限界少女とハイスペックダメ人間 作:スティック/糊
なんてことはなく春休みに突入した。
早々大きな事件など起きるはずもない。
夕月の体重と言うか体調の方もほぼ万全の状態にまで戻って来た。
相変わらず一部の脂肪は腹より先にその上にやってくる体質はいかがなものかと言いたい。
その影響か女性らしい月一の特有の現象が久方ぶりにやってきて夕月は自宅でダウンしていた。
飲み始めた軽容量ピルの副作用も同時にやってきているらしい。
避妊目的、と言うよりは思春期特有の不安定な生理周期を整える面も存在しているので、色々と計画は立てやすくなるはずだ。
真護は甲斐甲斐しく世話を焼こうとしてくるし、準備の手際も非常に良かった。
藤宮家ではそこら辺のことしっかり教えられている……?いいご教育で。
ソファーの上でひざ掛けに湯たんぽと白湯を手に持ち、ソファーの上の住民と化していた。
構いたいけど構ってはいけないとソワソワしている真護が見ていられなかったので義父母から送られてくる荷物の一部が義弟のものも含んでいた件を思い出し、届けてきたらどうですかと一時部屋から出した。
……自分でも露骨に情緒がアレではないかと嫌悪してしまうが、真護も女性にしかわからんことは俺にはどうにもできんが、最大限支えることはできると言ってくれている。
できた旦那過ぎる。
自分で少し出てくれと追い出したはずが直ぐに寂しさを感じてしまう自分は馬鹿ではなかろうか。
静かな部屋でゆっくりと温くなっていく白湯。
保温性能がいいタンブラーらしく手に持っている分には熱くないのだが、湯気が消える気配は遅い。
以前真護は義両親のことを『子に気を使われるよりも構い倒したい派』と称していた気がするが、真護も間違いなくその部類だ。
遺伝を感じる。
どうあがいても一定期間はダウンしてしまいそうなので、半分ほどに減った白湯を見て湯たんぽを持ったまま寝室に引きこもることにした。
……汚れることはないだろうが大きめの彼のスウェットを借りてしまおう。
ウォークインクローゼットから適当な彼の服を拝借し、それを着て大きなベッドで小さく丸まった。
……デカくて広くてちょっと寂しい。
教会暮らし時代よりもずっといい暮らしのはずなのに、大きなベッドの空白がやけに寂しく感じた。
夕月は連打されるチャイムの音で目が覚めた。
……?
ゆっくり寝たからか倦怠感は幾分かマシになってた。
連打をしてくる人などいるのだろうか。
夕月の知る限り真護の交友関係は非常に狭いものだ。
本人が口下手を自称するだけあって積極的に新たなコミュニティーを形成するタイプではないし、本が一杯になったらコロッと住所を変えるようなタイプの彼の住所を把握している人など限られているはずだ。
それこそご両親とか、彼の弟とか。
あまりにも連打されるチャイムに頭が痛い。
誰であれ文句の一つでも言ってやりたい。
彼が家を空ける際に子供に諭すように『チェーンは外すな』『インターホンモニターから来客を確認しろ』『郵便だったら再送してもらうからでなくていい』と念を押されていた。
なので夕月はインターホンモニターから応対することにした。
『あ、先生。秋望先生!先日送っていただいた原稿についてご確認したいことがあるのですが!』
「やかましい、インターホンを連打するな。近所迷惑と言うことも理解できないのか貴様」
……おっと、悪い口が出てきてしまった。
いかんいかん、気が抜けていた。
「と言うか貴様は誰だ」
『あ、ひゃ、ひゃい。あ、あれぇ……ここって秋望先生のご自宅では』
「誰だ」
『あ、私不死川書店編集部の鍵尾と申しますぅ……』
書店編集部、旦那の仕事関係だろうか。
そうすれば概ね理解はできる。
気が立って強い口調で注意してしまったのかモニターに映った30手前くらいの気の弱そうなスーツ姿の男性を見てなんとなく察した。
「アポは」
『あ、あの先生が電話に電話と申しますか……よくあることで……あの、こちら秋望先生のご自宅で御間違いないでしょうか』
「……御社のコンプラはどうなっている。夫にはこちらから折り返すように伝える。二度とチャイムを連打してくるな、出直せ」
夕月は気が立ったままモニターを切り、自分の部屋に置いたスマホの元に向かう。
未だ慣れないスマホの操作で電話帳から『旦那』の文字をタップするとワンコールで彼は出た。
『どうした何があった、緊急か。救急車呼ぶか、直ぐに帰る』
