VOICEROIDのウェポンサイド//双天の鶴翼円舞   作:EMM@苗床星人

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熒惑編 第二幕 弓鶴、己の才覚を延ばす

 話は、現在へと浮上する。

 舞台は、伊織弓鶴の通う県立勢天第三高校。

 偏差値も校風も、可もなく不可もなく。どこにでもある、ごく普通の教育機関だ。

 体育館の壇上では、校長が新入生と在校生を前に、長大で、内容の薄い、眠気を誘う演説を続けている。

 桜の季節にはまだ少し肌寒い空気が、生徒たちの緊張と退屈を包み込んでいた。

 琴葉茜と葵。彼女たちの学力ならば、もっと上位の進学校を選ぶこともできただろう。

 しかし、二人はこの高校を選んだ。全ては、念願だった弓鶴との高校生活を、共に謳歌するために。

 その夢が叶うはずの、今日この日。

 

「「……はぁ」」

 

 姉妹の口から、揃って重いため息が漏れた。

 二人の手には、首席入学者としての栄誉を証明する、真新しい証書が握られている。

 だが、その輝かしい紙片も、今の彼女たちの心には何の慰めにもならない。

 理由を、もはや言葉にする必要すらなかった。

 伊織弓鶴の変貌――いや、変貌というには、彼の本質である人の好いゆるさや、困っている人間を見過ごせない優しさは変わっていない。

 それどころか、三年の時を経て磨かれた立ち居振る舞いは、疑いようもなく格好良くなっている。これは、成長と呼ぶべきものだ。

 

 しかし、三年。あまりにも長い、三年である。

 

 自分たちが中学生活を終え、高校受験に励んでいる、その同じ時間。

 彼は異世界で死線を潜り抜け、壮絶な旅路の果てに、異界の美女たちを引き連れて帰還した。

 マキという女性について聞かされた二人の馴れ初めは、少女漫画もかくやという英雄譚。

 弓鶴が持つ天性の女たらしの才覚は、その物語に圧倒的な説得力を与えてしまっていた。

 姉妹にとって、それは致命的なまでの出遅れを意味していた。

 

「お姉ちゃん……」

 

 葵が、か細い声で呟く。その声には、諦めの色が滲んでいた。

 

「言うな葵。まだや……まだ取り返せる、筈や」

 

 茜は、自分に言い聞かせるように、毅然とした声を作ってみせる。

 だが、その語尾に宿る僅かな不確かさは、隠しようもなかった。

 首席合格という、誰もが羨む栄光をその身に受けながら、壇上を見つめる二人の背中は、体育館の広さの中で、どこか頼りなげに小さく見えた。

 

 

 しかし一方、弓鶴のクラス。

 始業式を終え、三年ぶりに足を踏み入れた学舎の空気に、弓鶴は打ち震えていた。見慣れたはずの教室、窓から差し込む陽光、ざわめく学友たちの声。

 そのどれもが、まるで遥か彼方の夢で見ていた光景のように懐かしく、愛おしい。

 

「タカハシ! 久しぶりだなぁ……」

 

「弓鶴、正直に話せ? お前、女ができたな?」

 

 感動の再会を求めた弓鶴の肩を掴み、親友タカハシが真顔で詰め寄る。

 その顔面の圧は凄まじい。

 スカウトの絶えないアイドル候補でありながら、その過剰な言動で三枚目の烙印を押されがちな男。

 

 弓鶴は思い出した。そうだ、こいつはこういう奴だった。

 

 そして自分たちは、互いに女っ気のない学園生活を送る、慎ましい同盟仲間だったはずだ。

 

「な、なんの事ぉ……かなぁ?」

 

「俺の目は誤魔化せんぞ弓鶴!」

 

 目を逸らす弓鶴に、タカハシはガタっと立ち上がって猛烈に抗議する。

 

「わざとサイズ大きめの制服にして誤魔化してるが体格はしっかりしてるし顔つきも精悍になってる! んまぁ〜〜〜お肌のケアもバッチリねっ!?」

 

 親友の言葉が、なぜか途中からオネエ口調に変わっていく。

 その異様な迫力に、流石の弓鶴も懐かしさより気持ち悪さが優ってドン引きし始めた。

 

「引くなよぉ俺を置いていくな弓鶴ぅ! 何があったか言えよYOU!場合によってはお前を殺す!」

 

「ちょっと海外旅行行ってただけだって!」

 

 そんな茶番が繰り広げられる中、ホームルームの予鈴が鳴った。

 恰幅のいい老教師、大元先生がのっそりと入ってくる。

 

「おぅしお主ら席につけぇ。喜べ、今日から美人の転校生が二名追加じゃぞ」

 

 先生の言葉に、クラスが……主に男子がどよめく。

 そして現れた二つの影に、弓鶴は目を丸くした。

 

「結月ゆかりです。趣味は珍しいお宝の収集。弓鶴くんを追って、この国に来ました。よろしくどうぞ」

 

 その口を開かなければ、たおやかな姫君のような魅力に、男子生徒が息を呑む。

 

「弦巻マキだ。特技は剣術と艦隊指揮。伊織弓鶴の護衛としてこの国に来た。よろしくにぇ」

 

 今度は、凛々しい王子様のような魅力に、女子生徒が中心となってときめきの声を上げた。

 混沌の中、固まる弓鶴の横で、タカハシが衝撃にプルプルと震えている。

 だが、その混沌に更なる油を注ぐべく、バァン!という破壊的な音と共に教室のドアが乱暴に開け放たれた。

 怒り心頭の形相をした、琴葉姉妹である。

 

「ごらぁ追っかけ二人組見えとったぞ! なに勝手に学校に上がり込んどんじゃあ!」

 

「あらあら、事を大きくすると弓鶴くんの学園生活がおじゃんになっちゃいますよぉ?」

 

「ひっ、卑怯者! お兄ちゃんを人質にとるな!」

 

「人質も何も、私たちは正式に転入してきただけだにぇ」

 

「どの口が言うとんねん!」

 

 教室のど真ん中で、堂々と繰り広げられる弓鶴の取り合い。

 呆然とするクラスメイトたち。

 その横で、タカハシは血の涙を流しながら殺意を滲ませていた。

 弓鶴は、机に突っ伏して頭を抱える。

 

