何でも許せる人向け。
ピクシブにもあげています。
1.
四つの手で養母の腕をはずした俺は、処刑人の家に預けられることになった。
マントはけして手放さなかった。
腕に鱗が生えていて狼の頭を持つそいつは、俺に言った。
「ルールの最終決定権はリーダーが持っている。俺はルールを破った奴を確かめて罰を与えるだけだ」
生まれて数か月だった当時の俺は言葉をあまり理解できなかったが、後から音を思い出すことはできる。
集落のはずれにある処刑人の家はひどいものだった。半壊した落書きだらけの壁から隙間風が入ってくる状態で、棚からあふれ出た本が床に散らばっていた。隣の小屋にはわずかな家畜が繋がっていた。
薪を割るための体の動かし方も、箒のかけ方も、食器の使い方も奴からは教わらなかった。全部俺が必要に迫られて身に着けていった。
ある日、処刑人が森へ入っていくのを見た。俺は息を殺してあとをつけた。
処刑人が足を止めた。獣道から外れて崖を降りる。水が流れる音が聴こえた。俺ははいつくばって崖の端から下を覗き込んだ。
小川に足を浸したそいつは、じっと何かを待っていた。
不意に腰のベルトから何かを抜き取って、手首の動きだけで投げた。
木の影から巨大な魔物が飛び出してきた。その片目には細いナイフが突き刺さっていた。処刑人の首をへし折ろうと太い腕を振り上げる。処刑人は小川の上を走り、もう一度ベルトから抜き取ったものを投げた。鎌状に湾曲した短剣は魔物の首を切り裂いて戻ってくる。
短剣に塗られた毒が体を巡ったのか、魔物は倒れた。
「やってみるか」
こちらを振り向かないまま奴は呟いた。俺へ向けられた言葉だった。
小川へ降りた俺は、一本のナイフを渡される。魔物の屍に向かって投げた。
切っ先は刺さらず、跳ね返って小川に落ちた。
処刑人の方を見る。奴はもう一本のナイフを手に取り、魔物の屍に向かって投げた。
肉に刺さる音。
「もう一度だ」
ナイフを渡される。俺は構えを真似て、投げる。跳ね返される。
「感覚を働かせた上で疑え。見えること、聴こえること、それだけじゃない」
わけがわからない。俺は言葉にならない声で反論した。
「いずれわかるだろう」
俺は飛び上がって、奴のベルトから鎌状の短剣を掠め取った。
水しぶきが上がる。
「やめておけ。コツが違う」
一番太い腕で力いっぱいに投げた。
屍には刺さったが、戻ってこなかった。
魔物と人間の血が混ざった『混じりもの』の集落。そこに俺はいる。
母親を犯し殺した奴らの中に、処刑人が入っていないことを俺は覚えていた。
2.
ある夜、集落の男たちが出ていった。武装したその群れを俺は眠い目をこすりながら見つめていた。
明かりを持って前を往く三人は顔に布を巻き、腕を隠し、偽装している。『人間』に見せかけて油断させるための役。
「狩りの頭は毎回変わる。覚えておく必要はない」
処刑人は苦い茶を淹れながら言った。
別に仇を探すためじゃない。
馬の嘶き。
群れが戻ってくる。狩りの成果を手に。
翌朝、肉が届けられた。とは言っても、処刑人には臭い内臓が割り当てられていた。奴はそれを小川で丹念に洗ってスープにした。
俺は手をつけなかった。
3.
身体に力が入らない。家の改修を終えて、ここ数日は寝てばかりいる。
マントの隙間から出した中くらいの腕は、以前よりも細くなっていた。若い『混じりもの』は成長が速い分飢えるのも速い。
ドサリと、重いものが置かれた音がした。俺は建付けを直したばかりの玄関を出る。
一頭の馬が、首から血を流して倒れている。投げナイフではなく鉈が刺さっていた。
奴は石を積んで竈を作っていた。
「今回だけだ。次は自分で狩ってこい」
焼いた馬の肉を渡しながら処刑人は言った。
俺はそれを奪って齧りついた。夢中で食らった。
「俺達が人間を旨いと感じるのは魔物の部分なのだろう。喰い過ぎると思考が鈍る。文字が目を滑って零れ落ちていく。だからあまり好きじゃない」
奴は言った。
「お前の理由とは違う。それはわかっている」
俺は何も言わなかった。聴き流しながら、ただ夢中で馬を咀嚼していた。
「飢えに耐えられなければ本でも読んでいろ」
それからは文字を目で追うことと、野生の獲物を狩ることを覚えた。
本をめくるのに使いやすかったのは一番小さな腕だった。他の腕よりも器用らしい。俺はその腕で短剣を投げる練習を続けた。
その日も森へ入っていく奴についていき、魔物を仕留めた。仕留めた後によく耳を側立てれば逃げていく気配がある。魔物も群れるものなのか。
奴は魔物の内臓から肝をより分けた。
「全員に効く毒はあまりないからな」
精製した毒は床下に隠しているのを、俺は知っている。毎朝、隠し扉を開ける音がベッドを伝って聴こえるから。
帰りがけに鹿を仕留めた。持ち帰ったそれを細かく切って、家の中に干した。臭いをどうこう言われることはない。
その夜、処刑があった。
他人の妻に手を出した男が中央広場に吊るされた。もがき苦しむ男を、処刑人はナイフを使って楽にしてやった。
「尊敬される必要はない。ただ追及に手を抜かないことだ。そして誰よりも強くなければ成り立たない」
俺の手を引いて処刑人は言った。
「普段は意識されない。だが、処刑人が死ねばこの集落は内部で喰い合って終わる。生き残るためには、そう心の底で思われておくことだ」
振り向くと集落の者たちが、俺たちを見ていた。怯えた目で。
彼らを殺しつくせるだけの力が処刑人にはある。そうしないのは、自分が生きるためだ。
言葉にはできなかったが、気に入らなかった。
4.
