春の陽射しが穏やかに差し込み、新たな始まりを告げていた。柔らかな風が藤色の髪を撫で、陽光を受けて淡く輝く。ソロの制服には一切の皺がない。丁寧にアイロンをかけ、ネクタイも上まできっちりと締め上げる。福州家できちんと育てられた“福州ソロ”なら、当然そうする。
家族のために自ら命を断てるような少年だ。その“福州ソロ”を演じる以上、どんな些細な点も破綻してはならない。少なくとも、健全に育った福州家の子息として、不自然であってはならなかった。ちなみに、普段の言動が明らかに不自然であることには気がついていない。ソロこと狐太郎に大した演技力はなかった。
「問題ないな」
ソロは軽く呟き、外に出る。別荘から駅まで徒歩20分、さらに電車で20分。ぼんやりと景色を眺めているうちに、目的地に着いた。
目の前に現れたのは、ガラス張りの雄大な建物。まるで企業ビルのような威容。いや、それ以上だ。これほどの設備を誇る学校など他にない。いかに雄英高校が潤沢な資金を持ち、国からの期待を一身に受けているかが一目でわかる。
ソロは事前に校内地図を暗記していたため、迷うことなく1年A組の教室へとたどり着いた。個性による多様な体型や能力に対応しているのか、ドアの高さは6メートルほどもある。本当の姿でも通れる。そう思うと、少し笑みがこぼれる。幅は怪しいが。
早めに来たため、教室内にはまだ人影がまばらだった。その中の一人、真面目そうな眼鏡の少年がこちらを見つけ、驚いたように目を見開く。プレゼントマイクに質問をしていたあの生徒だ。
「おはよう、俺は飯田天哉。君はあの時、プレゼントマイクの呼び掛けに返事をしていた受験生だろう? 大ホールでは不躾なことを言ってしまってすまなかった」
「貴方はあの時のド真面目君ですか。わざわざ謝るために来たのですか?僕は全く気にしていませんよ。お利口さんですね」
「お、お利口さん!?初めて言われたぞ。子供のように扱うのはやめてくれ」
「おっとおっと、それは失礼。僕からすれば、貴方たちって皆いじらしい犬猫みたいなものなので。つい見下して態度を間違えてしまうのは悪い癖ですね」
「何気に子供よりグレード下げたな今」
「犬猫にランクダウンしたな俺ら……」
中学の頃ならここから更に弄っていただろう。だが今はそうもいかない。友人を作ると約束してしまった以上、ある程度は礼節を保つ必要がある。面倒ではあるが、ソロは相手を不快にさせぬよう会話を続けた。
教師が来るまで席に着き、雑談をしていようと考えたときだった。
──ガタン。
机に足が乗せられた音が教室に響く。顔を上げると、入試のときにも見かけた、金髪の少年が立っていた。
「ハロー、これは何のつもりですか?宣戦布告?挑発?それとも……貴方流の挨拶?」
「テメェだろ、福州ソロって。入試で俺を越えて一位になりやがった奴。デクといいテメェといい、俺の完璧な人生設計をぶち壊しやがってよォ」
「何だ、わざわざ負け惜しみを言いに来たんですね。それならそうと言ってくださいよ!貴方の負け惜しみを一言一句書き漏らさないようメモに取って、放送室から全校生徒に聞かせて差し上げますので!」
「あ゛ぁ゛!?負け惜しみだぁ!?ンな訳あるか!!俺ァ宣戦布告に来てんだよ!俺の邪魔をする目障りな奴はブッ殺してやるってなァッ!!」
「ハッハッハ!見てください飯田天哉!こんな粗野な男は初めて見ました!ツーショット撮ったらバズりますよ。ハッシュタグ、“野生の蛮族”で!……いや、仲良しだと思われたら最悪ですね。僕の品性まで下がりそうだ」
「テメェ……このカス!俺のこと舐めてやがるな!すぐにぶっ潰してやるよッ」
「おやおや、今“潰す”って聞こえましたけど、幻聴でしょうか?威勢だけは良いんですね。黒星ついた直後なのに。でも残念、ごめん野蛮人君。僕は貴方みたいな下劣な男に負けてやるつもりはないんです。
僕と優劣をつけたいのなら、教養と品性を学んでから出直してきてください。ああ、アポがないと応答しませんので、そこのところもご配慮を」
「上等だァッ!クソロン毛!!ペラペラぺらぺら喋りやがってこのクソがッ!今ここでどっちが上か分からせてやる!!」
