「アッハッハッハ!!蹂躙するのは楽しいなぁ!」
「その発言はほぼヴィランだぞ!?」
笑いながら街を見下ろすソロに、尾白は思わず引き気味の声を上げた。
先ほどまで地獄のように燃え盛っていた火災ゾーンは、いまや静まり返っている。ソロの生み出した大波はヴィランたちを呑み込み、炎を根こそぎ押し流していった。水しぶきが爆ぜ、燃え上がる建物の赤が次々と掻き消えていく。数分も経たぬうちに炎はすべて鎮まり、波が引くころには焦げ臭い煙さえも洗い流されていた。代わりに残ったのはひんやりとした空気と、息を呑むほどの静寂。
「お前……強すぎない?」
呆れと畏怖の混じった声に、ソロは牙を見せて笑った。
「あの業火は少々厄介でしたからね。すべて飲み込むのが手っ取り早い。紅蓮燃え立つ街並みを包み込むビッグウェーブ!まさにエンターテインメント!
愉快、痛快、精衛填海!アハハハハ!愚かな真似をした報いです。一生後悔しながら臭い飯でも食べていてください。僕はそんな姿を想像しながら、美味しいご飯を頂きます!
と言うわけで、あっという間にお別れの時間です!今日も聞いてくれてサンキュー!次回も耳をかっぽじって待ってて下さいね〜」
そう言って変身を解くと、ソロは深く息を吐いた。
(……ちょっと調子に乗りすぎたかな。派手にやるのは気分いいけど、やっぱり疲れる)
ソロの個性は万能に見えて、限界がある。大規模な変身や能力行使は、体力を著しく消耗するのだ。今のウンディーネの津波級の一撃。あと2、3度放てば過労で動けなくなるだろう。腕をドラゴンに変える程度でも少しの負担はあるのだ。だが、そんな弱点をわざわざ晒すほどソロは愚かではない。いずれはバレるだろうが、今は黙っておくに限る。
ソロは屋上から飛び降り、波に流されたヴィランのリーダー格のもとへ歩み寄った。男は壁に叩きつけられ、動く気配もない。
「貴方は少しだけ強かったみたいですが、他の方々は野犬より弱そうでしたね。僕がちょっとガオーと威嚇すれば、尻尾を巻いて逃げ出す事でしょう。生徒を殺すための寄せ集め……捨て駒、というわけですか?お可哀想に」
ソロは冷ややかに見下ろし、笑う。
「それでも貴方たちはここに来た。ならば策があるのでしょう?オールマイトを殺す策。僕、非常に興味があります!」
「言うわけねえだろ、バカガキが」
「では、貴方を拷問させていただきます」
「イキんなよガキが。お子様が調子づいてんじゃねーよ!」
「ワオ!威勢のいい人間は大好きですよ!そういう人間が心折れて無様に泣き始める姿が本当に大好き!是非、是非是非惨めに泣いて下さい!」
ソロの足が動いた。バキィッという鈍い音とともに、男の膝が砕ける。悲鳴が響き、地面に血が飛び散った。
「痛いでしょう?痛いですよね?泣いていいんですよ!泣いて喚いて、お漏らしして!無様に惨めに踠いてみてください!」
言葉と同時に、砕けた脚をさらに踏みつける。骨が軋み、肉が潰れ、悲鳴が裏返った。ソロの表情は笑顔。それが余計に恐ろしい。
「バケモノめ……」
その言葉に、ソロの笑みがピクリと止まった。
「……化け物って呼ばれるの、あまり好きじゃないんですよね」
追いかけ回された過去を思い出し、不快になる。顔をしかめたソロは思い切り男の顔を蹴り飛ばした。血飛沫が舞い、男は呻き声を漏らした。
(……喋らないなら、変身して他のヴィランに聞くだけだ。本当に拷問なんてしないよ。そんなのソロじゃないし)
自制心がソロの中に残っていた。だが男は、その目の奥に宿る加虐の色を見て誤解した。そして、恐怖に駆られて口を割った。ソロは静かにそれを聞き終え、踵を返す。
そして、すぐに相澤のもとへ向かうことを決めた。
* * *
USJの巨大な扉が開いている。誰かが逃げたのか、それとも救援が来たのか。ソロの耳に届いたのは激しい戦闘音だった。力と力がぶつかり合う、重い衝撃音。
(これは……先生じゃない。相澤先生の戦い方じゃない。まさか……)
ソロは嗅覚を研ぎ澄ます。漂う血の匂い。その中に、オールマイトの匂い。そして相澤と生徒たちの匂い。緑谷、蛙水、峰田。彼らも戦場に巻き込まれている。
「尾白猿夫、僕は先に行きます」
「え?お、おい!?」
返事を待たず、ソロの身体が隼へと変わる。羽ばたき、風を切り、空へと舞い上がる。高度を上げると、眼下に広がる光景が目に飛び込んだ。
オールマイトが黒い脳を剥き出しにした怪物を掴み、全身の力でジャーマンスープレックスを叩き込んでいた。地面が砕け、衝撃波が走る。だが、怪物は潰れていない。
(……ワープ、かな?)
