VOICEROIDのウェポンサイド//双天の鶴翼円舞   作:EMM@苗床星人

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第二部『勢天編』 序幕

 

 ——『高度に発達した科学技術は、もはや魔法と見分けがつかない』。

 

 かつて、ある世界の偉大なSF作家はそう残した。ならば、その逆もまた然りである。

 可能性の海。

 宇宙空間とは似て非なる真空の異次元空間を、静かに、しかし威風堂々と進む巨大な艦隊群は、その逆説を証明する圧倒的な光景だった。

 

 それは、おおよそ「船」と呼ぶべきシルエットを持っていた。

 しかし、その尾を引く動力源は現実の地球のいかなる内燃機関にも属さない。

 聖歌の斉唱に似た駆動恩を放ち、光り輝く複雑な魔法陣の回転が未知の熱量を励起させ、莫大な推力を生み出している。

 装甲の材質は、鉄鋼でもなければ神々の力を持った木材でもない。

 魔術による強固な概念強化と幾重にも重なるシールドを纏ったそれは、豪奢な磁器とステンドグラスが融合したかのような、あまりにも優美で芸術的なものだった。

 その繊細な外殻が、内部に住まう人間たちの生きられる環境を、この虚無の次元海で完璧に再現し維持している。

 

 そう、この艦隊においては『高度な魔術によって編み込まれた機構が、高度な科学による宇宙船と何一つ遜色ない機能を有している』のだ。

 超高度な魔術文明を持ちながら、それゆえに滅びの淵に立たされる剣と魔術の世界——多次元渡航生物対策局『TOWEAT』が【クラブスーツ】と呼称する傾向の世界からやってきた者たち。

 それが、この艦隊であった。

 

 都市1つ覆えるサイズの大聖堂をそのまま巨大化させたかのような旗艦『セプテントリオン』を中心に、祈りを捧げる女神像のような戦闘機を甲板に林立させた巨大空母、そして侵略に適した脆弱な世界を血眼で探す無数の駆逐艦群。

 それは美しくも禍々しい、魔術による異世界『ラステア』の侵略艦隊『セプテントリオーネス大隊騎士団』の威容であった。

 

 旗艦『セプテントリオン』の甲板仮設住宅区。

 聖歌の斉唱を模した、重々しくも神聖な駆動音が響く中央動力配管のすぐそばで、一人の女騎士が壁に寄りかかっていた。

 白い髪をポニーテールに縛った彼女は、手にした薄いカード型の通信魔術端末を見つめている。

 端末には薄紫色の魔力の励起光が灯り、そこから聞こえる声に、クロワは少しだけ目元を和ませていた。

 

「あぁ、心配するな……ラステア基準時間の一週間後には、ちゃんと帰ってくるさ。異世界の悪賊どもを平定し、魔王族に対抗しうる魔力資源をたっぷりと積んでな。だから……」

 

『そんな事言って。クロワお姉ちゃん、私生活じゃダメダメなんだから。絶対、騎士団の人たちにその間迷惑かけてるでしょ? 帰ってきたら、騎士団の人たちの苦労話を聞くカウンセリングは、シスターの私の仕事になるんだからね?』

 

 からかうような、それでいて深い親愛の情が込められた若い少女の意地悪な声に、クロワは「うっ……」とたじろいだ。

 図星を突かれた狼狽を隠すように、それでも姉としての威厳を保とうと胸を張る。

 

「わ、わかっているさ」

 

『それに、無理はしないで? 知ってるよ。お姉ちゃんがそう言って元気に振る舞ってても……騎士団の人たちも、本当は深い罪悪感を抱えてるって事は……』

 

「——りりん」

 

 少女の声がそこまで紡がれたところで、クロワは鋭く、しかし懇願するように言葉を遮った。

 

「……それは、言ってやらないでくれ。わかっていても、やらねばならないんだ。それが、ラステアの英雄である我らの呑むべき『罪』なんだから」

 

 クロワの口調に微かな苦渋が混じる。

 魔術は、『魔法(おとぎばなし)』と違って資源を用いる、人類や世界という取り返しのつかない対象の持つ『可能性』という資源。

 それを奪うための異世界侵略。

 正義の騎士であるはずの自分たちが、見ず知らずの世界を蹂躙しようとしている事実。その正義ならざる動機を、ここにいる全員が薄々察していた。

 

「ほら、こんな話を続けていると、りりんが異端と疑われてしまう。今日は此処までにしよう。……愛してるよ、りりん」

 

『あっ、待ってお姉ちゃ——』

 

 まくし立てるように続きを話そうとする愛妹の声を遮り、クロワは手元のカードを軽く振るった。

 通話術式の魔力を失った白いカードは、ボァッ、と薄紫の炎に包まれ、一瞬にして虚空へと溶けて消えた。

 

 通信が切れた後も、周囲ではプロパガンダを兼ねた聖歌の音が絶え間なく鳴り響いている。

 ラステアを救う勇者の一団として、彼らを鼓舞する美しい旋律。

 しかし、それがかえってクロワの胸を締め付けた。

 彼女は、純白の鎧に守られた拳を、ぎゅうと強く握りしめた。

 故郷で待つ妹の笑顔を守るためなら、泥をすすり、他者の血で手を汚すことも厭わないと、己に言い聞かせるように。

 

 だが、決意を固める彼女も、勇壮に進む大艦隊の乗組員たちも、誰一人として知る由はなかった。

 他者の世界を奪うという罪を背負う覚悟を固めた彼ら自身が、理不尽極まりない蹂躙の対象として狙われていたという事実を。

 

 

 

「クロワ大隊騎士団長!」

 

 背後からの声に、クロワはハッと顔を上げた。

 

「……はぁ、なんだ。騒々しい」

 

 駆け寄ってきたのは部下の騎士だった。その顔には微かな困惑が浮かんでいる。

 

「大いなるディアマンテ様より、そろそろ大隊騎士団長の魂に付与された魔術刻印章の、定期メンテナンスを行いたいとの通達がございまして……」

 

