乙女ゲー世界はヒロインと悪役令嬢が相容れない世界です 作:氷破 熾央漓(ひば しおり)
オリヴィアは攻略キャラであるブラッドや王子達と絆を紡ぎ、更には山場イベントの一つである空賊討伐も共に成し遂げてみせた。
もはや以前の様に女子生徒達から平民と馬鹿にされイジメられることも無くなり堂々とした立ち振る舞いは正に名実ともに主人公の貫禄。
それは転生者マリエによって狂わされた乙女ゲームのシナリオの軌道修正がほぼ成し遂げられたと思わせるほど。
自信を持って学園に己の居場所を確保したオリヴィアにはスポットライトの光に照らされてるかの様。
だが光あれば影もある。オリヴィアが光り溢れる道を歩み始めたのと対照的にその前途に影が射す者も居た。アンジェリカである。
決闘が引き分け同然の無効試合となったことでかろうじて公爵令嬢の面目を保ち、公爵家からの勘当の様な処罰は免れることは出来た。
リオンが前世のゲームで見た展開では、無残に敗けたことで公爵家から見放され田舎の醜男貴族の元に嫁がされたのと比べれば上々と言えよう。
だがユリウスからの婚約破棄を覆すには至らなかった。結果学園にこそ残れたものの王子から婚約破棄され公爵令嬢としての威厳は失墜した。
彼女を慕い寄り添い付き添い取り巻きを務めていた女生徒たちは掌を返し去って行った。
今のアンジェリカは公爵令嬢とは名乗ってはいても孤独でみじめな――いや孤独では無かった。
去る者があれば新たに寄り添う者も居る。取り巻き達が皆去ったアンジェリカの側に唯一寄り添う者、それはリオンだった。
リオンがアンジェリカに寄り添うようになったのは、それはある日のこと。学園でばったりと出くわしたアンジェリカとリオン。
「バルトファルト。あの日以来だな。息災だったか?」
アンジェリカにとっては決闘が行われた日の夜、密かに部屋に訪ねて来て真相を明かしてもらって以来の再会。
あの日、別れ際に望んだ通りに再びまみえることが叶ったアンジェリカはその顔に喜びを浮かべる。
「お久しぶりですアンジェリカ様。ええ、お陰様で。アンジェリカ様の方は……大丈夫ですか? 顔色がすぐれない様にお見受けしますが?」
アンジェリカはリオンの指摘に少し驚いた顔を見せ直後柔らかい微笑みを浮かべる。
そして頬に一筋の涙が流れる。
アンジェリカの涙にリオンは自分が何か粗相をしてしまったのかと顔に狼狽の色をうかべると、アンジェリカは気遣うように首を静かに振る。
「スマンな気遣わせてしまったようで。こんな私にもまだ気遣ってくれるものが居たのかと思うと何だか嬉しくなってしまってな……」
アンジェリカの言葉にリオンは、はたと気付く。アンジェリカが一人でいる事の不自然さを。
リオンとアンジェリカは言葉を交わしたのこそ先日忍び込んだ時が初めてだったが、彼女の存在そのものは強く認識していた。
ゲームに置いては悪役令嬢という大きな役割だったのは勿論、押しも押されぬ公爵令嬢。この学園における女性に置いては最も高い地位と強烈な存在感を放っていた女生徒。
そのことを示す様に彼女の周りには常に多くの側付きや取り巻きが従っていた。
だが今の彼女の周りには誰も居ない。
「アンジェリカ様。付かぬことをお聞きしますがお付きの方々は……」
「ユリウス殿下に婚約破棄された今の私は公爵令嬢とは名ばかりの存在だからな。その様な女、付き従う価値もないのだろう」
アンジェリカの言葉にリオンは胸の痛みを感じる。ゲーム通りの惨敗ではなく引き分けや無効試合なら何とかなるだろうという自分の見通しの甘さに腹がたった。
リオンが自身の不甲斐無さに顔を歪めると、アンジェリカはその表情から心中を察する。おそらく決闘の結末が勝ちではなく引き分けだったからこの様になったと責任を感じてるのだろうと。
「バルトファルト。君が気に病む必要は無い。あの決闘の結末、君が居なかったら私の雇えた四人だけだったら引き分けにすら届かず惨敗だったんだ。私にとっては引き分けでも十分すぎるものだった。だから十分感謝してるんだ」
「アンジェリカ様……」
リオンは言葉を継げられなかった。自分はゲームシナリオを言い訳にして全力を尽くさなかった。その結果としての引き分け。
勿論アンジェリカはそんな事情など知る由も無いのだが、それでもリオンに対しかけてくれた気遣いの言葉に申し訳ない気持ちが込み上げてくる。
「今日は君と再会して話せて良かったよ。ありがとうバルトファルト。私はもう行くよ。私の様な評判の悪い女と一緒に居たら君の学園生活に悪い影響を与えてしまうからな。では達者でな」
アンジェリカは微笑みを浮かべて見せる。だがその微笑みは物憂げで寂し気なもの。
