VOICEROIDのウェポンサイド//偽りの星の聖譚詩   作:EMM@苗床星人

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第三話 欠けた少年、東北桐介

 

 

 物語はいつでも、出会いから始まる。

 東北桐介(とうほく きりすけ)――周囲から「きりたん」と愛称される少年の物語も、その例外ではない。

 もっとも彼の場合、その出会いが「別れ」と全く同時に訪れた、という極めて稀有なケースであったのだが。

 

 東北家。

 その名の通り、東北地方に広大な本家を持つ旧家の一つ。桐介が住まうこの屋敷もまた、本家から分家したものでありながら、まるで城郭かと見紛うほどの豪壮さを誇っていた。それらは全て、世界を飛び回る多忙な姉たちがもたらす富の産物だった。

 だが、主のいない空間とは、ただのがらんどうの伽藍(がらん)に過ぎない。

 無駄に広く、無駄に天井が高く、そして無駄にひとりぼっちの時間が流れるこの家は、桐介にとって「掃除が大変なだけの箱」でしかなかった。

 それでもこの巨大な箱が塵一つなく維持されているのは、ひとえに桐介が異常なまでの綺麗好きだったからに他ならない。

 そうでもしなければ、この静寂と空間の圧に、自分が磨り潰されてしまいそうだった。

 

 たまに長女が帰国した時などは、最悪だった。

 東北イタコ。国際的な要職に就いているという彼女は、外の世界の喧騒と硝煙の匂いをその身に纏って帰ってくる。

 そしてリビングのソファを陣取るや、高級なビールを煽りながら、職場のエリート上司との惚気半分、国家機密すれすれの愚痴半分を、桐介相手に延々と垂れ流すのだ。

 やがて泥酔した彼女は、決まってその上司本人に電話をかけ、迎えに来させる。

 自分より背の低い上司が、長身の姉を慣れた様子で軽々と背負って『帰って』いくその後ろ姿には、感心を通り越して一種の畏敬すら覚える。

 だが、そんな好印象も、上司が桐介に向ける「いつもすまないね」という苦笑の方が、姉に対するそれより遥かに誠実であるという事実の前では霞んでしまう。

 姉が去った後には、異国の香水の匂いと、飲み散らかされたビールの空き缶だけが残される。桐介は、その生々しい「生」の痕跡を消し去るように、黙々と掃除を始めるのだった。

 

 そして、次女の姉は――。

 

 チーン、と澄んだお鈴の音が、がらんどうの屋敷に虚しく響く。

 仏間に安置された壇上で、彼女はただ、遺影の中から微笑みかけてくるだけだ。

 世間的な扱いは行方不明。あらゆる痕跡が途絶えてから数年が経ち、法律は無慈悲に彼女の「死」を認定した。

 

『……世の中、そんなものか』

 

 ……おい。

 と桐介は自分の淡白すぎる思考に、心の中でツッコミを入れた。自分でも驚くほどの無感情さだった。

 これは一体、どういうことだ。

 

『僕には、感情なんてものがないんじゃないか?』

 

 いや、そんなことはないはずだ。

 長姉が家の静寂を乱すことに対しては、明確な「不快感」があった。

 上司の男性には「同情」に近い念を抱いている。

 感情の機能そのものが壊れているわけではない。

 

 では、なぜ。

 どういう訳だか、桐介には、次女の姉に対する「それ」が、丸ごと欠落していた。

 悲しみも、寂しさも、怒りさえも。まるで魂にぽっかりと穴が空き、そこから全ての情動が抜け落ちてしまったかのように。

 彼は姉の死を悲しめない。

その事実に対する静かな恐怖の方が、本来あるべきだったはずの悲しみの感情よりも、ずっと深く、冷たく、桐介の心を蝕んでいた。

 

 

 

 

夜の静寂は、唐突に引き裂かれた。

 

――ズガドン!!

 

 まるで漫画に描かれたような、ベタすぎる破壊音。

 その轟音は東北家の広大な屋敷の屋根をぶち抜き、桐介を深い眠りの底から強制的に引きずり出した。

 何事かと飛び起きた桐介は、枕元に常備している護身用の金属バットを掴む。

 ひんやりとした金属の感触を確かめながら、それを両手でしっかりと握りしめ、暗闇の中へと踏み出した。

 

 二階へと続く階段の下は、惨憺たる有様だった。

 大量の埃と、見るもおぞましい木片の屑が、まるで雪崩のように降り積もっている。

 そこから点々と続く『何か』が這ったような痕跡に、桐介は眩暈を覚えた。

 

「おいおいおいおいおいおい、勘弁してくれよ……。掃除する方の身にもなってくれよ、泥棒さん」

 

 最高に、不機嫌だった。

 この怒りの勢いなら、侵入者を撲殺することも可能かもしれない。

 いや、駄目だ。血痕の掃除が面倒くさい。発見したら丁重にお帰り願うか、もしくは警察を呼んで穏便に処理してもらおう。

 そう思考を巡らせながら、桐介はそっと物音のする仏間を覗き込んだ。

 

 そこで彼は、信じられない光景を目にする。

 

「がふっ、かふっ! かふ、はふっ……ずんだ、ずんだぁっ! あむっ」

 