黒い霧のようなヴィランの能力だろう。ソロも初め、それで火災ゾーンへと転送された。その個性を使って黒い脳みそ丸出しの男の半身だけを転移させ、衝撃を逃がしたのだ。
次の瞬間、その怪物の鋭い爪が動く。
ザシュッ───────
と、オールマイトの脇腹に深々と突き刺さる。血が滲み、彼の表情が苦悶に歪む。
(アレが本命の怪人か……まずいかもしれないな)
ソロはその判断とともに、空気を裂いて怪人へ急降下した。視界の端では爆豪が激しい閃光と共に乱入し、ワープのヴィラン、黒霧を捕獲していた。すぐ後ろからは冷気を纏った轟が現れ、怪人の巨体を氷で封じ込める。白い霜が一瞬で地面を覆った。
当初の予定では、ソロはドラゴンに化けて怪人の腕を噛み千切るつもりでいた。だが凍りついた怪人を見て即座に作戦を変更する。動きを止めた今なら、切り裂く方が早い。
降下の途中でソロの体が小さく歪む。翼が消え、しなやかな毛皮に包まれた小さなイタチへと変化する。その身は旋風のような気流を纏い、氷結の粉塵の中を音もなく滑り降りた。
次の瞬間、風の刃が脳無の指を撫でた。脳無の十本の指がざくりと裂ける。深く鋭い傷口からは黒ずんだ液体が滲み、腱が切れた指が不自然にぶら下がる。思ったよりも頑丈で、切断には至らなかったがそれでも十分だった。力が抜けた一瞬の隙に、オールマイトが怪人の拘束から脱出する。
「旋風、切り傷……ひょっとして福州君!?」
緑谷の驚きの声に合わせ、小柄なイタチが雪煙の中へ着地し、次の瞬間には人の姿へと戻る。
「皆……!!」
緑谷の瞳に涙が浮かぶ。生きて再会できたという安堵が滲んでいた。爆豪は黒霧を地面に叩きつけ、轟と共に死柄木と脳無を睨みつける。その光景を見て、死柄木は苛立たしげに肩を震わせ、爪で肌を掻きむしった。皮膚が裂け、血が滲んでも止めない。
「全員ほぼ無傷で攻略された。すごいなぁ、最近の子供達は。恥ずかしくなってくるぜ敵連合……!」
歪んだ笑みを浮かべながら、死柄木は脳無へ命令を飛ばす。黒霧を奪還しろ、と。だが、見る限り脳無の手足は凍りつき、指は裂け、まともに動ける状態ではなかった。だが脳無は体が砕け散るのも無視して無理やり氷の拘束から脱出した。あれでは戦闘は愚か、長く生きることも難しいのではないかと皆疑問に思った。
しかしその疑問はすぐに解決される。脳無の肉体が再生を始めたのだ。ひび割れた皮膚の下で筋肉が脈打ち、骨が音を立てて形を戻す。まるで悪夢のような光景。再生速度は人間の想像を遥かに超えていた。
死柄木曰く“超再生”。脳無はオールマイトの100%の力にも耐えられるよう造り替えられた、戦闘特化の人造兵器らしい。再生を終えた脳無が、目にも止まらぬ速度で爆豪へ殴りかかる。
空気が爆ぜ、地面がめくれ上がる。だがその瞬間、爆豪の眼前に黄金が閃き、オールマイトの腕が割り込んだ。轟音が響く。次の瞬間には、爆豪は吹き飛ばされながらも無傷で他の生徒のそばに居て、救われていた。