「あー……弓鶴よ」

 

 大元先生が、冷や汗を垂らしながら声を掛けた。

 

「お主を中心とした痴情のもつれなら、人のいないところに一旦行ってくれんかのう?」

 

 そう言って先生がチラリと見せたのは、その袖口のボタン。

 そこには、今朝、葵の開いたコンソールで見たTOWEATのマークが、確かに刻まれていた。

 弓鶴は、言わんとしていることを瞬時に察する。

 

「せっ……!? 失礼しましたぁ!」

 

 彼は椅子を蹴立てるように立ち上がると、マキとゆかり、そして茜と葵の襟首を両手で鷲掴みにし、教室の外へと脱兎の勢いで逃げ出していく。

 後に残された教室。

 嫉妬を通り越し、もはや女という猛獣を複数飼い慣らす手際を見せた弓鶴に対する畏敬の念に打たれながら、タカハシがぽつりと呟いた。

 

「弓鶴……お前、『男』になったなぁ……!」

 

 

 

 職員室の奥、古びた畳の匂いがする宿直室。カチャリ、と大元先生が内側から鍵をかけると、そのノブの上に淡い光が集い、複雑な紋様を描き出す。

 『防音』と、弓鶴には読み取れる術式だった。

 

「ほぉ、この世界では魔術の魔力燃焼もBLESSで代用出来るんですね」

 

 ゆかりが、興味深そうにその光の紋様を観察する。大元先生は、そんな彼女たちにやれやれと向き直った。

 

「困るんじゃよ君ら。特にそこの転校生二人。大事にすると、せっかくの特例もおじゃんになるぞ?以後、気をつけるようにのう?」

 

「はい、先生。お心遣い、痛み入ります」

 

 マキが、武家の息女然として完璧な角度のお辞儀をして見せる。

 その見事な礼儀正しさに先生は「ほほう」と感心するが、そこに葵が牙を剥くように噛み付いた。

 

「『ほほう』じゃないですよ先生! この二人、Jクラス……! 聞いた話じゃ、片方は下手すりゃQクラスにも届きかねん未知の脅威ですよ!? そんなのが街に混ざってて、いいんですか!?」

 

「そう言われても、TOWEATの規則で決まっとるじゃろが。『一般人に通常空間で擬態している状態なら、人間に危害を加えない限りはAクラスと判定し、人前で戦ってはならない』と」

 

 言われて、葵は慌ててスマホを取り出し、組織の規則集を表示する。

 茜も隣からのぞき込み、そして姉妹は揃って顔を青くした。

 

「うっそ、本当だ!」

 

「どうなっとるんやこの世界! 緩すぎるやろ!」

 

「世界結界を守るためじゃ。以後、自重するように」

 

 先生の有無を言わさぬ言葉に、双子は不服そうに「はぁい」と返事をするしかなかった。

 そんな光景に唖然としていた弓鶴は、ようやく口を開く機会を得た。

 

「まさか先生まで、ボイロウェポンだったなんて……」

 

「引退したがの。珍しいことじゃあないさ。この街の日常には、わしらのような元ボイロウェポンも、その後の生活も、当たり前に紛れ込んでおるものだ。

特に教育機関なんかは多いのう、特異点となりうる学生の年齢的にな……。まあ、ハッキングを仕掛けて転入手続きをされた事には驚いたが。似たようなことをしてきた未知の脅威も、過去に報告はされとったし」

 

 その言葉に、マキの首にかけられたヘッドホンに擬態した甲冑展開ユニットが、金属部分を明滅させる。

 鎧に宿る小神ハナの声が、スピーカー越しに誇らしげに響いた。

 

『神を宿していない人間のセキュリティサーバーなど、恐るるに足りません』

 

「学費だって、ちゃんと払ってますからね? 今まで集めたお宝の一部をTOWEATに売って、軽い資産家程度には稼ぎましたので」

 

 二人の異邦人の、あまりにも完璧な社会人としての偽装工作に、双子はもはやぐうの音も出なかった。

 

「ゆかりさん、お宝売っちゃったんだ……。今まで頑張って集めてきたのに」

 

 弓鶴が、純粋な驚きからそう呟く。その声に、ゆかりはキョトンとした顔を向けたが、すぐに恥ずかしそうにふわりと頬を染めて言った。

 

「……あなたのお陰で、必要なくなってしまったので」

 

 その一言で、狭い宿直室に、甘く、そして少しだけ切ない、特別な空気が流れ出す。

 

 ああ、まただ。

 

 彼女もまた、弓鶴に救われ、その人生を根底から変えられてしまった女の一人なのだと。

 琴葉姉妹は、その残酷な事実を、否応なくわからされてしまうのだった。

 

 

 新学期の花形イベント、部活動の体験入部が始まった。

 勢天第三高校の剣道場には、気合いの満ちた声と、竹刀が打ち合う乾いた音が響き渡っている。その中心で、ひときわ鋭い一閃が走った。

 

「め、ぇえんっ!」

 

パァン!

 

 小気味よい音と共に、主将であるタカハシの脳天に、寸分の狂いもない竹刀の一撃が吸い込まれる。

 

「ま、まいったぁ……!」

 

 数瞬の静寂の後、彼はあえなく敗北を認め、その場に膝から崩れ落ちた。剣道部に、新たなエースが誕生した瞬間だった。

 

「そんな、タカハシ部長が赤子の手をひねるように負けるなんて……あの人、顔と剣の腕だけが売りなのに……」

 

「そこまで言う必要んなくないぃ?」

 

 後輩たちの容赦ない囁き声が、とどめとばかりに突き刺さる。

 タカハシはもはや声もなく、道場の床に溶けるように崩れ落ちた。

 実に哀れな主将の肩に、ぽん、と期待の新人が手を置く。

 

「へへ、中々だったにぇ。今日からよろしく、部長?」

 

 マキである。

 レンタルの面を外し、汗の滲む額を手の甲で拭いながら、ふぅ、と満足げな息をつく。

 その表情は、熒惑で将軍として戦っていた頃の厳しいそれとは違う。

 あらゆる重圧から解放され、この世界の「部活動」という純粋な勝負を、心の底から謳歌しているように見えた。

 その彼女の前に、一人の男が我慢しきれないといった面持ちで進み出る。

 

