赤き大地の夢は遠く AnotherMars2207 作:くコ:彡の本棚
上官の命令を拒絶するなど、モロトフの軍人人生において初めてのことだった。
陣頭指揮を取る司令に代わって総旗艦を預かり、標的を内部から破壊する砲撃の機を見極める。自分には荷が勝ちすぎると思い、率直にそう述べた。
しかし、本心の在処は言葉ではない。サエキが、亡きバクストが、悲壮な覚悟と共に裏で企図していた何か。自分が全く蚊帳の外に置かれている現状に、嫌気が差していたのだ。
疎外感と猜疑心は際限なく膨らみ続け、理性の抑えが利かなくなっていた。
上官に疑念を抱くこと、それこそ軍人の道に悖る振る舞いだ。そうした意味でも、任を果たす自信を抱きようもなかった。
そのモロトフが現在"だざいふ"の艦橋に立っているのは、命令を受諾するうえでの交換条件を提示されたためである。こちらの葛藤は、やはりサエキに悟られていた。
「作戦成功の折には、水面下で進めていたことについて全て打ち明ける」
ここまでの言葉を引き出してしまった以上は拒む訳にもいかず、"アモン"に向かうサエキの背を、敬礼と共に見送ったのである。
「……私はあの御言葉を、司令自ら説明してくださると解釈していたのだがな」
艦長席の座り心地には、到底慣れそうもない。知らぬ間に乗り込んでいた間が傍らにいると、その気分はいや増した。無論、間の咎ではないが。
「怒っておられますか?」
「貴官に腹を立てたところで、詮無いことだ」
間はサエキによって、約束を履行するために送り込まれたメッセンジャーだった。明かされた事実を冷静に反芻できるまでに、やや時を要したものだ。
事の起こりは、地球連邦が秘密裏に進める極秘計画であるという。来るべき脅威……デザリアムに対するための、勢力圏全てを巻き込んだ迎撃プランだ。
その一端を聞かされたサエキは、アナザーマーズに伸びる魔手の存在を知る。火星独立再興の機運を高め、分離主義を先鋭化させるデザリアムの調略。
戦力を分散するための陽動、あるいは惑星そのものを属領化するための布石。それを阻止するための密命が、サエキに下された。
それから先は、ほぼモロトフが想像していた通りである。甘言に惑わされぬ気骨、マーズノイドの崇敬を受ける人望を併せ持ったバクストは、秘密を共有するに代え難い存在であったことだろう。
そして今、同胞を欺き続ける過酷な暗闘に身を投じ続けた彼らの献身は、ようやく形になろうとしていた。
「……装甲が無効化されるまで、目下我らの相手は敵の残存艦隊だ」
決戦、間近。雑念を振り払うように、サエキは話題を変えた。
「暴れる支度をしなくていいのか、貴官は」
「よろしいので?」
応じる間の声には弾むような響きがある。飄々としながら、戦士たる矜持にはどこまでもひたむきな男だった。
「窮鼠と化した敵に敗れて、作戦が瓦解しては目も当てられん。この艦に恥じぬ戦いをしたいからな」
「良きお心がけです。側背の守りは、我らバラガキにお任せを」
間が笑みと共に艦橋を辞すのを見届けると、モロトフは席に身を沈めて息を吐いた。
この戦いで全てを清算する。鬱屈も、悔恨も。秘密を明かして負担を分かたなかったことをサエキに後悔させるような、そつのない戦いぶりを見せてやりたいものだ。
艦隊への前進命令。絡み付く屈託を置き去りにするべく、モロトフは声を張り上げた。
────────
一人。サエキは"アモン"の特設砲術席で、作戦発動の機を窺っていた。
特設砲術席は
後継艦の一つである"アモン"にもそれは残されており、サエキは伝導系どころか、艦のコントロール全てをここで行えるようにしていた。
