悔いのない人生を送る。
一見すると簡単な様に思えてしまうが、その実かなり難しい。
先ず第一に、何をもって悔いが残らないと言えるか。計画した当時に定めた目標を無事に達成しても、その時には周囲の環境が当時とは様変わりし、新たな悔いが生まれる事だってあり得る。
そして第二に、人生が、自身の意図に反してしまう場合だ。
自然災害や怪我や病気等々。人生には予測不可能な出来事が数多く待ち構えている。
例えば、若く、怪我や病気とは無縁の人生と思っていても、ある日突如として死の影が舞い降りる事だってあり得るのだから。
「……はぁ、はぁ」
そして、その当事者となった者は間違いなく、悔いを残すだろう。
まだ若く、これからの人生に明るい未来を思い描いていたにも関わらず、それを叶えられることなく人生に終止符を打たれてしまったのだから。
「あぁ、綺麗……」
その当事者たる若者、中肉中背で黒髪という容姿を持つ青年は、今まさに二十年と言う短い人生の最期を迎えようとしていた。
彼は薄れゆく意識の中、目の前に広がっている夕焼け空を目にし、その美しさに感動するかの如く言葉を漏らす。
普段は当たり前すぎて意識していなかったが、今回の機会に改めて目にし、夕焼け空のその美しさを再認識した青年。
だが、そんな青年に反して、周囲からは悲鳴にも似た声が次々と聞こえてくる。
何故なら、青年の身体は血だまりに横たわっているという、惨劇と呼ぶに相応しい只中にあるからだ。
夕刻、交通量の多い十字路、その一角に建てられた電柱に正面から突っ込み、煙を吐きながら無残な姿を晒して停止している一台のトラック。
そして、そのトラックの近く、固く冷たいアスファルトの道路に血だまりを作り出し力なく横たわっているのが、青年であった。
「あ、あ……」
青年はいつも通り、何気ない日常を過ごしていた。
通っていた大学の授業を終え、通り慣れている通学路を使い、自宅へと帰宅する途中であった。
だが、その時は突如として訪れた。通学路の途中にあるこの十字路で信号待ちをしている最中、暴走したトラックが青年に襲い掛かったのだ。
青年の体は、彼の数倍の重量を誇るトラックとの衝突により、まるで人形の如く跳ね飛ばされ、固いアスファルトの道路に打ち付けられて停止したのであった。
「あ……、さ、ん」
最早痛みを感じる事もなく、徐々に視界も狭まる中、青年は最後の力を振り絞り、かすれた声で何かを呟きながら、右腕を夕焼け空へと伸ばした。
それはまるで、可能性の未来を掴み取るかの様に。
刹那、二十年というあまりにも短く、そしてあまりにも唐突な自身の人生の終焉に、青年の瞳から一筋の涙がこぼれる。
そして、頬を伝って流れた涙が、血だまりの上に落ち波紋を生んだ次の瞬間。青年の右腕が力なく崩れ落ち、彼の意識は、冷たい闇の中へと消えていった。
その筈であった。
「……、ん、あれ?」
再び開く事はないと思われていた青年の瞼は、再び開かれる事となる。
そして、意識を取り戻した彼が最初に目にしたのは、見知らぬ、汚れやシミの一つもない、真っ白な天井であった。
「知らない……、じゃなくて。何処だ、ここ?」
あれからどれくらいの時間が経過したのだろうか。
上半身を起こして周囲を見回すと、青年は自身の置かれた状況を確認し始める。
目にしたのは、真っ白な壁と天井、それに自身が横になっていたベッド。一見すると病室のようにも思えるが、不思議な事にその部屋には窓や扉の類が見当たらない、摩訶不思議な空間であった。
「え? 本当に、一体何処だよここ!?」
入る事も出る事もできないという事実に、青年は困惑せずにはいられない。
「あら、お目覚めになられましたか?」
「っ!?」
刹那、一体何処から入って来たのか。気がつけば、白を基調とした衣服に身を包み、綺麗な白銀の髪を靡かせ、神秘的な赤い瞳に美しい容姿を持ちながら、何処か儚げな雰囲気を醸し出す一人の女性の姿があった。
謎の女性の出現に驚く青年。すると、彼を落ち着かせるかのように女性は優しく微笑みながら彼のベッドへと近づいていく。
「驚かせてしまって申し訳ありません」
「あ、いえ。……えっと、看護師さん? じゃ、ないですよね」
近づいてきた女性の服装を改めて視認した青年は、彼女が看護師ではないのだと判断する。
彼女の着ていた衣服は、白を基調にしていたものの、医療従事者等が着用している白衣ではなかった。彼女が身に纏っていたのは、まるで映画やアニメに登場するかの様な、シンプルなデザインのドレスであった。
「はい、その通りです。私は、貴方の元いた世界において"女神"と呼ばれている存在となります」
冗談めいた口調等ではなく、女性は真剣な面持ちで自らを女神と名乗る。これに対して青年は、直感的にこの人とは関わり合いを持つべきではないと感じるのであった。
「その顔、もしかして、私が女神を自称する痛い人だと思ってます?」
「っ! そそ、そんな事は!!」
「冗談などではありませんよ。私は、正真正銘の女神です、
