヒーロー候補たちの電波を独占!子守唄に、夢見る子羊たちの断末魔をお届けさせていただきます!」

 

両腕を派手に広げ、牙を見せつけて笑う狐太郎。

その頭上を、ミルコ達ヒーローがドラコーを目指して疾走していくが、狐太郎は一瞥もくれない。今の彼にあるのは、ただ目の前の3人、緑谷、爆豪、轟を迎え撃つことだけだった。

 

「相も変わらずペラペラぺらぺら喋りやがってコラァッ!!おい化野!テメェ今度こそは逃げるんじゃねぇぞ!」

「逃げないさ!ラストバトル!楽しく踊ろうじゃねぇの!」

 

宣言と同時に、大気が震えた。

 

そして、最後の戦いが始まった。

 

 

 

 

 

     *    *    *

 

 

 

 

爆音が地響きのように鳴り、煙の奥から漆黒の影が跳ね上がった。狐太郎だ。まだ人間の姿のまま、緑谷と爆豪の間を稲妻のような速度で抜ける。

 

爆豪の爆破が空気を裂き、轟の炎が伸びる。しかし狐太郎は正面からそれを受け止めようとはしなかった。影が揺れ、視界が一瞬だけ歪んだと思った瞬間、狐太郎の身体が膨張し、巨大な影が立ち上がる。

 

本来の姿、巨大な異形の怪物。

その体躯は建物二階を丸ごと覆うほどで、振り回された尾は風圧だけで瓦礫を舞い上げた。爆豪は即座に距離を詰め、徹甲弾を叩き込もうと爆破で身体を加速させる。だがその瞬間、狐太郎の巨大な体がぐしゃりと圧縮されるように縮んだ。

 

巨大な影が一転、ひと息で人間の姿へ。

 

狐太郎は爆豪の射線をすり抜け、石床を弾くように蹴り、緑谷へと肉薄すると蹴り飛ばす。緑谷は体制を整えて反撃のために拳を握りしめる。

 

サイズの差を利用した予測不能な揺さぶりだ。

緑谷が腕を上げた瞬間、狐太郎は姿を変え、本来の巨大な異形へ戻る。その切り替わりはほとんど一瞬で、緑谷の腕はそのまま尾に叩き払われ、鋭い衝撃とともに身体ごと宙を舞った。

 

轟がすかさず氷を発生させる。地面から伸びる氷山で狐太郎の足元を固めようとする。だが次の瞬間には狐太郎の身体は龍へと変わり、長い首をしならせて灼熱の火炎を吐き散らした。爆豪がさらにその上から爆破を叩き込み、火炎と爆風が渦を巻く。熱の奔流が空気を歪ませる。そう思った、まさにその直後。

 

一転して、狐太郎の身体が今度はジャックフロストへと変わる。氷が爆ぜるように広がり、周囲一帯の熱を一気に奪い去った。凍てつく世界へ様変わりした空間を、轟と爆豪の炎が再び打ち消し、二人の攻撃がぶつかり合い、場は混沌とした。

 

だがその乱流を押し割って見えたのは、灼熱をも呑み込む大津波だった。狐太郎が化けたウンディーネが生み出した水が轟々と迫り、3人の視界を塗りつぶす。個性“大自然”と個性“リアル”が噛み合い、変形しただけの偽物のモンスターは、まるで本物かのように超常の力を振るう。

 

波が晴れる頃には、再び本来の巨大な狐へ戻った狐太郎が突進していた。大地が揺れ、地面が軋む。緑谷はフルカウルで跳び出すが、その予測よりも狐太郎はさらに速い。巨体から繰り出された爪が地面をえぐりながら横薙ぎに走り、緑谷の腹を叩きつけた。崖へと吹き飛ばされた緑谷の背に瓦礫が崩れかかり、息を奪う痛みが肺を締めつける。

 

「ッは……!」

 

息が、詰まる。

 

爆豪が救いに飛び込むより早く、狐太郎の姿が掻き消えた。今度は天狗の姿で轟の背後に立っていた。体格が小さくなるぶん、その動きは鋭くなる。轟が振り向くよりも先に鋭い攻撃が背を襲い、意識が一瞬かき消える。轟の身体が地面を転がり、砂塵を巻き上げる。

 

狐太郎は再び巨大な狐へ戻り、その質量で轟を押し潰さんと飛びかかった。

 

(まずい!)