巨大艦を初めて観測したのと前後し、バラガキを動かして押収した艦である。欧陽が整備責任者という肩書を利用し、虚偽の報告を上げて艦を戦場から遠ざけているという、バクストよりの情報は真だった。
ゆくゆくは、新生火星軍とも言うべき軍閥において、欧陽は己が座乗艦とする気だったのか。そのために改良が施されたであろう管制機能を見れば、あの男にも非常に惜しむべき技術があったことを実感する。
艦を一人で御している。本心を言えば、敵と至近で向き合う艦隊を、単身で動かすつもりだったのだ。"アモン"の管制能力と蓄積された無人艦制御ノウハウがあれば、決して難しくはない。
しかし、有人の金剛改型を捨てることを、乗員達は肯んじなかった。
それが何に端を発するものか、慎重に見極めた。惑星を潰された激情に駆られていないか。乗艦に対する、過ぎた執着は無いか。
そうでないことを確かめたうえで、サエキは作戦への参加を認めた。思い返せば幼稚な独り善がりだ。司令の職責とは指示を下すことであり、教え諭すことではないのである。
索敵システムが敵の警戒圏への侵入を察知し、警報音でそれを知らせてくる。他と一線を画す莫大な高エネルギー反応、見紛う筈もない。
巨大艦は微塵の躊躇いも見せず、遺跡への直進コースを取っていた。他の敵艦、三十隻あまりが遠巻きにその側面を守る。
星系を覆う岩塊群に"アモン"以下の艦隊は潜伏し、敵情の把握に砕心していた。今のところ、敵に探知された様子は無い。
一度でも姿を曝せば、敵の警戒網から逃れることは最早叶わぬ。作戦の発動を告げたら最後、勝者と敗者に分たれるまで歯車は回り続ける。
「全艦、行動を開始」
今更尻込みする理由も無い。後戻りができる戦いなどというものは、そもそも存在する訳もないのだ。自身を外から眺めているのではないかと思う程、サエキは己の判断を冷静に捉えていた。
あらゆるものを捨て、ようやく見出した機である。根拠地である基地も、戦いの機微を教えてくれた二十年来の先達も。
切り捨てた。自分自身でそれを選んだ。他に道が無かったと言うつもりにはなれない。力及ばず、より最善の道を見出せなかっただけである。
己に卓抜した知恵と勇気があれば。百万の兵が憧憬してやまぬ求心力があれば。火星を敗北に突き落とした、あの男のように。
それはどこまでも無益な仮定だった。
巨大艦を指呼の間に捉え、サエキは感傷の衣を脱ぎ捨てた。
岩塊を飛び出す"アモン"。残存する全ての金剛改型がその両側面に追随し、俯瞰すれば旗艦を頭とした巨鳥の如く見える。"だざいふ"以下の艦隊も前進を始め、敵艦隊から、"アモン"以下の火力部隊を守る態勢で陣を敷いた。
それも偽装の一環である。"だざいふ"の最重要任務は友軍の防衛ではなく、連装砲による砲撃を巨大艦に叩き込むことだ。あたかも僚艦を指揮するように鎮座して、その時が来るのをひたすら待ち続ける。
火力部隊が面舵に回頭し、巨大艦の右舷を正面に見据えた。敵と味方、退かざる者同士の対峙。
舳先を向ける方は違えど、闘志に満ちた視線を交わし合っていることを確信する。
「全艦、データリンク正常。砲撃諸元の同期始め」
火力部隊各艦が、見えざる電子の紐帯で一体となった。耳目が重なり、狙うべきただ一点に測的能力の全てが注がれる。
重々しい鳴動。砲術席に伝わる、機関の高まり。
それはサエキに鬱屈を忘れさせ、戦の高揚へと誘ってくれる筈だった。
────────
敵が出てきた時は心中で手を打ったものだが、布陣の意図を解しかねた。
先の戦いでは後方に控えていた戦艦、それらが密集してこちらの右方に展開している。快速艦とコルベットから成る艦隊が、やや距離を取ってその後背を固めていた。
連装の巨砲を備えた敵の旗艦は後方艦隊の中心に在り、その指揮を取っているように見える。
