◆作戦の開始地点
見慣れた光景だ。
起伏のない枯れた黒い地表。白と黒しかない景色。
正面には地平線を遮る建物がある。細い柱に同じ太さの梁、脆弱な骨組みに各所に薄い板と布を渡し、その素材で四階建てまで作られている。
今まさに崩れんとする最中であるかのように斜めに伸びた、はりぼての城。その一番上にはやはり頼りなさげに、薄っぺらい胴体に内臓袋を貼り付け、首の皿に脳と二対の目玉を乗せた人形が掴まり立っている。
『鬼の視点』で見る建造物にしては、まだ堅牢なほうだ。
麓に停まった車から下りて私はすぐにその『視点』へ回り込んだ。『だいだらぼっち』なら三歩で終わる距離だったが、今回は禁じられている。目標の物が漏れ出せば一帯を封鎖しなければならないらしい。車は背後で待機している。目を向ければ、骨組みの中に内臓をぶら下げた人形が座っているだろうが、その必要はない。
目の前に見えている城は『現実』であれば巨大な断崖に掛かって建てられており、監視を張り巡らされた唯一の道以外からは到底辿りつくなどできない。霧の立ち込める山深くの渓谷で、空から侵入しようにも茂った樹木が邪魔をする。この立地も私に白羽の矢が立った理由の一つだろう。
大昔もこの視点を使って険しい山岳を越えようとする敵大将の軍に奇襲をかけたことがある。後に聞いた話では、足の掛け所もないような崖を私は重い具足を着たまま縦横無尽に走っていたらしい。今立っている場所もおそらく獣も通らない道だ。
屋上に居た人形がこちらを見て下へ引っ込んだ。見つかったのだろうが気にすることもない。足取りを速めることも、遅くすることもなく、私は調子を保ったまま近付いていく。
城の目の前に立ってみると意外に規模は大きい。白い布の中心に、私は人差し指を出し、爪をひっかけた。その手は鬼のように赤く、爪は長くとがっていた。
そのまま腕をおろし、慎重に布を裂いていく。城そのものを壊さぬよう。
そう。壊すか、殺すかしか能のない私だが、今日はそれが仕事ではない。
二体の人形が出迎えた。抱えた細い筒から弾が撃ちだされる。二発の弾は水中に落とした墨のように、交差してジワジワと拡がり、黒い飛沫となって散った。裂けた布に染みをつけただろう。
私は腰をかがめてそれを避け、立塞がる人形の間をくぐり抜けていた。二層目の垂れ布を捲って奥へと入る。背後で人形が騒ぎ始めた。動揺する本音とは別に、鳥が鳴くような甲高い音が聞こえてくる。仲間への連絡だ。
面倒な事になりそうだ。
中央に向かって走る。柱と布が複雑に巡らされた陣中を、私は獣のごとく背をかがめて進む。足を引っ掻けた柱が傾いたが、どうにか建物は崩れずに済んでいる。
壁を越えるごとに筒を抱えた人形が立っていた。どうやら私の場所を正確に捉えるような機構があるらしい。動きは遅い上に、当たったところで大したことはない。
四つ目の壁を越えたところで大群に囲まれた。広く取られた空間で三階まで吹き抜けになっていた。斜め上に黒い青天井が見えた。中庭か。二階の隊列は全方位から正確に狙いをつけていた。
大筒から蜘蛛の糸のようなものが発射される。動きを止める鋼線網だろう。腕に絡まるが、振り払うと簡単に千切れ落ちた。弾は雨あられと途切れず飛んでくる。私は進路を変えることなく走り抜け、正面にいる人形をなぎ倒そうとして、思い直す。
私は跳んだ。隊列は突如向かってくる化け物に驚き、筒を抱えたまま散っていく。鬼の爪に掴まれて床板にみしりとヒビが入る。
着地した場所が黒く染まる。下階の待機列からだ。射線の集中した所から梁が溶けていく。飛沫の当たったくるぶしが痒くなってくる。私は床を踏み割って飛び降りる。下で待機していた人形も避けて、私は顔を拭いながら次の層へと進んだ。
聴覚は城守の混乱した本音の声で埋め尽くされている。
破壊を避け、時には捨て身で突っ込んでくる人形を躱しながら走った。流れ弾で自滅するものも居ただろうが。
この視点を使いながら、ここまで気をもんだのはいつ頃ぶりだろうか。走りながら、私は笑いをこらえていた。
本陣の中心は木板で五方を厳重に囲んでいた。北側の一角に細い隙間がある。私は爪を入れて粗末な扉をこじ開ける。内向きに白い布が貼ってあった。
中に入ると頭から白い布を被った人形が八体。中央に灯篭のような台が立っている。その中に、手のひらに収まるほどの黒い木箱が鎮座していた。
私が中心へ向かう間に人形たちは壁に沿ってゆるゆると逃げはじめた。壁の切れ間に集中して我先にと出て行こうとする。
いや。逃げようとしなかった一体が、私と灯篭の間に立塞がる。
その腕には砲が抱えられている。先ほどの人形たちの物よりは幾分か上等のようだ。被っている布をよく見れば、胸のあたりに名が書かれている。顔は判別できないが『名簿』で見た名だ。
私と、依頼主であるこの国の軍事組織は、奴を手掛かりにこの施設を突き止めていた。奴はいわば間者だった。
発砲。二発の黒い粒は拡がることなく真っ直ぐに飛ぶ。避けられないこともないが、退屈していた私は食らっておくことにした。弾は胸の中心に当たり黒い染みになる。正確に心臓を狙っているが肌に液体がふれた感触があるだけだ。手の腹で拭い、歩みを進める。
