VOICEROIDのウェポンサイド//双天の鶴翼円舞 作:EMM@苗床星人
自室の戸を静かに閉めると、弓鶴は背後でカチリと鍵をかけた。
一人の空間が確保されたことで、彼の表情から日常の柔らかさがすうっと抜け落ち、真摯な光が宿る。
彼は腰に下げた霊子端末を、祈るように両手でそっと手に取った。
り、と涼やかな音を立てて、ストラップとして取り付けられた小さな鈴が鳴る。
光剣の付け根となる、樹脂を幾重にも固めた金属質の装飾が、室内の照明を反射してきらりと冷たく光った。
異世界ーー熒惑(けいこく)での三年間、文字通り寝食を共にしてきた相棒だ。
ボイロウェポンの世界に帰還した今も、手に馴染んだこの剣が一番振るいやすい。
(……これを言うと、茜も葵も不服そうな顔をするんだよな)
弓鶴と契約し、彼の「剣」となりたいと願う琴葉姉妹の顔が脳裏に浮かび、小さく苦笑する。
彼女たちからすれば、自分たちという『生きた武器(ボイロウェポン)』よりも優先されるこれは、恋敵に等しいのだろう。
無機物――いや、植物由来の樹脂だから正確には有機物だが――にまで嫉妬されても困るものだ。
「……さて」
弓鶴は小さく呟き、意識を切り替える。
彼は部屋の隅に置かれた、熒惑から持ち帰ってきた見事な盆栽――老梅の木の前に胡座をかいて座った。
その鉢の、一見するとただの装飾にしか見えない前方部分に指をかけると、隠されていた蓋が音もなく開く。
弓鶴は霊子端末の先端――剣の柄頭にあたる部分――を、その奥にあるソケットへと差し込んだ。
カチリ。
まるで初めからそう設えられていたかのように、二つのパーツが完璧に嵌合(かんごう)する。
ちりん、と鈴が再び鳴り、樹脂部分が淡い光を帯びた。
霊子端末に記録されていた膨大な経験情報が、目に見えないデータの奔流となって盆栽の梅の木へと流れ込んでいく。
そう、この木のお守りにしか見えない霊子端末は、弓鶴の愛剣であると同時に、その持ち主の経験情報をリアルタイムで記録、閲覧、そして共有することができる、生きた携帯端末なのだ。
弓鶴は背筋を伸ばし、胡座の上で両腕を一度大きく翻す。
パァン。
乾いた柏手が、一回だけ室内に響き渡った。
「威なるかな、異なるかな、聞こしめせ我が声、伊が織る……双天結ぶ鶴翼の弦をつたいて、畏、畏、申白す」
厳かな祝詞が、静かに紡がれる。
それは祈りであると同時に、例えるならば電話のアドレスであり、起動コマンドだ。
霊子を通じ、冥界の次元を経由することで光速を容易に超える通信回線が起動する。
多次元宇宙のネットワークを超え、ここ地球から異次元の熒惑(火星)へと交信が試みられる。
シュル……。
祝詞に応え、盆栽の梅の木の枝先に、固く閉じていた一輪の蕾が音もなく芽生えた。
それは次の瞬間、ポン、と愛らしい音を立てて開き、その花弁の中心からチキチキキ……と電子的な光が瞬き始める。
パァ、と柔らかな光が満ち、梅の花から霊体虚像(ホログラム)が投影された。
『やっほー! ユーヅル!』
『……弓鶴。息災であったか』
そこに現れたのは、二人のデフォルメされたキャラクターのような少女たち。
――失敬。
彼女らこそ、熒惑の全土を覆う『大飛震塔梅(オオトビヴルトゥーム)』の化身体であり、その大地を実効支配する二柱の鳴花双子神、ヒメとミコトの仮初の姿である。
弓鶴が双子神と意識を接続すると、投影されたヒメとミコトのアバターの前に、ふわりと光のデータが出現した。
それは折り畳まれた手紙のような拡張子(アイコン)を示している。弓鶴がこの世界に帰還してから今日までのログデータだ。
二柱はそれを開いて、光の粒子で構成された文字列を瞬時に読み込んでいく。
『アッヒャッヒャッヒャ! 』
突如、ヒメが腹を抱えて笑い転げ始めた。
デフォルメされた体が、空中でのたうち回っている。対照的に、ミコトはこめかみを押さえ、深く深いため息をついた。
『……ふぅ』
二柱のこの対照的な反応も、弓鶴にとってはもはや懐かしいものだ。
『ひぃひぃ……弓鶴は相変わらず運がいいんだか悪いんだか!