 奇妙な出で立ちの女がいた。

 白い手術着のようでありながら、黒い和服の意匠が自然に融合した、洗練されたデザインの衣装。

 ミニスカートから覗く太ももは、暗がりの中でも健康的な白さを放っている。そして何より目を引くのは、ぼさぼさの緑色の髪。

 その女は、仏壇のお供えとして大量に置かれていたずんだ餅を、一心不乱に、夢中で頬張っていた。

 もぐもぐと口を動かすたびに、頭が揺れ、髪に付着した屋根の木屑をあちこちに撒き散らしている。

 

 本当に、本当に奇妙な話だが、その彼女の食いっぷりを見ているうちに、桐介の怒りは不思議と霧散していた。

 あのずんだ餅は、それが好物だったという次女への供物だ。

 なぜかいつも作りすぎてしまい、桐介自身では到底食い切れず、近所に分けたり、時には捨てたりもする代物だった。

 だが、どうだろう。

 あそこまで美味しそうに、あんなにも大事そうに食べてもらえているのを見ると、なぜか、胸の奥からじわりと嬉しさが込み上げてくるのだ。

 

 桐介は、ふぅ、と一つため息をつくと、意を決して襖を一息に開け放った。

 

「ず、ずんだっ!?」

 

 家主の突然の襲来に、女は野生動物のように飛び上がった。そして、もう半分以下になったずんだ餅の乗った大皿を胸に抱え、窓際まで後ずさる。

 

「う〜……」

 

 と、唸り声を上げて威嚇するそれに、果たして日本語が通じるのか。甚だ疑問ではあったが、桐介は構わず話しかけた。

 

「追加、いるか?」

 

 きょとん、と女は呆けた顔で桐介を見た。一瞬、言葉の意味を理解できなかったのだろう。

 手もとのずんだ餅と桐介の顔を交互に見比べると、やがてその瞳をきらきらと輝かせ、声を張り上げた。

 

「ずんだぁっ!」

 

 桐介は、もう一度ため息をつく。そして、くるりと背を向けて台所に向かいながら言った。

 

「作ってくるから、散らかした木片をその部屋だけでいいから片付けとけ。出来るか?」

 

「ずんだっ!」

 

 桐介の指示に、女は鳴き声のような声を張り上げて、ぴしり、と完璧な敬礼を返した。

 

 

 

 

 きりたんが新しいずんだ餅を作り終えて台所から戻ると、信じがたい光景が広がっていた。

 仏間は、もはや完璧だった。それだけではない。階段下の廊下から、破壊された屋根のある二階に至るまで、散乱していたはずの埃も木片も綺麗さっぱりと掃き集められ、あまつさえ素材ごとに丁寧に袋詰めまで完了している。

 その仕事ぶりは、プロの清掃業者もかくやという手際の良さだ。

 ただし、あらゆる手段を駆使して任務を完遂したのだろう。その代償として、彼女本人……その奇妙な侵入者の纏う汚れは、先ほどとは比べ物にならないほど凄まじいことになっていた。

 髪も顔も、手足の末端まで、煤と木屑にまみれている。

 それでも彼女は、まるで褒めてほしがる子犬のように、満面の笑みで桐介に敬礼するのだ。

 

「ずんだぁっ!」

 

 その無邪気な笑顔が、最後の引き金だった。

 桐介の中で、何かがぷつりと音を立てて切れた。

 ずんだ餅の乗った大皿を乱暴に机へ置く。途端、輝く瞳で彼女が駆け寄ってくるが、桐介はその汚れた腕をむんずと掴んだ。

 そして、有無を言わさず引っ張り、ずかずかと風呂場へと向かう。

 

「ずんだっ!? ずうんだぁっ、ずんだー!」

 

 嫌がる、というよりは「餌を待て、と言われた犬」のような反応だ。

 仏間の方へ必死に手を伸ばしながら抵抗するそれを、桐介はずるずると引き摺っていく。脱衣所まで来ると、ようやくその手をぱっと離した。

 

「食う前に、風呂! 入れ! その概念くらいわかるよな!? なぁ!?」

 

 先の掃除があれほど完璧にこなせたのだ。これくらいは通じるはずだ。

 その桐介の淡い期待も虚しく、彼女はこてん、と不思議そうに首を傾げる。そしておもむろに風呂場の戸を開け、立ち上る湯気をもろに顔面で吸い込み、

 

「けひっ」

 

 と、盛大にむせていた。

 

「おい、冗談だろう……?」

 

 顔を青くした桐介は、それでも、あの神聖な食べ物(ずんだ餅)をそんな薄汚れた格好で食してほしくない一心から、ついに決心した。

 覚悟を決め、自ら服を脱ぎ始めたのである。

 

「ず、ずんだぁっ!?」

 

 何故か羞恥心という概念は搭載されているらしい。彼女は慌てて両手で顔を覆おうとするが……。

 

「こらぁ! そんなばっちい手で顔に触るな!」

 

 桐介の一喝に、彼女はびしっ、と直立不動の姿勢を取った。

 

「ほら、お前も脱げ!」

 

 桐介の言葉に、しかし、彼女はまたも首を傾げる。

 

「だあーもうっ、どうなってんだよお前の常識の範囲は!」

 

 こうなっては仕方ない。桐介は半ば諦観の境地で、彼女の服に手をかけた。

 一体どこの組織が、どんな技術を以て作ったのか。その衣服は、まるでジッパーや磁石のようでありながら、全く異なる不思議な機構で構成されており、驚くほど簡単に脱がせることができた。

 服の裏についていたタグを見るに、どうやらそのまま洗濯機で洗っても問題ないらしい。

 