「なに? メンテナンスなら、先週にも行っていた筈だが……」

 

 クロワは柳眉を寄せた。

 魔術刻印章の調整は過酷かつ長距離の行動となる遠征において不可欠だが、頻度が異常だ。

 しかし、絶対的上位者である『あのお方』が定期期間を誤るなど考えられない。

 

「……わかった。すぐ大聖堂に向かおう」

 

 クロワがそう答え、踵を返そうとした——その瞬間だった。

 彼女の鍛え上げられた動体視力は、部下と会話する最中であっても、周囲の異変を見逃すことはなかった。

 硝子の天蓋越し、真空の次元海で隔てられたすぐ真横を航行する、第二聖堂艦『リンドヴルム』。

 空母としての機能を持つその巨大な魔術艦が、まるで内側から風船を膨らませたかのようにゆっくりと歪み……次の瞬間、極彩色の炎を噴き上げて、大規模な爆発を起こしたのだ。

 

「——っ!! 『総員、衝撃に備えよ!!』」

 

 クロワは咄嗟に大隊指揮官権限を行使し、艦隊全域に緊急の魔術的通信網を繋いで絶叫した。

 

ズ——ガガガガシャアアアァァァァン!!

 

 盛大な爆音。

 そして、豪奢な絶対魔術装甲を成すガラスと磁器が粉々に砕け散る不協和音が、艦内にいるすべての乗員たちの鼓膜を容赦なく叩き割った。

 宇宙空間でありながら魔力場を伝播したすさまじい衝撃波が、旗艦セプテントリオンを大きく揺さぶる。

 

「うおおぉぉっっ!?」

「くっぅぅううっ!」

 

 悲鳴が連鎖する。幸い、艦内の至る所に設置された対ショック姿勢用の手すりや、騎士たちの鎧に付与された魔導磁力による吸着機構のおかげで、致命的な混乱には至らなかった。 だが、この爆発はあまりにも脈絡のない、完全なる『規格外の災禍』だった。

 

 クロワは虚空に指を走らせ、魔法陣と複雑なアドレスを瞬時に編み込み、旗艦ブリッジへの通信を起動する。

「こちら大隊騎士団長クロワ! 何があった! 事故なら特殊運用コードをすぐに……!」

 

『てっ、敵襲です! これは敵襲!!』

 

 ホロモニターに映し出されたブリッジの通信手は、恐怖で顔を歪ませ、悲鳴じみた声で喚いていた。

 

『第二聖堂艦リンドヴルム内に潜入していた何者かが、突然、常軌を逸した火力の武装を展開! い、一撃です! たった一撃で、リンドヴルムを真っ二つにへし折りやがったっ!!』

 

「……人の手で、だと!?」

 

 クロワは息を呑んだ。全長数キロにも及ぶ聖堂艦を一撃で折るなど、規格外の戦略魔術でも不可能に近い。

 ブリッジから送られてきた内部監視映像が展開される。そこに映っていたのは、甲冑姿の騎士たちには到底似つかわしくない、見慣れぬ「ジャケット姿の青年」だった。

 映像の中の青年は、警備の騎士に誰何された直後……突如として、純白の和服に黄金の袴、そして万色の羽衣を身に纏った神々しい姿へと『変身』した。

 

『て、敵性実体、飛翔! し、信じられない……あれは、超位異能『魔法使い(カテドラル)』か何かかばっっ!?』

 

 通信手が狂乱の報告を上げた、その直後。

 モニター越しのブリッジが、一瞬にして閃光と炎に飲み込まれた。

 折れたリンドヴルムの残骸から飛翔した『何か』が、次元海を蹴り飛び、旗艦セプテントリオンの心臓部たるブリッジを外部からまるごと抉り取ったのだ。

 

 二度目の強烈な衝撃。

 そして、大気を瞬く間に吸い出す次元海の真空へと、騎士たちが次々と引きずり込まれていく。

 だが、この虚無の空間は通常の宇宙とは異なる法則に支配されていた。放り出された彼らが即死することはなく——代わりに『意味消失』という恐るべき現象が彼らを襲う。

 次元の波に直接魂を攪拌された騎士たちは、声なき狂乱の絶叫を上げて発狂し、もがき苦しみながら、ゆっくりと動かなくなっていく。

 そんな地獄のような光景を最後に、映像は完全に途絶えた。

 

「くそっ……!」

 

 クロワは歯を食いしばりながら疑似的な大気を揉まれる暴風の中、連絡路へと飛び込み、背後の気密シャッターを物理的に叩き落として閉鎖した。

 目の前の重厚な扉に、自らの血を滲ませた指で直接魔法陣を描き込む。

 彼女の頭脳は極限の恐怖を冷徹に押さえ込み、大隊長としての最善の選択を弾き出していた。

 

「旗艦セプテントリオンより、残存する全艦へ告ぐ!」

 

 クロワの声が、魔術通信網を通じて艦隊全体に響き渡る。

 

「これより艦隊指揮権を第四空母プリンシパリティズへと移譲する! 該当艦の先導にて、直ちにラステアへ帰還せよ——!!」

 

 描き終えた陣を掌で叩く。

 空間接続魔術が発動し、クロワの視界は一瞬で切り替わった。

 転移先は、セプテントリオンの甲板。艦橋を失い、急激な気圧変動と結界の崩壊によって暴風が荒れ狂う地獄の只中だった。

 彼女の眼前には、己のエンブレムと大剣と同じ意匠の『斬艦刀』を背負った、巨大な女神像——魔導戦闘機が林立している。

 クロワはその一つ、専用機の昇降機に迷いなく手をかけた。

 見回せば、激しい暴風の中で、示し合わせたかのように直属の近衛騎士隊が各々の女神像に乗り込もうとスタンバイを終えていた。彼らもまた、死兵となる覚悟を決めている。

 

「賊は、私——クロスノミヤ・セプテントリオーネス・ラ・クロワと、その近衛騎士隊が引き受ける!」

 