葦原(地球)も未だに金蔵強盗とかあるのか、うちなら即死罪だろ……相変わらず葦原の施政は生ぬるいねぇ』
笑いすぎたのか、涙ぐんだ目元をアバターの小さな手で拭いながらヒメが言う。
お気に入りである弓鶴はともかく、そも並行宇宙の地球であるのだが相変わらずの地球嫌いを匂わせている、しかしこの件に関しては心底愉快そうだ。
ヒメが一通り笑い終えると、読み終えたミコトが冷静な声で続けた。
『銀行強盗に、切り掛かってきた女騎士クロワ……成程、偶然か、それとも特異点ゆえの必然か……いいや、それとも何かの予兆か』
「俺も今回の件は、それを少し感じ始めています。銀行強盗はついてないにしても、俺を仇と誤認してきたクロワさんの事情はなんか他人事とは思えなくって……」
ミコトの思考に、弓鶴が同意を示す。
しかし、その真剣な言い分に対し、ヒメがジト目で弓鶴を見上げてきた。
『おんやぁ? そっちには血の繋がらない可愛い妹たちもいるんだろ? なのにまた一人、女を堕とす気かい?』
「堕とすって…… 俺も異世界にいきなり送られた経験があるから、気になってるだけですよ」
からかうようなヒメの言い方に、弓鶴は思わず冷や汗をかいて苦笑いを返す。
『ふぅん? ……あ、でも、その彼女の詳しいデータがないよ? 途中までしか』
「あ、更新されてなかったか、すいません……。そこからは先は俺から説明します。彼女、その時思っていたより結構深刻な事情があったみたいで」
『仇と思うやいきなり切り掛かるほどだもんね。うん、気になる』
ヒメが興味深そうに前のめりになる。
『ああ、よろしく頼むよ、弓鶴』
ミコトも静かに頷いた。
「……彼女がこの世界に流れ着いたのは一ヶ月前、りりんちゃんの住むアパートでのことだったそうです」
弓鶴が語り始めると、その言葉に呼応するように、盆栽に接続された霊子端末の柄頭が淡く光る。
双子神の前に、弓鶴の記憶から再構成されたイメージ映像が浮かび上がった。
◆
銀行強盗の制圧という非日常が終わった直後、張り詰めていた空気がわずかに弛緩する。
そんな中、琴葉茜は、弓鶴の背後に庇われていた少女とばっちり目が合った。
「「うげっ」」
二人の口から、まったく同じ、心底嫌そうな声が同時に漏れた。
「なんや、りりんやないか!」
茜のげんなりした声に、対照的に葵がぱっと顔を輝かせ、食い気味に尋ねた。
「りりんちゃん、いつの間にパートナーつくったの!?」
「落ち着いて落ち着いて……」
りりんは馴れ馴れしく尋ねる葵に対し、両手をひらひらと振って制止する。
「まずはこの状況を片付けてからでしょお?」
そう言うと、りりんは怯えて固まっている他の人質たち――銀行員や客――の前に進み出た。
彼女は紫のジャケットの下から覗く、濃い紫色の手袋を外し始める。
その仕草を見て、弓鶴はりりんの服装が、一般人としては確かに奇妙であることに気づく。
ジャケットの下は、手袋と同じ色のボディスーツに身を包んでいるようだ。
露出しているはずの肩も、タイツに覆われた足も、すべて同色の布地がぴったりと肌を覆っている。
(……まるで、何かを封印しているみたいだ)
そんな弓鶴の視線には気づかないまま、晒された素肌の手を出すと、りりんは弓鶴たちを振り返って言った。
「お兄ちゃんたち、鼻塞いでたほうがいいよ?」
フッ、と。りりんがその白魚のような掌に、小さく息を吹きかける。
次の瞬間、ふわりと花のような甘い香りが周囲に満ち、それを吸い込んだ人質たちは、まるで糸が切れたように意識を手放し、瞬時に安らかな夢の世界へと誘われていった。
「うっ……」
とっさに鼻を抑えた茜が、香りの範囲外から説明する。
「りりんは強力な『芳香(サキュバス)』のBLESS能力者なんよ。あのスーツも特注品で、意識しないと肌にしか見えへん認識阻害付きの封具(ふうぐ)や」
「いろんな効果のある香(フレグランス)を作れるから、TOWEATの記憶消去剤の増産も担ってる立派な裏方なんだよ」
葵が補足する中、「ついでに」と言わんばかりに、りりんが今度はクロワへと手をかざす。
「なっ、りりん! 私まで何故! その男に復讐しないといけな……ぐぅ……」