「やめないか、二人ともッ!!」
怒りを向けられたソロは、笑いながら嘲った。新しい玩具が自分から飛び込んできたようなものだ。胸の奥でどこか楽しげな感情が弾ける。まるで骨を与えられた犬のように。
一触即発の空気の中、教室中が息を呑んで固まる。
誰もがどうしていいかわからず見守るしかなかった。だがただ一人、飯田だけが二人の間に割って入った。
「まず君!人の机に足を乗せるな!福州くんに失礼だろう!それに何より、雄英の先輩方や机の製作者の方々に申し訳ないと思わないのか!?」
「思わねーよ!テメーどこ中だ端役が!!」
「ぼ、俺は私立聡明中学出身。飯田天哉だ」
「聡明〜?クソエリートじゃねぇか、ブッ殺し甲斐がありそうだなッ!!」
「聞きましたか飯田天哉!とんでもない下品な言葉遣いです!貴方がクソエリートだとしたら、彼はスラム街の落伍者ですね!碌な教育を受けてこなかったんでしょう、可哀想な人です。同情心で涙が出そうで、こんなにも瞳が潤んでしまっていますよ。うるうる」
「テメーこの煽りカスくそロン毛!!まずはテメーから爆殺してやるッ!!」
「福州くんはなんでそんなに煽るんだ!やめないかッ!君たちは雄英に喧嘩をしに来たのかッ!?」
そのとき、カタリと教室のドアが開く音がした。
三人が一斉に振り向く。入口に立っていたモジャモジャ頭の少年が、小さく悲鳴を上げた。まるで、虎と獅子と熊に同時に睨まれた兎のような顔だった。
彼の後ろから、丸顔の少女が入ってくる。
爆豪は舌打ちをして席に戻り、ソロは少し残念そうな顔をしながら椅子に腰を下ろした。飯田は真っ先に教室に入ってきた緑谷へ挨拶に向かう。
その後ろで少女が加わり、三人は入口で何やら楽しげに言葉を交わしていた。
ふと、妙な音が聞こえた。重い布が地面を引き摺るような、ざらりとした擦過音だった。
顔を上げ、クラスの出入口へと視線を向ける。そこにいたのは、ひとりの薄汚れた男だった。寝癖のように乱れた長髪、くたびれた服。小汚く見えるが、匂いがしなかった。
(この男、見た目のわりに……異様に清潔だ)
人に化けている時は大体、肉体の強度も五感も人間程度に下がってしまう。だが五感が下がりすぎると落ち着かないので、なんとかできるように練習したのだ。外観は人間だが、耳や鼻だけは常に構造を作り変えている。
だから、嗅覚には自信があった。なのに汗も、埃も、皮脂も感じない。人工的な無臭。それは、己の嗅覚に絶対の自信を持つソロには、むしろ不気味なほどの清潔さだった。
やがて男は教室を一瞥し、乾いた声で言う。
「担任の相澤消太だ。よろしくね」
淡々とした挨拶の後、
彼は手にしていたジャージを床に放り投げた。
「これを着てすぐにグラウンドに出ろ」
その一言で生徒たちは一斉にざわめいた。
しかし相澤の声には有無を言わせぬ威圧があった。ソロ達は指示に従い、支給された服に着替えて外へと出る。どうやら個性把握テストとやらを行うらしい。入学式もガイダンスもなく、初日から実技。不満を漏らす生徒たちを、相澤は冷たい目で見下ろした。
「ヒーローになるってのに、そんな退屈な式典なんて要らないだろう」
それだけ言って、ソフトボール投げ、立ち幅跳び、50メートル走など、お馴染みの種目を淡々と告げていく。
「入学テスト1位はお前だな、福州」
「ええ、そうですね」
「中学の時のソフトボール投げ、何メートルだった?」
「68メートルです」
「なら、個性を使ってやってみろ。円から出なければ何してもいい」
軽く顎で合図をされ、ソロは円の中心に進み出た。
その歩き方すら、舞台に上がる俳優のように堂々としている。
(全部化ける必要はない。腕だけで十分だ)
面白みがないのは退屈だと感じ、軽く一回転して生徒たちへとお辞儀をする。
「ハロー皆さん!突然ですが自己紹介を。僕は福州ソロ、入学テスト1位の男です。つまり、No.1。ちなみに2位は、あそこのイガグリのような」
「黙ってさっさと投げろ」
「……退屈な人ですね。エンターテイメントの精神が足りませんよ。人生は面白さが全てなのに」
