VOICEROIDのウェポンサイド//偽りの星の聖譚詩   作:EMM@苗床星人

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第四話 魔王と日常と受け入れる炎

 光と影の街、海尼市。その沖合に黒々と横たわる海上都市の残骸は、打ち捨てられた神々の巨大な肋骨だ。人の営みから忘れ去られたその鋼鉄の墓標の上で、その夜、世界は静かに悲鳴を上げた。

 空間が、ありえない粘性をもって歪む。何もないはずの虚空に、冒涜的な裂け目がこじ開けられていく。

  設置されていた監視カメラが、異常を即座に検知。時空歪曲率、高密度マナ反応、因果律汚染指数――あらゆる脅威度が、瞬く間に計測不能なレベルへと振り切れていく。

 やがて、小さく開いたゲートから、プッと一つの木の実のようなものが吐き出された。

  刹那、その物体は空間に見えない壁でもあるかのように、黄色い魔力光の軌跡を描きながら、カカカカッと甲高い音を立てて跳ね回り始める。

 上下左右、あらゆる方向への移動は、慣性や反作用の法則を完全に嘲笑っていた。

 やがて、光の軌跡は一個の巨大で複雑な魔法陣らしき紋様を空中に編み上げる。その中央へと、木の実が吸い込まれるように落着した。

 

 パキン、と砕ける音。 直後、凄まじい魔力の放電が迸る。

 

「いあ、いあ、しぇびおるふぐにすーーさいすふぃあたむかすあゔぃおらうむ!いあ、いあ!」

 

 これは偶発的に開いたゲートなどではない。異界の強壮たる存在を、その拠点たる空間ごと、この世界に直接転送し送り込む『大規模次元転送』の大魔術だ。

 その術式の万華鏡の如く洗練された様は科学の荒波に隠された地球の魔術では遠く及ばない境地にある文字通りの別次元にある。

 若い女の声の詠唱が、異界の土地神を讃える讃歌を奏で、周囲の常識がみるみるうちに汚染されていく。

 

 光の中心から、空間を歪めながら、豪奢な衣装を纏った茶髪の青年が姿を現す。

 そして、彼を主と仰ぐように、不定形の触手の塊や、悪意そのものが筋骨隆々の肉体を得たかのような堕ちた精霊たちが、次々とその姿を現出させた。

  月下の海面を見下ろし、青年は魔王たる外套をはためかせながら両腕を広げて哄笑する。

 

「ふ、ふ、ふ、はぁーはははは! 容易い、あまりにも容易いぞ次元移動! これぞ砕玉王たる妙技!

魔術の退廃した世界など、恐るるに足らず! さぁ僕どもよ、未開の地の凡俗どもを恐怖の底へ……あら?」

 

 王が芝居がかった台詞を言い終える間に、彼の周囲に控えていたはずの怪物たちが、一匹、また一匹と、まるで陽炎のように姿を消していく。

 まるで定時になったから帰る従業員のような気軽さで、やってられるかとでも言わんばかりに。

 

「なんだ? リソースの管理、転送前の計算も完璧だったはずだぞ。おい、帰るな!」

 

「いやいや砕玉王様、空気中の残留魔力も、リソース変換する大気中呪相汚染も、圧倒的に足りませんって」

 

 抗議の声を上げたのは、彼の足元から急速に芽吹き育った食人植物だった。

 その花の中心から、若い女の呆れたような声が響く。

 それは先の代行詠唱を行なった声の主だった。

 

「なにっ!?」

 

 砕玉王と呼ばれた青年は、眼前に魔力光で構成されたモニターを現出させ、この世界の環境エネルギー値を測定し始めた。

 異界の言語にて正確に表示される値は、王の予想を遥かに下回る数値で顔を顰める。

 

「ぬぅぅ……」

 

「やっぱり魔術が流行ってない世界には、それなりの理由ってあるんすねー。てか、こんな有様で、帰りの駄賃どうするんすか?」

 

 植物の娘の、あまりにも現実的な指摘に、空気が固まる。

 

「あ……」

 

 先ほどまでの威厳はどこへやら。

 異界から降臨した魔術の王、砕玉王は間抜けな声をあげるしかなかった。

 

 

 

 場面は変わって、地上に咲き誇る百合の園の朝。

 聖海尼女学院、一年生の教室に、新たな転校生がやってきた。

 

「……ずんだぁ!ずんだずんだ、ずぅんだぁ!」

 

 そう、あの『ずん子』である。

 教壇に立った彼女は、挨拶らしき鳴き声をひとしきりあげると、クラスメイトたちに向けて、ぴしり、と完璧な敬礼を決めてみせた。

 そのあまりにシュールな光景に、さすがの環も口をあんぐりと開け、唖然として固まっている。

 

『いや、今の挨拶で普通に転校生として通るのは無理があるだろう……!』

 

 喉まで出かかったツッコミは、しかし、驚愕で固まった喉に阻まれて音にならなかった。

 だが、彼女を取り巻く周囲の反応は、環の予想を鮮やかに裏切るものだった。

 

「東北ずん子さん……っておっしゃるのね!なんて礼儀正しい方なのかしら」

 

「多くを語らない、奥ゆかしい方ですわぁ」

 

「磨けば光るわねあの子……環ちゃん様といい、今年の転校生は本当に豊作ですわね!」

 