抗議の言葉も虚しく、クロワは喋りながらも器用にいびきをかき、その場に崩れ落ちて眠ってしまった。
手際よく手袋をはめ直しながら、りりんがにっこりと笑う。
「これで落ち着いて話せるね?」
あまりの容赦のなさと手際の良さに、弓鶴たちは乾いた笑いを浮かべるしかなく、思わず冷や汗をかくのだった。
すっかり眠りこけてしまった人質たちとクロワを前に、りりんが気まずそうに説明を始めた。
「……この駄女騎士はね、りりんの『おまじない』から勝手に出てきたんだよ」
「おまじない?」
聞き返した弓鶴に、りりんはさらに気まずそうに目を逸らしながら返した。
「そ、『プリンシパリティーズ様のおまじない』」
まったく聞き覚えのないおまじないの名前に、弓鶴も、隣にいたマキもゆかりも、一様に不思議そうに首を傾げる。
「あー……まぁ、ちょっとした占いみたいなやつ。一応ガチの魔術じゃないのは調べてやってたんだけど……。
クロワお姉ちゃんの世界の魔術法則に、たぶん、引っ掛かっちゃったみたいなの」
りりんはそう言うと、ぐっすり眠っているクロワの脇腹を、げしげしと無造作に足蹴にした。
(あっ、でも怪我している位置はちゃんと避けてるな……)
妙なところに慈悲(?)はあるようだ。あんまりな扱いはずだが、クロワは「ん……」と小さく身じろぎしただけで、なぜか頬を朱に染めている。
その不可思議な現象にはあえて触れず、ゆかりが納得したように言った。
「ごく稀にある現象です。魔術っていうのは、結局のところ神や魔法使いの真似事ですから。
その世界にいる超存在の個性によって、世界ごとにまったく違う理(ルール)があるんです」
ゆかりは指を一本立て、講義するように続ける。
「この世界では魔術じゃなくても、それが『魔術である』と定義された別世界の存在が、たまたま近くの座標を通りかかったら……発動(トリガー)しちゃったりするんですよ」
ゆかりの理論はやや複雑に思えたが、弓鶴はその説明でなおのこと、このクロワという騎士の境遇が自分に近いように思えてきた。
(俺も、眠って夢に取り込まれた時に、熒惑の『眠りの瓶』っていう超常の装置に拾われる形で異世界に転移したんだっけ……)
「もー、大変だったわ……。次元航行船が沈没でもしたのか、いきなり部屋が船のかけらっぽいステンドグラスまみれになるわ、クロワお姉ちゃんも大怪我してるわで」
りりんは何かを思い出したのか、少し頬を染めながら、眠るクロワの手を引いて抱え上げる。
「TOWEATの集中治療室(ICU)が言うには、結構深刻なレベルで『意味消失』しかけてたらしくって。
それで記憶も無くしちゃって、返すべき世界もわかんないから……仕方なく、『姉』ってことにして預かってたワケ」
「「なるほど」」
弓鶴たちが納得していると、不意に葵が純粋な疑問を口にした。
「契約したのは?」
「!?」
葵の問いに、りりんの体がビクッと跳ね上がる。
彼女は顔をカッと赤くすると、ぷいとそっぽを向いた。
「ち、治療だもん! 契約は生命力を底上げして、怪我とかもある程度治せるから! それだけ! でなきゃこんな変態に、き、キスなんてしないから!」
必死に誤魔化すようなりりんの返答は、どこか微笑ましく、弓鶴たちはーー特に葵はニヤニヤしながらーーそれ以上深くは聞かないことにしたのだった。
◆
そこまで話したところで。
コンコン、と。乾いたノックの音が弓鶴の自室に響いた。
「お兄ちゃーん、ちょっと良いー?」
「あ、ごめん葵ちゃん! 兄ちゃん今ちょっと熒惑(けいこく)の神様と交信してるから……って」
思わずそのまま返事してしまい、弓鶴は「あ」と口ごもる。自分で口にした言葉のありえなさに、奇妙な違和感を覚えた。 案の定、盆栽のホログラムからヒメの堪えきれない笑い声が漏れ、ドアの向こうからはりりんの呆れたような声もする。
「なぁにそれ、カルトか何か?」
『アッヒャッヒャ! いいよ弓鶴、そっちは熒惑じゃないんだ。私たちも会ってみたいと思ってたんだよね』
笑いを堪えながら、ヒメが乗り出す。ミコトも静かに頷いた。