「『春休みの間の』稽古の続き、お願いします!」

 

 弓鶴が、木刀を手に深々と頭を下げる。

 それは三年という、あまりにも長かった『春休み』という時を超えて濃縮された期間の続きであった。

 その真っ直ぐな礼に、マキは嬉しそうにはにかんで「応!」と短く答えた。

 直後に繰り広げられたのは、もはや高校生の部活動のレベルを遥かに超越した剣の応酬だった。

 新人と、本来は帰宅部のはずの男が放つ、目にも留まらぬ踏み込みと斬撃。

 現役の剣道部員たちは、先程まで床に溶けていたタカハシも含め、ただ目を輝かせながら、この恐るべき二人に弟子入りすることを真剣に考えるのだった。

 

 

 

 一方、その頃。文化棟の一室、茶道部。

 静寂と、凛とした空気が支配する和室。

 出されたお茶を、ゆかりは実に手際よく嗜んでいた。

 背筋の伸びた姿勢、無駄のない指の動き、器を慈しむような所作。

 

「素晴らしい……結構な、お手前で」

 

 しゃなりと礼を述べる彼女のありようは、それ自体が一つの芸術のようだった。

 だが、そこにただ型に嵌った理想形を演じているだけの堅苦しさは存在しない。むしろ、この形式ばった世界を、その秩序と様式美を、一人の当事者として心から楽しんでいる。

 そんな余裕さえ感じられた。それは、これまで自由しか知らなかった彼女が、初めて触れる「秩序の価値」に面白さを見出しているようにも見えた。

 しかし、その感性はやはり、どこかズレていた。

 隣に置かれたお茶菓子を手に取り、まじまじと眺めたかと思うと、真剣な顔でこう分析を始める。

 

「中々に面白いエネルギー構造をしていますね?」

 

 しん、と静まり返る茶室。他の部員たちの「え?」という疑問の視線が、ゆかりの隣に座る少女へと突き刺さる。

 同じく体験入部していた琴葉葵は、必死に笑顔を作りながら、その視線から妹を庇うように立ち回るしかなかった。

 

(あかん、この人らやっぱり自由すぎる……!)

 

 葵は内心、頭を抱えるのだった。

 

 

 

 昼休み。

 突き抜けるような青空が広がる屋上は、生徒たちの喧騒から切り離された、穏やかな時間が流れていた。

 シートの上に手作りのお弁当を広げながら、弓鶴は満足そうに微笑む。

 

「二人とも、部活楽しんでるみたいで良かったよ」

 

「うんっ、部長さんの剣筋なんか、昔の弓鶴を思い出してちょっと本気出しちゃったけどね。でも、だからこそわかる。弓鶴も、すごく腕を上げたにぇ」

 

 マキの言葉に、ゆかりが優雅に頷く。

 

「こうして落ち着いてお茶を嗜む時間が出来たのも、ひとえに弓鶴さんのおかげですから……ね、フーちゃん?」

 

『みゅう。』

 

 ゆかりの頭上で、不可視のステルスモードを維持したままのみゅかりさんが、不服ながらも「そこだけは認めてやる」と言わんばかりに鳴いた。

 主人が持ち上げた大学芋を、その小さな口で健気に頬張り、満足げに頬を緩ませている。

 和やかな空気の中、不意に、凛とした声が響いた。

 

「ねぇ、一つ聞いてもいい?」

 

 葵だった。彼女は、まっすぐにゆかりを見つめている。

 

「話だと、あなたはかなり危ない宇宙海賊だって聞いてたんだけど……一体、何があったの?」

 

 その問いに、場の空気が少しだけ張り詰める。

 葵の脳裏には、TOWEATから閲覧した報告書が浮かんでいた。

 息をするように高次元アーティファクトを収集し、行く先々で破壊を尽くす、恐ろしくも荒々しい次元海賊の姿。

 それは、今目の前で穏やかにお茶を飲む少女とは、まるで結びつかない。

だが、その芯にある底知れない余裕は、紛れもなく本人のものだった。

 そして極め付けは、あれほど固執していた『お宝』の在り処。その一部を売り払い、必要がなくなったのは、弓鶴のおかげだと彼女は言った。

 その事実の裏に、自分たちが知らない三年間の空白の、あまりにも重い意味が隠されている気がしてならなかった。

 

「うちらは、あんたたちについて、まだ知らへんことが多すぎる……きっとそれを知らへん限り

うちらが、あんたらに追いつくことなんて出来ひん。おねがいします……話して、貰えますか?」

 

 焦りに似た必死さが、茜の口を震わせる。

 その未熟ながらも必死な姿に、かつての弓鶴の姿を重ねたマキはーー

 

「ふふ、やっぱりこの世界の君達は、弓鶴の妹なんだにぇ」

 

 と、優しく笑うのである。

 ゆかりは、ふ、と視線を空に彷徨わせ、少し黙った後、ゆっくりと語り出した。

 

「理由があったから、罪が消えるとは思っていませんよ。私は、人を傷つけた。マキさんも、弓鶴さんも、熒惑の人たちも……いいえ、それまでに襲撃した多くの人たちも含めてね」

 

 彼女の声は、どこか遠い場所の出来事を語るように、静かだった。

 

「でも、反省はしていません。私たちは、ただ生きるのに必死だった。その焦りと渇望の連鎖を断ち切ってくれたのが、他ならぬ弓鶴さんだったんです」

 

 彼女は語る。

 伊織弓鶴の英雄譚。

 熒惑への襲撃と、捕縛された次元海賊の物語に続く、その先のもう一つの物語を。

 四人が過ごした、賑やかで、切なくて、そしてかけがえのない、熒惑の記憶を……。

 

 

 

 

 

 

 天雷熒惑府、神殿の荘厳な大広間。

 しんと静まり返ったその空間には、張り詰めた空気が満ちていた。見上げる先の巨大な玉座に、鳴花の双子神が荘厳な気配を纏って顕現している。

 その眼下には、今回の大捕物の主役たる二人、伊織弓鶴と弦巻マキが恭しく跪いていた。

 そして、彼らの間、中央の証人席には、一体の罪人がいる。

 木製の手錠型空間固定装置に両腕を拘束された『女帝』結月ゆかり。

 その傍らには、鳥籠のような次元固定装置に閉じ込められた、彼女の相棒の姿もあった。

 