 そんなクラスメイトたちの会話に、環の思考は完全に混乱の渦に叩き込まれる。

 

「?????」

 

 すると、隣の席のマキが、くすくす笑いながら環の袖を引っ張り、ずん子の喉元を指差した。

 そこには、鉛色に鈍く輝くチョーカーが巻かれている。よく見ると、そのチョーカーの喉元には『A』という一文字が小さく刻印されていた。

 

「Aクラス用の認識阻害魔術だよ。あれで周りには、ちゃんとした自己紹介に聞こえてるんだにぇ」

 

「な、なんて言ってるのか、すごく気になるんだけど……」

 

 「確かに……」とマキも楽しそうに笑う。魔術の効きにくいボイロウェポンであることが、今だけは少し恨めしく思う環であった。

 

「Aクラス?」

 

 ふと、気になった言葉を反芻する環。

 

「ちょうどいいから教えとくにぇ」

 

 マキはそういうとノートを広げた。

 そこには、慣れた手つきでトランプの四つの柄が描かれる。

 すなわち、スペード、クラブ、ハート、ダイヤだ。

 

「『未知の脅威』はまず、出身世界の傾向でこの四つに区分されてるんだ。スペードはメカや超科学世界。クラブは剣と魔法のファンタジー世界――これでも並行世界なんだそうだよ? ハートは私たちの世界によく似た並行地球型世界。そして、神様や幽霊といった、まんま異次元のダイヤ――この前の菱形狼がこれにぇ」

 

 マキが書き加えていく、まとめられた無数の世界の存在に、環は身震いした。

 この四つがあくまで『区分』……それ以上に数多く、おびただしい数の並行世界に、この地球は狙われているのだ。

 

「それで、クラスは脅威度の指標にぇ。さっき言ったAクラスが、ずん子みたいに無害だったり協力的だったりするやつ。で、2から4までが害獣や猛獣クラス。5から9までが、明確に統率された侵略者クラス。菱形狼は獣じみてるけど、ダイヤの6ってとこかな?」

 

「6……」

 

 環の背筋を、再び冷たい汗が伝う。

 武装した個々でさえ対処に窮した、あの圧倒的な集団。しかも、それにはさらに上位の存在がいることが示唆されているのだ。

 

「それで、こっから先がほとんど『ネームド』って呼ばれる奴ら。Jクラスが人類の軍隊一個大隊規模の脅威、Qクラスが国家間戦争レベルの脅威。それで、Kが――その存在が確認されただけで、世界の危機レベル」

 

 とてもじゃないが、理解が追いつかない。

 あまりにも壮大で、絶望的なスケールの話に、環はただ、そう思うことしかできなかった。

 

 

 

 ずん子は、意外なくらいに学園生活に馴染んでいるようだった。

 きりたんからの説明にもあったように、常識が欠落している部分は多々あったが、それでも先日の交通事後は、よほどきりたんにこっぴどく叱られたのだろう。

 環がそれとなくその話に触れると、ずん子は子犬のように怯えた表情を見せたが、その甲斐あって最低限の社会常識は叩き込まれてきているようだった。

 しかし……。

 

「ずーんーだっ!」

 

 

 体育の授業である。

 走り幅跳びで、ずん子が叩き出した記録に、教師と他生徒の目が文字通り飛び出さんばかりに見開かれた。

 

 環とマキは、思わず頭を抱える。

 

 彼女は、手加減という言葉を知らなかった。

 以来、体育の授業は環とマキにとって、いかにしてずん子の超人的なスペックを「普通のすごい子」レベルに誤魔化すか、という特殊な任務の場と化した。

 

 ずん子は未知の脅威であるためか、ボイロウェポンの水準と比べてもなお傑出した怪力の持ち主であったため、その苦労は並大抵のものではなかった。

 そんなドタバタした一日の合間だった。

 ようやく一息ついた休み時間、隣の席のマキから、待ちかねたような提案が来たのは……。

 

 

 

 休み時間、マキは意を決したようにその手をきゅっと握り込むと、にぇーにぇーと聞こえるような甘い声で、環に尋ねた。

 

「ねぇねぇ、環ちゃん? 部活、どうするか決めた? もし良ければ、誘いたいところがあるんだけど……」

 

 マキにそう言われて、ドキッとした環は少し目をそらしながら応える。

 

「ぅえ? な、何?」

 

 マキがいつも抱えている大きなバッグから、ちらりと見せられたのは、艶やかなボディを持つベースギター。

 それを見た時、環はドクリと、マキの誘いとは異なる意味で心臓がはねた気がした。

 

「軽音楽部……なんだけど、どうかな?」

 

 すぐにでも「嫌だ」と返そうと思った。歌なんて、もう二度と。

 しかし、それよりも早く、マキは環の手をそっと握っていた。

 

「この前の戦いの時さ、環ちゃん……歌いたいのに、声出すのにちょっと戸惑ってたでしょ? 何となく分かるんだ、感情が分かる程度まで……だったけど。歌うことに、何か嫌な思い出とか、あったのかなって」

 

 だからこそ、なのだろう。

 おそらくそれが、歌うことが、環の戦いに大きく関わる重要な要素だからこその、誘い。

 

