VOICEROIDのウェポンサイド//双天の鶴翼円舞   作:EMM@苗床星人

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熒惑編 第四幕 弓鶴、雷鳴を下す

 

 その日は、休日だというのに、勢天町は朝から生憎の大雨に見舞われていた。

 窓ガラスを叩きつける荒々しい雨脚に、琴葉茜はリビングのソファで憂鬱そうに頬杖をつく。

 

「うーわ、最悪や……。今日の見回り(パトロール)が、えらい厄介になりそうやなぁ」

 

 TOWETから通達されている定時任務。

 この悪天候の中、びしょ濡れになることを想像し、茜はあからさまにげんなりとした溜息を漏らした。

 そんな時だった。

 階段からパタパタと軽い足音が響き、エプロンを身に着けた弦巻マキが、綺麗に畳まれた洗濯物の束を抱えて降りてきた。

 

「茜ちゃんっ、お待たせ! 洗濯物、片付けといたよっと」

 

「おぉ、マキちゃん! 助かるわぁ、おおきに!」

 

 差し出された洗濯物を受け取りながら、茜は素直に感謝を口にする。

 異世界『天雷熒惑府』からやってきた彼女たち――マキと結月ゆかりが琴葉家に居候を始めて数日。二人は驚くほどの早さで、この世界の生活に馴染んでいた。

 特にマキは、元々が真面目な武家のお嬢様らしく、非常に家庭的だった。

 炊事、洗濯、掃除と、その手際は完璧で、今や琴葉家の家事の半分は彼女が担っていると言っても過言ではない。

 

「しかし、ほんま……元異世界の将軍さまとは思えへんくらい、そのエプロン姿が似合うなぁ」

 

 茜が感じたままを告げると、マキは「えっ」と一瞬きょとんとし、次の瞬間には顔を真っ赤にしてぶんぶんと首を横に振った。

 

「そ、そんなことないにぇ!? わ、私はまだまだ……」

 

あ、照れた。

 

(う……嫁ポイント、高え……!)

 

 図らずも恋敵の底知れぬ魅力を発見してしまった茜が、そのあまりの破壊力に内心で慄いていると。

 ふわり、と。

 会話に割り込むように、廊下を重力無視で漂っていたゆかりが、ジト目も露わに茜を見下ろした。

 

「……はぁ。弓鶴も本気で心配するレベルのリーサル・ウェポンだったあなたが、よくもまぁそんなことが言えたものですね」

 

 ゆかりの棘のある(しかし的を射ている気もする)発言に、茜はぐっと言葉を詰まらせる。

 リーサル・ウェポン。その単語から、茜はなんとなくしっくりくるイメージを脳裏に浮かべていた。

 具体的に言うと、朝の時間帯に時折やっている、こちらの地球の時代劇だ。

 舞台も時代も異なるが、高貴な身分を隠して町人に化け、市井の悪を討つ将軍様。

 まさにそのイメージだ。

 しかし、今のマキは、もはや町人というよりも……。

 

「へへへ……。でも、そんな私を救ってくれたのも、弓鶴だもんにぇ」

 

 ゆかりの言葉を肯定するように、マキははにかんだ。

 抱えた洗濯物に顔をうずめるようにして口元を隠し、その頬を幸せそうに朱に染める。

 その姿は、そう。

 新婚の奥さん――そう言った方が、より正確に見えた。

 

 

 

「見回りついでに、皆で遊びに行こ!」

 

 茜のそんな提案で、一行は休日のショッピングモール『ARIA』へと足を運んでいた。

 そもそも、TOWEATには予知や高次元知覚系のBLESS能力者による、高精度の『運命予報チーム』というものが存在する。

 琴葉姉妹に課せられたパトロール任務は、その予報の網の目をすり抜けて突発的に発生する、偶発的なアノマリーへの対策に過ぎない。

 極論、ARIA地下のTOWEAT支部に定期報告さえ忘れなければ、街中で遊び歩いていようが基本的に自由なのである。

 そんな事情で、一行は堂々とゲームセンターで羽を伸ばしていた。

 

「あー! ゆかりんズルすんなや!」「壁抜けで景品直取りは反則です!」

 

「海賊は欲しいものを力ずくで奪うのが仕事なんですぅー」

 

「「あかん言うとるやろ!」」

 

 UFOキャッチャーの前で、物理法則を無視しようとするゆかりと、それを必死で羽交い絞めにする琴葉姉妹のコントが繰り広げられている。

 その喧騒を背に、マキは一人、拳銃型コントローラーを握りしめていた。

 ガンシューティングゲームだ。

 画面の中、薄暗い曇天の下、次々と際限なく襲い来るゾンビや不気味な生物兵器の群れ。

 その景色に、その相手に、マキの目は急速に光を失っていく。

 

タン、タン、タンッ――!

 

 乾いた発砲音と共に、画面上の敵が正確に頭部を撃ち抜かれていく。

 一切の無駄弾なし。百発百中の神業だ。

 いつしかマキの周囲には人だかりができ、その腕前に感嘆の声が漏れ始める。

 だが、マキ本人は気づいていない。

 彼女の瞳は、もはやゲームセンターのそれではなく、血と硝煙の匂い立つ戦場のものへと変貌していた。

 その肩を、ぽん、と優しく叩く手があった。

 ちょうど画面に『PERFECT』の文字が躍った、そのタイミングで。

 

「マキさん。顔、顔」

 

 穏やかな声に振り向けば、そこには苦笑いを浮かべた伊織弓鶴が立っていた。

 

「にぇっ!?」

 

 マキは瞬時に我に返る。自分の頬が強張っているのが分かった。

 

「え、あ、私、もしかして……将軍の顔、しちゃってた?」

 

「まぁ、仕方ないですよ。こういうゲーム、『経験持ち』には逆にきついですから」

 

 笑顔で応じる弓鶴に、マキの顔がカッと熱くなる。

 異世界の将軍としての自分も、こうしてゲームにムキになる自分も、そのどちらも彼に受け止められている。

 その事実が、恥ずかしくも、たまらなく嬉しかった。

 マキは意味もなくもじもじと身体を揺らしてしまう。

 

(くそっ……! 弓鶴兄ちゃんはかっこいいし、マキちゃんは可愛いかよ……!)

 

 その一部始終を、ゆかりを捕獲した琴葉姉妹が覗き見ていた。

 茜は、もはや我慢ならなかった。

 

「うちらかて『経験持ち』やでぇ!」

 

「マキさん、得点勝負、お願いします!」

 

 対抗心を燃やした二人が、マキの隣の筐体に駆け込み、コインを投入する。

 双子ならではの息のあった連携で、茜が雑魚を掃討し、葵が的確にボスを仕留める。

 瞬く間に、マキに匹敵する点数が叩き出されていく。

 

「……ははっ、負けないよ!」

 

 ライバルの登場に、マキの目にも再び闘志の火が灯る。

 三人の少女による、常人離れしたハイスコアバトルが白熱した、その時。

 いつの間にか背後に漂っていたゆかりが、面倒くさそうに呟いた。

 

「勢い余って、弓鶴どころか姉妹相手に告白するんじゃありませんよー」

 

「「「!?」」」

 

 ゆかりの余計な一言に、三人の射線が同時に、あらぬ方向へと逸れた。

 

「んなっ……! あ、あれは、相手が弓鶴だから、好きって言ったんだよぉ!」

 

 マキが顔を真っ赤にして否定する。

 だが、それが琴葉姉妹のアンテナに引っかかった。

 

「「……なんやて?(なんですって?)」」

 

「あっ……! そ、その、違くて……いや、違わないんだけど……あう……」

 

「なんだ、惚気かぁ」「リア充は帰ってくれ」

 