『弓鶴の妹達か。確かに会ってみたいし、彼女(クロワ)に対する説明も手早くなるだろう』
双子神のまさかの賛成に、弓鶴は「えぇ……」と声を漏らしつつ、また新たな波乱の予感に頭を抱え始めるのだった。
リビングに移動した老梅の盆栽。
その枝先から机の上に投影されたのは、掌サイズの愛らしいヒメとミコトのアバター。
その姿を見た琴葉姉妹の第一声は、揃って「「かわいい!」」だった。
マキは二柱の神の顕現と察し、恭しく頭を下げている。対照的に、ゆかりは相変わらずリビングの宙に浮かんだまま、ふぁあ、と小さくあくびをかいている。
『良いぞ良いぞ、存分に愛でよ!』
すっかり良い気になったヒメが、小さなアバターの胸を張る。ミコトは少し恥ずかしそうだ。
「お兄ちゃんが熒惑(そちら)でお世話になったみたいで、どうもありがとうございましたぁ」
茜はすぐに、相手が恐ろしい神様であることを思い出し、慌ててしおらしく礼をした。
一方、葵はさっそくヒメのアバターに触れ合い、「わっ、触れる……!」と霊子によるホログラム――超科学の奇妙な実体感に目を輝かせている。
「随分と可愛いお姿になられましたね」
マキが感心したように言うと、葵と手を合わせて遊びながらヒメが答えた。
『熒惑からはだいぶ離れてるし、差枝(アンカー)であるこの盆栽もまだ若いからね。
今は解析機能に特化して、余計な部分は削ぎ落としてるのさ』
その光景を、りりんと、眠りから覚まされたクロワも驚いた顔で見つめていた。
「確かに、機械自体は魔術とも違う摂理(ことわり)で動いているようだが……これは、神聖な魔力を感じる……」
クロワは記憶喪失ながらも、クラブスーツ出身らしい魔力的な感覚から、それが紛れもない神格の関与した品であることを察していた。
彼女はその盆栽と、それを取り巻く弓鶴を見比べ、ぐぬぬ……と悔しそうに唸っている。
「異世界帰りっていう話は本当みたいだよ、お姉ちゃん。当てが外れたね? 早とちりがバレてどんな気持ち? ねぇねぇ?」
りりんが、ここぞとばかりにクロワを煽る。
りりん自身も弓鶴の話を聞いた時には半信半疑だったが、こんなガジェットを言い訳のために即席で作れるはずもないのは明白だった。
しかし、クロワは「くっ!」と悔しそうに歯噛みすると、次の瞬間。
「この度は誤解で、過ちを犯すところだった! 申し訳もない!」
なんと、弓鶴の目の前で完璧な土下座を披露した。
「い、いやぁそこまで謝らなくても……。それに銀行強盗では(結果的に)助けてもらったんだから、お互い様ってことで」
「いいよ弓鶴おにーさん。こいつ、こうして興奮してるだけだから」
冷めた目でりりんが言うと、クロワがカッと顔を上げた。その頬はなぜか朱に染まっている。
「んなっ、違うぞりりん! 私は本心から謝っている! 興奮しているのは、りりんからの詰(なじ)りだけだ!」
「「「「…………」」」」
真摯な顔でとんでもないことを口走る女騎士に、一同がどん引いている。
沈黙の中、ホログラムのヒメもまた引き、眉を歪めながらも冷静に分析結果を告げた。
『凄いな。その発言には、意味消失やなんらかの能力による魂魄言語や脳波のブレが一切ない。これ、この女の素だ。間違いなく』
「知りたくなかった……」
嘆くようにりりんが返す。
顔はいい凛々しい女騎士の相棒であるクロワの変態的な言動。
せめて意味消失によるバグや、『思い当たる別の要因』であればというわずかな希望を女神に破壊された、そんなりりんの絶望など露知らず、女騎士は胸にギプスをしていない方の手を当て、誇らしげに言った。
「りりんは我が命の恩人にして、魂の伴侶だと確信している! りりんに煽られると、とんでもなく癒されるし、むしろ興奮するのだ。これを天命と言わずしてなんという!」
「業腹(ごうはら)ぁ……」
うんざりしたように吐き捨てるりりんの声がリビングに虚しく響き、弓鶴は(最近の子供って結構難しい言葉を知ってるなぁ)と呑気に感心するのだった。
一同がクロワの特異な性癖に引き気味の中、デフォルメされたアバターであるヒメが、ふと解析結果の中の微細な歪みに気づき、興味深そうに目を細めた。
