VOICEROIDのウェポンサイド//双天の鶴翼円舞   作:EMM@苗床星人

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熒惑編 最終幕 伊織弓鶴、熒惑より帰還するとき!

 

 

 熒惑(火星)の空は、絶望の黒に包まれていた。

 桜色の月(フォボス)さえも隠し、星々の輝きを無慈悲に塗り潰す、準惑星規模の災厄『虚音大権現』。

 

 その悍ましい威容を前に、熒惑の大地――大陸の規模を持つ生きた神工都市、大飛震塔梅(おおとびぶるとうむ)は、嘆くような地響きに泣き叫んでいた。

 否。それは、ただの悲鳴ではなかった。

 大地そのものが、天に浮かぶ絶望に対峙せんと、真っ二つに裂けていく。

 それは、蓄えられた全神力を解放せんとする、最終兵装への変形。

 裂けた大地は、虚音大権現を撃ち貫かんとする、長大な砲身となって天を仰いでいた。

 

 その凄まじい鳴動は、神殿都市の全域を容赦なく揺るがす。

 神殿近くに敷設された温泉施設、その名も『新琴葉屋』。

 その建物もまた、存在の基盤たる大地そのものの変形に、崩壊の瀬戸際にあった。

 

「なんやなんやぁっ、ななななぁにが起こっとるんやぁぁ!?」

 

 店の奥、ガラガラと音を立てて崩れ落ちそうになる梅が枝餅の在庫を必死に支えながら、熒惑の茜が悲鳴を上げた。

 

「この螢惑自体が動いてるんだよよよぉぉっ」

 

 妹の葵もまた、反対側から棚を抑え込み、泣き叫ぶ。

 世界の命運を賭けた戦い。その、あまりにも絶望的な状況下で、しかし二人は、生活の糧であり、ささやかな日常の象徴でもある在庫を、ただ必死に守っていた。

 

 揺れに耐えながら、二人の脳裏をよぎるのは、この天変地異の元凶たる敵へと向かった、愛しい友人たちの姿だった。

 

「マキさん、ゆかりさん、弓鶴兄ちゃん……みんな、無事やろうか……」

 

「この揺れが、何か悪いことの結果じゃ無けりゃいいけど……」

 

 葵の不安げな呟きは、この大地に住まう全ての人々の想いを代弁していた。

 人々は、裂けていく大地の裂け目から、あるいは崩れかけた家屋の窓から、不安げに黒き空を見上げ、祈りを捧げていた。

 この地を守護する神々へ。

 そして――この天のどこかより降り立ち、希望をもたらした稀人(まれびと)の英雄へ。

 

 だが、その祈りが届くには、天はあまりにも暗く、遠かった。

 

 

 

 

「ん……うう、あ、れ?」

 

 マキは、真っ白な部屋で目を覚ました。

 白く、つるりとした素材で構成され、隙間には銀色に輝く金属素材と蒼く光るエネルギーラインが走る、見慣れぬ天井。

 全てが木々で構成された機械文明で育ったマキにとって、それは偉く奇怪な、未知の文明のただ中に放り込まれたような感覚だった。

 周囲には見たこともない金属の素材で構成された医療機器が、電子音と共に自らの状態を計測している。彼女が寝かされていたのも、簡素だが機能的な医療ベッドの上だった。

 そして、隣のベッドには、まだ意識のない結月ゆかりが静かに寝かされている。

 さらに奥には――部屋と同じ素材で作られた、巨大な蛹のような装置が鎮座していた。

 

「……っ、弓鶴!」

 

 ガタッ、と医療ベッドが倒れそうなほどの勢いで、マキは飛び起きた。

 直後、彼女は自らの身体の異変に気づく、身体に全く痛みがない。

 つい先刻の明瞭な記憶によれば、自分は変貌した虚音に腹を蹴り飛ばされ、一撃で内臓を激しく破損していたはずだ。

 熒惑にも似たような急速治癒技術は存在する。しかし、それにしても内臓までひと眠りで完治するほど、万能ではない。

 

(また、あの化け物の幻覚か……?)

 

 警戒を最大に引き上げながら、マキは、まるで現代にタイムスリップした戦国武士のようなぎこちない動きで、弓鶴の気配を探す。

 ……いや、予想はもう、ついていたのだ。

 

 奥に鎮座する、機械の蛹。

 おそらくは、高度かつ重篤な医療を施すための装置だろう。

 その中に、伊織弓鶴は寝かされていた。

 見たことがない――いいや、似たようなものを弓鶴自身の『覚醒』の際にも見たことのある、軟らかい治癒の光に照らされて……

 弓鶴は、蛹のガラス窓の向こうで、裸で寝かされていた。

 

 そう、裸で。

 

 マキの視線が、無傷であることに安堵したのも束の間、ゆっくりと、その視線が奥の……股間へと吸い寄せられるように逸れていくのは、もはや必然であった。

 

「おいっ、緊張感!」

 

 ビシッ! と、強化身体のゴツゴツした手甲付きの腕から、鋭いチョップがマキの後頭部に突き刺さった。

 

「いだぁっ……ち、ちがうよ!? つい見ちゃっただけだよ!? って、ゆかり! 大丈夫なの!?」

 

「あなたのむっつり具合に突っ込める程度には……。それにここ、初めてじゃありませんし……」

 

 いつの間にか起きていたゆかりが、厄介そうな目をして、やれやれとばかりに室内を見回す。その言葉に、マキが首をかしげた、その時だった。

 

「まったく、君は変わらず厄介だな、『女帝(エンプレス)』の結月ゆかり。それに『愚者(ジ・フール)』のみゅかりさん」

 

 シュッと開いた自動ドアの向こうから、若く、少ししゃがれた声が尋ねてきた。

 一瞬、少年のようにも見えたその人物は、目元を隠す赤いマスクをし、体格に合わないだぼだぼの艦長服と帽子に身を包んだ男だった。

 その傍らに立つ、狐耳のような金属のサイコユニットを装着した、グラマラスな身体をタイトなスーツで包む女性が、その男の言葉に続けた。

 

「詳しく、状況を説明してもらえませんですこと?」

 