「うん……でも、待って欲しい。私、前に……変な声だって、言われちゃってさ……。女々しいかもしれないけど、それがコンプレックスで……」

 

 言葉の通りだ。

 心ない一言に打ちのめされた過去。

 男だった頃の自分を否定された記憶。

 抱え込んだコンプレックスは、環の感情を今も蝕み続けている。

 それは歌うことに対する葛藤そのものを、拭い難い苦痛へと変えていた。

 

「でも、私は環ちゃんの声、好き……だと思うよ?」

 

 マキの言葉に、環は目を見開いた。

 本来の自分ではない、この女としての自分の声のこと……だったとしても。

 その真っ直ぐな肯定の言葉に、環の心は強く惹きつけられた。

 

「だから、練習だけでも……付き合ってくれないかなぁ?」

 

 マキの言葉に、環は息を呑む。

 そして……観念したように、小さく、しかし確かに頷いた。

 

「やったぁっ! じゃあ放課後にぇ! やっぱりなしは無しだからね?」

 

 子どものようにはしゃぎながら、マキは環の手をぎゅっと握りしめた。

 その温かさが、環の凍えた心に少しだけ沁みた気がして、笑顔がこぼれた。

 

 

 

 

「ずん子、上手くやってるかなぁ……」

 

 放課後の小学校。一人、窓の外を眺めながら、きりたんは肘をついて呟いた。

 

「きーりたん! そんな黄昏ちゃってどうしたのさ? いつもの事だけど」

 

 そんなきりたんに、快活な声で話しかけるのは、青い髪を快活なツインテールにしたクラスメイトの少女だった。

 

「ウナ。僕、そんなに黄昏てる?」

 

「うん。最近、クラスの一部で密やかに『ラグナロク』って呼ばれてるよ?」

 

「神話レベルかぁ……。いや、最近海外からウチに居候してるいとこが、日本でうまくやれてるかちょっと不安でね」

 

 ウナがつけた勝手なあだ名に呆れつつ、きりたんは当たり障りのない嘘をつく。

 いとこ。その言葉に、ウナの瞳がキランと輝いた。

 

「そうそれ! ずんださん! あの後、信号も渡らずにどっか行っちゃって、どこに行ったかわかんなくなっちゃったけど……あの人のことでしょ?」

 

 ウナの屈託のない言葉に、きりたんの目がすっと細くなる。

 記憶操作……いや、納得はいく。

 目の前で人が轢かれかけたかと思えば、逆にトラックを大破させたなどという大事故、覚えていればウナのようなただの小学生にはトラウマでは済まないかもしれない。

 現に、自分がそうだったのだから。

 しかし、知り合いの記憶が、断りもなく勝手に操作されていた。

 その事実に、きりたんは僅かながらも、確かな怒りを覚える。

 

「きりたん……顔、怖いよ?」

 

 ウナが怯えたように身を引いたため、きりたんは慌てて普段の無表情に戻る。

 

「……っあ、ううん。あいつ、地図も見ずに彷徨くもんだから、あの後迷子になって探すのが大変だったんだよ。常識がないっていうか……思い出すと、ムカついてきたな。帰ったらまた叱ってやらないと」

 

「あはは、それはそれで怖いよぉ」

 

 しかし、そんな他愛もない雑談を交わしている間に……その気配は、唐突に襲ってきた。

 ぞっ、と。

 きりたんは、背筋も凍るような悪寒に突き動かされ、勢いよく振り返る。

 学院通りを挟んだ向かい側に位置する、聖・海尼女学院の方角を。

 

 ピンポンパンポーン、と、校内放送の呼び出し音声が鳴る。

 それは、この小学校の校長である琴葉大元の声だった。

 

『東北桐介くん、東北桐介くん。特待生選抜に関しての呼び出しがあります。至急、多目的室へ来てください』

 

 ――これは、合図だ。

 未知の脅威が、すぐそこまで迫っている。ボイロウェポンとしての、招集の合図だ。

 

「っと、ごめん。行かなきゃ」

 

「最近、呼び出し多いねぇ……。大丈夫?」

 

 心配そうにこちらを見上げるウナの顔を見て、きりたんは思う。

 もし、この戦いで自分に何かあったら。

 今度はこの子が、自分の姉がそうであったように、その心に大きな穴を開けてしまうのではないか。

 そう思うと、きりたんは……。

 

「なに、ただの進路指導だよ。僕は天才なので」

 

 あえて、なんてこともないように。少しだけ傲慢に振る舞うのだ。

 それが、今の自分にできる、唯一の責任ある優しさだったから。

 

 

 

 その悪寒にも似た感覚は、時を同じくして、聖・海尼女学院のボイロウェポンたちをも襲っていた。

 

「んひっ?」

 

 もうすぐ午後の授業が終わるという、気の緩んだ空気の中。環は、背筋を駆け上がった奇妙な感覚に、思わず変な悲鳴を上げた。

 直後、校内に設置されたスピーカーから、無感情なアナウンスが流れ始める。

 

『特待生の皆さん、選抜の件で校長先生がお呼びです。至急、多目的室へいらしてください』

 

 最初の戦い以来となる……初めての、本格的な実戦。

 その予感に、環の身体がブルりと震えた。

 

「環ちゃん!」

 

 そんな環の手を、隣の席のマキが力強く握る。

 その真剣な眼差しが、恐怖に揺らぐ環の心をぐっと引き留めた。

 

