願いという名の呪い 作:炙られた足
私は糸を通した針を布に通して行く。より頑丈に、より強度を高めるように。教えてもらった通りに縫う。只管にそれを反復して行く。突き入れ、突き出し、突き入れ、突き出す。戻り、進み、戻り、進む。自分が傷つく事だけはないように、慎重にかつ速く。反復する。ズレは起こさない。反復する。確認する。問題はない。薄暗い牢の中、目測を頼りに繰り返す。それがするべき事だ。期待に応えなければ。そうしなければ……
「ちょっと、大丈夫ですの?」
声をかけられたと気付くのに、2秒程遅れた。声の方に目を向けると、ハンナが私の顔を覗き込んでいた。若草の色をした瞳から向けられる視線にはどことなく心配が含まれていたように思える。
「作業に何か問題がありましたでしょうか」
「少し心配しただけですわ。……その様子なら大丈夫そうですわね」
「主観的な状態ですが、私に異常はありません。まだ作業は続行出来ます」
「……やっぱりどこかズレてますわね。記憶を失う前の貴女もそうでしたのかしら」
「現状は不明としか言えません。このままかもしれませんし、人が変わるかもしれません。ですが、今貴女と話している間は私はただのヘルマンです」
再び布に目を落とす。人が乗るものを作るのだから、強度はあった方がいい。思考を挟まずに連続させる。全てに追われている様な気がする。時間、記憶、自分、他人……友人。いや、いい。考えている時間すら無駄だろう。この締め付けが……私にとっても唯一の楔に思えるから。これがなければ私は立ってすらいられない。それを確認できただけでもいい気がした。
しかし、この胸にあるこのざわめきが消えない。前に進もうとする度に、じりじりと迫るそれが。大事な何かを取り違えた様な感覚が、腹の裡から消えなかった。
作業はハンナの手際が良い事もあって着実に進行していた。なるべく早く、頑丈に作り上げて行く。素材の布はマーゴが差し入れてくれている。向こうの進捗についての話は、今はエマがアリサの勧誘を進めていると房を訪れたシェリーから聞いた。脱出まであと少し。より頑丈かつ丁寧に作り上げて行く。解れそうな場所があったならば繋ぎ、繋いだ箇所を適度に補強し。完璧な具合へと調整して行く。早く戻らなければ。早く帰らなければ。きっと、取り戻せるはずだから。
帰る場所すら忘れているのに、どうしてその様な事が言えるんだい?
「っは───」
目が覚めた。独房の中だ。心臓がうるさい位に激しく脈を打ち、肺が酸素を求めて呼吸が荒くなる。額からは脂汗が滲み、顔を垂れ下がっていった。体が水分を欲していたが、何もないので渇きは堪える。シャツの第二ボタンまでを開け、襟をパタパタと振って服の内部に空気を取り込む。牢の中の空気は湿っていて、汗の滲む体には少々うざったかった。スマホを開き時間を確認すると、既に4時を回っていた。起床までは残り2時間。起きる気力は無いし、看守に見られては全てが台無しになる恐れもある。大人しく寝た振りを続けるべきだろう。
(……記憶を取り戻せる可能性はここでは低い。どうにか外に出て調べる必要がある。でも……何か不安だ。【ここから出ては、いけない気がする……】いや、違う。ただ、本当に取り戻せるかどうか不安なだけだ)
ふと、そんな考えが頭をよぎった。いや、思考をそんな事に回す必要はない。切り替えて、やり忘れてしまった事を終えるべく、レイアに声を掛けた。
「……蓮見レイア」
[どうかしたかい?]