 二人の、異文明の使者。

 その胸には、マキには読めない文字――だが、所属する組織のエンブレムらしきものが輝いていた。

  そう、ゆかりには読めていた、『TOWEAT(超次元渡航生物交渉対策局)』と。

 

 

「……つまり、此処はゆかりさんが海賊やってた頃に襲ったことがある次元航行船で、そっちのお姉さんはみゅかりと同じ船になるタイプの人と……」

 

 ゆかりとグラマラスな女性――イタコのかいつまんだ説明に、マキは頭を抱えていた。

 謎生物(みゅかりさん)ならともかく、今自分たちがいるこの白い船室が、目の前の女性の実質的な「体内」であるという異様な告白に、目が回り始めている。

 因みにこの船自体も、未だ虚音大権現の内側に拘束され、身動きが取れない状態らしい。

 艦長――吉田くんという、何故か苗字しか名乗らない男性が言う。

 

「『女帝』を逃した後、依頼を受けてこちらの世界からの次元漂流者と思しき少年を迎えに行く最中で、黒いデカブツに捕まりまして。

それ以来、この2年間、侵食を防ぐために船内を時間凍結状態にして強いBLESSの反応、すなわち助けが来るのを待ってタイムスリープの状態になっていた訳です」

 

 その説明に、マキはぽん、と手を叩いた。

 

「あっ、2年前に遭難したっていう、葦原型並行世界の使節団の人たち!」

 

「おぉ、天雷熒惑府(そちら)の方か。これはどうも、お会いできて光栄です」

 

「あ、いえいえ此方こそ……」

 

 表情が常に固い吉田くんの丁寧な挨拶と握手に、マキもついつい答えてしまう。

 流石はTOWEATでも有数の交渉人として、次元間交渉チームのリーダーを勤めている身である。

 

「さて、こうして艦内の時間を動かし始めた以上、時間はあまり残されていない。お二方、何か策はありますか?」

「うーん……」

「弓鶴の力、だったら……」

 

 顎に手を当てて、ゆかりが呟いた。

 

「彼は、ボイロウェポンだね? 随分とそちらの世界で鍛え上げられたようだが、彼の能力とパートナーは?」

 

 能力、と吉田くんから聞かれてゆかりは答える。

 

「彼は触れたものやそれに関連するあらゆる要素の真の力を引き出す能力を持っています。

もしかしたらこの船の潜在能力を引き出して、脱出が可能になるかもしれません」

 

 ゆかりの言葉に、吉田くんは「それは有難い」と場を明るくするが……マキが首を傾げた。

 

「パートナーって……え、まさか」

 

「さっきも温泉で言ってたじゃないですか、キスの相手ですよ」

 

 瞬間、マキの思考が沸騰した。

 弓鶴とのキスの争奪戦。

 それだけじゃない、仕方なくみゅかりさんに奪われた初接吻の事も鮮明に思い出してしまったのだ。

 

「忘れさせてぁっ!」

 

 マキは奇声を上げ、その場にすっ転び、勢い余って船の壁にゴンッ、と強く頭を打ちつけた。

 

「ぢゅわぁっ!?おごご……っ!?」

 

 マキの自爆と同時、傍らに立っていたイタコが、腹部を押さえて苦悶の表情でよろめいた。

 船という立場上突発的な刺激には慣れっこだが、流石にQクラス相当の実力者の全力のズッコケは勢いが違う。

 

「ご、ごめん、あんまりにあんまりな状況でつい……」

 

「し、仕方ありませんわよ。ごほ、ずっこけるにしても、次はもっと優しくお願いしますわぁ」

 

 よろりと立ち上がるマキは、青ざめた顔で涙目のイタコに、申し訳なさそうに謝った。

 

 

 吉田くんの眼前に、弓鶴のボイロウェポンとしての性能と現状を知らせる空間ウィンドウが展開される。

 

「解析結果だ、やっぱりな。この少年はまだ全力を出せずにいる、それなのに激しい戦闘を繰り返してきたことで体内のBLESSが爆発寸前の状態だ。

この状態で契約を行えば、確実に周囲世界に何か影響を及ぼすーー少なくとも深化空間を展開するレベルに達すれば、そこを通してこの船も脱出可能になるだろう」

 

 吉田くんの見立てを頼りに、カプセルに満たされたーー恐らくはクルーの誰かの司る癒しのBLESS能力の光によって、弓鶴の肉体は完全に修復された。

 シートを被せられた彼が、医療ベッドに仰向けで寝かされる。

 意識はまだ戻ってきてはいないようだ。

 ゆかりとマキは、対面する形で、その穏やかな寝顔を見下ろしていた。

 

「で、どうします?」

 

「どうしますって……うぅ、こんな事務的な状態で……」

 

 ゆかりが、クスッと、昔を懐かしむように笑う。

 2年前の、出会ったばかりの頃。張り詰めていたマキを相手に、弓鶴を賭けて交わした、あのやりとりを。

 

「なら、私が貰っちゃいましょうか?」

 

 マキは、一瞬のうちに光剣を展開していた。

 神速。その切っ先が、寸分の狂いもなく、ゆかりの喉元に突きつけられる。

 

「ちゅわ!?」

 

「おいおいおい此処で戦闘はよしてくれよ?」

 

 事情を知らない吉田くんとイタコが、共に身構える。Qクラス同士の修羅場、その最悪の事態に備えて。

 

 

「弓鶴を、お宝として持っていく気か」

 

「亡霊の遺影よりは、マシでしょう?」

 

 

 あの時の会話と、寸分違わない言葉の応酬。

 張り詰めた空気。

 一拍おいて、先に吹き出したのは、マキの方だった。

 

「プフっ……ふふ、あっはっはっは!」

 

「くくく、はははは!」

 

 まるで毒気を抜かれたかのように。

 二人の、心の底からの柔らかい笑い声が、緊迫していたはずの医療室に優しく響き渡った。

 

「お互い、随分と弓鶴に救われちゃったよにぇ……」

 

「えぇ、これからもきっとそうでしょう。そして、今は私たちが」

 