 死地へ赴く者の声は、暴風を切り裂くほどに鋭く、澄み切っていた。

 

「貴兄らは、ディアマンテ様を連れて帰還せよ!! 我らが誇り高きラステアのために!」

 

『機体間通信、感度良好!』

 

『敵が御伽噺の魔法使いってマジか!?』

 

『馬鹿、ありゃもどきだ! 恐らくは資料にあった『特異点の複製兵器』——『ボイロウェポン』とかいう生体兵器の類だ!』

 

 近衛騎士団の悲壮な決意が、緊迫した通信に乗って交錯する。

 騎士たちはコクピット内の聖別された銀ケーブルを己の太ももや首筋のソケットに深く挿入し、魂魄情報を女神像へと同期していく。

 祈りを捧げるように腕を組んだ女神像たちは、自動的に甲板のレールユニットへと移動し、その背部を接続していく。

 

『機動女神(ラスティゴッデス)、発艦シークエンス開始——識天の頂に源夢の愛ぞあれかし。ディアマンテ様の加護ぞ在れ。各員、発艦せよ!』

 

 無機的なシステム音声と宗教的な祈りが混ざり合ったアナウンス。

 雷光を灯したリニアレールに背を預けた女神像たちは、一瞬で超高速の領域へと到達し、真空の次元海へと射出された。

 

「——っ、我らが希望には、指一本触れさせないっ!」

 

 クロワが操縦桿に力を込めると、彼女の魂魄の動きに完全に呼応し、女神像が六本の副腕を駆動させる。

 そのうちの一本が背負っていた巨大な斬艦刀を引き抜き、眼下の虚空に浮かぶ標的へと猛然と肉薄した。

 

「……特異点の、複製如きがぁっ!!」

 

 視界の中央に捉えた青年——純白の和服と万色の羽衣を纏う、何処かの英雄の姿を模した偽物。

 クロワがその脳天めがけて必殺の刃を振り下ろした、その瞬間。

 

 突如として青年の前に割って入った『青いジャケットの少女』が、その巨大な質量を伴う刀身を、生身で受け止めたのだ。

 

「なっ……に!?」

 

『離れろ団長! ボイロウェポンは、単騎だけで行動しない!!』

 

 部下の絶叫と同時に、クロワの操る女神像は激しい反発力に弾かれるようにして跳び退いた。

 直後、クロワのいた座標を出鱈目な大きさの刃が横薙ぎに通過する。

 

「ふぃい、巻き込めませんでした」

 

 どこか間の抜けた、穏やかで軽薄な声。

 クロワは信じられないモノを見た。少女の腰が、悍ましい機械音——ギリリ……ギチギチギチギチ……と鳴りながら、縦に分割されていたのだ。

 その『中身』から展開された巨大な内蔵刃が、クロワの斬艦刀を容易く弾き返したのである。

 ボイロウェポンですらない、完全な機械生命体。

 少女は即座に折り畳むように刃を収納すると、黄色い光の玉となって高速で飛翔し、青年の周囲を旋回し始めた。

 光の玉は、彼女一つではない。黄、桃色、赤、青……四つの光源が、まるで青年を主星と崇める衛星のように彼の周囲を舞っている。

 

「いいや、良く止めたぜ、フィー」

 

 青年が余裕の笑みで労うと、フィーと呼ばれた青い光の玉は、喜びに打ち震えるように明滅した。

 

「ぶち抜け、めたん」

 

 そして、異常は瞬時に顕現した。

 青年の無造作な命令とともに、赤の光の玉が一瞬で青年の手に収まり、ドリルの穂先を備えた凶悪な機械的突撃鎗へと姿を変えた。

 

『え——』

 

 ——ごりっ!

 不気味な音が次元の海に響いた――あるいはそう錯覚した。

 瞬間、クロワの視界の端で、部下の駆る女神像の一体が、その肩口から脇腹にかけてを即座に『消失』させていた。

 彼だけではない。

 青年を取り囲むように布陣していた女神像のすべてが、不可視の刺突によって無作為に風穴を空けられていく。

 その理不尽な消失は、女神像の堅牢な装甲を透過し、内部のコックピットにいる騎士たちの肉体にまで無慈悲に及んでいた。

 

「ごっっ……ゔえっ!?」

 

 夥しい血が、クロワの口から噴出した。激痛。

 自身の脇腹が、装甲ごと丸ごと抉り取られている。

 だが、クロワには今、自らの致命傷を気にする余裕すら無かった。

 彼女の視界——機動女神のシステムにマージされた敵の生体情報が、青年のみならず、彼が振るう『機械の鎗』の異常なステータスを弾き出していたからだ。

 

 それは、痛み。

 絶大な苦痛。ただその一点だけで、発狂して泣き叫ばなければおかしいほどの極限の負荷と苦痛を、武器と化したその少女が味わっているという事実。

 

『あああぁぁッ! 痛っ、痛いぃぃッ! ぁっ……がああ!!』

 

 脳内に直接響くような、鎗からの狂乱の悲鳴。

 

『でも……主様っ、もっとっ! もっと私のリミッターを焼き切ってぇっ! ああぁぁぁぁぁッ!!』

 

「お前は……仲間を、そんな風に扱って……っ!?」

 

 クロワの顔が戦慄に歪む。

 

「ひっはっ! ああ、俺は『武器の限界を超えさせる』能力でな……コイツらは、どんなに負荷をかけても中々壊れねェ。俺の最高のお気に入りの武器(おんな)たちだぜ?」

 

 青年は下劣に嗤いながら、凄惨な激痛に泣き叫ぶ鎗をさらに強く握りしめた。

 

『ふぃい~、めたんさんばっかりずるいですー! 私のセンサーもバチバチに焼き切れるくらいのオーバーロード、はやくくださいよぉ……あ、痛覚処理エラー吐きそう♡』

 

 周囲を舞う青い光の玉もまた、苦痛と恍惚が混ざったような狂った通信を放っている。

 

「お前はッ!! いったい、何なんだ!!」

 

 クロワは義憤と絶望に駆られながら、残された六つの腕に搭載された全武装を起動した。

 残存する近衛騎士たちもまた血を吐きながらそれに続き、女神像の掌から、花弁と雄蕊・雌蕊が揃ったガラス細工の百合の花のような『武装』を展開する。

 花弁と雄蕊が超高速回転を始め、最高速度に達した瞬間——ミニガンのような超高速連射が、質量を伴う光弾の豪雨となって青年に殺到した。

 

ぶぅぅいいぃぃぃぃぃん! づドドドドドどどっどドドドドドがぁ!!