肩をすくめ、ソロは正面を向き直る。次の瞬間、肉の下で骨格が軋んだ。腕の形が歪み、黒い鱗が皮膚を覆っていく。指の先からは刃物のように鋭い爪。それはまるで竜の腕のようだった。
(俺の個性で化けられる奴の中で一番怪力なのはこのドラゴンだ。後はドラゴンの膂力に任せて……)
足を踏み込み、腰を沈め、膂力を全身に通して、解き放つ。
風を裂く音が一瞬、耳を刺した。ソフトボールは流星のように弧を描き、次の瞬間にはもう視界の端にもなかった。
「まずは、己の最大限を知ることだ」
相澤が手にした測定器に映し出された数字は1208.1メートル。信じ難い記録に、クラスは一気に沸き立つ。
「すげー!」
「マジかよ!」
「雄英やべぇ!」
歓声。笑い声。だが相澤だけは、その光景を見て目を細めた。
「……面白そう、か。ヒーローになるための三年間、そんな腹づもりでいるのかい?」
その声が低く落ちた瞬間、グラウンドの空気が冷えた。
「よし。トータル成績最下位の者は見込み無しと判断し、除籍処分としよう」
その言葉を聞いた瞬間、クラスメイトに動揺が走った。息を呑む音が響いた。
「わはは!エンターテイメントだ!」
「どこが!?」
「デスゲームじゃん!!」
「うぷぷぷぷ、誰がオシオキされるんでしょうか!僕楽しみ」
「クソ、1位が1000メートル出して余裕ぶっこいてやがるぜ……」
無茶苦茶だ、あんまりだと騒ぎ立てる生徒達を相澤は笑いながら無視して「ようこそ、これが雄英高校ヒーロー科だ」と、宣言した。こういった理不尽を覆していくのがヒーローだと、そう言う事らしい。。
「“Plus Ultra”。全力で乗り越えて来い」
その言葉を聞き、生徒達の心にやる気が灯った。やってやる、乗り切ってやると気合いが入り、皆が奮い立つ。
「ま、僕がNo.1ですけどね」
「調子に乗るなよ、すぐに潰してやる」
「わはは!いいですねチンピラ君。じゃあ見せてくださいよ、貴方の実力を。僕に」
爆豪は苛立った様子で円へと向かい、咆哮と共にボールを投げた。「死ねぇッ!!」というその叫びは、明確にソロへ向けられたものだが、ソロは笑顔でスルーした。結果は705.2メートル。素晴らしい数値だが、それでも本人には到底納得できない数値らしい。
「たぁいしたことないですねぇ!」
「クソがッ!!」
爆豪が苛立ちで地面を蹴り、砂煙が上がる。ソロは口元を歪め、まるで玩具の反応を楽しむ子供のように微笑んだ。それを見た緑谷は、背筋をぞわりと震わせてドン引きした。
(すごい……!これが雄英……かっちゃんで遊んでる人がいる……!)
緑谷は本当にドン引きした。
ソロはこの時点で、すでに自分の勝利を疑っていなかった。個性を使って良い体力テストなど、彼にとってはお遊びも同然だ。福州の名を背負う者として、負けることなど有り得ない。ソロの個性は、この試験に向きすぎている。
次の種目、50メートル走。ソロのペアは金髪の少年だった。よろしくと言う挨拶に軽く返事をする。50メートル最速なら、恐らくはあの動物だ。
ソロが個性を発動した瞬間、彼の輪郭がぐにゃりと歪んだ。次にそこに立っていたのは一頭の犬。
「えっ!?」
「ワンちゃんだー!可愛い!」
ウィペット。
グレイハウンドの血を引く俊足の犬で、しなやかに伸びた肢体と流線型のシルエットが特徴的だ。中型犬ながら、最高時速は80キロにも達するという。ドッグレースの常連でもあり、その脚力は動物界でも屈指である。
「ソフトボール投げの時とは全く別の個性に見える。犬に変身?でもさっきは腕が黒い鱗に包まれていた。あの鱗と今の犬は似ても似つかない。となると考えられるのは様々な生き物に変身する個性?あの時は円から出られないから腕や足だけに限定して変身したって事かな?いずれにせよすごい汎用性の高い個性だ」
緑谷がぶつぶつと独り言を漏らしている間に、スタートの合図が鳴った。その瞬間、ソロの体が風を裂く。一気に加速し、ペアだった金髪の少年、上鳴をあっという間に置き去りにしてゴールへ飛び込んだ。
「3秒01!」
記録が告げられると同時に、犬の姿は人の形へ戻る。緑谷の推測は正しかった。ソロの個性は“変身”という極めて優秀なものだった。