『……というか、宇宙人の類ではないんだな』

 

 そのタグの仕様が、あまりにも日本国内で見慣れたものであったことから、桐介の頭の中で何パターンか構築されていた「彼女の正体」に関する仮説の一つが潰えた。

 彼は、何とも言えない微妙な表情を浮かべるしかなかった。

 

 

 

 

 スポンジがその柔らかな肌を滑るたびに、彼女はくすぐったさに奇妙な声を上げて笑った。

 

「ずっ、んっ、んゃははっははっ」

 

「変な声出すな、まったく」

 

 結局、見ず知らずの謎の女と裸の付き合いをしてしまっている。桐介は、いよいよもって自分が何をしているのか本気でわからなくなってきた。

 目の前にある、驚くほど均整の取れた柔らかな肢体。先ほど、あれほどの瓦礫を片付けた力強さが宿っているとは到底思えない。

 洗えば洗うほど、煤や汚れの下から現れるのは、ごく普通の……いや。

 

「……美人だな、お前」

 

「ずんだぁ?」

 

 「美人」という単語の意味がわからないのか、彼女は小首を傾げる。

 その無垢な様子を見て、『その概念を知らないようで、よかったよ……』と桐介は内心で苦笑した。

 

「ほら、目ぇ瞑れー」

 

 シャワーで丁寧に泡を流していく。

 

 じゃぱぁ……と、二人で湯船に浸かると、いつもは一人には広すぎるはずの風呂が、心なしか少しだけ狭く感じられた。

 

「はぁふ……」

 

 桐介がため息をついて肩まで浸かるのを真似て、彼女も「ずん……だは」と、ため息のような鳴き声をあげて肩まで浸かった。

 そんな目の前の謎の女を見ていると、桐介の中で張り詰めていた何かが、ふっと緩んだ。

 

「は、ははは……なんなんだ、お前。ふふ、ははは」

 

 こらえきれずに笑いが込み上げてくる。愉快そうに笑う桐介を、彼女は不思議そうに見つめていた。

 ひとしきり笑うと、桐介は口を開いた。

 

「『ずん子』。勝手にそう呼ぶよ。ずんだずんだ言ってるし、ずんだ餅が好きなんだろ? どうせ普通に喋ったりしないんだろうし」

 

 ずん子。

 桐介にそう名付けられた彼女は、ぱあっと顔を輝かせると、嬉しそうに「ずんだぁ!」と応えた。

 そんな純粋な彼女の反応に、桐介は……少しだけ逡巡してから、問いかけた。

 

「なぁ、お前、訳ありなんだろ? じゃあさ、うちで家政婦でもやらないか?」

 

「ずん、だ?」

 

「ずっと家政婦が欲しいって思ってたんだ。お前、掃除はすごく上手いし、道具の使い方さえ教えたら、もっと完璧にこなせるだろ。……だめ、かな?」

 

 桐介の提案を、ずん子はちゃんと理解できただろうか。

 彼が不安に思った、その時だった。ずん子は、その大きく澄んだ緑色の瞳にまっすぐに桐介を映しながら――真顔のまま、ぼろぼろと大粒の涙を流し始めた。

 

「ちょ、ちょ、どんな反応!? ていうか、どっちなんだよ!?」

 

「ずん!? ずんだずんだっ……」

 

 狼狽える桐介に、ずん子自身もこの涙が意図しないものなのか、ひどく戸惑っている様子だった。

 そして、ずん子は桐介にもわかりやすいように、大きく、力強く、こくりと首を縦に振った。

 そして、ぴしり、と完璧な敬礼を決める。

 

「ずんっっだぁ!」

 

 こうして、身元不明、言語不明の家政婦ずん子と、少年・東北桐介の、あまりにも奇妙な共同生活が幕を開けたのだった。

 

 

 

 

 

 それから数ヶ月。

 奇妙な侵入者との共同生活は、驚くほど平穏無事に過ぎていった。

 もとより桐介は、趣味のゲーム以外に大きな浪費をする性質でもなく、長い一人暮らしで金のやりくりには慣れている。経済的な問題は、何一つなかった。

 だが、大変だったことといえば、そう。家政婦ずん子の「食」である。

 

 油断すると、彼女はずんだ餅しか食べないのだ。

 栄養の偏りを心配した桐介が焼き魚を与えてみたところ、初めは目を輝かせ、実に美味しそうに食べていた。

 しかしその数時間後、彼女はそれを全て吐いてしまったのである。青い顔でトイレに駆け込み、便器に向かって律儀に吐き出したのは、褒めてやるべきか。

 桐介は心配したが、何よりずん子自身が、懲りずに焼き魚を指さし、それ以外の食べ物を求める素振りを見せた。

 そこで桐介は、消化の良いお粥や野菜のスープから少しずつ、彼女の身体を慣らしていくことにした。

 その甲斐あって、今ではずん子もごく普通に、様々なものを食べられるようになっている。

 

 その過程で、桐介の脳裏に一つの恐ろしい予想がよぎった。

 

 ――ひょっとしてこの生き物は、ずんだ餅しか食べられないような環境に、ずっといたのではないか?