 二人は、どちらからともなく頷き合う。

 視線が、交錯し、そして一つの答えへと収束する。

 二人は、同時に、弓鶴の唇に狙いを定めた。

 マキが、弓鶴の左頬に、愛おしげに手を添える。

 それは、彼によって過去の亡霊から救い出して貰った、優しく強い女武者の手。

 

「弓鶴、君は一人じゃない……それは欠けてるって事でも、何かが必要ってことでもない……」

 

 ゆかりの手が、弓鶴の右頬を情熱的に撫でる。

 それは、彼によって霧散の呪いから解き放たれ、今を生きることを赦された、安らぎを知った次元海賊の手。

 

「私たちの未来を、私たちの運命を彩ってくれる、満たしてくれる……あなたは、私たちに可能性を与えてくれた人」

 

 二人の唇が……共に、弓鶴の唇に触れた。

 それは、所有の証ではない。

 二人の女の愛の集大成であり、これからの未来(かのうせい)を共に築くと誓う、神聖なる宣誓。

 

「「私たちは、みんなで生きていく……その力を……君がくれたんだ」」

 

 二人の呼気が、愛が、生命の力が、祝福(BLESS)が。

 

「好きだよ、弓鶴」

 

「大好きです、弓鶴」

 

 肺を通し、彼の鼓動に届き、そして、爆発寸前だった彼の魂の全てに行き渡る。

 瞬間。

 弓鶴の眼が、カッと見開かれ――

 光が、無窮の闇の中に、新たなる太陽を生み出した。

 

 

 

「かっ……ごぶぇっ、げぇぇっ!?」

 

 闇の中で、異貌を晒した虚音が突如、口元を抑えて悶絶する。

 

「何だ、之は!? 甘い、熱い、大きい、余りにも大きすぎる、可能性の塊!?

魔力とカテゴリするのも惜しい、宇宙が生まれるほどの衝撃……!?

は、は、は!! 素晴らしい、やはり貴方様はワタクシの意識を『覚醒』させた、あの冷たい手とは根本的に違う……! がぁ、あああああ!!」

 

 虚音の絶叫と共に、その本体たる虚音大権現が、内側から膨大な光を放って自壊を始めた。圧倒的な光が、その準惑星級の表面装甲を蒸発させていく。

 そして、爆心地から、白く輝く狐面のような流麗な船体が、絶望の黒を引き裂いて脱出した。

 

 

 

 熒惑の王宮戦艦、その艦橋。木造機械の荘厳な戦闘艦が、奇跡の目撃者となる。

 

「信号、復活しました! 生きてます、征惑大将軍・弦巻マキも、輝降大将軍ーー伊織弓鶴も!」

 

 涙を流しながら、コンソールに張り付いていた宮舞モカが振り返った。音街ウナは、祈りを捧げるように目の前に現れた「もう一つの太陽」に手を合わせる。

 玉座に立つ、二柱の神々もまた……祈りの向こうに現れた純粋な奇跡に、感涙せずにはいられなかった。

 

「弓鶴……っ、君は、君ってやつは!」

 

「誠に、誠に天晴れである! 全軍、我らが将の帰還である! 全力で、彼らを援護せよ!」

 

「「我らが将の奇跡を、熒惑の全てを以て祝福せよ!!」」

 

 熒惑そのものである双子神の檄が飛ぶ。

 怪異源の跋扈していた闇の宇宙に、弓鶴の『覚醒』を受けた熒惑艦隊の霊子砲が、浄化の光となって舞い飛び、その暗黒を祓っていく。

 

 

 

 熒惑の大地の上からでも、その太陽は神々しく輝いて見えていた。誰もがわかる、あの優しく、力強い光の象徴を。

 なぜなら彼は『輝降大将軍』であるのだから。

 

「弓鶴兄ちゃん……!」

 

「お願い、私たちの未来を……」

 

 熒惑の琴葉姉妹が、熒惑の全ての人々の祈りが、そして大地を裂いて砲門と化した『眠りの瓶』までもが、弓鶴に祈りを捧げるように、その光を一つの道筋へと収束させていった。

 

 

 

 その次元戦艦の甲板に、三つの影が立つ。

 神々しい、余りにも神々しく七色にはためく羽衣と、光輝く純白と黄金の戦闘服に身を包んだ伊織弓鶴。

 その両脇に、彼と対になる純白の戦闘服を纏った、ゆかりとマキを侍らせて。

 

「ありがとう……ゆかりさん、マキさん……俺も、皆の想いに答えたい!」

 

 弓鶴が翻した掌に、黄金の光が集まる。

 宇宙から、人々から、熒惑という一つの世界から。

 その祈りが、一つの形を結実させる。それは、清らかな音を奏でる、光の鈴だった。

 弓鶴がそれを握ると、光は万色の輝きを放ち、神々しい虹の大剣となった。

 

 眼前に、塵が降り積もる形で、あの異貌たる虚音の化身が現れる。

 それに合わせるように、眼前の虚音大権現が瞬く間に形を大きく変え、今の虚音自身のような、強大な人型の形態をとり、熒惑の艦隊をもその異様に長大な腕の射程範囲に収め、振り上げる。

 

「最早遊びはこれにて! その光、その王道、その愛、全て我が黒に! 呑み尽くし、穢してくれましょう! 終わりにございます!」

 

 すぅ、と息を吸い、弓鶴は、全霊を込めて吼えた。

 

「……終わらせてたまるか! 俺は、この国は、この世界は! これからも、生き続ける!」

 

 弓鶴の振るった剣が、熒惑という世界を背負った生命の力が、虚音大権現の巨体を、一太刀の下に断ち切った。

 

 崩れ去るその中から、元の虚音の本体自身が、その手に万物を飲み込む『黒』を纏い、大剣を振りぬいた弓鶴に高速で迫る!