 

瓦礫を蹴り飛ばしながら緑谷が飛ぶ。

全身が悲鳴を上げていたが、それでも動く。動かす。巨大な狐の口が轟へ迫る刹那、緑谷の蹴りが横から叩き込まれる。かに見えた。しかし、また変身される。人の姿に戻った狐太郎の身体は異形の時と比べると遥かに小さく、緑谷の蹴りは虚空を切った。

 

「クッソっ、やりにくい!!」

「ひゃーっはっはっは!俺様最強!!千変万化の化け狐なり!」

 

狐太郎は轟を緑谷の方へと無造作に投げ飛ばし、爆豪の追撃爆破を異形の姿に戻って巨大な外皮で受け止める。そしてしなる尾が爆豪の身体を豪快に弾き飛ばした。巨体と、軽い体。その二つを無限に切り替え、巨体で押しつぶし、小柄な姿で翻弄する。その戦術の前に、3人は押され始めていた。

 

今回は今までのような遊びではない。

狐太郎の動きの端々に、明確な殺意が宿っていた。彼は今、本気で潰しに来ている。

 

狐太郎の頭の奥底から、憎悪が毒のように全身へ染み渡る。そうだ、憎い。嫌いだ。全部。獣の瞳が狂気に爛々と輝き、踏み潰して踏みにじってやろうとする破壊衝動が膨れ上がる。

 

「SHOWTIMEだ!はッはははは!あははははッ!何もかもをぶち壊ーす!」

 

また以前のように、辺り一面を破壊し尽くそうと地面を殴りつけようとしたその瞬間、

 

閃光弾(スタングレネード)ッ!!!」

 

轟音とともに炸裂した閃光が狐太郎を襲う。

視界が真白に塗り潰され、脳が揺さぶられるような不快な衝撃が走る。思わず狐太郎の巨体が、そのまま大きく立ち上がった。

 

「まだまだ潰されてねぇぞ俺ァッ!!その程度の力でイキってんじゃねぇぞッ!?おい、化野ォッ!!」

 

立ち上がった狐太郎を、轟が即座に氷で封じ込める。白い氷結が全身を包み、巨体を完全に固定した。

 

「今度こそ、お前を連れて帰るぞ化野。勝つのは俺たちだ」

「連れて帰るも何も、俺様のマイホームはヴィラン連合だぜ」

 

氷は轟の言葉を嘲笑うように砕け散り、その中から狐太郎が現れる。爆ぜた氷片の向こうから、緑谷が再び飛び込んできた。

 

「君の帰る場所はそこじゃない!必ず君を連れ帰って、救けるッ!!死なせないッ!」

「そもそも俺、救けてくれなんてそんな事一言も言っていないぞ!」

「いいやッ!」

 

緑谷の拳が全身全霊で叩き込まれるが、狐太郎は前足で受け止める。

 

「君はッ!救けを求める顔してたッ!!」

 

狐太郎の顔に一瞬の影が差す。だが、

 

「俺は、お前のそう言うところは大ッ嫌いだ!!善意の押し売りはうぜぇんだよ!」

 

すぐにその表情は怒気に歪み、緑谷を荒々しく弾き飛ばした。続けざまに爆豪が襲いかかり、轟の火炎が重なる。緻密に研ぎ澄まされた連携。狐太郎は外皮の厚さで多少は無視できるものの、面倒なことには変わりない。

 

(チッ、鬱陶しい)

 

以前とは比べものにならない3人の成長が、動きの端々から伝わってきた。

 

(特に、爆豪)

 

他人を無視して戦うのが常だった男が、今は他人を意識し、他人に合わせて動いている。轟の個性操作の繊細さも段違いだし、緑谷の強さにいたっては、もはや過去と比較すること自体が無意味だった。

 