「出張っている艦列は囮かと思われますが……」
それはエルダインも考えたが、幕僚の言を俄かには首肯しかねた。"イシュタルム"の堅牢なるを嫌でも知っているだろうに、火力では主力型戦艦に一段劣る艦を押し出す。あの艦容では、"大砲"を積んでいたとて、さしたる威力にもなるまい。
その推測は、単に理屈に合っているというだけだ。些か負け惜しみじみた物言いだが、ここまで食らいつく敵が見え透いた小細工を仕掛けてくるとも思い難い。
もしかすると、あの戦艦の群れは囮に見えてその実、こちらを叩く本命の部隊ではないのか。
「全ての砲雷撃を敵の艦列に」
罠は罠として牙を剥く前に、踏み潰すだけだ。光の怒涛で敵の動きを封じたところに、ミサイルの豪雨を叩きつけると決めた。血の通い始めた砲塔は右方へ旋回し、撃ち砕くべき敵陣を睨め付ける。
「憶えておいてやる。我をここまで苦しめた難敵のことを」
それも、間もなく終わる。エルダインは右手を振り上げ、一斉砲撃の命を下そうと息を吸い込んだ。
その瞬間、空間が割れた。空間跳躍、の声が響く。
振り向いた視線の先にある影は、飛行甲板を備えた敵艦だった。
星系の外に潜伏し、機雷原を飛び越えてきたのだろう。地の利は敵にある。岩塊が漂う星系内の安全宙域に、ピンポイントで出られる道を知っていたのか。
「迎撃が間に合いません。あの艦が敵の本命としたら──」
「慌てるでない。奴は跳躍直後で"大砲"が使えん」
発射機構が機関と直結しているため、跳躍直後に使うことはできないのだ。"大砲"さえ平然と耐える"イシュタルム"の装甲を、それに劣る威力の兵器で貫けるものか。
左舷の砲熕兵器を新手の敵艦に指向した、その時。敵艦の飛行甲板の下部、射出装置と思しき孔から何かが躍り出た。
それは明確に"イシュタルム"を目指し、白煙を曳きながら加速を続ける。
「魚雷か?あの形状はまるで」
まるで、ガミロンの重爆撃機が懸吊する大型弾だった。螺旋状の弾頭、あれも削岩機能を有するのか。
五連装砲を始めとする主要な砲塔では、追いつけない。艦の方に狙いをつけているためだ。小型の対空砲塔で弾幕を張るが、敵弾は相当に頑丈な装甲を纏っているらしく、平然とビームを逸らしながら進み続ける。
着弾した。と同時に、弾頭の螺旋機構が猛回転を始め、"イシュタルム"の装甲に挑みかかる。火花の間欠泉が噴き出し、モニターの一部を真っ白に塗り潰した。
着弾点に殺到する幾重もの波紋。運動エネルギーを相殺してしまえば、如何な高威力の弾体であろうと、単なる漂流物となるだけだ。
"イシュタルム"の表現が凪ぐ。弾頭は回転を終えてなお、装甲を貫通することは叶わなかった。奇襲の一撃を食らったところで、この艦は揺らぐことはない。
直後だ。蒼光と共に空間が爆ぜたのは。
「余剰次元の爆縮!"大砲"と同様の反応です」
敵艦か。違う。先程現れた敵艦は、早くも"イシュタルム"の近傍から離脱している。"大砲"と同じ原理で破壊力をぶち撒ける機構が、あの敵弾には搭載されていたのだ。
次元を震わす衝撃が"イシュタルム"の船体を打つ。荒波逆巻き、大時化となった表面装甲。敵弾が解き放つ振動波を、必死に打ち消そうとしているのだ。
艦橋の皆がその威力に狼狽し、目を剥いていた。だが、その程度が何だ。たとえ"大砲"と同じ威力であっても、十分耐えうるではないか。それより遥かに注意すべきものがある、と思う。
爆縮が終わり、間髪入れず現れた艦影を警戒したのは、エルダインだけだった。敵の策略が、重層的なものだという証左である。
新手の大きさは、先程の敵艦のおよそ半分か。艦尾から噴射光を迸らせ、"イシュタルム"の左方を駆け抜けざまに赤い光の群れを投げつけてくる。艦上には船体に比して大型の発射管が四門備わり、そこから吐き出されているのだ。