 

「余りにも、迂闊!」

 

 嘲笑うように発されたその言葉を、二条の閃光が薙ぎ払う。

 マキとゆかりの、純白の剣が。

 虚音の身体に、交差を描く傷跡が深く刻まれる。

 

 その中心に、弓鶴の光剣が、静かに、深く突き立った。

 苦悶するように、嘴を大きく開けて息を吐く虚音に、弓鶴は優しく話しかけた。

 

「虚音、確かに俺は誰かが居なきゃこんな事は出来ない……俺は、皆の可能性だ」

 

「嗚呼、眩しい……何て眩しくございましょうか、私もかつて憧れた……人の、営みの……灯り……」

 

 ざぁっ……と。

 虚音は、その強大な存在に反し、余りにも儚い、細かく小さな塵の塊となって、この暗黒の宇宙に吹きすさぶように消えていった。

 

 ただひとつ、言葉を残して。

 

「ワタクシの、負けにございます……可能性の、少年よ」

 

 

 

 

 

 

「そうして虚音大権現は討伐されて、弓鶴はボイロウェポンとして完全覚醒に至ったと、そういうわけです」

 

 思い出話を終えて、視点は現在のボイロウェポン世界。

 夢中で語り終えたゆかりがふと気づくと、弓鶴の妹たる双子、ボイロウェポンの茜と葵は、ぼろぼろと涙を流しながら真剣に聞き入っているのだった。

 なお、当の本人たる弓鶴と、耳まで真っ赤になったマキは、そそくさと休憩室から逃げ出そうとして、即座に反応した葵に襟首を掴まれた。

 

「お兄ちゃん、イズコヘ向かいなさるおつもりか?」

 

 涙もそのまま、しかし凄絶な笑顔で尋ねる葵の圧に、弓鶴は目を逸らしながら言う。

 

「ワタクシ、しばし厠へ……」

 

「二人とも何で虚音っぽい口調になっとんねん?」

 

 何となく耳に残る独特のリズムなのはわかるけど、と茜は呆れたように二人を見ながら、ごしごしと涙をぬぐった。

 

「それで、お兄ちゃんはそのまま、イタコさんに乗って帰ったんか?」

 

「何か言い方が卑猥ですけど、帰りましたよ。熒惑へ」

 

 そのゆかりの応えに、茜は「はぁ!?」と素っ頓狂な声で聞き返す。

 

「何で、使節団の人たちと会えて、せっかくこっちの地球に帰るチャンスやん!」

 

 姉妹の当然の質問に、弓鶴がばつが悪そうに頬を掻いて応える。

 

「寄り道は悪いと思ったんだけどさ、どっちにしろ元の時間に戻してもらえるそうだったし……それに、俺には、まだやることがあったからさ。『覚醒師団』と、それと……」

 

 そう言いかけたところで、休憩室にポーンと気の抜けた機械音が鳴り、合成音声らしき声が響いた。

 

『琴葉姉妹サン、伊織弓鶴サン、訓練施設ノ長期使用ガ確認サレテイマス。ソロソロお家ニ帰リナサイ』

 

 心配しているのかそうでないのか、それどころかふざけているのかもわからないような音声が、早く帰るよう促してきた。

 

「珍しい、レイちゃんが早く帰れなんて言うの」

 

 葵が不思議そうに呟いたのに対して、マキは何かを察したように皆を連れてエレベーターに乗り込んだ。

 

「まぁまぁそういう事もあるんじゃないかにぇ、こういう小神(AI)の言うことは素直に聞くもんだよ」

 

 そう言って、一行はTOWEAT施設からショッピングモールARIAへと通じるエレベーターで、地上へと戻っていったのだった。

 

 

 

 TOWEAT勢天町支部、その支部長室にて。

 端末に映る休憩室の様子――弓鶴たちがエレベーターに乗り込むまでの一部始終を眺めながら、一人の青年がハンカチで感動の涙をぬぐいつつ、呆れたように、変わった口調で呟いた。

 

「ま~ったく、正直なのはいいことだけどんもっ! 少しは警戒してほしいもんだぁねぇ?」

 

 彼が座るデスクには『支部長です』『偉いんです』と、ふざけたプレートが置かれている。

 

『全クモッテ、流石ハ支部長ノ御学友デスネ、精神年齢ガソンナニ変ワンナイ』

 

 レイちゃんと呼ばれた合成音声が、青年の言葉に皮肉げに答える。

 

「いやぁ~照れるぜ」

 

 青年はへらりと返しつつも、その表情からふざけた色を消し、顎に手を置いて考え込む。

 

「弓鶴のBLESS能力は、その影響が広ければ広いほどその威力を増すタイプとみてまず間違いない。

『覚醒師団』も、あのQクラス二人の守護者も、もはや彼の力の一部となっているだろう。

あそこでもし『再誕の儀』とやらの詳細まで話してしまっていたら、その内容によっては……」

 

『TOWEAT本部、少ナクトモ『工場(ファクトリア)』ノ連中ハ、セクターヲ問ワズ、彼ヲ即キングクラスノ未知ノ驚異トシテ登録シ、討伐封印ノ名目デ彼ノ解剖ヲ試ミルデショウネ』

 

 レイの淡々とした、しかし恐ろしい答えに、青年は目を細めた。

 

「或いは、その必要がある領域にまで、すでに至っていたとしたら……

な~んてな!だとしても売ったりはしないけどさぁ? 俺、友達は大事にするタチなんで?」

 

『会話ログハ削除シテオキマスネ』

 

 例の淡々とした返しに、TOWEAT勢天町支部支部長――弓鶴のクラスメイトである三枚目の美青年、タカハシ アマトは、監視カメラに向かって片目を閉じ、ウィンクして見せた。

 

「おねがいねん♡」

 

 

 

 

 ARIAから地上へ出ると、あれほど激しく窓を叩いていた雨は、すっかり上がっていた。

 空は洗われたように澄み渡り、雲の切れ間から差し込む西日が、街全体をノスタルジックな茜色に染め上げている。

 五人は、ショッピングモールの広大な駐車場を横切る。

 水たまりが夕焼けを鏡のように映し出し、その上を買い物袋を下げた家族連れや、寄り添って歩くカップルが通り過ぎていく。

 

 なんでもない、平和な日常の光景。

 弓鶴は、その街を歩きながら、すれ違う人々の顔を眺めていた。

 八百屋の店主の威勢のいい声が、どこか熒惑の市場で聞いたものと重なる。

 学校帰りの制服の集団の無邪気な笑い声が、ウナやモカ、そして『覚醒師団』の若い兵たちの顔を思い出させる。

 