思考を乱すには情報を増やす。それが常道だ。だがコインは使えない。今の体調だと耐えられない。バリアントプライドの面々もほとんど制圧され、ミルコやホークスといった一流揃いが相手では有象無象では足止めにもならない。ドラコーも強いが、彼らには及ばない。一流に多対一で攻められてはそう保たないだろう。

 

負けは見えている。

だが今、狐太郎にとってそんなことはもうどうでもよかった。

 

殺意が、脳の奥底で黒い波のように揺れ動きながら響いた。狐太郎はそれに応じるように、胸の奥深くから込み上げてくる衝動を押さえられなかった。

 

そうだ、壊す。壊して、壊して、壊して。殺す。

その言葉が、呼吸よりも自然に浮かぶ。

 

「俺様はテメェらを殺す。でも、早々に殺されてくれるなよ。もっともっと楽しまねぇと」

 

言っていることは矛盾している。でもそれが今の本心だった。

獣の本能は、本来なら制御不能の破壊衝動だけを持つはずだった。それでもユウがいてくれた。ソロとの思い出があった。友達ができた。それで、少しずつ衝動は薄れていっていた。

 

だが、ユウたちが殺されたあの日、すべてが逆戻りした。

あぁ、自分はやっぱり人を傷つけ殺すだけのバケモノなのだと理解した。だってそれが、本当に楽しくて堪らないから。

 

3人の攻撃を受け止めながら、狐太郎は暴れた。轟が再び大氷結を発動させた瞬間を狙っていた。身体の中の一部をドラゴンへと変じ、人の姿のまま火を吹き出す。変身を高速で行ったため、形状は中途半端で、喉が焼けるように痛む。それでも構わなかった。

 

「その体で火ぃ吹けんのか!?」

「ッたりめぇーだろ!この姿で出来ねぇ理由はねぇ!!」

 

吹き上がる炎が氷を割り、大量の水蒸気が一瞬で戦場を覆い尽くす。その蒸気を爆豪が爆破で弾き飛ばし、白い霧の幕が割れる。

 

「どこに行きやがった!?」

「ッ、上だ!!」

「死ぃねぇぇぇッ!!」

 

緑谷の声が響いた瞬間、上空から獣が降ってきた。

 

──楽しければ何でもいい。

 

最初は、そう思っていた。

 

狐太郎は本来の姿に変じ、腕をそのまま地面へ叩きつけた。硬い地盤が一瞬で砕け、深々と抉れ、爆風のような衝撃が四方へ走る。轟が緑谷たちを守るために氷で受け止めなければ、3人は確実に吹き飛ばされていた。

 

何度潰そうとしても、潰れない。

殺そうとしても、殺せない。

息が荒くなっても、骨が軋んでも、何度でも立ち上がって向かってくる。

 

その姿が狐太郎を苛立たせ、そしてどこかで愉快にもさせた。

 

「へぇ、本当に泥臭い。努力とか友情とか、恥ずかしげもなくそう言うこと言いそうな顔して俺のこと見ないでくれる?鳥肌立つんだけど」

 

おえーっと舌を出しながら狐太郎は姿を再びドラゴンへと変え、火を吹く。大火災を発生させる。怒りと苛立ちのままに炎が走り、触れた物を爆ぜさせる。攻撃範囲と火力は格段に増し、緑谷たちの身体に刻まれる傷の数が加速度的に増えていった。

 

だが当然、狐太郎も無傷ではいられない。

度重なる攻撃の余波で外皮に傷が増え、変身を繰り返す身体には疲労が蓄積し、激痛が体を襲う。

 

──人々を、社会を、文明を、ヒーローを、ヴィランを見るたびに……壊したくなる。理由が分からずにいたが、自分が魔王の手先となるべく造られた脳無だと知ってからは、すべてに合点がいった。

 

壊したくて、壊したくて、壊したくて。

壊したいのに、

 

「今だ轟!!」

「ああッ!緑谷合わせろッ」

「うん!!」

 

爆発、氷、衝撃。

3つの力が狐太郎へ襲いかかり、正面からぶつかった。

 

視界が揺れ、骨がきしみ、痛覚が脳髄を震わせる。

暴れてるのに、壊したいのに、壊しきれない。

 