「みゃうぅ……」

 

 不安げに主を見やるその小動物の姿も、その正体たるヴァジュラ型飛翔体『愚者』の脅威を知る者からすれば、十分に畏怖の対象だった。

 

「汝、特異点型高次元生命体、次元海賊を名乗る結月ゆかりよ」

 

 ミコトが、厳かに起訴状を読み上げるように尋ねる。

 

「破壊行為と国家そのものへの脅迫、そして戦略級大魔術による熒惑中枢部に対する破壊未遂の嫌疑に対し、申し開きはあるか?」

 

 「みゅあーっ」と、みゅかりさんが何か物申したげに鳴くが、一同は構わない。ゆかりは、ふ、と肩をすくめて退屈そうに言った。

 

「別に? 特にありませんよ。できるだけ早めにお願いします」

 

 そのあまりにも不遜な態度に、マキの手が怒りで腰に下げた霊子端末にかかる。それを、玉座のヒメがすっと手を上げて制した。

 

「その身体の構造のせいだろ?

不安定で、『世界の中』に居てすら……いいや、居ることで尚のこと不安定になっていく。

魔力で編んだ核を維持するために、『お宝』に頼らないと存在の維持すらできない……もはやアレだな。

お前、『獣』と呼ぶべきか? それとも『現象』と呼ぶべきか?」

 

 ヒメは嘲笑うように、ゆかりの存在の奥底を見透かして言った。

 その一言一言が、鋭い刃となって突き刺さる。

 それまで舐めきった態度だったゆかりの指がぴくりと震え、その身体に一瞬ノイズが走った。

 そして、その視線はヒメを射殺さんばかりに鋭さを増していく。

 

「みゃーっ! みゃあおっ! みゅみゅみゅぎゃーっ! ふしーっ!」

 

 主人への侮辱に、みゅかりさんが怒り狂って籠の中で暴れ回った。

 その鳴き声に、ミコトはふむ、と顎に手を置く。

 

「成程……ハナ、通訳してあげて」

 

『了。魂魄言語を解析し、通訳します』

 

 マキの鎧から、小神の凛々しい声が応答した。

 

「みゅみゅみゃー! 『ふざけるな! ふざけるな、お前! お姉様の苦しみも何も知らない、安定した世界の楔ごときにはわからないだろう! 世界に留まれない孤独が! 寂しさが!』 みゃあおー!」

 

 泣き声にも似た悲痛な叫びに、弓鶴は思わず同情の視線を向ける。

 異世界から来た彼にとって、どこにも安住できない身の上の孤独は、想像するだに恐ろしかった。

 

「みゃーみゃーみゅ! 『それでもお姉様は優しいんだぞ! 脱走して次元の狭間で意味消失しかけていた私を救ってくれた、家族になってくれた! 隙間を埋め合う行為だったとしても、私には愛するに十分値する! お姉様は優しくて強くて素敵で美しくて格好がえっちでうへへ、いつか私の卵を産んでくださ……』みゅるるるぅ、ぐるるなぉぉ、ふるる……」

 

 訴えが、あらぬ方向へと暴走を始めた。

 

「「ハナ(フーちゃん)、ストップ」」

 

 言葉が通じる機会だからといってそのあまりに倒錯した愛の告白に、ゆかりとマキは、同時に声を上げていた。

 二人とも、微妙に顔を赤らめ、気まずそうに。

 

 

 ヒメは、フンと鼻を鳴らすと、心底つまらなそうに言った。

 

「いずれにせよ、極刑に値する犯罪者に相違はない」

 

「ええ、そうですよ……私、はっ」

 

 ばき、ぱきっ……と。

 まるで乾ききった木材が、自らの重みに耐えきれず徐々にひび割れていくような、不吉な音が大広間に響き始めた。

 周囲の衛兵たちが何事かとエナジーガンの錫杖を向けるが、ゆかりはもはや、抵抗する意思すら失っていた。

 

ばきゃり。

 

 鈍い音を立て、彼女の足が砕けたのだ。

 まるで、波に攫われる脆い砂細工のように。その場に崩れ落ちる。

 

「始まったか……」

 

 冷ややかに、絶対的な高みから見下ろしながら、ヒメは予想していた崩壊の始まりにそう呟いた。

 それは神による裁きではない、予定されていたゆかり自身の身が抱える致命的なバグ、彼女に『自由』を強要する霧散の呪いの顕現だった。

 

「ぁぁ、ぐっ、はぁっ……お願いです、この手錠を、外してください……自由に、して……自由でないと、私は、存在をっ、維持、出来ない……」

 

「み゛ゅーーーーっ!!」

 

 悲鳴。

 引き裂くようなみゅかりさんの絶叫が、これが変幻自在たる彼女の演技ではないことを、明白に物語っていた。

 弓鶴が思わず立ち上がろうとするのを、マキが腕を掴んで制止する。

 相手は甘い人間などではない、神なのだ。

 

「その手でお前を捕らえた組織からも逃げさせてもらったんだろう? 甘さに縋るのも辞さない、誇りも何もない海賊という『現象』……だが残念だ。私たちはそんな価値観、とうの昔に超越している。叛逆には死を。攻撃には報復を。侵略者には滅亡を。わかりやすい基準だろ?」

 

 犬歯を覗かせ、ヒメは残酷に嗤う。

 ゆっくりと崩壊し、苦痛に喘ぐゆかりを愉しげに見下ろしながら。

 絶望に泣き叫ぶみゅかりを、痛快とばかりに見やりながら。

 

 ――我慢の、限界だった。

 

 弓鶴は、マキの手を振り払い、駆け出していた。

 

「弓鶴……っ!」

 

「お願いがあります、ヒメ様、ミコト様! 彼女を、助けてやってください!」

 

 床に額をこすりつけ、懇願する。

 弓鶴には、それしか出来ないと思っていた。

 しかし、奇跡は、神の手によってではなかった。

 

 ぱぁ、と。

 

 懇願する弓鶴自身の身体から、温かい黄金色の光が迸ったのだ。

 

「なっ……!」

 

 最初に驚いたのは、マキだった。

 ハナと視界を共有する彼女には、目の前で発生したエネルギーの奔流が、完全に未知の法則に支配されていることが分かった。

 