「……っ、行こう!……じゃあ、先生、皆さん、失礼しまーすっ!」

 

 環は決意を固め、教室の後方にいる教師とクラスメイトたちに言い残し、急いで教室を飛び出す。

 ずん子もそれに続いて席を立つとーー

 

「ずんだずんだっ……ずんだぅっ!」

 

 と、何かを言いながら、律儀にぺこりとお辞儀をし、さらに敬礼まで加えてから、二人を追いかけていった。

 そんな彼女たちの慌ただしい退室を、教室に残された生徒たちは、うっとりとした眼差しで見送っていた。

 

「ずん子様、なんてご丁寧で優雅なんでしょう」

 

「環様もマキ様も、選抜で一体何を準備なさっているのかは分かりかねますが、特待生の皆様はとても……絵になりますわぁ」

 

 目立つわけにはいかないというのに、教室中が、その特別な存在感を放つ彼女らにメロメロであった。

 その行き先が、血と硝煙の匂いがする戦場であることなど、誰も知る由もなかった。

 

 

 

 すこし遡って、授業中の聖・海尼女学院。

 その荘厳な入り口に、場違いな影が一つ、すっくと立っていた。

 白黒のチェック模様がはためく外套を纏い、肩に植物を巻きつけた男ーー砕玉王である。

 警備員がその異様な存在に気づき、警告しながら門に併設された警備員室から出てくる。

 

「お、おい! ここは、関係者以外立ち入り禁止だぞ?」

 

 その言葉に、砕玉王の肩に絡まっていた植物が呆れたように囁いた。

 

「ほら、やっぱり不審者扱いですって。どう見てもここ、貴族用の教育機関っすよ」

 

「ふん、警邏の手にまで煩わせるつもりはないさ」

 

 パチン、と砕玉王が指を鳴らす。

 瞬間、彼の視界からあらゆる生命体の反応が消失し、周囲の無機物だけが格子模様の光に覆われていく。

 深化空間。集団化した未知の脅威の呼気から生まれるその位相空間現象は、強大な魔術によっても再現可能なのだ。

 しかし、それには相応の魔力と手順がある。それを、この王は何のアクションもなく、指を鳴らすだけでやってのけた。

 そして、警備員の視界からは、不審者である砕玉王の姿が、まるで陽炎のように掻き消えていた。

 

「あ、れ? ふ、不審者が侵入……っ!」

 

 急ぎ警備員室に戻り、内線に手をかけようとした警備員の腕を、どこからともなく現れた結月ゆかりが、優しく受け止めて制止する。

 

「はいストップぅ。ここはちょっと、こちらに任せてもらえますかねっと」

 

「こ、校長!? しかし……ぁ?」

 

 警備員が突如、気の抜けた声を上げてぐにゃりと力を失い、その場に崩れ落ちる。

 その身体をそっと横たえながら、ゆかりは虚空に向かって呟いた。

 

「まぁ、あの子たちの、いい練習相手にはなってくれるでしょ?」

 

 砕玉王は、深化空間の中から現実空間をある程度認識できるらしい。空間越しに、ゆかりに問いかける。

 

「なんだ、お前が直々に相手をしてくれるのだとばかり思っていたんだが?」

 

 互いに誰もいないように見える空間で、別々の位相から語りかける奇妙な構図。

 だが、ゆかりもまた、当たり前のようにそれに返答した。

 

「あんたが真面目な侵略者だったらそうしますけどね。目的は、帰る分のエネルギー確保でしょ?」

 

「この学舎に集う呪相塊、問題がなければもらっていくが?」

 

「それじゃ足りない。うちの子たちの練習代になってもらいますよ? なに、その一人があんたの真の目的でもあるんですから……WIN-WINな持ちかけですよ」

 

 ゆかりがそう言った、まさにその瞬間。

 砕玉王の背後から、凄まじい加速を得た鉄塊――ブーステッドヨーヨーが襲いかかる!

 

ガァン!

 

 と、しかしそれは、砕玉王の肩から伸びた植物の根によって、その見た目に反した驚異的な硬度で弾き返された。

 反作用で生じた風が、砕玉王の外套と髪を揺らす。

 

「なんやなんや、うちらが一番乗りか! 不審者は立ち入りお断りやでぇ?」

 

 ボイロウェポン――戦う力を持つ者を無条件に引き込むこの深化空間の結界に、琴葉姉妹はたどり着いた時点ですでに入り込んでいた。

 当然、結界の外にいる結月ゆかりの姿は、彼女たちには見えていない。

 むしろ、この空間に飲まれていないゆかりの方が、異常なのだ。

 

 砕玉王は、魔力を視認するその瞳で、姉・茜の周囲に渦巻く呪いの空白に驚く。

 

「成程、呪相を呼ぶ体質か……。ならば、引き寄せられた災禍としてお相手しよう。魔王として、歯向かう勇者は育てる主義でね」

 

「待った待った砕玉王様!」

 

 しゅるるるると砕玉王の肩から降りた植物が、蛇花火のように高速回転すると、メキメキと音を立てて人間のシルエットを形成していく。

 裸の身体に植物の繊維で現代的なジャケットと衣服を生成し、ギャル的なファッションを身に纏った彼女は、ビシッと茜を指差した。

 

「先陣はあーしが! 砕玉王直属の御使い、香草霊(センスドリアード)のコムギ=カスカベが、まずはお相手するっす!」

 

『呪相……? お前ら、お姉ちゃんが狙いか……!!』

 

 砕玉王の言葉に、茜の手の中にあるヨーヨー――弟の葵が、怒りの火花をブースターから激しく散らした。

 

 

 茜がヨーヨーの挙動を『螺旋(ストーム)』のBLESS能力で不規則にし、縦横無尽に振り回す。それはまさしく、予測不能な軌道を描くヨーヨーの立体結界。

 その死地へと、コムギは自ら身を乗り出すようにして飛び込んだ!