何度やっても壊れない。

不愉快なはずなのに、やはりどこかで愉快でもあった。

 

バケモノだと、皆が恐れた。

幼いころは小動物で腹を満たせたが、やがてそれだけでは足りなくなり、飢えに追われて街へ降りた。そのとき向けられた人々の怯えた瞳。あの震えるような嫌悪と恐怖の色は、今も脳裏から離れない。石が投げられ、ヴィランと指差され追われた。

 

ああ、自分は彼らと違う“化け物”なのだと悟り、誰も近づかぬ場所へ身を隠すしかなかった。

 

──そのままなら、どうだったのだろう

 

何も知らずに生きている方が、楽だったかもしれない。

だが運命が、出会いが、狐太郎の人生を変えてしまった。変えてしまった結果が、いま目の前に広がる惨憺たる光景だ。しかし、変わらなかった人生よりも、変わってしまった今の方がずっと良いだろうとも感じる。楽だっただろうが、何もない人生なんて虚無みたいな者だ。振り返ればそれは、きっとひどく退屈な筈。

 

狐太郎は先日、初めて自分の人生というものを真正面から見つめた。これまで一度も振り返ったことのない、己の人生。これまで一度も真面目に向き合わなかった自分自身を、人生を、狐太郎は初めて“考えた”。

 

──未来なんて糞ほどの価値もない。過去なんて見たところで腹は膨れない。生き延びられればそれでよかったし、笑えるならそれでよかったし、ムカつくならぶっ壊せばいい。そう思ってた。

 

そのはずだった。だが、見つめれば確かに何かがあった。

 

人々から石をぶつけられ、バケモノと罵られたあの日々。なぜ自分が追われるのか分からない。なぜ恐れられるのかも分からない。ヒーローにヴィランだと攻撃され、子を守ろうとした親に石を投げられ、痛みに驚きただ逃げるしかなかった。その果てに、深い森に逃げ込んだ。

怒りなのか、悲しみなのか、それとも恐怖なのか、幼い狐太郎には、その感情に名前をつける術すらなかった。

 

そんな彼を人間として扱ってくれたのは、福州ひとりだけだった。

 

知識を与えてくれた。言葉を教えてくれた。

狐太郎を怖がらず、狐太郎を罵らず、狐太郎を攻撃せず、ただ対等に話しかけてくれた。

 

狐太郎にとって、人から向けられた初めての優しさだった。

どれほどその光に惹かれてしまったか、本人は気づいていなかったが、狐太郎は彼を大好きになってしまっていた。

 

だが、その大切な少年は死にたがっていた。狐太郎には止めるという概念がなかった。死にたいと言うなら、死なせてやるのが正しいことだと思いこんでいた。だから福州が森の奥で自ら命を絶つときも、狐太郎はただ側に座り、静かにその瞬間を見送った。

 

その意味を理解するのは、ずっとあとだった。

 

さらに言えば、その福州の姉、ユウ……明るく、優しく、狐太郎にとって安心を象徴するような存在。彼女の笑顔も、声も、振り返ればきっと大切だった。

そして狐太郎は、福州の人生を借りて人間の生活に紛れ込んだ。嘘だと分かっている。騙しているという自覚もあった。だが、それでも、狐太郎は初めて穏やかさを知った。

 

食卓で交わす他愛ない会話。

学校のざわめき。

あくび混じりの朝。

くだらない冗談で笑い合う放課後。

 

それらは狐太郎に、言葉にならない幸福を運んだ。

 

“このままずっとこんな暮らしが続けばいい”

 

狐太郎はそんな禁じられた願いを知らず知らず抱いてしまった。叶わないと分かっていたはずなのに。嘘をついたまま世界に紛れ込んだ。自分は福州の影武者。本当はその席に座る資格などひと欠片もない。

 

それでも願ってしまった。

 

だからこそ、オールフォーワンに偶然見つかり、すべてが破壊されたあの日。狐太郎は理解した。

 

自分が望んではいけないものを望んだせいで、愚かなことを願ったせいで、大切な人々が皆殺しにされたのだと。初めて手に入れた穏やかな日々は、結局は自分のせいで失われた。

 