よくよく見ると、それは先端に光が灯る黒い銛のようなものである。
突き刺さる。次々と。一本、二本、五本。十、二十、三十……。赤い光も相まって、船体に燎原が広がる様を連想させる光景かもしれない。
銛の一本一本に至るまで、"イシュタルム"の外壁に深々と突き立っている。それだけだ。元より、信管を内蔵しているような代物とは思い難かった。
「外壁に着弾なれど、目立った損傷は無し。亀裂は内部装甲に至らず──」
その激震を耐えるのに、エルダインは自己の平衡感覚を最大限に研ぎ澄ますことを強いられた。席にしがみつき、あるいは床に叩きつけられて悶絶する艦橋要員の姿も見える。
乗艦が揺さぶられる感覚を、"イシュタルム"に在ったために、忘れかけていたことに気がつく。巨大空母が衝突した時でさえ、その運動エネルギーを特殊装甲が打ち消し、振動はきわめて少なかったのだ。
それにこの揺れは、大質量がぶつかってきたという類のものではない。強力無比な力に船体そのものを鷲掴みにされ、進むも退くも意のままにならなくなっている。
"イシュタルム"であればこそ、耐えられている。通常の艦艇がこれに曝されれば、十数える間に船体を引き千切られていただろう。
「重力波か?」
「い、いえ。強力な電磁気力の指向照射です。この数値は何だ……!?」
上擦った声も、反響する警報に遮られがちだった。
"イシュタルム"を絡め取る程の磁力を発生させうるものなど、この星系では一つしか思い当たらない。
制圧すべき遺跡。それが鈍い光を湛えているのを見るエルダインは、己の頬に汗が滴っているのに気づかなかった。
────────
アケーリアスの遺跡を制御する方法は幾つかある。まず、後からそれを発見し、外付けのコンソールを接続して操作を行う方法。ガミラスが管理を行っている、"門"などはその好例だろう。
そしてもう一つは、精神感応によって制御プロトコルに直接干渉する方法だ。状況に応じた迅速な対応が可能となるし、何より外部から介入される可能性が殆ど失くなる。
故に、その手段をこそ選ぶべきだと、ラバシュームは信じて疑わなかった。あれだけの怪物を仕留めるのに、身を惜しんでいる暇はない。皆も最前線で膳立てに奮闘してくれているのだ。
ジャンプ直後の"ヒュウガ"が発射した波動掘削弾は、弾頭の削岩機構で目標地点に沈降、余剰次元の解放で振動波を発散し、内部から破壊する兵器である。
着弾と起爆、二段構えの衝撃は一時的にだが、巨大艦の装甲を引き剥がした。
一瞬の間隙。"グァン・ドゥ"は見逃すことなく飛び込み、マグネトロン・プローブを撃ち込んだ。それを目標として照射することで、モノポール・ウェーブが特殊装甲に遮断されることを防ぐ。
構想の全ては結実した。暴威を恣にしていた巨大艦は、標的としていた遺跡から発せられるモノポールの虜となり、その足を完全に止めている。
自らの手で鎖を握り締め、巨大艦を引き続けているような感覚を、ラバシュームは覚えた。桁外れの力に逆に引き摺られることのないよう、気力の全てを注ぎ込んで制御を行う。
その額に砂煙がかかった。
遺跡を内包している岩塊、その改造を施したのはアケーリアス自身でなく、かつて管理を行なっていた文明であるらしい。
巨大艦をモノポールで捕え続けることが、小さからぬ負担となっているのだった。長らく放置され、建材が劣化してもいるのだろう。今も、腹の底に響くような揺れと共に、ぱらぱらと砂が落ちかかってくる。
火力部隊の砲撃は始まっていた。艦首に備わる陽電子砲が、青く輝く業火を休む間もなく放ち続ける。巨大艦の一点、ごく小さな面積に膨大なエネルギーが叩き込まれていた。