 事情を察したギャラリーたちが、興味を失ったようにぞろぞろと去っていく。

 双子の興味は、もはやゲームのスコアではなく、その「告白エピソード」へと完全にシフトしていた。

 

 そして、伊織弓鶴は。

 去っていくオーディエンスの中に紛れ、一人、顔を真っ赤にしてその場から逃げ出していた。

 

 

 

 ショッピングモール『ARIA』の喧騒から離れ、一行は業務用エレベーターホールへと向かう。

 葵が階数ボタンを操作し、一見ランダムに見える特殊なパスコードを打ち込むと、エレベーターは静かに地下深くへと下降を始めた。

 やがて到着したのは、ARIAの華やかな内装とはうって変わって、機能美に満ちた白い空間。

 TOWEAT勢天町支部のロビーである。

 葵が備え付けのコンソールに向かい、手早く今日のパトロール報告書をタイプしていく。

 その間、他のメンバーはロビーに設置されたソファで、地上のにわか雨が上がるのを待つことにした。

 カチリ、とエンターキーの軽い音が響く。

 

「ふぅ……これで今日の任務は終わり、っと」

 

 葵もソファに加わり、全員がしばし無言で寛いでいた、その時。

 沈黙を破ったのは、ずっと何かを考えていた様子の茜だった。

 

「……なぁ、マキさん」

 

「にぇ?」

 

「さっき、ゲーセンでゆかりんが言うてた、マキさんの『告白』って……」

 

 びくり、とマキの肩が跳ねた。

 

「う……! そ、それ、言わなきゃダメ……?」

 

 みるみるうちに顔を赤くし、恥ずかしそうに俯いてしまうマキ。

 そのあまりの初心な反応に、さすがの茜もわずかな罪悪感が湧く。

 

(う、なんか悪いことした気になってまう……)

 

 だが、と茜は内なる感傷を振り払う。

 

(あかん、これは義務や!)

 

 こっちは3年間、大事な義兄を異世界に奪われ、置いてきぼりを食らったのだ。

 あの空白の3年間に何があったのか。

 弓鶴がどんな戦いを潜り抜け、マキたちとどんな関係を築いたのか。

 それは、弓鶴の家族として知る権利であり、同時に、危険な『特異点』の帰還を管理するTOWEATのエージェントとしての、公的な義務でもある。

 たとえ相手がマキ(ライバル)であっても、本人たちに直接聞かねばならない。

 茜の瞳が真剣な光を帯びたのを察したのだろう。

 気まずそうにするマキの隣で、弓鶴が静かに口を開いた。

 

「さっき、ゆかりさんが言ってたのは、本当だよ」

 

 彼は、ゲームセンターでの出来事を思い返すように、わずかに目を伏せる。

 

「……あれは、マキさんなりの祝福であり、同時に、本心でもあるんだって……俺にもわかってる」

 

 弓鶴の優しい声に、マキもこくりと頷く。

 その瞳は、過去を懐かしむように潤んでいた。

 

「うん……。あの真剣勝負が、私がこの世界に来た、ううん……私が、『将軍』っていう重たい責任から……解放される、大事な切っ掛けになったんだよ……にぇ」

 

 それは、二人が決して忘れることのない思い出。

 弓鶴が異界『天雷熒惑府』で過ごした日々の、まだ語られていなかった過去の続きが、今、静かに語られ始めていく。

 

 

 

 

 

 

 その頃には、伊織弓鶴がこの異世界『天雷熒惑府』に転移してから、およそ一年の月日が流れていた。

 道場には、木刀が空を切る音だけが鋭く響き渡る。

 張り詰めた空気の中、弦巻マキの渾身の一撃が、必殺の間合いで弓鶴に迫る。

 しかし、弓鶴はもはやその一撃に怯まない。

 最小限の動きで木刀を操り、マキの刃筋を滑らせるように受け流す。

 一年前には見ることさえ叶わなかった、神速の剣。

 その勢いを利用し、流れるような一連の動作の中で、弓鶴の身体はマキの懐深くに踏み込んでいた。

 振り下ろされた弓鶴の木刀が、マキの真正面、その鼻先寸で、ぴたりと止まった。

 

「……っは、ははっ……参りました」

 

 一拍。

 

 マキが、絞り出すように降参を告げた。

 それを聞いた瞬間、弓鶴もまた張り詰めていた息を大きく吐き出す。

 

「……はぁっ、あはは! やった! やったぞぉっ!」

 

 張り詰めた空気が一気に解け、弓鶴は子供のように拳を握って飛び跳ねる。

 マキもまた、悔しさよりも清々しさが勝った顔で、そんな彼に笑顔を向けた。

 道場の隅でその様子を眺めていたゆかりが、やれやれとでも言うように腕を組み直す。

 

 この日、伊織弓鶴は、初めて稽古において師であるマキから一本を取ることに成功した。

 

 その日の晩は、マキが個人的な知り合いを呼び集め、ささやかだが盛大な祝宴が催された。

 どこからか聞きつけた双子神、ヒメとミコトまで当然のように上座に座っていたことには、弓鶴の肝が冷えたが……。

 

 食卓を彩るのは、やはり弓鶴が腕を振るった、こちらの食材に日本式のアレンジを加えた料理の数々だ。

 参加した者たちは皆、初めて味わうその繊細な風味に舌鼓を打っている。

 

「ねぇマキ、弓鶴くん、しばらく厨房係として貸してくんない?」

 

「さしものヒメ様でも、それは駄目でーす」

 

 そんな軽口が飛び交う中、一人の少女が弓鶴の隣にちょこんと腰を下ろした。

 

「キミが弓鶴くん? マキ将軍から噂は聞いてたけど、確かにいい男だね」

 

 顎に手を当てて、品定めするように弓鶴を見つめる。

 重くないのかと突っ込みたくなるような、フグのようでもあり、マンボウのようでもあり、あるいは巨大なお玉杓子(たまじゃくし)のようでもある、なんとも言えないファンシーなデザインの木製機械の帽子。

 彼女こそ、熒惑幕府におけるマキの腹心の一人、音街雨奈魏姫(オトマチウナギノヒメ)――通称、ウナだった。

 

「いやぁ、そうかな?」

 

 社交辞令とはいえ、真正面からそう言われて弓鶴は照れる。だが……

 

「やめときなよウナ。そんなあからさまな声の掛け方、マキ様に怒られるよ?」

 

 もう一人、涼やかな色の羽織をまとった少女が、ウナを嗜めるように言った。

 宮舞有神月姫(ミヤマイモカヅキノヒメ)――通称、モカ。

 彼女もウナと同じくマキの部下である。

 

「え? マキさんだったら、そんなことで怒ったりなんか……」

 

 弓鶴が慌ててフォローしようとすると、モカは明らかに不機嫌そうに、すっと目を細めて弓鶴を睨んだ。

 

「……あなたは、マキ将軍のお気に入りだから、そう思うんでしょうけど……っ」

 

 それだけを言い残し、モカはすたすたと別のテーブルへと向かってしまう。

 残されたウナは、やれやれとため息をついた。

 

「怒られるような対応してんのはどっちだっての……。気にしないでいーよ、弓鶴くん。モカちゃん、最近マキ様に任務の件でどやされたばっかりだからさ」

 

「あ、そうなんだ……」

 

「ウナたちもね、マキ様の弟子なんだよ。幕府での、ね」

 

「弟子? でも、幕府での部下なんですよね?」

 

 弓鶴が素朴な疑問を口にすると、ウナは少し困ったような顔になり、言葉を選んだ。

 

「うーん……マキ様の事だし、たぶん自分の口からは言いたがらないか……。ま、とにかく。ウナたちに求められてる期待と、弓鶴くんに求められてる期待は、別物ってコトで」

 