 

 いや、しかしそれであの健康的な体型を維持しているのは意味が分からない。

 ずんだ餅が特別、消化に良い完全食というわけでもないだろう。

 だが、彼女の身体が示した拒絶反応は、明らかにそれ以外の食べ物に「慣れていない」者のそれだった。

 良くも、悪くも。

 

 僅かな疑問の染みを胸に抱きながらも、桐介はそれ以上深く考えることをやめた。

 屋根を突き破ってきた緑髪の少女。ずんだ餅しか食べられなかった家政婦。

 そんなずん子の存在が、いつしか桐介にとっての新しい『当たり前』になりつつあった。

 がらんどうだった屋敷に、人の気配があること。食卓を二人で囲むこと。風呂上がりに髪を乾かしてやること。

 その温かい日常が、魂の欠落を抱えた少年の心を、少しずつ満たしていった。

 

 ――そんな、ある日のことだった。

 その新しい『当たり前』が、再び唐突に引き裂かれることになるのを、桐介はまだ知らない。

 事件は、すぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

 あの日、あの朝。

 桐介はいつも通り、真新しいランドセルを背負って小学校へと向かう準備をしていた。

 

「それじゃあ、行ってくるよずん子。お昼のずんだ餅、真っ先に食べてお腹空かせるなよ?」

「ずんだぅ!」

 

 玄関先で、ずん子は「もうそんなことしないもん」とでも言いたげに、ぷくっと頬を膨らませる。

 その仕草に桐介は思わず笑みをこぼした。数ヶ月の共同生活で、二人の間にはもう、言葉の壁を越えた確かなコミュニケーションが成立していた。

 ドアの向こうに去っていく桐介の背中を、ずん子は少しだけ寂しそうに見送る。そして、ふと台所へ視線をやった、その時だった。

 

「……ずんだっ!?」

 

 そこには、桐介が作ったはずのお弁当が、ぽつんと置き忘れられていた。

 どうしよう。

 桐介の家に住まわせてもらってからこのかた、ずん子は一人で家から出たことがなかった。

 念のため、と桐介に小学校の住所と簡単な地図は教えてもらっていたが、そもそも彼女がこの家に来たのは真夜中だ。

 土地勘も、方角の実感も、全く湧かなかった。

 ……しかし、このままではお昼に、桐介がお腹を空かせてしまう。

 

「……ずんだぁっ!」

 

 ずん子は決意を固めた。家政婦としての割烹着を脱ぎ捨て、あの日、初めてここへ来た時の『外行き』の衣装をその身に纏う。

 そして、お弁当を片手に、固く閉ざされていた玄関の扉を勢いよく開け、外の世界へと駆け出した。

 

 そして、学校へと向かう道すがら。友人と合流したところで、桐介はギョッとした。

 

「ずーんだぁー!」

 

 聞き慣れた声が、大通りの向こうから自分を呼んでいる。恥ずかしかった。よりにもよって、ずん子は何故かあのコスプレとしか言いようのない、最初の格好で来てしまったのだ。 その片手に大事そうに抱えたお弁当をがっしょがっしょと振りながら、満面の笑みで自分を呼ぶ彼女。

 恥ずかしさ半分、呆れ半分で、どうにかして止めようと思った、その瞬間だった。

 

 ――空気が、凍った。

 

 街の喧騒が、まるで分厚いガラスの向こう側のように遠のいていく。

 友人たちの笑い声が意味を失い、色褪せた世界の中で、ただ一点だけが、悪夢のような鮮やかさで目に焼き付く。

 

 赤信号。

 

 ひっきりなしに車が疾走するその中を、ずん子は、何のてらいもなく、まっすぐにこちらへ走ってくる。

 すぐ横から、大型トラックが最高速度で迫っていた。

 

 心臓が、止まるかと思った。思考が停止する。喉が張り付く。桐介は、ありったけの声を振り絞って叫んだ。

 

「待て、ずん子!」

 

 目の前で、ずん子は言われた通り、きょとんとした顔で足を止めた。

 待った。

 待ってしまった。

 車道の、ど真ん中で。トラックがすぐそこまで迫る、その直前で。

 

キキーッ! ガシャァァアン!

 

 鼓膜を突き破るような金属の軋む音と、何かが砕け散る凄まじい衝撃音が、街の全ての音を暴力的に塗り潰した。

 

 

 空気が凍り、時の流れが粘性を帯びて緩慢になる。

 スローモーションの世界の中、ずん子はまるで世界そのものを繋ぎ止める楔のように、微動だにしなかった。

 ただ、その身へと迫る鋼鉄の塊――大型トラックが、クッションに顔を埋めるように、彼女の身体にめり込んでいく。

 そのあまりにも和やかで、呑気で、無垢な笑顔を見て、桐介は、今更……本当に、本当に今更、思ったのだ。

 

 トラックのフロントグリルが、悲鳴のような金属音を立てながら内側へとひしゃげていく。

 硬質であるはずの鉄が、まるで柔らかな粘土のように、彼女の身体の形に合わせて無様に変形していく。

 

『あぁ、なんで今まで、気付かなかったんだろう』

 

 巨大な質量と運動エネルギーが一点に集中し、衝撃でフロントガラスに蜘蛛の巣状の亀裂が走る。

 だが、彼女は一歩も引かない。押されもしない。

 ただ、そこに「在る」だけだった。

 

『いや、ひょっとしたらこれも、一種の安全装置だったのかもしれない。自分は、この悍ましい事実から無意識に目を瞑っていたのかもしれない』

 

 運転席が、ありえない角度に折れ曲がり、車体全体がアコーディオンのように圧縮されていく。

 破片がスローモーションで宙を舞う。その破壊の中心で、彼女は変わらず微笑んでいた。

 