視界に映るのは、圧巻の攻防。誰も追えない速さ。平和の象徴、No. 1の本気の戦いだった。
(オールマイトを倒すって、マジで戯言じゃあなかったのか……)
ソロの視線の向こうで、死柄木が態とらしい笑みを浮かべる。
「俺はなオールマイト、怒ってるんだ!」
その声は演説のように響き、歪んだ正義を叫ぶ。同じ暴力でも、ヒーローなら美談で、ヴィランなら罪。何が違う?誰が決めた?暴力は暴力だ、と。彼は歪んだ笑顔で狂気の理屈を並べ立てた。
「何が平和の象徴だ!!所詮抑圧の為の暴力装置だお前は!暴力は暴力しか生まないのだとお前を殺す事で世間に知らしめるのさ!!」
オールマイトは血を滲ませながらも、静かに、しかし確固たる声で応じる。
「めちゃくちゃだな。そういう思想犯の眼は静かに燃ゆるもの。自分が楽しみたいだけだろう、嘘つきめ」
本音を見透かされた死柄木は、一瞬の沈黙の後、愉悦に満ちた笑みを浮かべる。オールマイトが脳無を引き受けるなら、残りの自分たちは死柄木と黒霧の相手を、生徒たちがそう考えた瞬間、オールマイトの声が鋭く響く。
「逃げるんだ!!」
「逃げろって……オールマイト、貴方も重傷に見えますが?僕達だけでもワープの男と、白髪の男程度なら抑えられますよ!何せ僕、とぉっても強くて優秀なので!」
「ああ、それにさっきのは俺達がサポートに入らなきゃやばかったでしょう」
「それはそれだ!福州少年!轟少年!ありがとな!!」
「でもオールマイト、血が!それに時間だって……!」
「大丈夫だ!!プロの本気を見ていなさい!!」
その声に、場の空気が一変する。脳無が再び突進し、死柄木が生徒たちへ向かって動いた、その時だった。
────────威圧感。
空間そのものが震えた。言葉も、音も、すべてを押し潰すような圧倒的存在感。息が詰まり、心臓が強く脈打つ。空気が重い。肌が粟立つ。
オールマイトが、本気を出した。
その姿を前にして、死柄木の背筋が凍る。反射的に飛び退きながら、目の奥が戦慄に染まる。
次の瞬間、オールマイトと脳無の拳がぶつかり合い、轟音とともに衝撃波が辺りを襲った。風圧だけで瓦礫が宙を舞い、地面が波打つ。ショック吸収を持つ脳無に対し、オールマイトは真正面から殴り合う。拳が交わるたびに大地が砕け、煙が立ち上る。生徒たちは一歩も近づけない。もはや別次元だった。
「無効ではなく吸収ならば!!限度があるんじゃないか!?私対策!?私の100%を耐えるなら、更に上からねじ伏せよう!!!」
叫びと共に拳が閃き、音が遅れて轟く。ソロたちはただその戦いを見つめるしかなかった。自分の個性は汎用性に優れ、この世でも屈指の能力だと信じてきた。だが、本当にNo.1の個性とは何かを突きつけられる。
オールマイトの拳、それはソロがどんな姿に化けようとも、決して届かない次元。
もし彼と敵対するなら、勝利の未来など、一片も見えない。ただ上から叩き潰されるだけだ。
「ヒーローとは常にピンチをぶち壊していくもの!ヴィランよ、こんな言葉を知っているか!!?