 

 盛大な破裂音と共に、真空の空間に魔力光の爆炎と煙が巻き起こる。騎士団は、見えなくなった爆心地から距離を取った。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁ……!」

 

『団長! すぐに治療魔術を……』

 

 部下がそう叫びかけた、次の瞬間だった。

 

 ——再び、部下の乗る女神像が『消失』した。

 

「っ!?」

 

「ひっひひひ……応えてやるよ」

 

 爆煙が晴れたそこには、不気味に引き攣った笑い声を上げる青年が立っていた。

 その足元には、彼をかばって限界を超えたのか、ボロボロになって倒れ伏す桃色の髪の少女の姿があった。

 青年は一顧だにせず、その手に青と黄色が融合したような、ひどく歪で玩具めいたライフルとなったフィーを構え、彼女の頭を踏みつけながら笑った。

 

「俺様は因果の特異点、自らの世界を守護するボイロウェポン。そう、この『物語』における——完全無欠の主人公、ってやつさぁ!」

 

 青年はそう宣言し、ライフルの引き金を引いた。

 

——シュン。

 

 それは、音もなく、星のような煌めきとなってクロワのすぐ真横を通り抜けた。

 標的は、クロワたちではない。

 自分たちが命を賭して守ろうと背にしていた、ラステアへ向けて撤退中の大隊騎士団の艦隊。

 

 次の瞬間、純白の閃光が次元の海を埋め尽くした。

 

 光が収まった後には、何も残っていなかった。

 ラステアを目がけて逃げていたはずのセプテントリオーネス大隊騎士団の艦は、一隻も残すことなく、この次元の海の塵と化していたのである。

 

「あっ……あぁっ、ああぁぁぁぁっ!!」

 

 震え、焦点の合わない瞳で、クロワは絶望を喉から絞り出していた。

 あの撤退した艦隊には、何千、何万もの同胞たちが乗っていた。

 そして何より、ラステアの希望である『神』、大いなるディアマンテ様が搭乗していたのだ。

 

 その希望のすべてが。故郷へ帰還し、妹を、国を救うという望みのすべてが、ただの気紛れのような一瞬の暴力によって奪い去られた。

 

「おいおい、まさかアレで、オレの求めてるモノまで意味消失したりしてねえよなぁ? 加減できねえのが困ったとこだぜ」

 

 けたけたと不快な笑みをこぼしながら首を鳴らす青年の姿に、クロワの中で何かが決定的に弾けた。

 

「お前っ、よくも……よくもぉぉぉっ!!」

 

 狂乱の絶叫と共に、機動女神像が特攻を仕掛ける。

 残された六本の副腕と、主腕が握る斬艦刀が青年に殺到した。

 クロワの操縦技術は、もはや周囲の残存する女神像たちでさえもその攻防に割って入れないほどに異常を極めていた。

 通常、人間の意識で六本の独立した腕を同時に、それも完璧な連携で駆動させることなど不可能である。

 本来なら、予備武装を取り出し、メインの腕で運用するまでのラックとして保持されるべき副腕。

 だが今のクロワは、そのすべてを極限の怒りと集中力で従えていた。

 

 右の副腕からはステンドグラス風の魔力刃を放つパルチザンが、左の副腕からは空間そのものを削り取る聖句が刻まれた磁器のチェーンソーが唸りを上げる。

 さらに背部から展開された魔導ミサイルの豪雨と、重力場を歪める大筒の一撃。

 華美で、異様で、それでいて機能性を極めた魔術近代兵器の乱舞。

 それらが最適な順番、最適な戦術を以て青年の急所を完璧に包囲し、放たれる。

 

「お、活きが良いな」

 

 だが、絶望的なまでに力量が違った。

 青年は即座に周囲を飛ぶ光の球の一本を呼び寄せると、それは柄巻だけが残されたような『蒼い刀』へと姿を変えた。

 青年は薄ら笑いを浮かべたまま、徒手空拳と、その蒼い刀の一振りだけで、クロワの放つ魔術兵器の致死のラッシュをすべて弾き、いなし、捌いていく。

 

『あ゛っ、あ゛ぁぁっ……ひぃ゛っ……』

 

 魔力兵器と打ち合うたびに、青年の握る蒼い刀——勢天町のそれとは決定的に異なる『琴葉葵』という存在の成れの果てから、壊れたオルゴールのような、意味を成さないうめき声が零れ落ちる。

 それは既に精神が完全に崩壊し、ただ青年の能力によって無理矢理に強度を引き上げられ、打撃の苦痛だけを味わわされている肉人形の悲鳴だった。

 

「お前は此処で、堕とすっ!!」

 

 兵器が次々と破壊されていく中、クロワは残る力をすべて乗せて、主腕の必殺の斬艦刀を振り下ろした。

 しかし、青年が煩わしい羽虫を払うようにして蒼い刀を下から跳ね上げた、その一撃。

 ガキンッ!! と、あり得ないほどの鋭利な音を立てて、強固な概念付与を施された斬艦刀はあっけなくへし折られ、次元の海の真空へと弾き飛ばされた。

 

「っち、うぜえな」

 

「逃がさないっ!!」

 

がっ!!