 

「挙動は、自由自在に変えられるねんよ!」

 

 ギュン!とヨーヨーが突如として向きを変え、背後からコムギに襲い掛かる。

 それを、コムギは腕から伸ばしたツタの鞭で的確に払い除けた。

 そのツタは見た目に反し、しなやかでありながら鋼鉄に匹敵する硬度を誇っていた。しかし……。

 

「……っ痛ぅ」

 

 硬さだけならば、葵の『硬化(ヘヴィ)』の能力が上だった。

 わずかに傷ついたツタを、コムギは瞬時に再生させ、さらにその数を増やす。

 10本もの鞭が縦横無尽に振るわれ、今度は数の暴力で葵の追撃を弾き返していく。

 

「つっくつっくつっくう!」

 

 鳥の鳴き声のような奇妙な声を発しつつ、鞭の嵐を突き抜け、一気に茜へと肉薄した。

 その瞬間、茜は不敵に嗤う。

 

「交代っ!」

 

 茜がそう叫ぶと、その姿が赤い光の粒子となって、ぱぁんと弾け飛んだ。

 目の前で敵の姿が消えたことに、コムギは驚愕に目を見開く。その視線のさらに下、低く 屈み込んだ姿勢で、葵が人間体へと戻っていた。長く青い髪を振り乱し、紺の改造学ランにも似た戦闘服にその身を包み、包帯を巻いただけの生身の拳を、ギチリと強く握りしめる。

 

「出来れば、俺の戦闘は見せたくないんだよ……。だが、てめえらは別だ! っらあ!」

 

 その声は、少女のように高いまま。しかし、その響きには紛れもなく、葵の“素”である不良の凄みが宿っていた。

 渾身の右ストレートが、咄嗟に鞭を交差させて防御壁としたコムギのガードを、全く意に介さず貫き、その顎を撃ち抜いた!

 

「……っがぁッ!」

 

 木片のようなものが砕け散り、顔を瞬時に再生させたコムギが、信じられないといった表情で向き直る。

 だが、それよりも早く、その顔、肩、胴体、全身を、無数の拳が乱打していく。

 

「オラ、おら、オラオラオラオラオラァッ!!」

 

「調子に乗るなぁッ!」

 

 本性を現したコムギが、人型を解いて無数のツタの集合体へと変じ、手数で葵を押し潰そうとする。

 

「姉ちゃん!」

 

『あいよ!』

 

 葵の肩の上で、巨大な赤い盾――否、本来は腕に装着されるべきナックルが高速で旋回し、迫りくるツタを軽くいなす。

 それは中空の足場となって、葵に重力を無視した立体的なフットワークを実現させた。

 

「武器の使い方間違ってるっす!」

 

「俺に、お姉ちゃんを使って、殴れってのかぁッ!?」

 

 怒りに燃える葵の渾身の拳が、人外と化したコムギの中央、急所である『花』に正確に命中する。

 コムギは甲高い悲鳴を上げながら、大きく後方へと吹き飛ばされた。

 

「あああ意味わかんない! 意味わかんないっす!」

 

 かんしゃくを起こしたように叫ぶコムギに対し、砕玉王はただ冷静に戦況を分析する。

 

「精神のありようが、戦闘スタイルそのものに直結する、か。まるで魔法だな。あくまでも本質は、磨かれた技術ではなく、魂の在り方そのものである能力、ということか

ーーよし、合わせてみるか」

 

 提案するように、砕玉王がその腰から一つの『珠』を取り出し、躊躇なく握り砕いた。

 きらめくかけらをコムギだったものへと振りかけると、ツタの怪物はビクンと一度大きく痙攣し、その形をメキメキと変異させて、主の手の中へと収まっていく。

 それは、先端に平たい円形の飾りと、金貨のように輝く宝石をあしらった棍棒(メイス)の頭部を持つ、優美なステッキだった。

 

「俺のスタイルに合わせるなら、こうか?」

 

「何を、ぶつくさ言ってやがる!」

 

『……! 待ちい、葵!』

 

 姉の制止も聞かず、葵が地を蹴る。

 だが、砕玉王がその杖をこともなげに真下へ振るった瞬間、衝撃が大地を走り、葵の足元から凄まじい勢いで迸った。

 

「……っ、あ!」

 

 咄嗟に全身へ『硬化』をかけて無事だったものの、葵の身体はなすすべもなく空高く突き上げられる。衝撃に、目が白黒した。

 

「直す暇は与えない」

 