─────── Plus Ultra!!!!!!」
オールマイトの拳で空気が弾け、轟音が鼓膜を突き破る勢いで響いた。渾身の拳が脳無の腹部を貫くようにめり込み、その瞬間、爆風のような衝撃が周囲を走る。
脳無の巨体は抗う間もなく宙を舞う。鈍い破砕音とともに、USJの天井を突き抜けていく。まるで流星だった。建物の破片が雨のように降り注ぐ中、脳無の姿は青空の彼方へと消えた。
あまりの光景に誰もが息を呑んだ。爆豪も、轟も、ソロでさえ、無意識に背筋を伸ばしていた。汗が滲む。心臓がうるさいほど脈打つ。
これが、頂点。プロの戦い。自分たちがまだ遠く及ばぬ現実だった。
空気は張り詰めていて、誰もが言葉を失っている。オールマイトのその堂々たる立ち姿こそ“象徴”と呼ばれる所以だった。
狼狽えていたのはヴィランたちも同じだった。真打ちが倒され、切り札を失った死柄木は、顔を歪めて歯を噛み締めた。
「チートが……!」
低く、苛立ちを含んだ声が漏れる。
「全然弱ってないじゃないか!!あいつ……俺に嘘教えたのか!?」
「どうした?来ないのかな!?クリアとか何とか言ってたが……出来るものならしてみろよ!!」
オールマイトの視線が突き刺さる。その黄金の眼光に射抜かれ、死柄木の体がビクリと跳ねた。威圧感だけで心臓を掴まれた心地だ。もはや策は尽きた。思考が回らない。死柄木は呻くように声を上げることしかできなかった。
「さすがだ……俺たちの出る幕じゃねぇみたいだな」
「退きましょうか。残念ですが、僕達では足手纏いになる」
「緑谷行こうぜ、却って人質とかにされたらやべぇし……」
轟とソロが冷静に撤退を促す中、緑谷だけが動かなかった。切島が焦って肩を掴もうとするが、緑谷はただ黙って、苦しそうな顔でオールマイトを見つめている。その目には焦燥と恐怖、そして何かを決意する色が宿っていた。
死柄木は苛立ちを抑えきれず、また皮膚を掻き毟る。爪の隙間から血が滲む。黒霧がそっと低い声で彼を宥めていた。距離があり、常人には届かないその声も、しっかりと集中すれば、微かにだが聞き取れる。
(“脳無さえいれば”……か。あの黒い脳みそ野郎、脳無……)
黒霧の声は冷静だった。オールマイトも確実にダメージを受けている。それに、増援は確かに来るだろうが今ならまだ打つ手がある。死柄木と自分の連携次第では、と。諦めの色はない。
油断は禁物だ。ソロは退却を開始した生徒たちの背を守る位置へと移動する。ウンディーネとカマイタチによる変身で蓄積した疲労が体に残っているが、まだいける。本気を出せば大技も後数回は使える。
そう考えていた矢先だった。
緑谷が、何かを呟いている。いつもの事だしどうでもいいから特に意識は向けないが、その表情は焦りに満ちていた。
(またなんか言ってるし……)
ソロは少し呆れ気味に肩へ手を伸ばす。
「緑谷出久?」
その瞬間、緑谷の姿が掻き消えた。
「は、」
気の抜けた声が漏れる。次の瞬間、爆風が吹き荒れ、ソロは腕で顔を庇った。強風の向こうに緑谷の姿が見える。彼は黒霧たちに殴りかかっていた。
(蛮勇だ。一体何のつもりで……!)