 そう言うと、ウナは「モカちゃんほっとけないから!」と、慌てて彼女の後を追っていった。

 祝宴はその後も和気藹々と進み、夜更けと共に和やかに終わった。

 だが、弓鶴の胸には、ウナとモカの残した言葉が、わずかな、しかし消えない違和感として、確かに引っかかっていた。

 

 

 

 『混ぜ物』――熒惑幕府での公式呼称が『怪異源(かいいげん)』と変更されたそれらは、あの津施街の襲撃を境に、堰を切ったように頻繁に発生するようになっていた。

 その形質は様々だった。未知の技術を操る死んだ機械のゾンビたち。魔術を操る異形の生命体。あるいは、弓鶴の記憶にもあるような現代的な戦車や戦艦を、何か別の力で無理やり歪め、飛行させたかのような不気味な艦隊。

 その姿に一貫性はなく、ただ、纏わりつくようなおぞましい魔力だけが、それらの統一感を辛うじて示していた。

 木製戦艦の艦橋、玉座に座るマキの傍らで、ウナが自身の帽子――『おたまん帽』というらしい――の口から吐き出された書面を読み上げ、うげぇ、と心底嫌なものを見た顔をした。

 

「やはり『混ぜ物』ってヒメミコ様達の呼び名も、あながち間違ってなかったみたいですね……。複数の世界の残骸を、意識を持たせたまま無理やり混ぜ合わせて、憎しみだけで動かしている……。胸糞悪い合成存在、というのが解析班の見立てです」

 

「将軍、やはりここは我らが……」

 

 モカが前に進み出ようとするのを、マキは静かに手で制した。

 その瞳は、眼前の宙域を映す霊子モニターを静かに見据えている。

 

「侵略者の対処は、将軍(わたし)の務めだよ、モカ。……大丈夫、出るのは最後にするよ」

 

 そう言った、矢先だった。

 

「――! 次元跳躍反応収束! 敵性怪異源、目視可能な空間に出現します!」

 

 オペレーターの絶叫が艦橋に響く。

 空間が奇異感と共に引き裂かれ、そこから吐き出された艦隊の姿を見た瞬間、マキの目が驚愕に見開かれた。

 

「あれは……っ、おい! 何でだ! 『亞里亞銀河帝国』は……もう滅んだと、報告されていたはずだ!」

 

 それは、かつてこの熒惑を侵略しに来た、忌まわしき帝国の名。

 先代の将軍と、そして――伊織弓鶴翅尊の命懸けの防衛によって食い止められている間に、何らかの内的災害によって自滅したとされている、かの暴力の化身。

 その所属を示すかのように、鋼鉄の艦隊のエネルギーラインは、特徴的な虹色をして禍々しく輝いていた。

 だが、その表面に蠢く乗組員たちは、もはや帝国の兵士ではなかった。

 いずれも生命の輝きを失った哀れな骨の人形に、醜悪な肉腫が寄生するように取り憑き、無理やり動かしているかのような、異形の屍兵(しへい)と化していた。

 

「あいつらまで……怪異源にっ、て、将軍!?」

 

 ウナが制止する間もなかった。

 マキは玉座から音もなく立ち上がり、次の瞬間には、艦橋から直接宇宙(そら)へと躍り出ていた。

 その背中のバーニアが、彼女の胸の内を示すかのように、鮮血の如き赤い光を激しく噴出させる。

 一つ飛びに、マキは敵艦隊の眼前へと踊り出た。

 

「畏み、畏み申白(もう)す」

 

 短く、祝詞(のりと)が紡がれる。

 その声は、普段のマキが出すことのない、低く、冷たい怒りに微かに震えていた。

 かつてのトラウマ。

 かつての宿怨。

 かつての……悲しい記憶。

 

 守るべき民を蹂躙し、尊敬する先達を、そして何より愛した男を奪った、その象徴。

 それらが、今、最も醜悪な形で、死者を冒涜する玩具として目の前にある。

 マキの心は、燃え盛る激情に支配されはしなかった。

 ただ、静かに。

 その冒涜への、冷え冷えとした殺意の炎が、彼女の魂の芯を焦がしていた。

 

「ハナ。――灰燼に、帰せ」

 

『了。』

 

 彼女の怒りを表すかのように、虚空から召喚されたのは、強大な雷光を纏う巨大な戦斧だった。

 

 たった、一太刀。

 

 屍兵の群れと成り果てた忌まわしき記憶ごと、マキは眼前の艦隊全てを、その一太刀の下に完全な塵へと消滅せしめたのだった。

 

 

 

 その日が、皮切りだった。

 

「マキさん! 今日の稽古、だけど……」

 

「……ごめん、弓鶴。今日も、ちょっと公務が忙しいんだ。御免」

 

 常の柔和な笑顔は消え、事務的な、どこか張り詰めた表情でマキは弓鶴の誘いを断った。

 あの日、弓鶴が初めて一本を取った、あの祝宴の日を境に。

 マキは、その日から何も言わず、弓鶴たちとの稽古を一方的に棚上げした。

 「公務」という一言を盾に、幕府での仕事に執心するようになった。

 屋敷に帰ってこない日すらあった。

 たまに帰ってきたと思えば、疲れ切った顔で誰とも口を利かず、真っ直ぐ寝室に引きこもっては、泥のように眠ってしまう。

 弓鶴が心を込めて作った食事にさえ、一切手をつけない日が続いた。

 まるで あの晩餐が、穏やかな時間への「最後通牒」であったとでも言うかのように。

 この、あまりにも急な、あまりにも冷たい態度の落差が、弓鶴の胸の内に「何故だ」という焦燥と、やり場のない激情の火をつけた。

 

 納得できるはずもなかった。

 稽古から外された弓鶴は、逸る心を抑えきれぬまま、幕府内部の道場へと足を運んでいた。

 そこは、ただの板張りの道場ではない。熒惑の技術の粋を凝らした、擬似環境再現シミュレーターを備えた実戦訓練室だ。

 そして、目撃してしまう。

 

「遅い! その一瞬の判断の遅れが、街一つを灰にする!」

 

 マキの、凍てつくような怒声が飛ぶ。

 道場には、カコン、という木刀のぶつかる音など響いていない。

 本物のエネルギーとエネルギーが衝突する、灼熱の衝撃波が吹き荒れていた。

 

「がっ……!」

 

 モカが防御ごと吹き飛ばされ、シミュレーターの壁に激しく叩きつけられて激しく咳き込む。

 

「ウナ! 予測が甘い! 敵は常にこちらの想定を超えてくると思え!」

 

 這い上がろうとするモカを庇おうとしたウナの防御障壁が、マキの情け容赦ない追撃によって、ガラスのようにいとも容易く砕け散る。

 二人はすでにボロボロだった。だが、必死の形相で立ち上がり、マキに食らいつこうとしていた。

 あれは、稽古ではない。

 弓鶴が受けていた「弟子」としての、成長を促すための導きとは、似ても似つかない。 実戦そのもの。命のやり取り。

 一切の加減のない、苛烈を極めた「将軍」としての訓練だった。

 

「あれが、マキさんの……『戦場』の、顔……」

 

 弓鶴は息を呑んだ。

 自分が知る、優しく家庭的な彼女の姿はどこにもない。

 そこにいたのは、ただ冷徹に部下を鍛え上げる、孤高の将だった。

 その時、訓練の合間に、壁際で荒い息をついていたモカが、道場の入り口に立ち尽くす弓鶴の存在に気づいた。

 その瞳は、弓鶴を責めてはいなかった。 ただ、どうしようもない事実を突きつけるかのように、深い断絶の色を映していた。

 

「……っ」

 

 ウナもまた弓鶴に気づき、悲しそうに、気まずそうに目を伏せた。

 見えない壁。 祝宴の夜の、二人の言葉が脳裏に蘇る。

 