「……落ち着いてください。真護さんの編集の人がチャイムならして鬱陶しいので折り返し電話してください」
『あ』
直ぐに電話を取った真護に過保護が極まっていると、何とも言えない気持ちになる。
「どうして私の電話は一瞬で取るのに仕事の電話は出ないんですか」
『……すまない。作家とは編集の電話に出たがらない生き物なんだ』
「ただそれだけです。気が立って少し強い口調で出直せと言ってしまったので謝っておいてください」
『わかった。食欲はあるか』
「ぼちぼち……でしょうか」
『わかった。何か買って帰る』
「急いで事故しないように気を付けてくださいね」
『ん』
とりあえずこれで大丈夫、なハズ。
夕月は再度布団に戻って寝た。
〇 〇
「復活しました」
「そうか」
夜までゆっくりと寝た夕月は真護の作った夕食を食べながら雑談をしていた。
……この人料理できない訳じゃないんですけどめんどくさがりが極まってるんですよねぇ。
なんというか思い付きのままレシピを見てこれ食べたいと思ったらその通りに作れる技術はあるのに、本能的にやりたい事しか手が出ないタイプなので非常に偏りが存在する感じ。
「些か気があれて私もまだまだ未熟ものですね」
「……年齢を鑑みれば年齢以上に精神は育っているように見えるが」
「そう見えているなら張りぼてだろうと被っている甲斐があると言う物です」
気が立っていたと言うか、気が弱っていたというか。
あのような口調が出てくるのはちょっとした虚勢の様なものだ。
争わなくて済むならそれに越したことはない。
そうするためには圧倒的に上に立つしかない。
そんな理論の様なもので、少し圧をかけるように強い口調で喋ってしまった。
反省。
割かし人より自制することに慣れている夕月を見るに真護からは幾ぶんか大人びて見えるらしい。
「子供が大人になるのって、どちらかと言えば子供で居ることが許される時間がいつ来るかでしかないと思うんですよね。それは年齢であったり、私で言えば環境であったり」
人間、生きている内に気がつかぬ間にポンポンと責任と言う物ばかりを積み上げられてしまうのだから、それに耐えられるように己を鍛えなくてはいけない。
夕月にとって“魅力的な人の条件”の一つとして、精神的に余裕があることを上げる。
余裕がなければ、その責任のあり所を人は探してしまう。
「真護さんも新成人には見えないくらい落ち着いているじゃないですか」
「俺は、兄だからな。情けない所を見せたくなかっただけだ」
……そう言うのもあるのだろうか。
万年一人っ子、教会も孤児院と言う訳ではなくどちらかと言えばシスターの戸籍上の子供になって面倒を見て貰っていた形になるので夕月には分からない感覚であった。
「俺もどちらかと言えば虚勢張っているだけで大概クソガキだ」
「自覚があるだけマシと言う物ですよ。言動は割かし適当ですが真摯な行動は立派な大人に見えます。こう言うのをなんというんでしたっけ、ここぞと言う時に頼れるタイプ……?いえ、全面的に頼れているんですけど」
「俺は頼りになっているのだろうか」
「それはもう。おんぶに抱っこですとも」
「そうか。それならいい」
なんというか、こういう所で卑屈なのだこの人は。
「なので疲れた時には甘えるくらいはしてくださいね」
「成人男性が女子高生に甘えると言う構図は」
「いいんじゃないですか、貴方の奥さんなので」
「……もっと頼れる大人になるよ」
「そんなに気負わないでください。なんと言うか、私に家族と言うカテゴリーの知識が少ないからそう思うのかもしれませんが、義両親みたいな仲の良さは憧れますし……ね?」
「それは、一番理解しやすいな」
夕月はこうしてくれている彼に何かを返したい。
少なくとも、溢れるほどにぶつけられている行き場のないそれを彼に押し返すくらいは許されるはずだ。
「そう言えば編集が」
「……何ですこれ」
「虎屋の羊羹。詫びの定番品」
「……どちらかと言うと初対面の人間にキレた私に非があるでしょう」
「コンプラ的に問題があったのは事実だ、とすごく平謝りされた」
「あの、大前提は真護さんが電話ブッちしたからですからね……?」
「………善処する」
この副次効果か、真護と夕月が出会うきっかけになった飲みの場……出版社の慰労会に上からの圧を断り切れず、真護に泣きついてどうにか来てもらうと言う手段を担当編集はとれなくなくなった。
いつの間にか結婚していた先生の奥様怖い!