『今、この瞬間にも俺に向けられている、ずん子のその和やかな笑顔も』

 

『風に揺れる、深い緑色の長い髪も』

 

『いつも遺影の向こうで、こちらに微笑みかけてきていた――姉の、東北じゅん子の笑顔に、瓜二つだという事実に――!』

 

 無惨な破壊の饗宴が終わり、時間が再び正常な速度を取り戻した時。

 ずん子は、まるで身体についた土の塊でも払うかのような気軽さで—―

 

「ずんだ? ずんっ!」

 

 と、片手でトラックの残骸を体から剥がし、横へとどかした。

 そして、気を取り直したかのように、しかしボロボロに焼け焦げてしまったお弁当箱を桐介へと差し出そうとして――そこで、ずん子は、ようやく気づく。

 無惨な姿になったお弁当箱に。

 そして、桐介が自分を見る目が—―

 

 亡霊とも、怪物ともつかない……

 得体の知れない『未知の脅威』を見る、それになっていることに。

 

「ず……ずんだっ……ず」

 

「来るな」

 

 何か言葉を発しようとして、切なげに鳴くずん子に、桐介は一歩、後ずさった。

 

「あ、う、うわあああっ!!」

 

 そして、タガが外れたかのように、桐介は悲鳴をあげて『逃げた』。

 ずん子から。

 あまりにも異質で、常軌を逸した――姉の顔をした、バケモノから。

 

「ず、ずんだぁっ!」

 

 ずん子は、桐介を追いかける。

 がむしゃらに、走り方もおぼつかないまま逃げる桐介には、すぐに追いつける――筈だった。

 桐介が、路地裏に身を隠すように飛び込む。それを追いかけて、ずん子も角を曲がった、その瞬間。

 

「ずんだ?」

 

 そこには、誰もいなかった。

 ただ、人の気配が消え失せた路地裏が、まるで神隠しでも起こしたかのように、がらんどうの空間を広げているだけだった。

 

 

 

 

「はぁっ……はぁっ、はぁっ……」

 

 走って、走って、走って。

 桐介は、ようやく膝に手を当て、切れ切れの息を整えていた。

 そして、冷静さを取り戻そうと周囲を見回した瞬間、彼は更なる混乱の渦へと突き落とされる。

 

 空が、黒い。

 だというのに、地面は嫌に白々と照らし出されていて、光源が見当たらないにも関わらず、遠くまで見渡せる。

 そこは、あまりにも広大な空間だった。

 極めつけに、建物の向きも、道路標識の文字列も、全てが出鱈目で無茶苦茶。まるで、世界のデザインそのものを根底からバグらせたかのような、悪夢の光景。

 乾いた笑いが、ひきつった喉から漏れ出た。

 

「――きみ!」

 

 鋭い声が、思考を中断させた。

 そこに立っていたのは、見慣れた聖海尼女学院のセーラー服を纏った、金髪の女性。入口らしき四角く光る穴に片手をかけながら、彼女――マキは、桐介へと必死に手を伸ばしていた。

 

「きみ、ここは危ないんだ! はやく、こっちへ!」

 

「あ……っ、く」

 

 差し伸べられたその手を、桐介は握ろうとして、躊躇った。

 信じていた女性が、バケモノだったのだ。

 あの衝撃は、桐介の中から「信じる」という機能を根こそぎ破壊してしまっていた。

 もう、何も信じられない。誰も信じられない。

 

「……っ、しょうがないっ!」

 

 マキは歯を食いしばると、出口から手を離し、自らこのバグった空間へと足を踏み入れた。

 そして、桐介の手を無理矢理に掴む。

 

「本当にここは危ないんだよ、だから脱出を……っ!?」

 

 ぎゅん! と、音がしたかのように、今までそこにあったはずの出口が、遥か彼方へと瞬時に跳躍した。

 距離を、空間を、悪意をもって「いじられた」のだ。

 

ザキュッ!

 

 鈍い音と衝撃が、マキを襲った。

 

「……ぁ、っ? げぷっ」

 

 夥しい量の鮮血が、マキの純白の制服を禍々しく汚し、足元に血だまりを作る。

 その犯人は、もはや人間型ですらなかった。二次元の菱形を無理やり狼の形に成形したかのような異形が、その鋭利な爪をマキの腹部へと深々と突き立て、ぐりぐりと感触を楽しむかのように抉っていた。

 

『ガァるるルル……』

 

「あっ、が……あぐぶっ!?」

 

 激痛と、止まらない吐血に口元を押さえ、マキが崩れ落ちる。

 自分のせいだ。俺が、迷ったから。信じなかったから。

 桐介の思考はぐちゃぐちゃになって、ただ、か細い声で助けを求めることしかできなかった。

 

「助けて、だれか……助けてぇっ!」

 

 必死に、目の前の惨状から目を逸らさないように、叫んだ。それが、菱形狼の群れを呼び寄せる結果になるとしても、ただ、叫び続けた。

 そして、その一体が……桐介めがけて、跳躍した。

 

「ひっ……!!」

 

 身構えた、その瞬間!

 

バギャリッ!