「これが……っ」

 

「きたぁーっ!」

 

 その光に、ミコトは気恥ずかしそうに身を抱き、ヒメは恍惚と目を輝かせてその現象を観察する。

 そして、光の奔流は、苦悶の表情を浮かべるゆかりへと注がれた。

 

「な、何を……っ、は、あっ、や……ああっ!?」

 

 びくん、と彼女の身体が大きく跳ねる。

 存在の格が、より高みへと無理やり引き上げられることに対する、魂そのものの悲鳴。

 それは苦痛に満ちているはずなのに、どこか甘美な響きを帯びていた。

 力は未だ不完全ながらも、一時的な安寧を、その魂に齎すことには成功したのだ。

 その証のように、砕けて塩の柱と化していたゆかりの脚が、急速に再生し、元の滑らかな肌を取り戻していく。

 

「みゅ、みゅーーっ!」

 

 神々しい復活劇に、みゅかりさんは涙を流して祈りを捧げる。

 神ではなく、目の前の奇跡に。弓鶴のBLESS(祝福)に。

 やがて光が止み、後に残ったのは、上気した顔で、乱れた髪のまま浅い呼吸を繰り返すゆかりの姿だった。

 潤んだ瞳は焦点を結ばず、艶めかしく喘ぎながら、激しい息を漏らしている。

 

「はぁっ……は、あっ……なに、なにが……はぁ、ぁ」

 

 気の抜けたような声を最後に、ゆかりは糸が切れたように意識を失った。

 

「な、これは……神様が?」

 

「いいや。是は――君自身が起こした奇跡だ、伊織弓鶴」

 

 震える声で問う弓鶴の勘違いを、ヒメはピシャリと許さなかった。

 

「弓鶴の、力?」

 

 マキが唖然としてヒメの言葉を反芻する。

 その思考の果てに、あの戦いでの奇跡的な現象もまた神の御業ではなく、彼の力だったのだと結びつき、戦慄を覚えた。

 

「天晴れである、伊織弓鶴!」

 

 ヒメは豪奢な扇子を両手に開き、その高揚のままに玉座の上に登り立つと、舞いながら弓鶴へと扇子を向けた。

 

「お前は我らからすれば正しく『未知の驚異』! 神をも恐れぬ奇想天外なるその力、もっともっと我らに魅せてくれ!」

 

 愕然とする弓鶴に、ミコトが補足するように告げる。

 

「ヒメはこう言っている。その女海賊を、マキの家にて匿えと。

お前の力は発現したてで未だ未熟だ。それゆえ、彼女はお前から離れれば即座に霧散してしまうだろう。完全覚醒したその力で、見事救って見せろと」

 

「それとっ! 私たちの下にも三日に一度お茶会に来い! 私がお前の自由な通行を許可する! その力を私たちにまた使っ……ゲフンゲフン、その前に、力を使いこなす練習を用意してやろう!」

 

 神々から一方的に課せられた、あまりにも重大な試練。

 弓鶴は、自らの力に戸惑う時間すら許されていなかった。

 

 

 

カコン

 

 と、ししおどしの音が、厳かに響き渡るマキの私邸。

 その縁側で、二人の少女は無言のまま顔を見合わせていた。

 一人は、正座で姿勢を正す主、弦巻マキ。もう一人は、重力を無視して宙にふよふよと浮かぶ客人、結月ゆかり。

 

 気まずい……。

 

 つい先日まで、互いの国の存亡を懸けて刃を交わし合った相手だ。

 それも、片や弓鶴への恋心を自覚したばかりの少女。

 そしてもう片やは、つい先ほど弓鶴に命を救われたばかりか、その未知なる力によって魂ごとよがり狂わされた直後である。

 

 どのような言葉を交わせば良いのか、マキが思いあぐねていると、沈黙を破ったのはゆかりの方だった。

 元来、その呪われた体質のせいで、彼女はこういった「停滞」を生理的に嫌う。

 

「弓鶴って子の事、好きなんですか?」

 

 あまりにも直接的なその言葉を理解するのに、マキは数秒を要した。

 そして、ボッと音を立てんばかりに顔を赤くする。

 

「はっ!? や、どうなんだろう……なに、昨日の敵の恋バナにでも乗ってくれるっていうの?」

 

「黙ってるよりはマシです。これから彼にもあなたにも世話になるんですから、状況を理解しておく必要はあるでしょう?」

 

 海賊として現れた時の彼女より、明らかに落ち着いた様子で、ゆかりは淡々と告げた。

 その態度に、マキは毒気を抜かれたようにぽつりと本音を漏らす。

 

「……弓鶴も、あんたと同じ異世界人。私の、死んだ婚約者にそっくりで……それで、小姓として雇ってる。まさか、弓鶴自身があんな力を持ってるなんて、知りもしなかった」

 

 カコン、と。再び、ししおどしが静寂を打つ。

 

「いや……」

 

 マキは、自嘲するように加えた。

 

「知ろうとも、していなかったんだろうな、私は……。私が彼に求めていたのは、あの子の代わり……亡霊の影に過ぎなかったんだから」

 

 今更ながらに、自分がいかに弓鶴という一人の人格を無視していたか。

 その事実に気づき、マキは頭を抱えた。

 一国を預かる将軍として、それは許されざる傲慢だ。

 そんな彼女の苦悩を見て、ゆかりは悪戯な三日月のように唇を歪める。

 

「なら、私が貰っちゃいましょうか? 彼の能力、色々と便利ですし」

 

 その一言で、マキの纏う空気が変わった。

 ビタッ、と。ゆかりの白い喉元に、蒼く輝く光の剣が突きつけられる。

 神業としか思えぬ、一瞬の抜刀。鞘走りさえ聞こえぬ、生死を弄ぶ威嚇だった。

 だが、ゆかりの表情は少しも揺るがない。

 高次元生命体故ではない。彼女には、マキの剣に真の殺意がないことが分かっていたからだ。

 

「弓鶴を、お宝として持っていく気か」

 

「亡霊の遺影よりは、マシでしょう?」

 

 硬く、重い空気が、屋敷の居間を凍てつかせた。

 その氷を破壊したのは、エプロン姿の少年が運んできた、あまりにも場違いで、温かい湯気だった。

 