だが作家と連絡がほんの少し取りやすくなったため、とても感謝した。
〇 〇
春休み3日目。
真護が「……編集から新作の受けが非常に良い」と作品を詰めるため書斎に引きこもったため、夕月は食事やおやつを手軽に食べられるものに調整するなど色々としていたのだが「癒し……癒しが欲しい」と愚痴り始めたので一つの提案をした。
「仕事がひと段落したらちょっとした旅行に行きましょう」
年明けに作った御朱印帳を持ちながらそう提案してみれば、2泊3日は絶対に確保してやると真護がすごい気合を入れ始めた。と言うか直ぐに宿を高速で取って、それまでに終わらせると言わんばかり。
有名な温泉地らしい。
その間真護は夕月に構えないと嘆き、家族孝行している時が一番稼いで良かったと実感するから、と夕月はカードを手に適度に散財してきてくれと言われたため適当な街に繰り出した。
温泉に行くと言うことは、まぁそう言うことなのだろう。
頑張った旦那を労わるのは妻の務め。
一仕事終えた後に、と言えばまぁ……?
……身だしなみでも整えるか。
黒から脱染した髪色を本来の色味に近づける感じに染め直し、その色合いも適度に落ち着いてきた。
3ヶ月では対して髪は伸びないが、綺麗に伸ばしていくなら適度に毛先を整えていくのは大事なことだと言うので美容室の予約を取って、髪を切ってプロにケアしてもらった。
普通の人は月に2回くらい行くとか‥…?
よく、分からない……。
あ、サロンモデルとかはやらないです、はい。
……数か月前なら給料さえ良ければ首を縦に振っていた説がある。
大前提としてこのサロンがメアリの姉が経営に関わっている美容室であるからだが。
とてもサービスしてくれると言うか、店員さんのキャラが濃いと言うか……決して悪い所ではないし、夕月自身も色々とケアについて教えて貰えるので大変助かっている。
頻繁に通いたい訳ではないが、良い所。そんな印象だ。
流石に素人の自分が適当に毛先を整えていたのとは雲泥の差。
しっかりと伸ばしていくなら痛んだ元の部分をがっつりと切ってしまうのも手であるとは言われたが、旦那はどちらかと言うと髪が長い方が良いらしい。
……例によってその言い回しが俺には決められないから好きな方にしてくれと言う言い回しではあったが。
そう言う割には、髪に軽く手櫛する様に触ってくるので、触り心地は良い方がいいだろう。
……そうだ、私のケアを集中的にするよりも真護さんをケアすると言う手段があるじゃないか。
本人的には自分の優先度が低い人だから何とも言えない顔になりそう。
そう思う割には不精髭を生やすことはないし、ニキビなんかを見たことがない。
身体機能は集中力に繋がるからと、平均値よりは鍛えられている。
……やはり髪だな。
結構彼の髪質は良いからか、撫でていて楽しい。
ブラシの一本でも買ってしまおうか。
一応、と言う気持ちで美容室のスタッフに聞いてみれば色々な櫛とブラシを紹介してくれた。
美容室の店舗と通販で取り扱っている各種らしい。
腐るものでもないのでタイプの違うものを2種類づつ買ってしまう。
……まぁ、一本私用の物を入れておけば彼は許してくれるだろう。
〇 〇
身だしなみは整えた。
化粧は……高校生なので簡単なリップ程度で許してもらおう。
……コレから覚えられるのか化粧。
勉強しておこう。
下着も買った。
アンダーが細めだからかあまりものが見つからず苦労した。
……デカい胸に利点ってなくないだろうか。
最近は彼の手で育てられている説が濃厚で、体格差から彼の手からややはみ出るサイズが、普通にはみ出るようになってしまった。
維持管理費は彼の財布から出ているので好きにすればいいと思う。
買ったのは皐月調べによる男が大体好きそうな引っ張ると解けるタイプの下着だ。
荷物を持った状態でどこか娯楽施設に行く気もない……と言うか入ったことがないし、一人で入るものでもないだろう。
そんなことを考えていると美容室に居た時間がそこそこかかっていたのか良い時間になっていた。
早々に帰ろう。
自宅の冷蔵庫に何が残っていたか。
ここ数日は食べやすさ重視にしていたから少しがっつりめにしてしまおう。
となると……丼もの?