――あなたは、マキ将軍のお気に入りだから。 ――ウナたちに求められてる期待と、弓鶴くんに求められてる期待は、別物ってコトで。

 

 自分は「お気に入り」であり、「客人」であり、守られるべき存在。

 彼女たちは「後継者」であり、「兵士」であり、死ぬための覚悟を今この瞬間も叩き込まれている存在。

 

 そのどうしようもない、絶対的な断絶の認識が。

 弓鶴の中で張り詰めていた我慢の限界を、とうとう音を立てて超えさせた。

 

 

 その日の夕刻。

 熒惑の神々が祀られる御神木の最奥、神殿にて、マキは呼び出されていた。

 

「ヒメ様、ミコト様、何用でございましょうか」

 

 厳かな静寂の中、マキは低頭する。

 あの祝宴で軽口を交わしていた、年頃の少女としての顔ではない。

 完全に神に仕える武士の顔で、彼女は主(あるじ)たる神々の顕現を待った。

 しかし、神々はすでに玉座の裏側に顕現していた。

 ヒメが、その状況を楽しんでいるかのようにイタズラっぽく笑っている。

 

「――神前試合を、申し込む」

 

 凛とした声が、玉座の間の奥から響いた。

 マキが顔を上げると、そこに立っていたのは、まっすぐな瞳でこちらを見据える伊織弓鶴だった。

 次の瞬間、マキの目が、冷たく細められる。

 そこにはもう、弓鶴の知る優しく家庭的な少女の面影は、欠片も残っていなかった。

 

「……神々に甘やかされて、甘い勘違いでもしたのか、弓鶴」

 

 将軍としての顔のマキは、信じられないような殺気を弓鶴に放つ。

 それは、燃え盛るような激情ではない。

 まるで、初めて出会ったあの日、喉元に光剣を突きつけられた時のような、万物を凍てつかせる冷ややかな殺気だった。

 それを、どこか懐かしくさえ思いながら、弓鶴は言葉を返した。

 

「マキさん、あなたはおかしい。間違ってるんだと思う。だから、神々に頼んだんだ」

 

「戯言を。あなたは異界人。いずれ帰る身だろう」

 

 マキの声は、氷のように冷え切っていた。

 

「この地と共に死ぬ覚悟。この民の未来を背負う重責。それが、あなたにわかるとでも?」

 

「ーーっ、わからないさ!」

 

 弓鶴は叫んだ。道場で目にした、あのどうしようもない断絶を振り払うかのように。

 

「わからないから、知りたいんだ! わからないまま、あんたに『お気に入り』として守られて、あんたが一人で死んでいくのを見ているなんて、俺はごめんだ! 初めて霊子端末を握ったあの日、そう確かに言ったはずだ!」

 

「…………」

 

 マキは黙して語らなかった。

 

「俺が、あんたの覚悟を理解できる人間かどうか! その覚悟を、共に背負える人間かどうか!」

 

 弓鶴は一歩、踏み出す。

 

「――その全力で、俺に教えろ! 弦巻マキ!」

 

 マキは、ただ静かに弓鶴を見据えていた。

 その瞳に宿る、揺るぎない熱意を真正面から受け止めて。

 やがて、彼女はゆっくりと面を上げた。

 

「……いいだろう。その熱意に免じて、受けて立つ」

 

空気が、凍る。

 

「だが、これは試合ではない。……いいか、弓鶴」

 

彼女は、弓鶴が初めて見るような、悲しいほどに澄み切った笑顔で言った。

 

「――私が、全力でお前を『殺す』」

 

 

 

 神前試合の申し込みから一夜明けた、昼下がり。

 静謐な茶室に、湯が茶筅を打つ音だけが響いていた。

 結月ゆかりは、淀みない、完璧な所作で茶を点てると、そっと弓鶴の前へと差し出した。

 不思議だ、と弓鶴は思った。

 この熒惑が存在する並行世界と、弓鶴が生まれた世界には、明らかに歴史の断絶がある。

 それなのに、この茶道の『型』が寸分違わず同じものであるとは。

 いや、並行世界との交流が多い熒惑であるならば、どこかの世界から文化として流入したのかもしれない。

 いずれにせよ、弓鶴もまた、定められた作法に則ってその一服を受けた。

 静謐な『型』と『もてなし』の応酬。

 それがどうにも肌に合っていると、ゆかりが最近始めた趣味であった。

 しかし、次の瞬間。

 ゆかりは、自ら作り出したその静謐を、容赦なく裂いた。

 

「馬鹿ですか、あなたは」

 

 至極真っ当な、心の底からの罵倒の言葉だった。

 弓鶴は、苦い茶を飲み下し、静かに答える。

 

「俺は、マキさんを一人で死なせたくない」

 

 期限は、一ヶ月後。

 その日、弓鶴は、マキに殺される。力の差は歴然。しかも、手加減なしの真剣勝負ときた。

 この絶望的な差を、たった一ヶ月で埋めるなど、奇跡でもなければ成し得ない。

 そう。奇跡でもなければ、だ。

 

「……弓鶴。私は、あなたの正体に、心当たりがあります」

 

 ゆかりは、マキが弓鶴を殺したくないことも知っていたし、弓鶴に死んでほしくもなかった。

 

「俺の、って……まさか、あの力の?」

 

「弓鶴。あなたの能力の正体は、『ボイロウェポン』と呼ばれる生体兵器群の、それです」

 

 ゆかりは語り始めた。

 普通の世界であったはずの弓鶴の故郷の大まかな真相。

 巧妙に隠蔽された異次元からの侵略。それに対抗すべく、世界中の組織が秘密裏に作り出した『特異点』のクローン兵器……そして、その各々(おのおの)が持つ、生命の呼気『BLESS』の固有能力のことを。

 流石に、弓鶴の姉妹までそのボイロウェポンであったことはまだゆかりは知る由もないが。

 

「俺が……兵器……」

 

「正直、あの異常な成長速度と、あなたの力に直接触れなければ、私でも気づかずに未知の力として扱っていたでしょうね……。

おそらく本来、これはあなた自身で知るべき事でもあったから」

 

 ゆかりは、手招きで部屋の端にくつろいでいた「みゅかりさん」を呼ぶ。

 

「みゅ? みゅかあ!」

 

 ちょこちょこと走ってきたみゅかりさんを、ゆかりは抱きかかえると、窓のそばに立つ。

 そして、おもむろに、みゅかりさんのその小さな口に、自らの唇を重ねた。

 

「なっ……」

 

 弓鶴が驚愕した、その瞬間だった。

 

「みゅっ!? みゅあーんっ!」

 

 歓喜するような甲高い鳴き声と共に、みゅかりさんが窓から天高く跳躍する。

 その小さな体はまばゆい光に包まれ、瞬く間に幾つものパーツへと分離・再構築されていく。

 巨大なアメジストの宝玉を核とした、いつか見たヴァジュラのような、雷撃次元戦艦の雄姿へと。

 

『みゃ、みゅかあっ』

 

 ドヤ、と言わんばかりに空中で一回転してみせてから、戦艦は再び光となって収束し、元の小動物の姿に戻ってゆかりの肩に着地した。

 

「BLESSは文字通り、『呼気』に含まれる生命の力……これをキスで交感することによって契約を成し、ボイロウェポンは真の能力を覚醒できる」

 

 弓鶴は、愕然とする。

 謎生物(みゅかりさん)と自分が同族かもしれないという事実も十分驚愕に値するが、それよりもまず、その力の解放条件。

 あまりの事実に、言葉を失った。

 

「キス……ですか?」

 

「そう、キス」

 