『ん……? ちょっと待て、クロワとやらよ。ちょっとこっち来い』
神の呼びかけに、クロワは土下座の姿勢からゆっくりと顔を上げて応える。
「うむ? なんだ、ちっこい異界の神よ……」
クロワが這いずるようにして盆栽の前に座り直し、ヒメのアバターのすぐそばに寄ると、ヒメはその小さな瞳でクロワの胸の内――その魂を凝視する。
『んー……。魂に「意味消失」の文字化けや空白が多いけど、その奥に何か隠されてるな、コレ。……かなり何重にも圧縮されてて読み解けない。解凍するのは、この世界の技術(テクノロジー)じゃ無理だな。こいつは……神の手によるものだ』
「なっ」
クロワが戸惑いの声を上げる。その隣で、りりんも「え?」と興味を示した。
「何か覚えはあるの、クロワお姉ちゃん?」
「わからない……。だが、ちっちゃい幼女に腹の中や埋め込まれたものを指摘されるというのも、中々に興奮するな……」
((((だめだこりゃ……))))
真剣な顔をして言う変態に、その場にいる全員の心が一つになった。
ヒメはアバターの眉間を揉むような仕草をしたが、すぐにニヤリと笑う。
『よし。こいつ自身はキモいが、興味が湧いてきた。クロワ、暫くうちに通え。
この盆栽を通じて、ちょっとずつ中の圧縮データを解凍(ひら)いてやろう。中にある物がわかったら、お前さんの帰還の手掛かりになるかもしれんしな』
「それは……助かる。本当にすまない、そちらの御仁(ごじん)にも襲いかかったと言うのに」
ヒメの提案に、クロワは再び弓鶴に向き直り、深く頭を下げた。
「記憶喪失で混乱してるんなら仕方ないですよ……。それにクロワさん、貴女がりりんちゃんに何か感じるものがあるの、なんとなくわかる気がするんだ」
弓鶴の、あまりにも自然な同意の言葉。
一瞬の間を置いて……
「「「「「!?」」」」」
リビングにいた全員が驚愕に目を見開いて弓鶴を振り向いた。
眠りかけていたゆかりまでもが、ギョッと目を開いている。
「ゆ、弓鶴!? 駄目ですよ、その変態に影響されちゃ!」
ゆかりが中空から弓鶴に掴みかかろうとし、
「「お兄ちゃん!?」」
琴葉姉妹が両側から詰め寄り、
「弓鶴!? 何か悪いものでも食べちゃったの!?」
マキまでもが、血相を変えて弓鶴の肩を掴む。
『うおおおい!?弓鶴!?』『あひゃひゃひゃひゃ、ひゃひゃひゃ』
机の上の神々に至っては、ミコトは顔を真っ赤にしてその詰め寄った女性たちに混ざりたそうに机の端でぴょんぴょん跳ねており、ヒメは腹を抱えて笑い転げていた。
自分を愛する女性たちに一斉に詰め寄られ、ようやく自らの失言に気づいた弓鶴は、慌てて手を振り回した。
「違う違う! 趣味嗜好の事じゃなくって! 特異点だってば、特異点!」
その言葉に、はっと最初に気づいて納得したのは、マキだった。
「……! ああ、そういうことか!」
まだ首を傾げているりりんや姉妹たちに、弓鶴が優しく、しかし真剣な眼差しで語りかける。
「いろんな世界には、いろんな並行存在がいろんな役割を持って生活しているんだ。
俺みたいに異世界に渡って元いた世界に戻れない人間や……もう会えない人なんかが、その同一人物に会うあの感覚
元の記憶があったら、より強烈に心を抉ってくるそれを……多分、クロワさんは本能で感じてるんだと思うんだ」
かつて熒惑でたった数月の時を過ごした頃、熒惑に生きている琴葉姉妹と出会った瞬間、無自覚に溜まっていた郷愁が爆発して年甲斐もなく大泣きしてしまったことを、弓鶴は今でも覚えている。
マキもまた、弓鶴に並行存在である亡き婚約者の貌(かんばせ)を重ねていた身だ。
その「魂の引力」とも言うべき、否応なく惹かれる気持ちは、痛いほど理解できてしまう。
弓鶴の言葉に、クロワは、せつなげな貌をして、ギプスをした片腕をぎゅうと握りしめた。
「そうか……私にも、居るのか。そんな……大切な、存在が」
その言葉は、りりんの記憶もフラッシュバックさせた。
あの日、りりんは自室で、ほんの出来心で『おまじない』を試していた。
本物の魔術ではない、あくまで占いの延長。そのはずだった。
――ガシャン!