(熒惑で見た覚えがあるような、違っているような……)

 

 だが、確かなことが一つあった。

 この世界も、あの世界も、形は違っても確かに息づいている。そして今、自分を迎えてくれている。

 弓鶴は、その温かい実感を噛み締めるように、深く息を吸い込んだ。

 

「ただいま」

 

「「「おかえりなさい」」」

 

 琴葉家の玄関をくぐり、リビングのソファに深く沈み込む。

 すぐに葵が淹れてくれたお茶の湯気が、疲れた心身に染み渡った。

 隣に座った茜が、先程の話の続きとばかりに口を開く。

 

「……でも、やっぱりわからんわ。なんでお兄ちゃん、あの吉田くんたちと帰ってこんと、また熒惑に戻ったん? 責任感じてたん?」

 

 その問いかけに、弓鶴は苦笑し、そっと姉妹の頭に手を置いた。

 

「責任……ってだけじゃないんだ」

 

 弓鶴は、二人の髪を優しく撫でながら続けた。

 

「あっちも、この世界も、もう俺にとってはどっちも大切な故郷なんだ」

 

 二人は、気持ちよさそうにその広い手を受け入れながら、目を細める。

 

「んん……いいな、弓鶴兄ちゃんは」

 

「私たちも、いつか遊びに行っていい? 熒惑の、もう一つのお家」

 

「……ああ、いつかきっと……」

 

 そのやり取りを、キッチンで夕食の準備を手伝い始めたマキと、相変わらずソファの上空に浮かんでいるゆかりが、微笑ましげに眺めていた。

 

「ああ、でも帰ったらモカに怒られちゃうなぁ……」

 

「あなたは一度こってり怒られてきなさい。最近まで続けてた訓練だって

ここに来る時二人に大将軍押し付けるためにやってたっていうのは、ウナちゃんしか知らなかったんですから」

 

「そんなぁ……」

 

 ゆかりの指摘に、マキは心底困ったように頬を膨らませる。

 そんな賑やかな日常の中、茜が、期待に満ちた目で弓鶴を見上げた。

 

「それじゃあ、聞かせてよ」

 

「お兄ちゃんたちが、こっちの世界に帰ってくる、その日の出来事をさ」

 

 琴葉姉妹の言葉に、弓鶴は優しく頷いた。

 

「あぁ」

 

 彼は語り始める。

 熒惑で過ごした、もう一つの故郷での三年間。その、最後にして最大の祭典――旅立ちの日のことを。

 

 

 

 

 

 

 熒惑の朝日が照らす、旅立ちの日。

 弓鶴は、三年間過ごした自らの部屋を綺麗に片付け終わり、「よしっ」と小さく気合を入れた。

 纏めた荷物を空間圧縮機にかけ、手のひらサイズになったそれを腰のポーチに下げる。

 中に入れたのは、どれもかけがえのない思い出の品ばかりだ。

 あまりオーバーテクノロジーの産物ばかり入れていくと、向こうの姉妹を驚かせてしまうかもしれないから、あくまで日用品や写真にあたるものばかりに厳選した。

 ――もちろん、琴葉屋の梅ヶ枝餅も、こっそり入れた。

 夕方に行われる帰還の式典まで、まだ時間はある。

 少し、歩き回ることにした弓鶴は、荷物を手にすると静かに階段を降りた。

 

 道場の前を通りかかる。

 シン、と静まり返った板間に、マキさんの姿が目に浮かんだ。

 初めて一本を取った時の、あの弾けるような喜びも。

 その後にもずっと続けた、厳しくも楽しい鍛錬の記憶も。

 初めて手のひらに竹刀ダコが出来た時の、少し誇らしかった思い出も……。

 

 今日はマキさんは将軍としての仕事で早くに出たそうだ。

 ゆかりさんもいないようで、広い屋敷内は、弓鶴の足音だけを返す静寂に包まれていた。

 

 屋敷の居間に出る。

 居間の中を流れる清らかな小川と、壁や天井を突き抜けて伸びる巨大な枝葉。

 それらが木造機械と自然に絡み合う、このなんとも奇怪で、しかし美しい様式に、初めて来た時は感動にも似た驚きを覚えたことを今でも覚えている。

 小姓として働き始めた頃、慣れない掃除機械を壊してしまって、マキさんと二人で大慌てで掃除したこともあった。

 ゆかりさんが来たばかりの頃、ギスギスしていた二人の元に、見よう見まねで作った親子丼を持っていって、場を和ませようとしたことも……。

 全てが、昨日のことのように目に浮かぶ。

 

「……いけない。今日ばっかりは……泣いちゃダメだろ、弓鶴」

 

 込み上げる熱いものを、ぐっと堪える。

 そう自分に言い聞かせて、弓鶴は屋敷の重い木戸を開けた。

 そして、誰もいないはずの家に、振り向きざまに告げた。

 

「行ってきます」

 

 まるで、この生きた温かみのある家そのものが「行ってらっしゃい」と返してくれたように感じながら、弓鶴は戸を閉めた。

 

 

 輝降庁舎まで通りがかると、今日は休館になっている筈のその前で、景気良く張り上げた声が聞こえてきた。

 

「一つ! 我らの本懐は、この世界、大切な人々、この平和を守ることにこそある!」

 

「一つ! 困っているものあらば助けよ! 我ら守護者にして救済者たれ!」

 

「一つ! 器を大きく持て! 世界二つを股にかけるように!」

 

 響くのは、弓鶴自身がその『覚醒』の能力によって潜在能力を引き出し、弓鶴自身が手ずからその身を鍛え上げた『覚醒師団』の面々の教訓だった。

 立案こそ弓鶴だったが、その内容はいつの間にか周りが面白おかしく勝手に決めたものだったことを覚えている。今聞いても、少し気恥ずかしい。

 

 各々が特徴的な技能を持ち、そのすべてを人を助け、己を助けるために用いる。弓鶴自身が厳選した実力者たちだ。自分が旅立った後も、彼らさえいればこの世界は安心だと思えるほどに、彼らは仕上がっていた。

 