立ち去るアンジェリカの背中は、リオンにはあまりにも儚く寂しげに見えた。その姿に思わず声を上げる。
「アンジェリカ様! 俺を……貴女の騎士にしてください!」
アンジェリカはリオンの声に驚きの表情で振り返る。
その目に映ったリオンの顔。そこには強い決意が表れていた。
二人は互いの顔を見詰めながら暫し無言の時が流れる。
「バルトファルト……君の気持ちは嬉しいが、だがそれはあまりにも申し訳ない。君の様に前途ある若者を私の様な評判の悪い女の側に置くわけには行かない。君には私などよりもっと相応しい立派な女性が――」
「居ません! アンジェリカ様よりも立派な女性なんて! 俺は気高くも優しい貴女だからお仕えし御守りしたいんです!」
リオンは胸に手を置き片膝を着きアンジェリカを真っ直ぐに見詰める。
そんなリオンの姿にアンジェリカの瞳に涙が滲む。
「私で……こんな私なんかでいいのか?」
「私なんかなんて仰らないでください。何度だって言います。貴女以外に居ません。俺がお仕えし御守りしたいのはアンジェリカ様、貴女だけです」
リオンの姿に、声に、眼差しにアンジェリカの瞳から涙が溢れる。
「ありがとうバルトファルト。ありがとう……私の騎士よ」
そしてその日を境にリオンはアンジェリカに寄り添うようになった。
アンジェリカの騎士として寄り添うと決意したリオン。
それはリオンなりの罪滅ぼしだったのかもしれない。
婚約者であるはずの王子とその友人たちに敵意を向けられ、孤立無援の状況で心細げに縋る様に助けを求めて視線を彷徨わせていた姿を目の当たりにしながら手を差し伸べられなかった。
その後、気付かれぬよう手を貸したものの、それは決して全力で助けたとは言い難いもの。
本気で助けるつもりなら有無を言わせぬ圧勝をもたらすことも出来たのにしなかったこと。ゲームシナリオの優先を言い訳にして。
偽装の死とは言え、自分の死に涙を流してくれた事。
真相を明かしても咎めるどころか礼を述べてくれた事。
そんなアンジェリカの孤独で寂しげな姿を放っておけなかったのだった。
そして寂しかったのはアンジェリカだけではなかったのかも知れない。
リオンもまたオリヴィアと距離を置いたことに寂しさを感じていた。それは自分自身すら気付いていなかったのかも知れない。
口ではモブと主人公など話にならないと言ってはいたが、それでも彼女と過ごした日々は忘れ難いものだった。
穏やかで優しい性格と愛らしい笑顔は傍に居るだけで幸せな気持ちで満たしてくれていた。
それを手放したことで空いた心の穴は、自覚は無くとも彼が思っていた以上のものだったのだろう。
それでもリオンは受け入れた。オリヴィアが攻略キャラ達と絆を紡ぐことこそ正しい道と信じて。
婚約者に捨てられたアンジェリカと、仄かな想いを抱いていた相手を手放したリオン。
物語の舞台から降りた悪役令嬢のアンジェリカと、物語の舞台に上がる事すら烏滸がましいモブと自身を諫めるリオン。
互いに舞台に居場所を失った者同士。欠けた心を補うように寄り添うのを求めたのは必然だったのかも知れなかった。
それは歪な共依存だったのかもしれない。
そんな共依存の様な歪な関係ではあったがアンジェリカは安らぎを見出していた。
そこには王太子の婚約者と言う重責からの解放もあったのかも知れない。
いや本来ならば解放などとは思えず今まで築き上げてきたものの喪失としか思えなかったろう。
それはリオンと過ごす日々のお陰。
日々を共に過ごすうちにその距離感を示す様にアンジェリカのリオンに対する呼び方も家名である【バルトファルト】から【リオン】と名前呼びに変わっていった。
多くの取り巻き友人に見放されはしたが、リオンとの出逢いという新たに紡がれた絆。
リオンの存在は、リオンの向けてくれる笑顔はアンジェリカの傷ついた心を癒してくれた。
「リオン、君はいつも気が利くな」
自分の寂しさを気遣ってくれるかのように寄り添ってくれるリオンの優しさ。
「リオン、君の話は何時も面白いな。宮廷や貴族社会しか知らない私には興味が尽きないものばかりだ」
リオンと交わす他愛無い会話。
「リオン、やはり君の淹れてくれる紅茶は美味しいな」
リオンの淹れてくれる紅茶。
リオンと過ごすその全てが愛おしかった。
リオンのお陰でアンジェリカの過ごす日々は思いのほか満たされ安らいだものだった。
最早アンジェリカにはリオン無しの日々など想像できない程だった。
アンジェリカに訪れた穏やかな日々。
解かれたかに見えた悪役令嬢の呪縛。
だがその呪縛は未だ彼女に絡みつき縛り付け放すことは無いのか――そのように思わせる一幕が待ち構えていることを彼女は知る由も無かった。
嵐の前の静けさです