遺跡は火力部隊の砲撃が功を奏すまで持ち堪え、火力部隊は遺跡が巨大艦を止め切ることを信じて撃ち続ける。
皆が考えに考え抜き、覚悟を決めた。それを、最後の瞬間まで信じられるかということだ。
「保ってくれ」
作戦が終わるまでで構わない。ただ一度きりのために、全てを懸ける
────────
クラリスは戦場を見ていた。身を置いている艦の外部監視モニター、各種索敵システムと自らを繋げ、目の前に広がっているように戦場を認識しているのだ。
座りながらにして、艦のプログラムの末端に侵入したのである。ホモ・デザリアムとしての力をもってすれば、容易いことだ。高度な電子戦能力も「調整」の結果だった。
この艦は今、交戦する敵の策略によって動きを封じられていた。電磁気力の鎖が巨大な船体を縛し、座礁したも同然である。
そして、右舷に莫大な熱量反応。列をなす敵の戦艦が動き始めた。各艦の最大火力であろう艦首砲塔の青い煌めきが、熱と破壊力の奔流と化して次々と突き刺さる。
座して的になることを甘受する艦ではない。両翼の五連装砲、大小の回転砲塔。翠光が描く幾つもの軌跡が蒼光を断ち割るように飛び、戦場を煮え滾らせた。
側面からはミサイルを斉射してさらに畳み掛けるが、予見していたであろう敵の反応は素早い。垂直に撃ち出された迎撃のミサイルが防壁となり、相食んで火球と化す。
船体表面の熱量分布を見れば分かるが、敵の砲撃は執拗にして周到である。右舷の一画、きわめて狭小な面積に全ての火力が集中していた。艦列の中央、塗装の違う艦の統御が、一糸乱れぬ精密砲撃を実現しているのだろう。
本気で破るつもりだ。位相変換装甲を。逆相波の照射により破壊力を減殺する位相装甲を破るには、桁外れのエネルギーをぶつけて臨界を超えさせる。あるいはただ一点を目掛け、逆相波の照射が追い付かない集中砲火を叩き込むしかない。
こちらの時間軸でデザリアムが他勢力と交戦したのは、およそ二年前、イスカンダルの移送に際しての戦闘だけである筈だ。その時に得られただろうデータで、位相装甲の性質をここまで見切るとは。
破ったところで、巨躯を誇るこの艦をどう沈めるつもりかは知らない。だが、撃つべき一点を見定めている以上、何かしらの成算があるのだろう。
終わり、というものをクラリスは実感した。この艦の終わりであり、自分自身の終わりである。
マザーに刷り込まれた「千年の夢」などというお題目とは比較にもならぬ程、それは生々しさを覚えるリアリティを伴っていた。
こちらの防備を破る術を知っている。その構想を、現実のものとして結実させる方策を見極めている敵。対するこちらにどのような帰結が待っているか、推して知るべしであろう。
これが、自分に待つ終わりか。脳髄ユニットに虚しさが沁みる。「規格外」に与えられた大任、それに舞い上がった挙句漂流し、蛮族の記録媒体として一年を過ごした。その果てに待っていたゴールがこれだ。
希望は無い。絶望さえも無い。これで終わりというだけだ。椅子にただ座り続け、終わりの時を待っていればよい。
だのに、自分はどうして立ち上がっているのか。どうして、何処かせ歩き出しているのか。
初めて部屋を出た。体内の測位システムは生きているようで、突き当たりを避けて歩き続ける。
通路を駆け抜ける一団と幾度もすれ違った。艦を電磁気力の軛から解き放つべく、様々な手段を試みているのか。無駄なことを、とも思う。しかし、今の自分が言っても滑稽なだけだ。
自分は、どこまで愚かなのか。
────────
自分は、どこまで愚かなのか。
「カラボグ、ここを頼む。私は行かねばならん」
バルムークよ、何を考えている。将としての職責を擲ってまで、お前は我執に引き摺られる道を歩もうというのか?