突如、空間が割れるような甲高い音と共に、りりんの部屋の空気が歪んだ。
何もないはずの場所に亀裂が走り、色とりどりの光を放つ、無数のステンドグラスの破片が、異次元から嵐のように吹き荒れた。
「きゃっ!?」
悲鳴を上げ、腕で顔を庇うりりん。
破片の嵐が収まった時、そこには在ってはならないものが転がっていた。
血。
おびただしい量の血だまり。
そして、その中心に倒れ伏す、見知らぬ白髪の女騎士。
豪奢だが破損した鎧、そして、身体のあちこちに突き刺さった、あのステンドグラスの破片。
「ひ……っ」
りりんは息を呑み、後ずさる。
だが、恐怖の理由はそれだけではなかった。
(スーツ、着てない……!)
油断していた。今日はTOWEATの任務はなく、自室でリラックスしていたため、あの能力を封印する特注のボディスーツを着用していなかったのだ。
極度の緊張と恐怖。それに呼応するように、りりんの肌から、甘く、危険な『芳香(アロマ)』が漏れ出し始める。
ダメだ。
ダメ、ダメ、ダメ!
りりんの脳裏に、辛い記憶が蘇る。
まだ自分の能力を制御できなかった幼い日。不意に漏れ出した香(かおり)を嗅いだ育ての父親が、獣のように、ぎらついた目で自分に襲いかかろうとした、あの日の悪夢が。
(このままじゃ、この人が、もし生きてたら……!)
助けを呼びたい。でも、このままでは自分の能力が周囲の人間に悪影響を及ぼす。
パニックに陥り、呼吸が浅くなる。
その時だった。
「…………ぅ」
血の海に倒れていた女騎士が、小さく呻き、うっすらと目を開けた。
その焦点の合わない瞳が、恐怖に固まるりりんを捉える。
女騎士は、動かないはずの腕を、凄まじい意志の力でゆっくりと持ち上げた。
「……!」
りりんは身を固くする。
だが、その手は、血に濡れた手袋は、りりんの頬を攻撃するためではなく……ただ、優しく撫でるために、そっと触れた。
その瞳から、一筋、涙がこぼれる。
『ただいま……。いま、帰ったよ……』
それは、安堵だった。
長い旅路の果てに、ようやく帰るべき場所にたどり着いた者の、泣き出しそうなほどの、安堵の言葉。
そう言い残すと、女騎士の手は力なく滑り落ち、彼女は今度こそ完全に意識を失った。
「…………あ」
りりんは、呆然と、自分の頬に残る感触を確かめていた。
漏れ出していたはずの危険な芳香は、いつの間にか制御を取り戻していた。
ただ、目の前の、この悲劇の女騎士を。
(……助けたい)
そう、強く思って、りりんは気がつくと彼女にその唇を重ね、その身をBLESSで癒していた。
それが、りりんがクロワと契約を結んだ、本当の理由であった。
クロワとりりんが嵐のように帰った後のリビング。
「はぁ〜……せっかくの休日がぁ」
ソファーに寝っ転がり、葵がだらけきった声を上げる。そんな彼女に、盆栽から投影されたヒメが話しかけた。
『疲労困憊か、そこな娘よ』
「だーれが娘じゃあい!」
むくりと起き上がった葵が、ちっちゃいヒメのアバターをひょいと捕まえる。「うわーっ」とまんざらでもない悲鳴をあげて捕まるヒメ。葵がその小さな体をこねくり回し、キャッキャとじゃれ合っていると、
ふと、茜が異変に気づいた。
机の上の盆栽、その老梅の枝に、木の実ではない何かが、まるで倍速映像のようにむくむくと実っていく。
「うん? 姫の字、何やこれ?」
もうヒメミコトの存在にすっかり慣れた茜が尋ねると、葵に遊ばれながらも、ヒメはふっふっふと含み笑いをして答えた。
『弓鶴から聞いていた、こっちのお風呂事情を聞いて試して見たくてね?』
ヒメのその言葉に、リビングの宙に寝っ転がって天井を眺めていたゆかりが、ぴくりと反応した。
カポーン
と、琴葉家の広い浴室に、小気味よい桶の音が響く。
シュワシュワシュワ……。
湯船の中では、先ほど梅の木から採れたバスボムが、小さな発泡音を立てて溶けていく。
その中で、琴葉姉妹とゆかりは、三人一緒になって手足を伸ばし、くつろいでいた。
「は、ふ、あぁ〜っ」
梅色に染まったお湯の中で、葵がフルフルと身をほぐす。その身体を、ピリピリと心地よい神々の神力が伝い、今日の凝りや疲労を芯からほぐしていく。
「これが熒惑(けいこく)の温泉かぁ〜……こりゃお兄ちゃんもハマるわぁ」
「こっちに来てから、これが無いのだけが心残りだったんですよねぇ〜……ん、ふぅ」
『新琴葉屋』の湯の成分を擬似再現した「神力湯バスボム」。その好調な反応に、湯気の向こうで浮かんだヒメが満足そうに頷いた。