 

 だが、斬艦刀を犠牲にしたのはクロワの意図した隙だった。

 刃を折られた反動を利用し、女神像の残存する副腕のすべてが、青年の小さな肉体を四方からガッチリと捕らえ、拘束したのだ。

 青年が力を籠めるより早く、クロワはコックピット内で生身の両手を用いて複雑な術式を編み上げる。

 

(すまない、りりんっ――!!)

 

 それは自爆術式。女神像の動力炉にプールされた全魔力を強制的に暴走させ、己の命運と共に対象を次元の彼方へ消し去る最後の一手。

 しかし、その決死の覚悟は、突如横合いから放たれた赤い光と、心底ドス黒い関西弁によって無情にも遮られた。

 

『ふざけんなや、カス野郎が』

 

 瞬間、クロワの腹部に凄まじい衝撃が走った。

 

「あ? ――がぁっ!?」

 

 自爆術式を完了する直前。

 物理的な結界を易々と透過した何者かの蹴りが、機動女神の分厚い装甲をぶち破り、中のクロワの肉体ごと強引に外へと蹴り飛ばしたのである。

 強制的にコックピットから零れ落ちたクロワは、セプテントリオンの甲板へと叩きつけられた。

 

 ガンッ! と、全身の骨が軋む音が鳴る。

 その場で圧死しなかったのが奇跡と言わんばかりの衝撃。

 彼女は未だ稼働を続ける甲板の疑似重力魔術に捕らわれ、自らが吐き出した血だまりの中に無惨に沈み込んだ。

 

 そして、一瞬だけ遅れて。

 仰向けに倒れたクロワの視界の遥か上空で、真っ赤な花火が灯った。

 

 それは、女神像の自爆など児戯に等しい、圧倒的で理不尽なエネルギーの暴威。

 空間そのものを蹂躙する灼熱の業火が放射状に広がり、クロワを除いた、空域に残存していた近衛騎士隊のすべての女神像を呑み込んだ。

 断末魔を上げる間すらない。

 凄まじい超高熱は、強固な魔術装甲を纏った女神像たちを、中の騎士ごと一瞬で煮溶かし、次元の海へと蒸発せしめた。

 

「…………っ」

 焦熱の風が吹き荒れる中、その炎の中央から、一人の少女がゆっくりと舞い降りてきた。

 

 未だ燻ぶる炎を肌の下で燃やしながら、クロワを見下ろす紅い髪の少女。

 長いスラックスパンツに、胸を辛うじて隠すチューブトップの一枚布だけを巻いた彼女は、地を這うクロワにはもう興味がないと言わんばかりに顔を背け、青年に向き直った。

 彼女——青年の手にある哀れな少女の姉、『琴葉茜』の瞳には、一切の光がない。

 

「ほら、とっととあのゴミ片して、目的のもん残骸から漁りに行くで。……屑野郎」

 

 憎悪。殺意。軽蔑。あらゆる負の感情を煮詰めたような声で、茜は自らの「主」である青年を罵倒した。

 だが、青年は全く気にする様子もなく、むしろ楽しげに肩をすくめる。

 

「口数が減らないねぇ、茜」

 

『あ、あ゛っ……あ゛ぅぅ……』

 

 青年の手の中で、蒼い刀が、赤い髪の少女の声に反応するように微かに震え、悲痛なうめき声を漏らした。

 茜は、心底不快そうに、そして胸を掻き毟られるような絶望を隠しきれない顔で、青年の手の中で弄ばれる肉人形——かつて自分の半身だった『妹』の姿を、ただただ、見下ろすことしかできなかった。

 

 瞬間、大気なき次元の海の温度が、もう一段階急激に低下した。

 

「「「!?」」」

 

 凍りつくような異変に、青年も、刀となった葵を憎悪と共に睨みつけていた茜も、そして甲板の血だまりに沈むクロワでさえもが一斉に虚空を見上げた。

 

 先の一撃によって完全に消し飛ばされたはずの、数万の同胞が乗る艦隊。

 その粉々に砕け散った硝子片や魔術装甲の残骸、そして宙を漂う莫大な魔力の残滓が、まるで不可視の巨大な引力に惹かれるようにして、一点へと渦を描き、収束していく。

 

『探し物は、此処にあるぞ――慈悲なきものよ』

 

 真空を震わせ、直接脳髄に響き渡るような神威の顕現。

 その荘厳なる声を聞いた瞬間、クロワの胸中にほんのわずかな安堵がよぎり――直後、それを塗り潰すほどの最大の絶望を以て、彼女は血を吐くように叫んだ。

 

「なりません、ディアマンテ様ぁっ!!」

 

 渦巻く破片の中から顕現したのは、巨大な『女神』であった。

 それはまるで、大聖堂のステンドグラスに描かれた女神化天使の似姿を、そのまま三次元空間に巨大投影したかのような化身。豪奢で、精緻で、そして無機質。

 その頭部――大女神の額にあたる部分には、紫色の髪をした小柄な少女が、半身を埋め込まれるようにして存在していた。

 その少女こそが神の『本体』であり、彼女の小さな胸の奥底には、この神の命そのものである七色の『神核』が脈打っている。

 

 全身に絶対の神威と魔力を纏った、外なる神々の一柱。

 その本質は、窮極の中心に横たわる全なる神の膝元にて讃美歌を唱え、その夢を世界へと運ぶ識天の御使い。

 

 『ディアマンテ=プリンシパリティーズ』の、全力の顕現であった。

 

「っち、向こうから来たか――今度は舐めてかかるなや」

 

「ひっひっひ、余裕は強者の義務だからなぁ?」

 

 眼前に立ち塞がった神の威容を前にしても、青年は何も反省していない薄ら笑いを浮かべていた。

 青年の軽薄な答えに、茜は心底忌々しそうに小さく舌打ちをすると、再び黄色い光の玉となって空へと舞い上がる。

 彼女の光は瞬時にその形状を変化させ、青年の背後に四枚の巨大な花弁からなる推進器のように展開された。

 