内なる声が咎める。嘲笑う。それは次第に遠のいて、聞こえなくなった。
自分は行く。"イシュタルム"へ。あの女を迎えに行くのだ。何故、と自分に問うてみる。ここで目を覆ったふりをすれば、大事な何かを永久に置き去ってしまうからだ。
「お気をつけて。艦載機の準備は完了しております」
当然の如く、カラボグは言い放つ。バルムークの方が驚いているぐらいだった。
やはり、己には過ぎたる副官である。
「すまぬ」
「閣下が戻られるまで、本艦はここに留まります。我らを救わんとお思いならば、必ずや無事の御帰還を」
必ずここへ帰ってくると、敬礼するカラボグに笑顔で応え、バルムークは駆け出した。
艦底。物資搬入口からデスバテーターが出る準備は、カラボグの言う通り万事整っている。一人でこれを駆って"イシュタルム"に向かうつもりだったのだが、待ったをかける二人がいた。
「たとえ閣下といえど、貴重な機体を素人さんに預ける訳には参りません。操縦は自分らにお任せを」
デスバテーターの乗り手、フランベルとイピアである。余計な問答に時を費やす気にはなれず、素直に厚意を受け取ることとした。
副操縦席にバルムークは身を沈めた。彼女らはこれまでずっと二人で出撃していたらしく、奇妙な形で定員数を満たした形となる。
「発進!」
高らかにフランベルが告げるのと同時に、"スカージア"の艦底から機体が滑り出た。
遠ざかる艦影を背に、バルムークは沈思する。フランベルの言葉通り素人の自分が余計な手出しをすれば、機は危険に曝されることだろう。
まず、彼女は絶対に助けたい。これは、偽らざる本音である。
ただし、助け出さねばならない事態になる、という確証はない。"イシュタルム"が残存する敵を掃滅し勝利を収めれば、全てはうまくいくのだ。
だが、きっとそうはならない。エルダインがここを正念場と見たのと同様、敵も機会の到来を待っていたように思える。
最終戦艦が沈む。最悪の事態も十分あり得ると考えるべきだ。
エルダインと対面し、説得することはできぬものだろうか。艦に危険が差し迫れば、配下の将兵達とそこを脱し、後日の再起を期するべきと。
彼女と共に在ること、エルダインは許しを与えてくれた。厚意を踏み躙り、ただ二人で逃げ出す不義理を働く訳にもいかぬ。
残存する友軍も、交戦状態に入っていた。今や数の上でも敵に劣ってこそいるが、ここまで生き延び、戦い抜いた執念の持ち主ばかりだ。ついては離れることを繰り返し、敵が"イシュタルム"に砲を向けることを巧みに妨げている。
カラボグに預けた"スカージア"は啓開した退路に留まらせている。勝敗に関わらず、可能な限り多くの同胞に退き口へと到ってほしいものだ。
「総旗艦の様子がちょいとおかしいですね」
敵と対する"イシュタルム"が遠望できる位置まで達したが、確かに妙な様相を呈している。
戦艦で構成された敵火力部隊と激烈な砲火を交わし、緑と青の光芒が纏わっている。が、その巨体は運動性を欠いていた。側面に回り込んで、敵全艦を正面火力の射界に収めにかかってよさそうなところ、微動だにしない。
まるで、見えざる鎖で雁字搦めにされているかのようだ。練り上げられた敵の策。その存在を直感する。
「急いでくれ」
我ながら、下らないことを言う。念じたところで、祈ったところで、機体が性能以上の速度を出すことなど無い。
分かっていながら、バルムークは祈ることをやめなかった。
────────
今のサエキは、司令ではない。部隊の指揮官ですらない。