(いえ……呼んだだけです。昼間は無視する事になってしまって申し訳ありませんでした)
[あぁ……私も驚いたよ。凄い集中力だった]
(貴女の記憶から読み取りましたが、ステージに立つ貴女程ではありませんよ)
[ふふ、そう言われると照れるね]
しかし、このレイアは何者なのだろうか。読み取った記憶から察するに、本人である事は確かなのだろうが……とは言え、この孤独感から離れられる唯一の救いではある。それに……きっとその不安も取り除けるだろう。脱出は目と鼻の先だ。そう信じていれば気が楽になった。再び瞼を閉じ、考えを捨てる。
翌朝に目覚め、再びハンナと作業に取り掛かる。途中、房に立ち寄ったシェリーに話を聞く事にした。シェリーによるとアリサの勧誘はエマが進めているが、ナノカがミリアを銃撃したらしい。命中こそしなかったが、これは明確な危険行為だ。威嚇射撃にしては容赦無く銃撃を行ったという事もあり、彼女をどうするか、という考えが頭に浮かんだ。
「彼女の目的は一体、何なのでしょうか」
「うーん……ミリアさん個人に恨みがあると言うよりも、黒幕であると疑っているのが大きいんじゃないでしょうか」
「ゴクチョーを撃った時も躊躇いませんでしたものね……」
「しかし、黒部ナノカの考えは断定的に過ぎるのも事実です。矛先がこちらに向かないという保証は残念ながらありません」
「でも、ナノカさんがシリアルキラーとも思えませんしねぇ。少なくとも、黒幕に復讐をしたいという思いで動いているのは事実じゃないでしょうか」
「それでも、ミリアさんを撃つのはやり過ぎですわ……」
「気持ちは分かります。人間は目の前の目的に対しては必死になるものですから……」
レイアの記憶を思い出す。寝たきりの母親、冷たい家族。認められない自分……煌びやかなステージ、黄色い声を上げるファン、沢山の応援。うんざりする様な冷たい記憶も、陽だまりの様な暖かな記憶も、私の中に根付き始めていた。勿論、私の記憶では無いが……彼女の経験した記憶が丸々私にフィードバックされているのは事実だ。
[おっと、それは覗きすぎじゃないかなヘルマンくん?]
(申し訳ありません。記憶が余りにも鮮明なもので……つい。私には記憶というものがありませんから、どうにも、経験という物が貴重に思えるのです)
[とは言え、出来るなら見られたくない記憶もあるけれどね。とは言え、今の私を見てくれるのは君だけだ。不快な記憶ばかりでなく、もっと輝いている私を見るべきさ]
(……そうさせていただきます。
[そうしてくれると私を嬉しいよ。因みにおすすめは━━━]
(すみません、また後で)
[ちょ、ちょっと待ちたまえ!]
どうやら、ナノカ本人の狙いは黒幕への復讐であるのは間違いない。初めて会った時以降、牢屋敷やこの島を嗅ぎ回っているのも事実だ。彼女は神出鬼没である。この間看守に追いかけられていた時もそうだし、ミリアを銃撃した時も不意打ちが成功していたとシェリーも言っていた。接触する方法が無いし、ナノカからも接触する理由がない。脱出に於ける一番の不安要素はナノカと、疑いのかかるミリアなのは間違いないのも事実だ。さて、どうしたものか……とは言え、双方を疑う前にも先ずは任された事を完遂しなければ。期待は重いが、応えない訳にも今はいかない。
「……一先ずはこのまま計画を進行しましょう。危険な事があればお申し付けを。対処する準備はあります」
「気球を完成させないと成り立たない計画ですもの。気合いを入れて取り組んでくださいまし、ヘルマンさん」
「承知いたしました」
「ええー?私、何だか仲間外れみたいですー!」
「ああちょっと!暴れないでくださいまし、このゴリラ女!」
わちゃわちゃとしあう二人を横目で見ながら、私も作業に注力する。頭の中のレイアも、今は黙ってくれていた。今はこのまま、ただ身を任せていても良いのではないか。そんな安逸な考えにも縋りたく位には、私も追い詰められている。そんな気がしてならなかった。
安定して投稿したい……次回にはここまで期間を空けないと思うので、待っている方は首をとにかく長くしてお待ちいただけると嬉しいです。