 二つの影は、一瞬の静寂を破り、青年の爆発的な飛翔によって急接近した。

 対するディアマンテは、小柄な本体の少女が静かに目を伏せると同時に、大女神の背後に背負った陽光のような後光から、極太の光の刃を無数に放射した。

 空間そのものを焼き尽くす神の裁き。

 しかし、青年の反応速度は異常だった。光が放たれるよりも早く、まるで『あらかじめそこに攻撃が来ると知っていた』かのように、彼は軽々しく致死の光の雨を躱していく。

 

『一行先を、読んでいる。やはりお前は、ボイロウェポンですらない。はじき出された夢の――』

 

「ネタバレは無しだ天使サマ?」

 

 神の静かな看破を、青年は嘲笑で遮った。

 背後の花弁の一枚を手に取ると、残る三枚の推進力を爆発させ、一息にディアマンテの大女神の片腕を切り落とす。

 

『――ッ!!』

 

「堕ちろよ、神。いや、お前は本来天使だったか……使い走りでも使ってもらえるだけ、有難く思えよ」

 

 神の堅牢な結界も、必死の抵抗をも嘲笑うかのように。

 青年はディアマンテのステンドグラスの巨体を縦横無尽にすり抜け、交差するごとに巨大化した花弁の刃でその胴体を切断し、玩具のようなライフルで死角から撃ち抜き、ドリルを備えた突撃鎗で風穴を開け、蒼い刀で残る腕を切り落としていく。

 それはもはや戦闘などという生易しいものではなかった。ただの、一方的な解体作業。

 

「や、めっ! やめてくれ! ディアマンテ様! あなたがっ、あなたが居なくては……ラステアは、りりんは!」

 

 クロワの悲痛な絶叫が響く。

 無惨に四肢をもがれ、ステンドグラスの巨体をボロボロに崩された女神。

 その頭部に埋め込まれた紫髪の少女が、苦痛に顔を歪ませながら、甲板で這いつくばるクロワへ向けて、震える細い手を伸ばそうとした。

 

『ク、ロ……』

 

 だが、神の慈愛の手が届くことはない。

 少女の頭上に、死神の如く青年が舞い降りていた。

 その手には、赤い光の玉から変形した、灼熱の炎を纏う凶悪な戦槌が握られている。

 

「や め ろ お おお おおお!!」

 

 クロワの絶叫と、ほぼ同時だった。

 青年が、一切の躊躇なく振り下ろした赤い戦槌が、紫髪の少女の小さな胸を――その奥にある『神核』ごと、情け容赦なく穿った。

 

ガシャァァァァァァンッ!!

 

 異様な光景だった。

 生身の人間のように見えた少女の肉体は、槌に打ち砕かれた瞬間、まるで薄氷か硝子細工のように無数の破片となって砕け散ったのだ。

 そして、その強烈な一撃は少女の胸を貫通し、下に続く大女神の巨体をも縦一閃に粉砕しながら、神そのものを次元の底へと引きずり堕としていく。

 

 青年が女神の核を完全に砕いたその瞬間。

 ディアマンテは、聖歌のような、あるいは断末魔のような甲高い絶叫を上げながら、次元の海で爆発四散した。

 

 虚空に残されたのは、きらきらと光を反射しながら消えていく硝子の雨と。

 青年の手に残された、神の心臓たる七色の宝玉だけであった。

 

 その神核が青年の手の中に現出した直後だった。

 クロワが倒れ伏していた旗艦の甲板から、急速に魔力の励起光が失われていく。主を失い、艦を維持していた概念魔術が完全に崩壊したのだ。

 ふわり、と。人工重力魔術を失ったクロワの身体が、無重力の虚空へと浮き上がった。

 彼女は己の血だまりが赤い球体となって散っていく中、必死に手を伸ばし、背を向けた青年に縋り付こうとした。

 

「やっ、やめろ……返せ、返してくれ! そのお方が居ないと、ラステアはっ……私の故郷は、呪相に沈んでしまうっ……魔王族に滅ぼされて、終わってしまう……!! お願いっ、なんでも……なんでもするから、まって! 待って!!」

 

 血を吐くような哀願。

 だが、ゆっくりと振り返った青年の眼差しは、微塵の同情も帯びていない、絶対零度の冷酷さに満ちていた。

 

「被害者面すんなよ、悪党が」

 

「――っ」

 

 その一言に、クロワは絶句した。

 他者の世界を蹂躙し、魔力資源を強奪しようとしていたのは自分たちだ。

 本来侵略者である艦隊が、そのように評価されることに反論の余地はない。

 故郷と妹を守るという大義名分があったとしても、やろうとしていた事は紛れもない悪である。

 

 だが――それでも。この男のもたらした結末は、あまりにも理不尽が過ぎた。

 

「まぁ、それでも役には立ったぜ? この神核で、俺の物語はクライマックスを迎えられる!あぁ、俺の物語が完成するんだぁ!」

 

 アッヒャッヒャッヒャッヒャ――!!

 

 耳障りで狂気じみた高笑いが、次元の海の真空に響き渡る。

 だが、その歓喜を断ち切るように、突如として青年の背後の空間が、ビリビリビリビリと絹を裂くような不快な音を立てて破け始めた。

 

 空間の裂け目の向こう側から、ゴゴゴゴゴ……と重低音を響かせて現れたのは、魔術文明の産物とは対極に位置する、現代科学の延長線上にあるような無機質で巨大な宇宙ステーションの威容だった。

 その無骨な隔壁に、極大の白文字で冷徹に刻印された所属名。

 

 ――『TOWEAT Factoria Sector3』。

 

「チッ、『工場』の連中め。迎えは要らねえっつったのに」

 

舌打ちをして顔をしかめる青年に、赤い光の玉がすり寄って語りかける。

 

『ほら、とっとと帰るで、――『弓鶴』』

 

「はひ、はっ……伊織さま、わたくし、がんばりましたわよ……ね?」

 

「ふぃー、帰ったらメンテなのです……げほっ」

 