すでに届かない距離。緑谷の両足は、個性の負荷で不自然に曲がっていた。
「オールマイトから離れろ!!」
声を張り上げ、血反吐を吐くように叫びながら拳を振るう緑谷。だが黒霧はすぐに反応した。ワープゲートを開き、死柄木の掌を転移させる。
その手が、緑谷の眼前に迫る。
死柄木の個性、触れたものを崩壊させるもの。触れられれば、肉が崩れ落ちる。
このままでは、緑谷は死ぬ。
逃げる時間も、助ける手段もなかった。ソロが動こうとしたその瞬間、乾いた銃声が空気を裂いた。
死柄木の手が弾けるように反れ、焦げた煙が立ち上る。銃弾が正確に彼の手を撃ち抜いたのだ。死柄木は呻き声を上げ、緑谷に触れることなく手を引っ込めた。
ソロは驚愕と共に振り返る。
「1年A組クラス委員長、飯田天哉!!ただいま戻りました!!!」
大きな声が響いた。彼の背後には、十数人の雄英教員たちが続いている。スナイプが銃を構え、連続で狙撃する。その精度は完璧だ。死柄木の動きが止まり、黒霧が焦りの声を漏らす。
13号が吸引の個性を使い、逃げる彼らを捕えようとするが、黒霧が空間を歪めて防ぐ。掴みかけた影は、再び闇の中に溶けるように消えた。その後、嵐が去った後かのようにUSJは静まり返っていた。焦げた臭いと、崩れた瓦礫の粉塵。誰もがその場に立ち尽くす。緑谷が崩れ落ちるのが見えた。
(俺だったら、どうしただろう)
ソロはわずかに目を細める。死柄木などはまだ未熟だ。己の力を誤認している、警戒心のない子山羊のようだった。彼は粗が多すぎる。あんなもの、カマイタチにでも化けて指か腕を切り落とせばいい。それに、動脈を裂けばすぐに死ぬ。本来の姿に戻れば、首を喰い千切るのも造作もない。
黒霧も同じだ。本体さえ見抜ければ、叩くことは不可能じゃない。爆豪に出来たのなら自分にも出来る。
だが、脳無だけは別格だった。
あれは怪物そのもの。オールマイトと拮抗する存在。化け物という言葉があれほど似合うものはない。
(アレばかりは、俺ではどうにも出来なかったな……)
本来の姿なら、どうだったか。あの姿で派手に動いた事はない。力は有り余っているが、その精度や限界は読めない。現状、変身の中で最も力が強いのはドラゴン。だがそのドラゴンでさえ、オールマイトには遠く及ばない。
戦いの余韻が静けさと共に胸を満たしていく。焼けた空気を吸い込みながら、ソロはゆっくりと拳を握った。己の力と、頂点との距離。その圧倒的な差が、骨の髄まで焼きついていた。
緑谷がいい指標になる。
彼の個性は蛙吹の言った通り、オールマイトによく似ている。その彼がソフトボール投げで指一本だけを使い出した記録が確か700メートルほど。一方、ソロが腕のみをドラゴンに変化させて放った際の記録は約1200メートル。もしも全身を完全にドラゴンへと変化させたなら、理論上はその倍以上、3000メートル前後の記録を叩き出せたはずだ。
緑谷の“指一本だけ”で700。
ならば、腕全体を使えば最低でも3500は出せた計算になる。そして、オールマイトは緑谷よりも遥かに強く、そのオールマイトと互角に戦えていたのが、あの脳無という化け物だったのだ。
(嘘だろ……!?お、俺じゃ、手も足も出ずに負けたのか……?あんな、言語も喋れない木偶の坊に!?)
胸の奥が冷たくなる。ソロは心臓の奥がズキリと痛んだ。自分は強い。そう信じて疑わなかった。どんな怪物とも、ヒーローとも、ヴィランとも互角以上に渡り合えると思っていた。だが、現実はまるで違った。まさしく天地の差。自分の強さなど、彼らの世界の前では塵芥にも等しかったのだ。井の中の蛙とはまさにこのこと。
悔しさと、同時に込み上げてくる恐怖。歯を食いしばり、冷や汗を拭い取る。
(……もっと鍛えなきゃならない。これじゃあ話にならない。あいつらの世界に立つなら、まだまだもっと強くならないと。だって俺はそのために……そのために……?)