 砕玉王は杖を滑らかに回転させ、その石突を天に向ける。

 途端、灼熱の炎が巨大な蛇のように吹き出し、宙で無防備になった葵を取り囲んだ。

 詰みだ――硬くても、この熱はやり過ごせない。万事休すと思われた、その時。

 

「うわぁぁぁあああ!」

 

 決死の叫びを張り上げ、別の炎が、砕玉王の放った炎の蛇を内側から斬り祓った。

 鍵盤を模した刀身を持つ剣――変身を終えた環が、落下してきた葵を鮮やかにキャッチして着地する。

 

「ず、ん、だあ!」

 

「ほう?」

 

 間髪入れず、ずん子の声と共に、その怪力のすべてを込めて振るわれた機械仕掛けの金棒が、砕玉王のステッキに阻まれ――否、いとも容易く受け流されて、大地を抉った。

 地面を穿ち、遠心力のまま一回転して体勢を立て直したきりたんが、驚愕に呻く。

 

『は……? 今、ちゃんとフェイントを入れたぞ!?』

 

「ん、こちらが二手早かったか?」

 

 重い金属音を立てながら、純粋な質量を持つ金棒と、魔術による仮想質量を与えられたステッキが、まるで舞踏のように幾度となく交差し、激しい火花を散らす。

 

「ふはは!」

 

 やがて、砕玉王の不気味な笑いと共に高速で回転するステッキが金棒を弾き飛ばし、その柄頭ががら空きになったずん子の腰を強かに打ち据えた。

 

「ずんだっ!?」

 

『ずん子!』

 

 砕玉王が追い討ちにステッキの先端へ衝撃魔術を集束させた、その瞬間。

 きりたんの指示を感応したずん子は、逆立ちした両足で宙を舞う金棒を蹴り上げ、再びその手元へと運び、寸でのところで打ち出された衝撃弾を受け止めた。

 

「多少は、ダンスの作法を覚えたか?」

 

『こいつ、意外と強い……!』

 

 きりたんの焦りをあざ笑うかのように、砕玉王は言い放った。

 

「『技術』の差だ。レベルを上げるんだな、勇者たちよ」

 

 

 

 

 

 集団対個であるというのに、その圧倒的な技量の差が、戦場の空気をビリビリと緊張させる。

 

「せぇいっ!」

 

「炎の収束が甘いな。ただの雑音になっているぞ!」

 

 環の振るう鍵盤剣を、砕玉王は同じく炎を纏ったステッキの石突で軽くいなす。

 

「ずんだぁッ!」

 

「少年、的確に指示をしないと、そのずんずん少女が力を持て余すぞ!」

 

 ずん子のことを変な呼び方で呼びながら、その機械仕掛けの金棒を流麗に捌いていく。

 衝撃の痺れから立ち直った葵も、ナックル形態の姉を構え直し、戦線に復帰した。

 

「くぅっ……お姉ちゃん!」

『うちらも、もう一回やるで!』

 

 そんな激しい混戦の最中、環の体内に、再びあの熱が溜まっていくのを感じた。

 

「はぁ……はぁっ!」

 

 環と感覚を同調しているマキが、先の戦いと同じ予感に震え、悲鳴のような声を上げる。

 

『……っ、この、感覚っ!』

 

 その瞬間、きりたんの超脳力に閃きが奔った。

 

『環! 限界まで貯めろ!』

 

「な、えっ!?」

 

 きりたんの唐突な命令に、戦闘中の環は切なげな顔で驚く。

 

『いいから、声を我慢して、気持ちが最高潮に達したらぶっ放せ!』

 

『そんな、無理だよ! 今すぐにでも出ちゃいそうなのに!』

 

 マキが抗議するが、言われるままに、環は口を固く結んだ。

 ……そうだ。耐えるのには、慣れてる。

 脳裏に、過去のトラウマが蘇る。女みたいな声と嘲笑われ、大好きだった合唱部を辞めた中学時代。

 歌声をただ聴き続け、叫ぶこともやめて、自分に必死に蓋をして……。

 

「はぁ……はぁ! っあ、ああっ!」

 

 環の全身に、灼熱がこもっていく。周囲を漂うBLESSの残滓が、腰のベルトのバックルから丹田へと吸い込まれるように集中し、奔流となって体中を駆け巡る。

 

――熱い、熱い、熱い!

 

 環の脳内が、その一言で埋め尽くされていく。

 

『もうっ……ムリィッ!』

 

 耐えるようなマキの喘ぎ声が、理性のタガをどんどん溶かしていく。

 

「なんだか、随分とセンシティブな香りがしてきたな?」

 

 三人を同時に相手取りながら、砕玉王が余裕綽々にぼやく。だが、その間にも戦闘は激しさを増していた。

 そして、ついに。

 環の羽織るジャケットが、内側から漏れ出す炎に耐えきれず、ばっと燃え上がり、焼け散っていく。

 もはや胸当てを残し、解放された汗ばむ上半身を晒しながら、環は完全に理性の飛んだ表情で――思った。

 

(あ、イイや……歌っちゃえ)

 

 その本能のままに、指が鍵盤剣に触れ、一息になぞり爆音をかき鳴らす。

 

 

バシャリ!

 

 と、環のバックルが機械的に開き、ため込んだ炎がそこから環の全身を伝って鍵盤剣に注ぎ込まれる!