 赤い光の茜を筆頭に、青年の周囲を舞っていた光の玉たちが、次々と元の美少女の肉体へと戻っていく。

 彼女たちは酷使された限界の肉体を引きずり、ボロボロになりながらも、その青年――『伊織弓鶴』という名の存在にすがりつくようにして、次元の裂け目へと消えていく。

 

「あ、ああっ! あ――うぐっ!?」

 その光景を目に焼き付けていたクロワの全身に、突如として発狂しそうなほどの激痛が走った。

 震える視線を己の腕に落とす。そこには、信じられない光景があった。

 強靭に鍛え上げられていたはずの肉体の輪郭が、まるで水面に落とされた絵の具のように、ぐにゃあああ……と不可解に拡散し、溶け出していたのだ。

 

 『意味消失』。

 

 物語の外側たる「次元の海」に、何の加護もなく放り出された者の不可避の末路。

 それは死という概念すら存在しないこの空間において、魂と肉体の情報を永遠に攪拌され続け、完全な発狂と共に自我を失っていくという、死を越えた無間地獄であった。

 

「い、嫌だ! 意味消失なんて嫌だ! 誰か、あぁ、あ、あああぁぁぁっ!!」

 

 ドロドロに溶けていく自らの肉体を掻き抱きながら、クロワは絶望の涙を流す。

 完全に閉じていく時空の裂け目。

 その奥へ消えていく、愛する妹の未来を奪い、世界を奪った仇敵の背中を睨みつけ、彼女の魂は恐れと後悔を塗り潰すほどの強烈な憎悪に染まり切った。

 

「ゆる、さない……絶対に許さないっ! TOWEAT……伊織、弓鶴ううううううぅぅぅっ!!」

 

 たった一人生き残った騎士の怨嗟の絶叫が、きらきらと輝くステンドグラスの残骸と共に、真空の虚無へと吸い込まれ、消えていく。

 その声が誰かに届くことは決してない。

 

 しかし、その因果の呼び声は――すぐ傍の並行宇宙、ボイロウェポンたちの住まう世界へと確かに繋がっていた。

 否。これはあの英雄が、己の黒き鏡とも言うべき最悪の偽物と対立することになる、勢天の街の新たな物語の、始まりの鐘に他ならなかった。

 

 さぁさぁさぁお立合い、これより語られるは光と闇の鶴翼交差。

 因縁因果が天の下で衝突す、弓鶴の演武第二楽章。

 さぁ皆様、お手を拝借。

 

VOICEROIDのウェポンサイド//双天の鶴翼円舞

 

      第二部『勢天編』

 

 

 

 

 

――おや、この序幕にはまだ、続きがあるようだ。

 

 あくる日の昼下がり。閑静な住宅街に建つ高級マンションの一室は、うら若い少女が単身で住まうには、あまりにも広すぎた。

 広すぎたがゆえに、誰の目も届かず、何でもできてしまう。

 

 少女が今まさに行おうとしているのは、ネットのオカルトゴシップサイトで調べた程度の大掛かりな『おまじない』であった。

 リビングの中央に置かれた大きめの水盆。

 そこに並々と水を張り、少し奮発して買った高級な香水を数滴垂らす。

 架空の精霊に祈りを捧げ、未来の伴侶を水面に映し出すという、こっくりさんやエンジェル様の系譜に連なる、いつの時代も絶えない定番の降霊占いだ。

 

 それを執り行うのは、大きなベルの髪飾りで明るい茶髪をツインテールにまとめ、目が痛くなるようなサイケデリックな色彩のワンピースを着こなす少女だった。

 いかにも小生意気で、背伸びをしたがる年頃の小学生。

 こんな広すぎる部屋で一人暮らしをしているという時点で、彼女が特異な存在であることは想像に難くない。

 事実、彼女はただのオカルトマニアの子供ではない。

 傍らのパソコンには儀式の手順が開かれたままだが、彼女のポケットのスマホには、多次元世界対策機関『TOWEAT』の公式データベースで危険魔術の検索をかけた履歴が残っていた。

 検索結果は『該当魔術なし』。

 

 そう、彼女もまた超常を識る『ボイロウェポン』の端くれである。

 異常への心得があるからこそ、これがTOWEATの網にも引っかからない安全でくだらない「ただの遊び」だと事前確認した上で挑んでいたのだ。

 年相応に、自分の未来の色恋沙汰への好奇心を満たすために。

 

「――ふぅ。ま、ここまで準備したんだし。こんなくだらないこと、さっさと済ませちゃお」

 

 くだらない、と大人ぶって口にしながらも、誰もいない部屋の周囲を見回し、安全を確認する彼女の瞳は爛々と輝いていた。

 

「プリンシパリティーズ様、プリンシパリティーズ様。お越しください。私の未来の――か、家族の顔をっ、見せてください!」

 

 少し声を上擦らせながら、少女は何ともチープなおまじないの言葉を唱えた。

 ……しん、と。静まり返ったリビングには、エアコンの稼働音だけが虚しく響く。

 

 少女は数秒間きつく閉じていた目をうっすらと開けたが、水面にはただ己のサイケデリックなワンピースが映っているだけだ。

 何も起きていないことを確認すると、彼女は深くため息をついた。

 

「はぁぁ……ま、やっぱりね?」

 落胆ですらない。

 TOWEATのデータベースにすらない眉唾物なのだ。

 もしも本当に何かの間違いで魔術現象でも発動してしまえば、それこそ機関から大目玉を食らう大事になってしまう。

 これでよかったのだ。

 少女はたはは、と一人で照れ隠しに笑いながら、水盆を片付けようと両手を伸ばした。

 

 その、瞬間だった。

 水盆の底から湧き上がるように、何かが、映った。

 

「――えっ」

 

 血に塗れた、白髪の女。酷く痛ましい姿でありながら、目を奪われるほどに美しい、女騎士の姿が。

 

ガッ――シャアアアアアン!!

