幻影   作:塩漬鰯

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#3

 

 

◇怪しい店の奥から

 気軽に人生相談するには心配な相手だが、不可解な出来事はこいつに聴いたほうが良い。

 

「視点の混濁ですか」

 

 興味なさげな声は中性的だった。元の性別もわかってしまったが、それで関係が変わったということはない。

 幽螺屍奇。

 身体を乗り換えつづけ五百年生き続けている魔術師。敵対していた時は体を乗っ取られたこともある。だが奴が彩香に助けられてから、なんだかんだと共同戦線を張る間柄になっていた。奇妙な信頼関係は今も続いている。

 

 幽螺はかつての『魔法の店』を再開した。四方の壁にかかった蝋燭で薄暗い部屋は照らされていた。周囲には商品兼商売道具が所狭しと並び、その中には丸い球の代わりに複数の輪を組み合わせた地球儀のような、見覚えのあるものもあった。床には文様が編み込まれた薄い絨毯だけが敷かれ、俺もその上に胡坐をかいている。

 

 今の幽螺は人間の姿だが、頭から全身を黒い布で覆っている。そのために体勢がはっきりとはわからない。布で覆われていないのは前腕から先だけで、そわそわと細い指を動かしている。

 

「たしかゼノファストは覚醒中も常時視点を変えておりましたが、今の草薙さんは自分で制御できない状態にあるのですね」

 

「ああ。とはいっても、意識していれば固定はできる」

 

 かつて戦った外国人想師の名を幽螺は出した。あの忙しなく旋視しつづける奴の精神状態を心配したものだが、俺も他人事ではなくなってしまったのか。

 

「そのうちに使える視点も減っていくかも知れない」

 

「限界を定めるなと、あなたの師匠も仰っていたと思いますが」

 

「年齢を重ねれば自然と狭まっていくそうだ」

 

「まだ三十路も迎えないうちに衰えですか。私は現役ですけれどね」

 

 自分のことを『わたくし』と呼び、幽螺は皮肉で応えた。九鬼みたいなことを言う。そういえば、師匠もどのくらいの年齢からとは言っていなかったな。

 

 幽螺の後ろから人形がたどたどしく歩き出てくる。

 フェルト製で、茶色い糸で口が刺繍されている。ボタンの目がくるくると動いていた。目鼻の位置がずれた不細工な人形は、天承師匠に作られた奴の仮の身体だ。

 奴を仕事に連れていく時はこれを手に携えていた。傍から見れば異様な光景だろう。

 

 人形は俺の前に座り腕を組む。こういうことをされると、どちらが奴の本体かわからなくなってくる。

 

「しかし草薙さんの調子が悪いとなると、あおぞらの警備にもすこし不安が出ますか」

 

 どうやら俺は防犯装置扱いらしい。

 人間体の幽螺の細い指が袖に隠れ、小さな紙片を取り出した。人形がそれを受け取り、俺の膝まで歩いてくる。

 

「お守りをつけておきましょう」

 

 赤い線でシジルが書かれたその紙片が燃え上がり、その煙が俺の顔に当たった。思わず目を閉じる。煙は鼻腔と皮膚に染み込み、すぐに不快感は消えていった。

 以前、意識リンクのために使い魔を頭に埋め込まれた時よりは幾分マイルドだ。炎に接していたはずだが、人形に焦げ跡はない。

 

「車での移動も控えているようですし、旋視したままの生活に慣れれば大丈夫ですよ。昔のように一般人を殺しまわったりもしないでしょうし」

 

「嫌なことを思い出させるな」

 

 たしかに視点が揺らいでいる今、一番心配なことはそれなのだ。人と無機物、敵味方の区別もつかない状態になるかも知れない。俺が視点を使って最初に行ったのは殺人だった。

 

 あの時の俺がどんな状態だったのか、はっきりとは思い出せない。ただ終わらない宿題に頭を抱えていたのは覚えている。俺が両親を殺してしまった原因は、受験勉強のストレスとも言えるかもしれない。未熟だったとはいえ、母と父が人形に見えたことも、それに対する行動も、当時の俺が深層意識の中で望んでいたのだろうか。

 冥界から来た二人は許してくれた。だがそれで全てが帳消しになったわけではない。

 

 

「ところで……」

 