 

 薄いガラスを突き破るかのように、一本の腕が、空間そのものを引き裂いて現れた。

 その腕は、菱形狼の首に当たる部位を、強く、強く、万力の力で握りしめていた。

 

『GGa、ががぁごっ!?』

 

 断末魔を上げながら暴れる菱形狼を、腕でこじ開けた空間の亀裂をさらに縦に引き裂きながら――

 

「ずぅぅんんだああああああああ!!」

 

 ずん子は、そこにいた。

 その瞳には、もはや普段の無垢な光はない。

 ただ、ひたすらに冷たく、燃え盛るような怒りの焔だけが宿っていた。

 自分の家族を。

 桐介を。

 泣かせたモノに対する、絶対的な殺意。

 

 その化け物は、雄叫びと共に菱形狼の頭部を地面に叩きつけ、汚れた飛沫へと変えた。

 

 

 

「ずんだ……」

 

 ずん子は、原型を留めないほどに破壊した菱形狼の残骸を、汚れたものでも払うかのように投げ捨てた。

 その無機質な暴力に、桐介はびくりと身を震わせ、怯えに満ちた視線をずん子に向ける。 その視線がナイフのように突き刺さり、ずん子の表情は、目に見えて悲しみに翳っていった。

 

「ずん子……僕、僕は……」

 

 倒れたままのマキの身体に縋りながら、カタカタと震える桐介。ずん子が、そんな彼に慰めるように伸ばそうとした手を、そっと引いた。

 その、時だった。

 

ドヒュン!

 

 ずん子がこじ開けたはずの空間の出入り口さえも、目を離した一瞬の隙に距離をいじられ、遥か彼方へと跳躍して消える。退路は断たれた。

 周囲には、無数の菱形狼が唸り声を上げながら、じりじりと包囲網を狭めてくる。

 

『星』『星』

『ハートスート、大女王の王冠……!』

 

 菱形狼たちの囁きは、称賛のようであり、それでいて詰るような響きを帯びていた。

 一匹、また一匹と、影が滑るように襲い掛かる。

 その悉くを、ずん子は純粋なまでの怪力で殴りつけ、蹴り飛ばし、粉砕していく。

 だが、桐介は気づいてしまった。菱形狼が砕け散る破片の中に、以前はなかったものが混じっていることに。

 赤い、血飛沫が。

 

「ずん子、お前……!」

 

 相手は二次元の存在。厚みという概念を持たない、鋭利な刃物の集合体だ。

 先のトラックを相手にしたような圧倒的な物理的防御力は、三次元の攻撃に対してのみ発揮されるものなのだろう。

 この二次元の神秘の塊に対して、彼女は、徐々に、しかし確実に傷を負わされていた。

 

『太陽の走狗め』『月の奴隷種』

『破滅の先兵が、この世界にまで来ただと?』

『欲深い』

『惑星一つでは飽き足りぬか、狂い蝗の群れの一匹が……!!』

 

 数で押し、その身を切り刻みながら浴びせられる、憎悪を隠そうともしない言葉の刃。ずん子の表情が、苦痛に、悔しさに、明らかに歪んでいく。

 

 それでも、と。

 彼女は屈しない。

 

「ずんだあああああ!!」

 

 全身から、薄緑色の波動が爆発的に放たれた。

 その光に包まれた菱形狼たちは、まるで脆い硝子か別の物質に強制的に変質させられたかのように、その輪郭を保てずにハラハラと崩れ落ちていく。

 

 しかし、その中心から再び姿を現したずん子の全身は、無数の切り傷に覆われていた。肩で大きく息をしながら、その場にどうにか立っているのがやっとの状態だった。

 

 

「ずんだあああ!!」

 

 ずん子の咆哮は、言葉を持たない。

 その魂のほとんどは、この世界に新生児として生まれ落ちたばかりなのだから。

 それでも。

 

「ずんだああ!」

 

 迫りくる菱形狼の鋭角を拳で砕き、その変幻自在の斬撃を傷だらけの腕でいなし、桐介とマキに届こうとする全ての攻撃を、その身を盾にして破壊する。

 彼女の咆哮には、あまりにも確かな言外の感情が込められていた。

 

――やらせない。

――この子たちは、私の家族は、絶対に傷つけさせない。

――化け物と言われても、怖がられても、それでもいい。悲しくても、いい。

 

—―元々私たちは、『悲しみ』から生まれたものなのだから!

 

 そんな、血を吐くような悲痛な想いを、桐介だけは、不思議と正確に受け止めることができていた。

 恐怖は消えない。だが、それ以上に、彼女の魂の叫びが胸を打つ。

 

「ずん子……ずん子ぉっ!」

 

 守られているだけでは駄目だ。少年は、恐怖に震える心を叱咤し、倒れたマキを庇いながら、それでも彼女の名を叫んだ。

 その叫びに、その心を守るという決意に、ずん子の魂の奥底で眠っていた何かが、確かに答えた。

 

『霊子タグ条件解除』

『【Z含有率47%超過】【東北きりたんを護る】』

『ヨモツイクサシステム、起動』

『黄泉帰(おかえ)りなさい、東北ずん子』

 

「ず、ずん!?」

 

 突如、視界に無機質なシステムメッセージが明滅し、ずん子は動揺する。

 菱形狼の爪が肩を浅く切り裂くが、痛みよりも混乱が勝っていた。

 

『黄泉次元へ接続、【アーカイブ】を参照します』

 

 戦いながら、ずん子の視界の片隅を、無数の別の視界がブリキの映像のように占拠していく。

 それは、ひどく懐かしい光景だった。

 

『死んでいった、数多の自分たちが見た、末期の光景』

 

『かつてこの世界で、自分たちと同じ『星』を、虫けらのように殺戮した二つの影』

 

『全てを射抜く紫電の魂と、自分たちによく似た、優しくも苛烈な緑の魂』

 

 その強力無比なボイロウェポンたちの姿を見た瞬間、ずん子は確信する。

 点と点が繋がり、霹靂のように解が閃いた。

 この絶望的な状況を打開する方法を。

 ボイロウェポンという存在がいるこの世界で、自分が、東北ずん子が、本当に取るべき最適解を!