ソロは己の心境に首を傾げる。そのために、なんだ?何故そんなに強くなりたいのだったか?理解できない敵愾心が湧いてきていた。
「教師陣がこれだけここに来たって事は、学校全体が襲われた訳じゃ無さそうだな」
「つまり狙いはオールマイトの死だったんですね」
「イかれた野郎だ」
「だが、あの脳無とやらの実力を考えるに……無謀とは言い切れねぇ」
「ええ。あの脳無、改造人間だと言っていました。これから先、2体目3体目が出てきてもおかしくはないでしょう」
「上等だわ!次はこうはいかねぇッ!!」
爆豪の怒声が響く。地面に散らばる瓦礫の上、1年A組の実力者3人がそれぞれ立っていた。その横で切島が心配そうに緑谷へ駆け寄ろうとしたが、セメントスに止められる。生徒の安否確認を優先しろとの指示らしい。ソロ達3人も無言で頷き、ゲート前へと向かう。
足元の瓦礫を踏みしめる音が、やけに大きく響いた。
ゲート前には既に多数の警察官と教員が集まっていた。辺りには煙の匂いが残り、あちこちに焦げ跡が広がっている。上鳴、耳郎、八百万の3名が軽い裂傷や擦り傷を負っており、救護班の医師に手当てを受けていた。その側で待機していた尾白が手を振る。
「怪我の程度を把握したいからってさ、福州もこいよ」
「取るに足らない軽い火傷ですよ」
「それでも一応、手当するらしい」
そう言われ、ソロはため息をつきながら医師の元へ向かう。傷は浅く、薬を塗られるだけで済んだ。その間にも警察が生徒の数を確認していく。緑谷を除けば数名が軽傷を負った程度で、全員が生きていた。突然のヴィランたちによる襲撃を超え、誰も欠けなかった。それは奇跡に等しい結果だった。
* * *
神野区のとある一角。
人気のない裏路地の奥にその店はあった。看板の灯りは半分消え、窓もほとんど閉ざされている、寂れたバー。
薄暗い照明が、店内を黄ばんだ光で照らす。古びた木製カウンターには埃がうっすら積もり、その上に鎮座するテレビは真っ黒な画面を映したまま沈黙していた。外の風が小さな隙間から入り込み、吊るされたグラスをカタリと揺らす。
グニャリ──
空間が歪み、音もなく穴が開いた。そこから血を流した男が転がり出る。体中に手の形をした装飾をつけた青年、死柄木弔。
「両腕両脚……撃たれた……完敗だ……」
息を荒げ、死柄木は床に手をつく。
血が床に滴り、暗い木目を濡らした。
「脳無もやられた……手下共は瞬殺だ……子供も強かった……平和の象徴は健在だった……!話が違うぞ、先生……!」
その声は怒りと屈辱に満ちていた。誰もいない店内で彼は虚空へ向けて怒鳴る。だが、その怒声に応えるように、低く冷たい声が響いた。
『違わないよ』
──空気が一変した。
部屋の温度が下がったかのように、息が詰まる。たった一声で、見えない圧力が店内を支配する。
『ただ、見通しが甘かったね』
その言葉に続いて、別の声が上がった。
老人のような、どこか軽薄な調子の声だ。
『うむ、なめすぎたな。敵連合なんちうチープな団体名で良かったわい。ところでワシと先生の共作、脳無は?回収してないのかい?』
その声には圧はなかったが、底知れぬ不気味さがあった。死柄木が歯を食いしばる。
『まあいいか。残念じゃけど……代わりに思いもよらんものが見つかったかもしれんからの。まさに棚から牡丹餅じゃ。ワシはそちらについて調べさせてもらうわい』
「……?何のことだよ」
『今の君にはまだ関係のない話さ、弔』
その言葉を聞き、死柄木は舌打ちをした。そしてその舌打ちが傷に響き、苛立ちが爆ぜる。死柄木は痛む腕を押さえながら、壁を殴った。
「クッソ痛え……!あのガキ共……ガキ共の邪魔さえなければ、オールマイトを殺せたかもしれないのに!特に、あの!オールマイト並みに速かったッ、あのガキが!ガキが……ガキ……クソクソクソッ!」
怒声が反響し、血の混じった唾が床に落ちる。その様子を見て、テレビの向こうの男はゆっくりと笑った。
『悔やんでも仕方ない。今回だって決して無駄ではなかったはずだよ。精鋭を集めよう。じっくり時間をかけて』
どこか甘いその声には狂気が含まれていた。
『我々は自由に動けない。だからこそ、君のような“シンボル”が必要なんだ。死柄木弔……!次こそ、君という恐怖を世に知らしめろ!』
その言葉に応えるように、死柄木の瞳が爛々と燃え上がる。憎悪、狂気、そして確かな執念。暗闇の中、彼の歪んだ笑みだけが静かなバーの店内に浮かび上がっていた。