「あのぉ、ご飯、出来ましたけど……?」

 

 お盆から漂う、芳しいお出汁と鶏肉の香り。

 それは人と異種の分け隔てなく、生命としての根源的な食欲をくすぐる。

 張り詰めていた二人の間の空気が、ふ、とかすかに和らいだ。

 

「……ぅ、弓鶴。それ、ズルい」

 

「……っふ、ははっ。確かに、只者ではない少年ですね、彼は」

 

 食欲に負けたマキが、子供のように拗ねた声を出す。

 それを見て、ゆかりが堪えきれずに愉快そうに笑った。

 将軍と海賊。

 相入れないはずの二人は、少年が作った地球風の親子丼を前にして食卓を囲み、共に舌鼓を打つ。

 それは、奇妙で、どこか温かい絆の始まりだった。

 

 

 

 夕食後の腹ごなしに、三人は再び道場へと赴いていた。

 弓鶴とマキが木刀を手に相対し、ゆかりはその傍らで興味深そうに正座して二人を見守る。

 

「では、よろしくお願いします!」

 

「こちらこそ、改めてよろしく……弓鶴!」

 

 心地よい緊張感が満ちる。だが、ゆかりは弓鶴の魂に宿る黄金色の光の揺らぎを見て、静かにマキへ警告した。

 

「言っておきますけど、それまでの少年と思わない方がいいですよ?」

 

「え……?」

 

 マキが、その短くはっきりとした言葉に首を傾げた、瞬間だった。

 弓鶴の身体が沈み込み、床を蹴る。

 それはただの踏み込みではなかった。空間そのものを圧縮するかのような一足で、マキとの距離が完全に消失する。

 

「「なっ……!?」」

 

 マキと、そして動いた弓鶴本人も、驚愕に目を見開いていた。

 ボイロウェポン――それは戦うことで覚醒する生物兵器。その魂の根幹に鋳込まれた闘争本能が、今、牙を剥いたのだ。

 マキとの稽古で蓄積された経験に鍛えられた肉体が、魂の奥底に眠っていた歴戦の記憶に一瞬にして支配された。

 その結果、弓鶴の肉体はマキの想像を数段飛び越えた戦闘挙動を可能としていた。

 木刀の切っ先が、マキのわずかな隙を完璧に捉える。

 だが、その刃が彼女の道着を掠める、まさにその刹那。

 

「……っ!」

 

 弓鶴は獣のような雄叫びを上げ、その軌道を無理矢理に捻じ曲げた。

 そして、振り抜いた木刀の柄(つか)を、自らの額へと強く、強く叩きつけた。

 鈍い音が響き、弓鶴の苦悶の声が漏れる。ボタタッ、と道場の清浄な床に、鮮血の染みが広がった。

 

「弓鶴! 馬鹿、何をっ……」

 

 マキが慌てて駆け寄り、差し出したハンカチを弓鶴の額に当てる。

 弓鶴は、痛みに顔を歪めながらも、どこか不服そうに言った。

 

「嫌ですよ。こんな借り物の力でマキさんから初めての一本を取ってしまったら、あなたの弟子を名乗れない」

 

「……ぇうっ?」

 

 その真っ直ぐな言葉に、マキは顔を赤くして言葉を失う。

 何が起きたのか、頭の理解はまだ追いついていない。だが、彼の言葉がどうしようもなく恥ずかしく、同時に、胸が張り裂けそうなほど嬉しかった。

 

「はいはい、ごちゃごちゃ言ってないで。ちょっと代わりましょうか」

 

 そこに、すっくと立ち上がったゆかりが割って入った。

 

「は、何で……」

 

「彼を覚醒させたのは、元を辿れば私の責任でもありますからね。彼がその力を制御したいと願うのなら、その練習台には私が適任でしょう? いわば、稽古のための稽古です」

 

 ゆかりの揺るぎない理屈に、マキはぐっと黙らされてしまう。

 

「少年にとっても、その方がやりやすいでしょう? その挙動に慣れて、自分のものとして制御できるようになったら、改めてマキさんと稽古すればいい。美味しいご飯のお礼です」

 

 意外にも義理堅い一面を見せるゆかりに、弓鶴は改めて一礼した。

 

「ありがとうございます! マキさん、すぐに……慣れてみせます!」

 

 血を流しながらも、その瞳に強い意志を宿して構える弓鶴に、マキの心臓がキュン、と鳴った。

 彼女は、込み上げる感情を隠すように、恥ずかしげに顔を俯かせる。

 

「う、うん……」

 

(まずい……こんな状態じゃあ、さっきのことを謝るどころか、何も言えないじゃない……!)

 

 マキは、自分が思っていたよりも遥かに、どうしようもなく〝ちょろい乙女〟なのではないかと、本気で思い始めていた。

 

 

 道場の空気が、再び張り詰める。

 ゆかりが、まるで粘度の高い液体をかき混ぜるかのように宙を手で撫でると、その軌跡に沿って幾つもの光点が生成された。

 それらは、敵意を象徴するかのような赤から、どこか優しい紫色の光へと輝きを変えていく。

 敵を焼き切る熱光学魔術を、物理的な衝撃と精神ダメージのみに限定する高等技術。

 それを機械の補助もなしに、たったワンアクションで完遂するその姿は、弓鶴の故郷にいるであろう魔術師が見れば噴飯ものの異常性だ。

 生憎、弓鶴は故郷に魔術師がいることすら知らないし、この場にその神業を理解できるのは、小さな獣の姿をした相棒しかいない。

 道場の端では、赤いままの顔を隠すように、マキがしょんぼりと三角座りをしていた。

 その隣で、ステルスを解いたみゅかりさんが、もみあげのような両前足をチアリーダーのポンポンのように振り、「みゅ、みゅ、みゅあーっ」とゆかりに声援を送っている。

 ゆかりの手元に、紫色の魔力光が収束して優美な曲刀を成した。

 

「私は実戦での野良剣術です。マキさんみたいに手加減はできませんので、お覚悟を」

 

「承知しています。では……いざ!」

 

 先の戦いで蹴り飛ばされた痛みの記憶と、彼女の変幻自在な戦い方を脳裏に焼き付け、弓鶴は強く床を踏み込んだ。

 速い。だが、どこか身体と意識がズレているような、ゆるい踏み込み。弓鶴自身が、その違和感に顔を顰める。

 