 

 ずん子は、舞うように菱形狼の突進を躱すと、くるりと踵を返した。

そして、戸惑いながらも自分の名を呼び、応援してくれる桐介へと、一直線に駆け寄ると……。

 

「ずん……んむっ!?」

 

 驚きに見開かれる桐介の瞳。

 ずん子は、その唇に、自らの唇を強く押し当てた。

 それは、初めてのキスだった。

 

 

 

 唇が触れ合った瞬間、桐介の脳内に、BLESSの交感による激しいスパークが巻き起こった。

 それは一瞬のうちに、頭蓋の内側でビッグバンが起こったかのような凄まじい衝撃。桐介の意識は、ずん子がその魂に内包する『死』の濁流の中へと、否応なく呑み込まれていく。

 

 ――ここはこの世界ではない。どこか別の可能性にあった、ありえたかもしれない並行世界。

 

 『星の巫女計画』と題された分厚い資料の束が、風に捲られていく。

 ガラス張りの試験管のようなカプセルが並ぶ研究室。その中で、白衣を着た研究員たちが、次々と赤く点灯するエラーランプに頭を抱え、絶望していく光景。

 『失敗作』の烙印を押された少女たちが、まるで家畜のように扱われながらも、科学と魔術の粋を集めて作られた最新兵器をその身に纏わされ、異世界との殺戮の最前線へと送られていく光景。

 その頭上では、この計画のオリジナルにして、天然の『英雄』であったたった一人の魔法使い『東北ずん子』を称える追悼映像が、無機質に流れ続けていた。

 

 ――失敗作の一体が、自棄を起こした一人の研究員によって、犯され、無残に嬲り殺される光景。

 ――それを目撃し、絶望に震える手で、彼女たちの倫理観を縛る最後の枷であった制御システムを破壊する、桐介によく似た顔立ちの少女の手。

 

 枷を失い、暴走する『星』の群れ。

 微弱でありながらも、無数に集ったその手が放つ『魔法』が、世界を、大地を、空を、全てを緑色のずんだ餡へと変換していく。物理法則も、生命の節理も何もない、ただ東北ずん子という概念だけが存在する世界が生まれる光景。

 だが、その誰もいないはずの世界を、突如として襲撃する赤い『剪定者』。

 立った一体のその手に握られた巨大な包丁が、逃げ惑う『星』たちを、まるで野菜でも切るかのように切り刻んでいく。

 

『勝手なこと、言わないでよ!』

 

 彼女たちの集合意識が放つ怨嗟の叫びが、桐介の魂に直接響く。

 外の世界を知りたい。生きたい。食べたい。愛したい。

 その純粋な願いの嵐が、時空そのものを歪ませ、特異点を生み出した。

 

『なら、行きなさい……すべてを、平穏な東北の平野にかえてやるのです』

 

 それは、きりたんによく似た何かの声。

 それが、時も、可能性も、因果律さえも跳躍して『星』達を異界へ送っていく。

 

 気づけば、目の前に紫色の髪の女が立っていた。

 彼女は、自身の額に押し当てていた無骨なライフルを、静かに下ろして言う。

 

「あなたは世界を知るより、『家族』という最低限の社会を知った方が良い」

 

 その言葉を最後に、視界は凄まじいGと共に空へと弾き飛ばされ――自身の身体が、豪奢な屋敷の屋根を突き破り、暗闇の中へと落下していくのを、桐介は他人事のように眺めていた。

 

 何となく、予想はしていた。

 そして、その予想していたものよりも、ずっと、ずっと最悪の現実だった。思わず、乾いたため息が漏れた。

 その背中から、ずん子がそっと、優しく手を回してくる。そして、か細く、たどたどしい声で……。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 と、小さく呟いている。

 この魂だけが存在する真っ白な精神空間で、今聞こえたこの声こそが、ずん子の生まれたばかりの幼い魂が発する、初めての本当の『声』なのだと、桐介は直感した。

 

 全部が全部、人災だった。世界をいくつも巻き込む、壮大で、滑稽で、そしてあまりにも悲しい悲劇。

 いや、この際、その規模は関係ない。

 ずん子は、掛け値なしに罪深い、化け物だ。英雄のクローンとして生まれ、勝手に期待され、勝手に失望され、挙句の果てには個人的な復讐と絶望の道具として利用され……その結果、世界を滅ぼした。

 

「いいや、そんなことはもう……関係ない!」

 

 桐介は、叫んだ。目の前に表示された半透明のコンソールに、迷わず手をかける。

 

【ウェポンライズ開始】

 

 遺伝子が知っている。魂が理解している。

 これは……彼女を、家族を救うための力だと。

 深く息を吸い込むと、脳髄に電撃のような閃きが走る。

 あらゆる事象を分析し、最適解を機械のように算出する能力。それが、東北桐介のBLESS。

 

「アンタはもう、僕の家族なんだぁッ!!」

 

 その全身が眩い光となって弾け、無数の金属塊へと分解される。

 

 瞬間、意識は現実へと帰還する。

 桐介が変じた金属パーツは、まるで強い磁力に引かれるように、ずん子の手の中へと収束していく。

 ガチャリ、ガシャン、と小気味よい金属音を何度も響かせながら、それらは寸分の狂いもなく、一つの形へと組み上がっていく。

 それは、古来より鬼が持つとされた、禍々しい金棒。しかし、その様相はあまりにも機械的で、洗練されていた。

 組み上がった金棒は、中心軸に沿ってドリルのように高速回転を始め、その先端には、紅蓮のエネルギーが渦を巻いて奔る!