 気まずい沈黙が、茶室に流れる。

 やがて、ゆかりは。

 妖艶なその白い指先を、己の薄紫色の唇に、そっと当てて。

 弓鶴に、提案した。

 

「……良いのなら、私が……あなたとキスを、してあげても……良いですよ?」

 

 そのアメジスト色の瞳は、彼を死なせないための確かな覚悟と、ほんのわずかな羞恥に揺れていた。

 

 しかし、弓鶴はその提案に、ゆっくりと首を振った。

 ゆかりの、彼を死地から救おうとする覚悟と、その奥にある羞恥と好意を受け止めた上で、彼はまっすぐに目を見て言った。

 

「……マキさんは、俺自らの手で、この世界に繋ぎ止めないといけない。あんな風に一人で全部背負って死んでいこうとするのを、止めなきゃならないんだ。そのために、いつまでも借り物の力に頼るのは、嫌だ」

 

 ゆかりは、渾身の誘惑のつもりでもあった提案を、あまりにも真正面から、しかも違う論点で不意にされ、一瞬、呆気に取られてしまう。

 アメジスト色の瞳が、ぱちくりと瞬いた。

 そして、すぐ。

 

「……ふっ、あはは!」

 

  たまらずといったふうに、彼女は笑い出した。

 彼の、どこまでも愚直で、真っ直ぐなその在り方に。

 

「わかりましたよ。本当に、あなたは……馬鹿ですね」

 

 呆れたような、それでいて愛おしむような声色で、ゆかりは立ち上がる。

 茶室の静謐が、彼女の柔らかな動きで揺らいだ。

 

「じゃあ、これは……予行演習、ということで」

 

そう言って、ゆかりは弓鶴の前にかがみ込むと、その頬に、羽が触れるような軽いキスを、そっと落とした。

 

 

 

 大飛震塔梅の上層、そこは『梅花源(ばいかげん)』と呼ばれる聖域。

 御神木の中枢たるこの生体アーコロジーは、地球上のあらゆる環境が再現され、一年を通して梅の花が咲き誇っている。熒惑の生存環境を維持する上で重要な、神力の満ちた主要器官というべき場所だ。

 その中でも一際高い『大枝』から降り注ぐ、荘厳な滝。

 伊織弓鶴は、その凄まじい水圧の中に立ち、ただ耐えるだけで精一杯だった。

 それは、ただの水から成る滝ではない。

 飛梅の内部に満ちる、世界一つ分の神力の濁流。触れるだけで精神と身体に極度の圧を強いる、極限の修練空間であった。

 

『弓鶴、聞こえるかな』

 

 ミコトの澄んだ声が、弓鶴の耳に嵌め込まれたコードレスイヤホンのような木製端末から聞こえる。

 見れば、滝の横に優雅に設えられた茶会のテーブルに、ヒメとミコトが腰掛け、滝壺で奮闘する弓鶴を遠くから見据えていた。

ヒメは扇子で口元を隠しながらも、その目は心底楽しそうに細められ、対照的にミコトは心底心配そうに眉を寄せている。

 

「はい……っ、全身痛いですが……なんとか、耐えられるようになって、きま、したっ」

 

 歯を食いしばり、途切れ途切れに弓鶴は答える。

 

『神威の只中にいるんだから、耐えられてるだけでもホントは十分だよ』

 

 笑い混じりのヒメの声に、ミコトが冷静な助言を重ねた。

 

『神威とは、維持の力。惑星規模の秩序(ホメオスタシス)そのものだ。人体レベルには害があっても、それは人体の痛みに対する細胞のダメージに近い。本質的に、破壊の力ではないんだ』

 

 ミコトの説明に、弓鶴は全身に走る激痛と再生の感覚を思い浮かべる。

 今自分が感じているのは、この「秩序」による強制的な調律なのだと、直感的に当てはめた。

 

『マキの操る大技『神楽舞』もまた神威、秩序の奔流。流れを読み、逆らうな。道は必ず生じる』

 

「……はいっ!」

 

 弓鶴は気合を入れ直し、一歩、また一歩……神力の濁流の中を、滝の裏側へと歩み進んでいく。

 だが、次の瞬間。

 

「おわーっ!」

 

 足を滑らせ、踏ん張りが利かず、間抜けな悲鳴をあげながら奔流へと呑み込まれ、川下へと流されていく。

 それを見ていたヒメが、けらけらと楽しそうに笑いながら、優雅に指をすいっと翻す。

 すると川の流れが意思を持ったかのように逆巻き、弓鶴の身体を元の対岸へと荒々しく流し戻した。

 

『はい、もーいっかい』

 

「げほ……っ、ごほっ……はいっ!」

 

 叩きつけられた衝撃で水を吐き出しながらも、弓鶴は即座に立ち上がる。

 その様子を、ミコトはやはり心配そうに眺めていたが、その表情にはどこか高揚した色も浮かんでいた。

 

「なに、ミコト。ミチザネ様のこと、思い出しちゃった?」

 

 ヒメが、隣の妹神にそっと問いかける。

 

「……ヒメもでしょ? あの人も……ここに来たばかりの頃や、試験に落ちてばかりだった頃、こうしてボロボロになりながらも、いつも頑張って会いに来てくれたよね」

 

 それは、彼女たちのかつての『主』。

 辺境たる火星への遷都を命じられた、悲劇の主人。

 そのありし日の姿と、今、眼下で必死に努力を続ける異界の少年の姿が――程度は違えど、よく似ている。

 そのミチザネの直系の子孫たるマキと、この弓鶴が、命を懸けてぶつかり合うのだ。

 神々にとって、それは何よりも尊き、極上のエンターテイメントに他ならず、そして……。

 

「手伝わない訳には、いかないよねぇ」

 

「だねぇ」

 

 滔々と、ヒメもミコトも、この規格外の「客人」に惹かれているのは、もはや明白だった。

 

 

 

「フーちゃん!」

 

「みゅかぁ!」

 

 ゆかりとみゅかりさん、二人分の声が重なると同時、弓鶴の周囲ほぼ全方位から無数の光弾が迫る。

 だが、弓鶴はもはや目で追わない。

 肌で感じたその熱源の位置を、天性の直感力で正確に把握し、光剣の一閃でその場で迎撃する。

 

 空気が歪む。

 

 研ぎ澄まされた感覚が、背後からの次元跳躍による強襲を明確に捉えていた。

 

「そこっ!」

 

 振り返り様の弓鶴の光剣が、虚空から現れたゆかりの曲刀を火花と共に受け止める。

 同時に、その死角を突いて跳躍してきたみゅかりさんが、両前足に握った短刀を突き出すが、弓鶴はそれを最小限の上体反らしで回避する。

 跳躍、回避。跳躍、いなし。跳躍、全方位射撃。

 御神木の枝葉が広がる空間の全てを使った、三次元の激しい攻防が続く。

 一瞬の均衡の末、みゅかりさんが弓鶴の頭上で距離を取り、大口を開けて膨大なエネルギーを収束させ始めた。ヴァジュラ形態での必殺砲撃だ。

 

「……っ!」

 

 弓鶴は即座に大地――大飛震塔梅の枝に手をつく。

 次の瞬間、彼の前方に、あの純白の丸盾が小規模ながらも展開された。

 

 放たれた砲撃は、軌道を歪められ、悲鳴のような音を立てて盾へと吸い込まれていく。

 弓鶴は、吸収したエネルギーを即座に反転させ、自らの光剣へと纏わせた。刀身が白く輝き、膨れ上がる。

 

「一つ覚えは、通じませんよ……相手もまた、理不尽です!」

 