「オレ、これ……動物番組のかませ犬みたいになってんじゃん!」
上鳴は不満げに唇を尖らせる。
「もう一回犬に変身して!」
「撫でたい!もふもふ撫でたい!」
「ご勘弁ください。そういう扱いはあまり好きじゃないんです。なんだか畜生扱いされて、見下されてるようで。まぁ……雑魚どもを見下すのは好きなんですけど」
「サラッとすごいこと言ったな?」
女子達の黄色い声をひらりとかわし、ソロは男子の輪へと戻る。いくら可愛く見えても、中身はあくまで自分だ。撫で回されるなど冗談ではない。だが、ブドウ頭の少年だけは納得していなかった。下唇を噛みしめ、「ずるい……」と血が滲むほどの力で呟いていた。
次は握力測定だ。
ソフトボール投げの時と同じく、腕だけをドラゴンへと変化させる。金属音が軋み、計測器の針が跳ね上がった。717キロの記録が出る。
立ち幅跳びでは鳩の姿となり、計測不能の記録を叩き出す。反復横跳びだけは特に思いつかず、普通にやって終わらせた。
続いて持久走。今度はサラブレッドへと化ける。
紫色の髪の少年、峰田が「オイラがお前のジョッキーだ!!」と騒ぎ立てて背中に飛び乗ろうとするが、ソロは軽く叩き落としてそのまま疾走した。爆豪との一騎打ちとなるが、結果はギリギリでソロの勝ち。
「これこそまさしくエンターテインメント!素晴らしいマッチレースでしたね、爆豪勝己。盛り上げ役を引き受けてくれて助かりました。ありがとうございます」
「クソ!クソッ、クソがぁッ!!」
「おや、大変だ。疲労で語彙力を失ってしまったみたいですね。誕生日プレゼントは国語辞典にしましょう。語彙が豊かになりますよ」
「いらねぇわボケが!」
「まぁ、貴方の誕生日なんて知りませんけどね」
「黙ってろカス!!」
長座体前屈ではアナコンダに化け、記録は8メートル。上体起こしは変身せず普通に行った。
途中、緑谷が相澤と揉めていたが、指一本を犠牲にして705メートルの記録を叩き出し、事態は収束したらしい。
「個性を使うたびに体が壊れるんですか?随分と難儀な個性ですね。でも、そういうピーキーな能力、僕は嫌いじゃない。頑張れば頑張るほど壊れていくなんて、愉快じゃないですか」
「超痛そうだよな、オレは絶対無理」
「なんかアイツ、入試の時に出た超デカいロボ壊したらしいぜ?」
「そんなに実力があるのにあんなウジウジとした根暗に育つ事あります?一体どんな人生を送ったんでしょう?」
「さぁ?それはしらね」
ソロは、近くにいた上鳴と切島に何となく話しかけながら、緑谷の背中を眺める。不可解な少年だ。あれほどの力を持ちながら、自信の欠片も見せない。無個性か、弱い個性を持つ者のように怯えた仕草。
中学の一つ下にいた無個性の女子が、確かあんな雰囲気だった気がする。
(無個性、か……)
ソロの脳裏に、4年前の記憶がよぎる。
胸の奥が、鈍く疼いたような気がした。
体力テストは全て終了。
最下位は緑谷。相澤の宣言通り、除籍かと思いきや、除籍は結局取り消された。自由奔放な教師だ、とソロは少し呆れる。
その日はそれで解散となった。
クラスメイト達が「親交会だー!マック行こうぜ!」と誘ってきたが、ソロはあっさりと断る。今日はお腹が空いているので、森に狩りに行きたいのだ。人の姿に化けているとしても、本性は大きな獣だ。4、5日に一度は大量に摂取しないと満たされない。今日は特に空腹だ。マックでは腹が膨れない。
そうして、森で腹を膨らませてから家に戻り、福州家としてのスケジュールを確認する。時折、家業の手伝いもしているためだ。会社側にもソロの予定を把握されているらしく、登校日や行事と被らないよう調整されていた。
その時、スマホがピロリと鳴る。
【初日終了だねー!】
【弟よ。友達できそう?無理そう?】
「う〜ん、友達、か……」
差出人は福州の姉のユウ。
嘘で誤魔化しても、彼女にはきっと見抜かれる。明日からは少しはクラスに溶け込んでおくべきだろう。頭の中でクラスメイト達の顔を思い浮かべる。
最も距離を詰めやすそうなのは上鳴や切島だが、趣味は合わない気がする。
「さて、どうしたものか……」
そう呟いて、ソロは静かに目を閉じた。