福州の両親も、ユウも、親しくなっていた人々も。自分が笑っていた相手が、みんな、みんな。狐太郎の人生で初めて“好きになってしまった世界”が、跡形もなく無くなった。

 

それでも狐太郎はやはり、自分の人生について深く考えたことがなかった。起きてしまった事はもうどうしようもない。未来がどうなるかなんてわからない。悲しみも絶望も一過性のもの。すぐにその気持ちは薄れていった。退屈なのはごめんだ。だから、楽しく生きるためにその時その場で、やりたいことだけをやればいいのだと。大事なのは、自分が楽しくいられる事なのだと。

 

オールフォーワンのことは、最低最悪だと今でも思っている。ユウ達を殺し、自分の居場所を壊した張本人だ。憎くないはずがない。

それでもあの男は、今の狐太郎を否定せず、価値があると言い、力を与え、使い道を示した。仕事を成し遂げれば褒めてくれたし、トガや荼毘は狐太郎の破壊欲求を受け入れてくれた。

一方でこの世界は、石を投げ、化け物だと指をさし、閉じ込め、貶し、最後はタルタロスで死ぬまで放置しようとした。何一つ与えてはくれず、ただ奪い続けた。

 

だったら、どちらを壊したいかなど考えるまでもない。

オールフォーワンへの憎しみは確かにある。だがそれ以上に、この世界への憎悪の方が、ずっと深く、ずっと多く、腹の底に溜まっていた。

 

そもそもこんな事になったのは、狐太郎を化け物だと罵り、ソロを無個性だと嘲笑ったこの世界のせいなのだから。

 

だから狐太郎は牙を剥く相手としてまずはこの世界を選び、皮肉にもオールフォーワンの側に立つことを選んだのだった。皆が己を化け物だと罵るのなら、化け物として皆を殺してしまおうと思ってのだ。

 

いつだって、そう言うふうに生きてきた。深く考えずに生きてきた。刹那だけを追って生きてきた。

 

だが死が近付く中で、狐太郎は自分の人生を初めて思考した。“お前は何がしたいんだ”とは、昔誰かに聞かれたことだったかと、熱でぼんやりする頭で思い出し、考えてみた。

 

だからこそ、理解した。

 

─────ああ、自分はなんて取り返しのつかない歩み方をしてきたのだろう

 

その結末を理解した瞬間、狐太郎の喉から、乾いた笑いとも嗚咽ともつかない息が漏れた。善悪の区別はつくようになった。自分が積み上げてきたものが、どれほど醜悪で、どれほど救いようのない業なのかも、嫌というほど理解している。それでもなお、止まれない。罪への理解と殺戮の衝動が同時に在る。それこそが自分の本質なのだと、はっきり分かってしまったから。

 

救われたいのではない。ただ、裁かれたい訳でもない。でも、やってはいけない事をやっているのだと理解はしている。それでも、どうしてもやってしまう。やりたいから、やってしまう。

変われない以上、行き着く先は一つしかないのだと、狐太郎は受け入れていた。

 

咆哮と共に、大気そのものが揺らいだ。

ドラゴンの灼熱とシルフィードの風。相反する二つを無理矢理制御し、狐太郎は爆発を生み出す。その負荷に耐えられるはずもなく、巨大な前足の皮膚は焼けただれ、黒く焦げて裂け、骨まで露出していた。

 

それでも3人を打ち倒した。

轟は激突した瓦礫の中で意識を手放し、爆豪は瓦礫を体に潰されたまま呻きながら必死に抜けだそうとしている。

肝心の緑谷だけが、痛みに震えながらも立っていた。危機感知がなければ死んでいた衝撃に、かろうじて耐えきったのだ。

 

狐太郎はその光景を、少し距離を置いた目で眺めていた。

 

「……ああ」

 

喉から漏れた声は、叫びでも嗚咽でもなかった。ただの確認だ。

 

「……ユウちゃんも、ソロの両親も、その他のたっくさんの人間達も……俺が殺した。踏み潰して、噛み砕いて、面白半分でさ。母親は生まれる時に死なせて、父親は2歳の時に殺した」

 

事実を並べるように言う。声に震えはない。

 