 弓鶴が白い大剣を振りかぶる。

 それに対し、ゆかりは両手で複雑極まる術式を描き、その強大なエネルギーを逸らすべく前方に展開した。

 弓鶴の斬撃とゆかりの手元に広がる星々瞬く暗黒の宇宙のような術式が衝突し、莫大なエネルギーが拡散する。

 白い大剣は、その役目を終えて元の光剣のサイズに戻った。

 だが、勝負は決していなかった。

 爆風の中から再び突撃するゆかりの曲刀を、弓鶴は的確に光剣で受け止める。

 そして――空いたもう片方の手で、再攻撃を仕掛けようと跳躍してきたみゅかりさんの小さな身体を、ふわりと、しかし確実に捕獲した。

 

「みゅ!?」

 

 捕らえられたみゅかりさんが、驚きに声を上げる。

 そして、ゆかりもまた、動きを止めていた。

 気づけば、自身の喉元に、弓鶴の光剣の切っ先が寸止めで突きつけられていた。

 

「……っ、お見事……」

 

 ゆかりの額を、一筋の冷や汗が垂れた。

 

「ありがとうございます、ゆかりさん」

 

 礼を言う弓鶴の顔を見て、ゆかりは目を細める。

 もう、そこに一年前のどこか頼りない、守られるだけだった少年の面影は、その生来の勇ましさを除いて存在しない。

 そこにいるのは、自らの意志で運命を切り開き、生きるために戦うーー

 

 一人の「勇者」の姿だった。

 

 

 

 そして、来たるべくしてその日は来た。

 熒惑中のあらゆる情報端末が映し出す霊子モニターに、その様子は生中継されていた。

 自らの目で見届けたい者、熒惑幕府の居並ぶ武士たち、そして上座に座す神々までもが一堂に会し、天上の舞台を見上げていた。

 場所は、天雷熒惑府が最上、大飛震塔梅が最上。

 その頂点に、神力によって一夜にして築かれた荘厳なる木造の展覧試合場。

 その舞台の中央。

 光剣を伸ばした剣塚――霊子端末に、杖のようにそっと手を置き、一人の武神が静かに挑戦者を待っていた。

 完全武装の鎧武者姿。征惑大将軍(せいわくたいしょうぐん)、弦巻天廻姫。

 最強の武神、弦巻マキその人であった。

 やがて、割れんばかりの歓声と共に、伊織弓鶴が、一歩、また一歩、その舞台の重みを確かめるように踏みしめながら上がってくる。

 その身には、ヒメとミコトから賜った、白銀に輝く新兵用の駆動鎧を纏っていた。

 津施街の修理された琴葉屋では、熒惑の琴葉姉妹がモニターの前で固唾を飲んで見守っている。

 はるか上空では、ゆかりが戦艦化したみゅかりさんのアメジストの核に仁王立ちし、その舞台を静かに見下ろしていた。

 そしてヒメとミコトもまた、最上座からその全てを見届けている。

 誰もが弓鶴の奇跡的な勝利を願い、そして同時に、マキの無慈悲なまでの神威の顕現をも願っていた。

 これは最早、二人の私闘ではない。熒惑の未来を占う、一つの神事であった。

 

「……最後にもう一度だけ、言っておく。逃げろ。今ならまだ、止められる」

 

 マキが、万物を凍てつかせるような冷たい口調で告げた。

 弓鶴は、その言葉に応えず、ただ光剣を振りかぶって答えた。

 

「俺は、マキさんから逃げない!」

 

 その、あまりにもまっすぐな瞳に、マキは痛々しく目を細めた。

 

「初めて会った時から……その、まっすぐな瞳が、私をおかしくさせる」

 

 床に突き立てた霊子端末の塚を、マキはゆっくりと握る。そして、引き抜いた。

 

「私の決意は、死地に向かう決意だ。弓鶴翅尊の想いを、両親の遺志を、この国を、命を賭して守る決意だ。

誰にも揺るがせない……認めよう、お前は彼の代わりだ。

そうでなければ、ならないんだ!」

 

 振り抜かれた光剣が、真紅に、激しく瞬いた。神姫の揺るぎない殺意が、その刃に乗せられる。

 

「嫌だ! 言ったはずだ……俺は、俺としてマキさんを救う! その邪魔をするんだったら、俺は……マキさんに憑りつく、その亡霊を切り伏せる!」

 

「やって……みせろぉっ!!」

 

 マキの絶叫が引き金だった。

 弓鶴が地を蹴り、マキに駆け寄り、真正面から切り掛かる。

 

バチィィンッ!

 

 黄金と真紅の光剣が交わり、激しく火花を散らした。

 一撃、二撃、三撃――一瞬にして花開く火花が、荘厳な舞台を万色に染め上げる。

 光の応酬の隙間を縫って、最短距離での剣戟が二人の間に繰り広げられる。

 

 それは、円舞。

 

 そうとしか言いようのない、男女の逢瀬(おうせ)にも似た激しい戦い。

 拮抗しては離れ、また引かれ合うように拮抗しては距離を取る。

 一ヶ月の修練で、実力差は限りなく埋まっていた。だが、それでもまだ、マキの方が一枚高い。

 距離を取った弓鶴を前に、マキは悲鳴じみた鋭い指示を小神に告げる。

 

「ハナ!」

 

『了。』

 

 マキの両肩にマウントされていた盾ユニットが即座に分離・飛行し、その赤いカメラアイから機関銃のような霊視弾が乱射される。

 弓鶴はマキの周囲を旋回するようにしてそれを避け、マキとの対角線上に駆けることで、片方の盾からの掃射を防ぐ。

 そして、高々と飛び上がり、まず一体の盾に一撃を加えようとするが――

 

ガギンッ!

 

「ぐっ……!」

 

 硬い装甲に阻まれた次の瞬間、高速で回り込んだもう片方の浮遊盾が、弓鶴の脇腹に強烈な体当たりを敢行する。

 体勢を崩した弓鶴に対し、二基の盾が十字砲火を組むように、霊子弾を掃射した。

 その時。

 弓鶴の前に、あの純白の丸盾が展開され、降り注ぐ弾丸の悉くを吸い込むように防ぎきった。

 吸収されたエネルギーは即座に弓鶴の光剣へと転送され、その刀身はまるで物干し竿のような、白銀の長刀へと変貌する。

 

「おおおっ!」

 

 間合いのない必殺の一撃を、弓鶴は横薙ぎにマキへと振り回した。

 だが――

 

「……甘い」

 

 マキは、こともなげに上体を逸らしてそれを交わし、がら空きになった弓鶴の胴体へ、カウンターで完璧な蹴りを叩き込んだ。

 

「がっ!?」

 

 悲鳴をあげて、弓鶴は凄まじい勢いで吹き飛ばされ、試合場の分厚い木製の壁に激突した。

 

 壁に叩きつけられた弓鶴の姿が、もうもうと上がった土煙に隠された。

 勝負は決したか――観客の誰もがそう思った、その静寂を、弦巻マキの冷徹な祝詞(のりと)が切り裂いた。

 

「――畏み」

 

 その言葉と共に、マキの身を包んでいた真紅に塗られた木の鎧が、意志を持ったかのように分離し、天へと飛翔する。

 

「――畏み、申白(もう)す」

 

 分離した鎧のパーツ群は、マキが掲げた霊子端末の切っ先へと高速で集い、纏い、一つの禍々しき『祭器』を形作る。

 それは、弓鶴の知るどんな楽器よりも攻撃的な形状――エレキギターの姿をしていた。

 瞬間、天雷熒惑府の空が、怒れる神の声のように鳴動し、急速に暗黒の曇天に包まれていく。

 事態を察した試合場が自動的に作動し、観客席の上空に木製の屋根が組み上がっていく。

 その直後、大粒の雨が舞台を叩き始めた。

 マキは、ギター型の祭器を天に突きつける。

 

「大いなる雷の君、天候満つるところを自在、天神の雷炎、此処に在り!」

 

ゴンッ!!