砲撃を司る、一介の部品に過ぎなかった。
無心、と呼べるものではないだろう。ただ一点に陽電子砲を叩き込む。その繰り返しに、次々と去来する雑念を乗せているようにも思える。
狙点を定め、撃つ。撃つ。ひたすらに。引金を引く手、敵艦を直接殴りつける気さえしてくるのだ。
戦艦を並べ、真っ向からの砲撃戦。錆びついていたと思っていた己の闘魂を、滾らせるに足る作戦ではある。陽電子の火線が敵艦に衝突する度、装甲に走る大波が、戦艦の真価たる火力の高さを示していた。
撃てば即座に船体を滑らせ、敵の応射を躱す。間隙を縫って、再び撃ち込む。それを繰り返すことに専心している。
内惑星戦争では無敵とも言うべき防御力を誇った金剛型も、星間国家の基準では艦容の割に堪抗性の高い中規模装甲艦でしかない。巨大艦の火力を前に、慢心は禁物だった。
砲撃と回避を組み合わせた艦隊運動こそ、こちらの火力を一方的に押し付けるために捻出した手立である。雲が散っては集まるようにして、敵の装甲が音を上げるのを待ち続ける。
敵がこれまで好き放題暴れ回っていたがために、砲熕兵器の射界、発砲の規則性を算出することができたというのも大きい。
ただし、敵をこちらの狙いに完全に取り込めた訳ではない。遺跡による拘束を逃れようと、出力を推進に回せば、特殊装甲や砲熕兵器に充てるエネルギーは分散されるかもしれないと期待していたのだ。
ところが敵は腹を括り、全力で撃ち合いを受けて立ってきた。決して過信はしていない。罠を踏み破るべく、全ての力を注ぎ込んでいる印象がある。
視界の端が赤く照らされた。無人の僚艦が一隻、敵の応射を食らって爆沈したのだ。それでも、艦としての形を失うまでの間に、二発は撃ち込んでいる。
こちらの回避運動に適応してきた。想定よりも早い。立て続けに無人艦がもう二隻沈み、有人艦も至近弾を食らっている。射線を塞ぐ破片を魚雷で押し除けた。
「諦めの悪い奴だ」
強がるように嘯くサエキの眼前を、緑の光条が幾つも駆け抜ける。"アモン"への集中砲火が始まっていた。
この艦を沈めれば、一斉砲撃も秩序を失うと見ているのだろう。厚い正面装甲と避弾経始に優れた形状の艦首で耐え凌んでいるが、ビームが行き交う度に響くくぐもった音は、遠からず来る限界を告げている。
望むところだ。"アモン"に敵の注意が向けば、それだけ他の艦が砲撃を続ける余裕が生まれる。それに、万が一指揮能力を喪失したとしても、ここまで状況を整えれば、他の有人艦が任を引き継いでくれるだろう。
突き上げるような衝撃。それに見舞われようと、コンソールからは片時も手を離さない。右舷中央に直撃弾を食らったようだ。大したことではない。中破にもなっていなかった。
席の左右から噴き出していた火花も、収まっている。否、己の周囲で起こっていることなど、どうでもいい。肝心なのは目の前の光景である。
青い奔流を浴びる敵の装甲、脈打つ光の波が激しさを失い始めた。センサーは捉える。巨大艦表面におけるエネルギー量の急速減少。
消失。
「今だ」
思わず口走った刹那、激震が砲術席を呑み込んだ。
撹拌される視界が非常灯に照らされる。肩口で何かが開いた感覚を覚えながら船体状況を見ると、艦首の魚雷発射管が大きく抉られていた。
朦朧とする意識は五感を鈍らせ、緊急消火装置の噴射音も聞こえなくなってくる。
目の前の光景が霞みゆく中、外部監視モニターを二つの流星が横切った。
導かれるようにして敵味方の距離を飛び越えたそれが、巨大艦の装甲に吸い込まれていくのを見て、サエキは微笑んだ。