「輝降大将軍、伊織弓鶴様!」

 

 その最前列に立つ、松嘩りすくが、初めから気づいていたかのように弓鶴に振り向くと、深く頭を下げて声を張り上げた。

 

「燻っていた私たちを見出してくれたこの御恩! 感謝の念をいくら重ねてもまだ足りません! いつか、頼りにされるまで私たちは精進を続ける所存で御座います!」

 

「あぁ、その時はよろしく頼むよ」

 

 弓鶴自身、この世界にも、向こうの世界にも、まだ完全な平和が訪れたとは思っていない。

 

 見上げるのは、輝降庁舎から、大飛震塔梅に向かって大きく伸びる、木造なれどシャープな機械的構造物――『再誕の塔』。

 これは、二つの世界を股にかける通信塔だ。

 どちらの世界で何か起ころうと、これを通じて弓鶴に連絡が届く。そして、弓鶴自身が何か問題に見舞われても、この塔が世界を繋げ、迷いなくその力(なかま)を頼ることができる。

 

 この2年間の輝降大将軍としての努力は、そのための準備だったのだ。

 弓鶴は、頭を上げたりすくとガッと手を握り合い、その確かな力を確かめ合った。

 感極まって涙を流すりすくに、弓鶴は力強く言った。

 

「熒惑の方は任せたぞ、りすく大隊長」

 

「は ぁ い !!」

 

 彼の特徴的な、よく響き過ぎる大声が、周囲の屋敷から文句が出るまで響き渡るのも、最早日常の光景だった。

 

 

 

 ゆかりの姿は、思っていたよりもすぐ見つかった。

 あの屋敷の露天風呂と、同じ景色の見える枝端の展望台。

 その中央に聳え立つ巨木――に見えるが、これも大飛震塔梅の枝の一つだ。

 

 ゆかりは、その枝の一つに寝転がって、熒惑の街並みを静かに見据えていた。

 みゅかりさんも一緒だ。

 ゆかりのすぐ横で毛繕いをしていたみゅかりさんは、身軽に登ってくる弓鶴の気配に気づくと「みゅ。」と小さく鳴いて向き直った。

 

「ゆかりさん、支度はもう済んでる?」

 

 ゆかりは振り向くことなく、空間圧縮機でビー玉サイズになった手荷物を手に出してみせた。

 彼女は元々ものを持ち歩かない主義だ。

 おそらくは、お気に入りの茶器や集めたお宝の一部だろう。

 そのお宝のほとんども、戦艦であるみゅかりさんの体内に収納しているため、それほど荷物は必要ないのだ。

 

「この景色も、しばらく見納めですね」

 

 どこか寂しげに言うゆかりに、弓鶴は心配そうに声をかける。

 

「ゆかりさん、辛かったらやっぱり、熒惑に身を置いても……もう、俺のそばにいる必要は無いわけだし」

 

 ゆかりの呪いは、あの虚音との戦いのあと、綺麗さっぱり消失していた。

 あの虚音が解いたのか、それとも弓鶴の完全覚醒に当てられた影響なのか……いずれにせよ、ゆかりの存在は人間としても高次元生命体としても、かつて無いほど安定していた。

 しかし、ゆかりは振り向いて、ぷくっと頬を膨ませた。

 

「馬鹿ですね、弓鶴が行くなら私も行きますよ……前と違って、もう戻れないなんてことはないんですから」

 

 ゆかりは、そう言いながら、かつて旅してきた世界たちに思いを馳せる。

 滅んだ世界、滅ぶべきではなかった世界、自分の生まれた、記憶も朧げなあの平和な世界。

 しかし、ゆかりは――最初の世界で抱いた、たった一つの思いだけは、いまだに手放してはいなかった。

 

『いずれ誰かを好きになる』

 

 それが、自分自身の証明であるかのように。

 

「まったく、私も大概馬鹿ですね」

 

 ゆかりは弓鶴に聞こえないように小さく呟き微笑むと、すっくと立ち上がり、身軽にその場から展望台へと飛び降りた。

 重力を軽減しながら優雅に降り立ったゆかりは、枝の上の弓鶴を見上げて呼びかける。

 

「ほら、挨拶回りしてるんでしょう? 続き行きましょう、間に合わなくなりますよ?」

 

「はいはい」

 

「みゅう」

 

 みゅかりさんがぴょこんと跳んで弓鶴の頭の上に居座ると、弓鶴は苦笑いしながら木を降りるのだった。

 

 

 

 弓鶴はゆかりと共に、活気あふれる津施街へと足を運んだ。

 彼らを待ち受けていたのは、この三年間で家族のように打ち解けた街の人々と、蛇夢盤堂のマキの友人たちだった。

 

「グ……グゴゴゴ……(達者で、なぁ……!)」

 

「あはは、炉釦さん泣きすぎ!」

 

 木製機械の巨体をわなわなと揺らし、関節から樹液の涙を流す炉釦の姿に、皆が温かい笑い声を上げる。平和で、名残惜しいひとときが流れていく。

 

「そういえば、マキさんはまだ仕事なのかな……再誕の儀以降、またウナちゃんとモカさんの稽古を激しくしてたみたいだけど……」

 

「『なんでぇ、弓鶴まだ知らなかったのか。あいつぁ……』あー、私たちにはわかりませんねぇ」

 

 炉釦の機械言語を翻訳していたりずむが、突然、わざとらしく翻訳をやめてそっぽを向いた。

 首を傾げる弓鶴の隣で、ゆかりが「さあ?」と悪戯っぽく笑みをこぼすのであった。

 

 

 

 一方、その頃。荘厳な熒惑幕府、その最上階。

 主を失った執務室に残された、可愛らしい桃色の便箋。

 その置き手紙を開いたモカは、ワナワナと手を震わせていた。

 

「あれぇ? モカち気づいてなかったんだぁ?」

 

 大将軍の副将という立場には似つかわしくない子供らしい口調で、回転椅子に行儀悪く反対向きに腰掛けながら、ウナは気軽に言った。

 

「まさ、か……最近、訓練がまた苛烈化してたのって……」

 

「あとのこと全部ウナたちに任せるつもりだったんだねぇ。まぁ、死ぬつもりだった前よりマシじゃん?」

 