 

 天を裂き、太く、激しき神力の雷が、寸分違わずその祭器へと堕ちた。

 凄まじい逆光がマキの影を巨大に描き出し、その兜の奥で、眼光のみが鬼の如く爛々と光る。

 

「天満自在(てんまんじざい)、大雷炎将(おおみかつちのしょう)!!」

 

 マキの祝詞と、その真名の解放。

 それによって、最大規模にまで膨れ上がった神威の暴力が、ただ一人、土煙の奥の弓鶴に対して容赦なく降り注ぐ。

 

 大破壊。

 

 そうとしか言えない純粋なエネルギーの衝撃波が、神力で護られた観客席さえも激しく揺さぶる。

 力ある武士たちが、力なき者たちを庇うように支え、眼前に繰り広げられる奇跡――神の力の顕現を、そのあまねく瞳に焼き付けていた。

 土煙の中、弓鶴はカッと目を見開いていた。

 死を確信する奔流の中、彼は諦めない。

 神威の滝で学んだように、大破壊の奔流の中にある僅かな「隙間」と「流れ」を読み、そこへ自身の刃を縫うように纏わせる。剣そのものに、かの白き丸盾の力を付随させ、その圧倒的な力の流れを強引にいなしていた。

そして、その莫大なエネルギーを、逸らし、受け流し――自分自身へと流し込んだ。

 

「まだだ、まだぁ!」

 

 それは、弓鶴自身の成長の限界をも超えた、己自身への『覚醒』の応用。

 神威の力を無理やり取り込み、その力で肉体を強制解放させた、限界突破の全力疾走。

 破壊の奔流の中から、光の矢となって飛び出す弓鶴。

 マキの凍るような視線が、その無謀な姿を射抜いた。

 

「――続けて、申白(もう)す」

 

 マキが冷徹に続けた祝詞に、彼女の周囲を放電として漂っていた神威は、瞬く間にその姿を変えた。

 

「伊(かの)定め織る白き翅(はね)、一足(ひとあし)の弦(つる)となりて、その命(いのち)の命脈(めいみゃく)を織る」

 

 神威の姿は、翅。

 夥(おびただ)しい数の白い羽が、一本の強靭な糸へと紡がれていく。

 それは、マキの婚約者が使った力。

 糸は弓鶴の周囲に殺到し、その神速の疾走を強制的に阻み、絡め取ろうとする。

 

「これは……っ!」

 

「振れよ、触れよ、断ち切れよ。我が神威の系譜を示せ!」

 

 白い羽の神威が、今度は振れ幅の大きい、回避不能の光線となって弓鶴に殺到する。

 その凄まじい神威の圧の中、弓鶴の目には、いつの間にか、マキの両肩に二つの黒い人影が、亡霊のように寄り添っているのが見えた。

 厳格な表情の、先代の将軍の姿。

 そして、優しそうに微笑む、マキの婚約者――弓鶴翅尊(いおりゆづるはねのみこと)の姿が……。

 

「やめてくれ……! マキさんを、解放してやってくれよ!」

 

 弓鶴は、彼女に憑りつく過去(ぼうれい)に向かって叫んだ。

 だが、マキの叫びがそれを掻き消す。

 

「我が背負う、征惑大将軍の名は!! 神威の形(かた)なりて!!」

 

 やがて最大化された暴力的な力は、もはや技の形を保たない。

 舞台という「面」そのものを制圧する神威の洪水として、観客たちの視界を、ただ真っ白に染め上げた。

 

 白い光の洪水の中、それでも弓鶴は、その力の流れを読むことに成功していた。

 ヒメとミコトとの神威の滝での荒行によって。

 ゆかりとみゅかりとの三次元空間戦闘によって。

 そして何より、この一年間、誰よりも近くで受け続けたマキとの鍛錬によって。

 

 他ならぬマキ自身の神威の癖が、その圧倒的な奔流の中にさえ、確かな「流れ」を形作っていることを、見抜いていたのだ。

 

「ああああああっ!」

 

 喉を絞るような荒い声と共に、弓鶴は神威の洪水を内側から斬り裂いて飛び出す。

 マキは、信じられぬものを見る目で、しかし即座に闘志をむき出しにしてそれを応じ撃った。

 

「笑わ、せるなああああっ!!」

 

 眩い光が晴れ、観客の目が慣れた時にはもう、二人は土砂降りの雨が叩きつける舞台の上で、再び激しい剣の応酬を繰り広げていた。

 

「代わりでないと! 言うのであれば!」

 

 弓鶴の剣を防ぎ、それ以上の膂力で弾き返しながら、マキは叫ぶ。

 その声は、悲痛な響きを帯びていた。

 

「お前はそもそも、私の元で暮らすべきではなかった!!」

 

 マキの頬から、温かい雫が飛ぶ。それは、降りしきる雨粒などではなかった。

 

「幸せな、暖かな暮らしなど、思い出すべきではなかった!!」

 

 怒りと哀しみに任せたマキの激しい剣戟が、弓鶴の体力を容赦なくへし折っていく。

 

「私は国の武士! 国の力! 国のーー兵器なのだから!!」

 

 泣き叫ぶような咆哮と共に、再びマキの霊子端末に凄まじい雷光が灯る。

 そして、今度こそ全てを終わらせる大破壊の雷撃が弓鶴を襲うかと思われた、その時。

 弓鶴の瞳が、黄金にカッと輝いた。

 

「その暖かさが、大切だからに決まってるだろぉ!!」

 

 怒りの一閃。

 弓鶴の太刀が、戦斧と化していたマキの祭器を、真正面から切り裂いた。

 

パリィン!

 

 砕け散った祭器のエネルギーを、弓鶴の霊子端末が貪欲に吸収する。

 その黄金の杖は、主の意志に応えるように『覚醒』し、表面に楽譜のような流麗で美しい文様を形成した。

 

「その優しさも、弱さも、悲しみも、全部あっていいんだ! それが、生きるって事だろ! 過去を、勝手に亡霊にするんじゃない!!」

 

 弓鶴の猛攻が始まった。

 神威の鎧を失い、祭器を砕かれたマキが、そのあまりの激しさに防戦一方に回る。

 マキの瞳が、涙で揺れる。

 

「俺は、マキさんに……生きていて、欲しいんだっ!!」

 

 振りかぶられた弓鶴の剣は、純白の大剣と化していた。

 それが、縦一線に振り下ろされる。

 

ブンッ――!

 

 凄まじい風圧が、マキの髪を激しく揺らした。

 刃は、マキの鼻先寸で、ぴたりと止められていた。

 

 静寂。

 

 雨音だけが響く中、その二人の間に、すぅ……と静かに立つ、黒い影があった。

同時に、泣き続けていた空が、まるで天の門が開いたかのように、縦に裂けた。

 そこから、温かく、神々しい光が降り注ぐ。

 その光に照らされた影は、兜を脱いだマキが、そして弓鶴がよく知る顔――優しく微笑む、弓鶴に瓜二つの顔を見せた。

 

「……っ、お前も、そうだろう!」

 

 弓鶴は、息を切らせながら、その影に向かって言葉を紡いだ。

 

「伊織……弓鶴翅尊……!」

 

 弓鶴の言葉に、まるでそれが待ち望んだ答えだと応じるように、マキの霊子――即ち、彼女の思い出によって編まれたその影は、満足げに、眠るようにそっと瞳を閉じて、光の粒子となって霧散していった。

 天から降り注ぐ光は、神々しい階段となって次々と舞台に降り注ぐ。

 その光の下で、マキは、ガクリと膝から崩れ落ち、頭を垂れて、その敗北を認めるのであった。

 

 一拍遅れて。

 

 わあああああっ、と、国中を揺るがすほどの大歓声が沸き立った。

 

「天晴れである! 伊織弓鶴よ! よくぞ、過去を斬り祓った!」

 

 上座で、ヒメが豪奢な扇子を広げ、満面の笑みで弓鶴を祝福した。

 

「今日この日、この時を以て! 貴殿が、貴殿こそが、この国の守りの柱!