「耐えようと思うな、乗りこなせ!」

 

 ゆかりの鋭い声が飛ぶ。その言葉にハッとした弓鶴は、周囲を漂う光点が、今まさに輝きを増したことに気づいた。

 考えるな、感じろ。

 判断のままに、背後から放たれた衝撃の光線を、振り向きもせずに木刀で弾き返していた。

 

「実戦では、判断の遅れが死を招きます。魂が身体を操ってくる? そんな事で迷っていたら、マキさんを守れません……よっ!」

 

 踏み込んだゆかりが曲刀を振るう。木刀と打ち合う、バチンと弾けるような衝撃。

 だが、弓鶴の目は、先程とは違い、確かにゆかりの姿を捉えていた。

 

「少年! 君は、何のための稽古だと思っている!」

 

「俺は……っ!」

 

 バチン、バチンと、激しい剣戟の応酬。

 その最中、死角である背後に回り込んだ光点が光線を放つのを、弓鶴は「読んで」いた。

 見返さないまま木刀を振り上げ、背後からの光線を完璧に防ぐ。一対一の剣の応酬は、いつしか三次元の戦闘へと発展していた。

 

「勝つためですか? 遊びですか? それとも……守るためとでも言うつもりですか!?」

 

「助ける、ためだ!」

 

 弓鶴は叫びと共に、周囲の光点を残らず切り払う。

 だが、その刹那。彼の喉元に、ゆかりの紫色の曲刀が、ぴたりと突きつけられていた。

 

「……お見事」

 

 負けたはずの弓鶴に、ゆかりはそう言った。それは、嘲りやからかいといった感情を含まない、純粋な称賛だった。

 彼は、たった一回の立ち合いで、その暴走する本能を、見事に乗りこなしてみせたのだ。

 

「重要なのは、力の乗りこなし方です。あの邪神の言ですが『獣』である私が言うのですから、まず間違いはありませんよ」

 

 その言葉に、偽りはなかった。

 

 

 紫色の光点が、淡雪のように溶けて消える。道場の中心で、弓鶴の喉元に突きつけられていた曲刀が霧散した。

 

「ほら、お返しします」

 

 まるで借りてきた猫を返すように、ゆかりは顎をしゃくり、マキに言った。

 

「にぇ、あ、うん……」

 

 当のマキは、道場の隅で膝を抱えたまま、まだ先程からの気恥ずかしさでそれどころではない。

 そんな彼女を見て、ゆかりは意地悪く口元を歪めた。

 

「おや、このまま私が弓鶴さんの指導役を代わってしまってもいいんですか?」

 

「ふ、ふざけっ……!」

 

 その挑発に、マキはようやく我に返って立ち上がる。そして、どこか決まり悪そうに、しかし真っ直ぐにゆかりを見据えた。

 

「……ありがとうにぇ。ゆかり」

 

 名前を呼んで、感謝を告げる。

 たったそれだけの事に、ゆかりは虚を突かれたように目を見開いた。

 その表情には、初めて向けられる種類の感情に対する、明らかな衝撃が浮かんでいる。

 

「教え方、すごく上手かったと思う。私にはわからない分野だったから、助かったよ、本当に……」

 

「……はん。せっかく見ていた稽古が、あんなあっけない内容で終わるのが、ただつまらなかっただけですので」

 

 ゆかりもまた、込み上げる気恥ずかしさを誤魔化すように、ぷいと目を逸らして言った。

 そんな二人の間に流れる、ぎこちなくも温かい空気を、弓鶴は微笑ましげに見守る。

 

「みゅあー……(ゆかりさんのデレも可愛いみゅー)」

 

 小さな相棒の心の声が、その意思も交えて聞こえた気がした。

 そして……弓鶴とマキが、改めて道場の中央で向き合った。

 弓鶴の纏う雰囲気から、先程までの制御不能な荒々しさは鳴りを潜めている。

 しかし、その立ち姿と眼差しは、間違いなく数段成長を遂げた愛弟子のものであった。

 マキは一つ深く呼吸をし、浮ついた思考を脳裏から追い出す。

 

 これはもう、亡き婚約者の面影ではない。

 

 守るべきだけの存在でもない。

 

「……弓鶴。ここからは本気で稽古をつけていく。気を引き締めて、かかってきなさい」

 

 その声は、凛とした将軍のものであり、厳しくも優しい師匠のものだった。

 弓鶴も、その言葉に込められた意図を即座に察する。

 これは、伊織弓鶴という一人の弟子を、本格的に鍛え上げるという意思表示だ。

 

 高揚が、彼の全身を駆け巡った。

 

「……っ、ハイッ! マキさん! 全力で行きます!」

 

 力強い返事と共に、二人の影が再び交錯する。

 道場に響く剣の応酬は、それまでよりも数段激しく、そして澄み切っていた。

 

 ――その日の稽古は、弓鶴の完敗に終わった。

 だが彼の顔には、清々しい汗と共に、確かな手応えと喜悦の笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 道場の床に流した汗は、心地よい疲労感を弓鶴の身体に残していた。

 更衣室で道着を脱ぎ、備え付けのタオルを肩にかける。道場横の簡易浄化設備だけでは物足りない。

 この屋敷には、熒惑の壮大な景色を一望できる、温泉もかくやというほどの露天の大浴場があるのだ。

 もちろん、マキと一緒に入るわけにもいかず、お互い時間をずらして利用する約束をしていた。

 そして、弓鶴もマキも、完全に忘れていたのだ。

 

 その約束を、もう一人の同居人と交わし忘れていたことを。

 

ガラッ

 

 と、湯気の立ち込める空間へ続く戸を開けた瞬間、弓鶴の視界に飛び込んできたのは、虚を突かれたようにこちらを見るゆかりの顔と、幸運にも乳白色の湯に隠された彼女の裸体。

 その背中、肩甲骨の隙間に、蛇の尾をもつ鳥のような、人工的な紋様が一瞬だけ見えた。

 そして、思考が追いつくより早く、顔面に叩きつけられたモフモフの全身だった。

 

べしょん!

 

 水を吸いきったみゅかりさんの身体は、意外なほどの質量を持っていた。その衝撃が、弓鶴の脳天をぐらりと揺さぶる。

 

「ぶわーっ!?」

 

「みゅみゅみゅかーっ! みゅぎゃー!