 

「っう、あぁーーーーーーーー!」

 

 声が、炎に乗って爆発する。

 それは生命力(リビドー)の奔流。炎の蛇として暴れる魔術の冷たい法則を、内側から焼き尽くし、その熱は味方の身体に染み込んで、その活力を強制的に増大させていく。

 葵の拳はより硬く、ナックルと化した茜はより素早く旋回し、ナックルの力場が砕玉王のステッキの軌道を狂わせた。

 そして葵の拳が、ついに開いた砕玉王の顔面を捉えた!

 

「ぐっ!……っは!」

 

 ダメージが、確かに通った。

 

 

 

 指が、爆音をかき鳴らす。

 それはマキの声であり、環の魂の叫び。戦場で踊る誰もが、己が奏でるその旋律に合わせて、限界を超えていく。

 

「あっはは、はははは!」

 

 愉快さに、環は心の底から解放された笑い声をあげた。

 それは、制御を失った暴走ではない。

 自らを縛り付けていた全ての枷から解き放たれた、魂の産声だった。

 迫りくる新たな炎の蛇を、環は鍵盤に指を弾きながら剣を振るう。

 もはや刀身だけではない、溢れ出す爆音の炎が、魔術の冷たい法則を切り裂き、焼き尽くしていく。

 

『凄いっ……凄いよぉ!環ちゃん!』

 

 剣の中で、マキが圧倒的な力の本流に歓喜の喘ぎを上げる。

 環が剣を振るうたびに、抑圧されていた本能の爆音が、純粋な生命力となって仲間たちへと駆け巡る。

 

「ふははは! 少女よ、化けたな!」

 

 砕玉王は、もはや侮りを捨て、両手を翻して異界からの援軍を召喚する。

 今度はすぐに消えたりはしない。

 この覚醒した炎を、ただの一瞬でも打ち消すためだけに呼び出された、純粋な暴力の塊だ。

 

『総員傾注!』

 

 きりたんの冷静な声が、全員の脳内に響き渡る。

 ずん子と葵が、アイコンタクトもなしに互いの意図を理解し、深く頷いた。

 

『環の路(みち)を、作れ!』

 

「ずんだああああ!!」

 

 ミキサーのように高速回転し、殺傷力を極限まで高めたずん子の金棒が、おぞましい触手の群れを薙ぎ払い、ミンチへと変える。

 葵の拳に、茜のナックルが寸分の狂いもなくシンクロする。

 その先端に搭載された回転機構が作動し、堕ちた精霊の硬い装甲をドリルのように貫いていく。

 

 そして、仲間たちが命を賭して開いたその道の真ん中を、環が鍵盤を激しくかき鳴らしながら突き進む!

 炎が尽きるまで、その身から吹き出し続ける。

 天高く振り上げた剣と共に、環が爆音のフィナーレを叫んだ!

 

「これで……おわりだあああああ!!」

 

 一閃。

 灼熱の剣が、炎の絶唱が、異界の王を、両断した。

 

「――見事だ、勇者たちよ!」

 

 ザぁッ!と音を立てて、魔王は最後に勇者を称えると、その身を焼いた祝福の炎に抱かれ、きらめくかけらとなって大気の中へと散っていった。

 

 

 

 

 

 聖海尼女学院、宿直室。

 その古びた畳の部屋の中央には、なぜか年代物のちゃぶ台が置かれ、湯気の立つ湯呑みが並んでいた。

 

「少女、環の能力は『生命力(フリッカーリビドー)』。こう分類するのが妥当だろうね。己を燃焼させ、生命そのものであるBLESSを周囲に拡散、仲間を本来以上の性能へと覚醒させる詩の奔流だ。彼女の存在は、俺が研究中の詩実体論にまで行きつくかもしれんな」

 

 腕を組み、さも当然のように茶をすする砕玉王が、学者然とした口調で分析する。

 その肩には、先ほどまでの戦闘が嘘のように、手のひらサイズの可愛らしい植物(コムギ)がちょこんと乗っていた。

 

「名前が直接的すぎやしないっすか?」

 

 コムギが、主人の提案にツッコミを入れる。

 その向かいで、結月ゆかりは楽しそうにペンを回しながら、報告書にさらさらとペンを走らせていた。

 

「良いですねぇ。たまちゃんのあの激しい叫び、聞いてるこっちがゾクゾクきましたよ」

 

「然り。あれはまさしく、勇者の器だ」

 

 そんな、まるで他人事のような会話が繰り広げられるちゃぶ台を囲むようにして、その出入口には……。

 

「おい」

 

 疲れ果て、ドアにぐったりと寄りかかった環が、会話に割り込んだ。

 環だけではない。

 ずん子も、マキも、琴葉姉妹も、皆一様に満身創痍で、死人でも見るかのような目で、ちゃぶ台で寛ぐ砕玉王を凝視していた。

 

 先ほど、自分たちが死力を尽くして両断したはずの敵が、何事もなかったかのようにそこにいる。

 そのあまりにもシュールで、理解不能な光景を前に、疲弊しきったボイロウェポンたちは、もはやツッコミを入れる気力さえ残っていなかった。

 

「あぁ、そうそう。紹介がまだでしたね」

 

 ゆかりは、思い出したようにポンと手を打った。

 