元の世界へ帰るまでの期限付きではあるが、これより『輝降大将軍(ひのそそぐたいしょうぐん)』を名乗るが良い!」

 

輝降大将軍――それは、曇天の隙間から降り注ぐ光の階段を示す、過去を祓い、未来へと導く先導者としての銘。

 

「「これにて、国の将来を占うこの大神事の、決着とする!!」」

 

 ぱぁん! と、心地よく爽やかな双子神の拍手によって、この神事は最大の祝福に包まれた。

 

「弓鶴……っ」

 

 雨に濡れたまま、マキが弓鶴の手を掴む。

 彼に寄りかかるようにして、マキはゆっくりと立ち上がり、そして、そのまま弓鶴の胸に顔をうずめ、その身に抱きついた。

 

 肩に寄せられた、マキの嗚咽と、すすり泣く声が、弓鶴の鼓膜をくすぐった。

 

「弓鶴……好き……好きだよっ……。今を生きることを、赦(ゆる)してくれた、君が……大好き……っ」

 

「マキさん……。生きよう! 一緒に……!」

 

 弓鶴は、背負わされた重積よりも、マキの剥き出しの、ありのままの感情を浴びせられたことに、この上ない喜びと心地よい責任を感じながら、そっと彼女を抱きしめ返す。

 見上げた熒惑という異界の空。

 そこから降り注ぐ陽光は、まるで天国への階段のように、どこまでも柔らかく、二人を祝福するように降り注いでいた。

 

 

 

 夜半過ぎ。

 天雷熒惑府の神殿近くに築かれた『輝降庁舎(ひのそそぐちょうしゃ)』。

 絢爛たる霊子の灯りが灯る、豪奢な大将軍執務室――そんな、どうにも身の丈に合わないと本人も思う部屋を与えられた伊織弓鶴は、慣れない白い紋付袴を纏い、膨大な量の書簡と図面の山に埋もれて、完全に頭を抱えていた。

 

「……無理だぁ、絶対無理だぁこんなのぉ……」

 

 先の神前試合で見せた勇ましさはどこへやら、彼はすっかり青い顔をして弱音を吐いている。

 部屋を埋め尽くすそれらは、大きく分けて二つの、巨大な計画のための青写真だった。

 いずれも、弓鶴の能力と根性を(面白半分に)買った神々が立案した、無謀極まる計画であることは言うまでもない。

 

「お茶をどうぞ、弓鶴様」

 

 カツン、とヒールを鳴らし、いかにも『できる秘書』といった風情のスーツ姿をした結月ゆかりが、皮肉まじりに言いながら弓鶴の机にお茶を置いた。

 

「ありがどう、ゆかりざん……」

 

 涙交じりの声で、それを皮肉と受け取る余裕もなく礼を言う弓鶴。

 ゆかりは、呆れたように一つため息をつきながらも、冷徹に現状を分析し始めた。

 

 「確かに無謀ですよね、この二つの壮大な計画(プロジェクト)。

一つは『覚醒師団の設立』。弓鶴の『覚醒』の能力を用いて、戦う能力を失った者や、潜在的な能力を確認された者で構成された、新たな防衛兵団を設立するもの」

 

 ゆかりは、書類の束を軽く叩く。

 

「その選抜にヒメミコ様も協力するとはいえ、設立にはどうしても弓鶴様の力が必要になる。

私が目指している呪いの完全解放と同様、『その効果を永続させる』という最終目標が必須項目です。

……そのデメリットを知ってても知らなくても、この師団が防衛上役立つのは確かでしょうが、当然、反対派の派閥からは『ぽっと出の弓鶴の私兵団になる恐れがある』と、訴える声がめちゃくちゃ届いてます。

これら一つ一つと交渉し、承認を得ていかなければなりませんね。あとは計画に突っ込まれないよう予め粗探しもしておかないと」

 

 竹筒のような記録機械に記された電子書簡から紙媒体の書簡まで、様々な文句の連なった書類の束が、ズシン、と不吉な音を立てて揺れた。

 

「そして、もう一つ。これが最大の課題にして、ヒメミコ様達の真の目的でしょうね。『再誕の儀(さいたんのぎ)』。

皆の願いをこの世界の新たな楔(くさび)として……先代までのような戦乱を二度と起こさないようにする、なんていう、壮大で、恐ろしく、途方もない、最も抽象的な政治的承認作業です」

 

 その詳細は、今この場で話すべきことでもなければ、それができるほど軽い内容でもないためここではあえて語られることはない。

 だがゆかりは、心底うんざりしたように続けた。

 

「……アホですね。いつ帰るつもりです? あの世界に。『浦島太郎』でしたっけ? お爺ちゃんになって、あの姉妹に似た家族の元へ帰るおつもりですか?」

 

「ぁぁぁ……マキさんの苦労の一部も、分かってなかったんだなぁ、俺……」

 

 天を仰ぎながらも、弓鶴は手を止めない。

 震える手で書簡への返答を書き、同時に計画書の粗探しを始める。

 その必死な姿を見て、ゆかりはもう一度、今度は仕方のない、といったふうにため息をつくと、計画書の一部を手に取って、共に作業を開始した。

 

「みゅ。」

 

 と鳴いて、みゅかりさんも小さな体で一番軽い紙媒体の書簡を運び始める。

 

「ゆかりさん、みゅかりさんまで……」

 

「もうマキさんとの大喧嘩は済んだでしょう? 貴方もまた一人じゃない。それが、あの戦いで貴方が勝ち取った強みだったはずです。そうでしょう?」

 

 ゆかりがそう言いながらドアの方へ視線を向けると、ちょうどそのドアが元気よく開け放たれ、わらわらと少女たちが流れ込んできた。

 

「僕らもいるよーっ!」

 

「まぁ、僕らの処理してる総情報量に比べれば、片手間の宿題みたいなもんだけどね」

 

「うちらも来たでぇ! なんやこの、偉いフレンドリーぃな姉妹に連れてきてもろたんよー!」

 

「あ、あの、会計処理くらいなら……やれます……!」

 

 双子神のヒメとミコト。

 そして、彼女たちに案内されてきた、この熒惑の琴葉姉妹。

 

 二組の双子に続き、弓鶴の考えに賛同したマキの忠臣たち――ウナやモカといった面々も、「仕方ないなぁ」という顔をしながら手伝いに来てくれた。

 

「皆ぁ……!」

 

 弓鶴が感動に涙目になっている、まさにその時。

 おずおずと、戸口から小さな声がかけられた。

 

「あ……あの、弓鶴……その、私も、せっかく公務を減らしてもらったんだけどさ……。手伝って、いい、かな?」

 

 もじもじと、恥ずかしそうに身を捩らせながら、そこにはマキが立っていた。

 あの恐ろしくも勇猛な将軍の姿ではなく、戦いの重責から解放された、年頃の少女としての、素顔の弦巻マキが。

 案の定、先の告白のせいでお互いに顔が真っ赤になってしまい、とてもまともに目を合わせられたものではなかったが。

 

「あ……う、うん! もちろん!」

 

「にぇ、へへ……」

 

 そんな賑やかな輝降庁舎の灯りが、夜深い熒惑の一角を、いつまでも暖かく染めていく。

 かくして、この壮大かつ個人的な『告白』のお話は、一旦の幕を下ろすのであった。

 

 

 

 

 

 

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