奴の本音は聞こえない。顔を合わせたことがある相手と気付いているのか、あるいは怪物に立ち向かう英雄のつもりか。人形は黙々と次弾の準備を始め、そこから動こうとしなかった。
私は容易く奴の横を擦り抜け、灯篭に手を伸ばした。これといった障壁もなくあっさりと木箱は掴み取れた。
振り返り木箱を掲げ持つ。私の手にある物を確認すると奴の動きは止まった。灯篭はゆるやかに倒れてようとしていた。
奴の様子を見て、私はつい笑いがこぼれてしまった。
片手に木箱を掲げ持ち、もう一方の腕を振り上げた。それを見て奴も逃げ始めた。布を被った人形たちの押しくら饅頭に参加していく。
その様子がいじらしく、本当にこの目標物を潰してしまいそうだったが、仕事を忘れてはいない。
人形の殺到する入口からは出れない。反対側の壁をこじって出ると、やはり身をかがめて城の中を抜けて行った。包囲網も木箱を見せれば怯むので入り込む時よりは幾分か楽だ。
外へ出ると別働隊が到着していた。私が内部を混乱させている間に山道を突破したのだろう。車輪の付いた骨組みから、黒い布を被った人形が筒を抱えて向かってくる。
足元にぬるりとした感触がある。城の見張り役が脳髄を撒いて地面に転がっていた。
私は現実へと回り込んだ。
何百年と囚われていた視点から解放された後、見えた景色がこれだったのだから『現実』と呼ぶしかないのだろう。
黒く起伏のなかった地面は、灰色や青や薄褐色の砂利が敷き詰められていた。その間に赤い血が流れて来ているのが見えた。人形は肉の付いた人間の姿へ変わる。黒い布は防弾服になり、筒は銃になる。水中を進むようだった緩慢な彼らの動きは、私と同程度の速度に近付く。足元の死体はガスマスクごと頭を吹き飛ばされていた。
斜面には背の高い葉緑樹が生い茂っている。白い石積みの防壁があり、車輪の付いた骨組みは黒い装甲で固められた自動車だった。
色彩。渓谷のみずみずしい空気に、ガソリンと硝煙、そして血の臭いが混ざる。あれほどうるさかった人形たちの声は遠くなり、エンジン音と銃声の向こうに流れる滝の音が聞こえた。
後ろを振り返るとハリボテの城は無機質な建造物になっていた。奴らの研究施設といった所だろう。コンクリート製の壁は私が通れるほどの穴が出来ている。断面には一尺程度の厚みの鉛板が入っている。
穴の奥からこちらの様子を伺う者がいた。
目元のゴーグルが光を反射している。防護服で全身を包み、黒い小銃をこちらへ向けていた。
私が視点を戻す隙を狙ったらしい。
銃口が爆ぜたかと思うと、左肩に衝撃が走った。
まともに攻撃を食らったのも久しぶりのような気がする。なるほど、こちらのほうが痛い。
壁に寄り掛かり、身を隠すと、迎えの部隊から隊員が三人走り寄ってきた。立て続けに銃声。もう一人隊員が遅れて来た。腕を掴まれる。傷口を抑えた手のひらに鋼弾が押し出されてくるのを感じた。
銃声は数十秒で収まった。部隊は建物へ入っていく。目ぼしい者は捉えておいて、あとは殺すのだろう。
あれは名簿に居た奴だろうか。そうだとするなら、なかなかの執念だ。どうせ死んだが。
どうにか物は取り落とさずに済んだ。
黒い木箱はこちらの視点では、表面がつるっとした茶筒のような、鉛とプラスチックで出来た入れ物だった。
鬼ではない人間の手に納めるには少々大きい。表面には、丸から三方へ扇が広がる紋が捺されている。
まだ私に呼びかけている。怪我の程度を聞いているのだろうが、残念ながらこちらの言葉はわからない。もう一度視点を回り込めば意思疎通は可能だが、そこまでする必要もない。
剥がした彼の手に回収物を渡し、私は一人で歩き出した。血はすでに止まっている。
あとは奴らでどうにかするだろう。
強化ガラスに映った私は人間の姿だった。黒い細身の洋服は、右肩の穴以外に傷一つない。節くれが引いた指に鋭い爪はなく革の手袋をはめている。山高の下にある仮面ではない素顔。鬼の姿と比べれば迫力は足りないが、それなりに気に入っている。
私が後部の座席に身を沈めた後、しばらくして装甲車は発進した。またも手当されそうになったが、傷跡がないのを確認して同乗者は席に戻った。
奴らの基地に戻ったら、身体検査と、こちらの官僚を間に挟んだ手続きのために数日ほど拘束される。身の安全を保障されるのもなかなか面倒だ。少し前までは、たいてい依頼側の腐った本音に私が我慢できず殺していたものだが。
仲介を挟むため知りすぎることもなく、私を狙う命知らずも減少傾向にある。いくらか変質が遅れるなら、多少鈍感な方がいいのだろう。
礼服に穴が開いてしまった。着替えれば飛行機には乗れるだろうが、一等気に入っていたものだ。近江に頼めばそれなりに質のいい掛け接ぎに渡してくれるだろうが、袖が短くなるかも知れない。
想師なら元通りに直せる。
こういう小賢しい仕事は弟弟子のほうが向いている。
いや、もっと上手いのは奴の弟子か。自分で壊した壁を瞬きの間に直すような面白い視点を持っている。まともに話した機会は、あまりないが。
山道を降りる車に揺られながら、私は口元が緩むのも気にせず、帰ってからのことばかり考えていた。