そんな、和やかな時だった。
茜が、ふと、隣にいるゆかりの身体を見て、あることに気になったのだ。
ゆかりは過去に弓鶴と混浴した時も、『そういう機能はないから』と、特に気にしている様子もなかったようだった。
しかし、見たところ、ゆかりの体は琴葉姉妹のそれよりも何処とは言わないが薄い。だが、それでもスレンダーな猫科を思わせる流線的な魅力ある体つきをしていた。
どう見ても、その再現度は魔力で編んでいるとは思えず、そして、あまりにも女性的……いや、女性そのものだった。
だから、気になったのだ。
「…………つんっ」
「っ!んんっ……!? な、何ですか!?」
びくん、と。
変なところを突かれたゆかりは完全な不意打ちだったのか、艶かしい声をあげて反応した。
茜は、まさかの反応にポカンと口を開ける。
ヒメも、今更ながらにその変化に気付いたようだった。
『ゆかり? お前、まさか……』
ゆかりは頬を朱に染め、誤魔化すようにコホン、と咳払いをする。
「……ええ。取り戻してますよ、生殖機能。もうオミットする必要もありませんし」
「抜け目ねぇ〜……」
茜がジト目で呟いた、その時だった。
ガラッ!!
荒々しくお風呂の戸が開き、みゅかりさんが湯気の中に颯爽と登場する。
「みゅみゅみゅーみゅ! みゅかみゅかぁ!(話は聞かせてもらった!)」
みゅかりさんは、もみあげのような前脚をワキワキと開閉させながら、怪しい眼光を光らせてゆかりに向かって飛びかかった。
「みゅーみゃー!!(お姉様、今こそ私の卵受け止めてぇー!!)」
パゴぉん!!
しかし、ゆかりが冷静に掴んだ桶がみゅかりさんを完璧に迎撃し、そのまま湯船の中に叩き落とすのだった。
「あぁ……あの女騎士を見た時の既視感は、これですかぁ……」
ゆかりは心底呆れた顔で、湯船にぷかぷかと浮かぶみゅかりさんを回収しながら、先ほどの既視感の正体に気づき、深いため息をつく。
なお、みゅかりさんの言葉を翻訳できない琴葉姉妹は、目の前で繰り広げられる混沌(カオス)に、終始ぽかんとするのだった。
「お兄ちゃんたち、お見送りありがとうね」
「いいよいいよ、あんな事件があった後だし」
りりんのマンション前。
弓鶴とマキは、中へと入っていく彼女に手を振り、挨拶を返しながら帰路に着く。
「……もう、監視の目はないみたいだね」
ふと、マキが立ち止まり、将軍の目で周囲を軽く見渡す。
その言葉に応え、マキの首に巻かれた木製のヘッドホンから、ハナの冷静な声が響いた。
『是(はい)。観測用の道の粒子、銀行施設の監視ネットワークへのハッキング、それらと該当する監視の反応はありません』
「何だったんだろうな、あの気配」
弓鶴が不思議そうに言うと、マキは再び歩き出しながら、小さな声で言った。
「多分、TOWEATの監視だにぇ。深化空間っていうのを抜ける監視技術なら、それが妥当。放任主義かと思ってたんだけど……あるいは、組織自体が一枚岩じゃないのかな?」
「TOWEATの演習場で話し込む前に帰りを促されたのも、これかぁ……」
二人でそんなことを話していると、マキが、そっと弓鶴の手と自分の手を重ねた。
「ま、マキさん?」
「で……デートって事で、どうかな? 怪しまれないで済むかなって……」
顔を赤くしながら、しどろもどろに言うマキ。
弓鶴も同様に頬を染めながら、こくりと頷く。
ぎこちなく手を繋ぎ、二人、歩調を合わせて歩き出した……その時だった。
目の前の大通りを行き交う、雑踏の中。
弓鶴は、知った顔を見た。
これといって特徴のない、丸い鼻をした細めがちの男。
だが、彼の知るそれより、ひどく猫背で、まるで世間を恐れるように、いじける様にその姿を丸めた男の姿に――弓鶴とマキは、すぐに気がついた。
男の姿が、ふいと路地裏に消える。
「あっ!」
「待て!」
二人が慌てて追い駆けるが……路地裏は入り組んでいて、もうその姿は見えず、見つかりそうにもなかった。
「……こんな近いうちに、何度も遭遇するもんなんだにぇ。異世界の知り合いって」
息を切らすマキの言葉に、弓鶴は、ただ心配そうに呟いた。
かつて弓鶴が熒惑(けいこく)で設立した『覚醒師団』。そこに迎えた男の名を。
「松嘩(まつか)……りすく……」
かつて彼が救うまで、己の才覚を示せずに擦れていた頃そのままの、あの絶望を宿した背中が、目に焼き付いて離れなかった。
ガァン!