 

 突然、少女の目の前の空間が、まるで薄い硝子板であったかのように絶叫を上げて崩壊した。

 ひび割れた空間の裂け目の向こう側に広がっていたのは、星の瞬きすらない、暗黒と極彩色の異常な宇宙空間。そして、その無重力の海を漂う、大量の美しいステンドグラスの残骸。

 盆の表面に映っていたその光景ごと、血まみれの女騎士の全身が、リビングの空間へと「こぼれ落ちて」きたのだ。

 

「え、えええええっ!?」

 少女の悲鳴がマンションの部屋を震わせた直後、空間の崩壊はほんの一瞬で終わりを迎えた。シュルンッ、と裂け目が嘘のように元通りに縫い合わされ、向こう側の恐ろしい宇宙の景色が消え去る。

 

 後に残されたのは、地球の無慈悲な重力だけ。

 

ガシャガシャどちゃあぁぁッ!

 

 浮遊していたステンドグラスの破片がフローリングに散乱し、血まみれの女騎士の身体が、鈍い音を立てて水盆ごと床に叩きつけられた。

 じわじわと、彼女の身体から流れ出た真っ赤な血だまりが、高級なラグマットを汚していく。

 

「あっ、えっ?……そんな、はぁっ?」

 

 少女は腰を抜かし、ずるずると後ずさって背後の壁に張り付いた。

 異常には慣れているつもりだった。大人ぶって、何でも分かっている気でいた。

 しかし、眼前に転がる、むせ返るような血の匂いと生々しい事象を前にして、彼女はガタガタと震える唇を押さえることしかできなかった。

 ようやく、気付いてしまったのだ。

 

 自分の些細な好奇心が、何かとんでもないものを、この平穏な部屋に引きずり込んでしまったということに。

 

『警告:空間における未知のBLESS化合物濃度が規定値をオーバー。極度の精神的緊張による能力の暴発と推察。周辺環境に致命的な影響を及ぼす前に、速やかに能力封具スーツの着用を推奨します』

 

 パニックに陥る少女の鼓膜を打ったのは、壁の一部が機械的にスライドして現れた隠しコンソールからの、無機質な警告音声だった。

 それはTOWEATから派遣されたボイロウェポンとしての任務司令ではない。

 彼女が持つ、彼女個人の危険な『特異能力』に対するアラート。

 

「はっ……はぁっ……そ、そうだ、スーツ! スーツ着ないと、『芳香(サキュバス)』がっ!」

 

 壁にへばりつき、過呼吸気味に肩を上下させながら、少女は顔を真っ青にしてクローゼットへと這いずるように手を伸ばした。

 彼女が自室以外で決して素肌を晒さない理由。

 それは今まさに、この密閉されたリビングに充満しつつある、むせ返るような血の匂いを甘く上書きしていく『嫌に甘い香り』にあった。

 

「ごぼっ……うっ……ぁ……」

 

 不意に、血の海に沈んでいた女騎士から、微弱な、しかし確かな生の証明たる呻き声が漏れた。

 

「ひっ!」

 

 ビクンと身体を震わせ、少女は上擦った悲鳴を上げる。

 

(生きてる……マズい、この人が未知の脅威だったとしても、この匂いを嗅がせちゃったら……っ!)

 

 少女の脳裏に、かつて家族との決定的な決別のきっかけとなった、凄惨な記憶がフラッシュバックした。

 自身の能力が制御できずに放ってしまった甘い香り。

 それで理性を消し飛ばされた周囲の大人たちが、獣のように眼を血走らせ、口から涎を垂らして寄ってたかって圧し掛かってきた、あの地獄。

 中毒者のように荒れ狂う群衆の幻聴が脳を叩き、「……っ、ぐっ」と少女は激しい吐き気を覚えてその場に蹲った。

 

「はや、はやく、スーツを……」

 

 胃液を無理やり飲み込み、震える足で立ち上がろうとした、その時だった。

 

「り、りん……?」

 

 女騎士が、たどたどしい、血の混じった掠れ声で、少女の『名前』を呼んだ。

 

 息を呑んで振り返る。

 女騎士は薄く目を開け、少女の姿を瞳に映していた。

 その顔に浮かんでいたのは、香りに当てられて狂乱した獣のそれではない。

 まるで、長くつらい旅を終え、ようやく我が家の扉を開けて安堵したかのような、ひどく穏やかで、優しい笑顔だった。

 

「……あぁ、りりん。ただいま――――」

 

 それだけを言い残し、最後の力を使い果たしたかのように、女騎士の頭は再び血の海へと力なく沈み込んだ。

 後に残されたのは、完全な困惑に支配された少女だけだ。

 彼女は女騎士のことなど何も知らない。会ったこともない。

 それなのに、眼の前の血塗れの女性は、確かに少女に向かって「ただいま」と言った。

 

 この広すぎる部屋で、ただ一人孤独に生きてきた『勢天町のりりん』に向けて。

 

 ピコン、ピコン、と女騎士のバイタルが限界を迎えていることを知らせるかのように、コンソールの警告音が形を変えて鳴り響く。

 このままTOWEATに通報して回収班を呼んでも、間違いなく間に合わない。彼女の命は今、完全に尽きようとしていた。

 

「――家族、か。……ああもうっ、ばっっっっかじゃないの!?」

 

 りりんは、乱暴に頭を掻き毟り、自らの中に渦巻いていた迷いも、能力暴発の戸惑いもすべて投げ捨てた。

 スーツを着るための手は止まっていた。彼女はクローゼットに背を向け、血溜まりの中の女騎士へと膝をつく。

 

「ここで死んだら、勝手に家族面されただけで終わっちゃうんですけど! ……っ、起きなさい! 生きて、ただいまとちゃんと言いなさいよ!」

 

 誰に宛てるでもない、強がりと照れ隠しの混じった文句を早口で垂れ流す。

 そして、黒朱之宮りりんは、生気を失い冷え切った女騎士の唇に、己のボイロウェポンとしての膨大なBLESS(生命力)を込めた、小さな唇を力強く重ねたのだった。

 

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