 幽螺の声が響く。

 部屋の四方に置かれた蝋燭。炎が揺れ一瞬部屋が暗くなった。一瞬だが、目の調節が追いつかず、視界が滲んだ。

 黒い布を被った人影は細い指を動かし続けている。蝋燭が消えたわけではないのに、視界は暗くなっていく。

 

 閉じた瞼の裏を、青白く光る文様が電流のように拡がる。

 文様は数式のようにも見え、文字列として読めそうな気がした。日本語でもアルファベットでもない。だが、その異界の言語を理解していた自分を知っている。

 しかしどうしても思い出せない。忘れてしまったのだろう。光は徐々に消えていった。

 

 瞼を開くと部屋の明るさは戻っていた。幽螺の指の動きは止まっている。

 

「大丈夫ですか。草薙さん」

 

「ああ」

 

 俺は、それだけ答えた。

 

 

 

 

「ところで、彩香さんのことなのですが」

 

 

 

 

 

 

 

「私にできることは限られています。『自然のままに』が、彼女の思し召しゆえ」

 

 野良猫が幽螺と同じ声でそう言った。

 

 視点が不安定だ。足取りが慎重になる。コンクリートが一瞬ぬかるみのようになり、足が沈みかける。慌てて視点を調整する。視界の全てがセピア色の樹木で構成されたが道は歩ける。黒猫は細い線で構成された姿に変容し、トコトコと通り過ぎていった。

 

 十分も歩くと視界は変わり、樹木は紫色に変化し腐り落ちていく。ここまで来ればあおぞらまではもうまっすぐ直進すればいい。真っ直ぐ歩けるのなら。

 足場が崩れていくたびに視点を調整する。現実に影響を残さなければいいのだが。

 視点を調整し続け、灰色の殺風景な喫茶店の中へどうにか帰り着いた。幾度か視点を変えると見慣れたあおぞらの内装になる。まるで、壊れたテレビだ。

 頭痛がする。これから外を出歩くたびにこの調子だと思うとうんざりした。だが、明日も見舞いに行かなければ。

 

 頭が重い。鈍い痛みがする。階段をどうにか上り、寝室に入る。

 ジャケットを脱いで横になり、明日の準備もしないまま眠りに落ちた。

 

 

 

◇寝室

 

 

「元気ねえじゃねえか」

 

 目を開けると、もう夜だった。

 寝転がったまま窓に顔を向けると、サボテンの鉢が並んでいた。月明かりで棘が白く光って見える。

 視点を調節すると、漫画のような顔を眠たげにしかめてこちらをうかがっていた。

 

「まあな」

 

「すぐ寝ちまっただろお前。喉が渇いてしかたねえ」

 

 金晃丸の金太郎の声は、彼には珍しく低い調子だった。休業に合わせて、今は残った子株たちごと寝室に移動している。

 俺は身体を起こした。冷蔵庫から缶ビールを出して鉢にかけてやる。最近は自分では飲む気が起きない。こいつらのために買ってやっているようなものだ。

 だが、反応が薄い。いつもならこいつは親父臭く喜ぶものだが。

 

「どうした。お前こそ」

 

「俺だってセンチメンタルになることもあるんだよ」

 

「病院に行っていたのは金次郎だったか」

 

 まさか枯れてないだろうな。

 充電器に刺さっていた携帯を開く。着信は来ていなかった。

 

「元気だよ。元気。あいつばかり元気でもしかたねえけど」

 

「……」

 

「こういう時、俺らは無力だよな。ペヨーテの爺さんならまだしも」

 

 いつか金晃丸が連れて来たペヨーテという大サボテン。彼自身が幻覚を使うだけでなく、針から出る成分自体が幻覚を見せる作用があるという。苦痛も幾分か和らぐのだろうか。試すつもりは無いが。

 九鬼の姿も思い出す。燻らせていたあの紙巻。お前にはまだ必要ない。奴はそう言っていた。

 歳を重ねるごとに視点の幅は狭くなると師匠は言っていた。この仕事を続けようと思えば必然的に関わっていくものもある。幻術師とも戦い、魔術師には今日会ってきた。酒も公然と認められているだけで、現実世界から意識を逸脱させやすくする薬の一種と言えなくもない。

 いずれ人間の肉体と精神では持たなくなるだろう。朽ちる体と共にその一生を終えるか、あるいは人間を捨て、完全な化け物となるか。そうなることを恐れて俺は引退を決めたのだ。