「全部俺だ。間違いなく俺がやった」

 

黄色い瞳が、ゆっくりと緑谷を捉える。

取り返しがつかないことをしたことも、自分が最悪の選択を積み重ねてきたことも理解はしている。だが、それだけだった。胃の奥に重たい感覚はある。嫌悪も、後悔も、確かに存在はしている。けれどそれらは、渇いていた。どうにも感情に噛み合わず、行動を止める力にはならなかった。

 

「罪だってのも分かってる。極悪だし、救いようがない。最低最悪、卑劣極まりない。分かってるよ、分かってる。分かってるさ。……でもだからってさ」

 

狐太郎の口元が、僅かに歪む。

 

「殺したくなくなるわけじゃないんだよな」

 

衝動が自然な呼吸のように身体を動かす。

壊したい。殺したい。楽しい。それが一番正直な感想だった。

 

血の混じった重い息を吐きながら、狐太郎は前足を引きずるように一歩踏み出す。

 

「救けはいらねぇ。俺様はバケモノだし、今さら真人間のフリも出来ねぇ。厨二病っぽくなっちまうけど多分あれだ。根本的にサイコパス……ソシオパス?まあ分かんねぇけど、多分そう言うやつなんだろ」

 

乾いた目で、緑谷を見据える。

 

「ヒーローならさ、ヒーローらしくやれよ。ソロみたいに、俺を殺すって言え。殺して見せろ。それが正解だ」

 

低く、脅すように笑う。

 

「言えないなら、今ここで俺がお前らをぶち殺すだけだ!踏み潰して噛みちぎって!テメェらの臓物で辺りを真っ赤に染めてやる!さあ言え!言ってみろヒーロー!俺をッ、殺せッ!!じゃないとマジでぶっ殺すッ!!」

「うるさいッ!!」

 

緑谷は叫び返し、そのまま地面を転がるように前転して、振り下ろされた巨大な足をかろうじて回避した。しかし狐太郎の猛攻は止まらない。

連続して振り下ろされる質量の暴力を、緑谷は紙一重でよけ続ける。だがジャックフロストの冷気が一瞬吹き荒れ、緑谷の両足は白く凍り付いた。動きが止まる。

 

「そんなに殺したいなら、さっさと殺せばよかったんだ」

 

動けないはずなのに、緑谷は笑った。狐太郎はその笑みごと踏み潰そうと、巨大な前足をゆっくりと、確実に持ち上げる。

 

「僕達を殺せる隙なんていくらでもあった。それでも、君は殺さなかった!だから僕は今生きているんだ!

今だって、意識のある僕を無視して轟くんとかっちゃんの方に行けばいいのに、そうしない!何故か!?君が優しいからだ!前となんら変わってない!ちょっと性格悪いけど、強くて、おしゃべりな、1年A組の化野狐太郎だからだ!」

「しつッこいなぁ。俺様は、ただの、バケモノだ!脳無だぜ!?俺がどんだけ人を殺したと思ってるんだ!これからも殺し続けるんだぞ!?さっさと殺せよヒーロー、殺す気でこいよ!」

「しつこい!!君がバケモノでも、脳無でも、何でもいい!何だって構わないッ!!君は僕の友達だからッ!絶対殺さないッ!友達を殺したい訳がないだろう!!」

「うざってぇ、甘ったれた事ばっかり言いやがって。やる気がねぇならとっととくたばれッ!!」

 

怒りに満ちた声と共に、狐太郎の喉奥に熱が集まる。内臓をドラゴンのものへと作り変える。肺が膨張し、喉が変質し、骨格が軋む。大きく息を吸い込んだ、その瞬間、緑谷は身を固めた。来るなら来い、と目の奥で言っていた。

 

だが、狐太郎の身体が凍りついたように、ぴたりと動きを止めた。

その巨大な顔に、明確な戸惑いが浮かぶ。

 

変身の気配がない。力が流れない。

いつもなら瞬きほどの間に別の姿へ変わるはずなのに、まるで個性そのものが根元から断たれたように。

 

狐太郎の喉が震え、小さく息を呑んだ。

 

「……変身が……できない?」

 

 

 

 

 

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