 ウナがケラケラと悪びれもせずに笑う。

 同様に、奥の間の玉座で、同じ封筒を開いて読んでいた双子神も、それぞれの反応を見せていた。

 ヒメは、目をまん丸くひん剥いて、その内容を凝視している。

 ミコトは、クスクスと笑いながら言った。

 

「なるほど、手書きの文面なら僕らに感知はされないか。考えたね……どうする、ヒメ? ミチザネ様の子孫、行っちゃうよ?」

 

 ヒメは、拗ねたように玉座の肘掛けに寄りかかり、ぱたぱたと手を翻した。

 

「いーよいーよ! あれから千何年たってると思ってんの、もう本人に似てないし! なんなら弓鶴の方がまだ似てるし! 勝手にすりゃいいさ!」

 

 皆の手に握られた便箋には、全て一様に、簡潔な宣言が、力強い筆跡でこう書かれていた。

 

『家出します』

 

 

 

 津施街は、熒惑の朝日を浴びて、一日で最も活気づく時間を迎えていた。

 歯車仕掛けの看板がカチカチと音を立てて回り、木製の蒸気機関がシューシューと音を立てながら荷車を引いて石畳を駆けていく。

 道行く人々は、小神が組み込まれた木造機械の義肢を自然に使いこなし、からくり人形の売り子が響かせる呼び込みの声に足を止めている。

 その喧騒の中心地の一つ、旧琴葉屋。

 今も変わらず姉妹の実家として機能しているその店先で、ひときわ無邪気な声が響いていた。

 

「ぎゅんぎゅーん!」

 

 黄色い毛玉――かつて熒惑の茜のペースメーカーだった小神が、マキの神威と弓鶴の『覚醒』を経て変化した存在、『ケダマキ』――が、みゅかりさんと激しい追いかけっこを繰り広げている。

 いまや新生琴葉屋の新しいマスコットとして、すっかり姉妹に飼いならされていた。

 

「お兄ちゃん、はいこれ。新製品の鈴カステラ」

 

「ありがとう。二人とも、店番はいいの?」

 

「今日はもう店じまいや。お兄ちゃんを見送る方が大事やし」

 

 ずい、と紙袋を渡しながら、茜がニヤリと笑う。

 

「お兄ちゃん、向こうに帰ったら、元の世界の私たちもぎゅーしたるんやで?」

 

「あ、でも不審者としてつーほーされないようにね?」

 

「……え?」

 

 弓鶴は、鈴カステラを受け取った手で固まった。

 彼は、自分が元いた世界に「姉妹」として琴葉姉妹がいることを、この二人に話したことはなかったからだ。

 

「ふ、二人とも、いつ気づいたの?」

 

「そりゃあ、はじめっからよ」

 

「この街、商業都市だから……異世界の私たちも、しょっちゅう商売に来るんだよ?」

 

 葵がこともなげに言う。

 確かに、思い返せば、この姉妹に比べれば随分と大人びていて、装いも異なるが、この街ではチラホラと知り合いの「別存在(パラレル)」と思しき姿を見かけることがあった。

 そもそも、茜のような関西弁も、標準語しか本来存在しないこの熒惑では『茜訛り』と呼ばれ、彼女たち固有のものとして半ば名物と化しているのだ。

 

「……それでも」

 

 茜が、弓鶴の目をまっすぐに見つめた。

 

「弓鶴兄ちゃんがマキさんの婚約者に感じてたみたいな、誰かの代わりなんて感じたこと、ウチらが心臓治してもろた頃から、一度もあらへんよ」

 

 その力強い言葉に、弓鶴の涙腺が、またしても緩みそうになる。

 

「本当に、お兄ちゃん優しいから……気にしてるのが、逆にバレバレでね?」

 

 葵がいたずらっぽく笑うと、二人は、まるで示し合わせたかのように、弓鶴に歩み寄った。

 そして、初めて会った時とは逆に……姉妹が二人でぎゅっと、徐(おもむろ)に弓鶴を抱きしめた。

 

「またきて、梅ヶ枝餅買ってってーな」

 

「鈴カステラもね?」

 

「……あぁ。絶対、今度はこっちの姉妹も連れて、会いに来るよ」

 

 弓鶴の誓いの言葉と共に、日は高く上り、式典の時は、刻一刻と近づいてくるのだった……。

 

 

 

 そして、神殿のある大飛震塔梅の中央広場に戻ってきた弓鶴とゆかりを迎え入れてくれたのは……熒惑の総勢を尽くした、盛大なる帰還のパレードだった。

 木造機械のからくり楽団が奏でる荘厳な囃子と、霊子機関で駆動する巨大な笛が奏でるファンファーレが、大地そのものである神殿都市に鳴り響く。

 道という道には、この日のために集った熒惑の民が溢れかえり、木製の歯車で作ったささやかな花飾りを手に、二人の英雄の名を叫んでいた。

 その声に応えるように、天にそびえる神殿の玉座から、ヒメとミコトの声が増幅され、歓迎の辞として降り注ぐ。

 

「異空より舞い降りし天雷熒惑府の救世主、輝降大将軍――伊織弓鶴!」

 

「次元の海賊にして、彼(か)の者を支えた高次元の女傑、結月ゆかり!」

 

「「これより、帰還の儀を執り行う!」」

 

 万雷の喝采が地を揺るがす。

 二人が進む沿道には、祝福の証として梅の花びらが芳しく舞い、民衆は歓喜の涙と共に手を振っていた。

二人はその声援に一つ一つ応えながら、パレードの終着点――異界への門となる『再誕の塔』の麓まで、ゆっくりと歩いていく。

 しかし、弓鶴は、どれほど群衆の中に見知った顔を探しても、たった一人、最も見つけたいはずの恩師の姿だけが、どうしても見つからなかった。

 

「マキさん……」

 

 塔の麓に設えられた式台で、ヒメとミコトが二人を待っていた。

 二柱の神は、厳かに、しかしどこか名残惜しそうに、二つの勲章を授ける。

 それは青い球と、赤い球。

 地球と熒惑(火星)を繋ぐ象徴のような、特別な勲章だ。

 