 

 彩香はどうしているだろう。

 今朝も彼女はよく話した。俺がたどたどしく剥いた不細工なリンゴをおいしそうに口にして、気丈に振舞っていた。顔にはすこし陰りが落ちている気がした。

 子どもが無事生まれてくるかどうか、五分五分の確立だという。「大丈夫」と何度も彼女は言った。

 

 俺は自分の子が恐かった。

 

 今日、彼女に話した。彩香はただ「先のことはわからないから」と言って、微笑んだけだった。

 

 彩香の胎内に命が宿ったと聞いた時、驚きはした。だが仕事中に倒れ、隠れて嘔吐を繰り返す彼女の方が心配だった。

 望んでいないわけではない。彼女が欲しているのなら俺は受け入れたい。だが想像すればするほど悪い想像ばかりが育っていく。

 苦しみながら喜ぶ彼女と、周囲から送られる祝福。彼女たちと俺の意識のギャップを感じ始めた頃に、視点が入り混じるようになっていた。

 

 一番恐れているのは、彩香を失い、子どもだけが生き延びた時だ。自分に奇跡的に父性が芽生え育てられるならいいが、彼、あるいは彼女を、罪のない子を、恨んでしまわないだろうか。彼女を失った原因として愛してやることができないのではないか。

 血の繋がりなど薄い。血の繋がった相手を、俺は殺してしまったのだから。

 

「しけたツラすんなよ。どうせお前、自分の子どもが怖いとか思ってんだろ」

 

 こいつは妙に勘がいい。金晃丸の漫画のような口が大きく開き捲し立てる。

 

「俺だってよぉ、自分の体に金次郎がぽこっとできた時は、不安だったさ。不安だったような気もする。うん、たぶんそうだ」

 

「本当か?」

 

 そんな様子はなかった気がする。俺が子株を指摘しても気にするなと言ってビールをねだって来たのを覚えている。

 

「でもな、いざ出来てみるとかわいいもんだぜ。俺によく似ていてよ」

 

「お前が自分大好きだからだろ」

 

「おうっ、そうだな」

 

 サボテンは快活にケタケタと笑う。彼の子どもたちは眠ったまま何も言わない。

 

「俺は自分が嫌いだからな」

 

 笑い声が止まり、金太郎はそれ以上何も言わなかった。漫画のような顔は目を閉じて口をへの字に曲げた。

 俺は視点を戻し、空になったビール缶を捨てに台所へ戻った。

 

 

 

 眠くはない。眠れる気もしないが、どうせそう思っている間に眠りについてしまう。寝ている間、少なくとも意識からは、彩香を心配する気持ちが消えてしまうのだろう。病院からの連絡で携帯が鳴らないことを祈りながら、俺は一人ベッドに入る。

 

 自分の薄情さが嫌になる。

 彼女は、それも許してくれるのだろうか。

 

 

◇あの場所

 

 

 睡眠中に来れるような場所では、ないはずだが。

 

 俺は銀色の空間に立っていた。空間全体が、空気そのものが光っているようだ。足を付ける地面はあるが、壁や天井はなくどこまでも広がっている。俺の姿はシャツとスラックスを着た人間の姿だった。黒いガーゴイルではない。

 顔を上げると遥か上空を鷹の姿をしたナビゲーターが滑空していた。円を描き旋廻している。

 ここは想念世界だ。

 空間にはいくつも椅子が方向も場所もバラバラに置かれている。その上に腰かけているはずの者たちは今は見えない。

 この空気には覚えがある、だが、少しおかしい。振り返ると黒い人影がいた。

 

「やあ」

 

 声が響いた。首筋をひたりと撫でる冷えた指の様な。空間が人間のシルエットの形に、完全な黒の穴をあけている。突然のことに体が硬直するが、呼吸を整え、視線を外さないようにして観察を続ける。

 空間の穴が変化していく。銀色の部分が浮かび出て、黒い色に混ざることなく流動していく。穴が裏返り立体的になる。顔に当たる部分に、目鼻の形が浮き上がっていた。

 薄く笑っているような細面の顔。不吉なまでに青白い肌。

 人影は、銀色の髪の、黒いシャツとズボンを着た男の姿になった。現実世界ではその髪も黒いままのはずだ。

 

「とりあえず、おめでとう」

 

 死神から祝辞を貰ってもあまりうれしくない。

 

 

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