(お前やりおったな! ついにやりおったな!いてこましたろかこの天然がぁ!)」

 

 弓鶴の顔の上で、濡れた毛皮がじたばたと暴れ、全力の威嚇が至近距離で鳴り響く。

 そのカオスを、湯船からのんびりとした声が嗜めた。

 

「フーちゃん、いいですよ別に。私、そういう機能ありませんし……よっと」

 

 ゆかりが手元をいじると、ふわりと光の粒子が集まり、彼女の慎ましい胸と腰回りを覆うタオルのようなものを形成する。そして、悪戯っぽく微笑んで、こう続けた。

 

「少年も、おいで?」

 

 その、あまりにも妖艶な響きを持った誘いに、弓鶴と、彼の顔面にしがみつくみゅかりさんが、同時にピシリと固まった。

 

(え、あ、良いのかなぁ……これ?)

 

(こ、このオスを、お姉様と一緒の湯船に入れて良いものか……!?

だが、お姉様がこうして誰かと湯に入るなど、あの孤独な生活じゃあ出来なかった経験っ……! あ、あああ……!)

 

 みゅかりさんは、主への忠誠心と、主の新たな経験を尊重したいという葛藤の狭間で、完全にフリーズしてしまった。

 弓鶴は、とりあえず腰にタオルを巻くと、作法通りに身体を清め、おそるおそる湯船の端に身体を沈めた。

 

「はふ、ぅ……」

 

 稽古の疲れが、じんわりと湯に溶けていく。

 眼下には果てしない桜色の雲海と、そこに浮かぶ木造都市の美しい夜景。

 遥か上空、御神木の枝葉から滴り落ちる湯は、ほのかに神力を帯びているのか、身体の芯から温めてくれるようだった。

 

「……温泉って、こんなにも気持ちよかったんですね」

 

 隣で、ゆかりが心地よさそうに呟いた。

 彼女は、人の形をとった魔力の塊に過ぎない。本来、入浴など必要ないはずだ。

 

「まぁ、機能的に、私が入る必要は本当はないんですが」

 

 そう言いながら、彼女は楽しげに湯を手にすくい、その温かさと肌を撫でる刺激に、くすりと笑って小さく身を震わせた。

 その姿は、初めて知る心地よさに、無邪気に喜ぶ少女のようでもあった。

 

 

 湯上がりの火照った身体に、熒惑の涼やかな夜風が心地よい。

 ふと、おもむろに、ゆかりが口を開いた。

 

「長くて、一日でした」

 

 弓鶴が見やると、そこには薄紫に輝く月に照らされた、人形のように美しい少女の姿があった。

 そのアメジスト色の瞳は、眼下に広がる雲海を見つめている。

 

「世界一つに、私が滞在できた時間です。そこまで耐えた時点で、私は塩のかけらになって世界から脱出し、次元の狭間で情報渦の流れに乗りながら、なんとか魔力をかき集めて元の姿を再構築しましたっけ……。あれ以来、私は身体機能のほとんどをオミットして、少しでも長く世界に潜り込み、お宝を手に入れる……それだけを目的に、存在してきました」

 

 一つの世界に滞在できない、霧散の体質。

 その中で生きるための、本能に刻まれた生存戦略。

 

「当然、訪れた世界を堪能する余裕など、あるはずもありませんでした」

 

 それは、ゆかりから余裕と、知性を持った人間らしさを蝕み、奪っていったのだろう。

 どこか寂しげなその言葉に、弓鶴の心がちくりと痛む。

 

「だから……初めて一日以上滞在できたのが、この世界でよかった。

私は、こんなにも美しい宝を、壊そうとしていたんですね……」

 

 熒惑の夜景をその双眸に焼き付けようとする彼女の瞳は潤み、やがて一筋の涙が頬を伝った。

 その涙を見て、弓鶴の中で何かが決まった。

 

「ゆかりさん。俺が絶対に……その呪いを、解いてみせます!」

 

 彼は、ゆかりの冷たい手を取り、その顔を正面から見据えた。決意に満ちた、真っ直ぐな瞳。

 ゆかりの驚きに丸くなった瞳が、戸惑うように揺れる。

 

「……馬鹿ですね。そんな事、軽々しく口にして」

 

 きっと、この少年はそういう人間なのだ、とゆかりは思った。

 誰にでも、分け隔てなく、その愚直なまでの優しさで突っ走る。

 気恥ずかしさに顔を逸らしても、彼女の瞳は、何度も弓鶴のほうへと向いてしまう。

 なんと眩しく、美しいのだろう。それこそ、今まで手に入れたどんなお宝よりも。

 これでは、マキという少女が彼に惹かれる気持ちも、よくわかってしまう。

 

「みゃぁ〜あ゛〜〜!」

 

「何? あっ、ちょ、やめ、髪の毛を引っ張らないでフーちゃんさん! いだだだだ!」

 

 いつの間にか復活していたみゅかりさんが、弓鶴の頭の上に乗っかり、主の潤んだ瞳を見て嫉妬を隠さず髪を引っ張り始めた。

 暴れる弓鶴の姿に、張り詰めていたものが切れたように、ゆかりが吹き出す。

 

「ぷっ、あは、ははっ。楽しみにしてますよ、弓鶴さん」

 

 初めて呼ばれた、その響き。

 

 ゆかりは弓鶴の頭からみゅかりさんをひょいと掴んで引き剥がし、ふわりと身体に衣服を生成させながら宙に飛び上がる。

 そして、上の階に開いていた窓から自室へ入り込みながら、悪戯っぽくウィンクをして、弓鶴に手を振っていった。

 弓鶴は呆然と、その姿に手を振り返しながら、ふと気づいた。

 

「あ、名前で呼んでくれた……。よし、頑張るぞぉ! 帰るのも、助けるのも!」

 

 両頬をパン! と張り手して、弓鶴は気合を入れ直す。

 その様子を更衣室の陰からこっそり聞いていたマキもまた、安心したように小さくため息をつくと、自室へと戻っていった。

 熒惑の澄んだ夜空に、弓鶴のやる気に満ちた声だけが、いつまでも響き渡っていた。

 

 

 

 

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