夜の路地裏に、空のゴミ箱が蹴り上げられる甲高い音が響いた。
「くそぉっ!」
うまくいかない世の中への不満を、男ーーりすくが汚れた壁に叩きつける。
彼は、この世界に生まれた絶滅危惧種の魔術師であった。
2009年の次元震。その責任を問われ、中世から魔術の使用を取り締まってきた超組織『市国(しこく)』が解体された。
やっと自由になったかと思えば、今度は国連よりの勅命という、より重い権限によって、彼ら魔術師は世界中から排斥されることになった。
ーー理不尽だ。
最後の手段として研究費の確保に向かった仲間も、今日、逮捕されたと報告があった。
ボイロウェポン。TOWEAT。
新しく超常の守護者となった、選ばれし者たち。
あの組織の研究員になる気など毛頭ない。りすく自身には、世界を守る気もない。
ただ自らの欲望のために、願いを叶える方法を研究し続ける――彼ら野良の魔術師というものは、得てしてそういう強欲者たちであった。
「俺にも、俺にも力さえあれば良かったんだ……! それさえあれば、市国にも、あの組織にも、邪魔されずに……!」
その時。
彼の懐にあるスマートフォンが、勝手に起動した。
『――ならその欲望、叶えてあげようか?』
「なっ!?」
ズルリ、と。
黒いタール状の塊が、スマホの画面から溢れ出す。
それは床に落ちることなく、まるで意志を持つ蛇のように、りすくの足首から這い上がり、太腿を、腰を、そして胸を這い回る。
流動的な動きで男に妖艶に絡まったかと思えば、その塊は彼の肩に、しなだれかかるように寄り添った。
タールは、幼さを残す少女の形へと変じていく。
そして、その黒い色が抜け落ち、人間の肌の色を、衣服の色をとっていく。
違うところは――その背には、カラスの羽のような漆黒の翼が生えていることだった。
そして頭には、そう、悪魔とでもいうような立派な山羊の角が、暗い赤銅色の髪の隙間から生えている。
彼女は、りすくの体に甘えるように擦り寄り、白磁のような指を男の胸に這わせた。
そして、熱い吐息を耳に投げかけるかのように、甘く問いかける。
「ねーぇ? 君はぁ……何を叶えたいんだぁい? 叶えてあげるよ、ボクら魔王族プルガトリアが」
――視点は、夜中のビル街を見下ろす、遙か上空へと移る。
何もないはずの、その上空。凍てつくような冷たい空気の中に、優雅に佇む黒い長髪を讃えた、グラマラスな女性の姿があった。
「んふふ……。私の勝ち、ということで良いのよね? ディアマンテ……」
手を翻した彼女の足元から、まるでステルスを解くように、薄い光で構成された複雑な魔術式そのものの『宇宙船』が姿を現す。
常に魔法陣が回転し、式が光の紋様を流して駆動する。非物質の力(ブリアー)を、物質界(アツィルト)へと構成し続けながら、無尽蔵の力の流動をその船体全てで表していた。
女の不気味な笑い声が、その魔術式の船と共に、夜闇の中へと溶けるように消えていった。
…………しかし、直後。
「い゛や゛ぁーーーーー!!」
化鳥のような極大音量の悲鳴が、静かな夜の街に響き渡った。
松嘩りすくが、そんな悲鳴をあげて全速力で路地裏から逃げ出したのだ。
「お助けぇーー!!」
『ちょっ……!? 今の流れからいきなり逃げ出すのはナシじゃないの!?』
後から慌てたように、あの悪魔のような少女が、困惑した様子で路地裏から身を乗り出す。
ビルの窓から覗き込む住民たちの奇異な視線を感じ、少女はカッと顔を赤くしながら、角と羽に慌てて迷彩魔術をかけて消し、りすくの後を追い駆けた。
「そんな良い口で契約迫ってくるとか、絶対魂とか呪いとか闇バイトとか持ちかけてくるやつじゃないですかやだぁー!!」
「や、闇の咬合(バイト)……? 何なのこの世界! 詐欺対策の教育しっかりしすぎでしょ! 契約してよぉ! お姉ちゃんに怒られる!」
……ともかく、新たな波乱の火種が、この勢天町に現れようとしていた。