俺と処刑人は、錆びた食器を買い足すために集落へ来ていた。
馬の走り去る音。
集落へ戻ってくる男たち。
「今日は女子供が多いぞっ」
「柔らかい上等な肉だっ」
叫び声がした。
幌が血に濡れた馬車を引きずって、集落の者たちは宴の準備を始める。
一足先に酒をあおっていた詩人が広場に立つ。
「我々は魔物の力と人の知恵をそなえた存在である。我々は純粋な人類よりも、純粋な魔物よりも優れている。我々こそがこの世界の支配者に相応しいのであるっ」
演説をぶって、詩人は三枚舌の大きな口に酒を流し込んだ。
処刑人は背を向けた。俺は食器の入った箱を抱えてそれについていく。
「何も違わない。俺たちは優れてなんかいない。人間のように愚かで、魔物のように脆弱だ」
処刑人は歩きながら言った。
「あらゆる社会に迫害は存在する。どの本に書かれた理想郷も、何かを排除した結果に生まれたものでしかない。この集落の連中は人間と魔物を殺しまくって根絶すれば自分たちが救われると考えているが、混じりものだけになっても迫害は起こる。今は俺だけで済んでいるがな」
処刑人の言葉に、俺ははじめて言葉で反論したと思う。
「本で世界を知った気になって諦めているのは、愚かだと思う」
こんなかんじだ。
「お前も言うようになったな」
処刑人は怒るわけでも鼻で笑うでもなく、ただそう呟いた。
翌日、成人の儀式があった。
集落で生まれた子供たちと一緒に、俺は狩りへ参加した。
「処刑人の子だ」
「毒を使うなよ。食えなくなるだろ」
そんな揶揄を受けたが、俺は気にしなかった。
準備は終わっていたからだ。
5.
次の夜。
床下から毒の入った容器を取り出す。陶でできた浅い壺だった。
食器を削って作ったナイフと、鉞に慎重に毒を塗り付ける。鎌状の短剣にも。
寝床へ戻った。隣のベッドには奴がいた。
俺は鉞を振り上げる。
「行くのか」
奴は呟く。寝言ではない。
「ああ」
「なら、さっさとやれ」
奴はそれだけ言って、口を閉じた。
振り下ろす。
肉と骨を断つ音は聴こえなかった。刃が木枠に当たった音にかき消された。
ベッドが血を吸い、床にまであふれていく。羽織ったマントの端が、血に濡れる。
裸足のまま家を出た。
結論から言うと、毒は全員を殺しつくすには足りなかった。
ナイフも足りない。最初の家でトドメに手間取ってしまった。
三件目を殺し終えた時に鉞は折れた。生まれたての赤ん坊を叩き割る時に、手元が狂った。
やがて異変に気付いた奴らが明かりを持って出て来る。俺は囲まれないように足音を避けて走る。広場に集まっていた奴らの首を狙う。
「どっちへ行った」
「あれっ」
「いっ」
短剣は奴らの首筋をかすめて、戻ってくる。
明かりがひとつふたつと倒れていく。全て倒れたのを見届けると、俺は次の家へ向かう。
余裕があれば奴らの鼻や耳を生きたままそぎ落としたかったが、それもできなかった。
「見つけた」
潜んでいた大人に掴まった。俺はその鼻頭に頭突きを食らわせた。
「こいつっ」
弾き飛ばされる。肋骨にヒビが入ったかもしれない。『混じりもの』の身体だどうせすぐ治る。
そいつは棍棒で滅茶苦茶に殴ってきたが、五発目が腹に当たる前に俺は一番太い腕で棍棒を捕まえた。
「おっ」
最後の一本のナイフを投げた。
遅れて来た援軍も短剣で切り裂く。再生する皮膚を見て毒が尽きたのを知った。気絶したそいつを、俺は篝火の炎に投げ込んだ。
肉が爆ぜる音。
足を引きずりながら俺は最後の家に辿り着いた。集落のリーダー。
幾度か訪問したことがある。あいつと一緒に。だから、内部は知っている。
「起きろ」
寝室へ入るなり俺は最後の一人を蹴り転がす。軽い感触だった。寝床から落とされても起き上がる気配はない。
「そうか、最後の仇になるのか」
横たわったままリーダーは言った。細い触手は一部が枯れて、顔の皺も増えていた。
「言うことがあるだろ、俺に」
「お前の母についてか」
俺は歯を剥き出していたと思う。
「わしらは生きるためにやった。そうするしかなかった。今のお前と同じだ」
「違う」
「何も違わない」
息を吐く音。
「好きにしろ。わしはもう疲れてしまった」
俺は棍棒を振りかぶる。
殴った。再生がはじまる前に、馬乗りになって殴り続けた。骨が砕ける音がして、水気のある音がして、マントが重くなっていくのを感じながら、窓から朝日が差し込んでくるまで殴り続けた。
朝日に照らされた残骸は紺色だった。
6.
処刑人の家へ戻って、靴を履いた。寝室から続く血の足跡は乾き始めていた。
旅支度を整えると、武器になるものを探して集落を漁った。篝火に投げ込んだ死体は完全に焦げていて、悪臭を放っていた。
集落を出た。先日狩った人間たちの「余り」は魔物に食い荒らされて骨を晒していた。
岩山を越えて、森を抜けて、俺は旅に出た。
人間の集落にたどり着いた。
そこでも同じことをやった。
肉は食わなかった。
『喰い過ぎると思考が鈍る』
あいつの言葉が反響するが、関係ない。
了