 

 そして、桐介の声が、武器そのものから、ずん子の魂へと直接響き渡った。

 

『僕の言うことを聞いて、僕を使え、ずん子!』

 

「ずん、だぁっ!」

 

 

 

 

 

 視点は、そう、彼らの平和な日常の一幕へと戻る。東北の広大なお屋敷へと。

 

 空気中に投影されたモニターの画像が、そこで静止していた。

 ボロボロになりながらも、互いを守るように寄り添い、戦う覚悟を決めた少年と、異形の少女の姿。

 

「――で、その直後に環さんが来ちゃったわけです。いやはや、ままなりませんね。覚悟を決めても、数には勝てないってのは」

 

 大きな居間のテーブル。

 家主の風格で座る桐介の反対側には、結月ゆかりと、その弟――今は妹である環が座っていた。

 BLESS能力の応用で過去の光景を再生して見せた桐介は、ふぅ、と息をつく。

 

「な、なんか色々、見ちゃダメなものまで見ちゃった気がするんだけど……」

 

 気まずそうに視線を泳がせる環に、桐介はふん、と鼻で笑った。

 

「はっ、うぶなねんねじゃあるまいし。風呂くらいでいちいち騒ぐんじゃありませんよ」

 

「ぐぬぬ……」

 

 何か、小学生に完膚なきまでに負けた気がして、環は悔しそうに唸るしかなかった。

 その横で、パン、とゆかりが楽しそうに手拍子を打つ。

 その笑みはどこまでも軽薄だが、その瞳は桐介が見せた過去の奔流を前に、確かな敬服の色を浮かべていた。

 

「いやぁ、助かりましたよ、きりたん君。『星』に関しては、私も知りたいことが色々ありましたので。……おや?」

 

 ゆかりの視線が、すっと襖の隙間に向けられる。

 そこから、緑色の髪がこちらを覗いていたが、ゆかりと目が合った瞬間、ずん子の瞳がビクッと大きく跳ね、慌てて奥へと逃げていった。

 

「失敬ですねぇ。ちょっとヤード単位で殴り飛ばしただけなのに……。たまちゃん、ちょっと遊んであげに行ってくださいな」

 

「たまちゃんはやめてよね!?」

 

 憎まれ口を叩きながらも、環は桐介に軽く一礼すると、ずん子を追いかけて座を外した。

 その背中を見送り、桐介はテーブルの上で指を組む。そして、真っ直ぐにゆかりを見据えて言った。

 

「……で、ゆかりさんの相棒だったんでしょ。僕の姉さま――東北じゅん子(ずん子)は」

 

 ピリッ、とした緊張が走る。

 

「流石、超脳力(ノイマン)のBLESS能力。お見通しですね?」

 

 それは、歴戦の戦士と、つい数日前まで一般人だった小学生との間に流れるにしては、あまりにも重く、鋭利な空気に入りの変化だった。

 ゆかりの飄々とした笑みは崩れない。だが、その瞳の奥の光は、もはや桐介を子供として見てはいなかった。

 

「そして、その姉さまの命を奪ったのは……『星』の一個体。さらにその黒幕を……あなたは探してる」

 

 桐介の言葉は続く。

 

「あのずん子を泳がせてるのも、そのためでしょう?」

 

 少年の、全てを見透かすかのような鋭い紅い瞳が、ゆかりの底知れない紫の瞳を、真っ直ぐに射抜いていた。

 

「僕の記憶を消したのは……じゅん姉さまの意志ですか?」

 

 欠けた少年は、自らの心のどこが、なぜ欠けているのかすらも、もはや正確に把握してしまっていた。

 東北じゅん子。

 かつて彼女を誰よりも愛していたはずの東北桐介は、その記憶を根こそぎ失ってしまったがために、感情に大きな欠損を生んでしまったのだと。

 保健室での会話、そして自らの超脳力が導き出したその答えが真実であることは、目の前の結月ゆかりが浮かべる、観念したような表情が雄弁に物語っていた。

 

「『こんな子供に縋って生きる世界、滅んでしまえばいいのに』……それがあなたの姉の、最後の口癖でした」

 

 いかにも、自分の姉らしい。クレバーで、そしてどこか世を儚んだような意見だと思った。

 しかし、その考えがあったからこそ自らの記憶を消し、この戦いに巻き込むまいとしていた事実もまた、今の桐介を形成する要素であることも事実である・。

 

「彼女は、優しすぎたんですよ」

 

 ゆかりの言葉は、まるで鎮魂歌のように静かに響いた。

 その言葉に、桐介は静かに、しかしはっきりと首を横に振る。

 

「不用意なやさしさは、最早呪いですよ」

 

 その声は、凍てつくように冷たかった。

 かつて姉を愛した少年は、もうどこにもいない。

 ただ、その遺した愛は確かに……また別の形で、物語の歯車を回していた。

 

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