「彼はクラブAクラス(潜在Qクラス)『魔術師』、砕玉王タカハシ。……これでも、多くのクラブスート世界にいくつも信者の教団を持つほど有名な魔術研究者であり、魔術で自身も分裂し放題の神体を持つに至った、正真正銘の旧支配者です。昨晩、拾いました」

 

「いや、侵略しようと意気込んだはいいものの、帰る手段を無くし途方に暮れていた俺に、働き口と帰還用のエネルギー(呪相)の当てを用意してくれて、有難い限りだ。帰還を果たした暁には、俺を信仰する周囲座標のクラブスート世界に、停戦協定を立案させて頂こう」

 

「その前に、何も知らされないまま戦わされたこの子たちに、ごめんなさいだと思うっす」

 

 壁に寄りかかったまま、だんだんと意識が遠のき、ずり落ちていく環。

 そんな彼に、ゆかりは追い打ちをかけるように、極上の笑みを浮かべて言った。

 

「それと、たまちゃんたちのクラスの、新しい担任になるので。よろしくどうぞ」

 

「は、はは……よろしく、おねがい、します……」

 

 ゆかりの、あまりにも無慈悲な言葉。

 環はもはや抵抗する気力もなく、乾いた笑いを浮かべるしかないのだった。

 こうして、彼の非日常は、また一つ新しい混沌をその中に取り込んでいくのだった。

 

 

 

 学生寮の夜。

 環は、どうにかこうにか女子たちの肌色が散見する共同浴場を乗り越え、薄い生地のパジャマに着替えたまま、力なくベッドに身を投げ出した。

 

「ぶはっ、疲れたぁ……。結局、今日はなんだったんだ? 部活にも行けなかったし……まったく、ゆか姉ってば」

 

「あはは、あの人、いっつもどこまで考えてるかわかんないもんねぇ……。あの魔王先生と、似たようなものかも」

 

 ひょっこりと部屋に入ってきたマキに、環の心臓がドキッとする。

 自分と同じような、ラフなパジャマ姿。しかし、その日常的な格好に収められた豊満な体躯は、いまだ男子の心を持つ環の目には毒だった。

 いや、今の自分自身も、十分その同類の身体なのだが。

 

「……ねぇ、環ちゃん」

 

「えっ……ふえ?」

 

 気まずさから目を逸らしていると、マキは自分のベッドではなく、環のベッドに、そっと寄り添うように腰掛けてきた。

 隣に体重がかかり、ベッドが優しい軋み声を上げる。

 

「環ちゃんがどういう過去を抱えてて、どういう悩みを抱えてるのか……多分、私には本当の意味ではわからないかもしれないけどさ。私の話を、聞いてほしいな」

 

 マキは、少しだけ俯きながら語り始めた。

 

「私はさ、結構前から、ある人のおかげでボイロウェポンだって自覚してて、BLESS能力も持ってたんだけどね。

私の『燃焼(ファイヤフォックス)』は、電撃系のBLESSが多い弦巻マキのタイプの中で、ちょっと珍しい炎だけの能力なんだ。

でも、何でも燃やしちゃう炎を無軌道に吹き出しちゃうから、チーム戦に向かなくってさ」

 

 マキは、ぎゅっと自身の手を見つめる。

 その脳裏に想起するのは、かつて大火傷を負わせてしまった、別の街のボイロウェポンの悲鳴。

 罪悪感と恐怖に震える手を、彼女はもう片方の手で強く握り込んで押さえ込んだ。

 

「下手すると、奏者である相棒すら焼いちゃうから、いろんなTOWEATの支部をたらい回しにされてたんだ。

いっそ、ボイロウェポンを使い潰すって悪い噂のある『工場(ファクトリア)』に送られることすら、考えた。

そんな時に行き着いたのが、この街だったんだ」

 

 恐ろしい可能性の示唆に、環の身体が強張る。

 するとマキは、おもむろに環の手を取り、自身の胸へと、そっと押し当てた。

 

「あっ……わ……!……マキ、さん」

 

 その柔らかな感触に一瞬、思考が沸騰しかける。

 だが、押し当てられたマキの手が微かに震えていることに気づき、環はその感情を抑え、彼女の手と胸に、そっと己の手を重ねた。

 

ドクン、ドクン。

 

 柔らかな感触の奥から、確かな心音が伝わってくる。

 

「環ちゃんのおかげで、私の炎は、誰かを救える優しい炎になれるって、そう思えたんだ。私、もうとっくに、あなたの歌に救われてるんだよ?」

 

 マキのはにかむような笑顔が、環の心の強張りを、じんわりと溶かしていく。

 自分の歌が、マキをすでに救っていた。その事実が、たまらなく嬉しかった。

 環は、泣きそうになるのをぐっと堪えて……マキに言った。

 

「ありがとう、マキさん……おれ……いや、私も……」

 

「『俺』でいいよ?」

 

ふふ、とマキが優しく笑う。

 

「ちょっと変わった一人称だけど……それも、環ちゃんらしくて、かっこいいよ?」

 

 環は、改めてこの新しい相棒(ルームメイト)に、心の底から感謝した。

 転校初日の、緊張と恐怖に満ちた夜とはまた異なる、穏やかで、温かい眠り。

 あるいはこれが、環にとって、今の自分を認められる、新しい日常の本当の始まりだったのかもしれない。

 

 

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