「な! どうして俺の名前を!?」
名乗った覚えもないのに、女性の口から不意に自身の名前が飛び出し、驚愕する八尋。
刹那、自身の所持品の中にあった学生証で名前を知ったものかと考えたが、所持品の姿は部屋の何処にも見当たらない事からその可能性は無さそうだ。
では一体彼女はどこで名前を……。八尋が思考を巡らせ始めた次の瞬間、女性の口から耳を疑う言葉が発せられる。
「尾崎 八尋、男性、二十歳。父親の
「わー! わーっ!!」
両親の名前や自身のアルバイト先。更には、自分自身しか知らない筈の初恋の話等が飛び出し、気恥ずかしさから八尋は慌てて待ったをかける。
「あら? もしかして、私が女神であると信じる気になったと?」
「はい、信じます! 貴女が女神だって信じますから! もうそれ以上俺の恥ずかしい過去を暴露するのはやめてください!!」
「……そこまで言うのなら、この辺で止めておきましょう」
彼女の口調から、もしここで止めていなければ、最早オーバーキルにも等しい事実が陳列されていたのだろう。
寸での所で自身の心のライフがゼロになるのを回避した八尋は、一拍置くと、話を切り出した。
「あの、貴女が本物の女神様だという事は、ここは俺の知っている世界じゃない……、って事ですか?」
「その通りです」
「と言う事は……、ここはまさか天国!?」
「いえ、ここは天国ではありません。勿論、地獄でもありません。ここは、八尋さんが住んでいた世界と、天国や地獄と呼ばれている世界との狭間に存在する世界です」
「狭間の世界、ですか?」
「はい」
天国とも地獄とも形容しがたいこの空間は確かに狭間と呼ぶに相応しいな。等と呑気に考えていた次の瞬間、八尋の脳裏に、自身に迫る暴走トラックの光景がフラッシュバックする。
「っ! ……俺、トラックに跳ねられて、死んだ、んですね」
「……はい、その通りです」
申し訳なさそうに、女神の口から改めて、既に自身が死人である事を告げられる八尋。
すると、八尋は不意に何かを思い出したかのように声を漏らす。
「そうだ。女神様! あの女性は、あの女性は助かったんですか!?」
「覚えていましたか。結果を言えば、あの女性は貴方のお陰で軽傷程度で済みました」
女神の言葉を聞き、安堵の表情を見せる八尋。
二人のやり取りの中に登場した女性とは、八尋と共に信号待ちをしていた女性の事で、八尋は暴走したトラックに跳ねられる寸前、女性を突き飛ばし巻き込まれないようにしていたのだ。
突き飛ばした事で軽傷を負ったようだが、幸い、八尋の行動のお陰で九死に一生を得ていた。
「実は八尋さん。貴方がここにいるのは、その女性が関係しているからなのです」
「え、どういう事ですか?」
「貴方は、死の直前にその身を挺して女性の命を救いました。その立派な行いに感銘し、賛辞を贈ると共に、貴方には、もう一度新たな人生を送っていただきたいと思います」
「もう一度人生を送る?」
「噛み砕いていえば、転生という事です」
"転生"、その二文字が女神の口から零れた瞬間、八尋は期待に胸を膨らませ始める。
アニメや漫画等で描かれている別の世界への転生、所詮は創作物の中だけの出来事と思っていたそれを自分自身が体験できるとあっては、胸が高まらずにはいられなかった。
「本当ですか!?」
「はい。自らの人生をかけて他人の人生を救ったのです、これ位の褒美を与えるのは当然の事です」
「そ、それじゃ、転生する際にチート能力とかももらえたりするんですか!?」
「チート? あぁ、身体能力やその他の能力の付与の事ですね」
「そうです!」
この手の事柄のお約束として、神と呼ばれる存在から能力等を与えられる描写は数多くの作品で見られる。故に、八尋も、今回それが受けられるのではないかと更に期待を膨らませた。
「申し訳ありません。今回、その様な能力の付与はないんです」
「え、そ、そうですか……」
だが、女神の口から告げられたのはそんな八尋の期待を裏切るものであった。
目に見えて分かる程落胆する八尋。
しかし程なく、作品によっては能力を与えられることなく第二の人生を送るものもあり、転生させてもらうだけでもありがたいものだと気持ちを切り替えるのであった。
「勿論、転生を行う事は強制ではありません。もしも八尋さんが望むのならば、このまま天国に行く事も可能ですよ?」
「いえ、俺、転生したいです!」
「分かりました。それでは、ベッドに横になってください」
こうして、第二の人生を送る事を決めた八尋は、女神の言葉に従い再びベッドに横になると瞼を閉じる。
刹那、八尋の体を、温かな光が包み込み始めた。
「八尋さん、貴方の新たな人生が、幸多からんことを願っています」
そして、女神の言葉が終わると共に、八尋の体を包み込んでいた光が一層輝きを増していく。次の瞬間、一瞬のうちに光は姿を消した、包み込んでいた八尋の体と共に。
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