牛丼も捨てがたいが、なんとなく気分としてネギ塩の豚丼を食べたくなってきた。
薄いスライスの豚バラをサッと炒めて斜めに切って存在感を出した長ネギ、ラードと塩とほんの少しの中華調味料。
そこにゴマを振りかけて、脇にしば漬けがあればいいんじゃないだろうか。
うん、そうしよう。
豚バラと長ネギを買って帰ろう。調味料の類いはあったはずだ。
「あれ、まひるん?」
帰路に向けて歩み始めると正面からやけに響く声が聞こえた。
夕月はゆっくりと視線を上げると、快活さを感じるショートカットの少女が居た。
ちらりと周囲を見渡してみるが、周辺におおよそ女性名を指すであろう“まひるん”とやらに該当しそうな人物はいないし、彼女の視線は真っすぐこちらに向いていた。
「まひるんは今日お出かけ――――って髪が短くなってる!?え、え、え周と破局!?」
ひょこひょこと近づいてきた彼女は手が触れるまでの距離までやってくるとこれである。
快活な見た目通りの大きなリアクションだ。
「え、でもその割にはおっきいジャケット……メンズものだよね。まさか周にピンチ!?」
……。
前回は羽織らせたことで味を占めたのか、比較的軽量のメンズもののジャケットを羽織らせてくるようになってきただけです。
なんて現実逃避をしている訳ではない。
仮にこれが男性だったら相手がいる身としてきっぱりとするのだが相手は同年代の女性だ。
あまり力強い言葉でどうこうする訳にもいかない。
「でもセミロングのまひるんもかわ―――」
「失礼ですが、何方かと勘違いされていらっしゃいませんか」
「塩!まひるんが塩!?」
……おかしい、熟練の接客スマイルなんですが。
夕月は接客業で鍛え上げた
「あの、私はそのまひ何とかさんではありませんよ」
「――――え゛」
「人違いです」
夕月は笑みを張り付けたまま、否定する。
夕月の名前に旧姓を含めても「ま」「ひ」「る」「ん」の文字はない。
確実に人違いだ。
そう否定すると彼女の視線は夕月の上から下までゆっくりと移動する。
……往復3回。
「人違いでした!すみませんでした!」
すると要約私がそのまひ何とかさんと別人であることを認識したようで90度とやかくと言わんばかりの角度で謝罪をして来た。
うん、しっかり謝れるって素晴らしい。
接客していた時の間違いを認めない中年サラリーマンの数百倍マシだ。
「はい、以後そのまひ何とかさんにもご迷惑になるでしょうからお気を付けください」
「は、はぃ……」
「謝ることが出来て偉いですね」
夕月は思わず顔を上げてしょ気る彼女の顔がどこか犬っぽくて思わず撫でてしまった。
中々いい髪質をしていらっしゃる。
……いや、あかんて。
「では」
夕月は思わず手が伸びてしまったことを誤魔化すようにそそくさと退散していった。
……あれ、さっき彼女が言っていた周と言う名前真護さんの弟さんの名前じゃなかっただろうか。
まさか、ね?
〇 〇 ……▼
「え、アレ本当にまひるんじゃないの?」
ほんの気持ち速足で去っていく彼女の背を見て快活な少女、白河千歳は親友の姿を幻視した。
「ちぃ、急に『まひるーん!』って言いながら走って行ったと思ったらどうした」
「え、いや、うん。ジェネリックまひるんだった」
「じぇね……?」
赤澤樹は春休みデート中に突如駆けていった彼女に追いついたと思ったら固まっていた。
どうにも言い分を聞くに彼女もであったらしい。
椎名真昼にそっくりの女性に。
「流石の私もしっかり見なかったらわかんなかった」
「俺が見た時はアレだったな。すっごい独占欲溢れるアイテムがあって『あ、これ周がやってんじゃねえわ』ってなったら冷静に見れた」
「まぁ、周も流石にねぇ……」
「ちなみに周に確認した所椎名さんは一人っ子らしいので完全に空似だ」
「え゛アレで!?」
「アレで」
本当にそっくりさんっているんだねぇ……。
千歳は先ほど走り出したことを彼氏に謝りながら、自宅へ送ってもらう帰路に着きなおしたのであった。
だんだんとニアミスっていく……
夕月は機嫌と体調がセットで悪いと口が悪くなっていくタイプ。
電話を折り返した旦那氏は「アババババ」とか言っている担当のリアクションでピンポン連打の件をつい詰めるタイミングを失った。
原因はほぼお前である。
暫らく旦那の担当編集には誤解される模様。