「弓鶴……この三年間、誠に……いや、まっっっことに! 楽しく過ごさせてもらった!」

 

 ヒメが、神の威厳をかなぐり捨て、正直な心のうちを吐露する。

 

「君がきてから、毎日が面白い変化の連続だった。特異点……いいや、それ以上に、君だったからこそ、私たちは君に特別な思いを抱けたし、それを胸にこの停滞していた熒惑という世界に、新しい風をいくつも運んでもらった……」

 

「本当に、本当にありがとう……!」

 

 二柱の神々は、まるで普通の少女のように瞳を潤ませ、二人を見上げながら、ただただ感謝の言葉を並べてくれた。

 弓鶴もまた、初めて会った時からの神々との交流を経て得たものの多さに、込み上げる熱いものを抑えながら、感謝の言葉を返した。

 

「俺からも……! 何もかもがわからなかったこの世界に、熒惑に、迎え入れてもらって、我儘もたくさん聞いてもらって、感謝の言葉しかありません!」

 

 弓鶴は、振り向き、パレードに参加してくれたすべての人々に、そして、どこかで聴いてくれているかもしれない恩師に向かって、叫んだ。

 

「俺は、この熒惑という世界に色々なものをもらって、今ここに立っています!

だから、それに報いれる俺であるように、それに応えられる俺であるように、生きていこうと思います!

本当に、本当に……っ、ありがとうございましたっ!」

 

 涙ながらに感謝を述べ、深く、深く頭を下げた弓鶴に……ヒメは、静かに、儀式の最後の問いを投げかけた。

 

「弓鶴よ、お前はどこへ向かうのだい?」

 

「皆と掴んだ……未来へ!」

 

 続いて、ミコトが問いかける。

 

「弓鶴よ、どこから向かうのだい?」

 

「この熒惑という……もう一つの故郷から!」

 

 弓鶴のその決意の言葉を受けて、神々が門を開かんとした、まさにその時。

 再誕の塔の、遥か上空から、全てを遮るような凛とした声が響き渡った。

 

「ならばその旅路!私もお供願いたい! しばし、しばし待たれよお二方!」

 

 見上げた民衆の、どよめき。

 塔の頂から、完全武装の――大将軍の駆動鎧甲冑に身を包んだ影が、躊躇なく飛び降りた。

 

「えっ!?」

 

 高い位置からの凄まじい落下速度。

 しかし影は、着地の寸前、背部と脚部のバーニアを吹かせて完璧に勢いを殺し、弓鶴とゆかりのちょうど真ん中、その敷石を割ることもなく、優雅に片膝をついて着地した。

 その衝撃で、最後とばかりに紙吹雪のような梅の花びらが、三人を包むように舞い上がった。

 

「まったく、置いていくところでしたよ?」

 

 呆れたように言ったゆかりに、弓鶴は、目の前の大将軍とゆかりの顔を交互に見比べながら、素っ頓狂な声を上げる。

 

「え? ええ!? マキさん!?」

 

 この場において、もはや気づいていなかったのは彼だけ。

 盛大にして、最高のとんだサプライズであった。

 ガチャガチャ、と。質量を無視した小気味よい音を立て、彼女の全身を覆っていた鎧甲冑が瞬時に分解・変形し、彼女の首筋に巻かれた木製のヘッドホンとして収束していく。

 その下から現れたのは、少女然とした、太陽のような笑顔。

 征惑大将軍――否、弦巻マキという一人の乙女となった彼女は、弓鶴の手を取り、高らかに宣言した。

 

「この弦巻マキ、家出仕る! この熒惑は、皆んなに任せたから! よろしくぅ!!」

 

 まるでライブ会場のように、広場を警護していた鎧武者たちが、息のあった掛け声で応える。

 

『『はい! お任せください!!』』

 

 その声と、民衆の割れんばかりの祝福の叫びが一つになって、空へと旅立つ三人の未来に、高らかに注がれるのだった。

 

 三人が見つめる中、再誕の塔の麓が、重い木材と歯車が軋む音を立ててせり上がった。

 

ガチャロ、ガチャリ。

 

 複雑な組木細工のような機構が星型の門を形成し、その中心が、まるで巨大なシャボン玉の膜のように揺らめき始める。

 やがて、桜色の放電が走り、空間そのものが裂け、三人が通れるだけの次元の道が開かれた。

 

「行き先の時間は、弓鶴の来た三年前の時間軸にセットしてある。安心して、元の世界の学園生活? とやらを送るといーよ」

 

「イタコさんにもらった、AクラスとしてのTOWEATの規則もちゃんと読み込んだね?」

 

 ヒメとミコトの最後の確認に、三人は力強く頷き、門へと歩み出す。

 その一歩を踏み出す前に、弓鶴は振り返り、集まってくれたすべての人々――神々に、民に、そしてこの世界そのものに向かって、声を張り上げた。

 

「それじゃあ皆……行ってきます!」

 

 二人もまた、晴れやかな笑顔で、それに続く。

 

「「いってきます」」

 

 国が、神が、この熒惑という世界が一丸となって、彼らの旅立ちを祝福する。

 

「「「行ってらっしゃい!!」」」

 

 優しく、力強い見送りの声に背中を押され、三人は一息に、桜色のゲートを飛び抜けた。

 

 

 梅色の神力に守られた、時空の狭間。

 あらゆる音も、光も、意味をなさない奔流の中を流れていきながら、弓鶴はこの三年間(すべて)に思いを馳せ切って……そして、決意したのだ。

 もう、どちらかを選ぶ必要はない。

 

 元いた世界も、天雷熒惑府も、どちらも守るべき故郷なのだと。

 青と赤の双天を、この二人の大切な翼と共に駆け巡る、渡り鳥のように。

 

 自身は、二つの世界を結ぶ「鶴」となろう、と。

 

 そう、ここからが物語の始まり。

 これ迄は、あまりにも壮大な、前振り(プロローグ)に過ぎない。

 

 此処より紡がれし、この物語の銘は――

 

 

 

  『双天の鶴翼円舞』

 

 

 これにて序章の幕引きに御座います。

 

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